学校一のアイドルを絶望から連れ戻したら、愛が重すぎて手が離せません 〜曇らせヒロインたちを救済したら、激重感情の圧で平穏な高校生活が終わりました〜 作:沢田美
翌日の昼休み。
「はい、蒼真くん。今日のお弁当」
天城が俺の前へ置いたのは、立派な三段重だった。
隣でコンビニのおにぎりを開けていた蓮が、重箱と自分の昼食を交互に見比べる。
「なあ蒼真。俺たち、親友だよな?」
「その確認から始まる頼み事には、嫌な予感しかしない」
「三段のうち、一段くらい親友へ横流しする気は?」
「ありません」
俺より先に、天城が笑顔で却下した。
「まだ俺、なにも答えてないんだけど」
「蒼真くんの栄養なので」
「お前の食生活、本人の意思が反映されなくなってない?」
「天城。確認するけど、今日は俺の誕生日でも正月でもないぞ」
「病み上がりなんだから、栄養を取らないと」
「一段目が肉、二段目も肉、三段目はいちごサンドか」
「蒼真くんの好きなものを研究しました」
「栄養の概念が、俺への愛情に負けてない?」
「愛情は一番の栄養だよ?」
真顔で言い切られ、俺のほうが先に視線を逸らした。
歩道橋の一件以来、天城の好意には迷いも遠慮もない。恩返しだけでは説明できない熱量だった。
「はいはい、ごちそうさま。まだ食べてないのにお腹いっぱいだわ」
莉愛が向かいの席で肩をすくめる。
「でも、この量を一人で食べたら、蒼真がまた寝込まない?」
美琴がいつもの笑顔で重箱を覗き込んだ。
右頬には、昨日と同じ絆創膏が貼られている。長袖のジャージを制服の上から羽織り、腕の痣は完全に隠していた。
「美琴ちゃんも食べる?」
「いいの? やった、ひよりの卵焼き好き!」
天城から卵焼きを受け取り、美琴が嬉しそうに頬張る。
「うん、美味しい!」
「よかった。たくさんあるから、みんなも食べてね」
結局、俺と蓮を含む八人で重箱を囲むことになった。
天城から分けてもらえなかった蓮は、結月が差し出したブロッコリーを無言で齧っている。
美琴は誰より明るく喋り、誰より大きな声で笑っていた。
昨日、父親に腕を掴まれて連れ帰られたことなど、最初からなかったように。
俺と目が合うと、笑顔がほんの一瞬だけ固くなる。
「美琴ちゃん」
天城が静かに呼びかけた。
「無理して笑わなくても、ここでは誰も怒らないよ」
美琴の箸が止まる。
「な、なに言ってるの? あたしはいつだって元気だよ!」
「うん。私も、ずっとそう言ってたから」
天城の声には、同じ嘘をつき続けた人間だけが持つ優しさがあった。
美琴はなにも答えず、再び卵焼きを口へ運ぶ。
その笑顔は、さっきより少しだけ苦しそうだった。
昼休みが終わり、六人がそれぞれの教室へ戻ったあと。
蓮は空になった弁当箱を見つめる俺へ、小声で話しかけた。
「美琴の怪我、気になってるんだろ」
「……分かるか?」
「親友歴を舐めんな。お前、考え事してると箸で弁当箱の角を叩くんだよ。事情は聞かない。ただ、家まで一人で乗り込むような真似はするな。まず顧問か先生に相談しろ」
「そのつもりだ」
「ならいい。必要になったら呼べ。俺は美少女じゃないが、頭数には入る」
「頼りにしてる」
蓮は軽く拳を突き出す。
俺も拳を合わせてから、放課後に顧問へ相談することを決めた。
※ ※ ※
放課後、俺は女子バスケ部の顧問を訪ねた。
美琴の家庭を勝手に調べ回るつもりはない。
けれど怪我が増えている以上、見なかったことにもできなかった。
「橘の怪我について、ですか」
顧問の高橋先生は、難しい顔で腕を組んだ。
「この一か月、痣や擦り傷が増えてます。本人は練習中の怪我だと言っていますが、部員の誰も原因を見ていません」
「先生も気づいてたんですね」
「何度か本人へ確認しました。養護教諭にも相談しています。ただ、橘は毎回説明を変えず、家庭へ連絡することを強く拒みました」
「父親が、学校まで迎えに来たことは?」
「以前にもあります。礼儀正しく、娘思いに見える方でした。ただ……」
先生は言葉を切った。
「橘は父親の前で、一度も笑わないんです」
昨日の光景が脳裏に蘇る。
痣の上から腕を掴まれても、美琴は痛いとさえ言えなかった。
「学校として、慎重に対応を始めます。成瀬くんも何か気づいたら、必ず大人へ伝えてください。君だけで父親と話そうとしてはいけません」
「分かりました」
美琴を助けたい。
だからこそ、勢いだけで動いて彼女の立場を悪くするわけにはいかなかった。
※ ※ ※
職員室を出て階段へ向かう途中、美琴の声が聞こえた。
踊り場の陰で、誰かと電話している。
「今日はちゃんと六時までに帰るから」
普段の明るさが消えた、小さな声だった。
「だからお願い。奏太(そうた)にはなにもしないで。あの子は関係ないでしょ」
電話の向こうから、男の怒鳴り声が漏れ聞こえる。
「ごめんなさい。私が悪かったから……。うん、帰ったらちゃんと話すから」
通話が切れる。
美琴はしばらくその場から動けずにいた。
「奏太って、誰だ?」
俺が声をかけると、美琴が弾かれたように振り返った。
「聞いてたの……?」
「悪い。でも、聞かなかったことにはできない」
「弟だよ。小学五年生」
美琴は諦めたように、階段へ座り込んだ。
「お母さんは?」
「三年前に病気で亡くなった。それから父さん、少しずつ変わっちゃったんだ」
仕事で苛立った日。酒を飲んだ夜。美琴の帰りが数分遅れたとき。
父親は怒鳴り、物を投げ、やがて手を上げるようになった。
「最初は私だけだった。でも半年前、奏太にも手を上げようとして……」
「それで、美琴が庇ったのか」
「私が言うことを聞いてれば、奏太にはなにもしないって約束した。だから大丈夫。あたしは身体も丈夫だし、殴られるのには慣れてるから」
「そんなことに慣れていいわけないだろ」
「分かってるよ!」
美琴の叫びが階段に反響する。
「でも誰かに言ったら、父さんは奏太を連れて逃げるかもしれない! 私たちが引き離されるかもしれない! 父さんだって昔は優しかったの! お母さんが死ぬ前は、三人で笑ってたんだよ!」
堪えていた涙が、美琴の頬を伝う。
「だからお願い、蒼真。なにもしないで」
「それは約束できない」
俺は迷わず答えた。
「美琴も奏太くんも危険だって分かったのに、黙って見てることはできない」
「それなら、もう蒼真にはなにも話さない」
美琴は立ち上がり、俺の横を駆け抜ける。
「美琴!」
「ついてこないで!」
遠ざかる足音を聞きながら、俺は拳を握った。
助けを求めている天城へ手を差し伸べることさえ、簡単ではなかった。
まして美琴は、自分から救いを拒んでいる。
それでも、知ってしまった以上、引き返す道はなかった。
美琴の意思を無視して父親へ乗り込むつもりはない。
けれど沈黙を守ることは、彼女と弟を危険な家へ置き去りにすることだ。
二人を引き離さず、安全に助ける方法を探す。
そう決めた俺は、もう一度職員室へ向かって歩き出した。