理樹が居なくなったのはいつからだったかな。
修学旅行の冊子が配られるのも近い。準備も楽しいくらいだって言うのに、私は何も身が入らなかった。
あれから、何も変わっていない。クドの笑顔が無くなった以外、何も。
……そういえば、鈴と小鞠さん以外の子はどこに行ったのだろう?
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放課後、帰る気にもなれずに、ベンチに座って手のひらのドッグタグと機械部品を見ている。
すると、視界の端にクドが横切った気がした。あまり見たことの無い、私服姿のクド。
彼女は校門に向かっているようだ。
考える前に体が動いていた。不安は後からついてきた。
どこからか来る不安。何かが遠くへ行ってしまうという、確信めいた不安。
私はクドを追って走った。間に合わなくならないように、疲労を忘れて、ただ前に足を運んだ。
ドッグタグと機械部品を無くさないように、両手に抱えて。
__
校門の前に、クドは立っていた。
私服姿だけど、その亜麻色の髪は間違いない。
「クドっ!」
「……どうかしましたか、△△」
後ろを向いたまま、クドは答えた。
「なんで、私服なの……それに」
くるり、とクドが振り返る。泥と機械の油で汚れたような帽子とマント。それを身につけているクドは、微笑んでいるように見えて、なんの表情も浮かべていなかった。
「特に理由はありません。なんとなく、です」
「……帽子、どうして汚れてるの」
色々聞きたいことがあるけど、最初に口にしたのはそんなどうでもいいことだった。
「それはですね……」
一瞬言い淀む。
「……おかあさんの使い古しだからです。軍の正式帽なんです、これ。汚れているマントと帽子は……最初におかあさんが私にくれたもの……だから、汚れたままにしてあるのです。おかあさんの苦労が染みついているので……洗いたくなかったんですよ」
マントが風にばたばたとはためいている。クドと話している間、ずっと不安が濃くなっていく。変えられないような不安が。
そのまま、沈黙が落ちた。クドはどこか遠くを眺めていた。私が見えない何かを見ているように。
思わず、手をぎゅっと握る。手のひらのものがしっかりと認識できた。今、言わなければ、もう二度と言えない気がした。
「これの、こと……わかる?」
ドッグタグと機械部品を見せる。
「……△△、それは……」
「捨てろって言われたやつ、漁っちゃったみたいでごめん。でも、クドがこれを捨てるなんて、しちゃいけないって思ったから」
「……持っていてはいけないんです。それは、私の『きもち』の残骸で……それを持っていてはいけないんです。持っている資格もありません……」
クドは静かに答えた。
「それは……これまで、クドが語ってくれた夢を、宇宙への夢を捨てる、ってこと」
「……はい。持っていてはいけないものですから」
「そんなの、誰が決めたの?」
「……私です。私が、自分で、決めました」
「自分、で……」
「△△は私に自分で決めろと、言ってくれましたから」
「……っ」
確かに、私はそう言った。
帰るかどうか、答えの代わりに、そう、伝えた。
その言葉が回り回って私へと帰ってきたんだ。何も、言うべきことが見つからなかった。
まっすぐ、私を射抜くクド。
クドは目の前にいるのに、遠く感じた。
すぐ手を伸ばせば届く距離に居るはずなのに、絶対に届かない遥か彼方に居るように。
どこにいても、想いは通じる……いつか、クドが言った言葉を思い出す。
なのに、私の目の前にいるクドは、何処までも遠くにいるように感じた。
何か喋ろうとしても、口が動かない。手を伸ばそうとしても、動かない。
まるで、鎖に繋がれているかのように。
「△△、捨ててください。機械部品は……おかあさんのロケット……そのテストモデルの欠片なんです」
うめくようにクドは言う。必死で言い訳を考えているような。まるでうそでもついているかのような、そんな口調だった。そう思いたかった。
「私の夢を知ったおかあさんが……くれたもので……夢の……欠片で……わがままな私の……後悔の塊で……だから……それは、私が、持っていちゃいけないもので……」
クドは捨てたい、と言う。それがクドが決めたことだ。
私はそれを……前の決断のときみたいに、認めていいのか?
ここで、私が……また、口を出すのは……。
違う。違う。違う。
私の心の中の声が否定している。
「夢を……捨てる」
「そうです、もう全部捨てちゃいました」
私は、あの焼却炉の前で見せたクドの表情を思い出す。
「△△と一緒に捨てました……」
クドは、同じ顔をしていた。
「だからもういいんです。もう、いいんです。もう『それ』は要らないんです」
クドは『あの時』と同じことを、私に伝えた。
「お手数ですが……『それ』は捨ててくださいませんか」
私は、俯いたまま、考えた。
このままで、良い訳が……無い。
ここで手を振って見送るのは自分可愛さだ。
私が忘れ去られたとしても、それでも、伝えなければならないことがある。
私がどう思われたって、私は何度でも、仲良くなるましつこくコウモリに話しかけるって、答えたんだ。
だから、どんな綺麗事でも、これだけは伝えなければいけないんだ。
「……よくない」
「……え?」
「そんなの、よくない」
「△△、で、でも」
「捨てたいなんて全部嘘だ。クドはそんなことを願っていない、願っていいはずがない」
「……△△……」
「本屋の時もそうだ。クドのしたいことは、あの時に語っていたことなんかじゃない!」
クドはあの時に諦めたのか? そんなわけが無い。でなければ、本棚で足を止めたがその証拠。
分厚い本は、きっとロケットに関係する本で、だから、私にその虚勢を悟られないように私を隠したんだ。
クドはまだ、選んでいない。『選んだ振り』をしているだけだ。
私はクドを信じていたから、クドの選択を盲目的に肯定していた。
でも、それはただ、考えているのをやめていただけだ。私も、クドも、ただ、目の前のことに囚われていて、そんな中で正解が見つかるわけがなかったんだ。
クドが帰らないこと。
それは家族と会うという選択肢を捨てること。
クドが金属片や宇宙に関するものを手放すこと。
それは夢や気持ちを捨てること。
前者を肯定するのに、後者を否定する必要はない。
『選択すること』
選択して、向き合うこと。それが強さだ。
私たちが得なければならない強さ。私が、これまでの旅路で経た答え……。
これまでの、旅路で……? それが何かはわからないけど、確かに今、ここに立つ私が得た答えがそれだった。
クドは、まだ『選んでいない』
それを伝えることが、私がしなければならない答えなんだ。
「……そうですよ。私はわがまま言っちゃだめなんです。もっと、こう、私自身にあった夢を…」
クドの声は力を失っていく。
「夢を……」
だって、夢を諦め切れていないのだから。自分でも納得できていないのだから。だから、クドはまだ未練を抱えている。私の前にこうして現れてくれたのはその未練が残っているからだ
そして、それは選んでいないってことだ。
「……切り捨てただけじゃ、前に進めない」
言葉を絞り出した。
「切り捨てて、切り捨てて……その先で、クドは笑っていられるの?」
そうして、言葉を続けろ。
「自分だけじゃないんだ」
頭を回して、続けろ
「クドのお母さんも、クドのこと、一人にしたって悔やんでるかもしれない」
思いついたことをそのままだっていい、伝えるんだ。
「クドだけが、独りになるって決意したら」
でなきゃ、私を放っておけなくて……いや、それも違う。
「皆との繋がり、全部無かったことにしたいって言ってるのと同じだよ!」
私と一緒に居たくて、クドがここに残った意味が無い。
「クドが、罪悪感を持ってたり、したら、私も背負うから」
私を選んでくれたクドに、顔を合わせられない。
「だから、クド。お願い」
私は、クドを支える拠り所に……。
「独りに、なろうと、しないで」
……そうなれなくても、最後に何も残らなくても、……クドの目に入る、不格好で、ちっぽけで、それでも頼もしく咲く……。
「お願い……クド」
道端に咲く花くらいにはなりたかったんだ。
「やめてください……」
辛そうにクドが呟く。それでも、私は続けた。どれだけやめろと言われても、嫌われてもいいんだ。
クドに伝えたかったから。
「クドは、英語話せないだけで笑われてた。いくら日本語が話せても……日本のこと知ってても、周りはそう見てくれない。悪意のない目線を、私はよく覚えてる」
私たちが普段当たり前に接しているもの、触れているもの。それらからクドは繋がっていなかった。
「話してくれたテヴアだって、……きっと、クドは他の国の言葉を話せないから寂しかった。そうでしょ?」
故郷さえ、クドにとっては居心地がいいものじゃなかったに違いないんだ。
「△△、やめてくださ……」
「おかあさんから、歯車になれって言葉を聞いて、それから逃げたことを悔いていた。期待から逃げて、繋がりを絶ってしまったみたいに考えていたんだよね」
クドから聞いた昔の話を、復唱して、その時の彼女の不安を可視化させる。このまま、夢を捨ててしまえば……選択を諦めてしまえば、繋がりを……捨ててしまえばどうなるのか。
どこの国でも。どこの街でも。
そして、家族の期待を裏切ったと考えていたクドにとって。
……家族ですら、自身の居場所ではないと考えても不思議ではなかった。
独りの『クドリャフカ』。
宇宙に独り打ち上げられる犬のように、たった独りのクドリャフカ。
独りで何かにじっと耐える。
誰も見えない場所で。
たった、独りで。
「やめて……△△……」
クドの望みは、救いは、そんな場所にしかない訳が無い。
「やめて……やめ」
でも、そうして、不安をひた隠しにしていたクドが、求めたものは一体、なんなのか。
「クドが、繋がりを必要としなかったらさ……なんで、私とあんなおまじないを、あの儀式をしたの?」
クドが帰国しなかったのは、私への思いに他ならない。
繋がりも、居場所もない、孤独なクドが、天秤に乗せて、傾いたのは私だった。
そう、思う。信じている。
なのに、繋がりはもう要らない、そうクドは言う。
クドは、私を残してここから去ろうとしていく。
それは……。
「クドは、私のこと……忘れるの?」
ずっと、私が心の底で求めていたことで。
私の、心の底が否定したことだった。
「!」
忘れて欲しかったことを忘れたように。記憶というのは曖昧で。
クドが、大切にしていた夢も。忘れてしまえば消えてなくなるのと一緒だった。
私は、いつも、ずっとそれが怖くて、私の大好きな人に忘れられたくなくて。
いつも、何度も、毎回毎回、クドに忘れて欲しくないと縋った。
だからこそ、今がその最大のチャンスで、クドが未練を断ち切るようにして、私のことを断ち切ってくれたのなら、私も、そうしていけたのに。
「ちが、違います……っ!」
クドは首を横に振る。
その言葉は、酷く残酷で、私の心を強く縛り付ける。
でも、それはクドも同じなんだ。
「だったら、私にこれを捨てさせないでよ」
これを捨ててしまうのは、それは、あのおまじないを無くしてしまうような儀式だと思った。
だから、クドは、繋がりはもう要らないと言う。
「捨てておしまいなんて、そんなの嫌だよ」
クドのことを信じて、私がそれを見捨てたとしても、それは考える事をやめただけだ。
クドに言われたって、それが本当の望みだなんて信じることができない。
「クドはまだ選んでないから」
「……選んでます。ちゃんと、選んでます」
表情は変わらないまま、クドの目には涙が浮かんでいた。
「こうれば、『きもち』を捨てれば……納得できるって……私、もう、いいって思ったから」
「きもちは、捨てられないよ。クド」
私が、そうだったから。
「後悔も、捨てられない。後悔してる以上、ずっと捨てられない。……後悔する気持ちも、捨てられなかったから」
これまで、歩んできた道が見えた。直線が無数に連なって、枝分かれしているようで、ずっと一つの樹に集約していく、この世界の理を。
「それを捨てる、って決めても。選んだ、ってことじゃないと思う」
「△△……でも、それは、そんな……」
クドはとうとう顔を崩して、子供のように泣き始めてしまった。
「△△……でも、それは、そんな……どうして……どうして、そんなことを、言うんですか……」
当たり散らすように、声を荒らげる。
「どうして、還そうとするんですかっ……っ、後悔の塊なのに! 後悔ばかりしてる私が……だから、未練がましい私がっ」
そんな風に声を出したら、喉を痛めちゃうよって。私はいつもみたいにそう思えた。
「捨てたのに……どうして、△△は、私に還そうとするんですかっ」
「……いままで、返せなかったから」
手を伸ばせばすぐ近くにいる。それなのに、クドは、まるで自分に裁きを下しているように離れようとしている。
罪を犯した自分が、こんな場所にいてはいけないと。
幸せになるなんて、おこがましいと。
好きな人の隣に居ていいなんて、許せないもの。
とても、共感が出来た。そこで、やっと気がついたことがあったんだ。
もしも、クドが言うように、世界に悪意が無いのなら。もしも、私が願うままの世界があるとすれば、きっと自分を裁くのは自分なんだ。
私達は孤独だから、誰にも本当に理解されないから。
だったら、私は、私がいる間くらいは、それから庇ってあげたかった。クドが裁かれるのなら、その罪を半分にしたかった。
だから、私は伝え続ける。自分勝手な裁きを下しそうになった時、クドが私の目に映ったように。
次は、私の番だ。
「こんなに近くにいるのに、届かないところで、独りのまま……」
言葉が溢れてくる。由来すら分からない、強いイメージが湧いてきた。
「鎖で牢獄に繋ぐみたいなこと……私には出来ない……!」
まるで、クドが求めていた場所が目に映ったようだった。
独りの場所。冷たい、水に浸された牢獄。
そんな場所にクドが行くなら、着いていくと言いたかった。私を呼んでと言いたかった。
でも、そんなことが叶わないから……今を、逃さないように。もう、戻れないところに来てしまったから。
「△△……」
「だから、捨てちゃダメだよ。クド。クドが断ち切りたくなるほど、目にすら入れたくないという程の後悔であれば……。尊くて、なんど捨てようと思っても目に映ってしまうような夢の欠片なら」
私がなんど捨てようとしても、捨てられなかったように。
「クドが持ってなくちゃいけないの。捨てちゃだめ。……忘れないで」
辛くても、苦しくても。忘れちゃいけない。
私のことは忘れたっていい。だけど、私の好きな人の夢だけは、何がなんでも、忘れさせてやるものか。
忘れないという簡単なことすらままならない無力な私達は、どれだけ口苦い後悔を味わったとしても、誰かを支えようと想う心だけは忘れないように。
「……きもちは……すてられない」
私は、クドへと手を伸ばした。
人と人との距離は、絶対に交わらない。
物理的にも、精神的にも、絶対に交わることはない。
どれだけ近くにいたって、どれだけ遠くにいたって。
私達の心が交わることは無いだろう。
それでも、私は手を伸ばした。
手を伸ばして繋いでくれることが当たり前じゃないと知っている。
クドもまた、それを知っている。
だから、それを当たり前にするために、私は手を伸ばした。
差し伸べられた手を取ってくれたことが、私は奇跡みたいだと思った。
独りでいた子にとって、それは本当に奇跡みたいな出来事に違いない。
理樹が私に手を差し伸べてくれたように。私も、その繋がりを、誰かに繋げていくように。
私は、笑顔を見せた。
誰かに教えてもらったように、笑顔を作って見せた。
楽しいことばかりじゃない、これから辛いことも苦しいことも。世界には悪意が沢山あって、善意だけじゃ無いかもしれない。
だけど、世界にはそれだけしかないなんて思って欲しくないから、私は手を伸ばした。
楽しいことも、嬉しいことも、それに負けないくらい沢山あるって、生涯ずっと、愛し続ける人が見つかるんだって。
そんな、私の気持ちを伝えたくて、私は手を伸ばしたんだ。
独りだったクドが欲しかったのは、私と同じ繋ぐ手のひらだった。
すきなひととつながっていたい、というただ、それだけの、ねがい。
「クド」
クドは拒まなかった。
音もなく、鎖が解けていくように、温もりが触れた。
クドは、私からドッグタグと機械部品を受け取った。
クドの手に収まる二つが、誇らしく思えた。
それをぎゅっと握りしめてクドが言う。
「……捨てたのに、戻ってきてしまうんですね、これは」
クドは手のひらに収まる二つを見る。
「△△が手渡してくれたら、私は、受け取るしかない、です」
「よわい私が……うそまでついたのに……」
「△△は、いつでも、私の願うことをしてくれるから」
「本当に……」
「あなたは、私の、好きなひとなんだなぁって、思ってしまったじゃないですか」
「もう手放したくないって」
「私……思ってしまったじゃないですか……っ」
「黙ってこのまま……そう思ったのに……やっぱり」
泣き顔のまま、クドは笑った
「やっぱり、離れたくない、って思ってしまったじゃないですか……っ」
私はクドに、一歩近づいて涙を拭った。
「みんなのところ行こっか。それから……クドの夢の話。クドのおかあさんの話。英語の話も、外国のおまじないの話もしよう」
「……っ」
クドは泣いたまま笑っていた。
いつか『行かなかったこと』を後悔する涙も、止まる日がくるだろう。
その日が、来ることを、切に願っていて。
そして、その隣に誰かが居てくれればいいと思った。
泣いても悲しそうでもいいから笑の混じる毎日を過ごして。
みんなといる場所に還ってくることを。夢に見て。
「△△……」
涙声のクドが言う。
「……帰ったら、見なくちゃいけないものがあるんです。一緒に、見てくれますか?」
「……うん。帰ったら、一緒に見よう。どんなの?」
「それはですね__」
クドの涙声が、微かに弾む。
泣き笑いの笑顔。
私は、それを本当に愛しいと思った。
だから、お願い理樹。
クドを幸せにしてあげて。