俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
火曜日の朝。
昨日、八咫烏の施設で霧島と面談し、少なくとも白峰レイジや鳴海伊織は、裏社会では《ナオ》とは別の能力者として認識されているという事実を知ったばかりだ。
翌朝、実家の自室でPCを起動しながら、直哉は視界の右上に浮かぶ《因果集結クロニクル》のシステム画面をチラリと確認した。
現在のリソース。
『因果晶:0』
限定バナーの表示。
『★★★★★ 九条紫苑《宵刃の巫女》』
『★5キャラクター確定まで:20回以内』
紫苑の艶やかな黒髪と、静かな赤紫の瞳が、直哉をじっと見つめ返しているように見えた。
直哉は、深い溜息をついた。
「…………」
必要な石は、あと20連分。つまり3,200個。
決して、手の届かない途方もない数字ではない。だが、今の直哉にはそれを確実に稼ぎ出す算段が全くなかった。
(……まあ、普通に仕事してりゃ、そのうち何か出るだろ)
完全に諦めの境地だった。
システムが因果晶を排出する条件は、未だに完全なブラックボックスだ。
蛇神の降臨体を撃破した時は、1,600個が出た。
だが、伊織の姿で怪異を狙撃して討伐を支援した時は、0個だった。
現実の出来事へ直哉が介入し、何らかの形で成立する結果が変わった時に因果晶が出ることが多いような気はする。
ただし、それだけなら伊織の仕事で0個だった理由を説明できない。
結局。
「確実に石が出そうな仕事を選ぶ」なんて器用な真似自体が、そもそもできないのだ。
直哉が、そんな不毛な考察をしていた、その時。
机の上のスマートフォンが震え、軽快な着信音を鳴らした。
画面を見ると、『霧島』の名前が表示されている。
直哉は即座に通話ボタンを押した。
「おはようございます、森川です」
『森川さん、おはようございます』
霧島の声は、いつものように落ち着いた、業務的なトーンだった。
『本日ではないのですが。明日、森川さんにお願いできそうな案件が一件入りまして、ご連絡いたしました』
直哉は身を乗り出した。
「仕事ですか?」
最近、このやり取りにもすっかり慣れてきた。
能力が発現する前の自分が見たら、泣いて驚くだろう。
『はい。ただ……』
霧島は、少しだけ言葉を濁した。
『今回の案件は、少々珍しい形での依頼となりまして』
直哉は首を傾げた。
「珍しい?」
『はい。依頼主の方から、対応する能力者を直接「指名」されているのです』
直哉の内心が、少しだけピクッと動いた。
(指名?)
(……もしかして)
直哉の顔に、少しだけ嬉しそうな、得意げな笑みが浮かんだ。
「へえ。俺を、ですか?」
玲蘭の護衛で実績を出したからか。
それとも、これまでの仕事ぶりが評価されたのか。
自分自身の働きが能力者社会で認められたのだと思い、ちょっとだけ鼻が高くなった。
だが。
電話の向こうの霧島は、一拍置いて。
『……いえ』
と、極めて冷酷に否定した。
直哉の笑顔が、顔に貼り付いたまま硬直した。
「……え?」
霧島は、書類を確認するように淡々と言った。
『依頼主からは、「白峰レイジさんを派遣してほしい」と、名指しで指名が入っております』
深い、深い沈黙が流れた。
「…………」
さらに数秒が経過して。
直哉は、震える声で絞り出した。
「……あの、霧島さん」
『はい』
「白峰レイジって……中身、俺ですよね?」
霧島は、当然のように答えた。
『はい。森川さんです』
「ですよね!?」
直哉は叫んだ。
昨日、八咫烏の会議室で「俺は一人ですよね?」と確認したばかりだ。
中身は俺だ。
間違いなく俺なのだ。
霧島は、現在の状況を事務的に説明してくれた。
先日の、無断降臨した蛇神の討伐事件。
あの件は、八咫烏の内部や、関連する能力者社会のごく一部の層において、白峰レイジの評判を大きく押し上げる結果となったらしい。
特に評価されているのが、
Tier2という高い魂の定数。
極めて高い近接戦闘能力。
《既判適応》による、未知の攻撃への高い生存性と対応力。
そして、危険な事案でもほとんど態度を崩さない、沈着冷静な立ち振る舞い。
もちろん、彼が森川直哉の変身体であることや、《既判適応》の詳細な成立条件などは、外部には公開されていない。
それでも、結果として。
『現在、能力者社会の一部では……白峰さんは、未知の危険が予想される案件でも対応力の高い護衛能力者として、かなり高く評価され始めています』
直哉の内心は、完全に複雑骨折していた。
(……俺の知らないところで、レイジというキャラクターの『職歴と信頼』が勝手に育ってる……!)
中身は、少し前まで無職だった三十四歳のおっさんなのに。
外側のレイジだけが、一人歩きして能力者社会のエリート街道を爆走し始めているのだ。
直哉は、咳払いをして気を取り直し、仕事の内容を聞いた。
「……で、その指名依頼の内容は?」
『今回の案件は、八咫烏が正規に登録管理している「呪物」の輸送警護です』
「呪物?」
直哉は、浅草でノアと一緒に買った《違和の銀牌》を思い出した。
もうその単語自体には、それほど驚かなくなっている。
霧島が、資料を読み上げる。
『対象となる呪物は、《境留めの鉄楔(さかいどめのてつくさび)》。古い黒鉄製の楔が四本一組になったものです』
過去の、境界や封鎖系の能力者が長年使用していたため、その能力の痕跡が安定した形で定着したものらしい。
『効果は限定的です。四本を適切な位置へ配置すると、その内側では、小規模から中規模の空間的な歪みや、境界を跨ぐ異常な侵入現象が起こりにくくなるというものです』
万能ではない。
高Tierの能力を完全に遮断できるわけではなく、物理的な人間や車での侵入を止める防壁でもない。
だが、呪物庫や怪異の保管施設、異界関連の施設などにおいて、空間を安定させる用途では非常に実用価値が高く、重宝される品なのだという。
『この呪物は、これまで民間の旧家が長く個人保有していました。ですが、正式な登録手続きを経て、所有者の意向により、専門の保管施設へ長期寄託されることになったのです』
八咫烏は、その手続きと輸送の調整を担当している。
実際の呪物の運搬車両や、運転手などの手配は、専門の輸送業者が行う。
直哉の役割は。
その輸送車に同乗し、外部契約の『護衛能力者』として彼らを守ることだ。
霧島は、声のトーンを一段階下げた。
『問題は、この呪物を狙っている可能性が極めて高い、専門の犯罪集団が存在することです』
直哉は突っ込んだ。
「……霧島さん。そこ、一番最初に言うところじゃないですか?」
『今、申し上げました』
霧島は、電話越しでも絶対に真顔だと分かる声でそう言い切った。
霧島の説明によれば。
相手は、実用価値の高い呪物ばかりを専門に狙う窃盗グループらしい。
現時点では、正式な組織名までは特定されておらず、警察の能力犯罪対策班が複数の窃盗事件を『同一グループによる連続窃盗』として関連付けて捜査中だという。
過去半年ほど、価値の高い実用呪物を狙った盗難、および盗難未遂が複数件発生している。
現金や一般的な美術品にはほとんど手を出さない。
実用性の高い能力者向けの呪物だけをピンポイントで狙う。
呪物の保管場所や輸送に関する情報を事前に得ている形跡がある。
能力者を含む複数人で行動している。
そして、奪われた呪物が表向きの流通へ出てきた形跡もない。
さらに、今回の《境留めの鉄楔》の輸送に関しても。
所有者への不自然な購入問い合わせ。
現在の保管場所周辺で確認された、下見と思われる不審人物。
輸送を担う会社への不正アクセスの痕跡。
すでに、いくつか気になる動きが確認されているという。
『警察側とも情報は共有済みです。ですが、「明日の輸送を必ず襲撃する」という確たる証拠まではありません』
警察の対応は、輸送経路周辺の警戒と、緊急時の即応体制の維持。
実際に輸送車へ同乗し、もし第一波の襲撃が起きた場合に呪物と関係者を守るのは、依頼契約で雇われた直哉――白峰レイジの仕事になる。
直哉は、一つの疑問を口にした。
「それで、なんで相手はレイジを名指しで指名してきたんですか?」
霧島は、明確に答えた。
『窃盗グループ側に、どのような能力者がいるか現時点では分かっていないためです』
未知の能力。
未知の攻撃手段。
その場合、一度成立した有害事象へ適応していく《既判適応》を持つレイジは、初見の攻撃を受けた後も継戦できる可能性が比較的高い。
『もちろん、我々としても「初見の攻撃なら何でも耐えられる」という意味ではないことは重々承知しています。その点は、初撃のリスクも含めて依頼主側に説明済みです』
過剰な期待を抱かせて、現場で事故が起きては困るからだ。
直哉は、最後の確認をした。
「報酬は?」
予定では、半日程度の業務だ。
霧島は、資料を読み上げた。
『基本報酬が、八十万円』
『実際に襲撃等の危険事案が発生し、戦闘による防衛を行った場合は、危険手当として四十万円を加算。最大で、百二十万円となります』
直哉の内心が、(高っ)と反応した。
だが、Tier2の能力者への名指しの指名。
価値の高い呪物。
そして、明確に予想される犯罪組織からの盗難リスク。
そう考えると、これくらい出なければ割に合わないのだろう。
直哉は、少しだけ考えた。
(……これで、ガチャの石が出るかは分かんないけど)
(でも、最低でも八十万円。危険手当がつけば百二十万。それに、仕事の実績にもなる)
「受けます」
霧島は、少しだけ柔らかい声を出した。
『承知しました。ありがとうございます。詳細は、追って資料をお送りします』
◆
翌日、水曜日。
午前八時。
直哉は、指定された都内の八咫烏の関連施設へとやって来た。
ここから呪物の所有者や輸送業者と合流し、郊外の専門保管施設へと向かう予定だ。
直哉は、関係者と顔を合わせる前に、施設内の八咫烏側の更衣・待機スペースへと入り、準備を整えた。
首には、浅草で買った《違和の銀牌》を装着している。
直哉は、鏡を見ながら意識した。
(これは、俺の服じゃない。外から後付けで装備している、外部のアイテムだ)
そして、システムを起動する。
『★★★★★ 白峰レイジ Lv.20』
『【CHARACTER CHANGE】』
青白い光が弾ける。
光が収まると、そこには188センチの長身の執行官、白峰レイジが立っていた。
直哉は、自分の胸元を触って確認した。
(うん。銀牌はちゃんと残ってるな)
前日に確認した通り、物理的には変身後もそのまま持ち越せている。
もっとも、レイジの姿でも《違和の銀牌》の警告機能そのものが正常に働くかどうかは、まだ確認できていない。
今日のところは、あくまで保険の一つだ。
レイジの姿で待機室を出ると、廊下にはすでに本日の関係者たちが集まっていた。
輸送会社の制服を着た警備員が数名。
そして、呪物の現在所有者側から派遣されてきた、輸送手続きの担当者。
三十歳前後くらいの、スーツを着た知的な雰囲気の女性だった。
「三枝と申します。本日はよろしくお願いいたします」
彼女自身に戦闘能力はなく、あくまで事務手続きと呪物の引き渡しのための立会人だ。
レイジが、静かな足音を立てて彼らの前へと姿を現した。
三枝が、振り向いた。
「…………」
彼女の視線が、自然と上へ上がっていく。
188センチの長身。
端正で、厳格な顔立ち。
黒と紺の重厚な法服。
そして、腰に差した青白い法剣。
三枝は、息を呑んで尋ねた。
「あなたが……白峰レイジさん……ですよね?」
直哉は、内心で(はい、俺です。三十四歳の森川です)と答えながら口を開いた。
「はい。白峰レイジです。本日の輸送警護を、私が担当いたします」
三枝の表情が、少しだけ緊張したものになった。
「あの……先日の、蛇神の件。お話だけは、界隈の噂で伺っております」
直哉の内心が、
(やっぱり、そんなに広まってんの!?)
と驚愕した。
三枝は、ホッと胸をなでおろすように、少しだけ肩の力を抜いた。
「本当に、今日はお引き受けいただけて……心から安堵しております」
直哉としては、
(いやまあ、仕事ですから。大丈夫ですよ。ちゃんと守りますんで、安心してください)
くらいの軽い感じで返すつもりだった。
別に、そこまで大袈裟に感謝されるようなことでもない。
だから、そのつもりで口を開いた。
「ご安心ください」
低く、落ち着いた声が響く。
「この輸送が完遂されるまで。あなた方と守護対象は、この白峰レイジが、責任をもって守護いたします」
直哉の内心は。
(!?)
(俺、そんな大仰なこと一言も言ってない!!!)
いや。
言おうとした内容自体は、だいたい同じである。
だが、出力された文章の格式と覚悟が違いすぎた。
(俺はただ「ええ、まあ大丈夫ですよ」くらいの軽いノリだったんだけど!?)
その言葉の効果は絶大だった。
三枝の表情が、パッと明るくなった。
「おお……!」
彼女は、少し前のめりになって言った。
「ありがとうございます! 本当に、心強いです!」
後ろに控えていた輸送会社のベテラン警備員たちまで、
「よろしくお願いします!」
と、妙に背筋を伸ばして一礼してきた。
直哉は、心の中で困惑しきっていた。
(えっ)
(何この、圧倒的な信頼度)
(レイジ……こいつ、もしかして俺の知らないところで、人気過ぎじゃないか?)
直哉は、一拍置いて。
鏡に映っていた、レイジの顔を思い出した。
(……イケメンだからか?)
さらに一拍。
(イケメンだからなのか!? 顔か!? 結局顔なのか!?)
直哉は、一人で謎の嫉妬の炎を燃やし始めていた。
(いや、レイジの中身も俺なんだけど)
(でも、この顔は俺の本来の顔じゃないし!)
自分が動かしているキャラクターなのに、その外見と立ち振る舞いのせいで、自分本人よりも遥かに社会的な評価と信頼を集めている。
直哉は、なんだか無性に悔しくなっていた。
出発前、呪物の確認が行われた。
大型のアタッシェケースに似た、呪物輸送用の専用ケース。
開封防止措置が施されたその内部には、黒鉄でできた古い楔が四本、一本ずつ厳重に固定されている。
それぞれに、呪物管理用の封印と、八咫烏の記録タグが付けられていた。
直哉は、それを見るだけだ。
勝手に触ったりはしない。
輸送の体制は、車両二台。
先行するのは、輸送会社の民間警備員が乗る警備車。
後方を走るのが、呪物を積んだ本命の輸送車だ。
レイジは、当然ながらその呪物が積まれた輸送車の方へと同乗することになった。
守るべき対象の、一番近くにいる必要があるからだ。
輸送車の同乗者は、運転手、輸送責任者の男性、依頼主側の三枝、そしてレイジの四人。
前を走る警備車に乗っている民間警備要員たちを含め、彼らは全員、もし襲撃された際には無理に戦闘へ参加せず、呪物の退避と警察への通報を最優先とするように指示されている。
直接の戦闘を担当するのは、レイジだ。
午前九時。
車両は、都内を出発し、郊外の専門保管施設へと向けて走り出した。
輸送ルートは、情報漏洩を防ぐため、出発の直前まで関係者にも限定的にしか共有されていなかった。
車内には、静かな緊張感が漂っている……はずだったのだが。
直哉は、非常に居心地の悪さを感じていた。
(なんだよ……)
斜め向かいに座っている三枝が、先ほどから何度かレイジへ視線を送ってくる。
直哉には、他人の考えていることなど分からない。
ただ、こちらに興味を持っているようには見えた。
やがて、三枝が小さく手を挙げて尋ねてきた。
「あの……一つだけ、聞いてもいいですか?」
レイジは、静かに頷いた。
「どうぞ」
「蛇神を相手にされた時……怖くは、なかったんですか?」
直哉は、内心で激しく頷いた。
(めちゃくちゃ怖かったよ! 毒食らうし、雷落ちてくるし、炎まで吐くし、最後は尻尾で潰されそうになるし! 生きた心地しなかったわ!)
直哉は、その素直な感想を普通に答えようとした。
「恐怖を感じないわけではありません」
おお、珍しく普通のことを言ったぞ、と直哉は一瞬思った。
だが、続く言葉が違った。
「しかし。私にとって、恐怖という感情と、果たすべき職責は、全くの別問題です」
レイジは、真っ直ぐに三枝を見る。
「私が守るべき者が、私の背後にいる以上。私が歩みを退く理由には、決してなりません」
直哉の内心が、絶叫した。
(だから!!! 俺、そんな一ミリも格好いいこと考えてないってば!!!)
(ただ、「ここで俺が逃げたら後ろの人が巻き込まれるから、やるしかねえな」って思っただけだってば!)
だが、三枝は。
「…………」
目を丸くしてレイジを見つめている。
それどころか、隣に座っていた中年の輸送責任者の男性までが。
「……さすがですね。我々も、安心して背中を任せられます」
と、深く頷いて感嘆の声を漏らしている始末だった。
直哉は、車内の窓の外を見つめながら、心の中で泣いていた。
(やめろ)
(俺の全く与り知らないところで、レイジの好感度が勝手に爆上がりしていく……)
直哉の中で、『レイジ人気者すぎ疑惑』が、もはや確信へと変わりつつあった。
(これ、絶対顔だけじゃないな)
(188センチのイケメンで。低音ボイスで。こんな大仰で格好いい台詞を、息を吐くように言われたら。そりゃズルいわ!)
嫉妬の矛先が、完全に自分自身の変身体へと向かうという、地獄のような自己矛盾に直哉は苦しめられていた。
そんな直哉の内心の葛藤とは裏腹に。
輸送そのものは、拍子抜けするほど順調に進んでいた。
高速道路に乗り。
幹線道路を走り。
郊外の工業地帯へと入る。
怪しい車に尾行されることもなく、道路に罠が仕掛けられている様子もない。
前を走る警備車からも、定期的に「異常なし」の無線連絡が入り続けている。
直哉は、少しだけ肩透かしを食らった気分だった。
(これ、本当に何事もなく終わるのか?)
(百二十万円どころか、危険手当なしの八十万円で普通に終わりそうだな)
まあ、それはそれで、安全に金が稼げるのだから全く文句はない。
やがて、輸送車は目的の専門保管施設へと到着した。
高いコンクリートの塀に囲まれ、入退場のゲート管理も厳重に行われている施設だ。
地下には、呪物や危険物を保管するための専用区画が用意されている。
ゲートを通過し、警備された敷地内へ入ったことで、車内の空気も少し弛緩した。
直哉も、内心でホッと息を吐いた。
(ここまで来れば、もう終わりだな)
(相手の窃盗グループも、さすがにこんな施設の中までは襲ってこないだろ)
最後の搬入作業だ。
輸送車は、施設の地下にある搬入口へとバックでつけられた。
最終的に、車内に積まれたアタッシェケースを輸送車から降ろして専用の台車に乗せ、施設内部の保管庫へと移す。
距離にして、せいぜい数十メートルの移動だ。
だが、ここが唯一。
呪物のケースそのものが輸送車の外へ出る瞬間だった。
レイジは、ケースが乗せられた台車のすぐ横にピタリとついた。
周囲には、輸送会社の警備員が二名。
三枝。
そして、施設側の受領担当のスタッフが待機している。
直哉は、周囲を見回した。
地下搬入口。
整備員の服を着た男が二人、少し離れたところで作業をしている。
施設の作業員らしき男も一人、タブレットを持って立っている。
見た限りでは、特におかしいところはない。
直哉には、周囲に隠れた能力者を自動的に見つけるような索敵能力はない。
首元の《違和の銀牌》も冷たくなってはいない。
もっとも、レイジの姿でも警告機能が正常に働くかどうかは、まだ未検証だ。
(……こいつだけを当てにするわけにはいかないな)
直哉が周囲へ注意を向けていた、その時だった。
『ガンッ!!』
突然、搬入口の巨大なシャッターが、けたたましい金属音を立てて途中で停止した。
ほぼ同時に。
地下の照明の一部が、バツンと音を立てて落ちた。
警備員の一人が、声を上げた。
「何だ!?」
次の瞬間。
台車の上にしっかりと固定されていたはずの、あのアタッシェケースが。
まるで、見えない巨大な手で掴まれたように、横方向へと激しく引っ張られた。
『ギギギッ!』
ケースを固定していた太いベルトが、千切れんばかりに軋む音を立てる。
「うわっ!」
台車を押していた警備員が、その強烈な力に引っ張られてバランスを崩し、転倒した。
直哉の脳が、瞬時に警告を発した。
(何!?)
レイジの視線が、搬入口の端を捉えた。
そこにいた、作業着姿の男の一人。
彼が、片手をこちらのアタッシェケースに向けている。
(ケースを引っ張ってる……!)
非生物を、自分の方向へ強く引き寄せる能力らしい。
能力の正確な原理も、相手の名称もTierも、この時点では分からない。
だが、ここで直哉は重要なことに気がついた。
(……待て!)
(この状況だと、レイジの《既判適応》は何の役にも立たないぞ!!)
当然だ。
敵の能力は、レイジ自身に対して行われた『攻撃または有害な干渉』ではない。
ただ、ケースそのものを自分の手元へ引き寄せようとしているだけなのだ。
レイジ本人に有害な作用が成立していない以上、それを《判例》として記録して無効化することはできない。
直哉は、敵の戦術に舌を巻いた。
(なるほど……。《既判適応》の噂を知ってるなら、完全に正しい判断だ)
レイジを直接殴らない。
レイジへ有害な干渉もしない。
ただ、レイジの横にある『守るべき対象』だけを、直接奪う。
自分自身への攻撃なら適応できても、守護対象まで一緒に無敵になるわけではない。
ケースを固定していたベルトが、ついに『ブチッ』と音を立てて引き千切れそうになる。
レイジが動いた。
即座に台車を蹴って向きを変え、宙に浮き上がりかけたケースと、牽引能力者の間へと身体を割り込ませた。
同時に、青白い法剣を抜き放つ。
外面は、完全に冷静な執行官。
だが、中身の直哉は。
(待て待て待て!! これ、こういう仕事だったの!?)
(てっきり襲ってくる敵を斬り払えば終わると思ってたのに、泥棒対策って護衛対象そのものを見なきゃ駄目じゃん!!)
と、大混乱に陥っていた。
直哉は、後ろにいる警備員たちへ指示を出そうとした。
意識としては、
(早くケース下げて! 施設の中に入れて!)
という必死なものだった。
口から出た言葉は。
「守護対象を、施設内へ後退させなさい。ここは私が抑えます」
どこまでも静かで、威厳に満ちた声だった。
直哉は内心で突っ込んだ。
(勝手に格好よくするな!!)
だが、その声を聞いた警備員たちは。
「了解!」
誰一人として迷わず、即座にケースを後ろへと引き戻し始めた。
直哉は驚愕した。
(統率力まで高く見えるんだけど!? なんだこの身体!)
敵の作業員姿の男たちが、レイジの姿を見て顔を引きつらせた。
「白峰……!?」
もう一人の男が、舌打ちをした。
「よりによって、こいつが護衛についてやがるのかよ!」
直哉の内心は、
(俺、有名!!)
と、こんな状況なのに少しだけ嬉しかった。
敵の一人が叫ぶ。
「箱だけ取れ! 白峰には構うな! 攻撃すれば適応されるぞ!」
彼らの狙いは、完全に《境留めの鉄楔》の入ったケースだけだ。
レイジを倒すことが目的ではない。
最初から、この呪物だけをピンポイントで狙ってきた窃盗集団だ。
直哉は、
(やっぱ、荷物狙いか)
と状況を整理した。
相手の狙いが分かれば、守る場所も分かる。
直哉は、
(俺を避けるのは賢いけど、荷物は渡さないよ)
くらいの軽い気持ちで口を開いた。
「私を避けるという判断自体は、賢明です」
レイジが、一歩前へ踏み出す。
「ですが。私が、守護対象を奪うことを許すとは、一言も申し上げていません」
直哉の内心は。
(誰だよお前!! 中二病か!!)
いや、白峰レイジである。
ケースへ近づけないと判断した敵の一人が、ついにレイジの排除を決断した。
「チッ、どけ!」
男が、レイジへ向けて能力を放つ。
空気がブルッと震えた。
圧縮された振動の衝撃が、レイジの身体へと直撃する。
『ドンッ!』
レイジの大きな身体が、半歩だけ後ろへ下がった。
『HP:4,930 → 4,560』
直哉の内心が悲鳴を上げた。
(いってえ!!)
そして、システム通知が光る。
『《判例》登録:振動衝撃事象』
敵の男は、手応えを感じて笑った。
「効いたぞ! もう一発!」
男が、全く同じ振動衝撃を放つ。
レイジの身体に、再び直撃する。
だが。
『HP:4,560 / 4,930』
数値は、一ミリも変化しなかった。
敵の男の顔から、笑みが消えた。
「……は?」
レイジは、何事もなかったかのように男を見据えながら前進していく。
直哉の中身は、
(よし、二発目は完全にノーダメージだ!)
とガッツポーズをしていた。
戦闘は、非常に短かった。
一週間前の蛇神との戦闘に比べれば、少なくとも目の前の襲撃者たちを制圧すること自体は、レイジにとって難しい仕事ではない。
レイジが、法剣を振るう。
《蒼律剣式》。
最短距離の、無駄のない動き。
相手の腕。
武器を持つ手首。
足運び。
相手の姿勢を崩し、一瞬にして戦闘能力だけを奪っていく。
急所は狙わない。
殺害はしない。
あくまで制圧だ。
牽引能力者の男が、まだ諦めずにケースを狙おうとしていた。
しかし、すでに警備員たちがケースを施設の内部へと押し込んでいるところだった。
レイジが、そちらへ向かって急行する。
《瞬断》。
相手が能力を維持する余裕を失うほどの、速く鋭い一撃。
男の肩口を浅く斬り、その痛みと衝撃で能力の使用を止める。
「ぐあっ!」
男が倒れ込む。
その時。
搬入口の外で待機していた、見張り役らしき三人目の男が、仲間を見捨てて待機車両へ向かって逃走を始めた。
レイジなら、追える。
彼の脚力なら十分に追いつける距離だ。
しかし。
レイジは、振り返った。
背後。
アタッシェケース。
警備員。
依頼人の三枝。
彼らは、まだ完全に施設内部の安全区画へと入り切っていない。
直哉は、瞬時に判断した。
(追う必要はない)
自分の仕事は、警察のように犯人を逮捕することではない。
この呪物を、安全に目的地へと届けることだ。
ここで自分が深追いして、残った仲間にケースを奪われでもしたら、本末転倒だ。
レイジは、逃走する男の背中を見つめながら、静かに剣を鞘へと収めた。
「追跡は、警察へと任せます」
「我々の任務は、あくまで輸送対象の確保と防衛です」
直哉は、内心で深く頷いた。
(うん。それは俺も全く同じこと考えてたわ)
(珍しくレイジの口と俺の頭が完全一致したな)
施設側の警備から、すでに緊急の通報がいっていた。
周辺を警戒中だった警察の車両が、すぐにサイレンを鳴らして駆けつけてきた。
逃げた車両への追跡は、警察の管轄へと引き継がれる。
八咫烏の担当者も情報連携に動いた。
レイジが戦闘不能にした襲撃者の一人と、負傷して倒れていた牽引能力者の男。
二人は、到着した警察へと引き渡された。
逃走した一人は警察が追跡中。
背後の窃盗グループそのものを潰すには至らなかったが、今回の襲撃自体は防ぎ切った。
呪物は、無事だった。
《境留めの鉄楔》の四本に欠損はなく、ケースの外装に少し傷がついただけだ。
保管施設の責任者へ、正式な引き渡し手続きが完了した。
◆
全ての仕事が終了した後。
依頼主側の三枝が、少し青ざめた顔をしながらも、レイジの元へと小走りでやって来た。
そして、深々と頭を下げた。
「白峰さん。本当に、ありがとうございました」
「あなたがいらっしゃらなければ、間違いなくケースは奪われていました」
直哉は、
(いやいや、皆さんが無事でよかったです。俺の仕事なんで)
くらいのつもりで答えた。
「礼には及びません」
レイジは、静かに言った。
「あなた方と、守護対象が無事であった。私にとっては、それで十分です」
直哉の内心は。
(だから!!! 格好良すぎるんだよ言い回しが!!!)
と、大暴れしていた。
三枝は、一瞬言葉を失ってから。
「本当に……白峰さんにお願いしてよかったです!」
と、レイジの右手を両手で握りしめた。
直哉は、
(うわ、また好感度上がってる!!)
と焦っていた。
それだけではない。
周囲の人間たちも、妙にレイジへの評価が高い。
警備会社のベテラン男性が声をかけてくる。
「いやぁ、白峰さん。噂以上でしたよ。あの状況で守るべきものを見失わなかった判断、お見事でした」
施設の職員も、興奮気味に語る。
「あの衝撃を一回まともに受けた後、二発目をそのまま無視して歩いてくるの……味方でよかったですよ。敵だったら泣きますね」
別の若い警備員に至っては、目を輝かせて。
「もし機会があったら、今度剣術の訓練とかお願いできたりしませんか!?」
と迫ってくる始末だった。
直哉の内心は、完全に引いていた。
(何これ)
(人気者じゃん)
(レイジ、人気者すぎない!?)
直哉は、改めてレイジの顔を意識してみた。
(やっぱり、イケメンだからか!?)
もう一度、目の前の光景を見る。
(イケメンだからなのか!? 結局世の中顔なのか!?)
だが、目の前で目を輝かせているのは、屈強な若い男性警備員だ。
直哉は、少しだけ敗北感を味わった。
(……顔だけじゃないな)
(この実力と、安心感と、仕事中の態度まで込みで評価されてんだな)
直哉は、理不尽さに打ちのめされていた。
(こいつ、俺のガチャから出たキャラクターなのに)
(俺本人よりも仕事ができるように見えて)
(俺本人よりも能力者社会で有名で)
(俺本人よりも人望があって)
一拍置いて。
(俺本人よりも、圧倒的に社会性高くないか?)
中身は、少し前まで無職だった三十四歳の森川直哉なのに。
なぜ、外側が変わるだけでこうも評価が変わるのか。
世の中の理不尽さを、直哉は深く噛み締めていた。
◆
八咫烏の施設へ戻り、霧島への終了報告を行った。
霧島が、タブレットを確認して頷く。
「呪物の輸送完了、確認しました。お疲れ様でした」
本日の報酬。
基本報酬:800,000円。
危険手当(襲撃防衛):400,000円。
合計:1,200,000円。
直哉の内心は、
(うまい。めっちゃ美味しい仕事だわ)
と喜んでいた。
だが、霧島が続けた。
「なお」
直哉の背筋に、嫌な予感が走った。
「先方から、『今後、同様の重要呪物の輸送があれば、可能ならまた白峰さんへお願いしたい』とのご要望をいただいております」
直哉は、無言になった。
「…………」
「もう、指名のリピートが入ったんですか?」
霧島は、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「ええ。現場で、大変高くご評価いただけたようですね。素晴らしい働きでした」
直哉は、複雑な顔で沈黙した。
「…………」
(俺だって)
(その現場で戦ってたのは、俺だって白峰レイジなんだけどさ)
でも。
世間の評価は、
『森川直哉さんを指名します』
ではない。
あくまで、
『白峰レイジ指名』
なのだ。
直哉は、自分自身のキャラクターに対して、本気で嫉妬の炎を燃やしていた。
(なんか、めちゃくちゃ悔しい!!)
◆
夜。
実家へと帰宅し、直哉は変身を解除した。
洗面所の鏡の前に立つ。
そこに映っているのは、いつもの、少し疲れた顔をした三十四歳の森川直哉だ。
直哉は、鏡の中の自分をじっと見つめた。
「…………」
「俺だって別に、そんなに悪くないだろ」
自分で言って、とてつもなく虚しくなった。
188センチのイケメン執行官には、どう足掻いても勝てる気がしなかった。
その時だった。
直哉の視界の右上に、見覚えのある金色の通知が現れた。
『【因果変動記録】』
直哉の目が、パッと見開かれた。
「お?」
『外部因果への有意な干渉を確認しました』
『集結者の介入によって成立結果が変動しました』
『活動記録を更新します』
『評価処理完了』
『活動報酬を獲得しました』
続いて、報酬欄が開く。
『《育成記録・初級》×12』
『《クレジット》×15,000』
そして。
『《因果晶》×1,600』
直哉は、両手でガッツポーズを作った。
「来た!!!」
現在の手持ち。
『因果晶:1,600』
そして、限定バナー。
『★5キャラクター確定まで:20回以内』
十連分だ。
まだ★5確定までは20連残っている。
この十連で★5が出る保証はない。
そして、仮に★5が出ても、現在はピックアップ確定状態ではない。
それでも。
直哉の頭の中から、先ほどまでのレイジへの嫉妬など、一瞬にして完全に消滅していた。
「いや、レイジ最高だわ。マジで最高の仕事してくれたわ。愛してるぞレイジ」
さっきまで、
(イケメンだからか!?)
と一人で燃えていた男が、石をもらった瞬間に一秒で掌を返した。
現金なものである。
直哉は、ベッドに腰掛け、限定バナーを開いた。
九条紫苑の、静かな赤紫の瞳がこちらを見つめている。
手持ちの因果晶、1,600。
引けるのは、十連一回だけ。
直哉は、無言で画面を見つめた。
「…………」
そして。
直哉の指が、ゆっくりと『10回集結』のボタンへと近づいていく。
祈りを込めて。
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