「でしょ。それでこの子ったらこないだ昆布の煮染作ってたしねー」
「食堂で?」
「そうそう。もう三角巾使っててほんと面白いの一」
周りが騒がしいのにクドはようやく気がついたのか、顔を上げた。
「あの、何かごようで__」
「すみません先輩方。何か御用ですか?」
気づけば席からたって、先輩の女子達を見ていた。思っていたよりも低い声が出てしまって自分でも驚いた。
「そっちの子に用があってさ、ハロー」
「は、はろー、です、あの?」
わぁ棒読み、ほんとだねー、と台詞が降ってくる。その度にクドの箸を持つ右手が微かに震えた。
「日本語上手いねー。どこで習ったの?」
「え、えっと、その……習ったというか……」
「和食好きなの? わ、ひじき選んでるこの子。ひじき好き?」
「え、と、好きというか」
「すみません先輩方、今__」
「そんなの食べてると黒髪になっちゃうよ」
「えー、そうなったら面白くなくなっちゃうじゃない、食べるのやめなよぉ」
クドは三年生たちを見上げていたが、そのうち真っ赤になって俯いてしまった。
私は強く一歩踏み出す。
「すみません、今食事中ですので静かにしていただけますか」
「いや、私達はただお喋りしてるだけだからー」
と、その時。
「先輩方。食事がお済みでしたら退出された方が宜しいのではないですか」
テーブルの向こうから声が飛んでくる。
「昼食時の混雑の解消にご協力ください」
「……なに?」
声が飛んできた方へと視線を向けると、そこには二木佳奈多が立っていた。彼女の物言いを聞いて、一つ、息をついて冷静さを取り戻す。目元に入れた力ん抜いて、もう一度。
「クドに用事が無ければ、お引き取りして頂けますか? ゆっくり食べさせてあげてください」
ぺこりと頭を下げた。上級生相手であれば、これがどれだけ屈辱であってもそうあるべきだから。
「特に用事は無いけどぉ、ねぇ?」
「なに、二年生のくせに。何様?」
立ち去るまで、顔はあげなかった。
「……行こっか。なんか空気悪いし」
「あーあ。つまんないのぉ」
上級生が立ち去る足音が聞こえる。私は顔を上げて、もう一度座り、クドに笑顔を向けた。
「さ、クド、ご飯食べよっか」
この憤りは、きっと開放される場所はない。私は精一杯その気持ちを収めて言う。、
「えと、どうもです、△△」
クドは握りしめていた箸を今気がついたかのように、指から離すと、そのままぎゅ、と固めた右の拳を、左手で覆った。
__
「悪気はないのです」
食べ終わった食器とトレイを洗い場へ返すためにクドと並んでいると、不意に台詞が聞こえた。
「別に悪気はないのです。誰だって珍しくてヘンなモノを見つけたら、話のネタにしたくなるものです」
そういう、ものです。とクドは続ける。声は震えておらず、ただそういうものだと割り切るようにしてクドは言った。
「……わかってる、それでも」
「だから、です」
クドは私の顔を見る。
「……だから、△△が怒る必要はないのですよ」
クドはいつものように笑顔で言った。
「先輩さんたちにも悪気はないのです。世界のどこを探したって、悪意を持とうと願う人はいないのです。寮でもみなさん、私がいると話題に困らないようです。隅っこにいるつもりなのですが、やっぱり目立つみたいで」
クドは自嘲気味にあははと笑った。トレイがベルトコンベアに流れて奥へ消えていく。クドは箸だけ、流れている湯に通すと、取り出したハンカチで拭いた。
「私はマイ箸を学食に持ってくヘンな子なのです」
「食堂のひとは褒めてくれましたが」
「これも、笑いのタネなのです」
クドは人の列を離れてから私に笑って見せた。だけど、それが心からの笑顔では無いことくらいわかる。
「あ!」
クドは食堂を出て行こうとする人影を見つけて声を上げた。
それは二木さんだった。二木さんはクドと何言か会話すると、鼻を鳴らしてさっさと出ていった。
物言いは強いが、彼女も彼女なりにクドの事を思っているような気がした。
「…また怒られそうです、部屋に帰ったら」
「怒られる……って、なんで」
「私が中途半端な存在だから、だそうです。世界の役に立たない歪んだ歯車だと。まったく、その通りなので返す言葉もありません」
「そんなことない!!」
反射的に、私はクドので握ってしまう。クドは少し驚いたようにこちらを見て、心配そうに私の顔を覗いた。
「そんなことないよ……自分を卑下しないで、クドが何の役にも立たないとか、そんな訳……」
思いがぽろぽろ出てくる。いままで塞ぎ込んでいた分。行き先のない気持ちをクドに向けてしまうなんて、私はなんて不甲斐ないんだろう。
「……泣いてるんですか? △△」
「えっ?」
頬をさすると、温く湿った感触がした。
「戻りましょうか」
優しい声のクドに手を引かれて、教室ヘ戻った。
__
「でも、△△が腹を立ててくれて、すこしだけ嬉しいです」
「……当たり前だよ、あんなの。二ヶ月以上たってもう無くなったと思ったんだけど」
悪気があろうが無かろうが、それで傷つく人が居るんだったら、私は手を伸ばしたい。自分が好きな人なら尚更だ。
クドが変な子だということに否定はしないが、そのギャップに悩んでいることなんて、少し見ていればわかるだろう。
「みなさん、いいひとたちですから。私は傷つけられてなんかいません」
クドは続ける。
「ただ、ちょっぴりへこんだだけです」
「ちょっぴりです。これぐらい?」
クドは人差し指と親指で隙間を作って見せた。とても、とても、狭い隙間だった。
「その分、△△が怒ってくれたのでチャラなのです」
「△△が隙間を埋めてくれたので・・・私は、もうへこんでません」
「むしろ盛り上がってます、うん、盛り上がりまくりです」
自分の席に向かおうとするクド。そして、私はふと、気がついた。当たって欲しくない直感。
「クド、テスト勉強してた時、私達以外の人に話し掛けられた?」
あるいは、していたことについて、か。
「……いえ? 何にも、言われてないですよ、△△」
背中越しに見えた、どう考えたって嘘の言葉。だけど、クドが嘘だとするのであれば、私に踏み入る余地はなかった。
__
翌朝。クドの様子は優れないまま、何事もなく昼まで過ぎる。いつもの中庭で、今日はストレルカとベルカも一緒にご飯を食べていた。犬と戯れるクドが可愛い。来世は犬だね。
などと思っていれば二木襲来。なんだよこいつストーカーかよ。
「怖がっちゃうからあんまりクドを睨まないでやってよね」
「睨んでいません、注視しただけです」
「一緒だって」
ひっ、こっち睨んできた怖っ。
――
今日も家庭科部室でテスト勉強。今日は趣向を変えて模擬テストみたいな感じのミニテストをやってみた。問題はみんなで出そうな問題を集めたやつ。結果は案の定だが。
「三枝さんのいうとおりダメダメわんこです……」
後で三枝はy軸にぶん回してやるとして、クドなのだが、クドは本番に弱いだけでむしろ優秀だった。記憶力は良いし一点特化の分野ではびっくりするくらいの熱意がある。通信教育のときでは単位を取りすぎて一学年飛んでしまったらしい。えっ年下なのほんとに?
取り敢えず一休みしようと、クドがお茶を入れてくる間に畳に体を倒すと、ちゃぶ台の下にノートを見つけた。
クドノートではなさそうだ。ぱらりと中を覗いてみる。
……『鳥さん村と獣さん村のお話』
__
途中で、クドからお茶を受け取ったり、しながら、廊下で拾ったというノートの物語を読み進めた。イソップ童話のようだが、要約すればどっちつかずのコウモリが村の架け橋になるため、自分が犠牲になる。最後にすこしだけ救いはあったが、それでもコウモリが不憫でならない話だった。
「おしまい、というわけです」
「……コウモリはそれで満足だったのかな」
「どうして、そう思うんですか?」
「……なんでだろう」
私は微笑みながらお盆を持つクドを……その髪留めを見て、思う。
「それじゃあ不憫だから。コウモリが」
「コウモリさんは夜が好きだったのです。夜空を、飛ぶことも……だから、良かったんですよ、うん、うん」
「……それじゃあ可哀想だよ。コウモリはかものはしとみんなのために頑張ったって言うのに、一人で寂しく、誰の仲間にもなれないまま夜空を飛ぶなんて」
何処かで呼んだことのあるようなお話。それに救いを作るような物語なんて……。
「私は好きです。イソップ童話のお話よりも、私がずっとこんな終わり方は嫌だなぁ、ってお話は……本当はこうだったんだよ、と言われて」
クドは嬉しそうだった。心の底からの、笑顔。
「この絵本を描いたひとはとても優しいひとのような気がします……」
「……こんなに優しい人は、そう多くはないよ」
それこそ、とびっきりの天然さんみたいな。
「日本ではどうかは知らないですけど、他の国では、コウモリさんはいっぱい居る身近な生き物です」
「私は、可愛いと、思います」
クドは噛みしめるように呟く。
それはまるで__コウモリに自分を重ねているかのように意をこめて。
「△△は、コウモリさんと仲良くなりたいと__思いますか?」
誰にも、鳥にも獣にも、暗闇にすら馴染めない。コウモリは、ただ夜空を飛ぶだけだ。独りで、寂しく。空を飛ぶだけ。そんなコウモリに、きっと私は恋をしてしまったんだろう。そして、独りで寂しいなんて、許せなかったんだ。
「……元より、そのつもりだから」
コウモリと手を繋いで、淡いライラックブルーの夜空を。薄暗闇の洞窟を、前も見えないくらいの暗闇だって、ずっと何処までも一緒にいけたなら。
「私は執念深いからね。一度目をつけたら仲良くなるまでしつこく話しかけるんだ。だから、もっと仲良くなりたいと思ってるよ」
私がそほ答えると、クドはちょっと困った顔をして、また変わって、色んな感情が交ざってどんな顔がをしたらいいか分からないようなそんな顔で、
「はい」
と、微笑んだ。コウモリが暗闇を好きだと言うなら、さんさんと照りつける太陽から覆って、夜になったらまた開いて、夜空へと共に飛び立つような。そうしていれば、私の事を忘れないかな。そうしていれば、この子の笑顔はずっと明るいままで居てくれるかな。
「さて! これは誰かの落し物のようです。落とし主さんを探したいところなのですが……」
私は紅茶を飲んで、その言葉に頷く。
「そうだね。とは言っても多分あの人だろうけど……まあいいや。勉強続けようか」
「そうですね。えーと、次はなんでしたか?」
__
勉強をやった翌日。大きなあくびをしながら廊下をクドと歩いてると、小鞠さんが大慌てで走っていた。噂をすればだな。呼び止めても気が付かないのでもう一度。
それでようやく気がついたが、……話にならないくらい慌ててるなこれどうすりゃええねん。
「ダメなんだよ……あれななくなったらダメなんだよっ。うわああああどうしようーっ!!」
……取り敢えず見せてみようか。
「クド、あのノート出せる?」
「あ! ひょっとして、これですか?」
「……あっ! そ、それ!」
「やっぱり小鞠さんのか。クドが昨日廊下で拾ったんだって」
「はい、どうぞ小鞠さんっ」
「うあーん、よかったよぉー……」
ノートを胸に抱いてようやく落ち着きを取り戻した。
「クーちゃんべりーべるりーさんきゅーだよーっ」
「わあああっ、め、目が回りますー!?」
おい回すな回すな。回すなら三枝にしておけ。
おいおい2回目行くなって。こいつらほんとに癒しだな。
__
いつもの家庭科部室にいるんですけど。
なーんでこうなったんですかね
「クドリャフカ、醤油取って」
「はい、どぞどぞ、佳奈多さん」
それから、塩分云々の話とか煮崩れがとかクドが作ってくれた高野豆腐の煮付けを頂きながら言っている。小姑みたいだなこの人……。
クドが二木さん所望のご飯を取りに行ってる間二人になる。気まずい。
二木さんはちゃぶ台の周りに散らばっていら参考書やらノートを一瞥した。
「……何」
「別に。まだ頑張ってるんだなぁ、と思って」
「テストまではね。全力で頑張るつもりだよ」
「にしても、本当にテスト勉強? 英語と物理?」
「何が本当かは知らないけどそうだよ」
「……ふぅん」
なんかじっと見てくる。怖い。
「バックの数学やアビトゥアの物理の問題は解けるくせに、それに比べたらなんてこともないはずなのにね。おかしな子よね。アンバランス過ぎる。原語で問題が理解できないってのはそもそも致命的か……尾状核の問題かしら……」
なんかぶつぶつ言ってます。
「ま、いいけど。なんでもないわよ。こっちに視線向けないで」
先に見といてこの女……。
程なくしてクドがお盆の上に茶碗と湯呑みを持ってきた。いいお嫁さんになりそうだと思った。
それからまた、暫く二木さんと雑談して、二木さんは部室を出ていこうとして足を止める。
「……結果、出るといいわね、クドリャフカ」
「はち、ありがとうございますー」
……嫌いになれねー。
そういやなんで二木さんが来たのかと尋ねると、参考書を届けに来てくれたそう。中には購買部に売ってない高い本も。……結構良い人だな。やっぱり。私達は二木さんの参考書を使いながら、問題を解きにかかる。
__
ぴぴっと携帯のアラームがなる。
「結構頑張ったな、んぁー……」
大きく伸びをする。背中がバキバキ音を立てた。
「クド、そろそろ切り上げるよ」
「……落ちない物体の速度を、自由落下運動公式だけで求めてみよう。うー……うー……ん一……ん、ん一」
クドは参考書に書いてある問題よりも、学習コラムに書いてある内容のほうが興味深いようだ。なんのこっちゃ私にはわからないけど、どうやら宇宙に関することのよう。クドは人差し指を顎に当てて唸りながらノートにシャープペンを走らせている。その姿はとても楽しそうに見えた。
「出た……えーと、大体、秒速7.9キロメートル〜。うん、正解、正解……どうしましたか、△△?」
「そろそろ終わりにしますよ。お嬢さん」
「もうそんな時間ですか! ……本当です、すみませんっ」
クドは筆記用具を片付け始める。その間に、携帯のカレンダーを見れば、テスト当日まではあと少しだった。
「もう少しですね」
「うん、長いようで短かったけど」
携帯を閉じて、私も勉強道具を片付け始めた。
__
女子寮まで、会話は無かった。クドは何か考え込んでいるようで、それを邪魔したくないし……それに、私自身何故か口を開けないでいた。クドの試験対策とか思いついてないし。何よりこの放課後の勉強会がそろそろ終わってしまうと考えるともう耐えられない。合法的に一緒に夕方まで一緒にいれる時間が!! 野球練習も最近はしないし本当にこれが無くなったら一緒に居るタイミングがないんだ!!
「△△」
ふと、名前を呼ばれて立ち止まる。頭の中でそんなことを考えていたせいで少しビクッとしてしまう。
「あの……」
クドは何か言いたそうにしているが、それを促す前になんでもないと口を塞いでしまった。
「今日も、付き合ってくれてありがとでした」
そう言って、ぺこん、とクドは頭を下げた。
立ち去っていくクドに、手を伸ばそうとして止めた。これは私のわがままだし。それに、クドがこの時間を惜しいのだと思ってくれていたのなら、それはとても嬉しいことだった。