それから毎日、ニュースを見る日課が変わることは無かった。
見る度に、情勢が悪化していく事をニュースキャスターが伝える。
今日も、今日も、今日も……。
『暴徒は災害の引き金となった航空宇宙局関係者をはじめ、政府関係者を公開処刑しはじめたとの報道が……』
私は学食の椅子を倒して立ち上がる。今聞き取ってしまったことが、嘘であることを確認するため、画面を確認するが、そこには聞いたことと同じテロップが流れていた。
『外島人と内島人との対立が露呈した、ということではないかと』
携帯の着信音。
慌てて携帯を開く。
『はろー、△△。届いてますか?』
私は慌てて返信する。何より、クドの無事が嬉しかった。
だけど、返信があったのは翌日だった。そうして、日をまたいでのやり取りが続いた。
__
『ごめんなさい、△△。送信制限があるのです』
『……色々たいへんです。私もおてつだいをしています』
『私はだいじょうぶです。いまのところは、ですが』
『ストレルカたちは元気ですか?』
『鈴さんにお礼を言っておいてください』
『ほうそうきょくのあんてながこわされたみたいです……』
『ごはんないです、こういうときこそかんそうこんぶのでばんですね』
『おかあさんが……みつかりました! けんきゅうしょのひとたちと、あいにいってきます』
それを聞いて、数日ぶりにホッとした。
__
大使公邸が襲撃された。
そんな暗いニュースばかりで、食事が喉を通らない。その時だった。
携帯が鳴り出す。
「……もしもし」
ざー、耳障りなノイズが耳に入る。反射的に耳から離してしまいそうになるのを、私はぐっと堪えた。
「もしもし……もしもし?」
『……え……すか……? ……△△……?』
ノイズがうるさくて、爆発音のようなものも混じっている中。
「クド……? クドっ!?」
『△△!』
不意に、クドの声が聞こえた。
「クド! ど、どうしたの!? 聞こえてるよ……!」
『あぁ……△△……△△。よかった……よかった……あの、あぁ……うう』
「クド……大丈夫?」
『……もう……声、聞けないんじゃいかと……わた、私……』
クドの声から恐怖の色が見える、声だけでも、クドがそこで震えているのがわかった。
ドン! ドン!
何かが破壊されている音がノイズに混じる。それがただのノイズであることを願った。
『うう……ぐす……ぐす……』
「な、何が起きて……クド、お願い、落ち着いて」
クドがしゃくりあげ始めた。今すぐに抱きしめてあげたいのに、手が届く場所にクドがいない。自分の選択を後悔し始めた。
とにかく、今のクドになら伝わる声を、私は張り上げる。
『……おかあさんが……おかあさんのせいだ、ってみんなが……うう……ひどい……うぅ……こわい……こわいです……△△、たすけて』
「わかった! いま、今……行くから……っ」
ドン! ガンガン!
計り知れないような恐怖に、私は気休めの言葉しか送ってやれない。何がすぐに駆けつけるだ、出来もしないことを言って無駄にクドへと希望を持たせただけじゃないか!!
何かを壊す音はどんどん近づいていく。
『たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて』
ガシャン!
ノイズよりも確実に鮮明に、何かが壊された音が聞こえた。
「クド……! クド!!」
『……うう、△△! ……たすけっ』
ぷつっ……ツーツーツー。
電話は不意に切れた。携帯の落ちる音が聞こえた。
辺りが騒がしい気がする。でも、何もわからなかった。
耳鳴りがする。ふと、クドが学食でパニックを起こした時の事を思い出した。
あの時のクドも、こんな感じだったんだろうな、そう思って、私は意識を手放した。
__
目が覚めた場所は保健室だった、お節介な奴らが私をここまで運んできたのだろうか。
なんだか、部屋が灰色に見えた。自分の手に血が通っているのかすらわからない。
私の生きている理由が、もう見当たらなかった。
「クド……」
目からぽろぽろ雫が溢れる。温度も何も感じない。あなたがいなければ、私は自分が泣いていることすらわからない。
あの時に止めるべきだったのか? 止めていれば、クドは今でも私の隣で笑っていたのだろうか。クドも、それを望んでいて、私が間違えて、行くべきだなんて言ってしまったから……。
それこそ、根拠も理由もない後悔だった。私が着いてしまった嘘のように薄っぺらな、希望だけ見せる最悪な虚言。
だったら、私がここでのうのうと過ごしているのは、不誠実じゃないか。悪意のない言葉で、人を傷つけてしまったのであれば、私が、勝手に着いた傷よりも、もっと深い傷をつけてしまったのなら、それに裁きが下るのが道理じゃないか。
クドが私を信じてくれた思いを無下にした私へ、と。
私は保健室のベッドから立ち上がって、フラフラと屋上へ向かった。いつか小鞠さんに教えてもらった気がする、屋上への入り方。それを試そうとするよりも先に、道の開けた屋上への扉が目に映った。
__
屋上へ辿り着くと、そこには見知った影が居た。何時でも先回りしていて、私達の事ならなんでもお見通しのような、気に食わないそいつが。
「……来ると思ったぜ」
「……邪魔」
「ここで何をする気だ」
「関係ないだろ、退けよ」
「そういう訳にはいかないな」
恭介は私に近づいて、栄養ドリンクを私に押し付ける。
「飲めよ」
「要らない」
「いいから飲め」
「必要ない」
「これから死ぬからか」
「……っ」
恭介はまるで、私の死体を見たことがあるような顔をしていた。
恭介は、私の制服のポケットに栄養ドリンクを押し込んで、話しかける。
「寮長室に顔を出したら、寮長から伝えるように言われたんだが、能美の使ってた部屋を空き部屋にしておくわけにもいかなそうだ」
「……だよね」
「荷物が残っていたらしい。処分していいか困っているって話だ。寮長に聞いたら、能美から△△に処分を頼む、と言っていたが……何か聞いているか?」
「……そういえば、そうだった。クドに頼まれたんだった」
「そうか。それなら荷物を受け取ってどうするか○○が決めろ」
「そうする……」
私はポケットに詰め込まれた栄養ドリンクを飲んで、涙を袖で拭った。
「恭介はさ」
「……なんだ」
「何処まで知ってるの」
「……知らないさ、俺は何も」
そう言って、恭介は私の肩を叩いて屋上を後にした。
__
寮長室で、部屋に残っていた荷物を受け取った。見覚えのある灰色のダンボール。ダンボール箱は、何重にもテープで梱包されていた。学校の焼却炉の前に、そのまま置いておけば良いのに、何故か私はそれを捨てる気になれなかった。
家まで持ち帰って、カッターナイフで中を開く。そこに色んなものが入っていた。
『宇宙工学概論』『航空宇宙推進工学』『MWNT技術論』
など、よく分からない難しそうな本や、手垢のついて汚れた地球儀。レンズに日々が入っている望遠鏡。星座早見盤。見覚えのあるものなら、小鞠さんに貸していた星図盤もあった。
ロケットやシャトルのミニチュアモデル。それに、見覚えのあるマグカップ。深い青色で、よく見れば人工衛星が描かれていることが分かる。
クドが目指していた空へまつわるものばかりが、この灰色ダンボールに収められていて、それを、彼女はあろうことか捨てて欲しいと言っていた。
本当に、これを捨てても良いのだろうか。
大切にしていたそれを捨てる決断まで、追い込んだのは……。
なんとはなしに、『TASA設立史』というタイトルの小冊子をめくると、ページの途中に絵葉書が挟まっていた。濃い青色が混ざったような黒い空の写真。
50ノーティカルマイルの空、とタイトルが付いていた。
ひっくり返して差出人を見るが、そこには英語でもない文字で溢れていて読むことができない。
ただ、日本語の文章が一文だけ見つかった。
『クーニャへ』
『いつか いっしょに みにいこうね。』
「……捨てれるわけないよ」
箱の一番底に、透明なビニール袋があることに気がついた。小さな金属片と機械部品が入っている。
袋から取り出そうとした時に、金属片が床に落ちて、こん、と音を立てた。
「ドッグタグ……」
FPSなどでたまに見かける個人識別表。アクセサリとしてクラスメイトが付けているのを見たことがある。ドッグタグの表面を指でなぞる……
『Ч……рну……ка』
発音の仕方もわからない。かろうじてロシア語だとわかるそれを目で追う。
『Стру……цк…я』
最初がC。
次が小さなT。
何処かで見たことがある。
「……ストルガ、ツカ、ヤ?」
何故そんなものがここにあるのか、全くわからなかった。
機械部品は高熱で炙られたようになっている。融けて歪んだ螺子や歯車が絡まったその部品を手のひらで握る。めまいと耳鳴りが酷くなる。そして、その模様にクドの紋を思い出した。私はそれを握りしめて、ぼやっとした頭を休ませるために、ベッドに寝転んだ。
__
寝ていたのか気を失ったのかわからない。閉まったカーテンからは陽の光が漏れていた。もうそろそろ学校へ向かう時間だろう。だけど、私はとても学校へ行くつもりにはなれなかった。
登校しても、クドは居ない。そんな学校になんの意味があるんだ。機械部品を握りこんでいたせいか、手に痕が着いている。だけど、不思議と離そうとは思えない。
暗い岩肌の中、鎖の音が聞こえる夢を見た、気がした。
__
鎖に繋がれたクドが、私と同じように自責をする夢を見た。
そうではないと、口に出していた言葉は、寝言のように意味をなさなかった。
__
クドが、私の名前を呼ぶ夢を見た。手を伸ばして目を覚ましても、覚ました瞳は、暗い自分の部屋を映しているだけだった。機械部品を強く握りこんだからか、いくつも傷がついて、血が滲んでいる。
機械部品は、そこにあったままだった。
__
何日経ったかわからない。最後にベッドから立ち上がったのはいつだっただろうか。ただ、ずっと、深い微睡みの中で、自責を続けていた。不思議と、命を断とうとは思わなかった。むしろ生きたいとさえ思った。クドを救えるのなら、自分の命は惜しくないのに、生きたいと思ってしまう自分が腹立たしい。機械部品は握りこんだまま、私は抜け殻のようにベッドに倒れていた。
扉が開く。開いた隙間から光が漏れて、人影が見えた。
どうやって入ってきたとか、なんでここに居るとか、そういう事はもはや考えなかった。
「……○○、みんな学校来ないから心配してるぞ」
「そっか、……嬉しいな」
「こっちじゃ小鞠まで病んじまって……あぁ、能美とは別件だ、今は理樹の言うことしか聞かなくなってる」
「……」
私は俯いたまま、恭介に尋ねる。
「理樹、は、何してるの?」
「……なんでか知らないけど、絵本を描いてる。徹夜で頑張ってるみたいだぜ、あいつ」
「そっか」
理樹、なら……。クドと結ばれたのが、理樹だったら。上手くいっていたのかな。
私は、手の中にある、血の混じった機械部品を眺める。ずっと変わらず、そこにある。
それに気がついた恭介が、驚いたように目を見開いた。
「……お前は、能美の気持ちに応えなかったのか?」
「応えた、つもりだった。だけど、やっぱりダメみたいだ」
「……そう、か」
もしも、最初に出会った時に、私がクドに恋をしなければ、私が、理樹と出会わなければ、私が……クドと結ばれるなんて、夢みたいな物語を望んでしまったから……。
「理樹なら……何か、やり方が見つかったのかな」
「お前……まだそんな事を」
「理樹なら、きっと、魔法みたいなことが起きて、クドを助けられたのかな」
「……」
恭介は何も言わなかった。それが肯定の沈黙か、慰めの沈黙か、私にはわからなかった。
「俺は……なんでも知ってる訳じゃない」
そう呟く、当たり前だ。私達よりも、学年が一つ上だと言うだけで、なんでも先回りできたって、理樹の尊敬する恭介だって全知全能な訳じゃない。
「わかってる。恭介に当たるのがお門違いだってことは」
「そうじゃない!」
恭介は、私の部屋に入って、仰向けに倒れた私の胸ぐらを掴む。
「お前の……お前の、本当の願いはなんなんだ、どうして毎回、全て忘れるんだ!?」
言っている意味がわからなかった。私が、何か忘れていたのか? 何故恭介は、こんなにも辛そうな顔をしているんだ? その答えが、私が忘れてしまった中にあるのであれば教えて欲しい。
身体が力任せに浮く。しばらく食べていなかったからか、身体は軽いのに、やけに重たく感じた。それでも、機械部品は手放さなかった。
「私の……願い」
クドの笑顔が見たい。ずっと、そう思っていた。でも、こうして、ずっと、ずっとクドと過ごして、何かの、結末を見て……。
そうだ、思い出した。
私が忘れたくて、その事すら思い出せなくなって。
でも、確かに願っていたことが。
クドの笑顔を見るために。その前に、しなきゃいけないことだった。
ごとり。機械部品が床に落ちる。
これを、私が持っているべきでは無かった。
そう理解したのが遅すぎたんだ。
もう、叶えられない願い。
恭介は、それを知ってどうするのか私には検討もつかない。
今口に出して、変わることがあるかもしれない。
もしも、私がクドと出会わなければ。
もしも、クドが選んだのが理樹だったら。
その為に、ただ一つ願ったんだ
それは__
「私は、クドに忘れられたかったんだ」
【クリア情報(システムデータ)をセーブしました。】