俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
救助依頼を終え、実家に帰り着いた金曜日の夜。
シャワーを浴びてスウェットに着替えた直哉は、自室のベッドに寝転がりながら、スマートフォンの『能力者向け求人アプリ』を開いていた。
視界の右上には、今日という一日の成果を示す黄金色の数字が燦然と輝いている。
『因果晶:6,400』
『《育成記録・初級》×26』
『クレジット:40,000』
視線を少し動かし、限定ガチャのバナーへと意識を向ける。
『開催期間残り:08日と06時間』
『★5キャラクター確定まで:70回以内』
天井まで、あと4,800石。十連ガチャにして三回分。
(……かなり近くなってきたな)
今日の救助依頼で、少なくとも戦闘行為そのものが因果晶獲得の必須条件ではないことは分かった。
有償の仕事をしただけでも駄目。
戦っただけでも駄目。
自分が外部の因果へ介入し、その結果をどれだけ変えたのか。その辺りが評価されている可能性が高い。
(因果晶を狙うなら、『俺が何かの結果を変える仕事』がいい)
とはいえ、それだけで仕事を選ぶつもりもない。
現金収入。
育成。
因果晶。
どれも直哉にとっては重要だ。
石が欲しいからといって自らの命を危険に晒すような案件へ飛び込むつもりもないし、反対に、因果晶が出そうにないというだけで条件のいい仕事を捨てる理由もない。
直哉はスマホの画面をスクロールさせ、適当な求人を眺めていた。
すると、一件だけ、他とは明らかに桁の違う高額な報酬が提示されている案件が目に飛び込んできた。
『【未成年要人・臨時近接警護】』
直哉は指を止めた。
「要人護衛か……」
詳細タブをタップして開く。
『案件番号:TK-SP-0731』
『業務区分:要人警護/近接随伴』
『警護対象:民間人・女性・17歳』
『業務地域:東京都内/沖縄県内』
『契約期間:3日間』
『一日目:東京都内・学校生活への随伴』
『二日目:東京都~沖縄県・移動および行事への随伴』
『三日目:東京都内・学校生活および帰宅の随伴』
『受注条件:登録Tier3以上』
『希望条件:女性』
『対人制圧経験:推奨』
『未成年者対応:可』
『想定脅威:対人』
『脅威詳細:秘匿指定』
『宿泊:あり』
『交通費・宿泊費:依頼者負担』
『報酬:360,000円』
直哉の目が、一番下の数字に釘付けになった。
「三日で、三十六万……!」
思わず生唾を飲み込む。一日あたり十二万円の計算だ。
これまで能力者として五件働いて稼いだ総額が三十九万円。
それに近い金額が、三日間の契約一件で入ってくる。
もちろん、普通の警備より高額なのは理由がある。殺害予告めいた脅威があり、対象が未成年であり、校内への同行、沖縄への出張と宿泊、さらに女性のTier3能力者という極めてピンポイントな希望条件が重なっているからだ。
直哉は冷静に思考を回す。
(要人の護衛ってことは、何もトラブルが起きなかったら因果晶の報酬は期待できないだろうな)
それは特殊保管施設の警備でも経験した。
だが。
(現金だけでも普通に美味しいし、何より三日間の仕事がこれで一気に確保できるのは精神的にめちゃくちゃ楽だな)
石だけを見て仕事を選んでいるわけではない。
堅実な現金収入は、無職生活から抜け出しつつある直哉にとって十分すぎるほど魅力的だった。
だが、直哉の視線は一つの項目でピタリと止まった。
『希望条件:女性』
「…………」
直哉は、空中に浮かぶ《因クロ》の編成画面を見た。
『SLOT 1:★★★★ 東雲セナ』
『SLOT 2:★★★★ 鳴海伊織』
どっちも、紛れもない女性だ。
そして変身している間は、身体構造も声も、完全にそのキャラクターのものへと置換されている。
(……いや、待て)
直哉は応募ボタンの上に置いていた指を止めた。
(これ、俺が勝手に「変身中は女だからオッケー」で判断していい話じゃないよな)
女性希望なのには理由がある。
対象は女子高生。
学校への随伴。
宿泊まで含まれている。
当然、男性警護員では入りづらい場所まで付き添うことを期待されているはずだ。
(俺本人の意識は、三十四歳の男だし……そこを含めて受けていい案件なのかは確認した方がいいな)
直哉は応募する前に、霧島へ電話をかけた。
数回の呼び出し音の後、すぐに繋がった。
『はい、霧島です』
「夜にすみません。今、求人アプリに出てる紅城院玲蘭さんの護衛案件を見てるんですけど」
『はい』
「希望条件が女性になってますよね。これって、俺が応募していい案件なんですか?」
電話の向こうで、霧島が少しだけ間を置いた。
『その点については問題ありません』
「本当に?」
『はい。今回の条件は戸籍上の性別そのものではなく、警護中に女性用区画へ同行できることが主な理由です。森川さんの場合、能力使用中は身体構造を含めて完全に女性となることが検査で確認されています』
さらに霧島は続けた。
『紅城院家の警備責任者にも、候補者の中には変身能力によって業務中は完全に女性の身体となる登録能力者が含まれることを、個人情報を伏せた上で説明しています。その条件で問題ないとの回答をいただいています』
「なるほど……」
そこまで確認されているなら、少なくとも八咫烏が勝手に条件を捻じ曲げているわけではないらしい。
『ただし、森川さん』
霧島の声が少しだけ真剣になる。
『受注されるのであれば、女性警護員だからこそ同行を求められる場所でも、必要に応じて近接警護を継続していただくことになります』
「……ですよね」
『更衣場所、女性用区画、宿泊先なども含まれます。もちろん不要なプライバシー侵害をする必要はありませんが、ご自身が元々男性であることを理由に、警護に空白を作ることはできません』
直哉は数秒黙った。
そこまで聞いてしまえば、話は単純だった。
仕事として引き受けるか。
引き受けないか。
(……三日で三十六万)
いや、金額だけではない。
自分は今、能力者として仕事をしている。
その仕事の条件を理解した上で受けるなら、必要な職務はやるべきだ。
「分かりました。それなら大丈夫です」
『承知しました。応募自体は可能です。最終的な採用判断は紅城院家側になります』
「ありがとうございます」
通話を終えた直哉は、改めて案件画面へ目を戻した。
(……仕事だからな)
少しだけ覚悟を決めてから、追加で開示されている案件の背景情報に目を通した。
警護対象者の名前は、紅城院玲蘭(くじょういん・れいらん)。17歳。高校二年生。
紅城院家は古くからの旧家であり、複数の企業を傘下に持つ桁外れの資産家一族らしい。玲蘭本人は能力者ではなく、ごく普通の人間だ。
今回の想定脅威は、怪異や超常事件そのものではなく、純粋な『人為的な暗殺』の可能性だった。
だが、依頼画面では犯人の詳細な事情までは記載されていない。
『海外関係者との私的トラブルに端を発する、第三者による危害の可能性』
それだけだ。
直哉は画面を見つめて眉をひそめた。
(私的トラブルで、わざわざTier3の能力者護衛を三日間も雇うって……一体何やったんだ、このお嬢様は)
少しだけ面倒な予感はしたが、条件を理解した上で、直哉は応募のボタンをタップした。
三日間の契約。
土曜日、日曜日、月曜日。
明日の土曜日は、名門私立高校のため午前中の授業があるらしい。
明後日の日曜日は、紅城院家の関連行事で沖縄へ出張。
最終日の月曜日は、東京に戻って学校生活に随伴し、帰宅を見届けて契約終了。
なお、直哉が担当するのは、玲蘭本人のすぐそばにつく近接随伴警護だ。
紅城院邸での就寝時間帯や、沖縄の宿泊先では、紅城院家の常設警備班と夜間担当へ引き継ぐ。直哉自身も宿泊先では同じ警備区画内に滞在し、緊急時には呼び出されることになるらしい。
(明日から三日間、か)
応募してしばらくすると、スマートフォンへ通知が届いた。
『応募結果:採用』
「おっ」
ほぼ同時に、霧島からもう一度着信が入った。
「はい、森川です」
『紅城院玲蘭さんの警護案件について、先ほど採用が確定しました』
「ありがとうございます」
『念のためにもう一点だけ。今回の警護対象者である紅城院さんは、非能力者の一般人です。万が一、現場で敵性の能力者や暗殺者と遭遇した場合、森川さんはくれぐれも敵の撃破や戦闘よりも、対象者の退避を最優先に行動してください』
直哉は姿勢を正して答えた。
「了解です」
護衛の基本原則だ。
敵を倒すことが仕事ではない。
玲蘭を生かして安全な場所へ離脱させることこそが、この業務の全てだ。
『では、明日の朝からの業務、よろしくお願いいたします』
通話が切れ、直哉はスマホをベッドへ置いた。
「よし。明日から三日間、女子高生のボディガードか」
◆
翌朝。土曜日。
直哉は自宅を出発する前に、自室の鏡の前で『東雲セナ』へのキャラクターチェンジを済ませていた。
理由は極めて単純かつ実務的だ。
今回の任務は、学校という人口密度の高い閉鎖空間での随伴。さらに人混みの中での至近距離からの不意打ちや、近距離での襲撃に対応する必要がある。
長いライフルを構える伊織よりも、圧倒的な瞬発力と近接戦闘能力を持つセナの方が遥かに適任だった。
青白い光が収まり、鏡の中に黒いショートヘアの凛とした若い女性の姿が映る。
直哉は少しだけため息をついた。
(三十四歳の男が、こんな姿で女子高の中に入っていくのか……)
変な緊張で胃が少しだけ痛くなる。
ただ、昨夜の霧島との会話を思い返す。
(分かって受けた仕事だ。必要なところまでちゃんと警護する。それだけだ)
直哉は自らにそう言い聞かせ、少し大きめのジャケットを羽織って実家を出た。
指定された集合場所である『紅城院邸』は、都内の高級住宅街の中でも異彩を放っていた。
「……マジのお嬢様だ」
直哉は、その圧倒的な敷地の広さに思わず足を止めてしまった。
石造りの高い塀、重厚な鉄格子の門、綺麗に手入れされた広大な庭園。門の周囲には屈強な警備員が立ち、車寄せには黒塗りの高級車が停まっている。制服を着た使用人が忙しそうに行き来していた。
能力者社会の異界や呪物といった危険な世界とは全くベクトルが違う、『本物の金持ちの知らない世界』だった。
門の警備員に、業務表示名の《ナオ》として登録アプリを提示する。
森川直哉という本名や、34歳の男性であるという個人情報は、クライアントの一般スタッフや玲蘭本人には開示されていない。
紅城院家の警備責任者には、八咫烏を通じて『変身系能力者であり、勤務中は完全な女性身体となる』という業務上必要な情報だけが共有されている。
「お待ちしておりました。応接室へご案内いたします」
案内された応接室は、高級ホテルのスイートルームのように豪奢な空間だった。
ふかふかのソファに座って待っていると、静かにドアが開き、一人の少女が入ってきた。
彼女が、今回の警護対象である紅城院玲蘭だった。
17歳。
背は直哉――セナの姿よりもさらに少し小柄だ。
驚くほど整った顔立ちをしており、質の良さそうな私立高校の制服を上品に着こなしている。背筋がスッと伸びており、育ちの良さがその歩き方や仕草の端々から滲み出ていた。
少し高圧的で気が強そうに見える切れ長の目元だったが、彼女の第一声はきっちりとした礼儀正しいものだった。
「初めまして。紅城院玲蘭です。本日から三日間、よろしくお願いいたします、ナオさん」
直哉は立ち上がり、セナの明るく淀みない声で元気よく答えた。
「うん! こちらこそ、よろしくね!」
そのあまりにもフランクな返しに、玲蘭は一瞬だけ目をぱちくりと瞬かせた。
彼女はどうやら、『Tier3の能力者で、対人制圧の経験があるプロの護衛』と聞いて、もっと無骨で厳つい、黒服の女兵士のような人間を想像していたらしい。
玲蘭は少しだけ肩の力を抜き、ふっと口元を緩めた。
「……思っていたよりも、随分とお話ししやすそうな方ですのね」
「え、どういう人が来ると思ってたの?」
「もう少し、こう……」
玲蘭は言葉を探すように宙を見つめた。
「恐ろしい顔をした、怖い方を想像しておりました」
「ひどくない!?」
直哉がセナの顔で大げさにツッコミを入れると、玲蘭は小さく声を立てて笑った。
直哉の内心でも、(見た目はいかにも近寄りがたいお嬢様だけど……思っていたほど高飛車で嫌な子じゃないな)と、第一印象はかなり良好だった。
玲蘭の方も、目の前にいるナオという人物を注意深く観察していた。
若い女性。小柄で、明るい性格。パッと見は護衛というよりも、歳の近い大学生のお姉さんにしか見えない。
だが、彼女は間違いなく『Tier3』として扱われる本物の能力者なのだ。玲蘭にとっても、これほど身近で親しみやすい能力者は珍しい存在だった。
出発の前に、紅城院家の警備担当者から今回の依頼の具体的な背景――暗殺の理由についてのブリーフィングが行われた。
「玲蘭お嬢様は先日、海外のパーティーで、ある名門貴族の子息と知り合われました」
担当者の説明によると、その海外の御曹司から、玲蘭に対して非常に強く偏執的なアプローチがあったらしい。
玲蘭はそれを明確に拒絶した。
しかし、相手は諦めず、高価な贈答品を送りつけ、面会を執拗に要求し、家を介したビジネス上の交渉まで持ち出して関係を迫ってきた。玲蘭はそれらを全て断固として跳ね除けた。
すると最近になって、海外の独自のルートから、「玲蘭に危害を加えるため、その子息が第三者を雇った可能性がある」という極秘の情報が入ったのだという。
ただし、確たる証拠は何一つない。だから警察を動かして相手を犯罪者として扱う段階にはなく、あくまで自己防衛を固めるしかない状態だった。
直哉は話を聞きながら、内心でドン引きしていた。
(振られた腹いせで暗殺者を雇うって……いやまだ確定じゃないにしても、ヤバすぎだろその男)
当の玲蘭本人は、紅茶のカップを置きながら涼しい顔で言った。
「私としては、身に覚えのない非常識な要求を、ただお断りしただけなのですけれどね」
直哉は、この少女の腹の座り具合に少しだけ感心した。
続いて、なぜ数ある能力者の中から《ナオ》が採用されたのかという説明があった。
「学校側はすでに物理的な警備を強化していますし、当家の通常警備の人間も外で待機します。しかし、玲蘭お嬢様のすぐそばに、常時張り付いて不測の事態に対処できる本物の能力者が必要でした」
だが、男性の護衛では、女子校という閉鎖空間の校内で常に行動を共にすることに大きな制約が生じてしまう。
だから、『警護中は女性として女性用区画まで同行できる』こと、『Tier3以上』であること、さらに『対人制圧の経験がある』ことが、今回の候補者選定では重視されていた。
「ナオさんは先日、逃走中の危険なTier4能力者を単独で無傷のまま制圧したという素晴らしい直近の実績がありました。それらが総合的に評価され、応募者の中から今回採用させていただきました」
直哉は内心でニヤリとした。
(あの山岸をボコボコにして捕まえた実績が、もうここで信用として使われてるのか。頑張って働いた甲斐があったな)
打ち合わせが終わり、学校へ向かうための車に乗り込む前。
玲蘭が、直哉の横に並んで小さく息を吐いた。
「それにしても、担当してくださるのが女性の方で、本当に良かったです」
「ん?」
「学校の中や、この後の沖縄のホテルまで、三日間ずっと男性の護衛の方について来られるとなると、さすがに少し息が詰まってしまいますから……」
直哉は、セナの明るい声で自然に返した。
「まあ、それはそうだよね。女の子のプライベート空間に男がずっといるのは嫌だよね」
そう口に出した、二秒後。
(…………)
直哉の脳裏に、強烈なブーメランが突き刺さった。
(俺、中身はゴリゴリの男なんだよなぁ……)
罪悪感の第一波が、直哉の胸をざわつかせた。
ただ、昨夜の時点で八咫烏には確認した。
紅城院家の警備責任者も、変身系能力者が候補に含まれることを了承している。
そして自分も、女性警護員として必要な範囲まで随伴すると理解した上でこの仕事を受けた。
(……分かって受けた仕事だ。そこで俺が変にためらって警護に穴を開ける方が駄目だろ)
それでも、何も知らずに安心した顔をしている玲蘭を見ると、妙な罪悪感まで綺麗に消えてくれるわけではなかった。
紅城院家の黒塗りの送迎車に乗り込み、二人は後部座席に並んで座った。
最初はまだ若干の距離感があり、玲蘭は静かにスマートフォンでニュースをチェックし、直哉も窓の外の景色を眺めて警戒に努めていた。
しばらくして、玲蘭から口を開いた。
「ナオさんは、普段もこのような危険な護衛のお仕事をされているのですか?」
直哉は正直に答えた。
「ううん。能力者としての仕事を始めたのは、本当に最近ばっかりだよ」
「まあ。そうでしたの?」
「うん。これまで五件くらいかな」
玲蘭は少し驚いたように目を丸くした。
「たったの五件で……それでTier3の評価なのですか?」
「Tierって、仕事の回数で上がるものじゃないんだって。魂の定数とか、実際に確認された因果律改変の規模とかを見て判断されるらしいよ」
「なるほど……能力者の世界というのも、不思議なものですね」
車内の空気は、少しずつ和やかなものへと変わっていった。
◆
車が到着したのは、都内でも有数の歴史を誇る名門女子校だった。
校門の前で学校の警備責任者と顔合わせを行い、ナオは正式な『臨時警護担当』としての校内入構証を首から提げた。
生徒たちには「玲蘭が暗殺者に狙われていて、本物の能力者のボディガードがついている」などと大々的に知らされているわけではない。
あくまで『家の都合で、数日間だけ付き添っている人』という建前だ。
校門をくぐり、校舎の廊下を歩く。
すれ違う女子生徒たちが、玲蘭の隣を歩くナオのことをチラチラと好奇の目で見てくる。
(うわぁ……居心地悪っ)
直哉の三十四年の人生において、見渡す限り女子高生しかいない女子校の校内を歩く経験など、当然のことながら初めてだった。
だが、彼が今まとっているのは東雲セナの姿だ。
小柄で可愛らしい若い女性が隣を歩いているだけなので、誰からも不審者として怪しまれることはない。
その認識のズレが、直哉にとっては胃が痛くなるような、少し面白いような、奇妙な感覚だった。
教室の前まで来ると、クラスメイトたちが普通に声をかけてきた。
「玲蘭、おはよー!」
「おはようございます」
玲蘭は、家で見せていた少し固い表情とは違う、年相応の柔らかい笑顔で挨拶を返した。
友人の一人が、直哉の方を見て尋ねる。
「玲蘭、その可愛い人誰?」
「家の都合で、数日だけ付き添ってくださるナオさんです」
直哉はセナの明るいトーンで、完璧な愛想笑いを浮かべた。
「よろしくね!」
友人の女子高生が驚いたように言った。
「え、若っ! もっと厳しいお付きの人が来るのかと思ってた!」
玲蘭がクスクスと笑う。
「私も、今朝お会いした時は最初は驚きました」
直哉は内心で突っ込んだ。
(俺の中身は全然若くない三十代のおっさんなんだけどな……)
授業中、直哉は教室内でずっと玲蘭の隣に立っている必要はなかった。
廊下側の死角や、学校側が用意してくれた空き教室の指定スペースで周囲を警戒しながら待機する。移動教室の時だけ、少し離れた位置から随伴する。
護衛の仕事というのは、基本的に地味な待機の連続だ。
だが、何も起きない施設を眺め続けるだけだった特殊保管施設の警備と違い、今日は『玲蘭という対象を守る』という明確な目的があるため、感覚はずいぶん違った。
昼休み。
直哉が空き教室で持参したカロリーメイトでもかじろうかと思っていると、玲蘭がひょっこりと顔を出した。
「ナオさん、お昼は?」
「私は後で適当に済ませるよ」
「でしたら、学食で一緒に食べませんか?」
直哉は少し驚いた。
「え、いいの? 護衛の人間と一緒のテーブルで食べて」
「ナオさんに一人で離れられる方が、護衛の意味がなくて困ります」
玲蘭の理屈は完璧に正しかった。直哉は苦笑して立ち上がった。
「分かった。じゃあご一緒させてもらうよ」
学食の隅のテーブルで、二人は向かい合ってランチを食べた。
玲蘭が注文したのは、ごく普通の唐揚げ定食だった。
直哉はそれを見て、少し意外そうに言った。
「へえ、意外と普通のご飯を食べるんだね」
「何がです?」
「いや、お嬢様っていうから、学校でも毎日もっと高そうな、フレンチのフルコースみたいなのを特別に食べてるのかと思ってたから」
玲蘭はフォークを止めて、呆れたように直哉を見た。
「ナオさんは、私のことを一体何だと思っているのですか?」
直哉は即答した。
「雲の上のお嬢様」
玲蘭は数秒間黙り込み、やがてフッと息を吐いた。
「……否定しづらいですわね、それは」
二人は顔を見合わせて、思わず声を上げて笑った。
この昼休みの何気ない会話で、護衛と対象者という硬い壁が少し崩れ、玲蘭との距離が確実に一歩縮まったのを感じた。
そこへ、先ほどの友人たちが冷やかしにやってきた。
「ちょっと玲蘭ー、その人と随分仲良くなったんじゃない?」
玲蘭はすまし顔で答えた。
「今日、初めてお会いしたばかりですけれど」
直哉が横から口を挟む。
「でも、今日半日ですごくたくさん話してるよね、私たち」
玲蘭がジト目で直哉を睨んだ。
「ナオさんは、人の心のパーソナルスペースの距離を詰めるのが早すぎます」
「えー? そうかなぁ?」
そんな軽いやり取りの中、玲蘭はごく自然にナオとの会話を楽しんでいるように見えた。
◆
午後。
体育の授業か、何か学校行事の準備があるらしく、玲蘭は制服から指定のジャージへと着替えることになった。
直哉は護衛として、女子更衣室の前まで付き添う。
玲蘭が更衣スペースへ入りながら、ごく自然に振り返った。
「ナオさんも、中へどうぞ」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、直哉の足が止まった。
だが、昨夜霧島から言われたことを思い出す。
(……分かって受けた仕事だ)
「うん。分かった」
直哉はそのまま更衣室へ入り、まず室内を一通り確認した。
窓。
奥の出入口。
個室。
人の位置。
異常がないことを確認すると、玲蘭から数歩離れた場所に立ち、入口と室内を警戒できる位置を取った。
玲蘭が制服へ手をかける。
直哉は自然に身体の向きを変え、玲蘭へ背を向けた。
「あら?」
「ん?」
「どうしてそちらを向いていらっしゃるのです?」
「いや、警戒はちゃんとしてるから大丈夫だよ」
「それは分かっていますけれど」
玲蘭が不思議そうに首を傾げた。
「女性同士なのですから、そこまで気を遣わなくてもよろしいのでは?」
(そこなんだよなぁ……)
直哉は数秒悩んだ。
さすがに「中身が34歳の男だからです」とは言えない。
とはいえ、真正面を向いて平然としていられるほど図太くもない。
結局、口から出たのは半分だけ本当の答えだった。
「その……私、恋愛対象が女性だからさ。着替えてるところをジロジロ見るのは、普通に失礼かなって」
玲蘭が目を丸くした。
「あら」
(俺、何言ってんだ……)
だが、他に角の立たない説明も思いつかなかった。
玲蘭は少し驚いただけで、すぐにいつもの表情へ戻った。
「そうなのですね」
「……うん」
「女性がお好きだからといって、女性なら誰でも手当たり次第に見るような方ではないのでしょう?」
「もちろん!」
「でしたら、別に何も気にしませんけれど」
あっさりしている。
あまりにあっさりしている。
(このお嬢様、メンタルつよい……)
「それに、今もきちんと私の警護をしてくださっているのでしょう?」
「それは当然。何かあったらすぐ動くよ」
「でしたら十分です」
玲蘭は何でもないことのように言った。
「では、そのままそちらを向いていてくださいな」
「了解」
直哉は入口側へ意識を向けたまま、玲蘭へ背を向けて待機した。
(……分かって受けた仕事とはいえ、やっぱり気まずいものは気まずいな)
だが、それを理由に護衛の距離を開けるつもりはない。
数分後、玲蘭が声をかけてきた。
「もう大丈夫です」
「終わった?」
「ええ」
振り返ると、玲蘭はすでに指定のジャージへ着替え終えていた。
何事もなかったような顔をしている。
態度が変わることも、距離を置かれることもなかった。
「それにしても、話してくださってありがとうございます」
「いや、別に大したことじゃないよ」
玲蘭としては、少し個人的な話を打ち明けてもらった程度なのだろう。
直哉の胸には、どうにも説明しづらい罪悪感だけが残った。
(いや、嘘ではないんだよ。女性が好きなのは事実なんだよ)
(俺が男だっていう、一番でかい情報を言ってないだけで……)
何とも言えない。
少なくとも玲蘭の中では、
『優秀で話しやすい女性護衛で、恋愛対象は女性』
というナオ像が順調に出来上がりつつあるらしい。
(……これ、正体バレたらどう説明すればいいんだ)
直哉にはまるで分からなかった。
◆
放課後。
全ての授業とホームルームを終え、直哉は玲蘭を連れて迎えの車が待つ場所へと歩いていた。
校門へ向かう途中、玲蘭が少し前を歩きながら、ぽつりとこぼした。
「今日は、思っていたよりもずっと楽しかったです」
「護衛されてて?」
「いえ。ナオさんとお話しするのが、です」
直哉は、一瞬返答に困った。
「そ、そう?」
「ええ」
そこに変な恋愛感情などはない。
ただ、普段とは少し違う相手と気軽に話せたことが、玲蘭には楽しかったらしい。
直哉にとっては、それだけで自分の仕事が少し報われたような気がした。
校門を出て、迎えの車が停まっている大通りへと差し掛かった時だった。
直哉は護衛として、油断なく周囲の状況に目を光らせていた。
道路の向こう側。
下校する生徒や一般人が行き交う人混みの中。
そこに、一人だけ、妙に目に焼き付く少年が立っていた。
年齢は十三、四歳くらいだろうか。
外国人らしい色素の薄い顔立ちをしており、ラフなオーバーサイズのパーカーのフードを深く被っている。
口には棒付きのキャンディをくわえ、一見するとただの生意気そうな外国の子供にしか見えない。
ただ。
(……ん?)
直哉の視線が、その少年に吸い寄せられて止まった。
何か超常的な感知能力が働いたわけではない。
だが、セナの身体に染み付いている戦闘技術を通して少年の立ち方を見た瞬間、明確な違和感があった。
立ち方。
重心。
視線。
人混みの中での位置取り。
近くを人が横切っても、少年は避けるような余計な動きをほとんど見せない。
それなのに、流れる人波の誰一人として彼にぶつからない。
何気なく立っているだけなのに、周囲の動きを全部把握しているように見える。
直哉の表情から笑みが消えた。
(なんだ、あのガキ……)
さらに数秒、観察を続ける。
(……普通の子供じゃない)
それが武道経験によるものなのか、能力者だからなのかまでは分からない。
だが。
(たぶん、めちゃくちゃ強いぞ)
その時。
少年がゆっくりと顔を上げ、道路の向こう側からこちらを見た。
直哉の目と、完全に視線が交差した。
(……俺を見てる?)
少年は、キャンディをくわえたまま、ニッコリと無邪気な笑顔を浮かべた。
そして。
直哉に向かって、小さく手を、ひらひらと振ったのだ。
「…………」
直哉の警戒心が一気に跳ね上がる。
(何なんだ、あのガキは……)
玲蘭が不思議そうに直哉の顔を見上げた。
「ナオさん? どうかなさいました?」
「玲蘭さん、こっち」
「え?」
説明する前に、直哉は玲蘭の肩を抱いて自分の背後へ入れた。
そのまま道路の向こう側へ視線を戻す。
信号が変わり、人の流れが一気に動き出す。
大型の路線バスが目の前を横切り、視界を数秒間遮った。
バスが通り過ぎた後。
あの少年の姿は、人混みの中から完全に消えていた。
(消えた……?)
直哉は即座に玲蘭を待機していた黒塗りの車へ乗せた。
「玲蘭さん、ここから出ないで」
「分かりました」
さっきまで気軽に話していたナオの雰囲気が一変したことを察したのか、玲蘭も素直に頷いた。
直哉は周辺を警戒していた紅城院家の警備リーダーへ駆け寄る。
「道路の向こうにいた外国人の男の子、確認してました?」
「外国人の少年?」
「十三、十四歳くらい。フード付きのパーカー。棒付きキャンディ」
直哉はさらに明確に伝えた。
「ただの子供には見えなかった。少なくともかなり高度な戦闘訓練を受けてると思う。能力者かどうかまでは分からないけど、私を認識した上でこっちを観察してた可能性がある」
警備リーダーの表情が即座に変わった。
「承知しました」
「監視カメラも確認してください。玲蘭さんの護衛案件と関係ある可能性まで考えた方がいいと思う」
「すぐ確認します。八咫烏側にも情報を共有します」
「お願いします」
直哉は特徴、服装、立っていた位置、こちらへ手を振ったことまで伝えた。
現場の警備員たちが周囲の捜索を開始する。
学校側にも監視映像の確認が依頼された。
だが、数分後。
周辺には該当する少年が見当たらないとの報告が返ってきた。
(……何だったんだ、あいつ)
証拠はない。
だが、「ただの迷子かもしれない」で片付けていい相手には見えなかった。
そのための報告はした。
あとは警備チームと八咫烏側でも確認してくれる。
◆
車内。
紅城院邸へと向かう帰路。
玲蘭が、窓の外を見ながら少し不思議そうに尋ねてきた。
「先ほどの方、ナオさんのお知り合いですか?」
「全然」
「こちらに向かって、楽しそうに手を振られていたように見えましたけれど」
「だから私も全然意味が分かんないんだよ」
玲蘭は口元を手で隠し、小さく笑った。
「ナオさんは、意外と小さな子供にも人気があるのですね」
「いや」
直哉は即答した。
「絶対、そういう可愛い感じじゃなかったと思う」
その声が思ったより真剣だったのか、玲蘭の笑みが少しだけ薄れる。
「……危険な方ですか?」
「まだ分からない。でも警備の人たちにはちゃんと伝えたから」
「そうですか」
「玲蘭さんは気にしなくていいよ。気にするのはこっちの仕事だから」
セナの口から出たその言葉に、玲蘭は直哉をしばらく見つめた。
そして、小さく笑う。
「では、お任せしますわ。ナオさん」
「うん。任せて」
紅城院邸へ無事に帰還し、一日目の護衛業務が終了した。
玄関ホールで、玲蘭が直哉に向かって深々と頭を下げた。
「本日は、一日ありがとうございました」
「ううん! 明日もよろしくね!」
玲蘭は、朝会った時よりもずっと自然な、年相応の笑顔を浮かべた。
「ええ。明日は沖縄ですものね」
明日の朝は、空港で合流し、紅城院家の行事に同行するためのフライトが控えている。
「ナオさんは、飛行機はお好きですか?」
「まあ、普通かな。落ちなきゃいいやって感じ」
「ふふっ。私は好きですよ。空の上は、誰にも邪魔されない静かな場所ですから」
玲蘭は、明日の沖縄への旅を少し楽しみにしているような雰囲気だった。
「それでは、また明日。ナオさん」
「また明日!」
直哉は玲蘭を見送り、邸宅を後にした。
◆
実家に帰宅した直哉は、自室のベッドに倒れ込んだ。
スマートフォンの業務アプリを開く。
『契約進行:1 / 3日』
『一日目警護:完了』
『警護対象:異常なし』
『警護対象負傷:なし』
『警護中戦闘:なし』
『契約継続中』
これで、第一日目のプロセスは無事に終了だ。
三日間の契約なので、現金報酬の36万円は最終日まで確定しない。
そして、視界の右上に《因果集結クロニクル》のシステム通知がポップアップした。
『【活動記録更新】』
『集結キャラクターの継続活動を確認しました』
『活動内容を記録します』
『活動評価完了』
『活動報酬を獲得しました』
飛び出してきたのは、いつもの『育成記録』と『クレジット』だけ。
因果晶のアイコンは、予想通り現れなかった。
直哉は大きく伸びをして呟いた。
「まあ、そうだよな」
むしろ、直哉は安堵していた。
(今日は、因果晶が出るほど大きく結果を変えるような事件は起きなかった。玲蘭さんも無事だった。それでいい)
護衛対象が無事なら、それは仕事として普通に成功だ。
だが。
部屋の電気を消し、ベッドに横になっても。
直哉の脳裏には、校門前で見かけたあの少年の姿が、どうにもこびりついて離れなかった。
笑っていた。
手を振っていた。
人混みの中での、あの異様に隙のない立ち方。
(……なんだったんだろ、あいつ)
現場の警備チームには報告した。
八咫烏側にも共有される。
なら、今できることは明日の警護でも気を抜かないことだ。
直哉はスマートフォンのアラームを明日の早朝にセットし、枕元に置いた。
目を閉じる。
最後に浮かんだのは、道路の向こうでキャンディをくわえながら、ひらひらと手を振ったあの少年の姿だった。
(……明日は沖縄か)
場所が変わるから安全だとは限らない。
(向こうでも、ちゃんと警戒しておこう)
直哉はそう考えながら、ゆっくりと目を閉じた。
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