俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
ホワイトハウス複合施設内、厳重な警備によって守られた秘匿会議室。
楕円形の長いテーブルの上座に、アメリカ合衆国大統領ロバート・“ボブ”・ウォーレンが座り。
その両脇には、CIAやNSAの長官、そして超常関係の専門担当官たちが深刻な顔をして並んでいる。
そして。
末席の椅子には、パーカー姿でキャンディを舐める十四歳の暗殺者ノア・ヴァレリウスと。
背筋を真っ直ぐに伸ばした、クラシカルなメイド服姿の直哉――エレノア・ヴァイスが座っていた。
壁一面を覆う巨大なモニターが点灯し、現在のアメリカ合衆国の地図と、その中心部の地下深くに『接続』された、巨大な異次元領域の模式図が映し出される。
直哉は、メイド長の無表情な顔のまま、モニターの映像をじっと見つめていた。
大統領の「今回、君たちに調べてもらいたい国についてだ」という言葉と共に、画面が切り替わる。
そこに映し出されたのは。
地球上のどこにも存在しない、赤黒い空の下にそびえ立つ、巨大で禍々しい中世ヨーロッパ風の城だった。
直哉の内心は、(うわ、これぞまさに吸血鬼の住む魔王の城って感じだな)と、ファンタジー映画のワンシーンを見ているような気分だった。
だが。
カメラの映像が、その城から少しずつ広角へと引いていくと。
直哉の抱いていた印象は、大きく裏切られた。
巨大な城を中心に、古い石造りの美しい街並みが広がっている。そこまではいい。
しかし、そのさらに外側には。
綺麗に整備された、アスファルトの舗装道路。
現代的なデザインの集合住宅。
グラウンドのある学校。近代的な設備の病院。
煙突から煙を上げる工場。そして、都市部を網羅する鉄道らしき交通網までが、ハッキリと映し出されていた。
道路には、普通に自動車が走っている。
昼間の明るい太陽の下を、スーツを着たビジネスマンや、買い物袋を提げた主婦のような、どう見てもごく普通の『人間』らしい住人たちが歩いている姿が見えた。
直哉の内心が、少しだけ混乱した。
(……普通に、近代的な国だぞ)
『吸血鬼の国』と聞いて。直哉はもっとこう、常に深い霧が立ち込めていて、コウモリが飛び交い、街のそこら中に不気味な棺桶が置いてあるような、ホラーゲームのような場所を想像していた。
その認識のズレに、少しだけ戸惑う。
ウォーレン大統領が、そんな直哉の内心の戸惑いを察したかのように、静かに説明を始めた。
「まず最初に。君たちには、これから向かうこの国について、正しく理解してもらいたい」
大統領は、モニターの街並みを指した。
「彼らは、我々アメリカ合衆国の敵ではない」
モニターの端に、その国家の正式名称が表示された。
《アルビオン吸血鬼公国》
大統領が続ける。
「この公国とは、我がアメリカ合衆国は、長年にわたって極めて良好な友好関係を維持してきた」
直哉は、少し意外に思った。
(友好国なんだ)
ノアからの電話で「吸血鬼の国」「クーデター」という物騒な単語だけを聞いていたので、てっきり『危険な敵対国家の裏側に、工作員として潜入する』ようなスパイ映画的なミッションかと思っていた。
だが、本来は違う。
アメリカとこの国は、れっきとした友好国なのだ。
だからこそ、今回の「連絡が取れなくなる」という政変そのものが、アメリカにとって異常事態なのだと理解できた。
ウォーレン大統領は、最初に、直哉が一番気になっていた点をはっきりと否定した。
「《ナオ》。君が懸念しているような、映画や小説にあるような『吸血鬼が人間を恐怖で支配し、家畜として飼育し、搾取しているディストピア国家』ではない」
直哉の内心は、(よかった。ノアが電話で言ってた『共存してる』って話は、本当だったんだな)と安堵した。
ただし、大統領の側近である超常専門の担当官が、歴史的な背景を少しだけ補足した。
「もちろん、公国の長い歴史の全てがそうだったわけではありません。過去には、吸血鬼の貴族階級が人間よりも絶対的な上位に置かれ、人間から半強制的に血液の提供を徴収する『血税』の制度が存在した時代もありました。居住区や職業にも、厳格な身分差があったのです」
だが。
公国の歴代の王家が、数代という長い時間をかけて、血みどろの国内改革を断行してきたのだという。
「現在では、人間も吸血鬼も、法の下では完全に平等な『公国民』として扱われています」
人間も、国の官僚になれる。軍の将校にもなれる。議会や行政にも、人間の代表者が多数参加している。
学校の教室にも、吸血鬼の子供と人間の子供が普通に机を並べている。
会社でも、種族の壁を越えて共に働いている。
直哉が、ここで一つの疑問を口にした。
エレノアの、冷静で丁寧な声が出力される。
「では、吸血鬼の方々の生存に不可欠な『血液の供給』については、現在はどのように賄われているのでしょうか?」
担当官が、スライドを切り替えて答える。
「現代の公国において、人間に対する『強制的な吸血行為』は、重犯罪として法律で固く禁止されています」
「現在の彼らの血液の供給源は、主に四つです。一つ、人間の市民からの『有償での献血提供』。二つ、医療用血液の公的な流通ネットワーク。三つ、動物由来の血液や人工的に精製された代替血液の使用。そして四つ、我々アメリカなどの外部国家からの『医療用血液の正規輸入』です」
そういった、非暴力的で合法的な供給のシステム網が、国家として完全に成立しているのだ。
直哉は、感心して言った。
「本当に、普通に近代的な社会が成立しているのですね」
ウォーレン大統領が、深く頷いた。
「少なくとも現在の公国においては。吸血鬼であることも、人間であることも、一人の国民としての権利を左右する理由にはならない。それが、あの国の現体制だ」
直哉は、この時点で、今回の仕事に対する精神的なハードルがかなり下がったのを感じていた。
今回の事件は、「残虐な悪い吸血鬼国家を、正義の味方として退治しに行く話」ではない。
あくまで、友好的な普通の隣国で起きたトラブルの調査なのだ。それなら、過剰に構える必要はない。
ここから、CIAの担当局長が手元のタブレットを操作し、説明を引き継いだ。
「公国へと直接繋がる、最も巨大で安定した恒常的な境界(ゲート)が、このアメリカの領内に存在していることは、先ほど説明した通りです」
そのため、両国はかなり昔から、表の国際社会には完全に秘密にしたまま、政府間で正式な外交関係を結んできた。
一般のアメリカ市民には存在自体が伏せられているが、政府レベルでは、国連加盟国と同じような『一つの国家』として扱われているのだ。
「両国間では、定期的な貿易も行われています。我が国からは医療技術や工業製品を輸出し、公国からは超常的な鉱物資源や、独自の超常技術の提供を受けています」
「さらに、大学間での学術交流も盛んです。公国の若者たちが、アメリカの大学へ留学してくるケースも珍しくありません」
逆に、事情を知るアメリカ人の研究者や企業の技術者が、公国へと派遣されることもあるという。
「特に、現在の公国の王家は。『次代の国を担う統治者になる人間ほど、閉じた自国の中だけでなく、外の広い世界を直接見て知るべきだ』という、極めて開明的な考えを強く持っています」
王族の人間が、一般の留学生に混じってアメリカの大学へと数年間留学するのも、その教育の一環なのだという。
直哉の内心は、(吸血鬼のお姫様とか王子様が、アメリカの大学で普通の学生に混じって講義受けてるのか……)と、想像するとなかなかシュールな光景だった。
だが、それと同時に。
この公国という国が、直哉が想像していた以上に、外部の世界との交流に慣れ親しんでおり、開かれた国なのだということもよく分かった。
モニターの画像が切り替わった。
そこに映し出されたのは、豪奢な王族の衣装に身を包んだ、一人の男性のバストアップの写真だった。
外見は、人間で言えば五十代前後に見える、威厳のある渋い男性だ。
だが、その実年齢は当然ながら数百年を生きている吸血鬼である。
CIA担当局長が説明する。
「こちらが、アルビオン吸血鬼公国の現国家元首。《アルフォンス・ヴァン・アルビオン》公王陛下です」
彼の公式な確認Tierは、『Tier2』。
ただし、単騎で戦場を蹂躙する戦闘王というよりは、国家元首としての強大な権限や、儀式的な能力を持つタイプの統治者らしい。
現在の『人間と吸血鬼の完全な共存政策』も、このアルフォンス公王の治世において、彼自身の強力なリーダーシップで推し進められてきたものだという。
極端な親米派というわけではないが、外部世界との交流を維持し、国の近代化を図る現実主義者だ。
アメリカ政府とも関係は極めて良好である。
ここで、ウォーレン大統領が、国家元首としてではなく、一人の人間として、少しだけ個人的な感情を交えて口を挟んだ。
「私は、アルフォンス王を個人的に信用している」
直哉が、大統領の方を見た。
大統領は、王の写真を見つめながら続けた。
「彼とは、過去に何度か直接会談したことがある。互いの国の利益のために、政治家として意見が対立し、激しく議論したことはいくらでもあった」
「だが。彼は、自らの国と民を何よりも愛している男だ。少なくとも、何も告げずに無責任に国を捨てて、引きこもるような男ではない」
直哉は、大統領の言葉の重みを感じた。
今回の依頼は、単なるCIAの冷徹な分析結果から出た戦略的な任務ではない。大統領本人にも、長年の友人に対する心配という、多少の感情的な動機が含まれているのだ。
ここから、話の核心へと入る。
CIA局長が、顔をしかめて言った。
「その公国で、異変が起き始めたのは約二ヶ月前のことです」
最初。
予定されていた公国の重要な公的行事へ、アルフォンス王が突然出席しなくなった。
王宮からアメリカ政府へ通達された理由は、『体調不良による一時的な療養』というものだった。
吸血鬼だからといって、絶対に病気にならないわけではない。特殊な呪いや、吸血鬼特有の風土病のようなものもある。
なので、アメリカ側も、この最初の段階では特に疑うことはなかった。
だが。
一週間が過ぎ。二週間が過ぎ。さらに一ヶ月以上の時間が経っても。
「王本人の姿を映した映像が、一度も外部へ出ないのです。録音された音声のメッセージすらありません」
出てくるのは。
王宮の名義で発行される、活字の公式文書。
王の電子的な認証コード。
政務上の、事務的な命令書。
それだけだ。
直哉は、たまらずに口を挟んだ。
エレノアの口調で問う。
「では、王ご本人の姿を、数ヶ月間、本当に誰も直接確認していないのですか?」
CIA局長は、重々しく首を振った。
「少なくとも、我々アメリカの情報機関のネットワークでは、一切確認できていません」
異常は、それだけではなかった。
「さらに、王の療養と時を同じくして。王の周辺から、人が次々と消えていきました」
王と近く、政策の中枢を担っていた政府高官たちが、次々と不自然な理由で交代させられたのだ。
外交関係のトップ。内政の要職。軍の上層部。そして、王宮の直接の警備担当者たち。
短期間で、公国の主要なポストの人物が、ごっそりと入れ替わっている。
ただし、ここで重要なのは。
『人間だけが差別的に排除されているわけではない』ということだ。
王の共存政策に忠実だった、吸血鬼の貴族たちも同様に失脚し、辞任させられ、あるいは行方不明になっている。
逆に、人間であっても、新体制側に迎合した者はそのまま政府の中枢に残っている者もいる。
CIA局長は、冷静に分析結果を述べた。
「したがって。我々は、これを『人間と吸血鬼の種族対立による政変』ではないと考えています」
直哉が尋ねる。
「では、排除されている要人たちに共通する要素は、何なのですか?」
局長は、一拍置いて答えた。
「『国王派』であることです」
会議室の空気が、一段と重苦しいものになった。
モニターの画像が、王から別の人物の写真へと切り替わった。
映し出されたのは、冷たく鋭い目をした、軍服のような豪奢なコートを着た吸血鬼の男だった。
「彼が、今回のクーデター疑惑の中心人物。
公国の筆頭貴族であり、軍の最高司令官を務める、《ヴァルター・フォン・クロイツ》公爵です」
古い吸血鬼の貴族。
公国内でも、王に次ぐ非常に高い地位にあった人物だ。国防や治安維持に絶大な影響力を持つ。
王家にも長年仕えてきた忠臣であり、だからこそ、王の療養という発表の直後に、彼が『政務の代行』を宣言し始めても、最初は誰も不自然には思わなかったのだ。
ここで、画面の隅に表示された彼のデータに、直哉の目が一瞬だけ止まった。
『公式確認階位:Tier2』
直哉の内心は。
(なるほど。敵の親玉は、Tier2か)
エレノアも、Tier2。
隣に座っているノアも、Tier2だ。
敵の親玉も、Tier2。
現時点での情報では、Tier1級のような『明らかに格上の存在』というわけではない。
むしろ、戦闘に特化したノアと、時間停止を持つエレノアの二人で連携すれば。最悪、相手の軍隊と戦闘になったとしても、対処できる可能性は十分にある。
直哉は、そう計算できる余裕があった。
だが、アメリカ政府が直接動けない最大の理由が、そこにあった。
「ヴァルター公爵は、明確に『クーデターを起こした』と宣言して武装蜂起したわけではありません」
公式な見解としては、あくまで。
『公王陛下のご病気による療養期間中、陛下の正式な命を受けて、私が一時的に政務を代行しているに過ぎない』という説明なのだ。
そして、その委任状には、確かに公王本人の認証と署名付きの文書が存在している。
だから、形式上は、完全に違法な簒奪であると言い切ることができない。
直哉は尋ねた。
「では……本当に、王様ご本人が、自らの意思で公爵へ国を任せたという可能性もあるのですか?」
CIA局長は、苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「提出された書類と手続きの表面だけを見れば、その可能性は否定できません」
ここが、アメリカ政府が一番困っている、最も厄介な部分だった。
だが、それでもCIAが『これはクーデターだ』と強く疑っている決定的な理由が、いくつかある。
まず第一に。
公国王家とアメリカ政府の間には、通常の外交ルートとは別に、大統領と王しか知らない『非常時用の極秘の直接連絡経路(ホットライン)』が存在している。
公王本人か、ごく限られた血筋の王族しかそのシステムは使えない。
「それが、王の療養が発表された日とほぼ同時に。完全に沈黙し、システムが停止しました」
次。
現在、アメリカの大学へ留学中の王族――王の愛娘への『私的な連絡』も、完全に途絶えた。
公王は、国がどれだけ忙しくても、国外にいる娘へ週に一度は必ず私的なメッセージや電話を入れていた。
それが、ある日を境に、パタリと一度も来なくなったのだ。
代わりに届いたのは、王宮名義の無機質な事務文書。
『当面の間、帰国は許可しない。アメリカで学業を続けるように』
それだけだ。
しかし。
その文書に付与された、電子的、呪術的な認証のサインそのものは、確かに公王本人のものだった。
直哉の内心は、ブルッと震えた。
(……認証だけは、本物なのか)
本人の意思がまったく確認できないまま、正規の認証だけが使われ続けている。その状況自体が、ひどく不気味だった。
さらに、決定的な判断材料がある。
CIA局長が、声を潜めて言った。
「王宮の内部に潜入させていた我々の協力者から。二週間前、短い秘密通信が『一度だけ』届きました」
その内容は。
『陛下は、病気ではない』
「……それだけです」
「その後、彼からの連絡は完全に途絶え。現在、その協力者の所在も、生死すらも不明です」
会議室が静まり返る。
直哉は、無言で息を呑んだ。
「…………」
ノアが、キャンディを口の端で転がしながら、あっさりと結論を口にした。
「それ、どう考えてももう真っ黒じゃん。クーデター確定だろ」
CIA局長も、頷いた。
「ええ。我々も、状況から見てその可能性が極めて高いと考えています」
「ただし……それを他国の前で『証明できる確固たる証拠』が、一つもないのです。そこが最大の問題なのです」
ここで、NSA(国家安全保障局)の長官が説明を引き継いだ。
「我が局の通信傍受データからの分析です」
公国とアメリカ間の、インターネットや能力・呪物を利用した特殊通信のデータ量が、ここ数ヶ月で急激に減少している。
民間の企業の交流も、意図的に縮小されている。
境界ゲートの通行規制も、かつてないほど厳格に強化されている。
「一方で。公国の『内部』における、軍の暗号通信量は異常に増加しています。首都近辺へ、地方の部隊が秘密裏に移動して集結している形跡も確認されました」
明らかに、公国の軍部は何かの有事に対して、厳戒態勢で警戒を強めている。
「ただし。公国の全土で全面的な内戦が起きているわけではありません」
公国の社会システムそのものは、現在も正常に動いている。
インフラは稼働し、一般市民は普通に仕事に行き、生活をしている。
最後に。
NSAの長官が、資料の最後の一枚を表示して、付け加えた。
「もう一件。これが直接今回の政変と関係する事案かどうかは、まだ分かっていませんが」
異次元境界の、技術的な観測データだ。
「政変の発生時期と前後して。公国内の『境界安定化設備』の稼働状況に、不自然な変化が見られます。通常は使われない、古い予備の設備までが一部フル稼働しているようです」
ただし、現時点でのNSAの分析では。
「おそらく、クーデターに伴う国境封鎖や、境界の警備を強化するためのエネルギー出力の増強だろうと考えています」
CIAの局長も、そのデータについては特に深刻視していないようだった。
直哉の内心も、(まあ、クーデターやってるなら、国境の警備を固めるのは当たり前だよな)くらいに、軽く流して聞いていた。
一通りの説明を聞き終えた直哉が、ここで当然の疑問を口にした。
エレノアの丁寧な口調に変換されて出力される。
「大統領閣下。そこまで事態の不自然さが進行し、情報も揃っているのであれば。なぜ、アメリカ政府の情報機関の方々や、特殊部隊が直接対応されることは難しいのでしょうか?」
ウォーレン大統領は、首を横に振った。
「ナオ。難しいのではない」
一拍置いて。
「政治的に、『絶対にできない』のだよ」
大統領は、アメリカが正面から介入できない三つの理由を説明した。
第一に。
吸血鬼公国は、アメリカとは別の、主権を持った独立国家だ。
アメリカ軍や政府直属の能力者部隊を、許可なく勝手に他国の領土へ投入すれば。それは明確な『他国への違法な軍事侵攻』になり、国際問題となる。
第二に。
王本人の意思が、まだ確認できていない。
もし万が一、本当に王が自由意思で公爵へ政務を委任していた場合。アメリカ側が勝手に「あれはクーデターだ!」と決めつけて政権へ攻撃を仕掛ければ、完全にアメリカ側が悪者になる。
第三に。
仮に、本当にクーデターであったとしても。
公国の国内には、人間、吸血鬼、王党派、公爵派、そして多くの罪のない一般市民がいる。
さらに、敵側にも高位の能力者が複数いる。
そんな場所へ、大規模なアメリカの戦力を強引に投入して市街戦になれば。
それはもはや『救出作戦』ではなく、血で血を洗う『悲惨な戦争』になってしまう。
ウォーレン大統領は、悲痛な顔で言った。
「一人の王を助けるために、その国の罪のない民を大量に殺してしまっては、何の意味もないのだ」
直哉も、その政治的なジレンマに深く納得した。
ノアが、キャンディをガリッと噛み砕いて言った。
「で? 正規の軍隊や政府の人間が動かせないから。政府とは関係ない、フリーの暗殺者一族である俺に頼んだってわけ?」
ウォーレン大統領は頷いた。
「そうだ」
ヴァレリウス家は、アメリカの政府機関ではない。
各国の政府と仕事はするが、完全に独立した非国家勢力だ。
さらに、昔から公国の王家とも仕事上の関係があり、公国の内部事情にも明るい。
ノア自身は、Tier2の能力者。
敵地への潜入。隠密行動。ターゲットの追跡。そして、単独での脱出。
そうした裏の仕事の、世界最高峰の専門家だ。
今回は暗殺ではないが、その技術は『要人の救出』にもそのまま使える。
ノアは、軽く肩をすくめた。
「まあ、広い王宮の警備を抜けて、一人だけ探して連れ出してくるなら、俺の技術が一番向いてるな」
ここで、ウォーレン大統領が直哉の方を見た。
「ナオ。君については、アメリカ政府が最初から指名したわけではない」
「君については、ノアから『どうしても同行させたい能力者がいる』と、強い推薦を受けたのだ」
直哉が、隣のノアを見た。
ノアは、悪びれもせず言った。
「だって、未知の敵の城に一人で入るより、二人で行った方が圧倒的に楽だし」
相変わらず、理由が軽い。
だが。
先ほど、『時間停止』というチート能力の存在を知った大統領は。
心底ありがたそうに、エレノアに向かって言った。
「今となっては……君をこの場に連れてきてくれたノアに、私の方から深く礼を言いたいほどだよ」
直哉の内心は、(うわ……アメリカ大統領に、戦力としてめちゃくちゃ喜ばれちゃってるよ……)と、少しだけ鼻が高くなり、嬉しくなっていた。
大型モニターが切り替わり、今回の任務の最終確認が表示される。
ここからは、曖昧な言葉は一切ない。
『第一目標:アルフォンス公王の生存確認』
『第二目標:公王本人との直接接触』
『第三目標:現在の政務の委任が、王本人の自由意思によるものかどうかの確認』
もし、接触した結果、本人の完全な自由意思によるものだった場合。
それで、任務は終了だ。
ウォーレン大統領が言った。
「その場合は、君たちは何もせず、そのまま安全に帰ってきてくれればいい」
直哉が確認する。
「公爵を捕まえたり、クーデターを阻止したりもしないのですか?」
「しない」
大統領は明確に答えた。
王が納得しているのなら、それは公国の内政問題だ。アメリカが介入することではない。
そして。
『第四目標:公王が不当に拘束・脅迫されていた場合。可能であれば公王を救出し、安全なアメリカ側へと移送すること』
ノアが、鋭い目で大統領を見た。
「公爵の首は?」
ウォーレン大統領は首を振った。
「殺害対象ではない」
「君たちの任務は、あくまで暗殺ではなく救出だ」
ノアが食い下がる。
「向こうが、俺たちを殺しに来たら?」
大統領は、一拍置いて答えた。
「自衛のための戦闘まで、禁じるつもりはない。君たちの命を最優先にしてくれ」
「了解」
ここで、直哉の内心も完全に安心した。
今回の仕事は、最後まで『王を探して助ける仕事』だ。
無駄な血を流す必要はない。
CIAが把握している、敵の戦力についての共有が行われる。
敵の親玉であるヴァルター公爵は、Tier2。
その直属の親衛隊には、Tier3級を中心に複数の強力な能力者がいる。
Tier2級も他に隠れている可能性はあるが、詳細は不明だ。
ただし、重要なポイントが一つ。
「公爵派の陣営に、『Tier1級』の存在は、現時点では全く確認されていません」
ノアが、ふんと鼻を鳴らした。
「じゃあ、まあ何とかなるだろ」
直哉の内心は、(Tier2の敵の軍隊相手に『まあ何とかなるだろ』ってあっさり言えるの、本当にこいつの戦闘狂メンタル怖いな……)と呆れていた。
でも実際。
ノアは、Tier2。
エレノアも、Tier2。
Tier2が二人揃っているのだ。情報上は、決して無謀で自殺行為な仕事ではない。
直哉の頭の中に、一瞬だけ。
一昨日引いたばかりの、『ヴェルミリア・ノクス』。
『現地登録Tier:1』の文字が浮かんだ。
(……まあ、もし万が一の時は、俺の場合は『もう一枚』、ヤバい手札があるけどな)
でも、今回は絶対に使うつもりはない。
あくまで奥の手だ。
潜入の方法についての説明。
現在、正規の境界ゲートは、完全に公爵派の軍によって掌握されている。
そこから入れば、入国記録が残り、即座に捕まる。
そこで。
アメリカ政府と公王家が、昔から『非常時用』として秘密裏に用意していた。
小規模な『緊急境界路』を使用する。
王族や要人が、内乱などの際に避難するためだけの、極秘の細い隠し通路だ。
大人数での軍隊の移動には使えない。少人数専用のゲート。
今回なら、ノアと直哉の二人にはちょうどいい。
アメリカ側の入り口までは、政府の人間が案内する。
そのゲートを抜けた先は、二人だけでの行動となる。
現地の公国内の隠れ家で、まだ生き残っている王党派の協力者と合流する手はずになっている。
通信についての確認。
直哉が尋ねた。
「向こうの国に入ってから、アメリカ政府とは連絡は取れるのですか?」
NSAの長官が答える。
「通常のスマートフォンや、一般的な魔術通信は絶対に使用しないでください。公国の軍に即座に傍受され、位置を特定されます」
そこで、アメリカ側から専用の秘匿通信機器が一つ渡された。
「ただし、この機器でも常時通信はできません。一日に一度、指定された時間帯に、短時間だけ、暗号化して通信を行います」
これで、『何かあったら、すぐにアメリカの軍隊に電話して助けを呼ぶ』という手段は封じられた。
異次元への潜入任務らしい、完全な孤立感と緊張感が漂う。
ブリーフィングの最後。
ウォーレン大統領が、二人を見渡した。
「他に、何か質問はあるかな?」
ノアは即答した。
「俺はない。仕事は分かった」
直哉は、少しだけ考えて。エレノアの口調で尋ねた。
「一つ、よろしいでしょうか」
「もちろん」
直哉が聞きたかったのは、敵の戦力のことではない。
「現在、公国の内部において。一般市民への虐殺や、大規模な戦闘被害などは確認されているのでしょうか?」
CIAの担当局長が答えた。
「少なくとも現時点では。虐殺、大規模な戦闘、都市の破壊。そういった悲惨な事態は一切確認されていません」
もちろん、公爵派に反対する人間の拘束者や、行方不明者は出ている。
軍や警察の警備は異常に増え、政治的な緊張は極限まで高まっている。
だが。
一般市民の生活そのものは、昨日と変わらずに続いているのだという。
直哉は、内心で深く頷いた。
(じゃあ、本当に今のところは、権力層のクーデターだけなんだな)
(一般人が普通に暮らしてる街なら、無闇に暴れ回るわけにはいかないな)
その認識を、しっかりと持っておく。
ここで、ウォーレン大統領が、少しだけ表情を和らげて言った。
「それと」
「君たちには、出発前に、どうしても会っておいてもらいたい人物がいる」
ノアが首を傾げた。
「誰?」
大統領が答える。
「アルフォンス公王の、娘だ。現在アメリカに留学中でね、保護している」
直哉は驚いた。
「王女様、ですか?」
大統領が目配せすると、SPが会議室の扉を開けた。
中に入ってきたのは。
直哉が想像していたような、おとぎ話に出てくるような豪華なドレスを着た、金髪縦ロールのお姫様……ではなかった。
ごく普通の、現代的なパーカーとジーンズという私服姿。
アメリカの大学のキャンパスを、そのまま歩いていそうな、二十歳前後の若い女性だった。
ただ、その陽の光を浴びない吸血鬼特有の白磁のような肌と、深い色の瞳だけが、彼女が人間ではないことを示していた。
直哉の内心は、(本当に、普通の大学生みたいだ……)と少し拍子抜けしていた。
王女は、大統領に軽く一礼した後。
ノアの方を見た。
ヴァレリウス家の名と、彼の裏社会での評判は、彼女も知っているようだった。
「あなたが、ノア・ヴァレリウスさんですね」
ノアは、ポケットに手を入れたまま、短く答えた。
「うん」
そして、王女の視線が、エレノア姿の直哉へと向けられる。
大統領が紹介する。
「ノアと共に公国へ潜入する、我々の強力な協力者だ」
王女は、少しの間、黙って二人を見つめていた。
それから。
彼女は、深く、深く、その頭を下げた。
「どうか……父を、助けてください。お願いします」
直哉は、一瞬言葉に詰まった。
絶対に助けられるという保証は、どこにもない。
敵の罠かもしれない。王はすでに死んでいるかもしれない。
だから、直哉は安請け合いで「必ず救います! お任せください!」とは言わなかった。
それは、プロとして無責任な言葉だ。
エレノアとして。
静かに、しかし力強く答えた。
「……可能な限り、最善を尽くすことをお約束いたします」
直哉の中身の三十四歳は。
(王女様に直接頭下げられて、国を救う仕事まで頼まれる日が来るとはな……俺の人生、どうなっちゃったんだろ)と、その重責に震えていた。
王女が、最後に、切実な声で語った。
「父は、私に何も言わずに、二ヶ月近くも連絡を絶つような人ではありません」
王宮からアメリカの彼女の元へ届いた、「当面帰国するな」という文書。
システム上の認証のサインは、確かに父のものだった。
でも。
「父なら、あんな冷たい事務的な書き方は絶対にしません」
娘としての、確固たる直感。
ただ。
王女も、公爵が絶対にクーデターを起こして父を幽閉していると、完全に断言することはしなかった。
「もし、万が一。本当に父が、自分の意思で公爵へと国を任せ、私を遠ざけたのだとすれば……」
「私は、王族として、その父の決定を受け入れます」
一拍置いて。
彼女の瞳に、強い光が宿る。
「ですが」
「それを、私は。父本人の口から、直接聞きたいのです」
これで、今回の潜入任務の『正当性』が、綺麗に直哉の中で腑に落ちた。
政権を強引に倒したいわけではない。
正義を気取って、他国の政治に介入したいわけでもない。
ただ、王本人の『本当の意思』を確認したいだけなのだ。
王女が、深く一礼して退室していく。
モニターには、再びアルフォンス公王の写真が映し出された。
ウォーレン大統領が、ノアと直哉の二人の顔を、真っ直ぐに見て言った。
「我々が君たちに頼んでいるのは、今の公国の政権を武力で倒すことではない」
一拍。
「この男を、見つけてくれ」
大統領は、写真の王を指差した。
「彼が自由で、自らの確かな意思で、公爵へと国を任せたのなら。君たちは、それを確認して帰ってきてほしい」
そして。
大統領の目が、鋭く細められた。
「もし、そうでないのなら」
一拍置く。
「彼を、地獄の底からでも連れ出してくれ」
ノアが、ニヤリと不敵に笑って答えた。
「分かった」
エレノアも、完璧な淑女の礼と共に答える。
「承知いたしました」
直哉は、モニターに映るアルフォンス公王の顔を見つめた。
説明を聞けば聞くほど、大げさな仕事に見える。
アメリカ大統領。CIA。NSA。異次元国家。クーデター疑惑。
だが。
やることそのものは、意外なほど単純だった。
王を見つける。
本人に会う。
本当に自分の意思で国を任せたのか、それを確認する。
そして。
もし違うのなら、連れ出す。
直哉は、静かに息を吐いた。
(……よし)
隣では、ノアがすでに椅子から立ち上がっていた。
「じゃ、王様に会いに行こうぜ」
直哉は、思わずノアの方を見る。
(お前が言うと、めちゃくちゃ簡単そうに聞こえるんだよな……)
それでも。
エレノアは、静かに椅子から立ち上がった。
「参りましょう」
王の意思を確かめるために。
二人はこれから、アメリカ合衆国の隣に存在する異次元の吸血鬼公国へ向かう。
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