今日も、クドの姿がない。恭介と話していたことはなんだったのか……探しても、問い詰めようとは思わないが、気にはなる。
「HRはじめるぞー」
昨日も今日も。授業は耳を通り過ぎていくだけだった。
__
中庭に居るクドを見つけて、私は咄嗟に声を掛けた。
「クド!」
「……? △△」
「大丈夫……? 辛いところは……」
「はい、なんとか。気分は悪いですけど……だいじょうぶです」
「……そう。無理して外に出たりしないでね」
私はクドの前にしゃがみこんで、クドの顔を覗き込んだ。
酷く青白くて、人形のようだった。
「……△△、お願いがあるのですが」
「なに? なんでも言ってよ」
「荷物を捨てるのを、手伝ってくださいませんか」
「……荷物? いいけど」
無言のまま、クドは自室へ向かう。私はそれを追いかけた。
__
久しぶりに来たクドの部屋は、前来た時と変わらない。浮世絵とか、パッチワークのポケット入れとか。引越しを手伝ったのが随分昔のように思えた。
クドは机の下から、灰色の段ボール箱を引っ張り出す。
「……中身、確認しなくていいの」
「もう必要ないものですから」
それは返事になっていない。
「少し重たいです。だいじょうぶですか?」
持ち上げてみると、確かにずしりと重たい。
「行きましょう」
黒いごみ袋を持ち上げながらクドは言った。がしゃがしゃと音がする。
「……」
私は……本当に、これを捨ててしまっても良いのだろうか。
__
段ボール箱をゴミ捨て場に置く。
クドも無言で黒いゴミ袋を置いた。金属や陶器が擦れる嫌な音がする。
それを見つめているクドの横顔は、無表情だった。
「……本当に捨てるの?」
「いいんです。もう、必要ないものだから。もうこれを見たり、使ったりすることはないですから。どうして今まで持っていたのか……」
クドは無表情で、捨てたもの達を眺めていた。
「早く捨ててしまえば良かったのに。そうしたら苦しまなくて済んだのに」
元気がないようにクドは言った。
「未練がましいですね、私は」
そこに、私が見たかった笑顔は無かった。
「……△△、お手伝いありがとうございました」
クドはそのままゴミ捨て場を去っていく。私はそれを見送った。
結局、何も言えないまま、私はここに立ち尽くす。私はどうすれば良かったのかと、何度目かもわからないような問いを繰り返した。正解なんて無いとわかっているくせに。
行くべきと言えば、行くなと言えば、クドはまた笑顔でいられたのだろうか。
二木さんの言う通り、私が全ての責任を取れば、全部上手くいっていたのか。
苛立たしかった。
クドの笑顔を失わせたのは、私だった。そうと、断定したかったのに。
……それは、きっと傲慢なんだろう。二木さんの言う通り、私は大層な役者になろうと振舞った結果がそうなのだ。
私が、やるべき事は……。
段ボール箱を見つめた。
……クドが捨てたものがなんなのか、気になって、段ボール箱に手を伸ばした。
「開けるつもりなの?」
不意に声が掛けられる。二木さんだった。
「うん。開ける」
「……そう」
「行儀良くは無いけど、……気になったことだから」
「別に、捨てたものだから、誰のものでもないわ。私でも、開けたでしょうね」
二木さんは私に近づく。
「で、中身を見て、あなたは何がしたいの?」
開けて、私がしたいこと……。
「クドが今までどうしてこれを持っていたのか。なんで今になって手放そうと思ったのか。それを知りたい」
「あなたに言う必要があったらもう言ってるでしょ。知られたくなかったのかもしれない。それでも、開けるの?」
迷いは……代わりに、捨てていこう。
二木さんの言葉も、恭介の言葉も、クドの言葉も。全部理由があるはずだから。
起こったことは、起こるようになっているように、そこに理由があるなら。
私は、これまであったことを忘れたくない。クドが捨てようとしたって忘れない。そして、クドが逃げないと言ったように。私も考え続けることから逃げたくない。
私は力強く頷く。
「うん。これは捨てちゃいけないって、私は思った。私は、……忘れたくないって、そう思ったの」
「……そう。それなら……しょうがないわね」
二木さんは身を翻した。
「どうしてここに残ったか、わかった?」
「……私のことを、放っておけなかったから」
「そこまでわかってれば良いわ。正解は違うけどね」
そう言って、二木さんはその場を後にした。
私はもう一度、何重にもテープで梱包された箱を見る。
テープを一つ一つ剥がして、箱を開けた。
中には、クドの夢。宇宙関係の本やシャトルの模型。綺麗なマグカップ、読めない文字の何か……そして。
箱の一番底の透明なビニール袋。その中には、小さな金属片と機械部品。それに手紙があった。
手紙は、英文のもので、大使館からチケットと一緒に送られたもののようで、文書だけが残ったのだろう。
そして、文書の間には絵葉書が挟まっていた。
濃い青色が混ざったような黒い空の写真。
"50 nautical mile SKY"
ひっくり返して差出人を見る。
英語でもない文字ばかりで読めない。
ただ、日本語の文章が一文だけあった。
『クーニャヘ』
『いつか いっしょにみにいこうね。』
クーニャ。とは、クドのお母さんがクドを呼ぶときの愛称だったはずだ。
英文の手紙と葉書をそばにおいて、機械部品を取り出そうとした。
すると金属片が落ちて、ちゃりんと音を立てた。
それはドッグタグ。
表面には文字が書いている。ロシア語で書かれていて、そのまま読むことは出来ない。
『ч……рну……ка』
金属片の表面をなぞる。
『Стру……цк……я』
「ストルガ……ツカヤ?」
だとすれば、このドッグタグは一体誰の……。
融けて歪んだ螺子や歯車が絡まっている機械部品を手のひらに乗せる。
ずしりと重たくて、何かわからないもの、だけど。
これは、クドに返さなくちゃいけないものだと思った。
__
学食で、男どもに囲まれる。
「○○……少し顔色良くなった?」
理樹がいのいちにそう言った。
「そうか? こいつ最近ずっと難しい顔してるからわかんねぇや」
「今朝よりは顔色がよく見えるな」
「お前ら目ざといな……」
と、一応聞いてみることにする。私が持っているドッグタグと、機械部品について。
「恭介、これ何かわかる?」
「分からないな。理樹は?」
「僕にもわからないかな、真人は?」
「恭介にも理樹にもわからないものがオレにわかるわけもねぇだろ」
「それもそうか……」
これが何かはよく知らないし。これがわかったからと言って、クドがまた笑ってくれるかはわからない。だけど、今はこれに集中するべきだって、そう思った。
「どこで見つけたんだ、それ?」
「クドの段ボールの中。結構、奥の方にしまってあったやつ」
「ふーん……それじゃきっと、大事なもんなんだろうな」
「そう、思いたいけど……これを捨てろって言うから、私もよくわかんないんだよね」
「だったら女子に聞いてみたら? 僕達よりは、小鞠さんとかの方が詳しいと思うし」
「……確かに。ちょっと聞いてみる」
「筋肉について聞きたかったらオレに任せろよ」
「それはいらないです」
私は理樹達に礼を言って、小鞠さんの場所をメールで尋ねた。小鞠さんは中庭にいた。
「小鞠さん。今大丈夫だった?」
「うん。☆☆、どうかしたの?」
それについて、何か知りたいと伝えたけど、小鞠さんは首を振る。
「クーちゃんが大事にしていたのは知ってたけど……」
「だよね……あ、じゃあこっちの文字については」
「こまりちゃん、ここだったのか」
「あ、りんちゃん」
「先生が呼んでたぞ……○○、何してるんだ?」
「鈴、この字のこと、わかる?」
鈴にも訊いてみようと思って、ドックタグを見せる。
「確かに、最初の文字はストレルカの首輪と一緒だ。だから、多分その……すとるがつかや? は、合ってるはず」
「そっか……じゃあちょっと安心。ちゃんと覚えておいてよかったよ」
「うん、誇れ」
「やっぱり、クーちゃんのこと大切なんだね」
私はその言葉に対して、どう答えていいか少し悩んでしまった。それでも、私がクドを大切に思う事は、違いない。
こくりと頷いて、私は問いかける。
「……捨てちゃ、駄目だよね」
「それ、どうするの、☆☆」
「……どう、すれば良いんだろう」
「簡単だろ」
鈴なそんなことを言う。今度は一体どんな突飛な案が飛び出してくるのかと思えば、それは拍子抜けするほど普通なことだった。
「返してやれ。大切なものなんだろ」
「でも、クドにとって大切なのか」
「お前が大切なものなら、クドも受け取る」
「そうかなぁ」
鈴は、ちりん、と鈴(すず)を鳴らして頷いた。
「……もう少し、調べてみる。それで、クドに返したい」
「そうだね、クーちゃん、最近ずっと辛そうだから。元気になったらいいな」
「ありがとう、二人とも」
「例には及ばない」
私は……とりあえず、図書室の方へ向かった。これの持ち主がクドの親族なら、きっと航空工学とか天文学とか、その辺の本に……。
__
普段、人が触れずに埃の積もっている本棚。その中の天文学の分類、そこの一部の本だけ埃が積もって居ないことに気がついた。その一帯は背表紙も綺麗で、埃を払ってあるようだった。
一冊、ぱらぱら捲って見てみると、付箋が着いているページを発見した。
『The World is the cradle of the mind, but we cannot live forever in a cradle』
『くらどれ? ゆりかご わーるど えいえんには くらせない』
クドの字だった。それも新しい。一応公共の本だと言うのに……。付箋が貼られたページの片隅。付箋といっしょに水滴にでも濡れたのか、よれよれになっていた。
ぱたん。本を閉じた。工学の棚、そのうち航空宇宙工学のあたりも同じだった。
その全ての埃が払われている。専門的な技術書ではなかったが、それでも私の手には余る。数学、物理で見るような記号が乱舞している。
クドが楽しそうな顔が浮かんだ。
天文学の棚に戻る。
『宇宙開発史』という本を手に取った。さっきの付箋がついていた本。
「……第二次世界大戦後本格化した宇宙開発は」
「冷戦時に技術競争的側面を表し……」
最初に人工衛星を打ち上げたのはソ連……ソヴィエト連邦だったと言う。今はもう亡い国。スプートニクという名前の人工衛星を打ち上げた。
スプートニク。何処かで聞いたことのある名前だった。
そして、人工衛星には犬が積み込まれていたようだ。
ソ連が打ち上げた犬は全部で13頭。全頭無事に戻れたわけではない。帰還させなかったもの、帰還出来なかったもの。
宇宙開発初期に、犠牲になった犬たちのリストと、戻ってきた犬たちのリストもある。
そこには、ストレルカやヴェルカの名前もあった。
そして、リストの名前の一つに目が止まる。
『Чернушка (Chernushka)』
ドッグタグを出す。
『Ч…рнушка』
英語で『Blackie』
黒髪の娘、と言うらしい。
抜けた文字があるから間違いかもしれない。でもストレルカやヴェルカと並んでいる単語は偶然にしては出来すぎている。
あの、夜の話を思い出す。
「おかあさんみたいな……黒髪」
点と点が、繋がった気がした。
クドが、あれだけ大切にしていた、母の……。それに、よく分からない機械部品。これが、クドの後悔の塊で、捨てる決断をしたそれは……。
未練を、断ち切る。そう思った。
そして、その断ち切ろうとしている未練とは。
クドの夢だ。
__
「おはようございます……」
時間ぎりぎりに教室に入ってきたクド。朝の騒がしさがその声をかき消す。
クドは俯いたままだった。すぐにでも抱きしめてあげたいけど、教師の言葉が私の行動を咎めるように放たれる。
「授業始めるぞー」
授業が始まる。
__
何も言えないまま放課後になる。私は、ここを逃せばもうクドと話すことができないと思って、意を決してクドに話しかけた。
「クド」
クドは俯いて鞄に教科書を詰めている。一テンポ遅れて、クドは私の方をむく。
「……? △△。どうしましたか」
「……とにかく、話しかけないとと思って。元気だして欲しい」
それだけしか言えない。考えてた言葉は、クドの前にたつと全てが綺麗事にだけ見えた。
「ありがとうございます、△△」
二人で教室を出る。黙ったまま、歩く。
「……△△」
「うん、どうしたの、クド」
「私は……商店街、行くのですが……」
「……そっか、ついてってもいい?」
クドはこくりと頷いた。
クドの目的地は本屋だった。無言のまま、奥へ消えるクドを見送る。
ついてきてしまったわけだけど、私には買う本もないので、しょうがないから入口でずっと待っていた。
しばらく経っても帰ってこないので、携帯の時計を見ると。入ってから30分以上経っている。
迷ったけど、私はクドを探してみることにした。
クドは、自然科学の棚にいた。
ぼーっと棚を見ている。
本を抱えたまま、棚だけを見ている。
「クド?」
「!?」
びくん、とからだをすくませる。何か悪いことをしてしまっただろうか
「△△……ど、どうかしましたか?」
「随分遅かったから様子を見に来たんだけど……何かあった?」
クドが抱えている本は、国語教育法、語学概論、日本語痛史……。とても、クドの趣味とは思えない本ばかりだった。
「い、いえ、なんでもないです。ちょっと立ちくらみがして……」
「……大丈夫? 私が持っていこうか」
「い、いえ、大丈夫です」
「その本は……」
「あ、はい、じ、実は私、先生にも興味がありまして」
「……先、生……」
クドはまくし立てるように早口で言う
「はいです。私は出来が悪いものですから。勉強が不得意な子の気持ちがわかる先生になれるのではないか、 と。テストのとき、みなさんに教えて貰ったことがとても嬉しかったので、同じことができたらいいなぁ、とも思います。で、でも私は英語とかだめなので、得意な国語とかどうかなぁって、本を探しに来たのですよ、うん」
私はそれが、自分へと言い聞かせているようにも感じた。
「そ、そういうわけで選んでいたら時間がこんなに経っていたというわけで。では、レジに行ってきますねっ、わ、わっ」
「クドっ!」
歩き出そうとしたクドの腕から本がこぼれそうになる。抑えようとしたクドは体制を崩して、ばさばさと本が落ちた。
「す、すみません……っ」
「大丈夫だよ、クド」
二人で本を拾い始めた。そこで、一冊の本に目が止まる。
「あ……」
「クド……」
その本のタイトル。
『新型素材及び燃料タンク設計理論』
床に散らばった教育関係の本の中では、それは異質な本だった。ハードカバーの分厚くて重たそうな本。零れたページに見えるのは無数の記号と数式。今にも本からそれが打ち出されそうなぐらい……びっしりと、文字が並んでいた。
「……っ」
クドは横を向いて俯いた。
私からはクドの表情は見えない。
ただ、床にだらりと力なく伸ばされたその手が……その指が。
不意にぎゅ、と握りしめられた。
それが、小刻みに震える。
……とても痛々しく思えた。それと同時に、自分の驕りにも気がついた。喉元に熱が込み上げる。
私は一体、何をしようとしていたのか。
クドが私に嘘をついてまで張っていた虚勢を、私はいったい……。
クドの笑顔と、手の震えが頭に焼き付いていた。
床に膝をついたまま、棚を見る。科学雑誌が並んでいた。あの事故が起こる前に出された雑誌だろうか。
ロケットの写真と『テヴア」の文字。クドの目を釘付けにしていたのは、それだった。
気まずい雰囲気のまま、店を出る。
__
「クド……さっきのこと」
と、言いかけてクドを見る。クドは私を見ておらず、俯いて自分の影だけを見つめている。
「ごめんなさい。△△、ごめんなさい」
それだけ呟いて、クドは女子寮へと走っていく。手を伸ばしたまま、何も掴めなかった。
やっぱり、私は……。
私が、惜しくて……クドは。
夢を、想いを語っていたクドが、ついた嘘を。
「クド……」
そして、辿り着いた結果は、この現実全てが、……誰かから、
お前は自分以外の必要の無いものを踏み潰して生きろ
と、言われているようで、残酷で、私はその場に手を着いた。
思考が上手くまとまらずに、考えた事が全て前に、無秩序に湧いてくる。
どうして、こんなに上手くいかないのか。
私たちが願うことは大それたことじゃない。ささやかな、ちっぽけな願いが叶うことを祈っているだけ。
私は、クドの笑顔が見たいという願いを。
クドは、夢を諦めたくないという願いを。
そして、それを砕いたのは……。
私だ。
私は、人の願いを砕ける程高尚で優秀な人間ではない。誰よりも私がそんなことをわかっていたはずだ。
誰かの望みを。
誰かの祈りを。
誰かの希望を……自分以外の誰かが、砕いて、叩き潰す。
クドに嘘をつかせてまで、私はクドになにを望んでいたんだ?
クドの物語だと、説得してなんの意味があったんだ。
手に力が入って、爪がアスファルトに強く引っ掻いた。血が流れる。
結局、私はクドを自分勝手に動かそうとしていただけなんだ。
著者が筆を取ってキャラクターを動かすように、私は、クドをずっと、コントロールしようとしていただけだった。
ポケットの中のドッグタグを握る。
捨てちゃ駄目だと、言いたかった。
でも、クドはそれを捨てたあとの道を選ぼうとしている。それを、私は認めるべきだ。
違う! それは、違う、絶対に……違う。
どう違うのか言葉に出来ない。だけど、クドがその夢を捨ててしまうのは、絶対に駄目だと、そう、思った。