俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~   作:パラレル・ゲーマー

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第27話 怪盗対策、二人分ください

 月曜日、昼過ぎ。

 

 浅草観光を一通り楽しんだ直哉――東雲セナの姿をした直哉と、十四歳の暗殺者ノア・ヴァレリウスは、人通りの多い観光エリアから少しずつ外れ、入り組んだ裏路地へと足を踏み入れていた。

 

 さっきまでの、赤い巨大な提灯や、人形焼の甘い匂い、外国人観光客の笑い声に満ちた賑やかな雷門や仲見世の景色とは全く違う。

 

 ほんの一本、メインストリートから裏へ入るだけで、街の空気は急激に色を変える。

 

 人影の少ない、古い木造の住宅。

 地元民しか知らないような小さな飲食店。

 年季の入った雑居ビル。

 昔ながらの、少し錆びれた商店の数々。

 

 ノアは、片手に持ったスマートフォンをちらちらと見ながら、迷路のような路地を歩いている。

 だが、彼はスマートフォンの地図アプリを開いて目的地をナビゲートしているわけではなかった。

 

 そもそも、目指す店の住所すら知らないのだ。

 

 セナは、少し呆れた声でノアの背中に尋ねた。

 

「で?」

 

「本当に、この辺なの?」

 

 ノアは、スマートフォンの画面から顔を上げずに、あっさりと答えた。

 

「たぶん」

 

「たぶん!?」

 

 セナが盛大にツッコミを入れた。

 

 直哉の内心は、(こいつ、本当に適当だな!)と呆れ果てていた。

 

 ノアが持っている、『本物の呪物屋』にたどり着くための手掛かり。

 それを改めて確認する。

 

 ・浅草周辺。

 ・路地裏。

 ・古い店舗。

 ・表向きは、全く別の商売をしている。

 ・看板のどこかに、能力者社会で使われる『印』が小さく描かれている。

 

 これだけだ。

 

 セナは、ため息をついて言った。

 

「せめて、店の名前くらい裏のルートで調べてから来なよ!」

 

 ノアは肩をすくめた。

 

「名前や住所が分かってたら、わざわざ足使って探す必要ねえだろ」

 

「そういう問題じゃないでしょ! ノーヒントすぎるよ!」

 

 一軒目。

 路地の奥に、いかにも怪しげな、古い木造の店舗を見つけた。

 

 ノアが、立ち止まってその店を指さす。

 

「ここじゃね?」

 

 セナも、その古めかしい外観を見て頷いた。

 

「めちゃくちゃそれっぽいね」

 

 引き戸を開けて、二人で中に入ってみる。

 

 店内には、古い茶碗、色褪せた掛け軸、錆びた古銭などが所狭しと並べられていた。

 店主の白髪のおじいさんが、奥からゆっくりと出てきて声をかける。

 

「いらっしゃい」

 

 ノアとセナは、店内をぐるりと見回した。

 店の外の看板にも、店内にも、能力者社会の『怪しい印』は全く見当たらない。

 並んでいる商品も、見た限りではただの古い骨董品ばかりだった。ノアも特に反応を示さない。

 

 ノアは、数秒で判断を下した。

 

「……違うな」

 

 セナが小声で突っ込む。

 

「普通のお店に、何しに入ったの私たち」

 

 何も買わずにすぐ出るのも気まずかったのか、ノアが一番安い木彫りの根付を一つだけ買って、そそくさと店を出た。

 

 二軒目。

 次に見つけたのは、さらにそれらしい雰囲気を放っている店だった。

 

『霊視』『前世占い』『悪霊退散・除霊』『呪い解除』

 

 そんな派手な文字が踊る、怪しげな看板が出ている占い屋だ。

 

 セナが、自信満々に言った。

 

「今度こそ、絶対怪しくない? 呪い解除とか書いてあるし」

 

 だが、ノアは一瞥しただけで即答した。

 

「いや」

 

「こういう、堂々と一般人に向けて『怪しいですよ』ってアピールしてる店は、たぶん違う。裏社会の店はもっと地味だ」

 

 セナは反論した。

 

「それはお前の偏見じゃない?」

 

 だが、一応中に入ってみると。

 そこには紫色のローブを着た胡散臭い占い師の女性がいて、水晶玉を撫でながら「あなたには悪い霊がついています……」と、いかにも観光客向けのテンプレ台詞を吐いてきた。

 ノアの予想通り、完全なハズレだった。

 

 歩きながら、直哉は根本的な疑問をノアに尋ねた。

 

「そもそも、その『印』って、どんなマークなの?」

 

 ノアは、少しだけ顔をしかめて頭を掻いた。

 

「……それがさ、口で説明しづらいんだよな」

 

 ここで、直哉は一つの重要な世界観のルールを学んだ。

 

 その『印』は、能力者にしか“見えない”ような、特殊な力で書かれた透明なマークではない。

 普通の一般人の人間が目で見ても、全く同じように見える、物理的なマークなのだ。

 

 ただ。

 

『その意味を知っている人間にしか、それが何を示しているのかが絶対に分からない』ように作られている。

 

 完全なる、裏社会の符丁。

 

 例えば。

『三本の短い斜線を、小さな円が囲んでいる』という、極めてシンプルな印。

 

 一般人がそれを見ても、「ああ、この店のロゴマークかな」とか、「看板に古い傷がついているだけか」程度にしか認識しない。

 

 だが、能力者社会の人間がそのマークを見れば。

 

「ここは、表向きの商売とは別に、裏の能力者向けの商品を扱っている店だ」

 

 という、古くから使われている共通の符号として認識されるのだという。

 

 直哉は感心した。

 

「なんか、スパイ映画とか秘密結社のマークみたいだね」

 

「似たようなもんじゃね? 裏の商売なんだし」

 

 さらに、路地を何本か歩く。

 

 ふと、前を歩いていたノアが、ピタリと足を止めた。

 

「……あ」

 

 セナが横に並ぶ。

 

「見つけた?」

 

 ノアが、路地の一角にある店舗を指差した。

 

 そこにあったのは、拍子抜けするほど、ごく普通の地味な店だった。

 古い和装の小物や、手作りの根付を売るような、浅草の路地裏にはいくらでもありそうな店舗。

 木製の看板。店名も、ごく一般的なものだ。

 店先には、簪(かんざし)、扇子、帯留め、組紐などが綺麗に並べられており、外国人観光客がフラリと入っても何の違和感もない。

 

 セナは首を傾げた。

 

「……ここ? めちゃくちゃ普通のお店に見えるけど」

 

 ノアは、看板の右下の、ごく小さな端の部分を指差した。

 

 そこには。

 遠目からでは、木目の傷か汚れにしか見えないほど、非常に小さく。

 

『三本の斜線を、円で囲んだマーク』が、確かに彫り込まれていた。

 

 セナは目を丸くした。

 

「……あれ?」

 

「そう」

 

 ノアが、ニヤリと笑った。

 

「たぶん、ここだ」

 

 直哉の内心は、(事前に言われなかったら、こんなマーク絶対見落として通り過ぎるわ……!)と、裏社会の隠蔽技術の巧妙さに舌を巻いていた。

 

 二人は、ごく普通の観光客の顔をして、店の引き戸を開けた。

 カランコロンと、小さな鈴が鳴る。

 

 店内も、ごく普通だった。

 古い和装小物が並ぶ棚。ガラス張りのショーケース。

 

 店の奥のカウンターには、七十歳前後に見える、着物を着た小柄な女性店主が座っていた。

 

「いらっしゃい」

 

 愛想のいい、普通の老婦人の声だ。

 少なくとも、外から見ただけでは普通の和装小物店にしか見えない。

 

 ノアは、店内をぐるりと軽く見回した後。

 迷うことなく、真っ直ぐにカウンターの老婦人の前へと歩み寄った。

 

 そして、声を落として言った。

 

「表の品じゃなくて……『裏の商品』、見たいんだけど」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 老婦人の、優しそうだった目つきだけが。

 スッと、氷のように鋭い、裏社会の人間の目へと変わった。

 

 店主は、低い声で尋ねた。

 

「紹介は?」

 

 一見の客を、簡単に入れるような店ではないらしい。

 ノアは少しだけ考え、面倒くさそうに答えた。

 

「ヴァレリウス」

 

 店主の動きが、完全に止まった。

 

「…………」

 

 店主は、目の前のパーカー姿の十四歳の少年を、頭の先からつま先まで、値踏みするようにじっと見つめ直した。

 そして、もう一度確認する。

 

「……海外の?」

 

 ノアは、ダルそうに頷いた。

 

「そう」

 

 直哉の内心が、激しくツッコミを入れた。

 

(家名だけで顔パスで通るのかよ!!)

 

 あの世界的な暗殺一族の知名度と影響力の強さを、こんな東京の下町で改めて実感することになるとは思わなかった。

 

 店主の視線が、ノアの隣に立つセナへと移った。

 

「そっちは?」

 

 ノアは、あっさりと答えた。

 

「俺の友達」

 

 セナが、一瞬だけビクッと反応した。

 

 昨日までなら。地下駐車場で顔を合わせた時なら、ここは「知り合い」という言葉だったはずだ。

 それが今日は、ちゃんと『友達』と言ってくれた。

 

 セナは、少しだけ嬉しさを滲ませながら、丁寧に頭を下げた。

 

「ナオです」

 

『森川直哉』という本名は名乗らない。

 ここは表社会ではなく、能力者の裏社会の店だ。対外的に使っている《ナオ》という名を使うのが一番自然だった。

 

 店主は、それ以上深く詮索することはなかった。

 ヴァレリウス家の人間が連れているのなら、それなりの実力者なのだろうと判断したらしい。

 

「……ついてきな」

 

 店主はカウンターから立ち上がり、店のさらに奥へ。

『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた、従業員用のスタッフルームにしか見えない扉を開けた。

 

 狭い廊下。

 そして、さらに地下へと続く階段を下りていく。

 

 直哉の内心は、(うわ、本当に裏の店じゃん……)と、少しだけワクワクしていた。

 

 地下の照明が、パッと点灯した。

 

 直哉の目が、大きく見開かれた。

 

 地上の、あのこぢんまりとした狭い店舗からは想像もできないほど。

 地下空間は、体育館のように広く、そして圧倒的な物量で満たされていた。

 

 天井まで届く巨大な棚。

 厳重な鍵のかかったガラスケース。

 壁一面を埋め尽くす、小さな木製の引き出しの数々。

 

 そこに並べられている大小さまざまな道具の、その一つ一つに。

 手書きの値札と、そして『効果の簡単な説明書き』が添えられている。

 

 まさに、能力者向けの『本物の呪物専門店』だった。

 

 直哉の内心のテンションが、完全に限界突破した。

 

(うわぁぁぁぁっ!!)

(これ、完全にRPGのリアル装備屋じゃん!!!)

 

 剣や銃を売っている純粋な『武器屋』というよりは、アクセサリーや便利アイテム、特殊な効果を持った『装備ショップ』といった趣だ。

 ゲーマーとして、こういう店が嫌いなわけがない。

 

 直哉は、セナの姿のまま、目をキラキラさせて店内を歩き回り、視線を忙しく動かした。

 

 だが、並んでいる商品の説明を読んでいくうちに、直哉は少し意外なことに気がついた。

 

(……思ったより、普通の日用品みたいな呪物が多いな)

 

 最初に目についたのは、地味な銀の指輪だった。

 

『《保温の指輪》:装着者の体温低下を僅かに抑える効果あり。雪山での長期任務などに』

 

 次に見つけたのは、本の栞のようなアイテム。

 

『《防音の栞》:この栞を置いた半径二メートル以内での、小さな声の会話が、外部へ漏れにくくなる』

 

 その隣。

 

『《忘失防止の鍵輪》:登録した鍵をどこかに置き忘れて距離が離れた際、持ち主の頭の中に軽い違和感とアラートを返す』

 

 直哉は、無言でそれらのアイテムを見つめた。

 

「…………」

 

 ノアが、怪訝そうに尋ねた。

 

「何?」

 

 セナが、正直な感想を口にした。

 

「いや……なんかもっと、『呪われた魔剣』とか、『血を吸う妖刀』とか、人を殺したり呪い殺したりするような、ヤバい道具ばっかり売ってる店だと思ってたからさ」

 

 店主の老婦人が、呆れたように鼻で笑った。

 

「あんた、映画の観すぎだね。そんな危ねえもんばっかり売ってたら、客がすぐ死んで、商売にならないよ」

 

 さらに棚を見ていくと、本当に便利な生活用品の延長のような呪物が並んでいた。

 

 泥水や血の汚れが付きにくくなる特殊な繊維の手袋。

 どれだけ硬い骨や怪異の皮膚を切っても、刃こぼれしにくい料理包丁。

 当てておくだけで、小さな切り傷程度の出血ならすぐに止まりやすくなる包帯のような布。

 睡眠時に装着すると、周囲の小さな物音だけを僅かに減衰させてくれる耳栓。

 歩く時の靴音を、少しだけ抑えてくれる中敷き。

 

 ノアが、当然のように言った。

 

「こういう、地味で便利な補助アイテムが、一番よく売れるんだよ」

 

 直哉は深く納得した。

 

(なるほどな……)

 

 能力者だって、毎日二十四時間、誰かと血みどろで殺し合っているわけではない。当然、彼らにも日常があり、生活がある。だからこそ、日々の任務や生活のストレスを軽減してくれるような『便利グッズ』への需要が高いのだ。

 

 店主が、陳列棚を整理しながら軽く説明してくれた。

 

「呪物の性能ってのは、元になった能力者の力の強さ、使われていた期間、道具そのものとの相性、そして『どれくらいの割合の力が定着したか』によって、完全にバラバラになるんだ」

 

 だから、同じ『翻訳』の能力を持つイヤーカフであっても、ものによって翻訳できる言語の数や、精度の高さに大きな性能差が出るのだという。

 

 直哉は内心で、(なるほど、ランダムオプションの付いたハクスラやガチャ装備みたいなもんか)と理解した。

 

 直哉は、何気なく一つ、ショーケースの中にあった『翻訳系イヤーカフ』の値札を見た。

 

「たっか!」

 

 思わず、素の声が出た。

 安いものでも数十万円。高性能なものになると、数百万単位の値段がつけられている。

 

 ノアが不思議そうに言った。

 

「翻訳系の実用品なら、そのくらいの値段、普通だろ」

 

 セナが言い返す。

 

「普通じゃないよ! 車買えちゃうよ!」

 

「でも、命懸けの海外の仕事で、言葉が通じないせいで作戦に失敗したり、敵に殺されたりするよりは、数百万円払ってでも安全を買う方がよっぽど安上がりだろ?」

 

「うっ」

 

 それは、完全にノアの言う通りだった。

 

 直哉は、少しだけ欲しくなった。

 

(翻訳……これ、今後の八咫烏の仕事とかでも、海外の能力者や外国人と関わる可能性があるなら、普通に使えそうだな)

 

 しかし。

 

(……いや、便利ではあるけど、今すぐ絶対に必要な装備じゃないな。実際に必要になる仕事が来てから買えばいいか)

 

 直哉は、一度商品を棚へと戻した。

 

 しばらく店の中を物珍しそうに見て回っていた直哉だったが、ふと、本来の目的を思い出した。

 

「……で」

 

 ノアが振り返る。

 

「ん?」

 

「結局、ノアは何を買いに来たの?」

 

 ノアは、「ああ」と、ようやく本題を思い出したように言った。

 

 二人は、店主のいるカウンターへと向かった。

 

 ノアが、真剣な顔で尋ねた。

 

「ばあさん」

 

「ばあさんじゃないよ、店主と呼びな」

 

「幻覚とか、認識阻害とか。そういうのへの『対策』になるような呪物、ある?」

 

 直哉は、その言葉を聞いて、すぐにノアの意図を理解した。

 

「…………なるほどね」

 

 セナが、小声で確認する。

 

「……ノクターン対策?」

 

 ノアは、極めて軽く頷いた。

 

「そうそう」

 

「この前、水曜日のオークションでさ。俺たち、まんまと二人揃ってあいつの幻術に騙されたじゃん」

 

 セナは顔をしかめた。

 

「思い出させないでよ……腹立つから」

 

 消えていない宝石。舞台裏へ逃げる偽物の怪盗の影。

 二人とも、完全に相手の用意したレールに乗せられ、誘導されたのだ。

 

 ノアは、暗殺者としての極めて合理的な思考を語った。

 

「一回、見事に食らった手に対する対策装備くらい、次に会う時までに用意しておくのがプロだろ」

 

「次また同じ幻術で騙されたら、さすがにダセえじゃん」

 

 直哉の内心が、深く同意した。

 

(なるほどな)

 

 昨日ノアが言っていた『確認したいこと』というのは、ノクターンの幻術に対して使えそうな対策品が本当に存在するのか。そして、存在するなら実際にどの程度まで役に立つのかを、自分の目で確かめることだったらしい。

 使えそうなものがあれば、そのまま買う。その程度の、実にノアらしい実践的な目的だったのだ。

 

 セナが言った。

 

「それなら、私も欲しい」

 

 ノアがニヤリと笑う。

 

「だろ?」

 

 しかも、あの怪盗ノクターンが強い興味を示しているのは、ノアではなく、直哉――《ナオ》の方なのだ。

 次にノクターンと接触する可能性は、直哉の方が高い。彼にとってこそ、幻術対策は用意しておいて損はなかった。

 

 店主が、少し怪訝そうな顔で尋ねた。

 

「幻術対策ねえ……。あんたたち、幻そのものを『完全に消し去りたい』のかい?」

 

 ノアは即答した。

 

「いや」

 

「俺の視界の中に、『変な幻が混じってる』ってことさえ、確実に気づければいい」

 

 店主の目が、少しだけ感心したように細められた。

 

 ノアが説明する。

 

「前回の俺たちの失敗は、目の前にいる偽物の影を、何の疑いもなく『本物だ』と思い込んでしまったことだ。だから、そのまま追っかけた」

 

「最初から、『こいつは偽物の可能性がある。なんかおかしい』ってことさえ分かっていれば。後は俺の技術で、本物かどうか確認できる」

 

 相手の呼吸の有無。

 足音の響き方。

 重心の移動。

 床への荷重のかかり方。

 生体反応。

 

 ノアは、そうした物理的な情報を正確に読み取る、暗殺者としての超一流の技術を持っている。

 だから、彼には「疑うきっかけ」さえあれば、そこから幻術かどうかを自分で確かめる手段があるのだ。

 

 直哉も、同じだった。

 

(俺も、幻術が使われている可能性があるって、最初から分かっていれば全然違う)

 

 時間を停止させる。

 ナイフを配置する。

 物理的な位置関係を冷静に確認する。周囲を観察する。

 

「幻術が使われているかもしれない」と知っているだけで、直哉の取れる選択肢は大きく増える。

 

 店主は、深く頷いた。

 

「なるほどね。あんたたち、ただの力任せの馬鹿じゃなさそうだ」

 

「それなら、いくつか良いものがあるよ」

 

 店主は、奥の厳重な引き出しから、三つの小さなケースを取り出してカウンターに並べた。

 

「候補その一。《偏相眼鏡(へんそうがんきょう)》だ」

 

 一つ目のケースを開ける。

 中に入っていたのは、アンティークな片眼鏡(モノクル)だった。

 

「これを着けていると、視界に外部からの異常な視覚情報――つまり幻覚が重ねられた際に、その像の輪郭に『僅かなズレ』を感じやすくなる。価格も比較的安いよ」

 

 ノアは、それを一瞥して首を振った。

 

「今回の相手には、ちょっと足りねえな」

 

 ノクターンの幻術は、視覚だけではない。

 足音などの聴覚情報まで偽装していた。

 視界のズレだけでは、騙される可能性がある。

 

 店主は、すぐに二つ目のケースを開けた。

 

「候補その二。《自我錨(じがいかり)》だ」

 

 中には、小さなごつい指輪が入っていた。

 

「これは強力で、そして非常に高価だ。『自分が誰か』『今、何をしようとしていたか』という、自己の精神認識への干渉に対して、強力な抵抗力を与えてくれる」

 

 だが、これもノアは却下した。

 

「方向が違うな」

 

 怪盗ノクターンが今まで見せた幻術は、他人の自己認識を深く書き換えるような、強力な精神支配ではない。

 少なくとも、確認されているのは、存在しないものを見せたり、実在するものを認識しづらくしたりする類の幻惑・認識干渉だ。

 

 店主も、「だろうね」と頷き、最後のケースに手をかけた。

 

「候補その三」

 

 最後に開けられたのは、小さな黒い布張りのケースだった。

 中に入っていたのは。

 

 薄い、銀色の札(プレート)だった。

 親指ほどの大きさで、短い銀の鎖がついている。首から下げてもいいし、ポケットに入れておいてもいいサイズだ。

 

「商品名。《違和の銀牌(いわのぎんぱい)》」

 

 店主が、その小さな札を指差した。

 

「これは、幻を見破る道具じゃない」

 

 外部の能力や呪物などによって。

 装着者の感覚情報や、認識に対して、『不自然な干渉』が加えられた際。

 その干渉自体を、物理的な“違和感”として本人へフィードバックする呪物だという。

 

「幻術の干渉を受けた瞬間に」

 

「この銀の札が、氷のように『急激に冷たくなる』」

 

 着用者に対して、

 

『お前の今の知覚には、何かが混じっているぞ』

 

 と、物理的な温度変化で、警報を知らせてくれるのだ。

 

 店主は続けた。

 

「自分で起こしている能力現象に、いちいち反応するような代物じゃないよ。外から感覚や認識へ割り込んでくる干渉を拾うためのものだ」

 

 直哉は、それを聞いて少し安心した。

 

 これなら、自分がキャラクターへ変身したり、その状態で能力を使っただけで、銀牌が延々と冷え続けるようなことはないらしい。

 

 ここで、直哉は最も重要なことを確認した。

 

「じゃあ、この札が冷たくなった時、かけられている幻術は全部見えなくなるんですか?」

 

 店主は、即答した。

 

「ならないよ」

 

 幻覚は、幻覚のまま、普通に見え続ける。

 偽物の姿も消えない。

 どれが本物で、どれが偽物なのかも、この道具は教えてくれない。

 術者がどこに隠れているのかも、分からない。

 

 ただ。

 

『何かがおかしい。何らかの認識干渉を受けている』。

 

 その事実だけを、警告してくれる。

 

 ノアは、ニヤリと笑った。

 

「十分だ」

 

 店主は、このアイテムの限界についても、しっかりと説明した。

 

「強すぎる認識干渉の能力相手だと、銀牌側の警報の能力残響が押し切られて、反応しない場合がある」

 

「特殊な干渉形式だと、感知できない可能性もある」

 

「複数の怪異や呪物が密集しているような劣悪な環境だと、誤反応を起こすこともあり得る」

 

 だから、これは決して「絶対的な幻術無効装備」ではない。

 

 直哉は、内心で深く頷いた。

 

(うん。なんでも防げる無敵アイテムなんて逆に怪しい。そのくらいの制限がある方が、ゲームの装備としても信用できる)

 

 ノアが、セナの顔を見た。

 

「俺たちに必要なの、これじゃん」

 

 セナも同意した。

 

「そうだね」

 

 前回のオークションでの最大の問題は、「目の前の偽物を、全く疑いもしなかったこと」だ。

 この銀牌が一度でも冷たくなり、「おかしい」と警告してくれるだけで、少なくとも前回と全く同じ形で誘導される可能性は大きく下がる。

 

 店主が提案した。

 

「試してみるかい?」

 

 店主は、棚の奥から別の小さな呪物を持ってきた。

 低出力の、簡単な視覚干渉用のアイテムだ。

 

 店主は、カウンターの上に、ごく普通の『赤い木の球』を一つ置いた。

 そして、直哉に《違和の銀牌》を渡した。

 

「首から下げてごらん」

 

 直哉は、言われた通りに銀の鎖を首にかけた。

 

 店主が、手元の呪物を作動させる。

 

 直哉の目に、異変が起きた。

 カウンターの上の『赤い木の球』が。

 完全に、『青い球』に見えるようになったのだ。

 

 しかも、実際の物理的な位置から、数センチほど横にずれて見えている。

 

 セナの口から、驚きの声が漏れる。

 

「……青?」

 

 しかし、同時に。

 セナの胸元に下げた《違和の銀牌》が。

 

『ヒヤッ』

 

 氷を押し当てられたように、急激に温度を下げたのだ。

 

 直哉は、思わず身震いした。

 

「っ!」

 

 幻覚自体は、消えていない。

 青い球は、青いままに見えている。

 

 だが、直哉には一つだけ、はっきりと分かる。

 

(……今、何かに認識を弄られてる)

 

 目の前の知覚を、そのまま信じてはいけない。

 それだけは、胸元の冷たさが確実に教えてくれていた。

 

 店主が効果を切ると。

 球は一瞬で元の『赤』に戻り。

 銀牌の冷たさも、スッと消えて元の温度に戻った。

 

 直哉は感嘆した。

 

「おお……! これは、かなり分かりやすいですね」

 

 ノアも、直哉から銀牌を受け取り、自分の首にかけて試してみた。

 

 同じ実演が行われる。

 

 ノアは、冷たさを感じた瞬間。

 

「あー、なるほどね」

 

 彼は、すぐさま球の色ではなく、周囲の環境情報へと意識を向けた。

 机の木目。光源の位置。影の落ち方。

 そして、手を伸ばし、視覚で捉えている位置とは『ずれた場所』にある、本物の木球の物理的な位置を正確に掴み取った。

 

「これなら、いけるな」

 

 ノアは、暗殺者としての自信を見せた。

 

「一回、『これは怪しい』って分かれば。後は、相手の呼吸とか、足音とか、影の不自然さとか、いくらでも確認する方法はある」

 

 直哉も同意した。

 

「前の偽物を追っかけた時も、途中で『逃走経路が完璧すぎる』って、そういう違和感に気づいてたもんね」

 

 ノアが悔しそうに言う。

 

「ああ。最初からこれが反応してりゃ、あんな見え透いた偽物、わざわざ追っかけてねえよ」

 

 直哉は、完全にこのアイテムが欲しくなっていた。

 

 セナの顔で、真剣に言う。

 

「……私も、これ買う」

 

 ノアは即答した。

 

「絶対買っとけ」

 

「あいつ、俺よりもお前の秘密の方に興味持ってるんだろ? 次あいつに狙われるなら、お前の方だぜ」

 

 直哉は黙り込んだ。

 

「…………」

 

 確かにそうだ。

 ノア以上に、次に怪盗ノクターンと接触する可能性があるのは、直哉の方だ。

 彼にとって、この対策装備は十分に買う価値があった。

 

 直哉は、覚悟を決めて尋ねた。

 

「店主さん。これ、おいくらですか?」

 

 店主の老婦人は、淡々とした声で金額を告げた。

 

「一つ、六十八万円だ」

 

 セナの動きが、ピタリと止まった。

 

「…………」

 

 一拍置いて。

 

「六十八万!?」

 

 ノアが、隣で不思議そうに言った。

 

「安いじゃん」

 

 セナが激しく突っ込む。

 

「どこが!? 大金だよ!」

 

 ノアは、極めて冷静な、暗殺者としての命の計算式を提示した。

 

「認識弄られて、そのまま敵に背中刺されて殺されるのと。六十八万払って生き残るの。どっちがいい?」

 

 セナは、何も言い返せなかった。

 

「…………」

 

 完全な、圧倒的な正論である。

 

 直哉の、三十四歳の庶民的な金銭感覚が、激しく葛藤していた。

 

 直哉は、この一週間で、護衛の報酬などによって、一千万円単位の大金を稼いだ。

 でも。

「六十八万円」という金額は、普通に考えてとんでもない大金だ。

 

(会社員時代なら、こんな金額の買い物、絶対に三分で即決なんてできない……)

 

 しかし。

 現在の自分の仕事は、能力者が関わる特異な案件だ。

 相手には、ノアのような化け物や、ノクターンのような神出鬼没の犯罪者もいる。

 

 ここで、直哉は前日の夜の出来事を思い出した。

 

(……因果晶は、いくら現実のお金があっても、課金して買うことはできない)

 

 でも。

 現実世界における『装備』は、こうして現金で買うことができるのだ。

 これは、ガチャとは全く別の、自分の生存率を上げるための『もう一つの強化ルート』だ。

 

(……俺の命を守るための『仕事道具の経費』だと思えば。六十八万、安いのか?)

 

 安くはない。

 でも、命よりは遥かに安い。

 

 直哉は、決断した。

 

 セナの顔で、力強く頷く。

 

「……買います」

 

 ノアも、隣でカードを出した。

 

「俺も」

 

 店主が、少しだけ口角を上げて笑った。

 

「二つだね。まいどあり」

 

 合計、百三十六万円。

 それぞれ一個ずつ、《違和の銀牌》を購入した。

 

 会計の時、ノアが少しだけ気を使ったのか。

 

「お前、金ねえなら、俺が二個買ってやろうか?」

 

 セナは、即座に首を横に振った。

 

「いいよ。自分の命を守る装備くらい、自分で買うから」

 

 ノアは肩をすくめた。

 

「真面目だなー、お前」

 

 直哉の内心は、(そもそも、中身三十四歳のおっさんが、十四歳の少年に六十八万円の装備を奢ってもらうとか、情けなくて嫌すぎるだろ)と苦笑していた。

 

 購入した直後、直哉はすぐに《違和の銀牌》を首から下げた。

 セナの戦闘服の内側に隠せば、小さくて全く邪魔にならない。

 

 ノアも、同じように自分の首へと銀の鎖をかけた。

 

 二人とも、全く同じ装備を身につけている。

 

 ノアが、ニヤニヤしながら言った。

 

「なんか、お揃いじゃん」

 

 セナが、露骨に嫌そうな顔をした。

 

「その言い方やめて」

 

「友達記念のペアアクセ?」

 

「幻術対策のガチ装備!」

 

 ノアが、楽しそうに大笑いした。

 

 本来の目的である『幻術対策装備の購入』は、無事に達成された。

 

 しかし、直哉の目は、まだ店内の他の棚へと向いていた。

 

(……他にも、面白そうな便利アイテムがいっぱいあるんだよな)

 

 ゲームの装備屋に入って、目玉商品を買った後も、隅から隅までラインナップを見たくなるのと同じ心理だ。

 見ているだけで、本当に楽しかった。

 

 ノアが呆れたように言った。

 

「お前、完全にただの『買い物モード』に入ってね?」

 

 セナは開き直った。

 

「だって、面白いんだもん」

 

 店主が、そんな直哉の様子を見て、少しだけ厳しいトーンで釘を刺した。

 

「呪物は便利だが、あくまで道具だ。能力そのものじゃない」

 

「道具の効果に頼りきって自分の感覚を疎かにすると、いざ道具が壊れた時に、お前自身が死ぬよ」

 

 ノアは、暗殺者としての真剣な顔で頷いた。

 

「分かってる」

 

 直哉も、深く頷いた。

 装備はあくまで補助だ。

 最後に頼りになるのは、自分自身の能力と、そして冷静な判断力だけだ。

 

 店を出て、再び地上の路地裏へ。

 

 そこには、また浅草の普通の、賑やかな観光地の景色が広がっていた。

 大勢の観光客。昼の明るい太陽の光。

 

 ノアが、服の上から、首元にある銀牌の位置を軽く叩いた。

 

「これで次、あいつに会っても」

 

 ノアは、自信に満ちた暗殺者の笑みを浮かべた。

 

「二度と、同じ手ではやられねえな」

 

 直哉は、セナの口調で少しだけ冷静に訂正した。

 

「いや、絶対に防げる万能装備ってわけじゃないんだから、絶対とは限らないでしょ」

 

 ノアが不満そうにする。

 

「細けえな、お前は」

 

「そういう慢心と油断があったから、前回二人とも綺麗に引っかかったんでしょ!」

 

 ノアは、痛いところを突かれて少し黙り込んだ。

 

「…………」

「……まあ、それはそう」

 

 珍しく、素直に非を認めた。

 

 直哉の内心も、引き締まっていた。

 

 怪盗ノクターンの能力の全貌は、まだ分からない。

 限界も、その仕組みも。

 この銀牌が本当にノクターンに対して有効に機能するかどうかも、実際に遭遇してみるまでは分からない。

 

 でも。

 一度負けた。だから、次へ向けて対策をした。

 今は、それでいい。

 

 ノアが、完全に『友達』との休日のテンションに戻って言った。

 

「じゃ、次どこ行く?」

 

 セナが呆れて聞き返す。

 

「まだ観光するの?」

 

「せっかく浅草来たんだからさ」

 

 一拍置いて。

 

「今度は、飯食おうぜ」

 

 セナが目を剥いた。

 

「さっきまで、ずっと甘いもの食べ歩きしてたじゃん!」

 

「だから、甘いものと飯は別腹だって言ってんだろ」

 

 セナのツッコミが響く。

 

「お前の胃袋、別腹いくつあるの!?」

 

 二人は、笑い合いながら再び浅草の人混みの中へ歩き出した。

 

 首元には、《違和の銀牌》が一つずつ。

 

 怪盗を捕まえたわけではない。

 正体を暴いたわけでもない。

 

 ただ。

 次に、同じような状況になった時。

 前回と全く同じように、手も足も出ずに騙されるつもりは、二人とも毛頭なかった。

 

 直哉はそう思いながら、隣で「次の食事処はどこにしようか」と楽しそうにキョロキョロしている十四歳の暗殺者の横顔を見た。

 

(……暗殺者の友達と買い物をして、怪盗対策の装備まで揃える休日って。一体何なんだろうな)

 

 そして、ノアが看板を見つけて叫んだ。

 

「お、ナオ! 天ぷら食おうぜ! エビデカいやつ!」

 

 セナが、疲れたようにため息をついた。

 

「まだ食べるの!?」

 

 直哉の、奇妙で、少しだけ平和な休日は、もう少しだけ続くようだった。




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