クド自身はどうしたいか聞こう
「どうしたら、いいでしょうか?」
クドは私に頼る。いつもと同じように。
長い、夢を見ているようだった。
クドと結ばれて、幸せに過ごすような、そんな夢を。お互いが、お互いを支え合っていけるような。そんな夢。
クドが、こんな、どうしようもないただの人を信頼してくれて、頼ってくれているなんて。そんな私にとって都合のいい夢。
「おかあさんとの約束をしました。ロケットが無事戻ってきたら、おかえりなさいを待ってるわ、って……私に何も求めなかったおかあさんが、たった一つだけ……私に、この間、頼んでくれたことなのです」
クドは息を荒らげながら私にまくし立てる。
「迎えにいかなくちゃ……私、行かなくちゃって、思うのに……でも、私、迷っていて、どうしたらいいのかもわからなくて」
でも、結局、そんなのただの夢物語で、それが私の弱みだった。
私は主人公でも無ければ、誰かに救ってもらえるヒロインでも無い。ただの、人。取って付けられたような人が、単なる推しを、自分の好きなように動かすなんておこがましい事だった。
そう、悟った。
だから、私はクドにこう伝える。
「クドは、どうしたいの?」
選べなくて苦しんでいるのがクドなら、私も一緒に悩む。これは、クドの物語だから、私が口を出してはいけなかった。
「え……?」
クドは両手をぎゅっと握った。私はその手を包み込むように両手で握る。
「クドは、どうしたい?」
繰り返す。
クドは視線をさまよわせる。答えを教えてくれる人を探すように。だけど、ここには私達しかいない。
「△△は、どうしたらいいと思いますか……」
「……クド、自分で、決めるの」
私はそう、返すことしか出来なかった。
「△△……」
クドの顔がくしゃりと歪む。
「いじわるしないでください……」
私は黙ったまま、頷きも、首を振りもしなかった。
これから、クドが生きていく中で、こうした選択は幾度も続いていく。だから、私の願いよりも、まずはクドの願いを聞きたかった。
「クドは、帰りたい?」
「……っ」
クドは首をぶんぶんと振る。
「じゃあ、クドは帰りたくない?」
「……っ」
再び首を振る。
「……じゃあ、どうしたい?」
「……ぁあ……うう……」
クドの瞳が揺れ、拳が震えていた。
「きめ、決められません…っ」
クドは私に詰め寄る
「私には決められません! 決められるわけがないじゃないですか!」
クドは私の服の裾を両手で掴み、背伸びしながら叫んだ。
「わからないんですっ……私には、どうしたらいいか、わからない……だから、頼らせてください、△△」
クドはついに目から涙を溢してしまう。
「△△は、いつだって私のそばにいてくれました、がんばれたのは△△がいたからですっ! 大好きな△△ががんばれって言ってくれたからっ……励ましてくれたから……私、だから、私っ……私ぃ……っ」
「クド」
「……?」
「ここは、ここだけは、私に頼っちゃいけない」
私はクドの拠り所になりたいと、ずっと思っていた。だけど、それは、私がすべての責任を負って、クドを閉じ込める事じゃない。
夢のような言葉で惑わすことは、絶対に出来ない。
「この問題に明確な答えなんてない。だけど、答えを誰かに任せるのは明確な間違いだ」
俯いたまま、クドの目を見て続ける。
「クドがどちらを選んでも、絶対に後悔はするよ。でも、その後悔は他人に選ばせちゃいけない。そうしたら、心のどこかで『仕方ない』って思っちゃうから」
そうやって、クドに逃げて欲しく無かった。クドは、後悔と直面しなければならない。それだけは、私が代わってあげる事が出来ないから。
「だから、クド。クドはどうしたいのか、クドが、決めるの」
クドの手がかわいそうなぐらい震えている。
「クド、考えていること。知りたいな」
「でも、△△……」
クドは躊躇っている。
「……教えて?」
クドは首をゆるゆると振って俯いた。
「私……私は……」
何度も、何度も首を振る。
私達は忘れていた。普段からずっと。
目の前にいるひとが、生きていて、何かを考えて。そして、それぞれに悩みを抱えているということを。そういうとき、出来ることはただひとつだけ。
話を、聞いてあげること。
私がそうしたように。クドがそうしてくれたように。
「…………△△」
意を決したように、声が漏れた。
「……もし、私が……おかあさんに会いたい、と言ったら笑わないでいてくれますか?」
「うん」
「親離れもできてないおこさまだ、って笑いませんか?」
「笑わないよ」
「甘ったれたこどもだ、と怒りませんか?」
「怒るわけないじゃん」
大切なものを失う辛さは知っている。だから、私は頷いた。
「……帰りたくない、と言ったら笑わないでいてくれますか? 好きなひとのそばを離れたくない、と言ったら笑いますか? 自分勝手でわがままなおこさまだって笑いませんか?」
クドはいっそう強く私を抱きしめる。
「△△を独り占めしたいって言ったら怒りませんか?」
「……うん、怒らないよ」
その一途な想いが、虚像だとしても。
離れたくないのに、離れてしまうのが当たり前のように、私の心には深く刻み込まれていた。それでも、私はそれを受け止める。いつか離れることがわかっていても、私はクドの事が本当に好きなんだ。
「行かないとだめっていう気がする……でも、行きたくないんです。△△が、△△が、いたから
クドは涙声でぽつぽつとこぼしていく。
「私の名前、聞いたとき、△△達は笑わないでくれたから。私と会った男の子、いつも笑うんです。へんな子だなって。悪気はないんです、わかってました。だって実際変なんです、笑うのも当然です」
クドの声が悲痛なものに変わる。
「……だから…いっしょにあそぼ、とか。おかしたべよう、とか……でもみんな……いつも私を笑うから……だから、言えなくて」
クドの声はどんどん小さくなっていく。クドの孤独は計り知れないものだろう。どれだけの時間を独りで居たのか、想像にし難い。
脳裏に映像がよぎった。どこともしれぬ街の片隅で、独り、影踏みする少女。夕日が沈む街を、ただ一人で影踏み遊びをするクドの姿を……。
「すぐ街を離れちゃって……それっきり」
誰も悪くない世界で、誰かを恨んでしまいそうになる中でも、クドは誰も責めることなく、ただ、耐えていた。
「私はどこにも繋がってなくて独りだったので……ずっと独りだったので」
クドの言葉を思い出す。
『世界のどこを探したって、悪意を持とうと願う人はいないのです』
そんな、誰が教えたでもないような言葉を信じて、寂しさを押し殺そうとしていた。
「よけいに変な子になってしまって。でも、△△は笑わなかった」
そんな子に、私の自分勝手な愛情はどう映って居たのだろうか。私の一言一言に、それこそ一喜一憂して、弱みに漬け込むように……。
初めて会ったときのことを思い出す。笑うなんて思いもよらなかった。それどころじゃ無いくらいに恋をしていた。
『案内どうもありがとうございました』
校内を案内し終わったあと、手をきちんと揃えてお辞儀したクドを覚えている。
外国のひとの振りをしていたクドが、思わずそう言ってしまったのは__。
「うれしかった。私、うれしくて、ほんとうに、うれしくて」
クドは顔を上げて、微笑んだ。
その言葉が、私の心を酷く締め付けた。
「……ずっと……ずっと。ずっと、片思いでした……ひとめぼれでした」
私も、そうだったと言いたかった。
「△△のこと、だから、ずっと、ずっと、すきだったんです。ほんとうに、すきでした……片思いで終わるはずだったのに、私は……私は、両想いを願ってしまって……」
その言葉は、まるで自分を鏡写しにしてるように感じられた。
「わがままだって、思ってたのに……見ていられるだけで、よかったのに……それだけで、よかったのに……ぐすっ」
クドはしばらく、無言でぽろぽろ涙を零し続けた。長い、とても長い沈黙。クドは今何を考えているのだろう。それすらわからない私には、クドの隣は相応しくない。
私はただ、立ち尽くしてそれを見守っていた。行くなとも、行くべきとも口にせず。
「……ぐすっ……決めました」
「……うん」
「チケットを……返します。……帰りません」
私はクドの頭に手を伸ばして、髪の毛をそっと撫でた。
せめて、クドが泣き止むまでは。そうしていたかった。
__
それから、クドからメールが来て、部室に呼んだ。
クドはチケットを大使館の人に返したそうだ。本来なら発券されない、国の重要人物の親族だから、発券されたというチケット。
クドが昔通っていたあちらの学校の学籍を、母が残していたから無理やりそういうことができたそうだ。
クドが通っていた学校は航空学校。宇宙飛行士になるための高等専門機関、とクドは言う。そして、そこで学んだのが半年だけというのも。
「私はそこで落ちこぼれでした。授業は……全部英語だったので……国費の無駄遣い、とか色々言われてて……がんばったら、報われるなんて、そんなことはなかったです」
逃げてきた、とクドはこの間言った。つまり・・・耐えられなかったのだろう。
「クラスメイトに、散々怒られました。私に一番厳しかったひと……そうそう、佳奈多さんみたいなひとで……あはは。覚悟がなってない、と怒ってました」
クドは俯いた。
「チケットを返したとき、大使館のひとは何も言いませんでしたけど、責めてくれたほうがよかった。何もかもから、逃げ出した私を、責めて欲しかった」
「……誰も責めないよ、責めるわけが無い」
彼女が言ったように、人が悪意を持とうとしないのであれば、本来は誰も裁かれるべきではないのかもしれない。
そして、彼女がそうしたのは、人間が本来持っているべき生存本能と言っても差し支えない大切なもの弱さだ。誰だって持っている。当たり前のものだ。
「でも、△△、私が逃げるのは・・・何回目なんでしょうか? 逃げて、逃げて……逃げてばっかりです、私。逃げることだけ繰り返して、目を逸らしているだけじゃないかと思うのです。逃げた先には何もないというのに。そんなことはわかっているのに」
クドは自嘲気味に笑いながら私の顔を見た。
「……こんな子が『クドリャフカ』と名乗っているのです。笑いの種です。飛ぶこともできない、行くこともできない『クドリャフカ』」
クドは今すぐにでも泣き出してしまいそうだった。
「それが、私です。みんな、笑います。きっと、笑います……」
「そんな訳が、そんなわけが無い……そんなこと、言わないでよ、クド」
私は、私以上に物事を抱えたこの少女へと、何が言えるのだろう。
ちっぽけな悩みで、心を閉ざした私に、この子の不安を取り除くことが出来るのだろうか。
クドは、私とは比べ物にならない程の葛藤を受けて、孤独を耐えて、それで辿り着く場所がこれなんてあんまりじゃないか。
きっと、遠い何処かで傷ついている人がいる。でも、そこに手が届かない私たちは一体何をすればいいのだろう。
そんな大きな問題に対して、私たち個々人とはとてもちっぽけなものだった。誰もが、進んでいく世界という時計の針に押しつぶされて、潰れていくのを見ていくことしか出来ない。
……私の心を開いた言葉を思い出す。忘れてしまった事が、その要因なら、私達には一つだけ、できることがある。
「私達は、ここにいるから、何も出来ないって、嘆いてるだけじゃダメなんだよ」
出来ないのだったら、誰かの力を借りればいい。それは私の得意なことだった、そして、私は今でも、良い人になりたいから、悲しんでいる人には、しつこく話しかけにいく。
「……何が、私にできるでしょうか」
「何か、あるはず。私は、忘れないこと。クドが私に思い出させてくれたみたいに。こんな風に、手が届かなくてもできることは沢山あるの」
どれだけ遠くても、人の記憶の中でなら繋がれる。私はそれを経験したようにそう言った。それが、ただ好きな人の前でカッコつけたいだけなのかはわからないけど……。
「だから、考える事をやめちゃ駄目だ。そこから逃げないで。クド」
「△△……そうかも、しれません。私に、できること……逃げない、こと……」
やっと、クドの顔が少し柔らかくなった。
「……△△は、私なんかより強いですね、やっぱり」
「そんなことないよ。私は今でも弱いから、こうして強がってられるだけ」
だから、弱い私のことを忘れて欲しい。やがてくる過酷の時は、だから、その時まではこのままで。
「それが虚勢でも……△△はとってもかっこいいですよ。ありがとうです。ほんとうに、ありがとうです……」
そっと、私はクドを抱きしめた。最後に、この子が笑顔で居れることを心から願った。そのための障害は……最後の障害は、私が取り除くから。
微かな寝息が聞こえる……。