ステッキを拾った。魔法少女になった(30代男性)。 作:稲荷竜
「社長、新しい依頼でっせー」
新しい八月が訪れていた。
去年の八月の涼しさを、今年になって改めて実感する。あのワンルームに子供が四人──当時は俺も子供、それも女の子の姿だった──が集まって、それでもエアコンが効いているように感じられたのは、外気温の涼しさがあったんだろう。
今年の夏はエアコンの効きがとてつもなく悪い気がした。
それとも、このオンボロの建物の気密性のせいだろうか。
俺が社屋兼自宅として借り受けたのは、オンボロの五階建ての建物、その二階だった。
決め手は二つ。家賃、それから、一階に喫茶店があるというところ。
一階に喫茶店がある、五階建てのオンボロのオフィスビル。その二階という立地は、たまらなく憧れるものがあった。
気づけばほとんど即決という感じで、その建物に決めてしまっていた。
だって、ロマンだろ。
一階に喫茶店がある探偵事務所なんて。
けれど実際に過ごしてみると、古いせいか気密性が悪い。冬は寒かったし、こうしてこの事務所で迎える一回目の八月は、エアコンを強めにしても、なんだか微妙に蒸し暑かった。
「……依頼はいいんですけど、早いところドアを閉めてもらえませんか。エアコンの効きが悪いんで」
「あ、こらスンマセン。パチンコで稼いできたから許したってや~」
探偵事務所──俺は本当に軽い気持ちで、探偵を始めた。
資格がいらなそうというところと、その実質が『なんでも屋』であっても(法律などに)うるさいこと言われなさそう、というのが選んだポイントだ。
ブラック企業時代、俺は、周囲に認められなかったので自分が何を得意としているかがわからない。
時間がなかったので、資格をとることもできなかった。
ただし俺は、なんでもやった。
……冷静に振り返ると、資格がないとやっちゃダメな処理もさせられていた。
だからまあ、たいていのことは、並ぐらいにはできるだろう、ということで、探偵業務をやってみよう、というのがあった。
もっとも、純粋に俺自身の事情だけで探偵なんかやっているわけでも、ないのだけれど。
体裁だけ整えた事務所の中、暑苦しい男が、アウトレットで買った安物のソファにどっかりと腰かけた。
あのピンク髪の、ロン毛の、真っ白い縁のメガネをかけた、筋骨隆々の、ビーチサンダルの、ハーフパンツの、真っ赤なアロハシャツの、全身日焼けをした、パチンコ帰りの男……
この事務所の貴重な戦力であり、その正体は妖精。
見れば見るほど、昔の俺なら絶対に交流を持たない見た目をしている……しかもあれで軍隊格闘技と刃物の扱い、爆発物の扱いまでできる。
なお、戸籍はない。なので正式な従業員ではなく、『なんか探偵事務所に住み込んでいる、過去不明のヤバげなお兄さん(おそらく二十代)』ぐらいの感じ。
名前が『ヨウ』なのが、ますます何か、裏事情がありそうな感じになってしまっているな、と思う。
妖精のヨウなわけだが、嘘でもいいから、田中とか、鈴木とか、そういう感じの苗字を名乗らせればよかったと、今さら思う──いや、無理だわ。あの見た目なら、田中だろうが、鈴木だろうが、うさんくさい、怖いお兄さんには違いない。
ニコニコ顔のピンク髪ロン毛アロハマッチョが、こちらを肩越しに振り返って、一つの封筒を指先に挟んでヒラヒラさせている。
たぶんアレが依頼だろう。うちの依頼は、ああやって封筒で届けられることが多い。ホームページも開設しているのだけれど、そちらから依頼が申し込まれることは、ほぼなかった。
普通に考えてホームページの方が見つかりやすいし申し込みやすいと思うのだけれど、それもこれも、俺が願った常識・認識改変の結果なんだろうな、とはヨウの談だ。
そのヒラヒラさせた封筒をむしるように奪ったのが、
『なんやかんや』でこの事務所に住み着いている少女で、我が事務所の貴重な戦力その二。
荒事や足を使うことのほとんどをヨウが担当してこの事務所は回っているのだが、シフさんの物探しの能力が、うちの事務所にある『失せ物発見率100%!』を誇大広告ではなくしてくれている。
……俺たちは、魔法少女だった。
その戦いは終わった。けれど──
──俺たちは、まだ、魔法少女だった。
「おいヨウ、あんた雇われだろ。なに社長に『取りに来て』みたいに封筒ヒラヒラさせてんだ。てめぇで渡せよ」
「あら~」
「その反応、何」
「いやいや。相変わらず、シフは社長のこと大好きやね~思てな。せやけどほかの人に噛みつきまくる性格は直さなあかんよ? 将来苦労すんで、マジな話」
「顧客の前ではちゃんとする」
「おいおいおい、キミ、不法労働少女で客前に出ぇひんやろ。ぶっつけで接客ができるかい。普段から丁寧に人に接するようにしとかんと、『いざ』という時に出るで、素が」
「お前はどうなんだよ!」
「ボク? ボクはええねん。接客は社長に任せとるからな。どーせボクは社長から離れへんし。でもキミは独り立ちするかもやろ? そしたら普段から気ぃつけた方がええで、っちゅう話や」
「独り立ちなんかしない! あたしはずっとここにいる!」
「社長の気遣い無駄にしたらアカンで。そういや来年、高校受験やろ? 勉強は進んどるか? ん? 優しいお兄さんが、優しく勉強教えたろか? 数学と理科なら得意やで」
「余計なお世話だ!」
「ちなみに依頼やけど、猫探しやで。よかったなーシフちゃん。猫ちゃん好きやろ?」
「うるさいなお前は本当に! っていうか! 社長に渡す前に依頼を勝手に見るな!」
「固い固い。その若さでお
ピンク髪のうさんくさい日焼けマッチョと、白髪の女の子が言い争うあの光景もいつものものだった。
二人があんな調子で、俺もかろうじて『お客さんと直接話す』という役割を負えているので居場所を失わずに済んでいるのだけれど、探偵業務の本番に関しては、本当に出る幕がない。
シフが魔法で物を探して、ヨウが実働する。だいたいそれで、終わってしまう。
なので俺はすっかり、ケツで社長の椅子を磨くのが基本業務になってしまっている。あと、留守番かな。
この事務所への依頼方法で一番多いのは、封筒による依頼になる。
でも、二番目に多いのは──
──ピンポーン、とチャイムの音がする。
……二番目に多いのは、このように、飛び込みの依頼。
ペンシルビルの二階。都会の路地裏。建物と周囲一帯が古いから奇妙にノスタルジックな雰囲気があるものの、本来は『雑居ビル』と呼ばれるような、そういう建物にあたるだろう。
そんな建物の二階にある探偵事務所、まあ社長の俺が言うのもどうかという話だが、怪しすぎて、飛び込もうとは思わない。
でも、二番目に多い依頼形式が、飛び込みだ。
「……ヨウ、対応をお願いします」
「ほいほい。ボクの見た目こんなんやけど、隠れなくてええのん?」
「さすがに一年近くやってるのでもうわかってますよ。こういう飛び込み依頼はだいたい……」
はぁ、とため息が口をつく。
神様はやはり、おおざっぱだよな、と。
「……『世界改変』の影響の事件ですよ。だから、あなたが必要です。ヨウ」
◆
──ならなかった。
大部分の『泥』は回収できて、世界は一見、元に戻った。
だが、『こびりついた』泥の中には回収できなかったものもある。
それは茶碗についた茶渋とか、長年使い続けた木製のテーブルの拭いてもとれないべたつきとか、あるいは数年着た白いシャツの首元にどうしても残る垢シミとか、言ってしまえばそういうもので、『今度まとめて処理するか』とか、『買い替えるしかないな』みたいなものではある。
でも、たったその程度のものでも、個人にはかなりの影響を残すし……
その『茶渋』『べたつき』『垢シミ』がついている先は『世界』なので、『買い替える』というわけにもいかない。
そこで、誰かが、シミが見つかるたび、シミ抜きをするしかない。
……俺が新しい業態に『探偵事務所』を選んだのは、ヨウによる実働能力、俺の経験からできる浅く広い処理能力、何よりシフさんの物探し能力だけが理由ではない。
こういう『世界改変』の影響の事件を集め、解決するため、というのも、この業態を選んだ理由だ。
「父が消えていることに、先月、気づいたんです」
依頼者は二十代の女性で、このあたりの人ではないのだろう、どこかのお金持ちのお嬢様、という雰囲気が、服装や装飾品、それから、ソファに腰掛ける姿ににじみ出ていた。
このあたりの人だと、どこか下町のような雰囲気がある。だが、それがない。
俺の後ろに立って依頼者の話を聞いていたヨウが、ソファの背もたれに手を置いて、俺の耳に顔を寄せた。「運転手つきの車に乗ってきはってるね」と言う。
……車の音があれば、この建物なら聞こえる。どこか遠く、このあたりの道に入らないところで停めているのだろうが──よくわかるな。たぶん、音じゃなくて、ほかの何かで、それを分析したんだろう。
「父は、確かにいたんです。なのに、いない……いないのに、死んだわけでも、ないんです。まるで最初からいなかったような──なんて言っても、信じてもらえないかもしれませんが」
「いえ」
「……」
「私たちは、信じます」
「……ありがとうございます」
緊張が解けたのが、肩の高さの動きでわかった。
後ろでヨウが「さすがやん」と俺をはやしたて、ドスッという音がして、黙った。たぶん、シフさんが肘でも叩き込んだのだろう。脇腹あたりに。
後ろの二人の様子を見てお客様がぎょっとしているので、俺はことさら優しく微笑みかけた。
「ご依頼は、『お父様の発見』、あるいは『お父様がいなくなっているのに、その事実に誰も気づいていないという、不思議な現象の解決』でよろしいですか?」
「……できるのですか?」
「ええ。ウチはそういう事務所ですので」
「…………お願いします。依頼料はその、現金がないのですが」
「あ、そっちはボクがご説明しますわ。どうぞ、そのままお待ちください」
我が事務所の集金システムは、構造的な意味でも、メカニック的な意味でも、ヨウが整備・管理をしている。
お客様はいかついピンク髪のアロハシャツマッチョに一瞬ぎょっとして、それからこちらを見た。
俺は微笑むしかできないが、それでいくらか緊張は和らいだようだった。また少し、上がった肩の位置が、下がる。
「社長、使いますね」
シフさんがささやいてきたので、うなずいた。
物探しの魔法は、人どころか、神さえも探せる。
そうしてこういう人が『なかったことにされた』事件は、その人のところに『泥』がある。
……さて、神様の事後処理を始めようか。
正直なところ、冷静に振り返ると、だいぶ抵抗があるんだが……
俺はまだまだ、魔法少女を辞められないらしい。
◆
事件の解決に使った時間は合計で三日。
見事に解決し、依頼者のお父様を『なかったこと』にしていた泥の回収に成功する。
そして翌日の俺は、まだ少女をやっている。
日に日に、女の子のままでいる時間が延びていた。
「
ところで
この二人はいったいどういう手段なのか知らないが、俺が女の子の姿でいる時をまるで察知しているように事務所に来て、俺を連れ出すと、服を買わせたり、SNS映えしそうなスイーツを買わせたりして、写真を撮るということを繰り返している。
「勘弁してください」
水着という一線を俺はかたくなに守っているものの、俺の防衛ラインにこの二人はいつの間にか浸透し、『これだけは勘弁して戦線』をじわじわと後ろに追いやっている。
このままだと水着も着させられそうだった。
「というかあの、私の真の姿を知っていますよね。戻るんですよ、アレに。アレがね、水着をミチミチ破きながら出現する光景を想像してください」
「でも鬼林さん、だんだん女の子になってるじゃないですか」
「なってません」
デパートのフードコートでテーブルを囲んでいると、どうにも聖・渚の包囲網は強すぎる。
一年という時間のせいか、ウィッチの姿で見る二人は、たいそう大きくなっているように見えた。
今年受験を控えた中学生のはずだが、ウィッチが小さく、そして、姿が不変なせいだ。
こういう女子会話は『自我』に任せたいなと思っているんだが、『自我』の方は最近、めっきり出てこない。
俺の願いを叶え、世界にかけられていた改変のほとんどを元通りにしたことで、力を使い果たしてしまったのだろう。
……まあ、そうでもなければ、俺が『日に日に女の子でいる時間が延びている』というリスクを冒してまで、泥の残りの回収に血道を上げることも、ないのだけれど。
「鬼林さん、黄色とかどうですか」
「何の話か一応伺いますね、渚さん」
「? 水着ですけど」
「だから着ないって言ってんだろ」
年下の女の子相手なので声をあらげたり乱暴な言葉遣いをしないようにしていた日々もあったが、それもだんだん、崩れているような気がする。
一年も付き合っているのでいい加減慣れている。お互いに。
この二人は遠慮も容赦もなくなったし、こういう冗談も言うようになった。
俺も俺で、まあ、今の姿なら、それほど距離をおかない付き合いをしてもいいのかな、と思うようになっている。
これが良いことなのか、悪いことなのかは、わからない。
俺なんかに善悪を判断できるようなことは、この世にほとんどないのかもしれないと、最近は強く実感する。
でも、コーラフロートを飲みながら見る二人は、明るい。
だからまあ、俺の願いはこの二人にとって、良いことではあったんだろう、というぐらいは、わかる。
「でも、鬼林さん、いずれ女の子の姿から戻れなくなったらどうするんですか?」
「不吉な想像はなるべくしないようにしています。そして、そういった想像の中の未来が訪れる前に、さっさと死ねるように願っています」
「それこそ不吉ですよ。鬼林さんには長生きしていただきたいんですから」
「葬式にはいらっしゃらなくて大丈夫です。どういう縁で招待すればいいかもわかりませんし」
「そういう話ではありません。鬼林さんには事務所を大きくして、私たちの就職先になっていただかないといけないんですから」
「……あの、もっといい企業への就職を目指してください。あんな雑居ビルの零細探偵事務所への就職を目指すなんて、人生を捨ててはいけませんよ」
「でも、私たちだって、まだ戦えますから」
俺が『泥』の回収にあたっているわけだが……
わざわざ変身して『泥』にあたるのは、ウィッチの姿じゃないとうまく『泥』に働きかけることができない──というだけが理由ではない。
『泥』、モンスターになって襲ってくる。
どうにもウィッチから分かたれた泥は、時間を経て、自我を持つようになってしまっていた。
神話的に言っても、そもそも世界の全部の大本が創造神であるウィッチなので、ウィッチが分離した飛沫が生命だの神だのになるというのは、わからない話でもないが……
そういう事情で、俺はまだ、魔法少女活動を終わることができない。
が、それは少女たちに戦わせる理由にはならない。
彼女たちが解決すべき問題は解決し、彼女たちの人生には日常が戻った。
ならまた非日常に誘いこむようなことを、大人はしてはならないと思っている。
が、そういう事情を知った彼女たちは、自分たちも戦う、手伝うと言ってくれた。
事情を知られたのはウィッチの姿で買い出しをしているところを見つかったのが理由なので、俺のせいなのだが。
あんまり離れた場所に住みたくなかったので、以前住んでいた場所の近隣で事務所兼自宅を決めたのは、失敗だったと思っている。
利用するスーパーが、聖・渚両名とかぶってしまい、思いのほか、会う。
……そういった事情で魔法少女活動がバレたせいで、この両名に手伝いを申し出られて、俺は……
『わかりました。では、お二人が大人になってウチに就職するようなら、その時は業務として、魔法少女活動を命じるとしますよ』
と、答えてしまった。
零細探偵事務所、オシャレでもなんでもない雑居ビルの二階。こういうものを現実的な就職先として見た場合、女子中学生が魅力を感じることは一切ないだろうと思ったんだよ。
そしたら何か乗り気にさせてしまい、とても申し訳ない。
女の子がだぞ。あんな事務所に憧れるか? 男ならまだわかるけどさ……
わかんない。わかんないよ、若者。
「ところでアルバイトは受け付けてないんでしょうか。高校に入ったら、私、アルバイトをしようと思ってるんですよ」
「残念ながら三人で十分に回っていますので。それだけ依頼が少ないんですよ」
渚さんがグイグイ来るのはなんとなく知っていたが、聖さんもこの感じで、隙あらば魔法少女を再開しようとする。
どうしたもんだろう。
ステッキを拾って魔法少女になったあの夏から一年が経って、多くの人に日常は戻った。
でもまだ日常が戻っていない人もいるし、こうして、また非日常に踏み入ろうとする元魔法少女もいる。
俺は日常こそが素晴らしいと思うのだけれど、いかんせん、終電帰り始発出社の
あと働かないと何か申し訳ない気持ちに、いまだになってしまう。誰かにというか、世界に対して。働いてないのに生きてていいのかな? という気持ちに……
カウンセリングもまだ続いているし、収入は安定とは言い切れないし、欲を言えばもっと心身・経済状況ともに安定したいというのが俺の願いだ。
この願いは神様には叶えられない。
結局のところ、『安定した日常』に、『自分の力で得ている』という実感が不可欠なのを、俺は知ってしまっているから。
ステッキを拾ったあの夏から一年、俺はまだ魔法少女をやっている。
日に日に女の子でいる時間が延びてきていて、来年には一回の変身で数日は女の子になってそうな予感もするんだが、そこまでいったらもう、女の子でいる時間が日常の一部だということで、あきらめてしまいそうな自分に、少しばかり、ため息が出てしまう。
END
これで完結です。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
最後に妖精がネタバラシした回で言えなかったこと(妖精視点・あの状況では語る機会がなかったこと)をまとめたものを次話につけておきます。