ステッキを拾った。魔法少女になった(30代男性)。 作:稲荷竜
ポニーテールが揺れているのを見てるだけなのに、何かとんでもないセクハラ行為を働いてる気持ちになってしまう。
まあ先導する
おじさんの視線がずっと注がれてるの、たぶん訴えられたら痴漢行為で負けるよな。
渚いさみ。
改めて後姿を見ると、それだけでも『凛々しい』感じの子だ。
背が、たぶん高いんだろう。それとも、背筋がピンと伸びてるせいで、そう思えるのか。
歩き方にしっかりした軸がある。武道でもやってるんだろうか。なんだか全体的に、隙がなくて強そうな、そういう印象だ。
おそらく美人なんだろうと思うんだけど、学生の顔立ちの美醜はわかんないな……
学生のっていうか、人間の美醜がね、もう、わからないんです。
生きるうちに、ある日、人間の顔を、人間の顔だと認識できなくなった。顔はいつしか記号になった。人間はいつの間にか『生き物』ではなくなった。そうしないと耐えられなくて、心がそういうふうに機能を変えたんだろうと思ってる。
一時期、親の顔もまともに認識できなくなった。写真とか見ても、誰かわからなかったときは、愕然としたもんだ。
まあだからたぶん、『おそらく背の高い、きっと何か武道をやってる、予想するに美人の』渚いさみちゃん、ということになる。
結構、見てわかる顔立ちだと思うんだけど、外で再会したら同定する自信がないな……
人込みですれ違ってもまずわからないと思う。相手の顔立ちじゃなくて、俺の脳と心の機能の問題で。
数十歩ぐらい、無言で歩く時間があった。
地下に潜った通路は狭い。人が一人、通れる程度だ。
だから横並びにもなれなくて、渚さんが先導するのを、追う形になってしまっている。
でも、ようやく、大人としてすべきことを思い出せた。
「あの、渚さん、前、私が歩きましょうか」
「結構です」
取り付く島もない。
何か渚さんの言葉には、過剰な負けん気みたいなものが感じられる瞬間がある。
異様にツンツンしているというのか……まあ、警戒されてるんだろうな、というのはわかるんだけど。
だからこそ警戒対象の中年男性を背後にひきつれるより、前を歩かせた方がいいと思うんだけど。
とはいえ、俺に渚さんを害する意思はない。
なので背後を歩くのも、それはそれで、背後からの不意の襲撃に備えるという意味ではいいかと思った。現状を維持することにする。
さらに四十歩歩いた。数えたから間違いない。
地下に降りてからだと渚さんの足で百歩ちょい。さすがに身長はこちらがあって、脚もまあ長いので、俺だと八十歩ぐらいに縮むか?
一歩がまあ身長の半分ぐらいだと見積もると、地下を七十メートル以上進んだことになるか。
扉があった。
半開きで、光が漏れている。
渚さんが、振り返った。
「帰ってください」
魔法少女の顔だった。
一般人を逃がそうとしている。
「あなたが帰ったら、そうします」
俺は大人の顔をできているのだろうか。
子供を逃がそうとする、大人の顔を。
今、漏れてくる光を背後にこちらを見る渚さんを見て、改めて、彼女の顔を認識できた気がする。
美人な子だ。
でも、子供だ。
「……仕方ありませんね」
渚さんがため息をついて、何かを手に握った。
それは……ペーパーナイフに見えた。西洋剣風の、ペーパーナイフ。
渚さんが、それを抜いて、つぶやいた。
「聖剣、
たぶんそこから起こったことは、一瞬だった。
派手なエフェクトも、本当は何もないのだろう。
ただ、強烈なイメージが流れ込んできて、そのせいで、時の流れが遅く、そして、派手なエフェクトがあるように、俺には感じられた。
渚さんの全身が青く輝き、服のシルエットが消える。
そして脚、腕、腰、胸、頭に新たなシルエットが現れ……
最後に、手の中に杖が出現した。
たぶん錫杖だ。そう掲示板にはあった。
杖の先端にヤギの角のようなものが生えていて、その角にはピアスのように、片側三つ、合計六つのリングが通されている。
錫杖を持った青い魔法少女。
聖剣を抜くという変身方法のくせに杖を持った彼女は……
魔法少女、ディメンション・ブレイブ。
「私はご覧の通り、魔法少女です。……心配はいりません。私は、強いので」
とはいえ、『魔法少女なら安心かー』とはならない。
「あなたが魔法少女であることは納得しました。でも、それと、私が帰るかどうかは別です」
「どうしてですか」
「戦う力があっても、子供は子供です」
「……」
「『強いこと』は、危険な場所に挑む責任を負わせる理由にはならない。大人なら、そう判断します」
「そういえば、驚いていませんね」
「……」
「知っていて、同行していた、ということでしょうか」
まあ知ってたっていうか……
廃病院で俺が変身シーンを見たかどうか、彼女の中であいまいだったんだろう。
何せ彼女らの変身直後に俺は消えていて、その後、廃病院で再会することはなかった。まあ黒い魔法少女として共闘はしたわけだが、黒い魔法少女の正体が俺だとは思っていないようなので。
それに、何かとても頭が痛そうな顔をしていたのを覚えている。
もしかしたら、あの怪物と戦った前後の記憶が、かなり曖昧なのかもしれない。脳に負荷でもかけられてたんじゃないかな、アレ。常識改変? とかいうので。
なら、改めてはっきりと言っておくべきだろう。
「知っていました。廃病院の時から」
「……」
「それでもなお、子供を危険の中に見送ることはできません」
「あなたより、強いですよ」
変身前の俺よりは強いだろう。
でも、変身後の俺より強いとは思えない。
それに、
「だから、強さは理由にはならないんですよ」
「わかりません」
「いずれわかります。……いえ、もしかしたら、私は、『大人』という存在に理想を抱いたまま、この年齢になってしまっただけで、世間の大人はもう少し、物分かりがいいのかも」
「……?」
「とにかく、放ってはおきません。あなたが帰らないなら、私も帰らない。私の大人としてやるべきことは、『あなたを無事に、家に帰すこと』です」
社会ははっきり言ってしまえば、クソだった。
子供の時はいくら裏切られても、いくら見せつけられても、『少数の情けない、不条理で、不義理で、不道徳な大人がいるだけで、基本的に、大人っていうのは、まあ、立派なもんなんだろう』と思ってた。
でも社会で『クソ』な大人に囲まれて十年以上過ごしているうちに、そういうのが子供の甘い夢だということを思い知らされた。
いつしか、子供時代に『大人』に抱いていた理想は擦り切れて消えて、俺の心には、その理想が磨り潰された残りかすの、粉しか残っていない。
でも、粉をすくってみて思うことがある。
世間がクソで、現実がクソで、世の中に『良い大人』なんてものが全然見当たらないとしても……
それは、俺が、『良い大人』を目指さない理由にはならない。
「私は社会へのかかわり方を失敗しました。でも、私は私の『理想の大人』を遂行する。……夢を見るのは子供だけの権利ではない。大人には、大人の夢の見方があります。私の夢の邪魔をしないでください」
通じたかどうかはわからなかった。
でも、渚さんは俺に背を向けた。
「大人なんだから、自分の身の安全は、自分で守ってください」
「わかっています。君は私が守ります」
「わかっていません」
「いえ、わかっていますよ」
「……勝手にしてください」
半開きのドアから、中へ踏み込む。
……さて、これがボス戦だといいんだが、果たして、どうなるか。
八月の夜の蒸し暑さの中、ひと夏の冒険が一つの山場を迎える気がした。