俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~   作:パラレル・ゲーマー

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第14話 ガチャしかねえ!!

 地下駐車場。

 

 玲蘭がコンクリートの太い柱の陰へ身を隠したのを確認し、直哉は東雲セナの姿のまま、ゆっくりと正面へ向き直った。

 

 視界の《因果集結クロニクル》のステータスを確認する。

 

『★★★★ 東雲セナ Lv.20』

『HP:3,430 / 3,430』

 

 スキルは全て使用可能だ。

 だが、EXエネルギーのゲージはまだ溜まりきっていない。

 

 相手は各国の裏社会を渡り歩いてきた、Tier2のプロの暗殺者。

 こちらは、数日前に能力を得たばかりの、元ブラック企業勤務の三十四歳。

 

 勝てる道理はない。

 だが、直哉の思考は恐ろしいほどに冷え切っていた。

 

(こいつを、絶対に玲蘭さんのところへ行かせるな)

 

 ただ、それだけだ。

 

「始めよっか?」

 

 ノア・ヴァレリウスがキャンディの棒を口にくわえたまま、ふざけたような軽い口調で告げた瞬間だった。

 

 直哉は、様子見など一切しなかった。

 

 Tier2の化け物を相手に、剣の構えを見せたり、ジリジリと間合いを測ったりするような無駄な駆け引きは命取りになる。最初から、今出せる最高の実戦速度をぶつける。

 

 直哉は床を強く蹴り、スキル1のトリガーを引いた。

 

「――遅い!」

 

 《瞬雷》。

 

 青白い雷光が弾け、セナの肉体が完全に空間から消えたように加速した。

 二十メートルの距離を一瞬でゼロにし、ノアの側面の死角へと回り込む。

 

 全体重と雷のエネルギーを乗せた、渾身の一閃。

 高耐久の試験ダミーすら両断したその斬撃が、ノアの首筋へ向かって振り抜かれる。

 

 だが。

 

 ノアは、驚いて大きく跳び退いたりもしなかった。刀を何かで弾き返したり、派手な雷で防いだりすることすらしなかった。

 

 ただ、半歩。

 

 本当に、靴一足分だけ足の位置をずらし、少しだけ首を傾けて身体を捻った。

 

 シュッ!

 

 渾身の刃が、ノアのパーカーの生地数ミリを空しくかすめ、完全に空を切った。

 

 直哉の目が見開かれる。

 

(嘘だろ!?)

 

 ノアは驚いたというよりも、少しだけ感心したように目を丸くした。

 

「おっ。速いじゃん、お姉さん」

 

 その余裕の言葉が終わるよりも早く。

 

 ノアの身体が、スッと直哉の懐の内側へと入り込んでいた。

 彼はまだ、《雷神》の派手な放電能力すら使っていない。ただの『身体能力強化』の体術。それだけだ。

 

 だが、その速度と予備動作のなさは、直哉がこれまで経験したどの動きとも次元が違っていた。

 

 ごく軽く見える、流れるような掌底の一撃。

 それが、セナの腹部へと吸い込まれるように決まった。

 

 ドォォォォンッ!!

 

 直哉の身体が、まるでトラックに跳ね飛ばされたかのように後方へと吹き飛んだ。

 背中のコンクリート壁に激突し、息が完全に詰まる。

 

 視界の緑色のHPバーが、一気に大きく削り取られた。

 

『HP:2,150 / 3,430』

 

(ぐはっ……!!)

 

 一発で千以上のダメージ。内臓が破裂し、あばらが何本も折れてもおかしくない衝撃だった。

 だが、セナの肉体には外傷は一切発生していなかった。因果的な保護システムが、致死的な物理ダメージをただの『HPの減少』という数字へと強制的に変換してくれていたのだ。

 

 直哉は壁から崩れ落ちるように着地し、すぐに刀を杖にして立ち上がった。

 

 ノアは、キャンディの棒を指で摘みながら、不思議そうな顔をした。

 

「あれ?」

 

 彼は、自分の手のひらと、立ち上がった直哉を交互に見た。

 

「今ので、もう動けなくなると思ったんだけど」

 

 直哉は荒い息を吐きながら、刀を構え直した。

 

 ノアは少しだけ楽しそうに目を細めた。

 

「普通に立つじゃん。何それ? どういう能力?」

 

 直哉は、セナの凛とした声で吐き捨てた。

 

「さあね!」

 

「あはは。そっちも種明かしはしてくれないんだ」

 

「当たり前でしょ!」

 

 直哉は、ほんの少し前にノアから言われた「教えるわけないじゃん」という言葉を、そっくりそのまま返してやった。

 

 ノアは楽しそうに笑った。

 

「そっか。じゃあ、壊れないなら、もうちょっと強くやっても平気そうだね」

 

 だが、強がりでどうにかなる相手ではない。

 

 直哉は覚悟を決めた。ここからは、自分がゲームのシステムから理解した『東雲セナの最適行動』を全て出し切るしかない。

 

「はぁっ!」

 

 直哉は床を蹴り、《白雷剣式》の通常コンボを叩き込んだ。

 

 一段。二段。前進しながらの連撃。切り上げ。高速でのすれ違い斬り。

 

 ノアはキャンディを舐めながら、その全てをヒラヒラと躱していく。一撃もまともに刃を通すことができない。

 

 だが、直哉の目的は攻撃を命中させることだけではなかった。

 絶え間なく攻撃を続けることで、ノアの意識を自分に固定し、玲蘭が隠れている柱から少しでも遠ざけること。それが前衛としての最大の仕事だ。

 

 通常攻撃の連撃が成立し、直哉の視界に青白いアイコンが点灯していく。

 

『《電位》×1』

『《電位》×2』

『《電位》×3』

 

 最大スタック到達。

 さらに、先ほどの《瞬雷》によるバフ状態。

 

『《励起》:攻撃力+20% 移動速度+10%』

 

 直哉の脳が、最高のコンボルートを弾き出す。

 

(電位三つ。ここから――!)

 

 直哉は三つのスタックを全て消費した。

 

「《雷走・反転》!!」

 

 電撃をまとった強力な交差斬撃。

 ノアはそれを軽々とバックステップで避けたが、直哉の狙いはその後に発生する自己強化だった。

 

『《臨界駆動》モードへ移行:残り時間 6.0秒』

 

 セナの身体の周囲を巡る雷の密度が激増し、彼女の速度がさらに一段階引き上げられる。

 

「へえ。あんたも電気使うんだ?」

 

 ノアは、そこで初めて《雷神》としての力を少しだけ解放した。

 

 大技ではない。ただ、彼の足元や指先の神経に、微かな青白い電気がチリチリと纏わりつき始めただけだ。

 だが、それだけでノアの身体の動きが、さっきよりもさらに滑らかに、そして異常なほど速くなった。

 

 《臨界駆動》によって、セナの速度は間違いなくさっきより上がっている。

 それなのに。

 

(こいつ……!)

 

 距離が全く縮まらない。

 むしろ、ノア側がほんの少しだけ速度のギアを上げただけで、セナの最高速度の剣撃すら、またしても完全に余裕で躱されるようになっていた。

 

 直哉には、返事をする余裕すらなかった。

 

 さらに速度を上げ、《瞬雷》のクールダウンが明けるのと同時に、もう一度一気に踏み込む。

 今までで一番速い、最高のタイミングでの突撃。

 

 だが。

 

 直哉の目の前に、ノアはいなかった。

 

(は!?)

 

 直哉が刀を振り抜こうとした『少し先の空間』。

 そこに、ノアがすでに先回りして立っていたのだ。

 

 後から追いついたのではない。直哉の剣の軌道と速度を完全に計算し、「こいつはここへ出てくる」と読み切って、すでに待ち構えていたのだ。

 

 ノアが、退屈そうに呟いた。

 

「直線的だね」

 

 直哉が反応するより早く、ノアの雷を纏った裏拳がセナの顔面を捉えた。

 

 ドガァンッ!

 

 直哉の身体が再び吹き飛ばされ、床を転がる。

 HPがまたしても大きく削り取られた。

 

『HP:1,020 / 3,430』

 

 直哉は、それでも食らいついた。

 

 ここで彼を、ただの一方的なサンドバッグにはしなかった。

『東雲セナ』という肉体は、★4とはいえ現地登録Tier3という一線級の戦闘技術を持ったキャラクターだ。そして直哉自身にも、ここ数日の実戦経験と、ゲーマーとしての「環境を利用した立ち回り」の知識がある。

 

 直哉は、広い場所での速度勝負を捨てた。

 

 柱と駐車された車。その狭い隙間へとノアを誘い込み、相手の進路を物理的に制限する。

 フェイントを入れ、車体を蹴っての三角飛びから死角を取り、《瞬雷》で奇襲をかける。

 

(これなら、絶対に入る!)

 

 完璧なタイミングで作った、必殺の布陣。

 

 だが。

 

 紙一重。

 

 ノアは、狭い空間の中で身体を折り曲げ、車体に手を突いて信じられない軌道でその全てを回避した。

 格上のTier2といえども、セナの動きが弱いわけではない。ただ、ノアの対応力と戦闘センスが、完全に直哉の理解の範疇を超えていた。

 

「……あははっ、お姉さん、動きはいいんだけどさ」

 

 ノアが笑う。

 

 その戦闘の最中。

 直哉の視界の左下で、ついに黄金色のゲージが満タンになった。

 

『EX ENERGY:100 / 100』

 

 《臨界駆動》のバフもまだ数秒残っている。

 条件は全て揃った。

 

(これなら……これなら、どうだ!!)

 

『《臨界駆動》発動中』

『EXスキル《暁天・千雷一閃》を強化』

『《暁天・千雷一閃――極》へ変化』

 

 直哉は、全ての意識を込めて叫んだ。

 

「夜明けを待つ必要なんてない――《暁天・千雷一閃――極》!!」

 

 セナの最大の必殺技。

 地下駐車場の薄暗い空間を、青白い雷光が完全に染め上げた。

 直哉の視界から、ノア以外の全ての景色が消え去る。

 

 極限の加速。

 空間そのものを切り刻むような、無数の雷を伴う連続斬撃。

 そして、全てのエネルギーを収束させた、最後の一閃。

 

 ノアも、その派手な雷の嵐を見て、初めて少しだけ目を見開いた。

 

「おお」

 

 彼は小さく感心したように口元を歪めた。

 

「うん。なかなか速いじゃん」

 

 一撃目。

 ノアは軽く身を屈めて避けた。

 

 二撃目。

 ステップを踏んで避けた。

 

 空間を埋め尽くす雷撃の嵐。

 ノアは、その雷の軌道の隙間を、まるで雨粒を避けるように歩いて通り抜けた。

 

 そして、直哉が放った渾身の『最終一閃』。

 ノアは、首を数センチだけ横へ倒し、紙一重で完全にそれを躱し切った。

 

 ヒュッ……!

 

 無人のコンクリートの柱だけが、巨大な刀傷を受けて崩れ落ちる。

 

 直哉は、刀を振り抜いた姿勢のまま、完全に凍りついた。

 

(…………)

 

 これまで、Tier4の凶悪な能力者を制圧し、巨大な異界の怪物を両断してきた。

 そのセナが、最大火力のバフを乗せて撃ち込んだ、最強の必殺技。

 

 それが、ただの一発も、かすりもしなかった。

 

 ノアは、キャンディを口の端にくわえたまま、退屈そうに首を傾げた。

 

「終わり?」

 

 その一言が、直哉の心を、冷たい絶望の底へと突き落とした。

 

 ノアが、一気に距離を詰めてきた。

 今度は明確に、全身に《雷神》の強力な青白いプラズマを纏っている。

 

 強烈な雷を帯びた回し蹴りが、セナの腹部にめり込んだ。

 

 ドゴォォォォンッ!!!

 

 直哉の視界が、ぐらりと大きく揺れた。

 

『HP:――』

 

 緑色のバーが、一気に削り取られ、数字が落ちていく。

 

 そして。

 

『HP:0 / 3,430』

 

 直哉は、能力を得てから初めて、その『ゼロ』という数字を見た。

 

(ゼロ……!?)

 

 直哉の意識が遠のきかける中、視界の中央に赤い警告テキストが表示された。

 

『東雲セナ《戦闘不能》』

 

 その瞬間だった。

 

 直哉の身体が、物理的に崩れ落ちることはなかった。

 代わりに、青白い因果律の粒子が激しく弾け、セナの変身状態が強制的に解除の方向へと引き剥がされそうになる。

 

 だが。

 直哉の編成スロットには、まだ戦闘可能なキャラクターがもう一人残っていた。

 

 システムが、直哉の意志とは無関係に、自動的な防衛プロトコルを作動させた。

 

『緊急キャラクター切替を開始します』

 

 一瞬の閃光。

 

 直哉の姿が、完全に書き換わった。

 164センチの若い女性から。

 長銃を手にした、27歳の長身の女性へ。

 

 セナから、鳴海伊織へ。

 

 身体の高さ、骨格、重心の置き方、視線、そして話し方のフィルターまで。

 すべてが一瞬にして、別の戦闘プロフェッショナルのものへと置換された。

 

 さすがのノアも、目の前の少女が突然大人の女性の狙撃手へと姿を変えたことに、目を丸くして立ち止まった。

 

「……え?」

 

 彼はキャンディを噛むのを止め、まじまじと直哉――伊織を見た。

 

「何それ? 急に戦い方まで変わるじゃん……!」

 

 初めて、ノアの顔にわずかな戸惑いと驚きが浮かんだ。

 この一瞬。ほんの数秒だけ、直哉側が状況の主導権を握った。

 

 伊織の姿になった直哉は、セナのように近距離で剣を振るうような馬鹿な真似はしなかった。

 

 スイッチした瞬間、真っ先にノアから大きく距離を取るためのバックステップを踏んだ。

 長銃を構え、即座にスキルのトリガーを引く。

 

 伊織の、冷静で冷徹な声が響く。

 

「《零点規正》」

 

 ノアの身体に、直哉にしか見えない『《照準標》』のマーキングが付与される。

 

 ノアがすぐに我に返り、直哉を追って距離を詰めようと走り出す。

 直哉は引き金を引いた。

 

 ダァン!

 

 一発。ノアが躱す。

 直哉は追いかけない。すぐに別の柱の陰へと移動し、射角を変える。

 

 車体を遮蔽物に使い、再び撃つ。

 

 さっきまでの『高速で突っ込んでくる剣士』とは、全く真逆の立ち回りだ。

 ノアも、その戦法と間合いの急激な変化に、最初の数秒間は対応を切り替える必要があった。

 

「っと」

 

 ノアが首を捻る。銃弾が彼の頬の数センチ横をかすめた。

 

 もう一発。

 ノアが身体を捻って躱す。

 

 三発目。

 直哉は、ノアの回避の癖を読み、わずかに予測射撃を混ぜた。

 弾丸が、ノアのパーカーの袖口をかすめ、生地を切り裂いた。

 

 直哉は冷静だった。(いける!)などという安い希望は抱かない。

 

(今だけだ……! こいつが伊織の動きに慣れるまでの、ほんの十数秒だけ!)

 

 直哉の視界で、着実にスタックが溜まっていく。

 

『《観測値》1』

『《観測値》2』

『《観測値》3』

 

 そして、《精密射撃》のヒットによる追加判定。

 

『《観測値》4 最大到達』

『《射線確定》』

 

 直哉の内心に、強い手応えが走った。

 

(取った!)

 

 直哉は、最大スタックを消費してスキルを発動した。

 

「《偏差収束》」

 

 強化された一撃が放たれる。

 ノアは、先ほどと同じように最小限の動きでそれを避けようとした。

 

 だが、伊織の真の恐ろしさは「相手が今どこにいるか」を撃つことではない。「撃った瞬間に、相手がどこへ回避行動をとるか」を完全に読み切ることだ。

 

 直哉の放った弾丸は、ノアが回避のために頭を動かした『その先の空間』へと正確に吸い込まれた。

 

 シュッ!

 

 弾丸が、ノアの左の頬を鋭くかすめた。

 

 初めて。

 ノアの白い肌から、赤い血がツッと一筋流れた。

 

「……」

 

 ノアは動きを止め、自分の頬を指で軽く触れた。

 指先についた血を見る。

 

「おお」

 

 彼は怒って激昂したりはしなかった。

 

「やるじゃん、お姉さん」

 

 ニッコリと。

 まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように、無邪気に笑った。

 

 その底知れない余裕が、直哉にとってはどんな脅威よりも恐ろしかった。

 

 ノアは、伊織というキャラクターの分析を完全に終えようとしていた。

 

 数発の銃撃をわざと紙一重で受けながら、彼は呟くように言った。

 

「なるほどね。こっちの姿は、近づかれたら弱いタイプか」

 

 直哉は戦慄した。

 

(バレるのが早すぎる……!)

 

 ノアは、もはや直線的には突っ込んできなかった。

 柱や車を巧みに利用し、直哉からの射線を完全に切る。わざと逆方向へとフェイントをかけ、伊織のスコープがどちらを追うか、その照準の癖を正確に見極めていく。

 

 そして、確実に距離を詰めてくる。

 

 直哉も必死だった。

 《零点規正》をかけ直し、《偏差収束》のクールダウンが明けるたびに撃ち込む。

 ノアの身体にいくつかの掠り傷を負わせることはできた。EXゲージまで溜まるのを待つ余裕はない。撃てる時に撃つ。

 

 だが。

 数十秒も経たないうちに、伊織の射撃は完全にノアに対応され始めていた。

 

 ノアの姿が、直哉のスコープの視界からフッと消えた。

 

「……っ!」

 

「捕まえた」

 

 背後から、楽しそうな声がした。

 

 強烈な雷撃を伴う回し蹴りが、伊織の背中に炸裂した。

 

『HP:1,150 / 3,130』

 

 HPが激減し、直哉は床を無様に転がった。

 すぐに立ち上がり、銃を構え直して撃つ。

 

 だが、ノアはもう止まらない。

 距離を完全に潰され、懐に入り込まれる。

 

 拳。肘。蹴り。

 直哉のHPゲージが、見る見るうちに削り取られていく。

 

 そして、最後。

 

 直哉が引き金を引こうとした、そのコンマ一秒前に。

 ノアの雷を纏った右拳が、伊織の鳩尾に深く突き刺さった。

 

 視界のUIが、残酷な現実を告げる。

 

『HP:0 / 3,130』

『鳴海伊織《戦闘不能》』

 

 直哉の意識が、大きく揺らいだ。

 

(まずい……!)

 

 直哉は、現在の自分の編成状況を絶望と共に思い出した。

 

 スロット1。東雲セナ。戦闘不能。

 スロット2。鳴海伊織。戦闘不能。

 スロット3。EMPTY。

 

(待て……)

 

 直哉の知らない、システムの挙動。

 今度は、緊急で切り替える先のキャラクターが、もう一人も残っていない。

 

 強烈な光が弾けた。

 

 直哉の身体が、強制的に書き換えられていく。

 黒髪の若い女性剣士でもない。27歳の冷静な狙撃手でもない。

 

 戦闘不能による、完全な変身の強制解除。

 

 光が収まった地下駐車場に倒れ込んでいたのは。

 三十四歳の、男性。森川直哉だった。

 

「…………ナオ、さん?」

 

 コンクリートの柱の陰から、その様子を見ていた玲蘭が、信じられないものを見るように目を丸くした。

 

 いつも自分を守ってくれていた、あの明るくて頼もしい女性の姿はどこにもない。

 そこにいるのは、見たこともない、息も絶え絶えの成人男性だった。

 

 直哉自身も、何が起きたのか完全に理解できていなかった。

 

(戻った……!?)

 

 ノアは、床に倒れ伏している直哉を見下ろした。

 そして、これまでのセナと伊織の動き、そして今の男の姿を見て、全てが繋がったように手を打った。

 

「あー」

 

 彼はキャンディをガリッと噛み砕いた。

 

「なるほどね」

 

 ノアは可笑しそうに笑った。

 

「あんた、そういう『変身する能力』だったわけね」

 

 彼には《因果集結クロニクル》のシステムも、ガチャの仕組みも当然見えていない。だが、直哉の能力の表面的な『結果』だけは正確に理解したようだ。

 

 直哉は、激痛の走る身体に鞭打って立ち上がった。

 

 手元に武装はない。キャラクターの圧倒的な能力もない。

 ただの、三十四歳の運動不足の男の身体だ。

 

 それでも。

 ノアと、柱の陰にいる玲蘭との間に、彼は立ちはだかった。

 

(だからどうした! 知るか!!)

 

 直哉は、理性をかなぐり捨て、ただの生身の拳を握りしめてノアへと殴りかかった。

 

 ノアは、少しだけ驚いたような顔をした。

 

「え?」

 

 直哉の渾身の右ストレートは、ノアの左手に、まるで飛んできたティッシュペーパーを受け止めるかのように、あっさりと片手で掴み取られた。

 

 当然だ。《身体能力強化》を持つTier2の暗殺者と、生身の一般人。勝負になるはずがない。

 

 ノアはそのまま直哉の腕を軽く捻り、足を払って床へと叩きつけた。

 

「ぐっ……!」

 

 肺の空気が全部吐き出され、目の前が真っ白になる。

 それでも、直哉は這いつくばるようにして再び起き上がり、ノアの足にすがりつこうとした。

 

 ノアは、心底呆れたようにため息をついた。

 

「いやいやいや」

 

 今度は、少しだけ雑に直哉の襟首を掴み、そのままゴミ袋でも捨てるように後方へと放り投げた。

 

「もう無理でしょ、おじさん」

 

 直哉の身体が宙を舞い、柱の根元へ激突して崩れ落ちる。

 

「がっ……はっ……!」

 

 因果の保護がない普通の肉体だ。コンクリートに叩きつけられた激痛が、全身の神経を焼くように駆け巡る。息が詰まり、すぐには立ち上がれない。

 

 それでも、直哉は霞む目でノアを睨みつけ、這ってでも玲蘭の前へ行こうとした。

 

「その人に、もう手を出さないでください!」

 

 凛とした声が、地下駐車場に響いた。

 

 直哉は、痛む首を無理やり動かして声のした方を見た。

 

「玲蘭さん……!?」

 

 コンクリートの柱の陰から、玲蘭が姿を現していた。

 彼女の顔は青ざめ、足は恐怖で小刻みに震えている。

 

 でも、彼女は逃げなかった。

 ゆっくりと、だが確かな足取りで、直哉とノアの間へと歩み出てきたのだ。

 

 直哉は血を吐きながら叫んだ。

 

「隠れてろって、言っただろ……!!」

 

 しかし、玲蘭は止まらなかった。

 

 彼女は、ノアを真っ直ぐに見据えた。

 

「あなたの目的は、私なのでしょう?」

 

 ノアは、一瞬だけきょとんとした後。

 

「ははっ」

 

 楽しそうに声を上げて笑った。

 

「素直でいいじゃん。話が早くて助かるよ」

 

 玲蘭は、震える声を必死に抑え込んで言った。

 

「でしたら……その人には、もう手を出さないでください」

 

 ノアは、ポケットに手を入れたまま、さらっと答えた。

 

「大丈夫だよ」

 

「最初から、あんた以外は殺す気ないし」

 

 その言葉で、全ての真実が判明した。

 紅城院家の警護班も、直哉のことも、最初からノアは殺すつもりで攻撃していたわけではなかったのだ。

 ただ、自分の標的への道を塞ぐ『邪魔な障害物』だったから、効率的に無力化してどかしただけ。

 

 ノアにとって、彼らは殺す価値すらない存在だったのだ。

 

 ノアは、床で呻いている直哉を見た。

 

「じゃ、邪魔だからあっち行ってて」

 

 彼は直哉の胸ぐらを掴むと、大の大人の身体をまるで羽虫のように軽々と持ち上げ、そのまま数メートル先の車体の横へと投げ捨てた。

 

「がはっ……!」

 

 直哉の身体が床を転がり、車のタイヤに激突して止まる。

 全身の骨が軋むような激痛。視界が明滅し、指一本動かすこともできない。

 

 ノアが、ゆっくりと玲蘭へと歩み寄っていく。

 

 玲蘭は、逃げなかった。

 一度だけ、床に倒れながらもなお自分の方へ這おうとしている直哉を見た。

 そして、ノアへと向き直った。

 

 ノアが目の前まで迫る中。

 

 玲蘭は、直哉の方を振り向いた。

 

「ナオさん」

 

 彼女は、直哉の本当の姿である三十四歳の男の顔を見ても。

 迷うことなく、彼のことを『ナオさん』と呼んだ。

 

 直哉は、声を絞り出そうとした。

 

「……っ」

 

 玲蘭は、静かに言った。

 

「短い間でしたけれど。本当に、お世話になりました」

 

 直哉は、絶望に顔を歪めた。

 

「やめろ……」

 

 玲蘭は、最後に少しだけ、いつも見せていたような柔らかい笑顔を作った。

 

「とても、楽しかったです」

 

 昨日、直哉が彼女に言った言葉だった。

 

 直哉の脳内は、完全にパニックに陥っていた。

 

(やばい)

 

 ノアが、玲蘭に手を伸ばす。

 

(やばいやばい)

 

 このままでは、玲蘭が殺される。

 

(どうする!? 俺に何が出来る!?)

 

 セナ。戦闘不能。

 伊織。戦闘不能。

 今の自分は、ただのボロボロになった普通の男。

 出口はない。通信は圏外。八咫烏の援軍が来る保証もない。

 

(俺に何が出来る……!?)

 

 その時、直哉の視界の右上に、リソース残高の数字が表示された。

 

『因果晶:6,400』

 

 直哉の思考が、完全に停止した。

 

(……ガチャ)

 

 これまでずっと、天井のために大切に温存し続けてきた、四十連分の石。

 星5の確定天井までには、あと三十連分、4,800個足りていない。

 

 それでも。

 

(……これしかない)

 

(俺に出来るのは――これだけだ!!)

 

 直哉は、何度も確認してきた期間限定集結の画面を開いた。

 そして、理屈も何もなく、視界の『10回集結』のボタンへ意識を叩き込んだ。

 

『因果晶1,600を消費します。実行しますか?』

『YES』

 

 直哉は最速で十連を回した。

 演出を眺めている時間などない。直哉は即座にスキップした。

 他の青や紫の星3武器の光など、どうでもよかった。

 直哉の目は、ただ一つの奇跡だけを求めていた。

 

 だが、画面に表示されたのは。

 

 ★★★★ 東雲セナ《黎明の遊撃手》

 

 直哉は、一瞬だけ期待した。

 だが、システムから非情なテキストが告げられる。

 

『重複キャラクターを獲得しました』

『《因果共鳴》システムにより、キャラクターの限界突破素材へ変換されます』

 

 そして、編成画面のセナは『戦闘不能』のままだ。

 重複して引いたからといって、今この場でHPが全回復して復活するような、都合のいいアイテムではなかったのだ。

 

(違う……!!)

 

 因果晶。

『4,800』

 

 間髪入れず、直哉は次の十連ボタンを叩いた。

 演出は即座にスキップする。

 

 第二十連。

 

 ★★★★ 東雲セナ

 

 直哉は血を吐くような声で叫んだ。

 

「またかよ!!!」

 

 《因果共鳴》。

 セナは戦闘不能のまま。

 

 因果晶。

『3,200』

 

 ノアは、ついに玲蘭の目の前に立ち、その右手を彼女の細い首へと伸ばそうとしていた。

 

 直哉は祈るように、三回目の十連ボタンを押した。

 今回も演出は即座にスキップした。

 

「頼む……!!」

 

 第三十連。

 

 ★★★★ 鳴海伊織《遠景の照準手》

 

 直哉は絶望に目を剥いた。

 

「伊織……っ!」

 

 だが、同じだ。伊織も重複。戦闘不能は解除されない。

 

 因果晶。

『1,600』

 

 あと一回。

 

 ここで、直哉の心が一度だけ、完全に折れかけた。

 

 四十連分の石。

 最初の三十連を回して、新しいキャラクターはゼロ。

 星5もゼロ。

 残り、あと一回。しかも、確定天井には届いていない。

 

(……ダメだ)

 

 前を見る。

 ノアの手が、玲蘭に触れようとしている。

 

(もう……)

(おしまいだ……)

 

 だが、その絶望の底に沈みかけた意識を、直哉は自らの意志で強引に引き戻した。

 

 ノアの右手が、玲蘭の首元を掴んだのだ。

 能力者ではない17歳の少女の身体が、いとも簡単に宙へと持ち上げられる。

 玲蘭の足が、冷たいコンクリートの床から離れた。

 

「玲蘭さん!!」

 

 直哉は立ち上がろうとした。だが、全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げて動かない。間に合わない。

 

 宙吊りにされた玲蘭は、苦しそうに顔を歪めながらも、最後に直哉の方を見た。

 

 そして、唇の動きだけで、短く伝えた。

 

「……ありがとう」

 

 その瞬間。

 直哉の中で、何かが完全にプツンと切れた。

 

(クソッ)

 

 最後の1,600石。

 

(クソ!!)

 

 玲蘭の顔。

 

(クソが!!!)

 

 直哉は、血の滲む拳を強く握りしめた。

 

 自分がこの後どうなってもいい。

 自分の命も、元の生活に戻れるかどうかの将来も、全部どうでもよかった。

 ただの三十四歳の無職の男が、初めて心から、自分以外の誰かのために強烈な願いを抱いた。

 

(だから、彼女を助けたい!!!)

 

 直哉は、魂の底から絶叫した。

 

「頼む!!!」

 

 最後のガチャボタンを、渾身の意志で叩き割るように押し込む。

 

「俺の能力!!!」

 

「答えてくれぇぇぇっ!!!!」

 

 因果晶1,600が消費される。

 

 残高。

『因果晶:0』

 

 ガチャの演出が開始された。

 

 この時、《因果集結クロニクル》のシステムが直哉の強烈な願いに共鳴して奇跡を起こしたのか、ただ単に0.6パーセントの乱数を引き当てただけなのか、彼には分からなかった。

 

 直哉はただ、願って、引いた。それだけだ。

 

 画面の奥から、無数の光の糸が飛んでくる。

 その十個目の最後の光が、これまでの青や紫とは全く違う、圧倒的な眩さを持った『黄金色』へと輝きを変えた。

 

 直哉は、息を止めた。

 

「……」

 

 画面に、眩い光と共に文字が刻まれる。

 

 ★★★★★

 

 彼が初めて自分のガチャで引き当てた、五つの星。

 

 そして。

 

 ★★★★★ エレノア・ヴァイス《時界の従者》

 

 直哉は、一瞬だけ理解が遅れた。

 だが、その黄金色の名前が自分のインベントリに収まった事実を認識した瞬間。

 

(来た)

 

(来た!!!)

 

「来たぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 普通なら、キャラクターの詳細画面を開き、ステータスやスキル構成を読むのがゲーマーだ。

 

 だが、今の直哉にそんな暇は一秒もなかった。玲蘭の命が消える寸前なのだ。

 

 直哉は、編成画面を開き、ずっと空いていた最後の枠へと、その名前を即座に叩き込んだ。

 

『SLOT 3』

『★★★★★ エレノア・ヴァイス《時界の従者》』

 

 直哉は叫んだ。

 

「変身!!」

 

 強烈な、視界を焼き尽くすほどの黄金色の光が、直哉の身体を包み込んだ。

 

 メイド服を思わせるような、洗練されたクラシカルな装い。これまでのセナや伊織とは全く違う、圧倒的な存在感と格を持った肉体。

 

 身体が切り替わった瞬間。

 直哉の意識の奥底に、「この身体なら、今何をすべきか」という強烈な『確信』が流れ込んできた。

 

 セナの時は、剣の振り方が分かった。

 伊織の時は、銃の撃ち方が分かった。

 同じように。エレノア・ヴァイスの肉体は、この絶望的な状況をひっくり返すための『最適解』を完全に理解していた。

 

 直哉は、スキルの名前すら叫ばなかった。

 ただ、行動した。

 

 世界が、一瞬だけ――。

 

 ノアは、玲蘭の細い首を確かに自分の右手で掴んでいた。

 抵抗する少女の命を、今まさに握りつぶそうとしていた。

 

 だが。

 次の瞬間。

 

 ノアの右手から、完全に『手応え』が消滅した。

 

「……?」

 

 ノアは不思議そうに、自分の手元を見た。

 空を掴んでいる右手。

 

 そこには、玲蘭の姿はなかった。

 

 ノアはキャンディの棒を口の中で止めた。

 ゆっくりと、視線を数メートル先の空間へと動かす。

 

 そこにはもう、ボロボロになった三十四歳の男の姿はなかった。

 

 代わりに立っていたのは、見知らぬメイド服姿の美しい女性――エレノア・ヴァイス。

 

 そして。

 そのエレノアの両腕の中に。

 

 さっきまで自分が首を掴んで宙吊りにしていたはずの玲蘭が、まるでお姫様抱っこをされるように、しっかりと抱きかかえられていたのだ。

 

 玲蘭自身も、何が起きたのか全く理解できていなかった。

 首を掴まれ、息が詰まり、死を覚悟した瞬間。

 次の瞬間には、自分を殺そうとしていた少年の姿は数メートル先になり、自分は知らない美しい女性の腕の中にいたのだ。

 

「え……?」

 

 ノアは、自分の空っぽの右手と、数メートル先のエレノアを交互に見比べた。

 

 これまでずっと、何が起きても余裕の笑みを浮かべていた少年。

 セナの最大必殺技を避け、伊織の銃弾で頬を切られても笑い、直哉が変身能力者だと知っても「なるほどね」と納得していた少年。

 

 その彼が。

 初めて、心底理解できないというような顔をして、目を見開いた。

 

 ノアは、キャンディをくわえたまま、完全に笑みを消し去って呟いた。

 

「…………は?」




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