俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
月曜日の朝。
沖縄のリゾートホテルのベッドで、直哉は普段よりかなり早く目を覚ました。
昨夜、霧島から暗殺者の少年の情報を聞かされて以来、熟睡できたとは言い難い。
だが、睡眠不足で体が重いというほどでもなかった。脳はむしろ、冷たい水を被ったかのように冴え渡っている。
直哉はベッドから起き上がると、真っ先に仕事用のスマートフォンを手にして通知を確認した。
紅城院家の警備班のグループチャットには、深夜から早朝にかけての状況報告が上がっていた。
『対象者(玲蘭):異常なし』
『周辺警備:異常なし』
『ノア・ヴァレリウス:所在確認できず』
最後の一行に、直哉は小さく舌打ちをした。
(所在不明のままか……)
だが、直哉はそこで「見つからないなら、今日は襲ってこないだろう」などと都合よく考えるつもりはなかった。
相手は、各国の裏社会で暗殺を請け負ってきた一族の人間だ。
警察や八咫烏が探しているからといって、簡単に姿を晒す相手ではない。
今日襲ってくるかもしれない。
来ないかもしれない。
分からないなら、警戒するしかない。
(場所が東京でも沖縄でも関係ない。俺の護衛対象は玲蘭さん一人だ。今日も気を抜かずに行くぞ)
直哉は洗面台で顔を洗い、気合を入れ直した。
姿見の前に立ち、《因果集結クロニクル》の編成画面を呼び出す。
今日選択するのも、『東雲セナ』だ。
相手が《雷神》を使うTier2だからといって、同じ雷系統のセナを外す理由にはならない。
直哉の仕事はノアを正面から倒すことではない。
玲蘭の至近距離に付き、異常が起きたら即座に連れて離脱することだ。
その役割なら、瞬発力と近距離での対応力に優れるセナが一番向いている。
編成には遠距離戦を得意とする鳴海伊織も入っている。必要なら三秒の切替待機時間を挟んでスイッチすればいい。
『【CHARACTER CHANGE】』
青白い粒子が弾け、視界と重心が切り替わる。
黒いショートヘアの凛とした若い女性の姿が、鏡の中に映し出された。
直哉は軽く首を回し、身体の感覚を確認する。
(今日も一日、よろしく頼むぞ、セナ)
この緊張した警護でなければ、もう少し沖縄を楽しみたかったという気持ちはある。
だが今日は三日間の契約の最終日だ。
無事に玲蘭を東京へ送り届ければ、それで終わる。
直哉は部屋を出た。
◆
空港へ向かう前。
ホテルの会議室で、紅城院家の警備責任者から本日の最終予定のブリーフィングが行われた。
当然だが、東京へ帰還してから学校へ登校する予定は完全に中止されている。
今日の勝利条件は極めて単純だった。
『玲蘭を無事に東京へ戻し、紅城院家が用意した高セキュリティ区域へ収容すること』
警備班は、相手がTier2の暗殺者であることを全く軽視していなかった。
今日の移動経路の詳細は、直哉を含む最低限の人間にしか共有されていない。
利用する送迎車両も昨夜のうちに再点検され、爆発物などが仕掛けられていないことも確認済み。さらに予備車まで複数用意されている。
移動ルートも一つに固定せず、複数候補から直前に選択する。
東京側の到着先も、いつもの紅城院邸ではない。
紅城院グループが保有する、高度な警備設備を備えた施設へ直接向かう予定だ。
(予定変更。車両変更。ルート秘匿。警備増員)
できることはやっている。
直哉自身も、提示された計画に異論はなかった。
◆
出発前のホテルロビー。
直哉は玲蘭と合流した。
「おはようございます、ナオさん」
一昨日、初めて会った時の「紅城院玲蘭です」と名乗った堅苦しい挨拶とは、もう随分違う。
直哉もセナの明るい声で返した。
「おはよ、玲蘭さん!」
玲蘭の表情が少しだけ柔らかくなる。
この二日間を一緒に過ごし、昨日は海辺で不安まで打ち明けてもらった。
少なくとも、最初に会った時よりもずっと自然に話せる関係になったことは、直哉にも分かる。
「今日で最後ですわね」
玲蘭が、ぽつりと呟いた。
「そうだね。無事に東京まで帰ったら、私の護衛契約は終了」
玲蘭は少しだけ視線を落とした。
「……三日間というのは、意外と短いものですね」
その表情が、ほんの少し寂しそうに見えた。
直哉は笑う。
「まあ、何事もなく無事に終わるのが一番だよ」
「……そうですわね」
玲蘭は小さく頷いた。
帰りの飛行機も、行きと同じく紅城院家が用意したチャーター機だった。
一般客が大勢いる通常のターミナルを通らずに済むのは、警備上ありがたい。
機内でも直哉は玲蘭のすぐ隣に座った。
ノア・ヴァレリウスという暗殺者の情報が判明した翌日だ。
さすがに沖縄へ来た時ほど呑気に雑談するような空気ではない。
それでも玲蘭は、昨日の海辺で見せたように完全に怯えきっているわけではなかった。
「東京に帰ったら、今日は本当に学校には行けないね」
「ええ。友人たちに、変に心配されてしまいそうですわ」
「でも、事情の全部は話せないしね」
「そうですね……。適当に家の用事だったと誤魔化すしかありません」
そんな、普通の高校生としての日常を惜しむような会話をしながら、飛行機は東京へ向かった。
このまま何も起きずに終わってくれればいい。
直哉は、本気でそう願っていた。
◆
チャーター機は無事に羽田空港へ到着した。
東京側で待機していた警備班と合流し、責任者同士で引き継ぎが行われる。
直哉も《ナオ》としてその輪に加わった。
現在のところノアの姿は確認されていない。
警備班からも周辺の異常報告はない。
一行は厳重に警戒された車列へ乗り込んだ。
玲蘭の乗るメイン車両には、玲蘭本人、近接護衛のナオ、運転担当、前席の警護担当の四人。
その前後を警護車両が挟む。
車列が高速道路を走り始めた頃。
直哉は一瞬だけ、《因果集結クロニクル》へ意識を向けた。
『因果晶:6,400』
十連ガチャ四回分。
ここで戦力を増やすために回すか。
その誘惑は、やはりあった。
だが。
(……まだだ)
直哉はすぐに画面を閉じた。
今の勝利条件は、ノアと戦って勝つことではない。
玲蘭を安全区域へ送り届けること。
昨日決めた方針を、緊張したからという理由だけで変えるつもりはなかった。
車列は順調に進み、やがて目的地となる紅城院家系列の高セキュリティ施設へ到着した。
施設は、警護対象者が地上の一般エントランスを歩く必要がない構造になっている。
車列ごと専用スロープを下りて地下駐車場へ入り、そこから専用エレベーターで一般区画とは遮断された警備区域へ上がる。
外部の人間と接触するポイントを極力減らしたルートだ。
車列が地下へ降りる。
重厚なシャッターが開き、警備ゲートの認証を通過。
薄暗い地下の指定区画へ車両が滑り込んだ。
(よし。ここまで来れば、あとはエレベーターに乗るだけだ)
直哉の肩から、ほんの僅かに力が抜けかけた。
その時だった。
玲蘭の乗った車両が指定位置で停止する。
エンジンを切る、その直前。
プスン……。
車のエンジンが、不自然な音を立てて停止した。
「……?」
運転手がスターターを操作する。
反応しない。
もう一度。
無反応。
「おい、どうした!」
前席の警護担当が声を上げる。
直後、車内の無線機からノイズ混じりの声が飛び込んできた。
『こちら車両一! エンジンが急に始動不能になりました!』
『こちら後方車両もです! 計器類が落ちています!』
直哉の表情が凍りつく。
(同時に? 故障じゃない……!)
次の瞬間。
地下駐車場の照明が、バチバチッと激しく明滅した。
壁際の防犯カメラに点いていたランプが消える。
案内用の電光表示もブラックアウト。
直哉のスマートフォンからも通信表示が消えた。
局所的に、電子機器がまとめて機能を奪われている。
直哉の脳裏に、昨日霧島から聞いた情報が蘇る。
『固有能力:《雷神》』
『周囲の電子機器への障害例あり』
(……来た!!)
だが、紅城院家の警備班は優秀だった。
誰も動かなくなった車両へ固執しない。
車が死んだ。
通信もまともに使えない。
なら次の退避手順へ切り替えるだけだ。
警備責任者が叫んだ。
「全車両、即座に離脱! お嬢様を徒歩で第二経路の非常階段へ!」
直哉は即座に車のドアを開け、玲蘭の手を引いて外へ出す。
「玲蘭さん、私から絶対に離れないで!」
「はい!」
玲蘭も泣き叫んだりはせず、しっかりと直哉の手を握った。
周囲の車から降りた警護員たちが、即座に二人の前後を固める。
対能力者用の制圧装備もすでに構えられている。
一行が非常階段へ動き始めようとした。
その瞬間。
「やっほー」
地下駐車場のどこかから、楽しそうな少年の声が響いた。
全員の足が止まる。
薄暗い柱の陰から、一人の少年がゆっくりと歩み出てきた。
ラフなオーバーサイズのパーカー。
色素の薄い髪。
口元には棒付きのキャンディ。
ノア・ヴァレリウス。
少年は周囲の警護員たちではなく、真っ直ぐ直哉――セナの顔を見て、ニッコリと笑った。
「一昨日ぶり、お姉さん」
直哉の背筋に悪寒が走る。
(一昨日、学校の前で見てた時から、やっぱり俺を認識してたんだ……!)
警備責任者が鋭い声を上げる。
「ノア・ヴァレリウス!」
周囲の警護員が、一斉に制圧態勢へ入った。
ノアは全く動じない。
むしろ、少し嬉しそうに目を細める。
「あ、名前バレてる」
キャンディの棒を口の中で転がしながら、直哉を見た。
「一昨日、ちゃんと俺のこと見つけて報告したんだ。偉いじゃん、お姉さん」
直哉は、反射的に《制式霊装刀・四式》を実体化させ、そのまま斬りかかりたい衝動に駆られた。
だが。
霧島から言われた言葉が、頭の中で蘇る。
『退避を最優先。単独での撃破を試みないでください』
直哉は動かなかった。
警備責任者が叫ぶ。
「ナオさん! 我々がここで抑えます! お嬢様を連れて第二経路へ!」
直哉は、一切躊躇しなかった。
「了解!」
玲蘭の腕を引き、非常階段へ全力で走り出す。
「皆さんが――!」
玲蘭が後ろを振り返ろうとする。
「振り返らないで!」
セナの声が、強い命令となって響いた。
「玲蘭さん、前だけ見て走って!」
玲蘭はハッとして前へ向き直り、直哉の手を強く握り返す。
背後から戦闘音が響き始めた。
銃声。
能力発動の衝撃音。
床のコンクリートが砕ける音。
青白い雷光が地下駐車場を何度も照らす。
イヤホンから、ノイズ混じりの声が聞こえた。
『対象を確認、制圧射撃を――』
『うわぁっ!!』
激しい放電音。
通信が途切れる。
『ナオさん、そのまま……!』
直哉は振り返らなかった。
(頼む……! 一秒でも長く稼いでくれ!)
警護員たちも、それが自分たちの役割だと分かっている。
その時間を無駄にしないために、直哉は玲蘭を連れて非常用の防火扉へ飛び込んだ。
電子ロックは機能していない。
だが非常用の手動解錠レバーは残っている。
直哉がレバーを引き下げ、重い扉を開く。
「上へ!」
二人で非常階段を駆け上がる。
直哉は玲蘭より少し下側を走り、背後からの追撃を警戒しながら階段を上がった。
一階分を登りきる。
目の前には地上フロアへ続く防火扉。
非常口を示す表示。
(よし! ここを開ければ外だ!)
直哉は扉を押し開いた。
しかし。
その向こうに広がっていた光景を見て、直哉の思考が一瞬止まった。
無機質なコンクリートの柱。
床に引かれた白線。
エンジンが停止した黒塗りの警護車。
壁の『B2』という表示。
さっきまでいた地下駐車場だった。
「…………は?」
直哉の口から間抜けな声が漏れる。
玲蘭も足を止めた。
「ナオさん……?」
直哉は慌てて背後を見る。
間違いなく階段を上ってきた。
それなのに、防火扉は地下駐車場の別の場所へ繋がっている。
(俺、道を間違えたか!?)
最初に疑ったのは、自分のミスだった。
だが遠くからは、まだ警護班とノアが戦っているらしい衝撃音と雷鳴が聞こえてくる。
間違いない。
同じ地下駐車場だ。
どういう理屈なのかは分からない。
だが考え込んでいる暇はない。
「こっち!」
直哉は再び玲蘭の手を引いた。
非常階段が駄目なら、次は物理的に外へ繋がっているルートだ。
「車が入ってきたスロープへ向かうよ!」
そこなら迷いようがない。
車で実際に地上から降りてきた道だ。
セナなら圧倒的な速度で走れる。
だが玲蘭は普通の女子高生だ。
彼女へ速度を合わせたままでは、いつ追いつかれるか分からない。
「失礼!」
「えっ!?」
直哉は玲蘭を横抱きに抱え上げた。
「舌噛まないでね!」
《瞬雷》は使わない。
急激な加速を、能力を持たない玲蘭へそのまま受けさせるわけにはいかない。
それでもセナの通常の脚力だけで十分に速い。
スロープを一気に駆け上がる。
カーブを抜ける。
その先に、昼の光が見えた。
本物の太陽光。
外の道路。
(今度こそ!)
直哉は玲蘭を抱えたまま、その光へ飛び込んだ。
一歩。
二歩。
視界が、一瞬だけ奇妙にぐにゃりと揺れた。
外から聞こえていた車の走行音と風の音が、急に遠ざかる。
次の瞬間。
セナの靴が踏んだのは、地上のアスファルトではなかった。
冷たいコンクリート。
目の前には。
同じ柱。
同じ『B2』。
同じ黒い車。
直哉は玲蘭を抱えたまま、その場に立ち尽くした。
「…………」
玲蘭が震える声で呟く。
「……どう、いうことですの?」
直哉は乾いた唇を開いた。
「分からない」
だが、一つだけはっきりした。
(出られない)
《因果集結クロニクル》は、この状況について何も教えてくれない。
MAPが出るわけでもない。
空間の解析結果が表示されるわけでもない。
ただ現実として、
出口を抜けても、地下駐車場へ戻される。
(異界? 空間系の能力? 呪物……?)
原因は分からない。
少なくとも、八咫烏から聞いているノアの《雷神》に、空間をループさせるような性質はない。
(《雷神》だけじゃない)
直哉は奥歯を噛む。
(別の能力者か……何か別の術者が、こいつの仕事を手伝ってるのか?)
ノア一人だけの仕業とは限らない。
暗殺者なのだから、自分の能力だけで全てを済ませる必要などないのだ。
直哉は施設の構造を思い出す。
搬入口。
別の非常階段。
設備区画。
まだ試せるルートはある。
(まだだ)
玲蘭を抱え直す。
(まだ諦めるな)
その時。
背後から乾いた拍手の音が聞こえた。
パチ。
パチ。
パチ。
「おっ、戻ってた」
ノアの声。
直哉がゆっくりと振り返る。
先ほど警護班と戦っていた場所から。
ノア・ヴァレリウスが、ポケットへ手を突っ込んだまま悠々と歩いてくる。
口には相変わらずキャンディ。
「はい、おつかれー」
楽しそうに笑う。
「無駄だよ♡」
あまりにも軽い声と、置かれている状況の落差が、直哉の背筋を冷たくした。
そして。
直哉の視線が、ノアの後ろへ向かう。
「……っ!」
玲蘭が息を呑み、直哉の服を強く掴んだ。
床には、先ほどまで二人を逃がすために残ってくれた紅城院家の警護役たちが、全員倒れていた。
血を流している者もいる。
死んでいるのかは遠目では分からない。
わずかに身体が動いている者もいるように見えた。
だが。
戦闘を続けられる者が一人も残っていないことだけは、はっきりしている。
数十秒。
長くても数分。
それだけの時間で、対能力者用の装備を持った警備班が全員倒された。
(……これがノア・ヴァレリウス)
Tier2の因果規模。
《身体能力強化》。
《雷神》。
そして幼い頃から叩き込まれているであろう暗殺の技術。
それが合わさった結果だ。
直哉は低い声で問いかけた。
「……何をした」
ノアが小首を傾げる。
「何って?」
「出口だよ。どうやってここをループさせてる」
ノアは楽しそうに笑った。
「教えるわけないじゃん。馬鹿なの?」
「……っ」
当然だ。
敵にわざわざ仕組みを教えてくれる理由などない。
ノアはキャンディを噛み砕きながら、当たり前のように続けた。
「あんた、護衛なんでしょ?」
「……」
「俺が出たら、真っ先に標的を連れて逃げるに決まってると思ってたよ」
そしてニッコリ笑う。
「だから、絶対に逃げられないように、先にここの出口を弄っておいただけ」
直哉は何も返せなかった。
自分は間違った判断をしたわけではない。
ノアが出た瞬間、戦わずに玲蘭を連れて逃げた。
それが護衛としての正解だった。
だがノアは、その正解を最初から読んでいた。
「一昨日、学校の前であんたのこと見といて良かったよ」
ノアが直哉を指差す。
「ちゃんと強そうだったからさ」
キャンディの棒を軽く振る。
「標的の顔だけ見て仕事始めるとか、プロなら普通しないでしょ?」
直哉は黙って少年を睨みつけた。
一昨日、ノアが確認していたのは玲蘭だけではなかった。
護衛の配置。
能力者の有無。
そして、ナオという近接警護戦力。
それを確認した上で、今回の襲撃を準備している。
直哉は、ゆっくりと玲蘭を床へ下ろした。
彼女を抱えたままでは戦えない。
周囲を見る。
出口は潰されている。
通信も死んでいる。
警護班は全滅。
さらに。
(……おかしい)
直哉は、ふと別の違和感にも気づいた。
ここは東京都内だ。
これだけ大規模な因果律改変が起き、Tier2級の能力者が派手に《雷神》を使っている。
本来なら、都市の因果律改変反応センサーが何らかの異常を拾ってもおかしくない。
だが。
外から何かが動いている気配が、まるでない。
(通信だけじゃない……?)
直哉の背中に、さらに冷たいものが走る。
(因果反応そのものまで、外から隠してるのか……?)
断定はできない。
だが、ノア以外の何者かが空間の閉鎖に関わっているなら。
同時に、この場所で起きている因果干渉を外部観測から隠している可能性もある。
(だとしたら……八咫烏は、この場所で何が起きてるのかすら分かってない)
援軍を期待して時間を稼げばいい。
そんな保証すらない。
直哉は近くの太いコンクリート柱へ視線を向けた。
構造壁と車止めがあり、少なくともノアから直接は見えなくなる。
「ナオさん……?」
玲蘭が、不安そうに直哉を見上げる。
直哉はノアから目を離さず、静かに言った。
「玲蘭さん」
自分でも分かる。
いつもの軽い調子の声ではなかった。
「そこの柱の後ろに隠れて」
玲蘭の顔が青ざめた。
「でも――」
「お願い」
ここから逃げろとは言えない。
二人とも、出口がないことをもう知っている。
「柱の陰に隠れて。私が何とかする間は、絶対に出ないで」
玲蘭はナオの服の裾を強く握った。
指先が震えている。
「でも、ナオさんは……」
直哉は一瞬だけ答えに詰まった。
「大丈夫」
そう言おうとして。
やめた。
そんな保証はどこにもない。
「……大丈夫とは言えない」
玲蘭の目が僅かに見開かれる。
「でも、今はそれしかないから」
直哉は玲蘭を見た。
「だからお願い。隠れてて」
玲蘭はしばらく直哉の顔を見つめていた。
服を掴む指に力が入り。
やがて、ゆっくりと離れる。
唇を強く噛み締め、震える足で柱の陰へ走った。
「……分かりました」
直哉は小さく頷く。
「ありがとう」
玲蘭が完全に柱の陰へ入ったことを確認してから。
直哉はようやく、ノアへ正面から身体を向けた。
《因果集結クロニクル》。
東雲セナ。
『HP:3,430 / 3,430』
スキルは全て使用可能。
直哉は右手を伸ばした。
青い雷光が走り、空間から武装が実体化する。
『★★★《制式霊装刀・四式》』
柄を握る。
怖い。
勝てるとは思っていない。
警護班ですら、あっという間に全員倒された。
目の前にいるのは、自分より一段上のTier2。
しかも暗殺を生業にしている専門家。
(逃げられない)
(援軍が来る保証もない)
(目の前にいるのは、俺より格上の暗殺者)
昨日、玲蘭へ言った通りだった。
本当に怖い。
死にたくない。
でも。
(俺が退いたら、あいつの次は玲蘭さんだ)
だから立つしかない。
ノアは刀を構えた直哉を見て、少し嬉しそうに目を細めた。
「へえ」
新しいキャンディの包み紙を開ける。
「今度は逃げないんだ?」
直哉はセナの声で言い返した。
「逃げられないようにしたの、そっちでしょ」
「あはは。そうだったそうだった」
ノアは少年らしい軽い笑い声を上げた。
相変わらず武器も構えない。
だらりと立っている。
しかし改めて正面から観察すれば、足の置き方、重心、肩の力の抜き方、こちらを見る視線、その全てに不自然なほど隙がない。
一昨日、学校の外でセナの身体が感じ取った違和感。
あれは正しかった。
ノアが口からキャンディの棒を抜く。
「じゃ」
無邪気に笑った。
「始めよっか?」
直哉は刀の柄を両手で強く握り締めた。
怖い。
勝てるとは、これっぽっちも思っていない。
ただ。
あいつを玲蘭へ届かせない。
それだけだ。
逃げ道は、もうどこにもなかった。
なら。
(ここで、俺が止めるしかない)
直哉は深く腰を落とし、Tier2の暗殺者へ切っ先を向けた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!