翌朝。
寺坂は家族とニュースについて話しこんでいたため、会社への到着が普段より少し遅れた。
田村はすでに来ていて、昨日同様、自席で瞑想している。
始業まで、オフィスでも事件の話でもちきりだ。
幼稚園や小学校に通う子供を持つ親は特に声を荒らげ、犯人への怒りをまくし立てる。
08:45より朝礼。周知すべき事項が伝達される。
吉田課長からは「小さなお子さんのいらっしゃる方は残業せず、なるべく早く退社してください」との訓示があった。
以下はチャットによる対話。
寺坂:昨日のデータベースに、カルテからの打ちこみをしていってほしいところなんだけど、まだ慎重論が出ていてね。
今日はこれをやってほしい。
備品の管理簿を一新したいんだ。
既存ファイルの問題点をリストアップするから、全部をクリアできるようなフォーマットを考えてくれ。
田村:僕の待ち時間が長くなりそうですね。
既存ファイルってこれですか。ああ、問題点だらけだ。
僕もリストアップしてみますから、チェックして優先度をつけてください。
寺坂:うう、たすかりすぎる。
田村:この会社では皆さん日常的に残業するのがあたりまえなんですか。
寺坂:ああ、君の星とはちょっと文化が違うようだ。
田村:小さなお子さんがいらっしゃろうがいらっしゃるまいが、仕事は時間内に終わらせてとっとと帰りましょう。
夜は物騒なものだ。
寺坂:第2・第3の被害者が出ると思ってるかい?
田村:なに呑気なことを。
犯人は警察犬の嗅覚から逃げきってるんですよ。
相応の準備をした上でなければ、そんなこと不可能でしょう。
寺坂:……きみは、犯罪捜査についても詳しいのか。
田村:常識です。
それから、さっき聞いていたら子供を保護することばかり心配してましたけど、警察が監視するのはそっちじゃない。
わかりますか?
寺坂:警察が……注目するとしたら……
犯人である、スーツを着た男の方だ。たしかに。
僕なんて、歩いているだけで職質されそうだな。
田村:あなたが今夜、道を歩いていて、ひとりきりの男の子に出会ったとします。
とるべき行動とは?
寺坂:やばいな。つい、危ないぞって声をかけるところだった。
しかし……無視するのが正解なんだろうか?
田村:少年が、思案顔で自分を見おろしているあなたを見て、いきなり叫びだしたらどうなります。
近くの大人たちが総出であなたを捕まえるでしょう。
通報して、警察官へ引き渡すまで、逃がすわけにはいかない。
そんなコメディが今夜だけでどれほど発生するやら。
寺坂:洒落にならないくらい、110番がコールされるんだろうなあ。
あ、ありがとう。そんな心構えをしておくだけで、僕は危険な目に遭わなくてすみそうだ。
全国の小中学校で、型に嵌まった諸注意が連呼されていた。
寄り道しないで早く帰宅すること。
ひとりきりにならないこと。
危険を感じたらおそれないで声を上げること。
それらは普段から繰り返されている周知事項であったため、はっきり言ってしまえば新鮮味が無かった。
S市の小学生たちにとっては、身近に感じられた生々しいスリルである。
それは強すぎる刺激であり、日常に溶けこみすぎたアニメやゲームよりずっと心をドキドキさせた。
早く帰れと言われたところで両親ともに外で働いているし、塾や稽古事を休んでよいとまでは言われていない。
一日の遅れが将来の収入に直結するぞと囁かれ続けて育った子供は、きまりを守ることに徹底して忠実だ。だから基本ルーティーンは厳守せねばならなかった。
そんな小学生たちが、この日、怪しい大人を見つけてはコンビニや交番へ駆けこんで保護を求めるという遊びを覚える。
純真無垢な天使を演じ、右顧左眄する大人たちをただ眺めていればよい。
しかも、勇気を出したことを大いに褒められる。イタズラであるにもかかわらず。
子供だからこその特権かもしれない。
いま味わわずしていつ味わう。
もし指差した標的が本物の怪人だったら、それこそ一生の語り草にできることだろう。
大丈夫、決してひとりきりにならなければよい。
危険より手前で確実に引き返すこと。
誰もがそれを弁えて、充足感を楽しんだ。
無理もない。
子供たちは、この程度の感情さえ封じられて、毎日を過ごしていたのだから。
そんなかれらの一人が、この夜、二番目の犠牲者となった。