俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~   作:パラレル・ゲーマー

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第19話 あら、害虫がなぜこちらに?

 水曜日の夕方。

 

 直哉は、八咫烏の求人アプリから送られてきた案内コードを頼りに、指定された都内の会場へと足を運んでいた。

 

 現場は、品川区にある外資系の最高級ホテルだ。

 とはいえ、一般の宿泊客が利用するロビーや宴会場へ行くわけではない。直哉が向かったのは、ホテルの地下から上層部にかけて特別に設計された、会員制の迎賓施設を兼ねた専用のセキュリティ区画だった。

 

 エレベーターホールへ続く秘密の入り口で、厳重な確認作業が行われる。

 招待状の有無。八咫烏の登録証。参加資格の種別。そして、直哉のような警備要員には専用のIDカードの提示。

 

 一般人が偶然迷い込めるような余地は一切ない。完全に遮断された裏の世界の空間だった。

 

 なお、昨日の夜に判明したエレノアのEXスキル《時界終幕・万象再演》については、今朝のうちに霧島へ連絡を入れている。

 

 《因果集結クロニクル》の画面そのものを見せることはできないため、直哉自身が説明文を読み上げ、現在の編成であればセナと伊織が使用したEXスキルを最大二種類まで記録し、それを時間停止中に再演できることも伝えておいた。

 

 電話口の霧島が数秒ほど無言になったことについては、直哉は深く考えないことにした。

 

 追加の確認や測定が必要かどうかについては、現在進めている登録情報の更新処理も含めて、改めて連絡するという話になっている。

 

 直哉は指定された警備員用の控室へと入り、ドアの鍵を閉めた。

 

「さて、と」

 

 ここから先は、『森川直哉』という三十四歳の男のままウロウロしているわけにはいかない。

 

 直哉は視界の《因果集結クロニクル》を展開し、編成画面から三枠目のスロットを選択した。

 

『★★★★★ エレノア・ヴァイス』

『【CHARACTER CHANGE】』

 

 黄金色の光の粒子が室内を照らし出し、直哉の身体を包み込む。

 数秒後、姿見の鏡の前に立っていたのは、クラシカルで洗練されたメイド服に身を包んだ、美しい女性――エレノア・ヴァイスだった。

 

 ここから、直哉の口から発せられる言葉は、全て彼女の完璧な『メイド長』としてのフィルターを通した出力となる。

 

 直哉は内心で一つ、自分に言い聞かせるように息を吐いた。

 

(よし。今日は暗殺者と命懸けで戦う仕事じゃない。俺の仕事はあくまで会場の警備だ)

 

(……まあ、怪盗の予告状が来てる時点で平和に終わる気はしないけど。それでも、ただの警備だ)

 

 直哉――エレノアは、背筋をスッと伸ばし、静かに控室のドアを開けた。

 

 警備本部としての機能を持つ別室で、本日の警備責任者からブリーフィングが行われた。

 

 責任者は、スーツ姿の鋭い目つきをした男だった。彼もまた、八咫烏から派遣された上位の能力者なのだろう。

 

「本日の皆様の任務は、来場者の保護、展示品および競売品の警備、不審人物の発見、そして異常な因果律改変反応が発生した際の初動対応です」

 

 責任者は、背後のモニターに『怪盗ノクターン』からのあのキザな予告状を映し出した。

 

「皆様もご存知の通り、今夜、対象による窃盗の予告が出されています。万が一、彼が出現した場合の最優先事項は『盗難の阻止』です」

 

 ここから、責任者は重要な釘を刺した。

 

「ただし、誤解しないでいただきたい。皆様の第一任務は、怪盗を逮捕することではありません」

 

 直哉の内心が、(えっ?)と少し意外な反応をした。

 

「我々は警察官ではありません。警備員としての責務は、あくまで『客を守り、盗難を防ぎ、現行の危険行為を制止すること』です。もし対象の身柄を確保する事態に至った場合は、速やかに八咫烏の専門部隊や警察系の能力担当官へ引き渡してください」

 

 深追いはするな。自分の役割を超えた真似はするな。そういうことだ。

 

(なるほど。制度上のルールはかなりキッチリしてるんだな)

 

 直哉は納得した。

 

 ブリーフィングの最後、責任者がエレノアの方を見て少しだけ顔を和らげた。

 

「特に、ナオさんのその時間停止の能力は、盗難の阻止や、混乱が起きた際の客の避難誘導において非常に強力な抑止力となります。期待していますよ」

 

 エレノアは、完璧な作法で一礼した。

 

「恐れ入ります。ご期待に沿えるよう、尽力いたします」

 

「それに」

 

 責任者が少しだけ苦笑した。

 

「今日の会場には、あなたのそのお姿は、驚くほど自然に馴染むと思いますから」

 

 直哉の内心は、(最後の理由、いる?)とツッコミを入れていた。

 だが、その言葉の本当の意味を、彼は数分後に会場へ足を踏み入れた瞬間に痛感することになる。

 

「承知いたしました。会場の警備、確かに務めさせていただきます」

 

 エレノアは優雅に応え、警備位置へと向かった。

 

 競売が開始される前の、展示品のお披露目を兼ねた広大なレセプション会場。

 

 直哉は、扉を開けてその空間を見た瞬間、思わず息を呑んだ。

 

 天井から吊るされた巨大なシャンデリア。

 部屋の端から端まで続く長いテーブル。

 シャンパングラスの乾杯の音。美しいカナッペや高級な料理の数々。

 会場の隅で静かに奏でられる、弦楽四重奏の生演奏。

 

 だが、ここは普通の金持ちの社交パーティーではなかった。

 

 直哉がまず驚いたのは、参加者の顔ぶれだ。

 

(外国人、めっちゃ多いな……)

 

 日本での開催である以上、当然日本人が多数派ではある。

 だが、欧米系、東アジア、中東、南アジアなど、明らかに世界各国から集まってきたと思われる海外の富豪や能力者たちが、会場の何割もを占めていた。

 

(まあ、超常的なアイテムの市場に国境なんてないよな)

 

 日本の怪異の素材を欲しがる海外の研究者もいれば、逆に海外の呪物が出品されることもあるのだろう。ここは八咫烏に認可された、国際的な裏の商取引の場なのだ。

 

 さらに、直哉の目を引いたのは、人間以外の存在だった。

 

 完全に人間の姿に見える者もいるが。

 尖った耳を持つ者。人間とは明らかに構造の違う奇妙な瞳孔の目をした者。異常に白い肌の者。頭の横から小さな角が生えている者。

 

 彼らは、自分の特徴を隠すことなく、シャンパングラスを傾けて談笑している。

 

(……俺も、こういう光景にもうあんまり驚かなくなってきたな)

 

 自分の裏社会慣れが少しずつ進行していることに、直哉は一人で苦笑した。

 

 直哉が入場する前、彼は一つだけ心配していたことがあった。

 

(俺、こんな豪華なパーティー会場で一人だけメイド服って、完全に浮かないか?)

 

 ところが。

 

 会場に入ってみると、エレノアの姿は全く浮いていなかった。

 

 それどころか、参加者の富豪や旧家の人間、海外の能力者一族たちの周りには、付き人としてメイドや執事の姿をした護衛や秘書が、何人も当たり前のように付き従っていたのだ。

 

(あ、普通にメイドいっぱいいるじゃん)

 

 直哉は周囲の同業者たちを見て、自分のエレノアの姿を改めて見下ろした。

 

(というか、むしろエレノアの立ち振る舞いの方が、めちゃくちゃ『本職』っぽくて完全に風景に溶け込んでるな……)

 

 直哉本人の内心は、完全にパニック一歩手前だった。

 

(ヤバい、俺こういう高級なパーティーとか全然慣れてねーんだけど!)

(こういうところって、警備員は何してればいいんだ!?)

(あそこにある料理、勝手にとって食べていいのか? いや、警備中だから食っちゃ駄目だよな?)

(とりあえずグラスだけ持って歩いてた方が自然に見えるか?)

 

 三十四歳。元会社員。

 ブラック企業の居酒屋での飲み会経験は豊富だが、こんな煌びやかな高級社交界の経験など、人生で一度もあろうはずがない。

 

 ところが。

 

 直哉の焦りとは裏腹に、エレノアの肉体は完璧に空間を支配していた。

 

 他人とすれ違う時は、最も自然なタイミングで優雅に道を譲る。

 関係者と目が合えば、一切の隙のない完璧な角度で一礼する。

 会場のスタッフから何か尋ねられれば、淀みないトーンで即座に受け答えをする。

 

 さらに、海外の参加者から英語やフランス語で軽く話しかけられても。

 

「恐れ入ります。本日は会場の警備を務めておりますので、ご歓談をお楽しみくださいませ」

 

 エレノアの口から、完璧な発音と礼節を伴った言葉が、自動翻訳のようになめらかに紡ぎ出された。

 

 直哉の内心は、完全に自分自身の身体にドン引きしていた。

 

(俺、こんな高度な社交スキルとか語学力とか一ミリも持ってねえぞ……!)

(夜行館のメイド長、凄すぎるだろ……!)

 

 戦闘性能ではない、日常生活における★5キャラクターの恩恵を、直哉は今日一番強く実感していた。

 

 もちろん、直哉はただ雰囲気に圧倒されて突っ立っていたわけではない。

 警備員として会場を巡回しながら、しっかりと仕事を行っていた。

 

 ただ、その過程でどうしても、展示されている競売品へと目がいってしまう。

 

 美しい輝きを放つ、異界産のレア鉱石。

 ホルマリン漬けのようなケースに収められた、怪異由来の謎の素材。

 防護能力者が丹念に製作したという、特殊な魔力を帯びたアクセサリー。

 古い時代の歴史的な呪物が描かれた絵画。

 そして、現代の科学技術と魔術を融合させたような、よく分からない機械装置。

 

 その全てが、直哉のゲーマー魂を激しく揺さぶっていた。

 

(うわー、なんかゲームのレアアイテムの展示イベント会場みたいだな。ワクワクするわ)

 

 だが、商品に添えられている『参考価格』のプレートを見て、直哉は一瞬で現実に引き戻された。

 

 数百万。一千万。数千万。

 中には、億の単位がついているものまである。

 

(あのお嬢様がポンと払ってくれた治療費の一千万円って、この会場だと割と普通の数字に見えてくるの、マジで金銭感覚が狂ってて怖いな……)

 

 当然、今の直哉に買えるような代物ではないし、買う気もない。

 ただ、ウィンドウショッピングのように見ているだけで十分楽しかった。

 

 だが、直哉は本来の目的である『怪盗の警戒』を忘れてはいなかった。

 

 巡回しながら、来場者の顔ぶれや動きをチェックする。

 出入り口の配置。展示ケースのセキュリティロック。非常口への動線。ホテルの従業員が動くバックヤードへの扉。他の警備員の配置。空間の因果反応センサーの位置。

 

 直哉なりに、かなり真面目に頭を回転させていた。

 

(あの怪盗ノクターンって奴、一体どこから、どうやって来るんだろうな)

 

 昨日アプリで見た、あのキザな予告状の文面を思い出す。

 

(キザだったなぁ……でも、ちょっと面白そうではあるんだよな)

 

 そんな風に、怪盗との接触を少し楽しみにしている自分に気づき、直哉は慌てて内心で首を振った。

 

(いやいや、仕事だからな。真面目にやれ俺)

 

 そう気合を入れ直して、視線をパーティー会場の一角へと向けた。

 

 その時だった。

 

 直哉の視界の端に、ある『見覚えのある頭』が映り込んだ。

 

 デザートや軽食が並べられた、大きなビュッフェテーブルの近く。

 

 そこに。

 

 小柄な少年が、ラフなパーカーではなく、今日は一応少し高そうなジャケットを着込んで、気軽な態度で立っていた。

 

 彼は、テーブルの上に並んだ色とりどりのマカロンやケーキを、手元の皿にトングで嬉しそうに盛り付けている。

 

 直哉の足が、ピタリと止まった。

 

(…………ん?)

 

 一度、見間違いかと思って通り過ぎようとした。

 

 だが、止まった。

 

 首だけを、ギギギッと機械のようにゆっくりと振り返らせる。

 

 顔。

 身長。

 口に咥えている、キャンディの棒。

 

 間違いない。

 

 ノア・ヴァレリウスだ。

 

 直哉の脳裏に、一昨日の地下駐車場での絶望的な記憶が一気にフラッシュバックした。

 

 セナの必殺技が全て避けられた。

 伊織の射撃が通用しなかった。

 男の身体に戻され、床に叩きつけられ、血を吐いた。

 玲蘭が首を掴まれ、宙吊りにされた。

 そして、エレノアに変身し、ナイフの雨で彼を串刺しにした。

 

 あの、Tier2の化け物暗殺者。

 

(…………)

 

(クソガキ!?)

 

 直哉の内心は、完全にパニックに陥った。

 

(何でいるんだよ!? なんで昨日の今日で、こんなとこにいるんだよ!!)

(ていうか、何でお前、そんな普通にマカロン食ってんだよ!!)

 

 だが、直哉の内心の大絶叫とは裏腹に、外見上のエレノアは微動だにしなかった。

 

 彼女は、氷のように冷たく、そして優雅な微笑みを浮かべたままで。

 ノアの背後へと、音もなく滑るように接近していった。

 

 ノアは、背後に迫るエレノアに全く気づいていなかった。

 

 彼は、テーブルの上の色鮮やかなデザートを吟味するのに夢中だった。たぶん、甘いものが本当に好きなのだろう。

 一番美味しそうなイチゴのタルトを一つ皿に取り、パクッと一口で食べた。

 

 完全に、ただのパーティーを楽しむ『客』の顔だった。

 

 そのノアの背後に。

 エレノアが、静かに立った。

 

 ノアが、何かの気配を感じ取ったように振り向く。

 

 そこに、一昨日自分をハリネズミにしたメイド長が、完璧な笑顔で立っていた。

 

 そして、極めて穏やかな、冷たい声で告げた。

 

「あら、害虫がなぜこちらに?」

 

 ノアの顔面から、一瞬で血の気が引いた。

 完全に硬直している。

 

「…………」

 

 目を見開き、口に咥えていたキャンディの棒がポトリと床に落ちた。

 

「げっ!!」

 

 ノアは、叫ぶと同時に、手元の皿を放り投げて、ものすごい反射速度で人混みの中へと逃げ出した。

 

 直哉の内心が叫んだ。

 

(逃げた!!)

 

 ノアの速度は、やはり異常だった。

 一瞬でパーティーの客の波の間に紛れ込み、視界から消えようとする。

 

 だが。

 昨日の直哉とは違う。

 今の彼が纏っているのは、Tier2の暗殺者すら完封した、★5のエレノアだ。

 

 直哉は、一秒の躊躇もなく、スキルのトリガーを引いた。

 

 時間停止。

 

 カチッ。

 

 世界が、完全に色を失い、静止した。

 

 談笑してグラスを傾けていた富豪たちも。

 空中に投げ出されたノアのデザートの皿も。

 飛び散った生クリームの飛沫も。

 

 そして、人混みの中をすり抜けようとしていたノアの身体も。

 全員が、完全に停止した。

 

 直哉は、静止したノアの姿を見て、小さく息を吐いた。

 

(やっぱ、お前でも普通に止まるよな)

 

 エレノアは、急ぐことなく、優雅な足取りで止まった世界を歩き出した。

 ノアが逃げ込もうとしていた進行方向の、さらにその先の空間。完璧な先回りの位置へと移動する。

 

 そして。

 再開。

 

 時間が動き出した。

 

 ノアは、猛スピードで人混みをすり抜けようと一歩を踏み出した。

 

 だが、その足を踏み出した次の瞬間。

 彼の目の前に、先ほど背後にいたはずのエレノアが、完璧な姿勢で立ち塞がっていた。

 

「どちらへ?」

 

 ノアは、幽霊でも見たかのように悲鳴を上げた。

 

「うわっ!?」

 

 ノアは急ブレーキをかけ、即座に逆方向へと身を翻して全力で逃げ出した。

 

 直哉は再び時間を止めた。

 停止。

 先回り。

 再開。

 

 ノアが振り返って逃げようとした先。

 またしても、エレノアが微笑んで立っていた。

 

「こちらでございますか?」

 

 ノアは、完全に涙目になって叫んだ。

 

「それズルいだろ!!」

 

 直哉の内心は、強烈なツッコミを返した。

(一昨日散々俺たちをボコボコにした奴が言うな!!)

 

 とはいえ、この追いかけっこでパーティー会場を荒らすのも仕事の妨害になる。一、二回のお灸で十分だ。

 

 エレノアは、逃げようとしたノアの右の手首を、ガシッと冷たく掴み取った。

 

 ノアがもがく。

 

「離せって!」

 

 エレノアは、氷の微笑みを崩さなかった。

 

「昨日の今日でございますので、少々お話を伺わせていただきましょうか」

 

 直哉の内心は、ドス黒い笑みを浮かべていた。

(逃がすかクソガキ。一昨日の借りはきっちり返してもらうからな)

 

 とはいえ。

 直哉は、この場でノアを『逮捕』するつもりはなかった。

 

 直哉はあくまで、今日の会場の警備員として雇われているだけだ。

 一昨日の襲撃事件について、直哉自身が警察権限を行使して彼を勝手に逮捕し、八咫烏へ引き渡すような権限はない。

 

 だが。

 

 途中で直哉も気づいた。

 

(……いや待て)

 

(こいつ、一昨日の襲撃事件の実行犯だぞ。俺が逮捕できるかどうか以前に、警備本部へ報告するべきだろ)

 

 直哉はノアの手首を掴んだまま、警備用の無線へ声を送った。

 

「警備本部、ナオです。確認をお願いしたい人物がおります」

 

『こちら警備本部。どうぞ』

 

「ノア・ヴァレリウスを会場内で確認いたしました」

 

 一瞬だけ、無線の向こうが静かになった。

 

 だが、返ってきた警備責任者の声は意外なほど落ち着いていた。

 

『……確認しています』

 

 直哉の内心が止まった。

 

(確認してるの!?)

 

 エレノアの表情は崩さず、静かに尋ねる。

 

「確認済み、なのですか?」

 

『はい。ヴァレリウス家の参加枠を通じ、正式な招待客として入場手続きを完了しています』

 

(正式な招待客なの!?)

 

 一昨日、自分を半殺しにし、玲蘭を殺害しようとした少年暗殺者が。

 今日は、八咫烏認可の競売会へ、正規の客として入場している。

 

 直哉の常識が凄まじい勢いで軋んだ。

 

『一昨日の事件については、現在も別系統で警察側との照会および処理が進んでいます。ただし、現時点で当会場における身柄確保の指示は出ていません』

 

『会場内で新たな違法行為が確認されない限り、警備側から必要以上に刺激しないでください。ただし、行動には十分注意を』

 

「……承知いたしました」

 

 通信を切る。

 

 直哉は、改めて目の前の十四歳を見た。

 

(裏社会の線引き、頭おかしくなりそうだな……)

 

 今のノアは、この会場では正式な招待客。

 一昨日の件が消えたわけでも、無罪になったわけでもない。

 ただ、一昨日の事件の処理と、今日の競売会への参加資格は、別の制度として動いているらしい。

 

 だとしても。

 

 一昨日殺されかけた相手が、なぜ今日のうのうとこの会場にいるのか。

 その話だけは絶対に聞いておく必要があった。

 

 エレノアは、ノアの手首を掴んだまま、静かに問い詰めた。

 

「まさか」

 

 一拍置く。

 

「私への、お礼参りにでもいらしたのでしょうか?」

 

 ノアは、心外だというように顔をしかめた。

 

「はぁ!?」

 

「ちげーよ! 俺は普通に、今日のオークションの客として来てるだけだよ!」

 

 エレノアは、冷ややかな声で繰り返した。

 

「普通に」

 

「そうだよ!」

 

 ノア自身も、各国の裏社会を渡り歩く『ヴァレリウス家』という名門の超常一族の人間だ。

 こうした合法・非合法の入り混じる特異物品の競売会に、彼らのような一族の人間が参加すること自体は、全く珍しいことではない。

 

 今日は、暗殺の依頼があって来ているわけではない。

 欲しいアイテムがあるのか、家族から買い付けを頼まれたのか、単なる見物なのかは分からないが。少なくとも、今日の彼は純粋な『客』なのだ。

 

 ノアが不満そうに言った。

 

「今日は仕事じゃねーって。プライベートだよ」

 

 エレノアが、冷たく切り捨てる。

 

「一昨日は人様の命を狙い、本日は優雅に夜会でお菓子ですか。随分と気楽なご身分ですね」

 

「仕事とプライベートは別だろ。ごっちゃにすんなよ」

 

 直哉の内心は、(こいつの職業倫理だけ、妙にホワイトだな!)と呆れていた。

 

 それにしても、先ほど警備本部から正式な招待客だと確認された以上、本当にこの世界ではその理屈がある程度通っているらしい。

 

 エレノアの視線が、ノアの身体を上から下へと流れた。

 

 一昨日。

 エレノアが放った数百本のナイフによって、全身に重傷を負って血まみれになっていたはずだ。

 

 だが今。

 ノアの身体には、怪我の痕など一つもなく、何事もなかったかのようにピンピンして立っている。

 

「ところで、ノア様」

 

「ああ? なんだよ」

 

「先日の傷は、もうよろしいのですか?」

 

 ノアは、自分の肩や腕を軽く叩いて見せた。

 

「あー、これ? 全然余裕。うちの専属の治癒能力者に治してもらったから」

 

 直哉の内心が、激しく反応した。

 

(こいつの家にも、治癒能力者がいるのか!?)

(もしかして、治癒能力者ってこの世界の金持ちとか名家の間じゃ標準装備なのかよ!)

 

 だが表面上は、エレノアの完璧な微笑みを崩さなかった。

 

「それは、何よりでございました」

 

 続けて、エレノアは極上の嫌味を放った。

 

「それと」

 

「ん?」

 

「先日は、私の急所を綺麗に外して攻撃してくださり、誠にありがとうございました」

 

 穏やかな微笑み。

 だが、その言葉の裏にある刺は強烈だった。

 

 ノアは、数秒間黙り込み、その意味を完全に理解して顔をしかめた。

 

「…………」

 

「あんた、絶対感謝してねーだろ」

 

 エレノアは涼しい顔で返した。

 

「おかげさまで、すぐに治療を受けることができ、無事に元の身体へと戻ることができましたので」

 

 ノアが肩をすくめた。

 

「治ったならいいじゃん。別に殺す気なかったし」

 

 直哉の内心が叫んだ。

(治すのに一千万円かかったんだよ!!)

 

 エレノアの口から、チクリとその金額が漏れた。

 

「ええ。一千万円ほど掛かりましたが」

 

 ノアは少しだけ目を丸くした。

 

「高っ。あんた、ぼったくられてね?」

 

 直哉は心の中で泣いた。

(やっぱりぼったくりだったのかよ!)

 

 ノアが、反論するように言い返した。

 

「つーか、そっちだって俺にめちゃくちゃナイフ刺しまくっただろ! あっちの方がよっぽど痛かったわ!」

 

 エレノアは、平然と頷いた。

 

「ええ」

 

「ですが、致命傷となる箇所は全て意図的に避けております」

 

 ノアが不満そうに黙る。

 そして、エレノアは極めつけの一言を放った。

 

「子どもですからね」

 

 ノアの顔が、一瞬で真っ赤になった。

 

「…………」

 

「……ムカつくな!!」

 

 直哉の内心は、(今のは、俺も言っててスッキリした)とガッツポーズをしていた。

 

 結局、口にしている内容そのものを考えているのは直哉だ。

 それが外へ出る際に、『エレノア・ヴァイスならばどう口にするか』という形へ自動的に翻訳されているだけなのだ。

 

 ノアに対して冷え切った言葉しか出なかったが、今の直哉が嫌味を言いたいと思えば、それもまたメイド長らしい上品な毒へ変換されるらしい。

 

(クソガキだから殺さなかっただけだよ!)という直哉の本音が、外に出る時はこうなる。

 

「まだお若いのですから、どうか命は大切になさってくださいませ」

 

 ノアが吐き捨てた。

 

「年寄りみたいな説教してんじゃねえよ!」

 

 直哉の内心は(俺、中身はリアルに三十四歳のおっさんだからな。間違ってはないぞ)と苦笑した。

 

 軽口の応酬から、直哉は自然に空気を真面目なものへと切り替えた。

 

 彼にとって、玲蘭の安全確認が何よりも最優先事項だ。

 エレノアの表情が、スッと引き締まった。

 

「ノア様。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

 

 ノアが、少し警戒した顔になる。

 

「何?」

 

「紅城院のお嬢様を……再び狙うおつもりはございますか?」

 

 空気が張り詰めた。

 

 だが。

 

「ああ、あれ?」

 

 ノアは、拍子抜けするほどあっさりと首を横に振った。

 

「ないよ」

 

 即答だった。

 直哉の内心が、(えっ?)と拍子抜けした。

 思ったよりも、ずっと軽い返事だった。

 

 ノアはキャンディの棒を指で回しながら説明した。

 

「仕事、失敗したからさ。依頼主にも『失敗したから無理』って報告した。契約もそこで終わり」

 

 ヴァレリウス家としての任務はそこまで。

 個人的な恨みもない。玲蘭を再び殺そうという執着も全くない。

 

 それは、一昨日直哉が霧島から聞いた説明と完全に一致していた。

 

『ヴァレリウス家は、依頼に失敗したからといって、私怨で標的に報復するような傾向はない』。

 

(本当に、仕事と私怨は完全に切り分けてるんだな……)

 

 直哉は、少しだけ安堵した。

 

 だが、まだ不安は残る。

 

「では、同じ依頼主から、再度依頼された場合は?」

 

 ノアは顔をしかめた。

 

「俺はやんない。うちの家としても、たぶん受けないね」

 

 理由は明確だ。

 一度失敗した案件。しかも、正体不明の『Tier2級の時間停止能力者』が護衛についていることが完全にバレてしまった。

 そんなハイリスクな案件を、同じ条件で再度受けるような割に合わない真似はしない。

 

「では、別の方……他の暗殺者へ依頼が回る可能性は?」

 

 ノアは少し考えてから答えた。

 

「あー……ゼロじゃないけど。結構、嫌がられるんじゃね?」

 

 裏社会からの視点で見れば。

 あのヴァレリウス家が仕事を受け、Tier2の末弟であるノアまで投入した。

 それで、失敗したのだ。

 しかも、未知のTier2護衛がいるというおまけ付き。

 

 案件のリスク評価は、一気に跳ね上がっているはずだ。

 

「うちが失敗した案件だって分かったら、普通の同業者は絶対警戒するだろ。金積まれても『割に合わない』って断る奴の方が多いと思うよ」

 

 さらに、ノアは呆れたように付け加えた。

 

「そもそもさ。あの依頼、ただのナンパに失敗した馬鹿男の、逆ギレの後始末みたいな依頼だろ?」

 

 直哉は無言になった。

 

(…………)

 

「そんな下らない理由で、わざわざあんなヤバい護衛付きの相手を殺しに行く仕事なんてさ。依頼主が誰だろうと、内容問わずに引き受けるうちみたいなイカれた家以外、最初から断る奴も多いんじゃね?」

 

 ここで、ヴァレリウス家という一族の異常性もサラッと露呈した。

 内容を問わず、金と条件さえ成立すれば仕事として受ける。だからあんな馬鹿げた依頼も彼らの元へ届いたのだ。

 

 エレノアは、小さく息を吐いた。

 

「では、少なくとも現時点では、お嬢様へ新たな暗殺依頼が出回っているわけではないのですね」

 

「俺が知ってる裏の範囲じゃ、ね」

 

 絶対の保証はしない。それが裏社会の人間らしい答えだ。

 だが、直哉にとってはそれだけで十分すぎる安心材料だった。

 

 エレノアの表情が、少しだけ柔らかく解れた。

 

「そうですか。それを伺えて、少し安心いたしました」

 

 直哉の内心も、(よかった……)と、心底安堵していた。

 

 その時。

 

 警備用の無線から、短い呼び出し音が入った。

 

『各警備班、定時報告をお願いします』

 

 直哉はすぐに周囲へ視線を走らせた。

 展示区画。来場者。出入口。

 少なくとも、今見える範囲に異常はない。

 

 エレノアは無線へ静かに答えた。

 

「東側展示区画、異常ございません」

 

『了解』

 

 通信が切れる。

 

 ノアが少しだけ意外そうな顔をした。

 

「ちゃんと仕事してんだな」

 

 エレノアは冷たい視線を向けた。

 

「当然でございます」

 

「いや、ずっと俺と喋ってるからさ」

 

「勤務中であることを忘れた覚えはございません」

 

「真面目だなぁ」

 

(お前が絡んできたんだろ!)

 

 ノアが、エレノアの顔をジロジロと見て言った。

 

「あんたさ。お嬢様、お嬢様って。本当に中身までメイドみたいになってんな」

 

 直哉の内心は(メイド長だぞ)と突っ込んだが、外には出さない。

 

「このような装いをしておりますので」

 

「そういう意味じゃねえよ」

 

 ノアは肩をすくめ、今度は直哉の方へと興味の矛先を変えてきた。

 

「ていうかさ、おっさん」

 

 直哉の内心がピキッと反応した。

 

(おっさん言うな)

 

「はい?」

 

「なんで今日、ここにいるの?」

 

 直哉は、隠すことなく仕事であることを説明した。

 

「本日は、この競売会の警備を承っております」

 

「ああ。Tierが上がったから?」

 

「ええ。本日から、正式にTier2として登録されておりますので」

 

 ノアは「へー」と、少しだけ興味深そうな顔をした。

 自分と同じTierの階層に上がってきた人間に対する、純粋な好奇心だ。

 

「でもさ、おっさん――」

 

 ノアが再びそう呼んだ瞬間、エレノアが完璧な微笑みで言葉を遮った。

 

「ノア様」

 

「何?」

 

「よろしければ、私のことは『ナオ』とお呼びくださいませ」

 

 ノアは首を傾げた。

 

「ナオ?」

 

「ええ。業務上、その名を使用しておりますので」

 

 直哉としても、ここで本名を広めたくはない。自然な誘導だ。

 

 ノアは「ふーん」と言って、即座に受け入れた。

 

「じゃあ、ナオ」

 

 少し間を置いて、ノアが不満そうに言った。

 

「ノア様って呼ぶのはやめろ。気持ち悪い」

 

 エレノアは微笑んだ。

 

「では、ノアと」

 

「それでいい」

 

 一昨日まで命懸けで殺し合っていた二人が、なぜか普通に名前の交換をして、雑談をしている。

 直哉の内心は、(なんで俺たち、こんなに普通に喋ってんだ……)と、このシュールな状況に戸惑っていた。

 

「そうだ」

 

 ノアが、急に少しだけ真面目な顔つきになって言った。

 

「ナオのあれさ」

 

 エレノアが静かに問う。

 

「何でしょう?」

 

「あんたの、あの能力のこと」

 

 ノアは、一昨日からずっと考えていたらしい。

 あの地下駐車場での、理解不能な現象について。

 

「一昨日、ずっと考えてたんだよ」

 

「最初は瞬間移動かと思ったけど、なんか違う。位置が変わるだけなら説明つくけど、俺の避けた先にナイフが配置されてたのはおかしい」

「あの標的の女を俺の手から消した時も、俺の手に物理的な抵抗とか、引っ張られた感触が何もなかった」

 

 暗殺者としての、恐るべき観察眼と分析力だ。

 

 ノアは、ニヤッと笑って結論を口にした。

 

「あれ、速度の問題じゃない。空間転移だけでもない」

 

「時間停止とか、その辺だろ?」

 

 直哉の内心が、(こいつ……!)と震えた。

 一日で、完全に能力の本質を当ててきたのだ。

 

 エレノアは、誤魔化すような真似はしなかった。

 秘密にする理由も、今さら薄い。ノアは実際にそれを食らった当事者だし、八咫烏のデータベースにもすでに登録されている。

 

 エレノアは、優雅に微笑んだ。

 

「お見事です」

 

 ノアが、してやったりというように得意げな顔になる。

 

 エレノアが、ゆっくりと拍手をした。

 

「大正解でございます、ノア」

 

 一拍置いて。

 

「よくできました」

 

「…………」

 

 ノアの顔から、一瞬で得意げな笑みが消え去り、真っ赤になった。

 

「その言い方やめろ!」

 

「何か問題でもございましたか?」

 

「俺を完全にガキ扱いしてるだろ!」

 

「十四歳でいらっしゃいますよね?」

 

「そういう問題じゃねえ!」

 

 ノアがキャンディを噛み砕いて怒るのを見て、直哉の内心は(おもしれぇ)と大爆笑していた。

 

 ノアは咳払いをして、無理やり話題を変えた。

 

「でも、あんたが時間停止の能力ならさ」

 

「今日の怪盗、捕まえられるんじゃね?」

 

 エレノアが首を傾げた。

 

「《怪盗ノクターン》のことでしょうか」

 

「そう、それ」

 

 怪盗の予告状が出ていることは、警備側だけの秘密ではない。むしろ、ノクターン本人がわざと公にしているため、参加者の間でも「今夜ノクターンが出るらしいぞ」「何を狙っているんだろうな」という噂が飛び交っていた。ノアも当然、その情報を知っていた。

 

 エレノアが、逆にノアへ質問した。

 

「ノアは、あの怪盗について何かご存じなのですか?」

 

 ノアは腕を組んで考えた。

 

「んー。まあ、Tier3って言われてるのは知ってるだろ?」

 

「ええ」

 

「あと、あいつは『世界中に出る』」

 

 それは、直哉も知らない新情報だった。

 

「ヨーロッパで何かを盗んだと思ったら、数週間後にはアメリカに出る。その次はアジア。特定の一つの地域に拠点があるようには見えない。世界を股にかけて出る怪盗って、裏じゃ結構有名なんだよ」

 

 直哉の内心は、(本当にルパンみたいな漫画の怪盗じゃん)と感心していた。

 

 ノアが続ける。

 

「狙う物も特殊だ。普通の宝石とか現金には興味がないらしい。能力関係のアイテム、異界の産物、怪異由来の素材、古い特殊な物品、機密情報。そういう『普通には手に入らない価値ある物』だけを狙う」

 

「能力の詳細は?」

 

「知らない」

 

「本名は?」

 

「知らない」

 

「顔は?」

 

「誰も知らない」

 

 直哉の内心が、(それでなんで世界的怪盗として成り立ってんだよ!)と突っ込んだ。

 

 ノアが呆れたように言った。

 

「うちの家でも、前に別の依頼であいつの情報を探したことがあるらしいけど。ろくな情報が出なかったって言ってたぜ」

 

 あの伝説の暗殺一家であるヴァレリウス家の情報網をもってしても、足取りを掴めない。

 それだけで、怪盗ノクターンの情報防御能力の高さと、逃走スキルの異常性が裏付けられていた。

 

(ヴァレリウスでも追えないのか……)

 

 直哉の中で、怪盗という存在への警戒値と期待値が一段階上がった。

 

 ノアは、エレノアの顔を見て、悪戯っぽくニヤリと笑った。

 

「だからさ」

 

「はい?」

 

「一緒に、あの怪盗捕まえようぜ」

 

 直哉の思考が、一瞬停止した。

 

(……は?)

 

 エレノアの口から、即答の拒絶が出力された。

 

「お断りいたします」

 

 ノアがずっこけた。

 

「早っ!?」

 

 直哉の内心も、(いや、お前はただの客だろ!)と全力で突っ込んでいた。

 

 ノアが食い下がる。

 

「だって、面白そうじゃん。絶対捕まらない怪盗と、時間を止めるメイド。どっちが勝つか見てみたいし」

 

「私は、仕事でこちらへ参っておりますので。遊びに付き合う暇はございません」

 

「知ってるよ。でも、俺は客だぜ?」

 

「では、客席で大人しくお菓子でも召し上がっていてくださいませ」

 

「つまんねー」

 

 ノアは唇を尖らせた。

 

 だが、直哉は内心で少しだけ考えていた。

 

 ノアは、Tier2のプロの暗殺者だ。

 人混みの中での監視。標的の発見。尾行。異常な動線への気づき。罠の看破。変装の看破。気配の察知。

 そういった『裏の技術』においては、間違いなく超一流の専門家だ。

 

 直哉の内心。

 

(……怪盗を探し出すんなら、こいつの技術は普通にめちゃくちゃ役に立つんだよな)

 

 同時に、激しい葛藤もある。

 

(でも、一昨日俺を殺しかけた奴だぞ。信用していいのか?)

 

 しかし、今日のノアの目的は仕事ではない。玲蘭への依頼もすでに終了している。

 そして本人は、直哉に対して敵意を隠すこともなく、普通に会話をしている。奇妙な関係ではあるが、今の彼に明確な殺意はない。

 

 ノアが、もう一押ししてきた。

 

「ナオは、怪盗を捕まえるか阻止できれば仕事として成功だろ? 俺は、誰も捕まえられない怪盗の顔が見れて面白い」

 

「利害、一致してんじゃん」

 

 エレノアは、静かにため息をついた。

 

「少々、動機の質に差があるようですが」

 

「細けえよ」

 

 直哉は、ついに折れた。ただし、完全に自由にさせるつもりはない。

 

 エレノアは、冷ややかな目でノアを見下ろした。

 

「……では、協力していただくにあたり、いくつか条件がございます」

 

 ノアの顔がパッと明るくなった。

 

「何?」

 

「条件その一。展示品および競売品には、許可なく絶対に触れないこと」

 

 ノアが不満そうに言う。

 

「俺、怪盗じゃねえって」

 

「念のためです」

 

「信用ねえな!」

 

「条件その二。私、および他の警備員の職務を絶対に妨害しないこと」

 

「しないしない」

 

「そのお返事が一番信用できませんね」

 

「ひでえ」

 

「条件その三。これが最も重要です」

 

 エレノアの目が、鋭く光った。

 

「怪盗を発見したとしても、私の許可なく、絶対にあなたから攻撃を始めないこと」

 

 ノアはTier2の化け物だ。彼がこの会場で戦闘を始めれば、一般客を巻き込んだ大惨事になりかねない。

 

 ノアは露骨に嫌そうな顔をした。

 

「えー」

 

 エレノアは即座に踵を返した。

 

「では、お断りいたします」

 

 ノアが慌ててエレノアの袖を掴んだ。

 

「分かったって! 攻撃しない! 約束する!」

 

 ノアはぶつくさと言い訳をした。

 

「別に、殺す気なんてねえよ」

 

 エレノアは冷たい視線を向けた。

 

「あなたの『殺さない』は、少々信用しづらいのですが」

 

「一昨日だって、俺、ナオのこと殺してねえじゃん」

 

 直哉の内心が激怒した。

 

(あれはギリギリで俺が防いだだけで、普通なら死んでた重傷だったんだよ!)

 

 エレノアは少しだけ考え。

 

「……仕方ありませんね」

 

 ノアがニッと笑った。

 

「よし」

 

「ただし、行動する際は必ず私の指示に従っていただきます」

 

「はいはい」

 

 エレノアの冷たい視線が突き刺さる。

 

 ノアは肩をすくめた。

 

「……分かったよ」

 

 こうして、極めて奇妙な即席の共闘関係が成立した。

 

 ノアが、手を差し出した。

 

「じゃ、よろしく。ナオ」

 

 エレノアは、その手は取らずに優雅に一礼した。

 

「ええ。よろしくお願いいたします、ノア」

 

 外から見れば、上品なメイド長の女性と、やんちゃな十四歳の少年が、パーティーの片隅で普通に親しげな会話をしているようにしか見えない。

 

 だが、直哉の内心は複雑骨折しそうだった。

 

(一昨日まで血みどろで殺し合ってた相手と……なんで今日、怪盗探しのコンビ組んでんだ、俺……)

 

 二人は並んで、煌びやかなパーティー会場を見渡した。

 

 怪盗ノクターン。まだその姿はない。

 パーティーは華やかなままだ。参加者たちはシャンパングラスを手に談笑し、給仕たちが美しい料理を運んでいる。優雅な音楽が流れている。

 

 この中の誰が怪盗なのか。全く分からない。

 

 ノアが、キャンディを転がしながら尋ねた。

 

「で?」

 

「どいつが怪盗だと思う?」

 

 エレノアは、会場全体を静かに見回した。

 

「まずは、不審な方を探すところからでしょうか」

 

 ノアも、周囲の客層を値踏みするように観察した。

 世界中の富豪。能力者。人外の存在。奇妙な民族衣装や、魔術的な装束を着た者。物々しい護衛たち。中には、顔を隠すような仮面をつけている客までいる。

 

 ノアは、呆れたようにポツリと言った。

 

「……この会場、怪しい奴しかいなくね?」

 

 エレノアは、ほんの少しだけ間を置いて、深く同意した。

 

「奇遇ですね。私も今、全く同じことを考えておりました」

 

 直哉の内心が、激しく首を縦に振っていた。

 

(ほんとだよ! 全員怪しすぎて、誰から疑えばいいんだよこれ!)

 

 二人が並んで立つ。

 

 ★★★★★の時止めメイド長。

 Tier2の少年暗殺者。

 

 一昨日は死闘を繰り広げた敵同士が。

 今日は、奇妙な即席コンビとなって。

 

 標的は、世界を股にかけ、ただの一度も捕まったことのないTier3の神出鬼没の怪盗。

 

 華やかな夜会の幕開けと共に、彼らの視線が会場の闇を静かに探り始めた。

 




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