「おかあさんとの約束をしました。ロケットが無事戻ってきたら、おかえりなさいを待ってるわ、って……私に何も求めなかったおかあさんが、たった一つだけ……私に、この間、頼んでくれたことなのです」
クドは息を荒らげながら私にまくし立てる。
「迎えにいかなくちゃ……私、行かなくちゃって、思うのに……でも、私、迷っていて、どうしたらいいのかもわからなくて」
「……帰った方がいいと思う」
「え……でも……帰ったら」
クドは両手を握りしめる。
「もう、二度と……」
クドは、言葉を絞り出すように言った。
「二度と……△△に会えなくなるかも、しれないのに……っ! それでも……いいんですか……いいんですか?」
クドは私の服の裾を両手で掴み、背伸びしながら言う。
「△△は、それでも、私に、帰れ、って。言うんですかっ!!」
声は慟哭のように、涙を流しながら。
「……そんな、簡単に、帰れ、って言うんですか……」
クドは項垂れる。
「簡単になんて……言ってるわけないじゃん」
「言ってま……っ!」
私の目からはぽろぽろ涙が零れる。クドの代わりに悲しんで、泣いてあげられたらどれだけ良いかってずっと考えていた。
「私だって行って欲しくない!! ずっと好きだった子とやっと結ばれたのに、なんで手放さなきゃいけないんだ!! そんなの嫌だ……嫌だけど……っ」
私はクドを抱きしめる。お互いの肩が濡れていく。
「ここで、そんなわがまま言ったら、全部、ダメなんだ。ここでクドが帰らなかったら、クドはずっと後悔する。後悔しても、やり直せないから……だから、クドは行かなきゃいけない」
「わた、私、帰ってこられないかもしれません」
「それでも……行かなきゃいけない」
「せっかく……せっかく、仲良くなれたのに……想いが叶ったのに……それなのに、会えなくなったら、私、どうしたらいいんですか……っ?」
クドも私も、繋ぎ止めているのがお互いの存在なら、その鎖を断ち切るのは私からでありたい。そんな私が、きっとクドの愛してくれた私なんだ。
「大丈夫。きっと会えなくなることなんてないから」
「そんな、根拠も理由もないのに……」
「今までの私を信じられないの? 私はクドが呼んだらすぐに駆けつけるって。もしもクドが心細くなったら、泳いででも向かっていくから」
なんて根拠の無い言葉だろう。現実味もない、そんな理想の言葉。でも、送り出すにはこのくらいしか私には思いつかなかった。
「……本当ですか」
「私がクドに嘘ついたことなんて無いでしょ?」
「……っ、ずるいです」
「……」
悲痛そうな顔に、顔が歪む。
「好きなひとが、背中を押すのなら、歩かなくちゃいけないじゃないですか。飛ばなくちゃいけないじゃないですか。……行かなかったら、私。ダメな子じゃないですか……」
ぽろぽろとクドの瞳から涙が溢れる。私はそれを指で拭う。
「……△△が……△△が、待っていてくれるのなら……帰ることにします」
__
週末がやってきた。これからの時間、全てをクドの為に使いたかった。
クドの退去を知っている寮長は、裏口から入ることを黙認してくれた。
クドは自分の部屋の前でぼんやりと立っていた。私の姿を見て、うっすら微笑んだ。
「はろー、△△。……どうぞ」
部屋にはクドしかいない。
「気を、つかっていただいたみたいで」
「……優しいね、二木さん。久しぶりだね、クドの部屋に来るの」
「そうですね……お引越しの時以来ですか、△△」
私はベッドに座ったクドの隣に腰掛ける。クドは私の肩に頭を寄せてくれた。
「……あの」
「なぁに、クド」
「撫でて欲しいです」
「……うん」
私はクドの頭を撫でる。さらさらでふわふわな、私の恋した亜麻髪を。
「わふー……」
「気持ちいい? クド」
「はい……」
ここに来るまで考えていた言葉は、何も言わなかった。ずっと、無言で髪の毛を撫でていた。
しばらくすると、クドから寝息が聞こえてくる。寝れてなくても無理はない、テレビや新聞からは、ずっと状況悪化のニュースが流れてきていた。外務省からも、渡航自粛勧告が出ている。
「……ごめんなさいなのです」
「……クド?」
「ごめんなさい……」
「……」
その謝罪は、私へ向けたものではない。何か、私が知りえないようなものへ向けたものだと直感した。
本当に、これは直感だったのだろうか。
「……すぅ」
でも、私にできることは無くて、撫でている手とは反対の手を握り込む。
今、私にできることは、ただ、クドを安らかに眠らせることだけだった。
__
それから午後、真人や恭介、理樹達の力も借りて、クドの荷物をトラックに運ぶ。クドは退学申請を既にしていたようで、物はここに置いておけないそうだ。
「恭介、なんとかならねぇのか」
真人がそんなことを言う。ただの生徒が、なにか出来ることもない。華やかに送り出そうにも、そんな気分じゃないことは明白だった。
__
夜、メールの着信を見てすぐに確認する。
『今日はありがとうございました KN』
それを見て、私はいても立っても居られなくて学校へと駆け出した。途中でメールを打つ、
『クド、部室今来られる?』
返信は無くても、私は家庭科部室へと向かっていた。
部室の前で、部屋着のクドが立っていた。
「ぐっどいぶにんぐ、△△」
「ごめん、急に呼び出して」
クドは黙って首を振る。鍵を開けて、部室の中へ入ると、クドがぱちんと蛍光灯を付けた。
「ここもだいぶ片付けました」
「……ほんとだね」
この前よりも物が減った部室を見て、そう思った。
「クッションやカップなどは置いてあっても問題なさそうなのでそのままですけど。お茶飲みますか、△△?」
「ありがとう、でもお湯ってあるの?」
「魔法瓶を持ってきました」
「あははっ、見覚えあるやつだ」
「お昼ご飯のときとか色々持ち歩いてましたですからね」
クドからマグカップを受け取って、魔法瓶から注がれたお茶を口につける。少し温い緑茶を、少しづつ飲んだ。
クドは自分のマグカップにお茶入れずに、ずっと手でくるくると回している。
そのまま沈黙が落ちる。私はクドの隣に座った。クドの頭が私の方へともたれ掛かる。
「……お茶美味しいね」
この今の時間が無味乾燥な物にならないように、なんでもないような言葉が口から漏れる。
「そうですか、よかったです」
クドは空のマグカップを手で転がす。いつか見た、蒼いグラデーションの綺麗なマグカップだった。
クドはそれを手からはなして、ちゃぶ台に置くと、立膝のまま、私と向かい合った。
何も言わずに、私はクドの頬を撫でた。ひんやりとしてすべすべな、私の恋した女の子がいることを実感した。
「寂しくて、辛くて、苦しくて、悲しいときはどうしたらいいのか。△△は、知っていますか?」
その問いかけに、私は当たり前のように答える。
「私は、クドの事を考える。どれだけ辛くてめげそうになっても、クドの笑顔を見るためなら、私はなんだって頑張れた」
クドの青空を映したような瞳が、私をじっと見つめる。
「……私も、そうします。だから、覚えさせてください」
クドが目を閉じるので、私はそれに応えた。
ちょん、と唇を軽く合わせる。
小さくてあたたかい、クドの震える体を優しく抱きしめた。
私のことを忘れないように、クドの事を忘れないように。長い時間。そうしていた。
__
「ぐっどもーにんぐ、△△」
「おはよう、クド」
教室の前でクドと挨拶をする。なんだか久しぶりだった。
「……大丈夫?」
「はい……泣きすぎで目が痛いですけど」
「わ、わたしも……」
「おーい、そこのお二人さんよぉ」
「は、はいっ」
真人に呼び止められた。
「教室入るヤツの邪魔になってんぞ」
「す、すみませんっ」
クドがぺこん、と頭を下げて慌てて教室の中に入っていく。いいじゃん今日くらいさ。
「お。クー公はさがいつも通りの時間に来たな……元気になったのか?」
「だったらいいんだけどね……おはよ、真人謙吾理樹」
「おはよ、○○」
「あぁ、おはよう。……今日だったか?」
教室でクラスメイトと話し始めたクドを見ながら謙吾が言う。
「ううん、最後の荷物を送ってからだってさ」
「そうか……寂しくなるな」
「……」
その言葉に、何も言えずに頷いた。
__
「△△」
授業が終わって、鞄を持ったクドがパタパタと近寄ってきた。
「一緒に帰りましょう」
「もちろん、いいよ」
私も鞄を持って立ち上がり、二人で教室を出た。
「今日の英語も怒られちゃいましたねっ」
「クドは頑張ってるってのにねぇ」
「どうして上手く理解できないんでしょうねぇ……」
「どうしてかなぁ……英語上手な人は、そもそも物を日本語で頭に思い浮かべない、とか聞いたことあるけど」
そんな、なんでもない話をしながら寮へ行く。短い帰り道を、クドの手を握って。
__
「じゃあ……またね」
「はい、△△。またです。……すぱーこーいない・のーちー」
「……なんて意味?」
クドは首を小さく振って、にっこりと笑う。
「おやすみなさいです、△△」
「うん、おやすみ。まだ寝ないけどさ」
「わふー。そうですけど、でも、おやすみなさい」
「うん、また明日」
私は見えなくなるまで、クドを見送った。
__
朝のHRで、教師が連絡事項のようにクドが学園を去ることを伝える。
マナーモードの震えに気がついて、携帯を見ると、メールが届いていた。
『おはようございます。今日出発が決まりましたです』
『放課後、駐車場で待ち合わせお願いします KN』
クドは寮の部屋で掃除をしていて、放課後まで手続きとかで忙しいとか。
それまでの間、私はただ時間を潰すように授業を受けていた。
__
授業が終わってクドを探す。寮母さんが居たので尋ねてみた。
「能美さん? ……まだかかるみたい。良かったら上がって待っておく?」
「……いえ、お構いなく。他で待ちます、ありがとうございます」
クドは何処にいるのだろう……。
寮を出たところでクドを見つけた。
「クド!」
「あ、△△。授業終わりましたか? お疲れ様です」
「クドもお疲れ……荷物、手伝おうか?」
「……ありがとうございます」
クドは微笑んで、私に荷物を手渡した。
「なかなか、感慨深いものがありますね」
「……? どうして?」
「前もこうして△△と歩きました。同じような時刻でしたね……」
「そういえばそうだね、あの時も夕方だったっけ」
「でも、同じですけど、違います……」
クドが押し黙るので、私も何も言えずに居た。
「……ぐすっ、ぇぐっ……」
「……クド」
「お、おかしいですね。なんで、泣くかなぁ、私……昨日の夜も散々泣いたのに……ぐすっ」
ぽろぽろとクドの頬に涙が伝う。
「……大丈夫、荷物が邪魔でよく見えないからさ、どれだけ泣いても、わかんないから」
慰めにもならないような言葉を吐いて、駐車場まで向かった。
駐車場に着くと、黒い車の前にスーツの男たち。クドの口の大使館の人達だろうか。車のそばで二匹の犬も尻尾を振って待っていた。
「ストレルカ……ヴェルカ……お仕事は、いいんですか?」
クドはしゃがみ込んで、ストレルカたちの首を抱いている。私はその間に、車のトランクに段ボールを入れた。
「風紀委員のお仕事、頑張ってください。学園にそのまま居られるように風紀委員のひとに頼んでおきました……」
ストレルカが鼻を鳴らす。ヴェルカはぐるぐるとクドの周りを回り、最後に、ヴァウ! と鳴いた。二匹を引き寄せて、クドはぎゅう、と抱き込んだ。
「そうだ……△△。お願いがあります」
「うん……なぁに、なんでも言って」
私は涙をこらえてそういう。
「部屋に、捨てる荷物がまだあるんです。時間がなくて……お手数ですが、捨てていただけませんか」
「わかった。いいよ」
「お手数おかけして申し訳ございません」
頭を下げるクド。
「……それから」
クドは顔を上げると少しためらいながら言った。
「預かってもらえませんか。コロリョフさんに倣って」
クドは帽子を手に取り、小さなナイフでボタンを外す。私はクドからボタンを受け取った。
「△△、ありがとうございました。……そろそろ、行きます」
「え、もう行くの? だったら、早くみんな呼んでこないと」
クドは黙って首を横に振る。
「……でも」
「もうご挨拶はしてきましたし……それに、辛くなるだけです」
「……」
「そんな顔しないでください。呼んだら、来てくださるんですよね」
そうだ、クドに安心を与える私がこんなにも弱って居てはクドも心細いままだ。
「よいしょっと……」
クドは車から出てきたスーツの人から折りたたみ椅子をふたつ受け取った。
「遠いところへ出発のときにはこうするのが習わしだったりするのです。ガガーリン少佐も出発するとき同じことをしたらしいのです。少佐のお友達のレオーノフさんが本にそう書いていました」
座ると落ち着きますからね、とクドが言う。
「はい、座ってください、△△」
「……うん」
私達は折りたたみ椅子を開いて座る。
「では、行きましょう」
クドが立ち上がるので、私も立ち上がる。
「△△」
「なぁに?」
「幸運のおまじないをしてもらっていいですか?」
「勿論、どうするの?」
「に・ぷーか、に・ペーら、と言ってください」
「に・ぷーか……に・ペーら?」
「はい。そうです。に・ぷーか、に・ペーら」
「どういう意味?」
私の質問に、クドはひどく柔らかい笑みを見せて言った。
「……幸運を祈ります、という意味ですよ」
「……なんか、すっごく外国っぽいね」
私がそういうと、クドはくすくす笑った。瞳に涙を溜めたまま、くすくすと。
「ふしー・はらしょー、しとー・はらしょー・こーんちっつぁー……終わりよければすべてよし、とはこのことですね。ばいばいです、△△」
「うん、またね、クド。ずっと待ってるから。帰ってくるのを、ずっと」
「……Прощайте」
クドは私に聞き取れない言葉を言って、車に乗り込んだ。車は駐車場を出ていく。しばらくの間、見えなくなっても、私はそこに立ち尽くしていた。