俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
火曜日、午前。
昨日、ノアと浅草で奇妙な観光デート(?)を楽しんだ直哉だったが、今日は一転して仕事の予定が入っていた。
八咫烏の施設。
先日結んだばかりの新しい契約、『広域観測支援業務・試験運用』の第一回目の出勤日だ。
四週間。週一回。一回約三時間。一回百万円。
直哉は受付で業務IDを提示し、指定された専用の区画へと案内された。
歩きながら、直哉は一人で内心のツッコミを入れていた。
(ついに来たか……)
(三時間座って、日本全国を眺めてるだけで百万円もらえるっていう、どう考えてもヤバい仕事の初日)
文字にして頭で復唱すると、改めてその業務の異常さが際立つ。
まずは、専用の安全な個室へと案内される。変身用の区画だ。
直哉は視界の《因果集結クロニクル》を展開し、今日の仕事用に組み替えておいた編成画面を開いた。
『★★★★ 御影千里 Lv.20』
直哉は深呼吸をした。
(仕事で千里の姿になるのは、今日が初めてだな)
『【CHARACTER CHANGE】』
青白い光が弾ける。
三十四歳の男の身体は、160センチの小柄な女性へと瞬時に切り替わった。
特殊な観測官の制服。腰には護身用の短銃。少し眠そうな、感情の起伏の薄い顔。
千里の口から、静かで落ち着いた声が漏れる。
「……準備、完了しました」
直哉の内心は、いつものままだ。
(……なんか、この服着ると急に『めちゃくちゃ仕事できる優秀なオペレーター』になった気がしてくるな)
もちろん、中身は昨日まで普通にPCゲームをして爆死していた三十四歳の男である。
個室の扉が開き、待機していた職員に案内されて、本日の業務を行う部屋へと向かった。
『広域観測支援室』
そうプレートが掲げられた重厚な扉が開く。
中に入った直哉は、少しだけ驚いて目を丸くした。
正面には、壁一面を占める巨大なメインモニター。
そこには、現在の日本列島の詳細な地図が映し出されている。
その巨大モニターを囲むように、複数の小型のサブ画面が並び、リアルタイムで様々なデータが流れていた。
『本日観測予定リスト』
『定期巡回地点一覧』
『因果律改変反応・未確認ログ』
『観測許可済・アクセス承認』
『各担当支部・優先度状況』
部屋の中央には、直哉が座るための専用のコンソールデスク。
そして、その周囲には、八咫烏の観測担当、記録担当、現場連絡担当といった数名の専門職員が待機し、責任者がモニターの前に立っていた。
直哉の内心が、少しだけ圧倒されていた。
(うわ……)
(めちゃくちゃ本格的な『オペレーター司令室』じゃん、ここ)
責任者が、千里に向かって一礼し、本日の業務内容を簡潔に説明した。
「御影さん。本日の業務は、大きく分けて二つです」
「一つ目は、八咫烏が事前に指定した全国の重要地点を、順番に『定期巡回観測』して異常がないか確認すること」
「二つ目は、全国に設置された因果律改変反応センサーが拾った『未確認反応』の、一次確認の支援です」
つまり、千里が暇つぶしで勝手に日本中を見て回るわけではない。
見る場所は、全て八咫烏側が指定し、許可を出したポイントのみ。プライバシーの侵害にはならないよう、システムとして厳重に管理されている。
千里は、静かに頷いた。
「分かりました」
「それでは、まず初めに。御影さんの観測映像の『外部出力共有』の接続からお願いします」
担当職員からの指示が飛ぶ。
これこそが、この業務において最も重要なプロセスだ。
千里が、「はい」とだけ答えた。
直哉は、《天眼》の能力の意識を、目の前のシステムの出力ポートへと向けて接続した。
当然、《因クロ》のゲームUIそのものが外部へ共有されるわけではない。
モニターへ出力されるのは、あくまで千里が《天眼》で現在観測している遠隔映像だけだ。
最初のテスト地点。
八咫烏の施設内の、事前に許可された別区画の無人の部屋。
千里が、そこに意識を向けて観測する。
その瞬間。
壁一面の巨大モニターに。
千里と全く同じ、その部屋のクリアな遠隔観測映像が、大写しに表示された。
直哉の口から、思わず素の声が漏れそうになった。
(おお……!)
職員たちが、一斉に手元のコンソールを操作する。
「映像の共有、正常に確認しました」
「ノイズなし。遅延も許容範囲内です」
直哉の内心は、かなりテンションが上がっていた。
(すげえ……俺の頭の中の遠隔カメラの映像が、そのままリアルタイムで大画面に映し出されてる……!)
スパイ映画かSF映画のオペレーターになったような気分だ。
もちろん、千里が地球上の全てを同時に360度監視して、それを全部モニターに映しているわけではない。
千里が『見たい地点へ意識を切り替える』。そのピンポイントの映像だけが、モニターに共有される仕組みだ。
これなら、情報過多で能力が暴走することもない。
「共有テスト完了。それでは、第一業務の『定期巡回』から始めましょう」
責任者の合図で、仕事が開始された。
今日の予定巡回地点は、全国に数十箇所。
全て、八咫烏が事前に警戒度を設定して組んでいるポイントだ。
担当者がリストを読み上げる。
「第一地点。北海道支部管轄、観測地点A」
千里が、眠そうな目で前を向いたまま答えた。
「確認します」
《遠隔観測》。
一瞬。
本当に、瞬きをする間もなく。
巨大モニターの映像が、東京の地下室から、遥か彼方の北海道の山奥へと切り替わった。
直哉の肉体は、東京の椅子に座ったままだ。
北海道の、とある異界領域の入り口周辺の映像が映し出されている。
監視設備。外周を警戒する八咫烏の職員たち。
特に目立った異常や、空間の歪みは見られない。
千里が、淡々と報告する。
「異常、ありません」
記録担当の職員が、即座にキーボードを叩く。
『地点A:異常なし』
「次、お願いします」
数秒後。
「東北、観測地点C」
怪異の定期監視が行われている、古い神社の跡地。
周辺をぐるりと見る。
異常なし。
次。
「中部、観測地点F」
特異物品を保管している巨大な施設の外周。
異常なし。
次。
「関西、観測地点K」
能力者関連の研究所。予定された区画だけをピンポイントで確認。
異常なし。
次。
「九州、観測地点P」
異界の境界線周辺。現地支部の職員が活動している姿が見える。
問題なし。
次。
直哉の脳内の『距離感』という概念が、完全に崩壊し始めていた。
北海道。東北。東京。大阪。福岡。
普通なら、飛行機や新幹線を使って何時間、何日もかけて移動しなければならない距離。
それが全て、『視点を切り替えるだけ』で、たった数秒で片付いていく。
直哉の内心は、ただただ感心するしかなかった。
(やっぱこれ、能力として完全におかしいな)
(飛行機とか新幹線とか、そういう物理的な移動の概念が完全に消滅してる……)
そして、八咫烏の職員側も、この能力による圧倒的な『効率化』を肌で実感していた。
「次、鹿児島をお願いします」
「はい」
数秒後。
映像が、鹿児島の現地のリアルタイムの状況を映し出す。
(全国の支部の巡回と安全確認を、たった一人の人間が、東京の椅子に座ったまま数分で終わらせてる……)
直哉はここで、霧島が提示した『一回百万円』という破格の報酬の金額に、ようやく少しだけ納得し始めていた。
通常であれば。
現地の支部に連絡を入れ、監視設備を立ち上げさせ、職員にパトロールに行かせ、現地の報告を待ち、それを本部に集約する。場合によっては、東京から人員を派遣する必要がある。
それだけの人件費と時間、そして手間がかかるのだ。
それが、千里なら。
「ここを見てください」と言ってから、数秒で終わる。
これが、この能力の真の価値なのだ。
巡回を続けていく途中。
予定リストの一つを読み上げた時だった。
「次、観測地点Nをお願いします」
「確認します」
《遠隔観測》。
だが。
直哉は、首を傾げた。
(……あれ?)
メインモニターに映し出された映像が。
まるで古いアナログテレビの砂嵐のように、激しく霞み、ノイズが走っていたのだ。
場所そのものは分かる。建物の外観も、周囲の景色も見える。
だが、その建物のある『一定区域から先の内部』だけが、モザイクがかかったように明確に観測しづらくなっていた。大画面の映像も、グニャグニャと歪んでいる。
千里が、少しだけ意識を集中させる。
それでも、内部の正確な情報はノイズに邪魔されて読み取れない。
直哉は、千里の口から報告を上げた。
「……観測妨害があります」
監視室の職員たちの空気が、少しだけピリッと変わった。
ただし、慌てるようなことはしない。想定内の事態だからだ。
担当者が冷静に確認する。
「通常の観測出力では、内部の確認は不能ですか?」
千里が答える。
「はい」
少しの間。
直哉は、自分の中の《天眼》の能力の感覚を確かめた。
「……出力を限界まで上げれば、このノイズを無理やり押し込んで、内部を透視できる可能性はあります」
ただし。
「こちらから強力な干渉を行って無理やり覗き込んだ場合。妨害を行っている相手側に、『誰かに観測された』という事実を察知される可能性があります」
ここが重要だ。
観測妨害を強引に突破するということは、相手の家のドアを蹴破って覗き込むのに近い。
相手側にも、「今、外から覗かれた」という痕跡が残る危険性がある。
八咫烏の責任者は、即答で判断を下した。
「今回は、無理をしないでください。そこで観測を打ち切ってください」
千里が頷く。
「分かりました」
「今日はあくまで試験運用です。その場所に『何らかの観測妨害が存在する』という事実を確認できただけで、大きな収穫です。別途、専門の調査部署へ案件を回します」
千里は、即座に《天眼》の出力を戻し、映像を終了させた。
記録担当の職員が、淡々とキーボードを叩く。
『地点N:観測不能』
『強力な観測妨害あり』
『別途、実働調査班へ引き継ぎ』
それだけで、この地点の処理は終わった。
直哉の内心は、少し感心していた。
(へー……)
(見られる可能性があるからって、何でもかんでも無理やり強行突破して見るわけじゃないんだな)
当然といえば当然だ。過度な観測自体が、相手への敵対的な接触になり得る。
直哉自身も、「能力が強いからといって、使えるだけ全部力任せに使えばいいというわけではない」という、実務における能力の正しい運用方法を学んでいた。
そのまま、予定されていた数十箇所の地点を一通り処理し終えた。
異常なしが多数。軽微な異常が数件。観測妨害が一件。
担当者が、リストに完了のチェックを入れた。
「第一業務の定期巡回、全て完了です」
直哉は、拍子抜けしていた。
(えっ。もう終わったの?)
普通に考えれば、日本全国規模のパトロールである。
だが、仕事を開始してから、まだ一時間も経っていなかった。
「それでは、第二業務の『未確認反応の精査』に移ります」
壁面の巨大モニターの表示が、日本地図の全景へと切り替わった。
すると。
その地図のあちこちに、赤い点や黄色のマーカーが、いくつもいくつも点灯しているのが見えた。
直哉は、息を呑んだ。
「…………」
担当者が説明する。
「こちらが、本日の第二業務。全国のセンサーが拾った、確認していただきたい『未処理反応』のリストです」
直哉の口から、思わず素の声が漏れた。
「……多っ」
担当者が、少し苦笑して簡単な解説を加えた。
八咫烏が全国に設置している既存の因果律改変反応センサー。
それが分かるのは、「どの辺りの場所で」「いつ」「どの程度の規模の改変反応が発生したか」という、大雑把なデータだけだ。
それが誰なのか。何の能力なのか。以前と同じ人物なのか。最大Tierはいくつなのか。
そんな詳細な情報は、センサーのログだけでは絶対に分からない。
従来であれば。
反応を検知する。
↓
各地方の支部へ通知を送る。
↓
現地の職員がパトロールに向かい、確認する。
↓
周囲の聞き込み、防犯カメラの映像解析、既存の登録者データとの照合を行う。
↓
もし新規の能力者であれば、接触を試みる。
一件の反応を処理するだけでも、とてつもない時間と人員のリソースがかかっていたのだ。
担当者が、千里を見た。
「御影さんには、その膨大な未処理反応の『一次確認』を支援していただきます」
千里が静かに頷いた。
「分かりました」
直哉の内心は、深く納得していた。
(あー、なるほど)
(この業務、千里の能力と、めちゃくちゃ相性がいいな)
ただし、注意点もある。
千里の《天眼》は、現在存在している場所や対象を遠隔から観測する能力だ。
少なくとも、過去に起きた出来事を映像として巻き戻して見るような機能はない。
だから、「センサーが昨日拾った反応を、そのまま過去の映像として再生する」ことは不可能だ。
やることは、現在のその該当地点の周辺を観測すること。
現在も異常な現象が継続しているか。
既存の登録済み能力者がそこにいるか。
それとも、新規の覚醒者らしい人物がいるか。
それを調べる。
もし見ても分からなければ、未解決のまま現地支部の実働班へ回す。
千里の能力も、万能の解決策ではないのだ。
「では、一件目をお願いします」
担当者がリストの最初の地点を指定した。
「未確認反応一件目。東京都内の住宅街。昨日の夕方、低〜中規模の反応」
千里が答える。
「確認します」
大画面が、東京都内のごく普通の住宅街の映像へと切り替わる。
千里が観測範囲を絞り込み、不自然な現象を探す。
視点が、ある一軒家の二階の窓際へとズームされた。
そこには、高校生くらいの少年が、自分の学習机の前に座っていた。
そして。
少年が、机の上の消しゴムに向かって、おそるおそる手をかざしている。
『ふわっ』
消しゴムが、ほんの数センチだけ空中に浮いた。
そして、ポトッと机に落ちる。
少年が、もう一度手をかざす。
また浮く。
少年は、自分の手と消しゴムを交互に見つめ、明らかに戸惑い、怯えたような顔をしていた。
直哉が声を上げた。
「……あ」
担当者が尋ねる。
「何か、確認できましたか?」
千里が、淡々と報告する。
「新規覚醒者の可能性があります」
大画面に、その少年の映像が共有された。
高校生の少年。小規模な念動力らしき現象。現在も自室で再現しようと試みている。
八咫烏の登録者データと照合するが、一致しない。
担当者が素早くキーボードを叩く。
「記録します。管轄支部へ、接触と登録案内の依頼を送信」
すぐに、次の一件へと移る。
直哉は、画面の中の戸惑う少年の姿を見て、少しだけ昔の自分を思い出していた。
(なんか……能力に目覚めたばっかりの、最初の頃の俺みたいだな)
突然、自分だけに起きる超常の現象。
本人も何が起きているのか分からず、誰にも相談できない。
世界のどこかでは、今この瞬間も、こうして新しく覚醒している能力者がいるのだ。
「二件目。名古屋のオフィス街」
会社員の男性。
自分のデスクの上で、普通なら滑り落ちてしまうような斜めの位置にある書類の束が、なぜか落ちない。
本人も不思議そうに何度も指で突いている。
軽微な『固定系』能力の可能性。登録候補。
「三件目。大阪の住宅街」
小学生くらいの子供。身体能力系。
庭で転びそうになった瞬間、不自然なほど完璧な姿勢制御で着地した。
今は、それが面白くて庭で何度もジャンプして再現しようとしている。
登録候補。
「四件目。福岡のカフェ」
若いアルバイトの女性店員。休憩中。
机の上の百円玉に向かって指を動かすと、小銭が僅かに手元へと滑ってくる。
本人は「…………」と無言で見つめ、また試している。
登録候補。
こうして見ていると、直哉の感覚も少しずつ元に戻ってくる。
これまで、直哉の周囲にいた能力者は。
ノア。エレノア。レイジ。千里。
Tier2級の、規格外の化け物ばかりだった。
でも。
現実の、普通の新規能力者というのは。
消しゴムを少しだけ浮かせる。
転倒を少しだけ防ぐ。
物をほんの少しだけ引き寄せる。
こうした、小さくて、ささやかな現象から始まる者の方が遥かに多い。
(ああ……こういうのが、本来の能力者社会の圧倒的多数なんだな)
だが。
全てが、微笑ましく眺めていられる案件というわけではなかった。
「次。埼玉県内の住宅地。昨夜から断続的に小規模反応」
千里が観測を切り替える。
映ったのは、一軒家の二階。
中学生くらいの少女が、自室の床に座り込んでいた。
その指先で。
『パチッ』
小さな火花が弾けた。
少女がびくりと手を引っ込める。
机の上には、端が黒く焦げたティッシュ。
その横には、水を入れたコップが置かれている。
もう一度。
怖々と指を伸ばした瞬間。
『パチッ』
今度は、小さな橙色の火が一瞬だけ指先に灯った。
少女は顔を強張らせ、慌てて手を振った。
千里が、先ほどまでより少し早く報告する。
「……こちらは、優先度を上げた方がいいと思います」
担当者の手が止まる。
「理由をお願いします」
「火炎、あるいは熱に関係する新規発現の可能性があります。本人が制御できていません」
大画面を確認した責任者が即座に頷いた。
「了解。管轄支部へ優先接触を要請。本人と周囲の安全確認を最優先してください」
「送信します」
現場連絡担当がすぐに処理する。
それだけで、次の案件へ移った。
だが、直哉の中には少しだけ感触が残った。
(……ああいうのを、事故になる前に見つけるための仕事でもあるのか)
まだ誰も怪我をしていない。
家も燃えていない。
だからこそ、今見つける意味がある。
千里は、次々と未確認反応を処理していった。
反応地点を見る。
すでに登録済みの能力者が、自分の家で能力を使っていただけ。
「登録済みです」
除外。
次。
反応地点を見る。
人物の新規覚醒ではなく、空間の歪み。
怪異らしきものの初期発生。
「怪異案件の可能性があります」
担当部署へ即座に転送。
次。
もちろん、分からないケースもある。
センサーの反応地点を見るが、現在は何もない。
不審な人物も特定不能。
千里が首を振る。
「現在の観測では、特定できません」
担当者が記録する。
「了解。現地での聞き込み確認を継続」
それでも。
場所が絞られている反応。
現在も能力を試している人。
異常現象が今も継続している地点。
そういった『当たり』の案件は、次々と拾い上げられていった。
業務開始から、一時間が経過した。
モニターの端に表示された記録。
『新規登録候補:7名』
直哉の内心が驚く。
(一時間で七人……)
二時間が経過した。
『新規登録候補:18名』
直哉は無言になった。
大画面のリストが、どんどん増えていく。
担当者たちは淡々と処理を続けている。
ふと、職員の一人が気遣うように声をかけた。
「御影さん、少し休憩を挟みますか?」
千里の口から、少し眠そうな、気だるげな声が漏れる。
「……いえ。まだ大丈夫です」
直哉の内心は、(千里の声で言うと、常に『もう限界です』みたいに聞こえるんだよな)と軽く笑っていた。
とはいえ、実際に《天眼》の連続使用による集中疲労はある。
無限に使い続けられるわけではない。
そして、業務開始から三時間近くが経過した。
新規候補の数は。
『29』
直哉は、モニターの数字を見て思った。
(あと一人で、キリよく30人か……)
別にゲームの実績解除ではないのだが、ゲーマーとしては妙に気になってしまう数字だった。
「これが、本日最後の一件です」
地方都市の、スーパーの近くの路上。
センサーの反応はごく小規模。
千里が答える。
「確認します」
映像が映し出される。
買い物帰りの中年女性。
手に提げたビニール袋の底が破れ、買ったばかりのリンゴが数個、地面へと転がり落ちそうになる。
しかし。
地面へ落ちて激突する、ほんの数センチ手前の空中で。
リンゴが、一瞬だけピタリと停止した。
女性は目を丸くした。
「……え?」
女性は慌ててリンゴを拾い集め、周囲をキョロキョロと見回した。
そして、自分の手とリンゴを不思議そうに見つめる。
手を近づけると、ほんの一瞬だけ、リンゴが僅かに浮き上がるような挙動を見せた。
本人も、完全に困惑している。
千里が報告した。
「……新規覚醒の可能性があります」
職員が頷く。
「確認しました」
記録される。
これで、三十人目。
モニターの表示が更新された。
『新規登録候補:30』
担当者が、一区切りついたように息を吐いた。
「これで、本日の未処理リストは全て完了です。新規候補は三十名ですね」
千里が静かに頷いた。
「はい」
直哉は、深い沈黙の中にいた。
「…………」
業務が一段落し、センサーの未処理リストが空になったところで。
直哉は、どうしても気になっていたことを口にした。
「……あの」
責任者が振り返る。
「はい? 御影さん、何かございましたか?」
千里の口から、素朴な疑問が出力された。
「新規の能力者……いくらなんでも、少し多すぎませんか?」
直哉の内心が同意する。
(たった三時間くらいで、三十人だぞ?)
(こんなペースで、毎日毎日能力者って増え続けてるのか?)
担当の責任者は、少しだけ微笑んで説明した。
「ああ、そこは誤解しやすいところですね」
今日、この三時間で、三十人の人間が『突然一斉に覚醒した』わけではないのだという。
「今日、御影さんに確認していただいたのは、昨日以前から全国のセンサーが拾って溜め込んでいた『バックログ――未処理分』です」
現地の支部の人員が足りず、確認待ちになっていたもの。
反応が微弱すぎて、候補者が特定できていなかったもの。
危険度が低く、優先度が後回しにされていたもの。
そういった、全国に溜まっていた未処理リストを、今日、千里が『高速でまとめて精査した』。
だから、一気に三十人という数字になったのだ。
直哉は深く納得した。
「なるほど。溜まってた分を、まとめて一気に処理したんですね」
「そういうことです」
だが、担当者は真剣な顔つきに戻って付け加えた。
「とはいえ」
「未登録で、自分でも自覚していない能力者が、実際の世の中には『我々が把握している以上にもっと多数存在している』と考えられています」
直哉は驚いた。
「今よりもっと、ですか?」
担当者は頷いた。
反応が弱すぎて、センサーに引っかからない者。
生涯で一度しか能力を使わなかった者。
本人が、それを能力だと思わず「ただの偶然」で片付けてしまった者。
センサー網の薄い地域で覚醒した者。
怪異や他の強い反応に埋もれてしまった者。
そういった全ての新規覚醒者を、完全に漏らさず拾い上げることは不可能なのだ。
「潜在的な数で言えば、現在我々が把握できている以上に、まだまだ多く存在しているでしょうね」
直哉は、感心したように息を漏らした。
「へー……」
直哉の世界観が、また一つ大きく広がった瞬間だった。
自分が能力を得るまで、超能力者なんてほとんどフィクションの存在だと思っていた。
でも実際には、日本だけでもこれだけの数がいる。
そして今この瞬間も、自分でも能力者だと気づいていない人間が、普通に日常生活を送っているのだ。
(ほんと、表の社会からじゃ、全然見えない世界なんだな)
担当責任者が、モニターのリストを見ながら言った。
「今回の御影さんの試験運用で、我々が最も期待している用途の一つが、これなのです」
直哉は尋ねた。
「新規能力者の早期発見、ですか?」
「はい」
能力が発現したばかりの人間は、自分の能力の正しい使い方を知らない。
放置すれば、能力が暴発し、事故を起こし、周囲の一般人に被害をもたらす可能性がある。
先ほどの少女のように、本人が制御できないまま危険な性質の能力を発現する場合もある。
そうなる前に。
早く見つけて、八咫烏が接触し、正しい説明をする。
登録させ、能力の扱い方を教え、秘匿のルールを徹底させ、必要なら訓練と支援を行う。
それが、社会の安全を守るための第一歩なのだ。
従来であれば。
全国各地の支部で、現場の職員が足を使って一件ずつ確認して回っていた。
膨大な時間と労力がかかる。
それが、千里なら。
東京にいながらにして、全国の一次確認を、わずか数分で処理してしまう。
「御影さんの支援のおかげで、我々は現地の職員たちを、『本当に現地へ行く必要のある案件』へとリソースを集中させることができるのです」
これで、霧島が提示した『一回百万円』という報酬の価値が、直哉の中にも明確に落ちてきた。
(……そりゃ、一回百万円払ってでも絶対使うわ、この能力)
戦闘はしていない。
だが、行政という巨大な組織の運用効率を、一人の能力で劇的に短縮し、最適化しているのだ。
その価値は、百万円でも安いくらいだろう。
時間が終了する直前。
最後に、本日の定期巡回のリストをもう一度確認する。
未処理はなし。
先ほどの観測妨害があった地点は、『観測不能/別途調査』のステータスで保留されたままだ。
再度、無理に覗き込もうとするような無茶な指示は出なかった。
責任者が、一区切りの合図を出した。
「御影さん。お疲れ様でした。本日の観測支援業務は、ここまでといたします」
千里が、静かに一礼した。
「お疲れ様でございました」
《天眼》の能力が解除され、巨大モニターからリアルタイムの遠隔映像が消え、無機質な日本地図へと戻った。
本日の処理実績。
定期巡回、異常なし確認多数。観測妨害地点一件。
未確認反応精査、新規能力者候補30名。既登録者・怪異案件等の振り分け完了。
直哉は、自分の身体を振り返って思った。
(……俺)
(今日、仕事が始まってから一回も椅子から立ち上がってないぞ)
ほぼ三時間。
椅子に座り、モニターを見つめ、能力で観測した。
本当に、ただそれだけだ。
だが、その成果は異常だった。
北海道から九州まで。
移動時間ゼロで全国を網羅し、三十人もの新規能力者候補を発見したのだ。
直哉は、自分にツッコミを入れた。
(いや……これ、ただ座ってただけ、って言っちゃ絶対ダメなやつだな)
(情報処理のカロリーがおかしい)
担当者が、書類を整理しながら事務的に告げた。
「なお、本日分の業務報酬は、契約通り百万円となります。後日、指定の口座へ振り込まれます」
直哉は、無言になった。
「…………」
一回、100万円。
分かっていた。
契約書にもはっきり書いてあった。
でも、実際に仕事が終わった直後に面と向かって言われると、その金額の重みがズシリと響いてくる。
以前のブラック企業時代なら、絶対に信じられない仕事だ。
三時間。誰とも戦わない。怪我もしない。ただ全国を眺めるだけ。それで百万円。
直哉の内心は、(俺の人生、マジでどうなってんだろ)と呆然としていた。
でも。
今日のモニターに並んだ成果のリストを見れば。
(……まあ、それだけの価値はちゃんと提供したよな)
と、プロとして納得できる自分がいた。
◆
夕方。
実家に帰り着いた直哉は、自室で千里の変身を解除し、元の三十四歳の男の姿へと戻った。
ベッドに倒れ込み、今日一日のことを思い返す。
「よし」
今日の仕事も無事に終わった。
報酬、100万円。しっかりと稼いだ。
だが。
直哉の視界の右上に、どうしても目に入る数字がある。
《因果集結クロニクル》のリソース残高。
『因果晶:0』
直哉は、深い溜息をついた。
「…………」
そして、新限定バナーのイラストが目に入る。
『★★★★★ 九条紫苑《宵刃の巫女》』
黒髪。和装。太刀。
『★5キャラクター確定まで:30回以内』
今日、直哉は八咫烏のオペレーターとして、新規能力者候補を三十人も発見し、全国の巡回をこなし、百万円を稼ぎ出した。
めちゃくちゃ働いた。
なのに。
因果晶の数字は、ゼロのままだ。
直哉は、恨めしそうに虚空を睨んだ。
「……現実の金は増えたのに」
一拍置いて。
「ガチャ石が一個も増えてねえ……!」
分かってはいる。
今までの結果を見ても、仕事を終わらせれば必ず石がもらえるような、分かりやすい仕組みではない。
だが。
直哉は、今日モニターに映っていた人たちを思い出した。
消しゴムを浮かせていた高校生。
指先から火花を出して怯えていた少女。
リンゴを空中で止めた女性。
(……でも、三十人だぞ?)
少なくとも、その三十人は。
今日、自分が観測したことで、八咫烏から接触を受ける時期が早まった。
(俺がいなかったら、発見がもっと遅れてた人もいるよな)
それでも。
『因果晶:0』
直哉は、少し考え込んだ。
(単に見つけるのを早めただけじゃ、『結果を変えた』扱いにならないのか?)
(それとも……まだ、この後どうなるか決まってないから?)
分からない。
因果晶が、何を基準に、どの程度の結果の変化を評価しているのか。
相変わらず、ブラックボックスのままだ。
「……やっぱ分かんねえな、この石の判定」
直哉は、小さく呟いた。
だが。
分からなくても。
欲しいものは欲しい。
直哉の視線は、紫苑のバナーに釘付けになっていた。
(あと、4,800石……)
今日稼いだのは、100万円。
だが今欲しいのは、因果晶4,800個。
現金で石を買うことはできない。
全くの別枠だ。
直哉は、ベッドの上でゴロゴロと寝返りを打った。
銀行口座の残高は豊かになっていく。
現実の便利な装備品も買える。
安定した仕事も増えた。
無職時代と比べれば、生活は明らかに、劇的に良くなっている。
なのに。
この『ガチャ』の呪縛だけは、いつまで経っても別腹なのだ。
直哉は、ポツリと呟いた。
「……明日も、なんか石がもらえそうな仕事、ねえかな」
一瞬。
自分でその言葉を言ってから、ハッとした。
(いや、俺マジで『もっと働きたい』って労働意欲満々になってんな……)
ブラック企業を辞めた直後の自分が見たら、泣いて止めに来るだろう。
直哉は、少しだけ自嘲気味に笑った。
そして。
再び、九条紫苑のバナーをじっと見つめる。
(まあ、あと三十連だしな)
(仕事してれば、そのうち何とかなるだろ)
五十連爆死の記憶はどこへやら。
直哉の心の中には、相変わらず、ガチャゲーマー特有の『謎の自信』が満ち溢れていた。
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