シャーリーがこの施設の正体を明かしたその時だった。
突然廊下から悲鳴が聞こえてくる。シュウが振り返ると、扉の前を警備していた二人の傭兵の姿が消えていた。その場には傭兵のものと思われる自動小銃と、血の痕だけがべっとりと残っている。
敵襲か。シュウは連れ去られた傭兵の自動小銃を拾い上げると、素早くコッキングレバーを引き、初弾を薬室に送り込む。安全装置のセレクトレバーを連発に変え、カティを自分の後ろに隠した。敵がどう動いても対処できるようにする必要がある。狙撃銃では取り回しが悪すぎた。
「クソっ!」
ハンスが数名引き連れて廊下に出る。しかし、発砲音はしない。
数十秒もしない内に部屋の中に戻ってきた。ハンスは室内にいる人たちの顔を見て、首を横に振る。
「若いのに俺より先に死にやがって」
どうやら二人は助からなかったらしい。死んだ傭兵は知り合いだったらしく、ハンスは祈りらしき言葉をブツブツと呟いている。傭兵たちが死体袋へかつての仲間たちを収容している。一瞬だがシュウは死体に大きく抉られたような三本の引っ掻き傷があるのが見えた。
一瞬のうちに二人が殺された。その事実が部隊内に緩やかに浸透していく。
「な、何が起きた」
「敵は誰なんだ?」
「おいおい嘘だろ」
部隊内に動揺が走る。警戒することも忘れ、一瞬の間に起きた惨劇に翻弄される。依頼主のシャーリーも一体何が起きたのかほとんど理解できていない様子だった。ただ、人が二人死んだということだけはハッキリと分かったのか、目に見えて平静さを失っていた。混乱した表情で自分を責めている。
「ぎ、犠牲者が出ちゃった、どうしよ――」
「しっかりしろ小娘。依頼主だろ!」
狼狽するシャーリーを一喝するハンス。シャーリーがハッと我に返った。これではいけないとばかりに、自分の頬をピシャリと叩く。頬に赤い紅葉のマークがついた。
「痛っ……皆さん、どうやらこの施設には私たちを狙う何かがいるようです」
依頼主のシャーリーが話すことによって、全員が耳を傾ける。
「幸いこの施設の研究内容は判明しました。しかし狙われた状態で調査してもこれ以上捗りません。まだ一時間程しか調査していませんが、今回はこれで終了にして町に帰還します。もちろん報酬は通常通り支払います。この施設へは次回に戦闘特化のチームを組んで再度訪れる事にします。ハンスさん。遺体の回収はその後でよろしいでしょうか?」
「置いていきたくはないが、まあ仕方がないさ」
辛そうな顔をするハンス。
「全員に連絡。仲間は引っ掻き傷と噛み傷が原因で死んだ。獣のような生易しい傷じゃない。引っ掻き傷は防弾ベストを軽々と切り裂いて心臓にまで達していた。噛み傷に至っては上半身と下半身が辛うじて繋がっていたに過ぎない。ベストごと食い千切られたんだ。とんでもないミュータントがこの施設にはいる。」
全員が黙って聞く。その内容は恐ろしいものだった。
「じゃあ、トラックに戻るぞ」
「はい、ハンスさん指揮をお願いします」
シュウは事の成り行きを見守る。どうやら町に戻ることが決まったようだった。
銃に安全装置を掛けると、シュウはカティの顔を見る。呆然とした様子で立ちすくんでいた。カティの肩を叩き、問いかける。ビクッと反応する。
「カティ、大丈夫か?」
ゆっくりとシュウの方を向くカティ。その顔色は悪い。
「まだ足音が近くをうろついてる」
そう呟く。身体が震えていた。シュウはカティの頭を撫でて落ち着かせる。
まだ近くをうろついている、か。
シュウは掛けたばかりの安全装置を外した。
♢
二回目の注射を終えた後、装備を整え出発する。来た道は把握しているので最初ほど時間も掛からず順調に進んでいく。数分でA棟とB棟を繋ぐ長く広い渡り廊下に出た。窓の外からは草木が生い茂った中庭が見える。見たこともない植物ばかりなので、ここで作られたものか遠くから持ち込まれものだろう。
ありがたい事にここまで来て一度も接敵しなかった。カティが言うにはずっと追いかけて来ているらしく、少しも気が抜けない状況が続いている。
渡り廊下の中間に差し掛かったその時だった。
「上! 来る!」
カティが突然叫ぶ。周りの人たちは何事かとカティを見るが、すぐに『敵が来る』という意味だと気がついた。傭兵たちは戦闘準備に入り、私兵たちはシャーリーを囲むように陣形を組む。
「ダクトの中だ!」
ハンスが怒鳴り、天井のダクトに軽機関銃と短機関銃を撃つ。弾丸が天井の換気ダクトへ殺到した。
激しい銃声の中、ダクトの鉄板がひしゃげる。次の瞬間、何かが天井から転がり落ちた。
それは全身が異様に白い、人の形をした化物だった。手足だけが異様に長く、四肢を蜘蛛のように広げて着地すると、そのまま壁へ飛びつく。
「撃て!」
怒号とともに再び銃声が響く。壁を、天井を、地面と変わらぬ速度で這い回る化物へ弾丸が降り注ぐ。何発も命中する。肉が裂け、緑色の血が飛び散る。それでも止まらない。一発が頭に命中したが、頭を撃ち抜かれてなお壁を駆け回る姿に、誰もが息を呑んだ。
「化物め……!」
ハンスが吐き捨てる。
ミュータントは一瞬だけこちらを振り返ると、弾幕の薄い場所を見つけたように身を翻し、壊れたダクトへ飛び込んだ。
すぐに銃声が止む。
ミュータントが壁のダクトの中に逃げ込んでいく。追撃は不可能だった。
奇襲が失敗したと悟ると、すぐに撤退する知能を持つミュータント。それは非常に厄介な敵であった。
「クソ。逃げられた」
ハンスがダクトを覗き込み、悪態をつく。
撃退に成功した。部隊内では喜ぶもの、仇を取れなかったと悔やむもの、何か感じる余裕すらないものなど様々な思いが交錯している。
シュウはカティが無事か確認しようと視線を移す。
「シュウ!」
悲鳴のような声。
同時にカティが体当たりするようにシュウを突き飛ばした。ガコン、と頭上で金属が外れる音。換気口の蓋が落ち、その穴から再び白い影が飛び出した。
さっき逃げたはずのミュータントだった。油断を誘ってまた奇襲してきたのだ。鋭い爪が空を切る。狙われていたのは、シュウだった。突き飛ばされたことで一撃は外れる。しかし勢いの止まらないミュータントは、そのままカティへ覆い被さるように倒れ込んだ。
「カティ!」
シュウは尻餅をつきながら自動小銃を構え、引き金を引く。しかし弾は出なかった。見ると、さきほどの爪が銃の機関部を深く抉っていた。内部のバネと部品が飛び出し、完全に壊れている。
「くそっ!」
ハンスも銃を向ける。だが撃てない。カティごと撃ち抜く危険があった。
一瞬。ほんの一瞬だけ、全員の動きが止まる。
「うあああっ!」
その沈黙を破ったのはカティだった。
シュウから預かっていた四十五口径拳銃を夢中で抜き放ち、ミュータントへ何度も引き金を引く。轟音。至近距離から放たれた大口径弾が胴体を次々と撃ち抜く。さすがのミュータントも大きくのけ反った。
「今だ!」
ハンスの叫びと同時に十字砲火が浴びせられる。緑色の血が飛び散る。それでもミュータントは諦めなかった。傷だらけの身体を引きずり、再びダクトへ這い上がろうとする。
「また逃げるぞ!」
しかし、これだけの時間が貰えればシュウには充分だった。
銃身を膝の上に乗せ、座った状態で狙撃銃を構える。距離は五十メートル程。余裕の必中距離だ。狙撃兵にとっては外すほうが難しい。
低倍率スコープを覗き込み、狙いを定め、息を止め、撃つ。ライフルは轟音を上げ、ミュータントの頭が弾けとんだ。ミュータントはそのまま数歩這いずった後、倒れ動かなくなった。身体をビクビクと痙攣させている。
動かなくなったミュータントを見て歓声が上がる。シュウとハンスは急いでカティの元へ駆け寄る。
「大丈夫かカティ!」
「多分、平気だよ」
「ああ、よかった無事だな」
意外と元気な様子でカティが返事をする。どうやらミュータントがシュウへ攻撃したことで落下の勢いが殺されたことと、ミュータント自身の体重が軽かったことが掠り傷で済んだ要因だろう。シュウは狙撃銃を肩にかけるとカティを抱き上げた。「わわっ」とカティが顔を赤くして驚く。
「恥ずかしいんだけど」
「さっきから立ち上がろうとしないからな。腰が抜けたんだろ」
「あはっ。バレた?」
今になってから恐怖で身体が動かなくなったのだろう。カティの身体が小刻みにプルプルと震えている。
「まあ普通の人間ならそうなるだろ……う?」
ハンスの顔が固まる。視線は一箇所に釘付けだった。
「なあ。『奴の死体は何処に消えた?』」
♢
撤退を開始して三十分。
シュウがカティの手を引いて走る。先ほどからずっと走り続けている。カティは息を切らしており、足取りは鉛のように重い。
シュウが振り返り狙撃銃を構え、撃つ。ミュータントの足が弾け飛んだ。バランスを崩して倒れる。頭を狙ったはずだったが、気にしている暇はなかった。
「こっちだ! 走れ!」
ハンスが前方から援護射撃をする。四つの腕を使って二丁の機関銃を連射する。発射された弾丸は倒れたミュータントの頭に容赦なく何発も突き刺さる。なまじ人間に似た姿をしているので、見ていて気分のいいものではない。ミュータントは緑色の血を撒き散らして動かなくなる。
頼むからそのまま死んでくれ。シュウが呟く。
「クソ! まだ再生しやがるのか、このクソったれ!」
ハンスが感情を露わにして罵声を吐く。
倒れたミュータントの身体がドロドロの液状になり、一つにまとまる。そして数秒もせずに元の形に戻った。再びシュウたちに向かって走り出す。凄まじい程の再生能力だった。
無傷の状態に戻ったミュータントが悲鳴のような咆哮を上げる。まるで衝撃波のようだった。非常灯が次々と割れていく。カティはその咆哮に怯え、耳を塞ぐ。咆哮を聞いた瞬間、足が止まる。頭では逃げろと分かっている。それなのに身体が動かない。
「クソ! 詰まった!」
ハンスが叫ぶ。ハンスは動作不良を起こした軽機関銃のコッキングレバーを何度も引っ張る。短期間で撃ち過ぎて銃がおかしくなったのだろう。援護射撃は期待できない。
シュウが狙撃銃を撃とうとするが、いつやられたのか銃自体が歪んでいた。これではまともに使えない。舌打ちをして狙撃銃を捨てると、カティのベルトから拳銃を引っこ抜き弾倉を入れ替えミュータントの頭を狙って数発撃つ。五発連続で頭に命中して再び倒れた。運が良かった。しかしすぐに再生が始まる。
「カティ! 走れ!」
カティを引き起こすと、フラフラとよろめきながらハンスの元へ走る。
ジリ貧だった。この撤退戦で何人もの仲間が殺され、その他のはぐれたメンバーも生きているのかすら分からない。装備は使い果たし、銃は弾切れに故障。身体はボロボロで歩くことがやっとの状態だ。現状はまさに最悪の状況と言える。
自分がやるしかない。シュウは手榴弾をポケットから取り出す。爆発威力が大きい攻撃型手榴弾だ。流石にコレを食らったらあのミュータントでも再生に時間が掛かるだろう。
「ハンス、俺が奴を止める。だからカティを頼む」
「何をするつもりだ?」
シュウは不適な笑みを浮かべ、無言で手に持った物を見せる。それを見てハンスは一瞬驚愕した表情を浮かべる。しかし、それしか手段がないと悟ったのか、辛そうな顔で頷く。
「わかった。まかせろ」
「頼む」
シュウは弾を込めた拳銃をカティのベルトに戻すと、ハンスから離れた。
突然逆走を始めたシュウを見て、カティが目を見開く。
「シュウ!?」
カティがハンスから逃れてシュウの後を追おうとするが、ハンスの力には勝てない。カティが悲痛な表情を浮かべ、悲鳴の様な声で叫び続ける。
「シュウ、待ってよっ!」
「駄目だ! 行くぞ!」
「いやっ! 離して!」
「シュウ!」
背後のカティの声が離れていく。シュウは一人、「すまない」と呟くとミュータントに向かって真っ直ぐ歩く。再生を終えたミュータントが咆哮を上げた。
「ほらこいよ。俺は丸腰だぞ」
ミュータントが隙だらけのシュウに飛び掛かった。シュウはそれを避けてミュータントの背中にパンチを叩き込む。狙ったのは首元だったが、相手が避けようとしたため、パンチは背中に当たった。ゴキリと嫌な音を立てる。ミュータントが悲鳴を上げた。
「硬いな」
人造人間であるシュウは人間以上の力が出せる。通常の人間と同じぐらいの硬さであれば、パンチだけでも相手の身体を陥没させ、骨と内蔵を破壊することが可能だ。しかし、どうやらミュータント相手には致命傷にならなかったようだ。
ミュータントは薙ぎ払うように腕を振り回す。回避し損ねたシュウは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。身動きできないようにするためか、ミュータントがシュウに馬乗りになる。
真っ白な人間の身体に、異常に長い獣のような腕と足を持ったミュータントは、勝ち誇ったように咆哮を上げる。
もう勝ったつもりか。
「間抜けめ」
シュウの手にある手榴弾の安全レバーが弾け飛ぶ。それを見たミュータントが表情を変えた。
――ほう、コレが何か分かるのか。お前は。
シュウが笑みを浮かべる。いつもと違う、不気味なほどに口角の上がった笑みだ。
次の瞬間、施設全体を揺るがす爆発が轟いた。