俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
平日の午前九時。
東京都内の閑静な住宅街に、森川家の二階建て一戸建てはあった。築二十年を少し超えた外壁には程よく生活感が染みついているが、手入れは悪くない。
すでに玄関の鍵は二度開け閉めされ、父と母はそれぞれの職場へと向かった後だった。家の中に残っているのは、二階の角部屋にこもる直哉ただ一人。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、木製の本棚に並んだ昔ながらの漫画の背表紙と、黒いデスクの上に鎮座する大きめのゲーミングPCを照らしている。
森川直哉、三十四歳。
現在、無職。
肩書きがない状態になってから、十一ヶ月目に入っていた。
なぜこんな生活を送っているのかといえば、理由は拍子抜けするほどありふれている。大学を出てから十年以上、中堅の商社でサラリーマンとして勤め上げていた。労働自体を嫌悪していたわけでも、社会と関わることが苦だったわけでもない。ただ、長年にわたって慢性的な人手不足と徹夜続きの現場に放り込まれ、最後は逃げ出すようにして辞表を置いてきた――それだけのことだった。
最初の数ヶ月は「心身のメンテナンス期間」と称して泥のように眠り、半年が過ぎた頃には「そろそろ履歴書を作らないと」と求人サイトを眺め、気がつけば一年近い歳月が溶けていた。
今となっては、たまに連絡が来る大学時代の友人に対して、
「仕事?」
「ブラック過ぎて辞めた」
「一年近くニートしてるけど、それが何?」
と、あえて悪びれずに即答できるくらいの面構えは身についている。世間体を気に病むくらいなら、プライドごとドブに捨てて平然と構えていた方が心が楽だった。
だが、もちろん本気で今のまま逃げ切れると考えているわけではない。口座に残る退職金と貯金は減る一方だし、実家暮らしで家賃がかからないからと甘えていても、いつかは底をつく。迫り来るタイムリミットの足音を背中で聞きながら、重い腰を上げるきっかけを掴めずにいる――そんな、ありふれたモラトリアムの延長戦を過ごす男の、ごく普通の朝のはずだった。
ベッドの端に腰掛け、寝癖のついた頭を掻いていた直哉の視線が、不意に中空で止まった。
「……ん?」
右目の視野の端、斜め上のあたりに、小さく赤い丸が点灯していた。
最初は、夜遅くまでパソコンの画面を睨み続けていたせいで眼球にゴミでも付いたのか、あるいは飛蚊症の一種かと思った。ゆっくりと長めに瞬きを繰り返す。
赤い丸は消えない。
目頭を指で強く押さえ、涙がにじむほど強くこすってみる。
それでも消えない。
試しに左目を手で覆い、右目だけで室内を見回し、さらに右目を閉じて左目だけで確認してみる。妙なことに、片目だろうが両目だろうが、その赤い丸は「視界の右上」という固定された座標に張り付いたまま、一ミリたりとも動かなかった。
「……なんだこれ」
単なる視覚のバグではない。そう直感して、直哉がその「赤い光点」へと意識を強く向けた、ちょうどそのときだった。
空間に何も投影されていないはずの部屋の空気が微かに歪み、視野の前面を覆い尽くすようにして、極めて鮮明な半透明のインターフェースが広がった。
『《因果集結クロニクル》』
『INITIALIZATION COMPLETE』
『集結者登録が完了しました』
『ようこそ』
白と金を基調とした美麗なエフェクトが流れるように光り、画面中央にテキストが浮かび上がった。
直哉は息を呑み、ベッドの縁に座った姿勢のまま凍りついた。
「…………」
視線を横の壁へ外してみても、展開されたパネルは眼球の動きに追従してくる。声を出すことで、自分の頭が正常かどうかのテストを試みた。
「何これ」
真っ先に疑ったのは、脳の病気か、精神的な限界から来るリアルな幻覚だった。昼夜逆転気味でネットの海を回遊するだけの生活に、脳の神経が耐え切れなくなって奇妙な信号を出しているのではないか。
直哉は自分の右頬を思い切り両手で挟み、強くつねった。
「痛っ……」
ごく普通の物理的な鋭い痛みが頬を走る。夢ではないらしい。
続いてデスクの上にあるスマートフォンへ手を伸ばし、カメラアプリを起動して目の前の空間をレンズ越しに覗き込んだ。だが、スマホの画面に映し出されるのは、少し散らかった自分の部屋の景色だけだった。シャッターを切って保存した画像を拡大してみても、視界に浮かぶ謎のウィンドウの痕跡すら残っていない。
誰かが部屋に仕掛けたホログラムでもなければ、ARグラスをかけているわけでもない。完全に「自分の脳か視覚に直接干渉する形」で、自分ひとりにだけ見えている現象のようだった。
未知の心霊現象や頭の病気を恐れて病院へ行くべきか悩むところだが、それよりも先に、直哉の中で十年以上養われてきた「ゲーマーとしての直感」が反応を示した。
視野に広がっている画面の意匠は、異常なほど作り込まれていた。
半透明のグラデーションパネル、メタリックに輝くゴールドの枠線、各項目に意識を向けるたびに滑らかに反応する微細なハイライト効果。それは日本国内のレトロなRPGというよりは、
「最近の金の掛かった中国製アクションキャラゲー」
のUIそのものだった。画面構成が立体的で主張が強く、どこかSF的で未来感のある高解像度なグラフィックデザインだ。
視線を動かすだけでマウスのカーソルのように項目を選択できることに気づき、直哉は画面の左端に並ぶメインメニューをひとつずつ目で追っていった。
『キャラクター』
『武装』
『編成』
『集結』
『育成』
『図鑑』
『ショップ』
『設定』
どれもこれも見覚えのある単語ばかりだ。それと同時に、ゲームなら当然ありそうな『クエスト』や『任務』、『デイリー』といった項目が見当たらないことにも気づいたが、この時点では大して気に留めなかった。突然現れた超高精細なゲーム画面の細部を確かめることに、好奇心を奪われていたからだ。
彼の視線は、メニューの中でひと際強い光を放っている『集結』というボタンに釘付けになった。先ほど見えたのと同じ、通知を知らせる赤いマーカーが点灯している。
ふと気になり、画面の右上にある自身のステータスバーと所持品の数値に目を向けた。
『所持キャラクター 0』
『所持武装 0』
『因果晶 0』
「ゼロじゃねえか」
思わず独り言が口を突いて出た。派手なキャラゲー風のUIをしておきながら、キャラクターの所持数は初期の主人公に相当する枠すらない「ゼロ」だった。
どういう仕様のゲームなんだ、と眉をひそめながら『ショップ』のアイコンへ視線を滑らせる。画面がフェードし、様々なアイテムが並ぶ陳列棚が表示された。
キャラクター用の育成素材や武器強化素材、その他にも用途の分からないアイテムが並んでいるが、いずれも購入には結晶石らしき『因果晶』を要求される。
だが、直哉はそこで再び目を白黒させた。陳列されている商品のほとんどが『因果晶』との交換を要求しているにもかかわらず、その肝心の『因果晶』を手に入れるための決済導線がどこにもないのだ。
クレジットカードの番号入力フォームがない。
Apple Payのマークもない。
Google Playのロゴや、電子マネー決済、ネット銀行決済といった項目すら、一切合切が排除されていた。
「……課金は?」
設定のタブの奥底まで視線でスクロールしてみるが、お金を支払うというシステム自体が根本から存在していなかった。
「おい」
直哉は乾いた笑いを漏らした。
「俺、課金できないソシャゲなんて初めて見たぞ」
世にあふれるスマホゲームは、どれほど無課金に優しかろうと、最終的にはプレイヤーからスムーズにお金を集めるための窓口を用意しているのが絶対のルールだ。課金ができない基本無料のソシャゲなど、商業的に存在理由がない。
ひと通りのシステムにツッコミを入れた直哉は、改めて一番目立っていた『集結』のタブへと意識を戻した。
赤い通知のアイコンを見つめると、画面が重厚な効果音と共に切り替わり、何枚かの豪華なバナーイラストが並ぶページが現れた。
もっとも大きく左端に表示されているのが、
『【初心者集結】』
『初回10回集結無料』
『★4以上のキャラクター1名確定』
と書かれた入門用の特別バナーだ。
その右隣には『【恒常キャラクター集結】』が並び、さらにその横には『【限定キャラクター集結】』と銘打たれた、金色と極彩色が入り乱れる派手なメインバナーが陣取っている。
描かれているのは、知らない★5キャラクターだ。豪奢な装飾が施された現代風の法服をまとった、白髪で切れ長の目をした若い青年が、青白い光の剣を構えながら冷徹な視線をこちらへ向けている。ご丁寧に『残り期間:19日と14時間』というカウントダウンタイマーまでが、リアルタイムで正確に秒を刻んでいた。
さらに別のタブには『【武装集結】』として、★5武器のピックアップバナーまで完備されている。
直哉は感心したように深く息を吐いた。
「…………ガチャじゃん」
その仕組みは、これまでにいくつものゲームに課金し、そして裏切られてきた直哉の知識と完全に一致していた。画面の隅にある小さめの『詳細』ボタンへ意識を向けてみると、提供割合と保証内容が一覧になって展開された。
『★5提供割合:0.6%』
『★4提供割合:5.1%』
『80回集結以内に★5キャラクター確定』
『★5キャラクター出現時、50%の確率でピックアップ対象が出現』
『ピックアップ対象外の★5キャラクターが出現した場合、次に出現する★5キャラクターはピックアップ対象確定』
「知ってる」
見慣れすぎた確率表示だった。
「俺、このシステム知ってるぞ。すり抜けがあって、外したら次の天井までにピックアップ確定するタイプのやつだろ」
中国製のアクションゲームやオープンワールドゲームで、数え切れないほど目に焼き付けてきたガチャの数式。どうして自分の脳内に投影されている超常的な現象が、商業ゲームの集金システムをここまで忠実にコピーしているのかは皆目見当がつかないが、ルールの仕組みだけは痛いほど理解できた。
直哉はもう一度、左端の『【初心者集結】』のバナーへと戻った。
初回は10連が無料。
現在の因果晶はゼロ。つまり通常のガチャは回しようがないが、この無料の初心者向けバナーだけは、今すぐ回す権利があるということになる。
「……無料なら引くか」
怪異や幻覚に対する警戒よりも、「無料でガチャが回せるなら回しておかないと損」という、長年のゲーム生活で染みついた貧乏性が完全に打ち勝った。直哉は『集結』のボタンへ、迷うことなく意識を乗せた。
『【10回集結】』
『初回無料』
『実行しますか?』
『YES / NO』
YESを強い意識で選択する。
その瞬間、自室の風景が視界から消えた。
画面全体が広大なプラネタリウムのような暗闇へと落ち込み、宇宙空間を思わせる無数の星屑の映像が広がる。遠くの空間から無数の光の糸が飛び交い、それらがひとつの束となって、画面の奥から手前の視点へと向かって猛烈なスピードで落下してきた。
一番先頭を走る光の軌跡は、ただの冷たい青白い色をしていた。
直哉は慣れた手つきで、流れるエフェクトの意味を解読する。
「これ色でレアリティ分かるやつだろ。青はハズレだな」
最初の流星が画面に衝突し、一個目の結果が表示される。
『★★★ 《量産型電磁拳銃・三式》』
地味な黒いハンドガンのイラスト。武器だった。
二個目の流星が来る。同じく青い光。
『★★★ 《量産型電磁拳銃・三式》』
「武器。しかも被った」
三個目も青。
『★★★ 《制式突撃銃・二式》』
四個目も変わらず青い。
「……渋くない?」
五個目、六個目、七個目、八個目。すさまじい勢いで流れていくのは、どれもこれも色が暗く、ネーミングも使い回された量産型の★★★武器のアイコンばかりだった。
九個目。やはり冷たい青い光が弾ける。
『★★★ 《制式霊装刀・四式》』
直哉は呆れたように肩をすくめた。
「最低保証コースじゃねえか。いくら無料でも夢がなさすぎるだろ」
残るは最後の一つ。十個目の流星だけだ。初心者集結の規約には『★4以上1名確定』の文字があった。つまり、システムが正常に機能しているなら、この最後の一個だけは青色で終わるはずがない。
果たして、画面奥から突き進んできた十個目の光は、途中で鮮烈な紫色のプラズマへと軌道の色を激変させた。
「お」
青から紫。それは★4確定を知らせる合図だった。
画面が激しく震え、それまでの単なるアイコン表示とは異なる特別なキャラクターカットインの演出が開始された。
耳の奥に轟く、重低音の雷鳴。背景に展開されたのは、雨に濡れたコンクリートと冷たいネオンが反射する現代的な都市の夜景だった。そのアスファルトを蹴り上げ、無数の青いスパークをまとった一人の人物が、背中の鞘から鋭い刀身を抜き放つ見事なアニメーションが再生される。
紫色の発光と共に、キャラクターのネームプレートが刻まれた。
『★★★★』
『《黎明の遊撃手》』
『東雲セナ』
同時に、やや低めで透明感のある若い女性の声が、脳内に直接響き渡った。
『東雲セナ。第七機動班所属――って、そんなに堅くならなくてもいいか。よろしくね』
黒いショートヘアに、実用性と動きやすさを極限まで重視した濃紺の戦闘用ジャケット。キリッとした涼やかな目元と、実用的な細身の片手剣を手に持った、凛とした顔立ちの若い女性が立っていた。
直哉はほうと息を吐いた。
「……女の子だ」
演出が終わり、10連ガチャの総合結果が1枚のパネルとなって画面に並ぶ。
真ん中に紫色に輝く『東雲セナ×1』。
その周囲を囲むように、まったく同じような灰色と青色の『★3武器×9』。
文字通り、何の波乱もない、最低保証ジャストの底辺リザルトだった。
「最低保証ジャストじゃねえか!」
タダでもらったものに文句を言うなとは分かっているが、それでも心のどこかで★5のすり抜けを期待していたゲーマーの悲しい心が、思わず叫びを上げていた。
早速メニューから『キャラクター』を開く。
そこには、いま手に入れた『東雲セナ』の項目が追加されていた。意識を向けて選択すると、画面の中央に等身大に近い詳細な3Dモデルが表示される。
驚くべき精巧さだった。視線を動かすだけでキャラクターを自由に回転させたり拡大したりすることができ、着ている戦闘ジャケットの少しざらついた特殊布地の目合いや、金属製のベルトの留め具についた細かい擦り傷、刃先の鋭い輝きまでが、現実の物体を見るのと同じ質感と解像度で描写されている。
スペックのテキストバーを開いてみた。
『★★★★ 東雲セナ』
『レベル:1』
『属性:雷』
『武器種:片手剣』
『現地登録Tier:3』
『所属:東都特異災害対策局・第七機動班』
『戦闘特性:高速近接/継続攻撃/クイックスイッチ』
「……現地?」
直哉の目が一度、『現地登録Tier:3』という妙な文言に戻る。
「どこの現地だよ。あとTierってなんだ?」
ゲーム内で使われている階級か何かなのだろうか。その程度の疑問を残しつつ、その下にある『東都特異災害対策局』という、もっと分かりやすく怪しい名称へ目が移った。
その隣にある『プロフィール』のタブも覗く。
『年齢:21歳。身長:164cm。
東都特異災害対策局の最前線を駆ける第七機動班の遊撃手。任務における優れた瞬発力と現場での臨機応変な判断には定評があるが、事務的な報告書を作成することを極端に嫌っており、頻繁に書類提出をサボっては班長からお説教を受けている。
お気に入りの嗜好品は濃めのブラックコーヒーと、駅前で購入する砂糖多めのエッグタルト』
「……東都特異災害対策局?」
直哉は眉を寄せ、スマートフォンを手に取って検索ブラウザを立ち上げた。検索バーに『東都特異災害対策局』と打ち込んでみる。
検索結果に現れたのは、いくつかのアニメやファンタジー系WEB小説の似たような組織名だけで、実在する国の機関や公的な防災機関の情報は一つもヒットしなかった。続けて『因果集結クロニクル』、そして『東雲セナ』という個人名でも検索をかけてみる。
ヒット数はやはりゼロだった。念のため先ほど引っかかった『現地登録Tier』という文言でも検索してみたが、こちらも意味のある情報は何も出てこない。
「架空設定ってことか?」
直哉はそう結論づけた。日本に似た現代都市風のフィクションの世界観を作り込み、それらしい特殊機関の名前やキャラクターのディテールを書き連ねているだけだ。ゲームとしては定番のフレーバーテキストであり、目の前に浮かんでいるこの少女の情報が実在するどこかの世界と結びついているなどという発想は、この時点の直哉にはなかった。
続いて、右端にある『スキル』のタブを確認する。
文字の羅列がどっと展開された。
『通常攻撃:《白雷剣式》』
『最大5段の連続攻撃を行う。第2段および第5段は、《励起》状態中に命中した場合、《電位》を1獲得する』
『スキル1:《瞬雷》』
『クールタイム:8秒』
『前方へ高速移動しながら、雷を伴う斬撃を行う。発動後、自身は5秒間《励起》状態を獲得する』
『《励起》:攻撃力+20%、移動速度+10%。《励起》状態中、通常攻撃第2段または第5段が命中した時、《電位》を1獲得する』
直哉はまず、そこに書かれていた数字に引っかかった。
「攻撃力20%って何だよ」
あきれ声が出た。
「現実に攻撃力とかあるのか? 何基準の20%なんだよ」
当然ながら、システムから返答はない。
さらに下へ目を通す。
『固有リソース:《電位》』
『最大3スタック。《電位》獲得後15秒間、新たな《電位》を獲得しなかった場合、保有する《電位》をすべて失う』
『スキル2:《雷走・反転》』
『クールタイム:12秒』
『対象へ高速接近し、交差するように斬り抜ける。発動時に保有する《電位》をすべて消費し、消費数に応じて効果が強化される』
『《電位》1消費:与ダメージ+20%』
『《電位》2消費:与ダメージ+45%。さらに《瞬雷》の残りクールタイム-2秒』
『《電位》3消費:与ダメージ+70%。さらに6秒間《臨界駆動》状態を獲得する』
『《臨界駆動》:攻撃速度+15%、雷属性攻撃+25%。通常攻撃第5段命中時、EXエネルギーを追加獲得する』
「…………」
まだ終わらない。
『回避:《流光歩》』
『敵の攻撃が命中する直前に回避した場合、《極限回避》が成立する。《極限回避》成立後、次の通常攻撃は《反雷》へ変化する』
『《反雷》:対象の死角へ高速移動して斬撃を行い、《電位》を1獲得する』
「ジャスト回避まであるのかよ」
そして一番下には、必殺技らしい項目まで用意されていた。
『EX:《暁天・千雷一閃》』
『必要EXエネルギー:100』
『対象の周囲を高速移動しながら連続斬撃を行い、最後に強力な雷属性斬撃を与える』
『《臨界駆動》状態中に発動した場合、《暁天・千雷一閃――極》へ変化する。最終斬撃の与ダメージ+40%。命中した対象の雷属性耐性を一定時間低下させ、《瞬雷》のクールタイムを即時リセットする。発動終了時、《電位》を1獲得する』
さらに固有能力の説明まで残っている。
『固有能力:《夜明けを待たず》』
『《励起》状態中に通常攻撃を累計4回以上命中させた場合、5秒間、会心率+12%。《臨界駆動》状態中に効果が発動した場合、さらに会心ダメージ+20%』
テキストの節々から溢れ出る、『電位』『励起』『臨界駆動』『極限回避』といった専門用語と独自ステータスの数々。
「…………★4の初期キャラにしては説明長くない?」
最近のアクションキャラゲーによくある、「スキルの説明文が辞書のように複雑化していく現象」が、この謎インターフェースの能力にもしっかり適用されていた。
要するに、《瞬雷》を使って《励起》に入り、通常攻撃を決めて《電位》を貯め、できれば三つ貯めてから《雷走・反転》を撃ち、《臨界駆動》へ入ったところでEXを使え、ということらしい。
「まあ使えば分かるだろ。細かい仕様は実戦で覚えるもんだ」
直哉は深く考え込むのを放棄して、スキルの詳細ウィンドウを閉じた。
ついでに『育成』も覗いてみる。
東雲セナのレベルは1。経験値を与えるためらしい複数の素材枠が用意され、レベル上昇による主な強化項目として『最大HP』が表示されていたが、現在の直哉は育成素材を一つも所持していない。
「そりゃそうか」
『図鑑』の方にも、現時点では東雲セナと先ほど入手した九本の★3武器しか登録されていなかった。
次は装備のチェックだ。メニューから『武装』を選択する。
所持品の欄には、先ほどの無料ガチャから排出された九本の武器だけが寂しく並んでいた。拳銃、突撃銃、片手剣といった分類の中から、片手剣カテゴリのみを絞り込む。
そこには、先ほどのガチャで出た、
『★★★《制式霊装刀・四式》』
があった。いかにも訓練用か量産品といったデザインの、装飾を省いた実用一辺倒の刀だ。ゲーム上では、この手の刀剣類もまとめて『片手剣』カテゴリに分類されているらしい。
「とりあえずこれか」
装備のボタンを選択する。
画面内の『東雲セナ』の3Dモデルが滑らかに動き、無手だった右手にスッとその簡素な刀を構えた。これによって、少なくともキャラクターと武器の組み合わせだけは完了した。
直哉はメニューへ戻り、今度は『編成』のタブを選んだ。
画面には、横に並んだ三つのパーティスロットが表示されていた。
『SLOT 1 EMPTY』
『SLOT 2 EMPTY』
『SLOT 3 EMPTY』
「三人編成なんだな」
仲間を三人まで組み込んで、戦況に応じてメンバーを切り替えながら戦うシステムなのだろう。東雲セナの戦闘特性にあった『クイックスイッチ』という表記も、おそらくこの交代システムを前提としたものだ。
もっとも、現在の直哉の手持ちは先ほど引いた『東雲セナ』ただ一人しかいない。
彼は1番目のメインスロットに、『東雲セナ』をセットした。
すると、それまで灰色で押せなかった画面下部の大きなアイコンが、鮮やかな金色に光り始めた。
『【キャラクターチェンジ】』
直哉はその文字を見つめて、少しだけ首を傾げた。
「…………チェンジ?」
ボタンの脇に小さく記されたヘルプメッセージには、たった一言だけ、こう記載されている。
『編成したキャラクターへ切り替えます』
それだけだった。
どこかの異世界から相棒としてキャラクターを召喚する、とは書かれていない。キャラクターの能力やスキルを、プレイヤーにダウンロードして貸し出す、とも書かれていない。
あくまで、『切り替える』。
「どういう意味だよ」
心臓の脈打ちが少しだけ速くなるのを、自身の胸の奥で感じた。
超常的なシステムが現実に干渉しようとしている気配。怖いという気持ちがなかったわけではない。だが、ここまでガチャを回し、キャラクターの装備までセッティングしてきたゲーマーとしての習性が、最後の一手を見届けることを要求していた。
直哉はベッドから立ち上がると、念のため自室のドアへと歩み寄り、サムターンを回して鍵をかけた。両親は夕方まで帰宅しないはずだが、どんな偶然があるかも分からない。さらに窓際へ移動し、ほんの少しだけ開いていたカーテンをぴったりと閉めて、外部からの視線を遮断した。
準備を終え、部屋の壁側に置いてある縦長の姿見の前へと立つ。
鏡に映っているのは、パジャマ代わりに着ている少しヨレたスウェット姿の、寝癖のついた三十四歳・無職の自分だ。一年近い運動不足のせいで腹回りは以前より少し緩み、長時間パソコンの前に座る生活で肩もやや前へ落ちている。
直哉は大きく深呼吸を一度だけした。
「まあ、死にはしないだろ……たぶん」
意識の中で、金色に光る『【CHARACTER CHANGE】』のボタンを押し込んだ。
その瞬間――視野のすべてが、真っ白な閃光によって塗り潰された。
痛みは伴わなかった。だが、冷たい静電気のミストを全身に浴びせられたかのような感覚と共に、青白い雷光の粒子が視界を満たし、視覚と神経のすべてを一瞬だけ空白へ追い詰める。
そして、肉体の輪郭が内側から書き換わっていくような、強烈な感覚のズレが襲ってきた。
視線の高さが、はっきりと下がる。
身体の質量と重心が変化する。
腹回りについていた無駄な脂肪が消え去り、全身の筋肉の密度と関節のつながりが、まったく別物の精密な構造へと置き換わっていくのが分かる。長時間の座り仕事ですっかり馴染んでいた肩や腰の重さまで消え、首筋にはさらりとした涼しい毛先が触れる感触があった。
着ていたはずのヨレヨレのスウェットの重みも消失し、代わりに軽くて引き締まった特殊繊維の戦闘用ジャケットと、腰を固定する装備ベルトのフィット感が全身を包み込んだ。
(……待て。俺の服どこ行った?)
そんな疑問が頭をよぎった直後、光の粒子が引いていく。
直哉はゆっくりとまぶたを開け、目の前にある姿見を見つめた。
そこに立っていたのは、三十四歳無職の男ではなかった。
『キャラクター』の詳細画面で見つめていた、黒いショートヘアと実用的な戦闘ジャケットをまとう若い女性剣士――★4キャラクター『東雲セナ』その人が、鏡の向こう側で同じようにこちらを見返していた。
直哉の脳内に、驚愕と混乱が渦を巻く。
(……マジか)
自分自身の状況を確かめるため、喉を震わせて言葉を出そうとした。
「……本当に変わった」
その耳に届いたのは、男の低い声ではなく、ガチャのカットイン演出で耳にしたあの涼やかで落ち着いた女性の声だった。それだけではない。口から出た言葉の細かな響きに、自分自身で妙な違和感を覚えた。
試しに、いつもの自分の頭にある言葉を口にしようとする。
(俺は森川直哉)
しかし、声帯を通じて外に発声された音は、勝手に別の形へと変換されていた。
「私は森川直哉」
鏡の中にいるセナの大きな目が、驚きに見開かれる。
「…………」
(今、俺って言ったよな?)
もう一度、内側で強く念じる。
(俺は三十四歳のニートだ)
口に出す。
「私は三十四歳の無職だよ」
「口調まで変わるの?」
状況を把握した。物事を思考し、判断を下している「内面の意識や人格」は間違いなく森川直哉のままだ。しかし、ひとたび外界に向けて出力する音声、一人称、姿勢や表層的な喋り方のアクセントに関しては、システム側で自動的に「東雲セナというキャラクターの仕様」へと強制補正されているようだった。
鏡の前で、東雲セナの姿と能力を得た直哉は、自身の肉体を確かめるように手足を動かした。
まずは両手を顔の前に持ち上げてみる。
これまでの自分の手よりも一回り小さく、細い指先だ。だが、そこに弱々しさは微塵もない。握りしめて開くと、手のひらの隅々まで高密度な神経が通っているかのような、途方もない力強さが伝わってくる。
何より異様なのは、身体全体を覆っている圧倒的な「軽さ」だった。
その場で軽く膝を曲げ、屈伸運動を試してみる。
バランス感覚が信じられないほど鋭敏だった。片足立ちになって体を傾けても、足の裏が床に吸い付いているかのように軸がまったくブレない。三十代に入ってから感じていた身体の鉛のような重さや、長時間のPC作業で凝り固まった腰と背中の鈍痛が、きれいに消え去っていた。
「すごいなこれ……」
楽しくなってきた直哉は、その場で軽く足首を使って真上に跳び上がってみた。
ほんの少し、ふくらはぎに力を込めただけだった。
「うわっ!」
身体がバネで弾け飛ぶように一気に浮き上がり、あわや自室の天井に頭をぶつけそうになった。直哉は空中で反射的に身を縮め、そのまま床へ降りる。
着地の音は、驚くほど小さかった。誰に教えられたわけでもないのに、足首と膝の関節が自動的に衝撃を吸収する最適な着地姿勢を取っていたのだ。
(俺、こんな動き絶対できねえぞ……)
次に、意識を自身の右手へと集中させてみた。
すると、虚空に青白い光点が集まり、先ほど装備欄に登録した片手剣――『★★★《制式霊装刀・四式》』が、実体を持って掌の中に収まった。
直哉は驚いて、部屋の家具を巻き込まないように身を引いた。
「……本物だよな、これ」
柄を握りしめた瞬間に、さらなる異変が全身を駆け巡った。
これまでの三十四年の人生で、真剣や日本刀などただの一度も握った経験がないはずなのに。どのように柄を保持し、どのような角度で刃先を向け、全身のどの筋肉を使って踏み込めば最高効率で対象を斬りつけられるのか――そのすべての技術が、まるで昔から知っていたかのように「身体の記憶」として理解できてしまうのだ。
無意識に足幅が広がり、狭い部屋の中で自然な剣の構えを作っていた。重心は正確に体の中心にあり、いつでもどの方向へでも踏み込めそうな体勢が勝手に整っていく。
人格や意志がセナという他人に奪われているわけではない。
直哉という一人の人間が、東雲セナという剣士の持つ高い身体能力と戦闘技能を、自分自身の身体能力であるかのように利用できるようになっているのだ。
(こう構えるのか……? いや、分かる。なんで分かるんだ)
驚きと共に剣を構えた直哉の視野の右下に、スキルのアイコンが点灯した。
『《瞬雷》:使用可能』
そのテキストが視界に入った瞬間、直哉の中に、このスキルをどうやって現実空間で発動させればいいのかという感覚が自然と浮かび上がった。
体内に魔力のような未知のエネルギーを感じるわけではない。ただ、「今ここで《瞬雷》を使う」と意識すれば、東雲セナの身体がそれを実行できるという確信だけが、説明不能な形で存在していた。
その万能感が、彼をほんの少しだけ高揚させた。
試しに、一度だけ撃ってみようか――。
直哉が足へ力を込め、身体を前へ踏み出しかける。
だが、その寸前に三十四歳の男性が持つ「市民としての社会の常識」が、急ブレーキをかけた。
直哉の視線が、目の前にある室内の壁を捉える。
目の前には、薄い石膏ボードの壁。
横には、引き戸のガラス窓。
その向こうには、隣家の壁が数メートル先に迫る一般的な東京の住宅街が広がっている。
「……やめとこ」
直哉は静かに剣の構えを解いた。
ここは広大なゲームのフィールドでもなければ、無数の怪物が湧き出る戦闘エリアでもない。都内の実家の自室だ。
もしここで『前方へ高速移動しながら雷を伴う斬撃を行う』などという攻撃技を発動させたらどうなるのか。今の身体能力だけを見ても、壁に突っ込んで無事に済むとは到底思えない。
「家を壊したら完全に終わる」
帰ってくる両親になんと説明するのか。そもそも住宅街のど真ん中で大きな破壊音でも出せば、それだけで警察や近所の人間を呼び寄せることになる。狭い庭へ降りて試すのも不安が残るし、近所の道路で試すことなど問題外だった。
ゲームの世界なら、どれだけ剣を振り回しても背景の壁が崩れることはない。だが、ここは現実だ。
結果として、直哉は自分の手に宿った並外れた戦闘力やスキルの数々を、この部屋の中で試すことをあっさりと保留にした。
安全第一であることを確認した直哉は、もう一度インターフェースを開くと、『キャラクターチェンジ』の解除ボタンを選択した。
先ほどと同じ光の粒子が視界を包み込み、身体の感覚が数秒間揺らぐ。
やがて光が引いていくと、そこにはいつも通りのヨレたスウェットを着た、三十四歳の森川直哉が立っていた。
体の重心が急に重くなり、目線の高さが上がり、先ほどまで全身を満たしていた圧倒的な身体能力の感覚が、幻のように手足の先から消え去っていく。
「……服も戻ってるな」
直哉は思わずスウェットの胸元を摘まんだ。
変身中にどこへ消えていたのかはまったく分からない。一時的に収納されていたのか、肉体と一緒に別の何かへ置き換えられていたのか、それとも一度消えたものが完全に再現されたのか。
少なくとも、解除した途端に全裸になるという最悪の仕様ではなかったらしい。
「そこは親切なんだな……」
鏡にはいつもと何一つ変わらない、パッとしない自分の顔が映っていた。
直哉はしばらくその自分の顔をじっと見つめ、大きく感嘆の息を吐き出した。
「…………いや、すげえな」
そこには素直な感動があった。
紛れもない、本物の超能力だ。単なる魔法や炎が出せるというレベルではない。ゲームのキャラクターそのものへと変身し、その肉体の軽やかさも、圧倒的な戦闘技能のすべてをも現実の中で再現することができる。
おそらく、あのテキストに記されていた各種のスキルや効果も、文字通りの形で本物の力として機能するのだろう。
夢のような力が、なんの前触れもなく自分に備わったのだ。
しかし。
それから約五分後。
直哉はベッドに座り込んだまま、虚空に浮かぶ《因果集結クロニクル》の画面を静かに眺め続けていた。
熱気が引いていくにつれて、彼の頭の中に冷静な思考が戻ってくる。
画面の右上にあるパラメータを見る。
『因果晶 0』
初心者向けの『無料10回集結』は、先ほどの10連ですでに使い切った。
金色に輝く『限定キャラクター集結』のバナーは、現在も変わらず残り時間のタイマーだけを正確に減らし続けている。だが、石がゼロである以上、あの魅力的な★5キャラクターを狙うガチャを回すことはできない。
直哉は諦めきれずに『ショップ』の項目を開き、因果晶の隣にある小さなプラスマーク――『入手方法』のアイコンへ意識を向けてみた。
だが、何も出なかった。どの手段でどうやってこの石を集めればいいのかという、具体的なガイドやヘルプ文は一行たりとも表示されない。
そこで、最初にメニューを開いた時から引っかかっていた違和感が、改めて直哉の意識へ浮かんできた。
「……クエストは?」
確認のため、もう一度メインメニューの項目を上から下まで、設定欄の奥までしらみつぶしに確認した。
やはり、どこにもない。
ストーリーを進めるための『メインクエスト』も、街の人々からの『依頼』も、毎日クリアすべき『デイリーミッション』も存在しない。期間ごとに報酬を配る『イベントクエスト』のバナーもなければ、どこかのダンジョンへ向かえという指示や、目的地を示す地図すら見当たらなかった。
倒すべき敵や悪の組織についての情報も、一行たりとも提供されていない。
世界を滅亡から救えという女神のメッセージもなければ、力に目覚めた瞬間にスーツを着た謎の組織の黒服が実家のインターホンを鳴らしてスカウトしに来る様子もない。
本当に、何も指示されていないのだ。
あるのはただ、『中国製の高級アクションゲーみたいなガチャと変身のシステム』が、自分という個人にポンと投げ渡されたという事実だけだった。
直哉は、豪華に輝く限定ガチャの★5キャラクターのビジュアルを見つめた。
自分の所持石は『0』。
先ほど手に入れたキャラクターは『★★★★ 東雲セナ』ただ一人で、インベントリには無料10連から排出された★3武器が九本並んでいる。
窓の向こうからは、通りをゆっくりと走り去っていく配送車のエンジン音と、遠くで鳴くカラスの平穏な声だけが聴こえてくる。直哉の知る限り、この世界にあるのは超能力も怪異も存在しない、あまりにも平和で日常的な東京の住宅街だけだ。
直哉は半透明の画面を消し、ベッドの背もたれに体を預けて天井を仰ぎ見た。
「…………すごいのは分かった」
少し間を置き、もう一度呟く。
「すごいのは本当に分かったけどさ」
静まり返った自室の中で、直哉はしばらく天井を眺め続けた。
そして、大きな溜息と共に呟いた。
「……で、これ使って何したらいいんだ?」
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