学校一のアイドルを絶望から連れ戻したら、愛が重すぎて手が離せません 〜曇らせヒロインたちを救済したら、激重感情の圧で平穏な高校生活が終わりました〜   作:沢田美

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第8話 助けを拒む理由

 翌日の昼休み。

 

「はい、蒼真くん。今日のお弁当」

 

 天城が俺の前へ置いたのは、立派な三段重だった。

 隣でコンビニのおにぎりを開けていた蓮が、重箱と自分の昼食を交互に見比べる。

 

「なあ蒼真。俺たち、親友だよな?」

 

「その確認から始まる頼み事には、嫌な予感しかしない」

 

「三段のうち、一段くらい親友へ横流しする気は?」

 

「ありません」

 

 俺より先に、天城が笑顔で却下した。

 

「まだ俺、なにも答えてないんだけど」

 

「蒼真くんの栄養なので」

 

「お前の食生活、本人の意思が反映されなくなってない?」

 

「天城。確認するけど、今日は俺の誕生日でも正月でもないぞ」

 

「病み上がりなんだから、栄養を取らないと」

 

「一段目が肉、二段目も肉、三段目はいちごサンドか」

 

「蒼真くんの好きなものを研究しました」

 

「栄養の概念が、俺への愛情に負けてない?」

 

「愛情は一番の栄養だよ?」

 

 真顔で言い切られ、俺のほうが先に視線を逸らした。

 歩道橋の一件以来、天城の好意には迷いも遠慮もない。恩返しだけでは説明できない熱量だった。

 

「はいはい、ごちそうさま。まだ食べてないのにお腹いっぱいだわ」

 

 莉愛が向かいの席で肩をすくめる。

 

「でも、この量を一人で食べたら、蒼真がまた寝込まない?」

 

 美琴がいつもの笑顔で重箱を覗き込んだ。

 右頬には、昨日と同じ絆創膏が貼られている。長袖のジャージを制服の上から羽織り、腕の痣は完全に隠していた。

 

「美琴ちゃんも食べる?」

 

「いいの? やった、ひよりの卵焼き好き!」

 

 天城から卵焼きを受け取り、美琴が嬉しそうに頬張る。

 

「うん、美味しい!」

 

「よかった。たくさんあるから、みんなも食べてね」

 

 結局、俺と蓮を含む八人で重箱を囲むことになった。

 天城から分けてもらえなかった蓮は、結月が差し出したブロッコリーを無言で齧っている。

 

 美琴は誰より明るく喋り、誰より大きな声で笑っていた。

 昨日、父親に腕を掴まれて連れ帰られたことなど、最初からなかったように。

 

 俺と目が合うと、笑顔がほんの一瞬だけ固くなる。

 

「美琴ちゃん」

 

 天城が静かに呼びかけた。

 

「無理して笑わなくても、ここでは誰も怒らないよ」

 

 美琴の箸が止まる。

 

「な、なに言ってるの? あたしはいつだって元気だよ!」

 

「うん。私も、ずっとそう言ってたから」

 

 天城の声には、同じ嘘をつき続けた人間だけが持つ優しさがあった。

 

 美琴はなにも答えず、再び卵焼きを口へ運ぶ。

 

 その笑顔は、さっきより少しだけ苦しそうだった。

 

 昼休みが終わり、六人がそれぞれの教室へ戻ったあと。

 蓮は空になった弁当箱を見つめる俺へ、小声で話しかけた。

 

「美琴の怪我、気になってるんだろ」

 

「……分かるか?」

 

「親友歴を舐めんな。お前、考え事してると箸で弁当箱の角を叩くんだよ。事情は聞かない。ただ、家まで一人で乗り込むような真似はするな。まず顧問か先生に相談しろ」

 

「そのつもりだ」

 

「ならいい。必要になったら呼べ。俺は美少女じゃないが、頭数には入る」

 

「頼りにしてる」

 

 蓮は軽く拳を突き出す。

 俺も拳を合わせてから、放課後に顧問へ相談することを決めた。

 

※ ※ ※

 

 放課後、俺は女子バスケ部の顧問を訪ねた。

 

 美琴の家庭を勝手に調べ回るつもりはない。

 けれど怪我が増えている以上、見なかったことにもできなかった。

 

「橘の怪我について、ですか」

 

 顧問の高橋先生は、難しい顔で腕を組んだ。

 

「この一か月、痣や擦り傷が増えてます。本人は練習中の怪我だと言っていますが、部員の誰も原因を見ていません」

 

「先生も気づいてたんですね」

 

「何度か本人へ確認しました。養護教諭にも相談しています。ただ、橘は毎回説明を変えず、家庭へ連絡することを強く拒みました」

 

「父親が、学校まで迎えに来たことは?」

 

「以前にもあります。礼儀正しく、娘思いに見える方でした。ただ……」

 

 先生は言葉を切った。

 

「橘は父親の前で、一度も笑わないんです」

 

 昨日の光景が脳裏に蘇る。

 痣の上から腕を掴まれても、美琴は痛いとさえ言えなかった。

 

「学校として、慎重に対応を始めます。成瀬くんも何か気づいたら、必ず大人へ伝えてください。君だけで父親と話そうとしてはいけません」

 

「分かりました」

 

 美琴を助けたい。

 だからこそ、勢いだけで動いて彼女の立場を悪くするわけにはいかなかった。

 

※ ※ ※

 

 職員室を出て階段へ向かう途中、美琴の声が聞こえた。

 

 踊り場の陰で、誰かと電話している。

 

「今日はちゃんと六時までに帰るから」

 

 普段の明るさが消えた、小さな声だった。

 

「だからお願い。奏太(そうた)にはなにもしないで。あの子は関係ないでしょ」

 

 電話の向こうから、男の怒鳴り声が漏れ聞こえる。

 

「ごめんなさい。私が悪かったから……。うん、帰ったらちゃんと話すから」

 

 通話が切れる。

 

 美琴はしばらくその場から動けずにいた。

 

「奏太って、誰だ?」

 

 俺が声をかけると、美琴が弾かれたように振り返った。

 

「聞いてたの……?」

 

「悪い。でも、聞かなかったことにはできない」

 

「弟だよ。小学五年生」

 

 美琴は諦めたように、階段へ座り込んだ。

 

「お母さんは?」

 

「三年前に病気で亡くなった。それから父さん、少しずつ変わっちゃったんだ」

 

 仕事で苛立った日。酒を飲んだ夜。美琴の帰りが数分遅れたとき。

 

 父親は怒鳴り、物を投げ、やがて手を上げるようになった。

 

「最初は私だけだった。でも半年前、奏太にも手を上げようとして……」

 

「それで、美琴が庇ったのか」

 

「私が言うことを聞いてれば、奏太にはなにもしないって約束した。だから大丈夫。あたしは身体も丈夫だし、殴られるのには慣れてるから」

 

「そんなことに慣れていいわけないだろ」

 

「分かってるよ!」

 

 美琴の叫びが階段に反響する。

 

「でも誰かに言ったら、父さんは奏太を連れて逃げるかもしれない! 私たちが引き離されるかもしれない! 父さんだって昔は優しかったの! お母さんが死ぬ前は、三人で笑ってたんだよ!」

 

 堪えていた涙が、美琴の頬を伝う。

 

「だからお願い、蒼真。なにもしないで」

 

「それは約束できない」

 

 俺は迷わず答えた。

 

「美琴も奏太くんも危険だって分かったのに、黙って見てることはできない」

 

「それなら、もう蒼真にはなにも話さない」

 

 美琴は立ち上がり、俺の横を駆け抜ける。

 

「美琴!」

 

「ついてこないで!」

 

 遠ざかる足音を聞きながら、俺は拳を握った。

 

 助けを求めている天城へ手を差し伸べることさえ、簡単ではなかった。

 

 まして美琴は、自分から救いを拒んでいる。

 

 それでも、知ってしまった以上、引き返す道はなかった。

 

 美琴の意思を無視して父親へ乗り込むつもりはない。

 けれど沈黙を守ることは、彼女と弟を危険な家へ置き去りにすることだ。

 

 二人を引き離さず、安全に助ける方法を探す。

 

 そう決めた俺は、もう一度職員室へ向かって歩き出した。

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