俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
火曜日の朝。
いつも通りの時間に目を覚ました直哉は、ベッドから半身を起こした。
昨日は、紅城院玲蘭の三日間の護衛任務を完遂し、無事に帰還することができた。あのTier2の化け物暗殺者、ノア・ヴァレリウスとの死闘。そして、間一髪で引き当てた初の星5キャラクター、エレノア・ヴァイスによる圧倒的な逆転劇。
さらに、一千万円という桁外れの治療費と、それをポンと払ってくれたお嬢様の規格外の財力に度肝を抜かれたりと、肉体的にも精神的にも濃厚すぎる一日だった。
直哉は、スマホを見るよりも先に、視界の右上に展開されている《因果集結クロニクル》のシステム画面を呼び出した。
一番気になっていたのは、ノアとの戦闘でHPがゼロになり、強制的に『戦闘不能』状態に陥っていた二人のキャラクターのことだ。
昨夜確認した時点では、編成画面の表示はこうなっていた。
『★★★★ 東雲セナ Lv.20』
『HP:0 / 3,430』
『状態:《戦闘不能》』
『★★★★ 鳴海伊織 Lv.20』
『HP:0 / 3,130』
『状態:《戦闘不能》』
赤い文字で点滅する、不吉な警告。
だが。
「……ん?」
直哉は目を擦り、もう一度画面を見た。
表示が変わっていた。
『★★★★ 東雲セナ Lv.20』
『HP:3,430 / 3,430』
『状態:正常』
『★★★★ 鳴海伊織 Lv.20』
『HP:3,130 / 3,130』
『状態:正常』
直哉の口から、安堵の声が漏れた。
「おお……!」
二人とも、完全に復活している。
HPのゲージは美しい緑色で満タンになり、あの嫌な戦闘不能表示も綺麗に消え去っていた。
直哉は、スマートフォンの自分用メモを開き、この仕様を書き留めた。
『戦闘不能状態について』
『翌朝までに解除されることを確認』
『HPは最大値まで完全回復』
『正確な復帰タイミング:未確認』
それが深夜零時の更新タイミングだったのか。戦闘不能になってから一定時間が経過したからなのか。それとも、直哉自身が睡眠をとってシステムがリセットされたのか。そこまでは分からない。
ただ、少なくとも『一晩経過すれば元に戻る』。
キャラクターが永遠にロストするようなハードコア仕様ではないことが分かり、直哉は心底ホッとした。
今日は、午前中から八咫烏の施設へ出向く予定が入っていた。
昨日の護衛業務が終わった後、霧島から直接連絡が来ていたのだ。
目的は大きく三つ。
一つは、地下駐車場でのノア襲撃事件に関する詳細な事情聴取。
二つ目は、新たに確認された変身形態《エレノア・ヴァイス》の能力測定。
そして三つ目が、直哉本人の『登録評価の見直し』だ。
直哉はスウェットから外出着に着替えながら、一人でぼやいた。
「まあ……そりゃ、呼ばれるよな」
無理もない。
各国の裏社会を渡り歩くTier2のプロ暗殺者。
護衛のプロ集団が一瞬で全滅させられ、地下空間が完全に閉鎖された絶体絶命の状況。
その後。
『暫定Tier3』として登録されたばかりの新人が、突如として未知の変身形態を出現させ、その暗殺者を無傷で完封してしまったのだ。
管理する行政側が、この異常事態を「よかったですね」で放っておけるわけがない。
指定された時間に、直哉は以前セナや伊織の能力を測定した、八咫烏の都内の地下研究施設へと到着した。
受付で業務QRコードを提示し、身分確認を行う。
直哉は、施設の職員たちの空気が、先週来た時とは少しだけ違っていることに気がついた。
彼らから向けられる視線には、明確な『昨日の襲撃事件の当事者』という認識がある。
ただ、そこは秘匿組織のプロフェッショナルたちだ。アニメのように「お前があのノアを倒したのか!すげえな!」と大騒ぎして群がってくるような真似はしない。静かに、しかし確かな評価の格上げがそこにはあった。
受付を済ませると、すぐに霧島が小走りで迎えに来た。
「おはようございます、森川さん」
「おはようございます」
霧島は、直哉の顔をジッと見て、一拍置いてから尋ねた。
「……お身体の方は、いかがですか?」
直哉は肩をすくめて答えた。
「ああ、完全に治りましたよ」
そして、少しだけ恨めしそうに付け加えた。
「一千万円で」
霧島は、その金額を聞いても特に驚く様子はなく、静かに頷いた。
「……ああ。例の登録治癒能力者をご利用されたのですね。大事に至らなくて何よりです」
八咫烏の事務担当として、彼女は最高峰の治癒能力者の相場料金を正確に把握しているのだろう。
直哉だけが、「あのぼったくり価格、こっちの業界じゃ常識なのかよ」と、まだ納得いかない顔をしていた。
測定に入る前、小会議室で短い事情聴取が行われた。
ノアとの接触。地下駐車場の空間ループ。
セナと伊織の戦闘不能。変身の強制解除。
玲蘭が自ら前に出て、ノアに首を掴まれた絶望的な状況。
そして、緊急のガチャでエレノアを引き当てたこと。
直哉は、自分が経験した一連の出来事を、包み隠さず全て説明した。
もちろん、霧島には《因果集結クロニクル》のシステム画面そのものを見ることはできない。直哉が口頭で「ガチャで星5のキャラが出まして」と説明するのを、彼女が淡々と文字起こしして記録していくだけだ。
「……なるほど。状況は理解いたしました」
霧島がタブレットの入力を終え、直哉の顔を見た。
「では、その新しい変身形態について、本日は詳細な能力の確認と測定を行わせていただきます」
「はい」
「その方の、お名前は?」
「エレノア・ヴァイス。《時界の従者》っていう肩書きがついてます」
霧島の手元のスタイラスペンが、一瞬だけピタリと止まった。
「……時界?」
「はい。俺も昨日、システム画面でその名前を見た時は、とんでもなく嫌な予感がしましたよ」
直哉は苦笑しながら答えた。
広大な能力試験区画へと場所を移す。
分厚い強化ガラスで隔てられた計測ブースの向こう側には、霧島と、以前も担当してくれた技術員の岸本、そして数名のデータ解析職員が待機している。
「それでは森川さん。昨日確認された新しい変身形態をお願いします」
「分かりました」
ここまでは、直哉本人の三十四歳の男の口調だ。
直哉は視界の編成画面から『SLOT 3』にセットされたキャラクターを選択した。
『★★★★★ エレノア・ヴァイス』
『【CHARACTER CHANGE】』
圧倒的な黄金色の光の粒子が、彼を包み込む。
数秒後。
光が晴れた試験区画の中央に立っていたのは、クラシカルで洗練されたメイド服に身を包んだ、美しい女性――エレノア・ヴァイスだった。
霧島や岸本は、昨日の現場の監視映像や報告書で彼女の存在を知ってはいたものの、実際に目の前でその実体を見るのはこれが初めてだ。
そしてここから。
直哉が変身を解除するまで、彼の口から発せられる音声は、全て『エレノアというキャラクターの思考と口調のフィルター』を通した出力へと強制的に切り替わる。
直哉は内心でぼやいた。
(相変わらず、自分で喋ってるのにすげえ違和感あるな……)
霧島がマイク越しに確認を入れる。
「問題ありませんか?」
すると、エレノアの口から、極めて自然で優雅な声が紡がれた。
「はい。いつでも始めていただいて構いません」
直哉の内心は、(こうなるんだよなぁ)と呆れるしかなかった。
まずは、基礎的な身体能力の測定から始まった。
走力。跳躍力。握力。反応速度。打撃力。耐久力。
直哉――エレノアは、指示された通りに各種の測定機器を淡々とこなしていく。
ここでの測定結果は、意外なものだった。
エレノアは最高レアリティの『★★★★★』だ。だからといって、素の腕力や走るスピード、耐久力が、全ての面においてTier2のノアを凌駕するようなデタラメな数値になっているわけではなかった。
もちろん、一般人と比べれば明らかに通常人ではない、十分に高い能力者の数値だ。
だが。
セナのような、空間を切り裂くような近接高速戦闘に特化したスピードはない。
伊織のような、精密機械のような視覚処理と射撃精度もない。
ましてや、ノアの《身体能力強化》と《雷神》の組み合わせによる、純粋なフィジカルの暴力的なまでの出力には遠く及ばない。
霧島が、集計された測定値を見て呟いた。
「興味深いですね」
エレノアが、静かに首を傾げた。
「何か問題でもございましたか?」
「いえ。むしろ逆です」
霧島はタブレットのデータを指さした。
「昨日の戦闘結果から想像していたより、基礎身体能力そのものは、それほど突出していません」
エレノアは、穏やかに相槌を打った。
「そうなのですね」
だが、直哉の内心は違った。
(マジか。俺も、星5なんだからもっと化け物みたいなステータスの数字が出ると思ってたんだけど)
「次に、昨日使用された刃物を再現できますか?」
岸本の指示を受け、エレノアは静かに右手を上げた。
親指と中指を合わせる。
『パチン』
軽く指を鳴らす。
次の瞬間、測定区画の空中に、数十本の銀色のナイフが音もなく出現し、固定された。
ガラスの向こうで、職員たちが一斉に各種センサーの計測を開始する。
質量あり。実体あり。物理干渉可能。因果律改変反応あり。
だが。
霧島が確認を取る。
「現在、武装は装備していますか?」
エレノアが答える。
「いいえ。何も装備しておりません」
「つまり、このナイフもエレノアという変身形態そのものの能力ですか」
「そのようです」
直哉の内心は、(俺も昨日の夜ステータス画面見て知ったばっかだけどな)だった。
岸本の指示で、標的へ向けてナイフを射出する。
一本のナイフが分厚い標的に深々と突き刺さる。威力は高い。人を殺傷するには十分すぎる。
次に、複数本の高速連射。これも強い。
ただ。
その一本一本が、Tier2規模の常識外れの破壊力を持っているわけではない。ナイフ一本で戦車を吹き飛ばすとか、ビルを一撃で消し去るとか、そういう『巨大破壊型』の大魔法ではない。
霧島が総評を述べる。
「単純な攻撃出力だけを評価すると、ここも極端に突出しているわけではありませんね」
エレノアが、静かに問う。
「では、昨日のノア・ヴァレリウスとの戦闘結果との差は、やはり別の部分にあるということでしょうか」
「ええ」
霧島は、マイクのスイッチを握り直した。
「本命を測りましょう」
試験区画の周囲に、あらゆる観測機器が起動された。
超高速度カメラ。原子時計レベルの精密計測装置。落下物テストの鉄球。高速で回転するファン。そして、旧式の物理的な機械式時計。
「昨日の映像を見る限り、瞬間移動では説明できない挙動が複数確認されています。……能力を使用してみてください」
エレノアが、静かに一礼した。
「かしこまりました」
直哉は、意識の奥底にある『その力』のトリガーを引いた。
時間停止。
――そして。
観測している霧島や岸本たちからすれば、それは『一瞬』の出来事だった。
直前まで、測定地点Aに立っていたエレノアが。
瞬きをした次の瞬間には、十メートル以上離れた地点Bに立っていたのだ。
ガラスの向こうの職員たちが、一斉にデータを突き合わせる。
「途中の空間センサー、移動の波形記録なし!」
「高速度カメラ、フレーム間に移動プロセスや残像の発生なし!」
「落下テスト用の鉄球、空間座標の変化なし!」
「機械式時計、針の経過時間ゼロ!」
加速による移動ではない。空間転移の反応も確認されない。
なのに、エレノアだけが別の位置に存在している。
試験室が、水を打ったように静まり返った。
霧島が、モニターの最終解析結果から目を離し、ゆっくりとマイクのスイッチを押した。
「……確定ですね」
エレノアが振り返る。
「結果は?」
霧島は、極めて冷静な声で断言した。
「完全な、『時間停止』です」
直哉の内心で、確信のピースがハマった。
(やっぱりか!!)
だが、直哉の口から出たのは、エレノアの極めて優雅で落ち着いた返答だった。
「やはり、そのような能力でしたか」
直哉は心の中で一人ツッコミを入れていた。
(いや俺、内心ではもっと『やっぱ時止めかよスゲェ!!』ってテンションなんだけど! このキャラの口調フィルター、本当に情緒が迷子になるな!)
「次に、その時間停止の『上限』を探ります」
岸本の指示により、停止時間を少しずつ伸ばしていくテストが始まった。
エレノアが時間を止め、解除する。
まずは短時間。問題なし。
次。主観時間で十秒。問題なし。
さらに、数十秒。問題なし。
さらに伸ばし、数分間の作業を停止時間内で行う。
エレノアは時間を止めた状態で、試験区画をゆっくりと歩いて一周する。
配置されているマーカーを別の場所へ並べ替える。
空中に数十本のナイフを出現させ、複雑な陣形に配置する。
そして、元の場所へ戻る。
直哉が時間を再開させる。
外から見ている霧島たちにとっては、それは『一瞬』の出来事だ。瞬きをした次の瞬間には、全ての配置が変わり、空間がナイフで埋め尽くされている。
霧島がマイクで確認する。
「疲労はありますか?」
エレノアが涼しい顔で答える。
「特には感じません」
「能力行使による負荷は?」
「現状、明確な負荷は感じておりません」
さらに数回試すが、それでも顕著な限界や反動が出ない。
霧島が、少しだけ困惑したようにデータをまとめた。
「……少なくとも本日の測定範囲では、最大停止時間を確認できませんね」
エレノアが確認する。
「つまり、現時点では停止時間に明確な制限は確認されていない、と?」
「そうなります」
直哉は、内心でとんでもない事実に気づいて震えた。
(いや待てよ。時間を止め放題? それって、完全に最強じゃね?)
直哉のその素朴な疑問は、エレノアの優雅な言葉に変換されて出力された。
「失礼ですが」
「はい?」
「これほど自由に時間を停止できるのであれば、かなり強力な能力なのではございませんか?」
直哉の内心は(俺、『これ最強じゃない?』ってフランクに聞いたつもりなんだけど、すげえ丁寧になったな……)と呆れていた。
霧島は、その問いに対して一切否定しなかった。
「極めて強力です」
ただし、霧島はすぐにタブレットのデータを切り替えて補足した。
「ですが、この変身形態は基本スペックとして、その『時間停止』という一点へ、かなり能力構造が特化して偏っています」
エレノアが小首を傾げる。
「特化、でございますか」
「はい」
基礎フィジカル。直接攻撃の出力。広域破壊。防御力。
それぞれを単体で見れば、Tier2という上位の枠組みの中では極端に高い数値ではない。
「時間を止めるという能力自体が極端に強力な代わりに、それ以外の基礎的な攻撃能力や身体のタフネスには欠けています」
エレノアは静かに頷いた。
「なるほど」
直哉の内心は、(まあ、時間を止めて相手の急所にナイフ刺せる時点で、十分すぎるほど反則なんだけどな)と、完全に割り切っていた。
「それでは次の実験に移ります」
岸本がマイクを取った。これが、エレノアの能力の限界を知るための重要なテストだった。
訓練を受けた八咫烏の専属能力者が一人、試験室に入り、エレノアの横に立った。
霧島が指示を出す。
「森川さん。接触した状態で、彼だけを時間停止の対象から除外し、一緒に動ける状態にできるかを試してみてください」
エレノアは一礼した。
「試してみます」
エレノアは、協力者の手をしっかりと握った。
そして、時間を止める。
……再開。
相手の協力者は、不思議そうに首を振った。
「……何も分かりませんでした。ただ、一瞬景色が飛んだだけです」
駄目だった。
肩へ触れたまま発動しても、駄目。
しっかりと抱きかかえても、駄目。
対象を指定する意識を強く持っても、駄目。
エレノア以外の全ての存在は、例外なく完全に停止してしまう。
霧島が次の指示を出す。
「では次に、停止中に彼へ能力の発動を許可できるかを試します」
これも、何度か条件を変えて試したが、全て無理だった。
停止中、他者は完全停止している。知覚もない。能力の発動もできない。時間が再開するまで、ただの動かない置物になるだけだ。
霧島が、手元の資料に明確なチェックを入れた。
「ここは明確な制限ですね」
エレノアが確認する。
「停止した時間の中で行動できるのは、私ただ一人だけということですか」
「現在確認できている限りでは、そうなります」
「承知いたしました」
直哉の内心は、(それでも一人でやりたい放題できるなら十分反則だろ……)と思っていた。
全てのデータが出揃った。
時間停止の範囲。持続時間。因果の偏差。ナイフの生成能力。身体能力。他者への干渉制限。
測定機器のメインモニターに、総合判定のテキストが表示される。
『Tier2相当』
エレノアは、その文字をじっと見つめた。
「…………」
霧島がマイク越しに告げる。
「総合評価としては、Tier2相当です」
直哉の内心で、(Tier2?)という疑問符が浮かぶ。
エレノアの口から、そのままの疑問が出力された。
「……Tier2、でございますか?」
「はい」
少しの間。
「それは、あのノア・ヴァレリウスという少年と同じ評価なのでしょうか」
「そうなります」
エレノアは、少しだけ首を傾げて不思議そうに言った。
「少々、意外でございます」
「なぜです?」
「昨日の戦闘では、それほど苦戦した覚えがございませんので」
直哉の内心は、(というか、完全に俺の楽勝だったよな?)だったが、エレノアの口調フィルターを通すと、嫌味のない純粋な疑問に聞こえた。
霧島は、当然のことのように言い切った。
「それは、Tierの格差ではなく、完全な『能力の相性』によるものです」
エレノアが繰り返す。
「能力相性」
「ノア・ヴァレリウスの戦闘能力は、《身体能力強化》と《雷神》、そして幼い頃から叩き込まれた暗殺者としての技術、その三点が極めて高い水準で組み合わさったものです」
しかし。
「彼がどれほど高速で動けても、どれほど強力な雷を纏おうと。時間そのものを停止されれば、全く意味がありません」
霧島は、エレノアの目を見てハッキリと言った。
「彼の持っていた強みの大部分が、あなたの時間停止という絶対的なルールと致命的に噛み合わなかった。ただ、それだけのことです」
エレノアは、納得したように頷いた。
「なるほど。私が彼より格上だったのではなく、あちらにとって私が最悪の相手だったということですね」
「その認識で概ね正しいです」
ただし、霧島は手元の資料の別のページを開きながら補足した。
「もっとも」
「対人戦という一点だけで評価すれば、エレノア・ヴァイスの性能はTier1に近いものがあります」
エレノアが目を瞬かせた。
「Tier1に」
「はい。時間停止という能力は、対人戦という土俵において、それほどまでに与える影響が大きいのです」
でも。
「TierそのものがTier1という意味ではありません」
魂の定数。因果改変規模。能力の射程。可能な現象の広がり。
それらを総合的に判定した結果としての、Tier2なのだ。
直哉の内心は、(対人戦でTier1級で、時間制限も今のところ見つからなくて、敵は一方的に動けない。やっぱ強すぎね?)と有頂天だった。
エレノアの口から、その疑問が丁寧な形で出力される。
「ですが、停止時間に現状明確な上限がなく、対人戦ではTier1に近い性能を発揮できるのでしたら……。かなり上位の、強力な時間停止能力なのではございませんか?」
霧島は否定しなかった。
「強力なのは間違いありません」
だが。
「時間停止能力として見れば、上には上が存在します」
エレノアが聞き返す。
「前例が、存在するのですか?」
「はい」
非常に珍しい能力ではあるが、未知ではない。国内外の八咫烏の能力記録には、複数例のデータが存在している。
「海外では、非常に著名な『吸血鬼の能力者』が時間停止系の能力を所持していることでも知られています」
エレノアが少し目を丸くした。
「吸血鬼が、でございますか」
内心では、(吸血鬼まで時止め能力持ってんのかよ)と突っ込んでいる。
霧島が呆れたように補足する。
「念のため申し上げますが、吸血鬼という種族だから時間を止められるわけではありませんよ。たまたま個体の能力がそうだっただけです」
「それは承知しております」
内心では、(今ちょっとそう思ったけどな)とごまかした。
霧島は、真剣な顔で比較のための説明を続けた。
「過去に確認されているTier1相当の時間停止能力では、本人だけが停止世界で動けるわけではありません」
エレノアが首を傾げる。
「と申しますと?」
「能力者自身が指定した人物を、停止対象から外すことができるのです」
つまり。
世界全体の時間を停止させ。
敵だけを止めたまま。味方のAと、味方のBだけを解除し、複数人で停止世界の中を行動する。
しかも。
「除外された味方は、その停止した時間の中で自身の能力を発動することも可能です」
エレノアは、完全に言葉を失った。
「…………」
直哉の内心は、(何それ、ズルくない!?)と叫んでいた。
敵だけが止まっている空間で、味方全員が自由に動き、最強の必殺技のチャージを済ませて一斉に叩き込む。そんな凶悪な戦術が可能だというのか。
エレノアの口から、静かな声が漏れた。
「それは……随分と凶悪な運用が可能ですね」
霧島は深く頷いた。
「ええ。ですから、その方は『Tier1』なのです」
霧島は、エレノアの検査資料をまとめながら結論を述べた。
「今回いくつか試しましたが、エレノア・ヴァイスには停止対象を選別する機能が確認できませんでした。味方を停止世界へ参加させることも、停止中に他者へ能力を使用させることもできない」
さらに。
「本人の基礎攻撃能力も、Tier2の攻撃特化能力者と比較すると高くありません」
「したがいまして、総合評価はTier2となります」
エレノアは、深く一礼した。
「理解いたしました」
直哉の内心も、(まあ、時間停止だけでノアをボコボコにできたけど、それでもTier2止まりなんだな……)と、Tierという制度が単純な戦闘力のランキングではないことを、具体的に納得することができた。
全測定が終了し、霧島がタブレットのデータを閉じた。
少しの沈黙の後。
「……森川さん」
エレノアが顔を上げる。
「はい」
霧島は、眼鏡の奥の目でエレノアを真っ直ぐに見つめ、はっきりと申し上げた。
「はっきり申し上げます。これは、覚醒から一ヶ月も経っていない素人の能力者が、ポンと保有していい能力ではありません」
エレノアは、穏やかに、しかし少し困ったように微笑んだ。
「そう言われましても、私にも如何ともしがたいのですが」
直哉の内心は、(俺に言われても、ガチャからたまたま出ちゃっただけなんだよ!)と叫んでいた。
霧島は、少しだけ声を立てて苦笑した。
霧島は、手元の書類にサインを書き込みながら告げた。
「そして、エレノア・ヴァイスの測定結果が確定しましたので。森川さんご本人の登録評価についても、本日付で更新します」
エレノアが目を瞬かせる。
「私自身の、ですか?」
「はい」
現在の直哉の登録は、暫定Tier3。
「本日付で、森川直哉さんの登録Tierを『Tier2』へ変更します」
エレノアが確認する。
「……私も、Tier2ということになるのですね」
「正確には、森川さんがご自身の意志で、Tier2相当の因果改変を安定して成立させられることが確認された、ということです」
全ての能力測定が終了し、直哉はエレノアの変身状態を解除した。
青白い光が弾け、メイド服の女性の姿が消え去る。
そこに現れたのは、いつものラフな私服を着た、三十四歳の森川直哉だった。
直哉は自分の肩を回しながら、新しい登録証のデータ画面を眺めた。
「へー……Tier2か」
霧島が、少し意外そうな顔をした。
「随分と軽い反応ですね。もっと驚かれるかと思いましたが」
直哉は渋い顔をした。
「いや、Tier2って聞くと、どうしても昨日ボコったあのクソガキの顔が浮かんでくるんですよ」
「同じTierの階層だからといって、全ての戦闘能力が同じ強さという意味ではありませんよ」
「それはもう、さっきの説明でよく分かりましたけど」
直哉はため息をついた。
「なんか、あいつと同じ枠に入れられるっていうのが、すっごく嫌だなぁ……」
その身も蓋もない直哉の感想に、霧島は肩をすくめて苦笑するしかなかった。
検査の合間の休憩中、直哉はずっと気になっていたことを霧島に切り出した。
「あのー、霧島さん」
「はい?」
「あのクソガキ……ノア・ヴァレリウスを、結果的に逃がしちゃったじゃないですか。あれ、まずかったですかね?」
「と、言いますと?」
「いや、復讐とか……」
自分はまだいい。だが、実家もあるし、家族もいる。また突然夜中にあんな化け物が襲撃してきたら、たまったものではない。
霧島は、首を横に振った。
「現時点では、その可能性は低いと判断しています」
過去の記録から分析する限り、ヴァレリウス家は徹底したビジネスライクなプロ集団だ。依頼に失敗したことそのものを理由として、妨害者や標的へ『逆恨みで私怨の報復をする』という傾向は、これまで一度も確認されていない。
「再度、別のクライアントから暗殺依頼を受注すれば話は別ですが」
「それは、別料金の新しい仕事として?」
「そういうことです」
直哉は心底感心したように息を吐いた。
「プロだなぁ……」
少しだけ、安心することができた。
全ての予定が終わり、帰る間際。
直哉は、新しい登録情報の『Tier2』の文字を見ながら尋ねた。
「ところで、霧島さん」
「はい」
「俺の登録がTier2になると、具体的に仕事とか何か変わるんですか?」
霧島は頷いた。
「受注可能な案件の幅が大きく変わります。高危険度の異界領域、特殊な怪異対応などですね。それらに加え……重大インシデントが発生した際の、『緊急対応候補』としても登録されます」
直哉の背筋に、嫌な予感が走った。
「緊急時?」
「例えば、『無断怪異降臨儀式』が制御不能になった際の、最終対応要員などです」
「…………」
直哉は一拍置いてから、聞き返した。
「無断怪異降臨儀式?」
「はい」
「何それ?」
霧島は、極めて日常的なトーンで説明した。
許可を取らずに、カルト集団やオカルト団体が、怪異や神格、異界の危険な存在を現実世界へ無理やり降ろそうとする違法な儀式のことだという。
直哉は目を丸くした。
「いやいや、そんな世紀末みたいな事件、やる奴いるんですか?」
「いますよ」
「……どのくらい?」
霧島は事務的に答えた。
「全国規模で見れば、平均して週に一件程度でしょうか」
直哉は、完全に動きを止めた。
「…………」
「週一!?」
「はい」
「日本、そんな頻度で怪異召喚してんの!? 治安どうなってんだよ!」
「怪異『降臨』です。必ずしも召喚とは限りません」
「そこは今どうでもいい!」
直哉の渾身のツッコミが響き渡った。
霧島は落ち着いて補足した。
「ご安心ください。その全てが毎回大規模災害になるわけではありません。大半は未遂や小規模な段階で私たちが発見し、関係機関が処理しています」
「まあ……そりゃそうですよね」
直哉は少し安心したが、霧島の次の一言がそれを完全に打ち砕いた。
「仮に完全降臨まで成功したとしても、通常の事案であれば、被害の規模はせいぜい『一地区が完全に異界化して消滅する』程度で収まります」
「…………」
「世界が滅亡するような案件ではありませんから」
直哉は頭を抱えた。
「十分恐ろしいんですが、それは……」
八咫烏の管理官の感覚は、完全に麻痺しているらしい。
要するに、普段は専門部隊や警察が処理するが、どうにもならなくなった最悪の事態の時にだけ、Tier2の能力者が『最終手段』として現場へ呼ばれるということだ。
「Tier上がるって、あんまりいいことばっかじゃないな……」
直哉は深々とため息をついた。
そこで。
「ああ、森川さん」
帰ろうとしていた直哉を、霧島が思い出したように呼び止めた。
「はい?」
「もう一点だけ、お願いがあります」
霧島は手元のタブレットを確認しながら、少し申し訳なさそうに続けた。
「しばらくの間、新しいキャラクターを増やすのはお待ちいただけますか?」
「…………」
直哉の動きが止まった。
「え?」
「本日、エレノア・ヴァイスの能力測定を行い、森川さんご本人の登録Tierも変更したばかりです」
霧島は、自分が先ほどまで入力していた大量の測定記録を示した。
「能力記録、登録情報、受注資格、緊急対応区分など、今回の変更に関連する事務手続きがまだ全て完了しておりません」
「……はい」
「森川さんの能力は、新しいキャラクターを取得することで、それまで確認されていなかった新しい能力体系そのものが追加される可能性があります」
今回のエレノアが、まさにそうだった。
昨日まで暫定Tier3だった新人能力者に、突然Tier2相当の時間停止能力が増えたのだ。
「もし、この手続きが終わる前にさらに新しい変身形態が追加され、その能力が現在の登録内容に影響するものであった場合、再測定と登録情報の再修正が必要になる可能性があります」
直哉は、嫌な予感を覚えた。
「つまり……」
「今日またガチャで新キャラを引いたら?」
「場合によっては、もう一度こちらへお越しいただくことになります」
「…………」
霧島は淡々と付け加える。
「そして私たちも、今日更新したばかりの書類を、もう一度最初から修正することになります」
直哉は何も言えなかった。
ものすごく現実的な理由だった。
「もちろん、森川さんの能力使用を禁止するという意味ではありません。こちらから強制できるものでもありません」
「ですよね」
「ただ、可能であれば、こちらから一連の手続きが完了したという連絡を差し上げるまでは、新規キャラクターの取得を控えていただけると非常に助かります」
直哉は恐る恐る聞いた。
「……どのくらいです?」
「数日程度を予定しています」
「数日……」
直哉の視線が、無意識に虚空へ動いた。
そこには、霧島には決して見えない《因果集結クロニクル》の限定バナーが浮かんでいる。
金曜日の夜に八日以上あった開催期間も、すでに残り五日ほど。
そして。
『因果晶:12,800』
『★5キャラクター確定まで:30回以内』
さらに次の★★★★★は、ピックアップ対象確定。
直哉は、何とも言えない顔になった。
「あの……」
「はい?」
「俺、今ちょうど限定ガチャが天井まであと三十連なんですよ」
「……そうなのですか」
「しかも残り期間、もう五日くらいしかなくて」
霧島は少しだけ考え込んだ。
「開催期限が決まっているのでしたら、その正確な期限を後ほど教えてください」
「え?」
「こちらでも可能な限り優先して処理します。少なくとも、森川さんがその機会を失うまで待っていただくつもりはありません」
直哉は、ホッと胸を撫で下ろした。
「ああ、それなら……」
だが。
天井まであと三十連。
石は八十連分。
もう引ける。
今すぐ引ける。
なのに。
待たなければならない。
「…………」
直哉は未練たっぷりに、誰にも見えないガチャ画面を眺めた。
霧島が不思議そうに聞く。
「何か?」
「いや……」
直哉は力なく首を振った。
「手続き、大変ですもんね……」
「ご理解いただけて助かります」
八咫烏の施設を出て、駅へと向かう道すがら。
直哉はスマートフォンの求人アプリを開いた。
今まで見えなかった、あるいは応募資格を満たしていなかった高Tier案件の欄。
そこに、いくつか新しい赤い文字の表示が追加されていた。
『Tier2以上推奨:高危険度異界領域の深層対応』
『怪異封鎖支援・緊急増員』
そして。
『緊急降臨事案対応・最終要員』
直哉は、その文字をじっと見つめた。
「…………」
一つだけ詳細を開きかけたが、すぐに指を止めた。
「世界が滅びない程度の怪異降臨は、また今度考えよう」
直哉はアプリを閉じ、視界の右上に展開されている《因果集結クロニクル》の数字へと意識を向けた。
昨日の護衛業務の完了時、大きな因果の変動を起こしたことで支払われた、破格のシステム報酬。
『因果晶:12,800』
そして、限定バナー。
『★5キャラクター確定まで:30回以内』
石は八十連分。
あと三十連で、次の★★★★★はピックアップ確定。
いつでも回せる。
直哉は、数秒間じっとそのボタンを見つめた。
「…………」
押さない。
いや。
押せない。
さっき霧島に、待つと約束したばかりだ。
直哉は大きくため息を吐いた。
「昨日まで石が足りなくて我慢してたのに……」
今度は、石があるのに回せない。
ガチャゲーマーにとって、これはこれでかなり辛い。
「数日……数日だけだからな……」
自分自身へ言い聞かせるように呟く。
そして、もう一度限定バナーを見る。
残り期間は、およそ五日。
「八咫烏さん……」
直哉は、心の底から願った。
「頼むから、早く手続き終わらせてくれよ……!」
Tier2へ昇格した喜びよりも。
一地区が異界になる怪異降臨の恐怖よりも。
今の三十四歳の男にとっては、目の前に石があるのに限定ガチャを回せないという現実の方が、よほど切実な問題だった。
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