狙撃兵と商人の終末旅行   作:カズヤミサワP

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作品ストックこれにて打ち止めです。


閉ざされたシェルター

 灰色だった景色が、少しずつ色を取り戻していく。

 

 地面を這っていた白い霧はいつの間にか消え、足元にはまばらながら草が生えていた。振り返れば、遠くには今も厚い雲に覆われた灰色の平原が広がっている。

 

 青年はしばらくその光景を眺めてから、前へ向き直った。

 

「もう外していいぞ。カティ」

 

 青年が言う。外見の年齢は二十代後半、黒髪黒目で凛々しい顔立ちをしている。外套を羽織り、背中には大きな背嚢を背負っている。肩にはボルトアクション式の古い狙撃銃を掛けている。腰には大きなナイフシースとホルスターを吊っていた。ホルスターの中には四十五口径の自動拳銃が収まっている。

 

「ほんと?シュウ」

 

カティと呼ばれた少女が、ガスマスクを外す。外見の年齢は十代前半、長い金髪の癖っ毛を背中まで伸ばしている。同じく外套を羽織り、大きな背嚢を背負っている。肩には水平二連散弾銃を掛けている。腰にはナイフシースとホルスターを吊っている。ホルスターの中には小型の三十八口径回転式拳銃が収まっている。

 

「ああ。汚染地帯は抜けた」

 

 シュウと呼ばれた青年が言う。その言葉を聞いた瞬間、カティが大きく息を吐いた。

 

「あー……やっと終わったぁ」

 

 背負っていた背嚢を地面へ放り出すように置くと、その場に座り込む。

 

「もう注射しなくていい?」

 

「今のところはな」

 

「ご飯は?」

 

「食べていい」

 

「水は?」

 

「飲んでいい」

 

「やった!」

 

 先ほどまでの疲れはどこへ行ったのか。カティは勢いよく背嚢を開いた。

 

「待て」

 

「なに?」

 

「その食料は汚染地帯を通ってきた」

 

 干し肉へ伸びていた手が止まった。

 

「……食べていいって言ったじゃん」

 

「ここで手に入れた物ならな」

 

「ないじゃん!」

 

「だから町へ行く」

 

 シュウはそう言って歩き出す。背後から盛大なため息が聞こえた。

 

「もうやだ、この土地……」

 

 二人は再び歩き始めた。目的の町までは、それほど遠くない。地図が正しければ、あと数時間も歩けば到着するはずだった。そこで食料と水を補給する。可能なら宿を取り、数日休む。汚染地帯を抜けたばかりのカティを休ませる必要もある。シュウ自身も弾薬や薬品を確認したかった。

 

 予定では、そうなるはずだった。

 

 

 

 

「……ここ?」

 

「ああ」

 

「町、だよね?」

 

「ああ」

 

 カティは目の前の光景を見つめた。

 

「ないけど」

 

 シュウは答えなかった。二人の前に広がっていたのは、町と呼べるものではなかった。

 

 崩れた家々。屋根は落ち、壁だけになった建物が道の両側に並んでいる。道には背の高い雑草が生い茂り、ところどころ土に埋もれていた。人の姿はない。家畜もいない。煙突から煙が上がっている家もなかった。風が吹くたび、錆びた看板が軋んだ音を立てる。

 

「場所、間違えたんじゃない?」

 

「いや」

 

 シュウは地図を広げた。周囲の地形と道を確認する。

 

「ここで合っている」

 

「じゃあ……」

 

 カティがもう一度、町を見る。

 

「滅んじゃったの?」

 

「そうらしいな」

 

 二人は町へ入った。

 

 シュウは周囲を警戒しながら、ゆっくりと通りを進む。戦闘があった形跡はある。

壁には弾痕が残り、何軒かの建物は焼け落ちていた。道の端には壊れた荷車が転がっている。だが、どれも新しくはない。

 

 シュウは一軒の家の前で足を止めた。

 

 崩れかけた軒先。腐食した木材。室内まで入り込んだ植物。窓枠に指を這わせる。

 

「最近じゃないな」

 

「どれくらい?」

 

「正確には分からん」

 

 シュウは周囲を見渡した。

 

「少なくとも数年は経っている」

 

「数年……」

 

 カティは肩を落とした。

 

「じゃあ、ご飯は?」

 

「ないだろうな」

 

「水は?」

 

「井戸が生きていれば使える」

 

 その言葉に、カティの顔が少し明るくなる。二人は町の中を探した。

 

 だが、井戸は見つかったものの、中を覗いたシュウはすぐに首を振った。

 

「駄目だ」

 

「なんで?」

 

「枯れている」

 

「……ほかは?」

 

「探す」

 

 食料品を扱っていたらしい店にも入った。棚は空だった。倉庫も調べた。何もない。残っていたのは、割れた瓶や空になった木箱ばかりだった。

 

 使えそうな物資は、町が滅びる前に持ち出されたか、その後ここを訪れた誰かに回収されたのだろう。

 

 日が傾き始めたころ。二人は町外れを歩いていた。

 

「お腹すいた……」

 

「知っている」

 

「喉も渇いた」

 

「それも知っている」

 

「もう歩けない」

 

「さっきも聞いた」

 

「シュウ」

 

「なんだ」

 

「なんか出して」

 

「何をだ」

 

「ご飯」

 

「ない」

 

「水」

 

「ない」

 

「役に立たない」

 

「そうか」

 

 カティが恨めしそうにシュウの背中を見る。だが、シュウも状況が良くないことは理解していた。特に水だ。食料なら数日は我慢できる。しかし水はそうはいかない。汚染地帯を抜けるまで、摂取を最低限に抑えていた。今日中に安全な水源を確保したかった。

 

「……ん?」

 

 シュウが足を止めた。

 

「どうしたの?」

 

 返事はない。シュウは道から外れ、草むらへ入っていく。

 

「ちょっと、どこ行くの?」

 

「これだ」

 

 カティも後を追った。そしてシュウの隣へ立つ。

 

「……なにこれ?」

 

 草木に覆われたコンクリートの壁があった。最初は崖の一部にも見えた。だが違う。明らかな人工物だ。地面へ潜り込むように、巨大なコンクリート構造物が造られている。その中央には、金属製の巨大な扉。人が出入りするためだけとは思えないほど大きい。扉の脇には、錆びて読めなくなった文字と、かすかに残った紋章があった。

 

 シュウが近づく。

 

「帝国の施設だ」

 

「軍の?」

 

「いや」

 

 表面の汚れを手で払う。消えかけた文字が姿を現した。

 

「民間用だ」

 

「何の施設?」

 

 シュウは巨大な扉を見上げた。

 

「シェルターだ」

 

「シェルター?」

 

「大戦時の避難施設だ。空襲や毒ガス、汚染物質から住民を守るために造られた」

 

 カティが扉を見る。巨大なゲートは半分ほど開いていた。その向こうには暗闇が続いている。

 

「中にあるかな?」

 

「何がだ」

 

 カティは背嚢を指差した。

 

「食べ物」

 

「……備蓄施設はあるはずだ」

 

「水は?」

 

「貯水槽か浄水設備がある」

 

「入ろう」

 

 即答だった。

 

「待て。ガスマスクを着けろ」

 

「また?」

 

「内部の空気が安全とは限らん」

 

「あー……」

 

 そう言うとカティは渋々ガスマスクを着けた。

 

 ライトを点けたシュウが先頭に立つ。拳銃を構え、開いたゲートの隙間から内部を照らす。コンクリート製の通路。壁には太い配管が何本も走っている。床には埃が積もっていた。人が出入りした形跡はない。

 

「行くぞ」

 

「うん」

 

 二人は巨大なゲートを通過した。カティが後ろを振り返る。外の光が遠ざかっていく。

 

「食べ物残ってるかな」

 

「期待するな」

 

「缶詰なら残ってるんじゃない?」

 

「まあ、あるかもしれんが保存状態はよくなさそうだ」

 

「お腹すいてるもん。問題ないよ」

 

「腹を壊すぞ」

 

「人造人間ってお腹壊さないの?」

 

「壊さない」

 

「じゃあ毒見役はできないね」

 

「腐っているかどうかは流石にはわかる」

 

 そんな会話をしながら数十メートル進んだ、その時だった。

 

 低い機械音が響いた。シュウが振り返る。

 

「……まずい」

 

「え?」

 

 巨大なゲートが動いていた。数百年間動いていなかったとは思えないほどゆっくりと、しかし確実に扉が閉じていく。

 

「ちょっ……!」

 

 カティが走り出そうとする。

 

「待て!」

 

 シュウが腕を掴んだ。

 

「閉じちゃう!」

 

「間に合わん!」

 

 巨大な扉が閉じる。最後に残っていた外の光が細くなり――消えた。

 

 ズンと重い音が地下施設全体へ響いた。暗闇だ。シュウとカティのライトだけが通路を照らしている。

 

「……」

 

「……」

 

 直後。天井のどこかから、ノイズ混じりの音声が流れた。

 

『外部環境の安全基準を確認できません』

 

 カティがゆっくり天井を見る。

 

『シェルターを閉鎖します』

 

「……シュウ」

 

「なんだ」

 

『居住者の安全確保のため、外部への退出は禁止されています』

 

「閉じ込められた?」

 

「ああ」

 

「……どうするの?」

 

 シュウは閉ざされた巨大な扉を見上げた。

 

「まずは水と食料を探す」

 

「そこ!?」

 

「腹が減っているんだろう」

 

「減ってるけど!」

 

 シュウはライトを前方へ向けた。光の先には、地下深くへ続く長い通路が伸びていた。

 

 

 

 

 閉ざされたゲートを調べても、結果は変わらなかった。

 

 扉の横には操作盤が設置されていたが、何度ボタンを押しても反応しない。非常用の開閉装置も同様だった。にもかかわらず、先ほどゲートは動いた。

 

 シュウは操作盤から手を離した。

 

「駄目だな」

 

「開かない?」

 

「ああ」

 

 ガスマスク越しに、カティが大きなため息をついた。

 

「どうするの?」

 

「さっき言っただろう。まず水と食料を探す」

 

「出る方法じゃなくて?」

 

「それも探す」

 

 シュウはライトを通路の奥へ向けた。

 

「だが、出口を見つけても、その前にお前が倒れたら意味がない」

 

「……お腹も空いた」

 

「知っている」

 

 二人は通路を進んだ。巨大なシェルターだけあって、内部は広かった。

 

 壁や天井には無数の配管とケーブルが走っている。ところどころに案内板が設置され、居住区、医務室、食堂、機械室などの文字が並んでいた。

 

 そのほとんどは錆や汚れに覆われている。シュウは案内板を確認すると、その一つへライトを向けた。

 

「セキュリティルームが近い」

 

「何かある?」

 

「施設の情報が残っているかもしれん」

 

 通路を曲がると、すぐに小さな部屋が見つかった。

 

 扉は開いている。シュウが先に中へ入り、カティが後に続いた。壁際には机が並び、その上には何台もの端末が置かれていた。正面の壁には大型のモニターがあった。別の壁にはシェルター内部を映していたらしい小さな画面が何十枚も並んでいる。だが、どれも真っ暗だった。

 

「動かないの?」

 

「電源が来ていない」

 

 シュウが端末のスイッチを押す。反応はない。机の下や壁際も調べるが、使えそうなものは見つからなかった。

 

「さっき扉は動いたよね?」

 

「ああ」

 

「なのに電気はないの?」

 

「施設全体の電源が生きているとは限らん。ゲートだけ独立した非常電源で動いている可能性もある」

 

「ふーん……」

 

 カティは分かったような、分かっていないような返事をした。

 

 シュウは机の引き出しを開けていく。書類や筆記具。何かの古びた鍵。役に立ちそうなものはない。

 

 壁に掛けられていた施設案内図だけを確認して、部屋を出た。

 

「次は?」

 

「食堂」

 

「食堂!」

 

 急にカティの声が明るくなった。

 

「期待するな」

 

「まだ何も言ってないじゃん」

 

「顔を見れば分かる」

 

「ガスマスクしてるのに?」

 

「声で分かる」

 

「…………」

 

 食堂はセキュリティルームからそれほど離れていなかった。

 

 両開きの扉を押し開ける。ライトの光が広い室内を照らした。いくつもの長机と椅子が規則正しく並んでいる。奥には調理場がある。何百人もの人間が一度に食事を取れるほどの広さだった。

 

 カティは真っ先に調理場へ向かった。棚を開ける。

 

「ない」

 

 次の棚。

 

「ない」

 

 さらに次。

 

「ない!」

 

「だから期待するなと言っただろう」

 

「食堂なのに!」

 

「数百年前の施設だぞ」

 

 シュウも食料庫を調べた。棚はほとんど空になっていた。床には朽ちた木箱や包装材が残されているが、中身はない。シェルターが放棄される前に食べ尽くされたのだろう。

 

「なんにもない……」

 

 カティが肩を落とす。

 

「次に行くぞ」

 

「ちょっと待って」

 

 カティは未練がましく棚を漁っている。

 

「絶対どっかにあるって」

 

「何が」

 

「食べ物」

 

「諦めろ」

 

「シュウはお腹空かないからそんなこと言えるんだよ」

 

「空腹は感じる」

 

「その辺の草でも食べられるくせに」

 

「食えることと食いたいことは別だ」

 

「贅沢」

 

 シュウは無視した。そのまま調理場の奥を調べていると、ライトの光が棚の下で何かを照らした。

 

「ん?」

 

 しゃがみ込む。

 

 埃を被った金属製の容器がいくつか残っていた。手に取って表面を拭う。

 

「何かあった?」

 

 カティがすぐに寄ってくる。

 

「水だ」

 

「水!?」

 

 反応が早かった。シュウの手にあるのは、円筒形の小さな缶だった。

 

 表面には帝国時代の文字で飲料水と記されている。

 

「それ、水なの?」

 

「ああ。非常備蓄用だ」

 

「飲める?」

 

「数百年前のものだぞ」

 

「でも水でしょ?」

 

「容器が劣化していれば中身も汚染されている」

 

 カティの表情が露骨に曇った。シュウは残っていた缶を確認する。

 

 全部で七本。錆びているものもあるが、目立った腐食のない缶もあった。そのうち一本を選ぶ。表面を拭い、封を開けた。

 

 カティがじっと見ている。

 

「飲むの?」

 

「確認する」

 

 シュウはまず匂いを確かめた。異常はない。少量を口に含む。

 

「…………」

 

「どう?」

 

 飲み込む。しばらく待つ。内部センサーにも異常はない。

 

「問題ない」

 

「ほんと!?」

 

「ああ」

 

「ちょうだい!」

 

「待て」

 

 シュウは周囲を見回した。

 

 シェルターへ入ってから、それなりの時間が経っている。シュウ自身のセンサーにも、人体へ即座に害を及ぼすような物質は検出されていない。少なくとも、この区画の空気に問題はなさそうだった。

 

「ガスマスクを外していい」

 

「ほんと?」

 

「ああ。空気も問題ない」

 

 その言葉を聞くなり、カティはガスマスクを外した。

 

「暑かったぁ……」

 

 額に張り付いた金髪を払いながら、大きく息を吸う。シュウが先ほど開けた缶を差し出した。

 

「一気に飲むなよ」

 

「分かってる」

 

 カティは缶を受け取った。口をつける。

 

「……!」

 

 ごく、ごく、と喉が鳴った。

 

「おい」

 

 ごくごくごく。

 

「一気に飲むなと言っただろう」

 

「ぷはぁっ!」

 

 カティは缶から口を離した。大きく息を吐く。

 

「おいしい……!」

 

「ただの水だ」

 

「おいしい!」

 

 再び缶へ口をつける。今度は止めなかった。カティは貪るように水を飲み続け、あっという間に一本を空にした。

 

「はぁ……」

 

 空になった缶を両手で持ったまま、満足そうに息を吐く。

 

「生き返った……」

 

「大袈裟だ」

 

「シュウには分かんないよ」

 

「そうかもな」

 

 シュウは残った缶を確認した。状態の悪いものを除いても、あと五本は持っていけそうだ。一本ずつ表面を拭い、背嚢へ入れていく。

 

 十分とは言えない。食料もまだ見つかっていない。それでも、つい先ほどまでと比べれば状況はずっと良くなった。

 

「これで少しは余裕ができたな」

 

「うん」

 

 カティはガスマスクを背嚢へしまった。

 

「じゃあ次はご飯だね」

 

「出口だ」

 

「ご飯」

 

「出口」

 

「ご飯!」

 

「……探しながら出口も探す」

 

「よし」

 

 何が「よし」なのか。

 

 シュウは何も言わず、食堂の出口へ向かった。

 

 その背後を、少しだけ元気を取り戻したカティがついていった。

 

 

 

 

 食堂を出た二人は、再び薄暗い通路を歩き始めた。

 

 水を確保できたことで、先ほどまでの焦りは多少薄れている。もっとも、状況そのものが改善したわけではない。巨大なゲートは閉ざされたまま。食料も見つかっていない。何より、このシェルターがどれほどの規模なのかすら分かっていなかった。

 

「次はどこ?」

 

 少し元気を取り戻したカティが尋ねる。

 

「居住区だ」

 

「ご飯ありそう?」

 

「ないだろうな」

 

「なんで行くの?」

 

「この施設について調べるためだ」

 

「ご飯探そうよ」

 

「出口を探しているんだ」

 

 シュウは壁に残された案内表示を確認した。矢印に従い、通路を進む。

やがて二人の前に、それまでとは違う光景が現れた。

 

「……広い」

 

 カティが呟いた。

 

 左右に無数の扉が並んでいる。一部屋ずつはそれほど大きくない。

 

 シュウが最初の扉を開けた。ライトの光が室内を照らす。二つの二段ベッド。小さな机。壁際の棚。それだけで部屋のほとんどが埋まっていた。

 

「ここで暮らしてたの?」

 

「ああ」

 

「何人くらい?」

 

「この部屋なら四人だろう」

 

 さらに奥へ進む。同じような部屋が延々と続いている。通路の先にも別の区画がある。まだ居住区が続くらしい。

 

「何人いたんだろ」

 

「少なくとも数百人規模だ」

 

「そんなに?」

 

「大戦時の民間シェルターだからな」

 

 カティは近くの部屋へ入った。棚を開ける。

 

「何もない」

 

「勝手に離れるな」

 

「見えるところにいるじゃん」

 

 別の棚を開ける。中には古びた衣類が残っていた。触れただけで崩れてしまいそうなほど劣化している。

 

「服だけかぁ」

 

「食料を部屋に持ち込むことは禁止されていた可能性が高い」

 

「なんで?」

 

「限られた物資を公平に分配するためだ」

 

「ケチ」

 

「そういう問題じゃない」

 

 カティは頬を膨らませながら部屋を出た。

 

 そのときだった。

 

「あ」

 

 カティが足を止める。

 

「シュウ」

 

「なんだ」

 

「これ」

 

 壁を指差した。シュウがライトを向ける。そこには色褪せた絵が残っていた。青い空。赤い太陽。緑色の草原。そして、その中央に立つ何人かの人間。子供が描いたものだろう。隣には、何かの動物らしきものまで描かれている。

 

「落書き?」

 

「そうらしい」

 

「怒られなかったのかな」

 

「さあな」

 

 カティはしばらく絵を眺めていた。

 

「空、青かったんだね」

 

「今でも晴れれば青い」

 

「そうじゃなくて」

 

 カティは絵を指差した。

 

「この子、外に出たかったのかなって」

 

 シュウは答えなかった。再び歩き始める。カティも一度だけ絵を振り返ってから、その後を追った。

 

 

 

 

 居住区を一通り調べても、食料は見つからなかった。代わりに、ここで大勢の人間が生活していた痕跡だけが次々と見つかった。食事の配給表。清掃当番。医務室の利用時間。共同浴場の使用時間。子供たちに勉強を教えていたらしい教室まであった。

 

 ここは単なる避難場所ではない。長期間、人間が生活することを想定して造られた施設だった。だが――。

 

「変だな」

 

 シュウが足を止めた。

 

「何が?」

 

「死体がない」

 

 カティが黙った。シュウは周囲を見る。

 

「数百人が生活していた。食料は完全になくなっている。それなのに、ここまで人骨を一つも見ていない」

 

「みんな外に出たんじゃない?」

 

「ゲートは?」

 

「あ……」

 

 カティも気付いた。先ほどの放送。

 

『外部環境の安全基準を確認できません』

 

『居住者の安全確保のため、外部への退出は禁止されています』

 

 同じ状態が大戦当時にも起きていたとすれば。

 

「閉じ込められてた?」

 

「可能性はある」

 

「じゃあ、どうやって……」

 

「それを調べる」

 

 二人はさらに奥へ進んだ。居住区を抜ける。その先にあったのは管理区画だった。

これまでよりも扉が頑丈になっている。そして、その一つが大きく歪んでいた。

 

 シュウが立ち止まる。

 

「下がれ」

 

 拳銃を構える。カティも背中の散弾銃へ手を伸ばした。

 

 シュウが扉を押す。錆びた金属音を響かせながら、扉が開いた。ライトを向ける。

 

「……あ」

 

 カティの声が小さくなった。

 

 部屋の奥。机にもたれかかるように、人骨が座っていた。ぼろぼろになった衣服を身につけている。胸元には、腐食した金属製の徽章。

 

 シュウはゆっくり近付いた。

 

「ここにいたんだ……」

 

「ああ」

 

 このシェルターへ入ってから初めて見つけた死体だった。

 

 シュウはしゃがみ込む。骨の状態を確認する。頭蓋骨の側面が大きく陥没していた。床には錆びた金属棒が転がっている。

 

「殺された?」

 

「おそらくな」

 

「誰に?」

 

「ここの住民だろう」

 

 カティが顔をしかめる。

 

「なんで……」

 

 シュウは答えず、机の上へライトを向けた。紙の記録はほとんど朽ちている。だが、金属製の保管箱の中に何冊かの記録簿が残っていた。慎重に開く。

 

 文字の多くは読めなくなっていた。それでも、断片的には残っている。

 

『外部環境測定装置との通信途絶』

 

『安全基準確認不能』

 

『シェルター閉鎖継続』

 

 ページをめくる。

 

『備蓄食料残量――』

 

 数字は消えている。

 

 さらに次。

 

『居住者よりゲート開放要求』

 

『却下』

 

 その次。

 

『食料配給量を再度削減』

 

『一日二食から一食へ変更』

 

 カティが横から覗き込んでいた。

 

「食べ物、なくなったんだ」

 

「ああ」

 

 さらにページをめくる。

 

『外部環境の安全が確認されるまで、ゲート開放は認められない』

 

『規定に従い――』

 

 そこから先は読めなかった。

 

「この人が開けなかったの?」

 

「そうらしい」

 

「食べ物なくなってるのに?」

 

「外が安全だという保証もなかった」

 

「でも、このままだったら……」

 

「中にいても死ぬ」

 

 シュウは記録簿を閉じた。

 

「外に出れば死ぬかもしれない。ここに残れば、いずれ食料が尽きる」

 

 カティは人骨を見る。

 

「じゃあ、この人はどうすればよかったの?」

 

「さあな」

 

 シュウは立ち上がった。

 

「正解があったとは限らん」

 

 部屋を見回す。倒された机に壊された棚。そして叩き壊された扉。そして一人だけ残された監督官。

 

 何が起きたのかは想像できた。

 

 食料が減る。配給量が減らされる。それでもゲートは開かない。外へ出せと要求する住民。安全が確認できない以上、開放できないと拒否する監督官。

 

 そして――。

 

「反乱か」

 

 シュウが呟いた。

 

「この人を殺して?」

 

「ああ」

 

「それでゲートを開けたの?」

 

「いや」

 

「なんで?」

 

「監督官を殺したところで、安全装置までは止まらなかったんだろう」

 

 カティが目を丸くする。

 

「じゃあ意味ないじゃん」

 

「そうだな」

 

「じゃあ、みんなは?」

 

 シュウは部屋の外へライトを向けた。

 

「別の方法を見つけたはずだ」

 

 

 

 

 二人はさらにシェルターの奥へ進んだ。

 

 倉庫。医務室。発電設備。浄水施設。

 

 どこにも死体はない。

 

 しかし、奥へ進むほど奇妙なものが目につくようになった。

 

 工具がない。

 

 本来なら壁に掛けられていたはずのハンマーや大型レンチが、ほとんど持ち出されている。機械室では、削岩機までなくなっていた。

 

「泥棒?」

 

「違う」

 

「じゃあ何?」

 

「どこかで使ったんだ」

 

 その答えは、シェルターの最深部で見つかった。

 

「……うわ」

 

 カティが立ち止まった。

 

 コンクリートの壁。そこに巨大な穴が開いていた。人が一人通れるなどという大きさではない。何十人もの人間が行き来できるほどの穴だ。鉄筋は切断され、分厚いコンクリートは削り取られている。床には大量の破片が残っていた。

 

 シュウは穴へ近付いた。ライトを向ける。その先には、岩盤を掘り進めた狭い坑道が続いていた。

 

「これ……」

 

 カティも隣へ来る。

 

「住民が掘ったの?」

 

「ああ」

 

「何人で?」

 

「さあな」

 

 シュウは壁面を触った。荒々しい掘削跡。機械で削った場所や手作業で砕いた場所。途中から木材や金属で補強までされている。一日や二日で造れるものではない。

 

「ゲートが開かないから……」

 

「自分たちで出口を作ったんだろう」

 

 カティは坑道の奥を見つめた。

 

「じゃあ、みんなここから逃げたんだ」

 

「おそらくな」

 

「助かったんだね」

 

「それは分からん」

 

「え?」

 

「外に出た後のことまでは分からない」

 

 カティの表情が少し曇った。

 

 シュウは坑道へライトを向けたまま続ける。

 

「だが、少なくともここで餓死はしなかった」

 

「……そっか」

 

 カティはもう一度、巨大な穴を見る。

 

 何百年も前。食料が尽きかけた地下。開かないゲート。外が安全なのかも分からない。それでも、ここにいた人々は壁を壊した。生きるために。

 

「人間ってすごいね」

 

 カティが呟いた。

 

 シュウは彼女を見る。

 

「そうだな」

 

 短く答えた。そして背嚢を背負い直す。

 

「行くぞ」

 

「この穴から?」

 

「ああ。ゲートを開けるより早い」

 

 カティも背嚢を背負った。

 

 坑道へ入ろうとして、ふと足を止める。

 

「シュウ」

 

「なんだ」

 

「この人たち、出口があるなら印くらい書いておいてくれればよかったのに」

 

「数百年後に俺たちが閉じ込められるとは思わなかったんだろう」

 

「不親切」

 

「水は残してくれた」

 

「あ」

 

 カティは背嚢の中に入れた水の缶詰を思い出したらしい。

 

「じゃあ許す」

 

「何様だ」

 

 二人は坑道へ入った。シュウのライトが暗闇を照らす。

 

 その光の先には、何百年も前に生きようとした人々が掘り抜いた道が、今も残っていた。

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