【朗報】曇らせトラウマ美少女たちを絶望から救ったら、俺への激重感情が物理的な圧になって襲いかかってくる件について 作:沢田美
第二章 太陽みたいなエースは、家に帰れない
風邪。
それはきっと、豪雨の中を傘も差さずに全力疾走した高校生へ、忘れた頃に届けられる請求書だ。
天城を歩道橋から連れ帰って一週間。
事情聴取や学校との話し合い、天城の見舞いで走り回り、そのまま彼女の登校初日まで無事に乗り切った俺は、完全に油断していた。
そして翌朝。
「三十九度一分……。人間って、ここまで綺麗に敗北できるんだな」
体温計を見つめながら、俺はベッドへ沈んだ。
頭痛、悪寒、喉の痛み。
おまけに全身が、昨日プロレスラーと試合でもしたのかというほど重い。
青春を楽しむには、まず健康である必要があるらしい。
十七年生きてきて初めて知った。
仕事へ向かう母さんが学校への連絡と朝食を用意してくれたが、食欲はない。枕元のスマートフォンには、クラスメイトからのメッセージが大量に届いている。
その中でも、天城ひよりからの通知は四十七件あった。
『本当に風邪なの?』
『熱は何度?』
『病院には行った?』
『息はできてる?』
『蒼真くん?』
『返事がないけど、意識ある?』
『今から行きます』
「最後だけ決定事項だな……」
返信しようとした瞬間、家のチャイムが鳴った。
嫌な予感ではない。
これはもう、確信だった。
※ ※ ※
「蒼真くん、生きてる!?」
玄関を開けた途端、マスク姿の天城が飛び込んできた。
その背後には、美琴、莉愛、玲奈、結月、詩乃まで揃っている。
「風邪で生死を確認されたのは初めてだ」
「返信がなかったから心配したの!」
「送られてきた四十七件を読んでる途中だった」
「四十七件で済んだんだ。ひより、我慢したねえ」
莉愛が感心したように頷く。
「そこは止めるところだろ」
「話はお部屋で伺います。成瀬さん、今すぐベッドへ戻ってください」
玲奈に背中を押され、俺は六人の美少女を自室へ招き入れることになった。
冷静に考えれば、とんでもない状況である。
だが今の俺には、邪な感情を抱く体力すら残っていなかった。
「おおー、男子高校生の部屋! ベッドの下、確認してもいい?」
「結月。病人に精神的な致命傷を与えないでください」
「否定しないんだ、蒼真」
「莉愛まで追撃するな。あと、なにもないからな」
「本当ですか?」
詩乃が静かにベッドの下へ視線を向ける。
「詩乃、その純粋な好奇心が一番怖い」
俺をベッドへ寝かせると、六人は持ってきた荷物を広げ始めた。
玲奈は授業のノート。
莉愛はスポーツドリンクとゼリー飲料。
詩乃は退屈しないようにと文庫本。
結月はなぜか手作りの『全快祈願プレイリスト』。
美琴は大量の果物。
そして天城は、お粥、薬、冷却シート、加湿器、替えのマスク、体温計を三種類用意していた。
「天城、病院でも開くつもりか?」
「必要なものを持ってきただけだよ」
「体温計が三本必要になる場面を教えてくれ」
「一本が壊れて、もう一本が壊れたとき」
「俺の家だけ局地的に体温計の大災害が起きるの?」
天城は真剣だった。
冗談ではなく、本気で心配してくれているらしい。
「蒼真、お粥食べられそう?」
美琴が俺の顔を覗き込む。
「少しなら」
「じゃあ、あたしが食べさせるよ」
「待って、美琴ちゃん。お粥を作ったのは私だよ」
「運んできたのはわたくしです」
「冷ます役なら、あたしがやろっか?」
「実況は私にお任せください!」
「皆さん、病人を囲んで遊ばないように」
詩乃の一言で静まり返る。
まともな奴がいて助かったと思った直後、彼女は小さな器へお粥をよそった。
「それでは公平に、じゃんけんで決めましょう」
「詩乃、お前も食べさせる側なのか……」
熱のせいか、六人が天使ではなく獲物を奪い合う猛禽類に見えてきた。
最終的には、お粥を作った天城が権利を獲得した。
「はい、蒼真くん。あーん」
「自分で食べられるぞ」
「あーん」
「天城さん、目が笑ってない」
「あーん」
「……あーん」
逆らうと熱が上がりそうなので、素直に口を開ける。
お粥は優しい味がして、悔しいがかなり美味しかった。
「どう?」
「美味い。毎日でも食べたいくらい」
「毎日作るね」
「風邪の日だけでいいからな?」
「元気な日も作るよ?」
会話が成立していない。
※ ※ ※
薬を飲んだ俺は、いつの間にか眠ってしまったらしい。
目を覚ますと、窓の外は夕暮れに染まっていた。
枕元には交換された冷却シートと、六人からの寄せ書きが置かれている。
階下から玄関の開く音がした。
見送りくらいはしようと廊下へ出ると、最後に靴を履いていた美琴と目が合う。
「起きて大丈夫なの?」
「さっきより楽になった。看病、ありがとな」
「あたしは果物持ってきただけだよ。お礼なら、ずっと手を握ってたひよりに言って」
「寝てる間、ずっと?」
「うん。あれはもう看病っていうか、封印の儀式だったね」
美琴がいつものように明るく笑う。
そのとき、彼女のスマートフォンが鳴った。
画面に表示された『父』の一文字を見た瞬間、美琴の笑顔が消える。
通話へ出る指が、微かに震えていた。
「……はい。ごめんなさい。今から帰ります」
電話はすぐに切れた。
「美琴?」
「なんでもない! ちょっと門限に厳しいだけ!」
慌てて鞄を持ち上げた拍子に、美琴の袖がずれる。
手首の少し上。
そこには指で強く掴まれたような、青黒い痣が残っていた。
「その痣、どうした?」
「昨日の練習でぶつけたんだよ。バスケしてたら、これくらい普通だから!」
美琴は笑って手首を隠す。
けれど、その笑顔を俺は知っていた。
心配させないために作られた、助けを求められない人間の笑顔。
「じゃあ、また学校で!」
止める間もなく、美琴は家を飛び出していった。
閉ざされた玄関の向こうで、駆けていく足音が遠ざかる。
俺は熱に浮かされた頭で、彼女が最後に口にした言葉を思い返していた。
『今から帰ります』
あれは家へ帰る人間の声ではなかった。
逃げ場を失った人間の声だった。