俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
水曜日、夜。
呪物輸送の護衛という仕事を無事に終え、直哉は実家の自室へと帰り着いていた。
ベッドの上に腰を下ろし、すぐさま視界の《因果集結クロニクル》を展開する。
現在の所持リソース。
『因果晶:1,600』
そして、限定バナー。
『★★★★★ 九条紫苑《宵刃の巫女》』
『★5キャラクター確定まで:20回以内』
直哉の指は、すでに黄金色に光る『10回集結』のボタンの上に置かれていた。
現場での仕事を終えてから帰宅するまで、ずっとガチャを回したい衝動を我慢していたのだ。
「頼む……!」
直哉は、祈りを込めてボタンをタップした。
『因果晶を1,600消費して10回集結を実行しますか?』
『現在:1,600』
『実行後:0』
迷いはない。
『集結する』
十連ガチャの演出が開始された。
光の糸が画面の奥から飛んでくる。
一枚目。青。★3武装。
二枚目。青。★3武装。
三枚目。青。★3武装。
直哉は息を呑んだ。
(まあ、まだ三枚目だしな。ここからここから)
四枚目。青。
五枚目。青。
「…………」
六枚目。青。
七枚目。青。
直哉の顔から、ジワジワと笑みが消え失せていく。
(おいおい、嘘だろ……)
八枚目。青。
九枚目。青。
直哉は、完全に無表情になった。
「…………」
残り、あと一枚。
十連保証のシステムによって、最後の一枚は★4以上のキャラクターであることが確定している。
だが。
その最後の一枚の光は、目当ての★5を示す『黄金色』に変わることはなかった。
直哉の口から、深い溜息が漏れた。
「あー……」
十枚目。
弾けたのは、紫色の光だった。
画面に表示されたのは、見覚えのある制服姿の女性の立ち絵だ。
『★★★★』
『御影千里《万里の観測官》』
直哉は、少しだけ拍子抜けして呟いた。
「あ、千里」
そして、見慣れたシステムテキストが続く。
『重複キャラクターを獲得しました』
『《因果共鳴》システムにより、キャラクターの限界突破素材へ変換されます』
現在。
『御影千里:《因果共鳴》専用素材 × 2』
直哉は、今回は共鳴の画面を開いて効果を確認することはしなかった。
(元々一個持ってたから、これで二つか)
(まあ、何が伸びるのかは、また今度ゆっくり確認しよう)
ガチャが終了し、結果一覧の画面が閉じられる。
ステータス画面。
『因果晶:0』
そして、更新された天井カウント。
『★5キャラクター確定まで:10回以内』
直哉は、スマホの画面を見つめたまま、完全に沈黙した。
「…………」
目当ての★5が出ず、石が完全にスッカラカンになった。
以前の五十連爆死なら、ここで絶望の底に沈んでいたところだ。
だが。
数秒後。
直哉の口元が、ニヤリと吊り上がった。
「あと、十連」
直哉は、もう一度その文字を確認した。
『★5キャラクター確定まで:10回以内』
(次は……たった十連分だけ石を集めれば)
(途中で出ようが、出なくても最後まで行けば、絶対に★5キャラが出る)
直哉の口から、怪しげな笑い声が漏れた。
「……ふふ」
「ふふふふふ……」
完全に、ガチャの沼に頭まで浸かった三十四歳のヤバい男の顔だった。
だが、直哉はすぐに現実へと引き戻された。
★5が出た時。
そのキャラクターが、ピックアップされている『九条紫苑』である確率は50%だ。
現在、直哉には『次回ピックアップ確定』の保証はない。
(一番の問題は、その確定枠で出てくる★5が、紫苑かどうか……なんだけどな)
直哉は一瞬だけ真顔になった。
「…………五割、か」
完全な五分五分。
それでも。
次の十連で、★5キャラクターそのものが一人増えることだけは確定している。
それはゲーマーのモチベーションを維持するには十分すぎた。
直哉は、限定バナーの期限を確認した。
(まあ、まだ余裕はあるしな)
(別に、明日までに急いで1,600石を稼がなきゃ終わりってわけでもない)
焦って石欲しさに、命の危険が大きい案件へ無理に突っ込む必要はない。
とはいえ、因果晶の残高は0だ。
明日の予定も空いている。
今日の護衛の仕事では、現金で120万円の報酬を得た。
仕事をすれば、日本円の口座残高は確実に増える。
そして、その過程で因果晶まで出ればラッキーだ。
直哉は、ベッドの上で伸びをした。
「じゃあ、明日のために普通に仕事でも探してみるか」
直哉は、久しぶりにスマートフォンの『能力者向け仕事アプリ』を開いた。
アプリのアイコンをタップする。
最近は、八咫烏の施設で千里のオペレーター業務の試験運用を契約したり。
蛇神の降臨事件へ対応したり。
伊織の姿で怪異の狙撃を任されたり。
レイジ指名の呪物輸送の護衛をしたりと。
霧島から直接相談される特殊な仕事が続いていた。
だから、こうして一般の登録能力者向けの案件一覧を自分で眺めるのは、かなり久しぶりだった。
直哉は、リストをスクロールしながら少しだけ懐かしくなった。
(そういや、能力に目覚めた最初の頃は、こうやってスマホ睨みながら、自分ができそうな仕事探してたんだよな……)
案件一覧には、様々な仕事が並んでいる。
『異界周辺・資材搬出補助』
『夜間警備・能力者枠』
『怪異発生区域・遺失物回収』
『能力使用可能者・設備点検同行』
『私有地内・害獣型怪異の追い払い』
そして。
『企業物流倉庫・異常現象対応補助』
直哉の指が、その案件のタイトルでピタリと止まった。
「……異常現象対応、補助?」
直哉は、その案件の詳細を開いた。
『案件種別:民間企業における異常現象対応の補助』
『勤務地:首都圏郊外・大型物流センター』
『予定拘束時間:約3時間』
『現場対応能力者:1名募集』
『専門調査員:1名同行』
『推奨登録Tier:3以上』
『高機動・高回避能力を有する者を優先して採用』
『注意事項:現場の設備および保管商品への破壊行為は、可能な限り回避すること』
『報酬:300,000円』
直哉は、報酬の額を見て頷いた。
「三時間で三十万か」
十分に高い。
詳細のテキストを読み込む。
ただし、そこに『この現象の原因はこれです』とは書いていない。
まだ分かっていないからだ。
現在判明している現象は以下の通り。
・倉庫の内部で、無人状態のはずの荷物が『勝手に移動する』現象が複数回発生。
・監視カメラの映像でも、その一部が確認されている。
・従業員一名が、勝手に移動した荷物と接触して軽傷を負った。
・通常の設備故障や、倉庫管理システムのプログラム異常については、すでに会社側が一次確認済みだが、異常なし。
・超常現象の可能性が高いため、原因は未特定。
・現地で、専門の調査員が詳細な調査を実施予定。
・調査中に、予期せぬ危険が発生した場合に備え、現場対応の能力者を募集する。
直哉は理解した。
(原因未特定、か)
ポルターガイストのような怪異の仕業なのか。
誰かが残した呪物の影響なのか。
能力者の能力の痕跡なのか。
それとも、また別の異常現象なのか。
直哉には、その区別をつける専門知識はない。
だが。
『専門調査員同行』
(ならまあ、俺が原因の特定とか推理をできなくてもいいってことだな)
調査員が原因を探り、直哉は危険が出た時に対応する。
役割分担が明確でやりやすい。
直哉は、自分が変身できるキャラクターのラインナップを思い浮かべた。
(誰を使って、この仕事を受けるか……)
募集条件には、明確にこう書かれている。
『高機動・高回避能力を有する者を優先』
『設備および商品への破壊行為は回避すること』
直哉は即座に判断した。
(レイジの出番じゃないな)
白峰レイジは強い。
だが、自分が攻撃に耐えられることと、飛び交う商品を壊さず処理できることは全く別問題だ。
今回求められているのは、正面から耐える強さより、狭い倉庫内で危険を避けながら素早く動く能力だろう。
直哉は、キャラクター一覧の画面を開いた。
『★★★★ 東雲セナ《黎明の遊撃手》』
『Lv.20』
『現地登録Tier:3』
『《因果共鳴》第4段階』
《瞬雷》。
《流光歩》。
直哉は頷いた。
「これ、適任は完全にセナだな」
先週の月曜日、ノアと浅草へ出かけた時以来の出番だ。
直哉は、仕事アプリの『応募する』ボタンをタップした。
少し待つと、画面に通知が表示された。
『応募を受理しました』
『受注確定』
日程は、翌日の木曜日の午後。
直哉は満足してスマホを置いた。
「よし。今日はもう寝よう」
因果晶が欲しいからといって、夜中まで別の案件を探し続けるつもりはない。
明日の仕事が決まったのだから、今日は寝る。
◆
翌日、木曜日。午後。
直哉は、指定された首都圏郊外の大型物流センターへと到着した。
そこは、想像以上に巨大な建物だった。
頻繁に出入りする十トントラックの列。
せわしなく動き回るフォークリフト。
山積みにされた配送用コンテナ。
そして、内部で稼働している自動搬送設備の重低音。
直哉は、敷地の外からその光景を見て、少しだけ新鮮な気分になっていた。
(おお……普通の、大きな会社だ)
最近の直哉の仕事現場といえば。
神格が降臨して崩壊したアジト。
呪物を運ぶ特殊輸送。
八咫烏の地下施設。
そんな秘密側の現場ばかりが続いていたので、こういった純粋な民間企業の物流現場という日常の風景が、逆に新鮮だった。
直哉は、事前に人目のない場所を見つけてキャラクターチェンジを行った。
『【CHARACTER CHANGE】』
青白い光。
164センチの少女、東雲セナの姿へと変わる。
首元には、浅草で買った《違和の銀牌》を外部装備として残してある。
ただし、各キャラクター形態でも警告機能が正常に働くかどうかは、まだ確認していない。
頼り切るつもりはない。
業務表示名は、いつもの《ナオ》。
セナの姿で、直哉は物流センターの受付へと向かった。
一般の従業員たちが大勢働いている区域からは分けられた、静かな応接スペース。
そこで、今回の事情を共有している現場責任者が対応してくれた。
セナの姿で、明るく自然に挨拶をする。
「本日、現場対応の補助で参りました。《ナオ》と申します」
そこに、今回同行する『専門調査員』の男性が同席していた。
水野修司と名乗ったその男性は、四十代前半の、少し草臥れたスーツを着た男だった。
彼は八咫烏の職員ではない。
秘密側で営業している、民間の異常現象専門調査会社から派遣されてきた調査員だという。
水野が、少しだけ疲れたような声で挨拶をした。
「本日の現場対応を担当される《ナオ》さんですね」
「はい。よろしくお願いします」
直哉は、仕事が始まる前に、これだけは先にハッキリと言っておくことにした。
「あの、すみません。私、こういう異常現象の原因究明とか、呪物や怪異についての専門知識は、ほとんど素人でして」
水野は、あっさりと答えた。
「問題ありません」
「原因を調べて、この現象を分類するのは私の仕事ですから」
そして、直哉の役割を明確にした。
「もし調査中に予期せぬ危険が起きた場合に、私や現場の従業員の方を守っていただく。それと、必要になった封じ込めの処置などを物理的に手伝っていただく。それが、《ナオ》さんのお仕事です」
直哉の内心は、
(よかった。めちゃくちゃ役割分担がハッキリしてて助かる)
と安堵していた。
調査は、いきなり倉庫の中へ突入してウロウロするような、行き当たりばったりのものではなかった。
まずは会議室で、会社側の現場責任者、倉庫管理の主任、そして異常を最初に確認したという従業員を集め、水野による聞き取りが行われた。
直哉は、セナの姿で水野の横に座り、静かに話を聞いているだけだ。
最初の異常が起きたのは、約一週間前。
この物流センターで、大規模な棚の配置変更が行われた数日後のことだった。
朝、出勤してきた従業員が。
「前日の夜に、新しい棚の場所へ移動させておいたはずの荷物が、なぜか以前置いていた旧配置の場所へ戻っている」
ということに気がついた。
最初は、単純な作業ミスや、誰かの勘違いだと思っていた。
だが、翌日。
全く別の商品が、またしても旧配置の場所へ移動していた。
三日目。
今度は複数の荷物が、同時に移動していた。
従業員の一人が青ざめた顔で語る。
「最初は、誰か夜勤の人間が、配置変更を知らなくて勝手に元の場所に戻してるんじゃないかって話になりまして」
だが、夜勤の責任者はそれを否定した。
そして、監視カメラの映像を確認した結果。
誰もいない、深夜の倉庫の中で。
段ボール箱が、まるで意志を持っているかのように。
『ズズズ……』
床をゆっくりと滑り、以前置かれていた方向へと動いていたのだ。
直哉は、タブレットでその映像を見せてもらい、内心でドン引きしていた。
(うわ……これ、夜勤中に一人で見たら普通にトラウマになるホラー映像じゃん……)
さらに、事態は悪化していた。
昨日。
昼間の稼働時間中にも現象が発生した。
小型のコンテナが突然スライドするように動き、近くを歩いていた従業員の脚に接触して、軽い打撲を負わせたのだ。
そこで会社側も、「これは通常のトラブルや悪戯ではない」と判断し、秘密側の相談窓口へ連絡を入れたという。
会社側でも、物理的な原因についてはすでに調べてある。
倉庫管理システム。
自動搬送設備。
床の傾斜。
フォークリフトの運用記録。
従業員による移動。
一次調査では、明確な原因は見つからなかった。
だからこそ、水野のような専門調査員が呼ばれたのだ。
直哉は、隣の水野に小声で質問した。
「これって、怪異の仕業なんですか?」
水野は、即答した。
「分かりません」
「分からないんですか?」
「それを、これから現場で調べます」
極めて真っ当な回答だった。
直哉の内心も、
(ですよねー)
と納得した。
水野は、複数の監視カメラの映像を時系列で並べて比較し始めた。
直哉も横で画面を見ているが、正直、何が重要なポイントなのかサッパリ分からない。
(この人、何見てるんだろ)
水野は手帳にメモを取りながら。
荷物の出発地点。
停止した地点。
移動した方向。
現象が発生した時間。
それらを一つずつ確認していく。
水野が、倉庫主任に向かって尋ねた。
「この映像に映っている三つの荷物ですが……これらは、改装前は元々どこに置かれていましたか?」
倉庫主任が、旧配置図のデータをモニターに出す。
映像と照らし合わせる。
結果は。
全て、旧レイアウトで置かれていた場所の方向へ向かって移動していた。
直哉が、ハッとして言った。
「……荷物が、元の場所に戻ろうとしてる?」
水野が頷く。
「その可能性はありますね」
だが、まだ可能性の段階だ。
いよいよ、対象の倉庫区画へと足を踏み入れる。
一般の従業員は、安全のために別のフロアへ退避させられている。
調査区画には立入禁止の措置が取られていた。
中へ入るのは、水野、セナの姿の直哉、そして会社側の責任者一名の、最低人数だ。
巨大なスチールラックが天井近くまで並ぶ、広大な倉庫。
何百、何千という段ボール箱。
台車。
木製のパレット。
梱包済みの商品たち。
直哉の内心が、少しだけビビっていた。
(……ここで、いきなりあんなデカい荷物が勝手に動き出したら、マジで嫌だな……)
水野は、最初の実験を始めた。
軽い空箱を一つ用意し、旧配置の場所と現在の場所を確認する。
そして、わざと少しだけ場所をずらして置いてみた。
待つ。
一分。
二分。
五分。
何も起きない。
直哉が小声で言った。
「……動きませんね」
水野は、全く焦る様子もなくメモを取った。
「ええ。少なくとも、『物を移動させれば、いつでも必ず即座に元へ戻る』という単純な法則ではないようです」
「発動条件が一つ潰れただけです」
直哉は、少し感心した。
結果が出なかった。
それも、水野にとっては一つの結果なのだ。
水野が、会社責任者に追加の聞き取りを行う。
「この大規模な棚替えの際、商品以外に何を移動しましたか?」
責任者が記録を確認する。
古い作業台。
掲示板。
備品を入れる金属棚。
台車。
古い帳票箱。
その他もろもろ。
水野が言う。
「一つずつ、確認して回りましょう」
直哉は、水野の後ろを黙ってついていくだけだった。
古い作業台。
水野が確認する。
何もない。
掲示板。
何もない。
金属棚。
何もない。
直哉の内心は、
(マジで俺、ただ後ろ歩いて見てるだけだな)
と少し手持ち無沙汰だった。
でも、それでいい。
今の直哉は調査員ではない。
そして、倉庫の端のスペース。
そこに、一つだけ、現代のシステム化された物流センターには似つかわしくない、使い込まれた古い木製の箱が置かれていた。
かなり年季が入っている。
角の木材が擦れ、何度も修理された跡がある。
水野が、それに興味を示した。
「これは?」
倉庫主任が答える。
「ああ、それはかなり昔からある備品です。デジタル化される前は、棚割り表や手書きの入出庫札、配置変更の記録なんかを保管していた箱らしいです」
「今は、ただの細々とした備品入れになってますが」
「昔はずっと同じ場所にあったのですか?」
「はい。今回の大規模改装で、初めて別の区画へ移動させました」
水野は少し考え込んだ。
だが、そこでいきなり原因だとは決めつけない。
箱の状態。
周囲の環境。
設置の履歴。
使用年数。
一つずつ確認する。
水野は、小さな試験を行うことにした。
「少し、周囲を片付けてください」
木箱の周りから、重い荷物をどかし、軽いプラスチックケースなどだけを残す。
そして、水野がその古い木箱を数十センチだけ横へと移動させた。
直哉も、息を呑んで見守る。
最初の十秒。
二十秒。
何もない。
直哉は、
(ハズレか?)
と思った。
その時。
『カタッ』
木箱の近くに置いてあったプラスチックケースが、僅かに動いた。
水野が、もう一度、木箱をさらに移動させる。
今度は。
少し離れた場所にあった別の空箱が。
『ズッ……』
と、嫌な音を立てて、旧棚のあった方向へ向かって滑るように動いた。
セナが、声を上げた。
「動いた」
水野が、即座に試験を止める。
「ええ」
水野は手帳にペンを走らせながら、冷静に言った。
「この木箱、あるいは木箱に関連する何かが、一連の異常現象の起点である可能性がかなり高くなりました」
直哉が尋ねた。
「呪物、ですか?」
「まだ分かりません」
怪異が関与しているのか。
能力者が残した何らかの痕跡なのか。
木箱そのものが呪物化しているのか。
正確な分類は、専門施設へ持ち帰って調べる必要がある。
水野は、古い社員の記録について会社側に確認した。
「この箱を、長期間にわたって管理し、使っていた方は?」
会社側が古い記録を調べる。
数十年前に定年退職した、昔の倉庫管理主任だった。
彼は、非常に整理整頓に対して厳しい、職人気質の人物だったらしい。
「ずっと、『物には決められた正しい場所がある。勝手に動かすな』と口癖のように言っていたそうです」
水野が尋ねる。
「その方が能力者だったという記録はありますか?」
会社責任者は首を振った。
「いえ。少なくとも、こちらに残っている記録にはありません」
昔であれば、未登録の能力者だった可能性もある。
本人が自分の能力発現に気づいていなかった可能性もある。
あるいは、その人物とは別の能力者や怪異的な要因が、この木箱へ関わっていた可能性もある。
今の情報だけでは、答えは出ない。
水野も、そこを無理に決めつけなかった。
「少なくとも」
水野が、現時点での仮説を述べる。
「この木箱を起点として、『倉庫内の物品を、以前の配置へ戻そうとする』現象が発生している可能性があります」
旧配置。
現象にとっては、そちらが正しい。
新しいレイアウトへ移された商品が、何らかの理由で以前の位置へ引き戻されている。
直哉は、無言になった。
「…………」
一拍置いて。
「迷惑すぎません、それ?」
水野が、真顔で頷いた。
「ええ。物流の現場としては、非常に致命的で迷惑な現象ですね」
直哉も、それには納得した。
やっていること自体は、ただ荷物を以前の場所へ戻しているだけ。
戦闘力なんてない。
だが、これが巨大な物流センターで起きれば。
商品が勝手に旧棚へ戻る。
在庫管理のデータが崩れる。
移動した荷物で怪我人が出る。
原因不明のままなら業務そのものを止めざるを得ない。
(こういう地味な現象でも、会社からしたら洒落にならないのか)
原因の起点をかなり絞り込めたところで、水野は次の方針を決めた。
現場で完全な原因を解明する必要はない。
まずは、現象が発生しない状態まで抑え込み、この木箱を専門施設へ搬出する。
水野が、持参していたケースから封じ込み用の資材を取り出した。
布。
札。
そして、木箱を収めるための専用ケース。
セナが尋ねる。
「じゃあ、私は何をすれば?」
水野が答える。
「私が、あの木箱へ近づいて封じ込みの処置を行います」
「《ナオ》さんには、その間の安全確保をお願いします」
直哉の背筋に、嫌な予感が走った。
「……処置すると、また荷物が動く可能性が?」
「あります」
水野は、木箱を見た。
「先ほども、この箱そのものを動かした時に現象が発生しました」
「封じ込めのために箱を持ち上げたり、位置を変えたりすることで、周囲の物品が一斉に以前の配置へ戻ろうとする可能性があります」
直哉は、周囲を見回した。
無数に積まれた商品。
台車。
パレット。
敵の姿はない。
剣で斬り伏せる相手もいない。
ただ、もし大量の荷物が一斉に旧配置へ戻り始めれば、その移動経路にいる人間は普通に危険だ。
必要なのは。
飛んでくる荷物を避けること。
水野へ当たりそうな物があれば、その軌道を逸らすこと。
そして、会社の商品を可能な限り壊さないこと。
直哉は、内心で深く頷いた。
(やっぱ、今日レイジじゃなくてセナを選んだの、正解だったな)
関係者は、安全のためにフロアの外へ退避した。
倉庫の中に残っているのは、水野と、セナの姿の直哉だけだ。
水野が、ゆっくりと木箱へ接近していく。
最初の反応は、すぐだった。
水野が封じ込み用の布を広げ、木箱を少し持ち上げた瞬間。
『カタッ』
周囲の棚に置かれていた箱が、不自然な音を立てた。
『カタカタカタカタカタ!』
直哉が構えた。
(来た)
水野が、箱へ布を掛ける。
次の瞬間。
『ガタンッ!!!』
倉庫のあちこちから、同時に音が響いた。
一つの物が水野へ襲いかかってきたのではない。
あちらの箱は右へ。
別の台車は奥へ。
棚の上の商品は斜め後方へ。
それぞれが、それぞれの『以前置かれていた場所』へ向かって、一斉に動き始めたのだ。
そして。
その移動経路のいくつかが、木箱の前で作業している水野の位置を横切っていた。
直哉の内心が叫んだ。
(攻撃してきてるんじゃない!)
(こいつら、ただ元の場所に戻ろうとしてるだけだ!)
(それでも危ねえよ!!)
一台の空の台車が、旧配置の方向へ向かって勢いよく走り出した。
その進行方向上に、水野がいる。
セナの身体が、弾かれたように動いた。
《流光歩》。
滑るようなステップで、直哉は台車の横へ入り込む。
蹴り飛ばして壊してはいけない。
セナは、台車の側面へ軽く手を添え、自分の体重移動を使って進行方向の角度だけを変えた。
台車は水野の横を逸れ、誰もいない通路へと滑っていく。
だが。
数メートル進んだところで。
『ギギッ』
再び車輪の向きが変わり始めた。
直哉の顔が引きつる。
(まだ元の場所に戻ろうとしてんの!?)
処置が終わるまで、この現象そのものは止まらない。
次。
上の棚から、家電製品らしき大型の段ボール箱が動き出した。
落下というより、以前置かれていた棚の方向へ向かって不自然に引かれている。
その途中に、また水野がいる。
直哉の内心が悲鳴を上げる。
(これ絶対、中身高い家電のやつ!!)
セナは刀を抜かず、動いてくる段ボールの側面を軽く押した。
水野との接触コースから外す。
箱は床へ落ちたものの、中身が粉砕されるような激突だけは避けられた。
直哉の内心は、パニックだった。
(怪異を剣で斬り刻む方が、よっぽど楽じゃない!?)
敵なら、全力で斬れば終わる。
だが、会社の商品は斬れない。
壊してもいけない。
しかも、軌道を一度逸らしただけでは、現象が再び旧位置へ戻そうとすることすらある。
神経を使う。
さらに。
ティッシュやトイレットペーパーなどの軽い紙製品の箱が。
一個。
二個。
五個。
十個。
それぞれ以前置かれていた区画へ戻ろうとして、次々と空中や床を移動し始めた。
旧位置が似た方向に集中しているせいで、結果として大量の箱が一斉にこちらへ流れてくる。
直哉は、
(まあ、軽いから当たっても死なないけど――)
と思ったが。
視界が完全に箱で埋め尽くされる。
「多い多い多い!! 前が見えない!」
セナの機動力を活かし、直哉は箱の群れの隙間を縫うように避けていく。
その間も、水野は作業を継続していた。
札を配置し。
布で木箱を覆い。
専用ケースを準備する。
直哉が、飛んでくる箱を避けながら叫んだ。
「まだですか!?」
「あと少しです!」
現象が、さらに激しさを増す。
今度は、重量のある木製パレットそのものが、床を滑り始めた。
向かう先は、以前の保管位置。
だが、その直線上に。
水野がいる。
完全に死角だった。
直哉の目が見開かれた。
(ヤバい、普通のステップじゃ間に合わない!)
直哉は、スキルを発動した。
「《瞬雷》!!」
青白い雷光が弾ける。
セナが猛烈な速度で踏み込み、一瞬で水野とパレットの間へ割り込む。
真正面から止める必要はない。
直哉は《瞬雷》の勢いを殺さず、パレットの側面へ身体を滑り込ませた。
押す。
進行方向を横へずらす。
『ギギギギッ!』
重量物が床を擦りながら横へ流れる。
水野の横を抜け、安全な方向へ逸れていった。
もっとも。
パレットはそこで完全に諦めたわけではない。
少し進むと、また旧配置の方向へ向こうとする。
(しつこい!!)
水野が、驚きつつも作業の手を止めずに言った。
「助かりました!」
セナが返す。
「いいから、早く続けて!」
中身の三十四歳は、
(早く終わってくれええええ!)
と泣き叫んでいた。
そして、ついに。
水野が木箱全体を封じ込み資材で覆い、専用ケースへと収めた。
重い蓋が閉じられ、ロックがかけられる。
『カチャッ』
その瞬間だった。
倉庫中で動き続けていた無数の荷物が。
ピタリ。
と止まった。
床を滑っていた箱。
向きを変え続けていた台車。
旧位置へ戻ろうとしていたパレット。
全てが、その場で静止する。
完全な静寂。
直哉は、肩で息を整えながら周囲を見回した。
「…………」
「終わり、ですか?」
水野が、ケースのロックを確認して立ち上がった。
「ひとまずは、ですね」
「ひとまず?」
水野が説明する。
「この現象の正式な分類が何なのか。木箱自体が呪物化しているのか、誰かの能力の痕跡なのか、それとも別の要因なのか」
「それに、どこまでの範囲へ作用する現象なのかも、専門施設へ持ち帰って詳しく調べなければ分かりません」
現場でできたのは。
異常の起点をかなり絞り込むこと。
ひとまず現象を停止させること。
そして、安全に搬出できる状態へすること。
直哉は納得した。
(全部、その場ですぐ答えが出るわけじゃないんだな)
それでも。
水野のような専門家が調べ。
直哉のような能力者が、危険が生じた時に現場を支える。
そうやって処理する仕事なのだ。
外へ退避していた会社側の責任者たちが、恐る恐る戻ってきた。
「あの……もう、大丈夫なんでしょうか?」
水野は、慎重に答えた。
「現時点では、異常現象の発生源と思われる木箱を封じ込み、現象を停止させることに成功しています。ただし、念のため、本日はこの区画を閉鎖したままにしてください」
再発がないか監視し、問題がなければ翌日以降の再稼働を判断するという。
会社側の責任者たちは、心底安堵したように何度も頭を下げた。
倉庫の主任が、セナの方へも向かって深く頭を下げる。
「《ナオ》さんも、本当にありがとうございました。あれだけ荷物が動いていたのに、商品もほとんど破損していません。助かりました」
セナは、少しだけ照れたように笑って返した。
「それなら、よかったです」
中身の直哉は、
(本当によかった……! これ商品ぶっ壊して、後から弁償とか言われたら泣いてたわ!)
と、別の意味で冷や汗を拭っていた。
仕事が終了し、施設の敷地外へ出たところで。
直哉のスマホのアプリに通知が届いた。
『業務完了』
『報酬:300,000円』
直哉は、内心でガッツポーズをした。
(よし。三時間で三十万)
十分に割のいい仕事だった。
そして。
直哉は、視界の右上を少しだけ気にした。
黄金色の通知。
因果晶。
数秒待つ。
十秒待つ。
だが。
何も出ない。
所持数を確認する。
『因果晶:0』
直哉は、ポツリと一言。
「また石なしかー」
少しだけ残念だった。
でも、今回ばかりはそこまで落ち込まない。
(まあ、今回は血みどろの荒事らしい荒事もなかったしな)
直哉は、すぐに自分で補足した。
(……いや、荒事がないから石が出ないって決まったわけじゃないけどさ)
条件は依然としてブラックボックスのままだ。
今回も、
『こういう仕事では、因果晶は出なかった』
という事実が一つ増えただけ。
直哉は、限定バナーの画面を開いた。
『因果晶:0』
『★5キャラクター確定まで:10回以内』
「あと、千六百石」
バナーの期限までは、まだ余裕がある。
(焦って、石のために危ない案件ばっかり探す必要はないか)
それに。
今日の仕事で稼いだ、三十万円。
企業の困りごとを、専門家と一緒に安全に片づけた。
誰も大怪我をしていない。
商品もほとんど無傷だ。
直哉は、夕暮れの空を見上げた。
(こういう仕事でいいんだよ、こういうので)
神様と命懸けで殺し合わなくても、能力者としてちゃんと金は稼げる。
怪異討伐だけじゃない。
犯罪者との戦闘だけでもない。
要人護衛だけでもない。
普通の会社の日常へ超常現象が入り込んだ時、その対応をする仕事まである。
(能力者の仕事って、ほんと色々あるな)
◆
実家へ帰宅した直哉は、ジャージに着替えてベッドへ寝転がった。
視界の限定バナー。
九条紫苑の、静かな赤紫の瞳。
直哉は、ニヤリと笑った。
「あと、十連」
「次は絶対★5だからな」
一拍置いて。
「……まあ、紫苑とは限らないけど」
少しだけ真顔になる。
だが、すぐに表情を緩めた。
「まだ時間はある」
直哉は、焦ることなくシステム画面を閉じた。
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