ステッキを拾った。魔法少女になった(30代男性)。 作:稲荷竜
「くれあ、ボクはな、任務でこうしとんねん。せやから──キミが抵抗しなかったら、胸を打たれて攻撃をやめる、なんて夢は、見るべきやない」
熊のような巨体になった妖精が、くれあに向けて攻撃を放つ。
それは獣そのものの、巨大で、毛むくじゃらな見た目からは想像もつかない、分厚いナイフを使った、的確で素早い、軍隊格闘技のような攻撃だった。
人間は猛獣に勝てない。
ましてや、武術を使う猛獣には。
けれど、魔法少女は猛獣に勝てる。
数々の
後ろに行くにつれて、『これは、くれあの勝利だ』と呼べるほどはっきりしたものはなくなって、『みんなの勝利』とか、『ウィッチに助けられての辛勝』とか……『足手まといになっちゃったな』とか。そういう戦いが、増えていったけれど……
それでも、
この名前は、妖精に教わったものだ。
聖印という変身アイテム──神器に選ばれた少女。
だからそういうコードネームを振られた。プリエステス、というのは符丁の一種でしかなく、妖精たちが管理しやすくするためにつけた呼び名でしかない。
それでも、くれあは、嬉しかった。
わけのわからない、『なかったこと』にされてしまうという現象を、見てきた。
くれあだけが、消えなかった。くれあだけが、人が『なかったこと』にされた事実を、覚えてしまっていた。
一人ぼっちだった。
それに──自分だって、いつ消えるか、わからなかった。
名前というのが、
特に、他者から与えられた名前というのが、好ましかった。
その人たちが自分をそう呼んでくれる限り、自分は消えないでいられるかもしれないと、希望を持てたから。
「くれあ! 抵抗しろや! ボクは本気やぞ!」
太い腕から、信じられない速度で、ナイフが振られる。
攻撃はまったくおおざっぱではなかった。これまで戦っていた怪物は、強かったけれど、素人だった。スピードはあっても予備動作が大きくて、パワーを誇るように大振りばかりだった。
でも、妖精はプロだった。
信じられない速度、というのは、『最高速度が速い』ということ──では、なかった。
隙がない。
刃物を軽くこすらせるだけが目的みたいな動き。突きが速い。戻しが早い。しかも、突きとも斬りとも言えないような、対処しにくい攻撃が、大量にくる。
くれあは手にした聖印──十字剣でそれを受けようとしている。
いくらかは、受けられている。
でも、多くは、喰らっている。
家の中を逃げ回りながら、受けに徹している。
でも妖精はあの巨体で信じられないほど機敏に、狭い場所にもぬるりと滑り込むように、来る。
くれあの家が、めちゃくちゃになっていく。
斬り刻まれたくれあの体から、魔力が──あるいはもっと別な呼び名をするべき力が──こぼれて、ピンク色の光になって、散っていっている。
「くれあァ! なんで戦わんのや!」
……くれあは。
かわいいとか、優しいとか、言われる。
でも、『本物』の聖くれあは、そんな人格ではない。
それを、くれあは知っている。
本物の、誰の理想の中にもいない、くれあは……
……ずるい。
「戦わないのが、あなたに一番効くからだよ」
「…………」
「私を殺すのが、怖いんでしょ。私を、殺したくないんでしょ。でも、殺さなきゃいけないから、抵抗してほしいんでしょ」
「……」
「あなたは、優しい人だよ。……だから私は、そこに付け込むの」
「……付け込んだところで、どないなんねん。キミが多少生き延びる時間を延ばしたところで、どないなんねん。……オイ、どないなんねんって聞いとんじゃ!」
「……」
「ボクは、最終的にはためらわんぞ」
「うん」
「遊んでられへん状況になったら、もう、遊ばんぞ」
「わかってるよ」
「援軍が来たら、その瞬間に殺す。キミが生き延びるにはな、キミだけの力で、ボクを倒すしかないねん。それ以外に、キミが、キミ自身と、キミの世界を守れる方法はない」
「わかってるってば」
「……だったら覚悟見せェ! せなあかん状況やろ! どう考えても! キミは! 世界の全部が『なかったこと』にされても、何もかもがなかったことにされた世界を覚えてる側やねんぞ! キミがなんで神器に選ばれたかわかっとらんのか!? キミはな、『そういう体質』やねん! 持っとんねや! ボクらの世界でも一人もおらんぐらいの特別な才能を! そいつはキミに残酷なことを強いる! わかっとんのか!?」
「……」
「殺したるのが、ボクの立場でキミにできる、いっちゃん優しい選択やねん」
「だったら、そうしなよ」
「………………ホンマわからん。何がしたいねん」
何がしたいか?
別に、理想や夢、希望なんかがあって、こうしているわけではない。
大きい目標なんかもない。思想らしいものもない。
ただ聖くれあは、一秒後には自分の命が失われる状況で、死なないために戦っているだけだ。
一秒、命を引き延ばして、何になるのか? 相手が本気になるトリガーが何か一つでもあれば、その瞬間、『遊び』をやめた妖精に殺される。それは、わかっている。
だが、わかっているから、『どうせ死ぬなら、潔く』なんていうふうには、思えない。
……現代の学生の何人が、そんなふうにあきらめよく、覚悟を決められるというのか?
目の前に死が迫っているなら、その『死』を1cmでも1mmでも遠ざけたいと思うのは、普通のことではないのか?
くれあは──
──自分のことを、ようやく理解した。
「私は、死にたくない」
「……」
「私は、消えたくない」
「……」
「私は……戦いなんか、嫌だよ。誰かに守ってもらえるなら、守ってもらいたい。誰かを倒すのも、嫌だよ。魚をさばいたこともないのに、怪物を叩いて殺すのも、本当に嫌だよ。でも、そうしないと生きていけないから、生きてるだけ。私は……」
聖くれあは己の中にある、一番強いモチベーションを、ようやく発見した。
それは単純なものだった。というより、それを『一番強いモチベーション』とカテゴライズするのは、抵抗さえ、あった。
それは普通に生きていれば、強く抱かなくて済む願いだ。
聖くれあは、
「私は、ただ、普通に生きていきたいだけ」
「……」
「何もしたくないよ。生きるために、『なかったこと』にされないために、戦わなきゃいけないけど……嫌に決まってるでしょ。『普通に生きていきたい』だなんて、願いたくないし、願うような状況になりたくなかった」
「…………くれあ」
日常を取り戻すため、なんていう言葉では、くれあの心を表すには強すぎる。
誰かを助けるため、なんていう精神も、くれあの中にはない。むしろ、助けてほしいと、ずっと思っている。
だから、聖くれあは、プリエステスとしての力を引き出したいような、前向きなモチベーションはない。
自分の手で切り拓くとか、自分の感情を相手にたたきつけるとか、そういうのには、全然、向いていなかった。
聖くれあに向いているのは、状況が勝手に打開されるまで、耐えることだけだ。
どこまでも消極的なものこそ、聖くれあのモチベーション。
誰か助けて、と心の中で叫び続けるただの女の子。それが、聖くれあの正体だ。
だから……
「……助けてくれる人がいるって、信じてるから、もう少し、がんばれるだけ」
「……」
「耐えるのは好きじゃないけど、倒すよりは得意だよ。だから──」
聖くれあの手にした十字剣が輝く。
その形状が変化していく。
渚いさみ──ブレイブが持っていた錫杖に近い形状。
ただ、ブレイブの錫杖には『ヤギのような角に複数のリングがぶら下がった形状』なのに対し、くれあの変化させた杖には、翼があった。
光でできた翼。大きく羽ばたく、薄くピンクがかった翼が、杖の先端に生えている。
「──だから、私は、ここで、じっと、待つことにするよ」
くれあの杖の翼が大きく広がり、くれあを包み込んだ。
妖精のナイフが、翼を斬りつける。
だが、傷跡一つつかない。
翼は、くれあを包み込んで守る、絶対的な防御障壁──聖域となった。
「これで、私を殺せない」
「……くれあ」
「誰かが来るまで、耐えてみせるよ。それか、あなたがあきらめるまで。……私は抵抗しない。私は反撃しない。私はただ、ここで、助けを待つ」
「くれあァ!」
妖精の攻撃が苛烈にくれあの聖域を襲う。
だが、傷一つつかない。
大振りの攻撃。隙も大きい。
だが、くれあは、その隙に反撃をしようなど、一切考えない。
……命の削りあい、本気を出せば殺せるはずだった戦いは、根競べへと変化した。
ただ黙って耐える少女に攻撃を続ける妖精の方が、息が上がり、追い詰められている。
プリエステスは何もしない。
ただ、祈るような姿勢で、助けを待ち続けるだけ──
──それが一番『効く』のを理解して、そうするだけ。