ステッキを拾った。魔法少女になった(30代男性)。 作:稲荷竜
脳内にレーダーマップ。
手の中にステッキ。
「なんだこれ」
変わり果てた声。
視界の変化。低い。
悲鳴。
よくわからない変化に対する戸惑いと、悲鳴への反応で、後者が先に来た。
路地から抜け出して夏の昼間のビジネス街、鏡壁のビルが反射した日差しで地面を焼こうとしている。
その地面のど真ん中に怪物がいた。
うわ、懐かしい。そんな感想が先に来た。でも考えてみたら、全然懐かしくもないのかもしれない。
別に現実で見たことがあるわけじゃない。幼いころ、ゲームの中に出てきたモンスターがいた。ゴブリン。緑の鷲鼻の、子供ぐらいの身長の、ガリガリの、でもお腹だけぼっこり出た、腰みのをつけた、こん棒を持った、そいつ。
ゴブリンじゃなくて、
そいつが人を襲っていた。
襲われている、パンツスーツの、どこの会社の誰かもわからない人が、はっきりと、俺を見て、こう言った。
「助けて!」
戸惑いは悲鳴への反応より下位にある。
俺の体は飛び出していた。
体が軽い。指先すみずみにまで力がこもる。
動き方を体が知っている。手にはいつの間にか大きな鎌があった。収穫に使ったら腰がいかれそうな大きい鎌。死神のイメージ。自分の今の姿がちょっと気になる。
自分が『自分』の形じゃなくなっているのは、なんとなくわかる。
自分のもののつもりで振った腕が、明らかに華奢だった。服装も、スーツじゃなかった。黒いレースみたいなものが使われた袖。ドレスなのだろうか。服装には詳しくない。
踏み出した足にはブーツがあった。色は黒い。しっかりした編み上げのブーツ。
男性がスーツの下にこんなブーツを履いていたら上司に『ちょっと』と呼び止められるのはわかる。俺も持っていない。俺の靴じゃない。でも、俺の足は、それになじんでいて、靴擦れもしそうになかった。
俺は、どうなっているんだろう。
ほとんど会社に監禁されるようにして働き続けた十五年間は、俺から『社会』というものの知識をすっかり奪い去っていた。
世界がどうか、社会がどうか、そんなもの、気に留める余裕もない。アメリカの大統領が今誰かも知らないどころか、日本の総理大臣の名前さえ知らない。そんな情報を耳に入れる暇なんかなかった。親戚が突然たずねて来なければ、今もそういう暮らしをしていただろう。
魔法少女、実在するのか?
俺は、なんなんだろう?
ゴブリン、もしくは餓鬼どもを蹴散らすのに、十秒もいらなかった。
力があふれて止まらない。
ふと、目の前に鏡壁のビル。
そこに映っているのは──
「………………魔法少女だコレ」
──黒い服を着た、黒い髪の女の子。
黒いドレスを着て、黒い大鎌を持った、目つきの鋭い女の子。
眼光が死んでるところが俺との共通点で、そこ以外には、民族的な特徴である黒髪と黒目ぐらいしか、俺と同じ部分はなかった。
でも、間違いなく俺だった。
それは魔法少女としか呼べない、十代前半ぐらいの女の子なのに、間違いなく、俺だった。
「……どうなって……」
「危ない!」
後ろから声。女の子。
体が勝手に反応して飛びずさる。
轟音と震動があって、直前までいた場所の地面がひび割れていた。
あと、化け物がいた。
オークとしか呼べない化け物だった。相撲取りみたいな体。緑色の皮膚。装備は腰みのにこん棒、ゴブリンとおそろいなのに、体も装備も何もかも、スケール感がゴブリンの五倍ぐらいあった。
どう見ても強敵の登場だった。
そして、
「大丈夫!?」
横に並ぶピンク色の服の女の子。
どう見ても味方側魔法少女の、登場だった。
情報量が多い。