空が裂けた。
その様子を通りがかった通行人が撮影していた。
穴の奥からキラキラと光るものが降って来る。
それは風に乗って散らばり、すぐに見えなくなった。
穴はゆっくりと閉じていき、やがて何もなかったのように元の空だけが残された。
SNSで拡散されたこの映像は、当初はAIで作られた偽物とされていた。
しかし同時刻に複数の投稿がされ、目視したと言う者まで現れる。真偽は不確で確かめようもない話だったが、オカルト好きの記憶には残り、ネットの海に消えていった。
《繋がった》
「長えよ。本当に」
朝日奈日向。九歳。
あれから四年が経っている。
「じゃあ、本業復帰と行きましょうか」
滅びた世界で最後まで戦い抜いた魔法少年が、世界を救うために動き出した。
◇ ◇ ◇
私立の小学校に通う小学三年生。
なんて事はない普通の家に生まれ、両親の方針で少しばかり偏差値の高い小学校に通っている。
好きなものは甘いお菓子。嫌いなものは納豆とピーマン。
運動はちょっと苦手。最近はテレビでよく見かけるアイドルユニットに夢中。
どこにでもいそうな普通の少女。
そんな彼女は走っていた。住宅街の生活道路の只中を。妙な光に追われて。
「ひぃっ!?」
駆け抜ける口から悲鳴が零れる。息は切れて今すぐにも止まってしまいそうになる。そうなっていないのは、気力を振り絞っているから。
「なんなのぉ!?」
誰に向けたでもない叫び声は虚しく響くばかり。
「助けてくださーい!!」
通行人はいない。家の中から飛び出してくる人もいない。
酷い目に遭うかもしれない。下手をすれば死ぬ。目に涙を浮かべながら若菜は走った。足がもつれて転ぶまで。
「っ!?」
転んで、足を擦りむく。
気にしている場合はなかった。立ち上がろうとした時には、光の玉が目の前に浮かんでいた。
「な、なんですか?」
それに意思があるとか、意思疎通が出来るなんてことは考えていなかった。ただ話しかけただけ。
球体から答えは来ず、そのまま近づいてくる。
ぶつかる瞬間、若菜は目を閉じた。
痛いのか、苦しいのか。とにかく何かを覚悟して震えて待つ。……何も起こらない。
「……え」
目を開けた時、光はどこにもなかった。
周囲を見回しながら立ち上がる。
何もない。どこにもない。不審なものは見つからない。
「な……え?」
言葉は出ない。ただ困惑する。
擦りむいた膝がズキズキと痛んでいた。
翌朝、膝に絆創膏を貼って、若菜は学校に登校した。
昨晩、光る球体に追いかけられた後、何事もなく家に辿り着いた。
風呂に浸かりながら夢だったのかななんて思った。膝を擦りむいたと言うことだけが事実として残っていた。
授業を受け、昼食を食べ、授業を受ける。
午後14時。静かな教室には教壇に立つ先生の声しか響いていない。
段々と眠くなってきて、船を漕がないように気を付けながら板書に精を出していた。
《……すか》
「……」
《……えますか》
「……ん?」
《聞こえますか?》
「え?」
顔を上げる。目の前には前の席に座るクラスメイトの背中があった。
周囲を見ても、話しかけてきたと思しきクラスメイトはいない。
誰も彼もが授業に集中していて、自分だけがオロオロと周囲を見回していた。
気のせいかなと思いながら、若菜はペンを走らせる。
《聞こえますか?》
「……」
《聞こえてますね?》
「……」
《聞こえてるんでしょう?》
気のせいではなかった。幻聴が止まらない。
段々とはっきり聞こえてきている。俗に言う三段活用と言うやつだ。
どうしようと若菜は悩んだ。
そもそも、これは本当に幻聴だろうか。自分にしか聞こえていないのは確かのようだが、だからと言って幻聴と思うのは早計じゃなかろうか。幽霊の可能性もある。
そう思って、ぞぞぞっと背筋が凍る。幽霊はダメだ。こんな昼日中から、そんなものは見たくない。
《聞こえてると言いなさい》
「っ!?」
ほとんど衝動に任せ、若菜は立ち上がる。
「せ、先生!」
黒板に文字を書きつけていた教師は驚いて振り向いた。
「おお、どうした?」
「変な声が聞こえるんです!」
「はあ?」
「私、頭がおかしくなったかもしれません!」
ぽかんと口を開ける教師。
クラスメイト達も同じようにぽかんとしている。
若菜にとっては冗談でも何でもなく、どこまでも真剣な訴えだったが、声が聞こえない人間には世迷言にしか聞こえない。
とりあえず、体調が悪いのなら保健室に行けと言われ、保健室に走る。
《聞こえていることを確認しました》
「なんなの!? 誰なの!?」
《ごきげんよう。おやすみなさい。さようなら》
「さ、さようなら! 二度と話しかけてこないでください!」
《そのご依頼にはお応えできかねます》
「早くどっか行って!」
《できかねます》
んなあ、と猫のような声を上げながら若菜は保健室に走った。
保健室の扉を思いっきり開け、中にいた養護教諭に、涙目で訴えかける。
「声が聞こえるんです!」
養護教諭は、やっぱりぽかんと呆けてしまった。
◇ ◇ ◇
学校から母親へ連絡が行き、そのまま病院へ連れて行かれた。
その間も声は聞こえ続けていた。正確には、頭の中に響いていた。
耳を塞いでも声が途切れることはなく、大声を上げても聞こえ続ける。
病院ではいくつかの検査を終えた後、精神疾患を疑われた。代表的なものでは統合失調症があると言う説明だった。
精神病院への受診を勧められて、紹介状を手に若菜は駐車場へと歩く。母親は難しい顔をしていた。
人気のない駐車場の中、車に乗り込もうとドアに手をかける。
一向にドアは開かない。鍵も閉じられたままだ。どうしたのだろうと若菜は母を見やった。
母は奇妙な姿勢でその場に立ち止まり、その視線は宙に固定されている。まるで人形のように生気がない。
「楠若菜」
駐車場の奥から声が響く。
若菜は肩を飛び上がらせ、声のした方を見る。
自分と同じぐらいの年頃の少年が歩いてきた。
「声は聞こえているか?」
「……え」
答えられない若菜に少年は笑いかける。自分のこめかみに人差し指を押し付けながら。
「頭の中に声が響いているだろう。うざったい声が」
「なんで……」
声は半ばで途切れた。
《驚きました》と頭に声が響いた。
《同胞よ。仕事がお早い。しかし、その個体でいいのですか? こんなにも素晴らしくも美しく、可愛らしい個体がいると言うのに》
《全然良くないよ。でももう腐れ縁で一蓮托生だからさ。今さら他に乗り換えるのもねえ》
声が二つ。
思わず、若菜は耳を塞いだ。
「耳を塞いでも無駄だぞ。こいつらは念話で話しかけてくる。聞きたくないなら、念話を拒絶しないといけない」
「ねんわ……電話のこと?」
「似たようなもんだ」
分からない。若菜は助けを求めて母親を見た。先ほど見た時と同じように、奇妙な姿勢で固まっている。
「これからお前は精神科に連れて行かれる。統合失調症と診断されるだろう。薬を処方され、効かず、声は聞こえ続ける。最後には精神病棟行きだ」
「なに……なんなの……」
「俺の話を聞け」
いつの間にか目の前にいた少年が若菜の腕を掴む。
腕を引き剥がそうとして身体が動かなかった。腕も足も動かない。動くのは口だけだった。
「俺もお前と同じだ。中にこいつらがいて声が聞こえる。実害はない。邪悪かもしれないが悪い奴らじゃない。ただ話をすればいい」
「話って……」
「こいつらはただのアホだ。不愉快な同居人だと思え。強いて言うならゴミだ」
《ひどくなーい?》
《抗議します。私はゴミではありません》
「黙れ」
少しずつ若菜は落ち着いてきた。
三人……一人と二つの何かのやり取りにはどことない気安さを感じる。
「親には声は聞こえなくなったと言え。精神科に通うのは時間の無駄だ」
「でも、聞こえるもん……」
「今言っても誰にも理解されない。理解できるのは同類だけだ。これから増える」
少年の言っていることが若菜には分からなかった。
しかし従わなければいけないと言う気がして、何も考えずに頷いた。
「こいつらのせいで、これからこの世界は悪い方向に進んで行く。正直言って疫病神か死神でしかないが、一つだけ良いこともある」
少年は掌を差し出した。
その手の中に小さな光の球体が浮かんでいる。
「魔法のある世界へようこそ」
その球体を手渡される。
暖かい光が若菜の手の中で揺らいでいる。
思わず握り締め、手を開いた時には光は消えていた。
はっと我に返って顔を上げる。少年はいなかった。
周囲を見回してもどこにも人影はない。
「若菜、早く車に乗りなさい」
母親の声に背後を振り向く。
エンジンの音がした。誰かの車が通り過ぎていく。
現実味がない。夢を見たかと思い、こめかみのあたりを触れる。
《夢ではありませんよ》
声がした。幻聴ではない。なぜかそう思えた。
「あなたは誰?」
《名前ですか? ありません。好きなようにお呼びいただければ》
「あの子は誰なの?」
《さあ?》
掌を見る。
光はない。けれど、光の余韻はまだ残っていた。
「若菜!」
苛立つ母親の声を背中に聞きながら、少年が立っていた場所を見つめていた。
「お母さん。声、聞こえなくなったかも」
《え?》
あなたには言ってないよと若菜はくすりと微笑む。
魔法のある世界。その一言が若菜の心に残り続けていた。