俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~   作:パラレル・ゲーマー

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第41話 友達と吸血鬼の王様を助けに行きます

 王党派の隠れ家で、事前準備と潜入ルートの最終確認を終えた直哉たちは、夜になるのを待ってから行動を開始した。

 

 昼間のうちに焦って王宮へ飛び込まなかったのは、完全に正解だった。

 あの後、千里の観測によって判明したことは数多い。

 

 王宮周辺の検問の配置。

 警備兵の正確な交代時間。

 現在は使われていない地下への古い保守用通路。

 王を連れ出した後に手配する、安全な民間偽装の車両。

 そして、アメリカへ繋がる緊急境界路までの、最も安全な移動経路。

 

 現地協力者の持っていた古い図面と、千里のリアルタイムな観測情報。

 それが合わさることで、最低限ではあるが、確実な潜入と脱出のルートを構築することができた。

 

 現地協力者の男は、この隠れ家に残ることになった。

 もし、直哉たちが夜が明けても戻らなかった場合。彼が次回のアメリカ側との定時通信で、『作戦失敗』と王の正確な居場所を報告する役目を負うためだ。

 

 つまり、実際に王宮の深部へと侵入するのは。

 ノアと、エレノア姿の直哉の二人だけになる。

 

 直哉は、メイド服のスカートの裾を軽く握り締めながら、内心で少しだけ緊張していた。

 

 だが、隣を歩くノアは、完全に『仕事モード』に入っていた。

 昼間まで隠れ家で呑気にキャンディを舐めていた十四歳の少年とは思えないほど、足音も立てず、気配を完全に消している。

 

 エレノアが、静かに声をかけた。

 

「ノア。随分と、落ち着いていらっしゃいますね」

 

 ノアは、前を見据えたまま短く答えた。

 

「こっちが、俺の本業だからな」

 

 直哉は内心で納得した。

(そうだった。こいつは世界的なプロの暗殺者で、俺の方がただの素人なんだよな)

 

 王宮の近くまでは、昼間に用意した偽装身分のまま、地方商家の少年と、その家に長年仕える女性の使用人兼保護者という設定どおりの素振りで移動した。

 

 そこから、警備の目の届かない人気のない区画へと入り込み、いよいよ本格的な潜入を開始する。

 侵入ルートは、千里の観測で見つけておいた、古い保守用の地下通路だ。

 

 ノアが先導する。

 通路の入り口の古い鍵。監視装置。人が最近歩いた痕跡。わずかな空気の流れと物音。

 ノアは、それらの情報を、プロの暗殺者の技術で一つ一つ正確に確認し、クリアしながら進んでいく。

 

 ここで、直哉はすぐに時間停止を使おうとしたが、ノアに止められた。

 

「今は、まだその能力は使わなくていい」

 

「人がほとんどいないような外周の区画で、むやみやたらに強力な能力を使って、残滓をバラ撒く必要はねえよ」

 

 直哉は、素直に従った。

(なるほど。本職の判断を尊重しよう)

 

 順調に王宮の地下区画へと潜り込んでいった二人だったが。

 やがて、第一の警備区画へと差し掛かった。

 

 石造りの冷たい廊下の角の先から。

 カチャリ、カチャリと、複数の重い足音が近づいてくるのが聞こえた。

 

 ノアが、壁に背を張り付けて小声で言った。

 

「二人だ」

 

 エレノアも、同じように壁に隠れて頷いた。

 このままでは見つかる。回避するためには、来た道を大きく戻って迂回しなければならない。

 

 ノアが、直哉を見た。

 

「ここで、その時間停止の能力、使え。止めていい」

 

 エレノアが、静かに答える。

 

「承知いたしました」

 

 そして、直哉が能力を発動しようとした、その時だった。

 ノアが、妙なことを言った。

 

「あ、俺も一緒に持ってって」

 

 エレノアは、無言で首を傾げた。

 

「…………」

 

 ノアが、当たり前のように言う。

 

「お前が時間を止めたら、俺も一緒に完全に止まっちまうんだろ?」

 

 そうだった。

 エレノアの『時間停止』は、味方だけを都合よく除外して動かすことはできない。対象は世界そのものだ。

 だから、直哉が時間を止めて一人で先へ進んだ場合、ノアだけがこの廊下に置いてけぼりにされる。

 

 直哉は内心で(……確かに)と納得した。

 

 ノアが、無造作に言った。

 

「適当に運んで」

 

 直哉は、少し迷った末。

 

 ノアの着ているジャケットの襟、首根っこの辺りを、片手でガシッと掴んだ。

 

 ノアが、ジト目で文句を言う。

 

「おい。もっとマシな持ち方ねえのかよ」

 

 エレノアは、極めて冷静に返した。

 

「時間がございませんので、我慢してください」

 

「《静刻歩》」

 

 世界が、完全に静止した。

 

 角から現れようとしていた警備兵。

 廊下を舞う埃。空気の流れ。全てが止まる。

 

 そして。

 直哉の隣にいたノアも、直哉に首根っこを掴まれた少しマヌケな姿勢のまま、完全にピタリと停止していた。

 

 直哉は、内心で突っ込んだ。

 

(……これ、客観的に見ると、完全に親猫が子猫の首くわえて運んでるみたいだな)

 

 直哉は、ノアを片手でブラブラと抱えたまま、静止した警備兵の真横を悠々と通過した。

 そのまま角を二つ曲がり、階段を下りて、完全に安全な死角の地点まで移動する。

 

 そして。

 時間停止を、解除した。

 

 ノアの視点からすれば、それは完全に『ワープ』だった。

 

「…………」

 

 ノアは、周囲の景色が数瞬の間に一変したことに、一瞬だけ目を白黒させた。

 さっきまで、第一警備区画の廊下の手前にいたはずなのに。

 次の瞬間の瞬きで、すでに地下の別の階段の下にいるのだ。

 

 ノアは、周囲を見回して、思わず本音を漏らした。

 

「うわ」

 

 一拍置いて。

 

「……クッソ楽だわー、これ」

 

 エレノアが、冷ややかな声で注意する。

 

「ノア。真面目にしてください」

 

 ノアは、めちゃくちゃ真顔で言い返した。

 

「いや、俺は常に真面目だぜ?」

 

 ノアは、周囲の安全を確認しながら呆れたように言った。

 

「俺、これまで潜入とか暗殺の仕事、世界中で結構な数やってきたけどさ」

 

「厳重な警備員たちを全員強制的に時間ごと止めて。その真横を、一切の痕跡も残さずに鼻歌交じりで素通りできる仕事とか、人生で初めてだもん」

 

 直哉の内心は、(まあ、そりゃそうだろうけど)と少しだけ得意げだった。

 

 ノアが、本気で提案してくる。

 

「これ、毎回俺の仕事にお前を連れてきたら、俺の仕事めちゃくちゃ楽になって儲かるな。どう?」

 

 エレノアは、即答した。

 

「お断りいたします」

 

 そこから先、潜入のペースは劇的に加速した。

 

 人が少ない安全な区画は、ノアの暗殺者の技術で普通に先導して進む。

 人が多い区画。監視の厳しい一本道の通路。交差して巡回する複数の警備隊。

 そういった『本来なら突破不可能な難所』だけを、エレノアがノアの首根っこを掴んで、時間停止で強引にショートカットしていく。

 

 ノアからすると。

 

 廊下を歩く。

 ↓

 瞬きをする。

 ↓

 階段の下にいる。

 ↓

 瞬きをする。

 ↓

 全く別の棟にいる。

 

 という、ほぼ瞬間移動の連続だった。

 

 ノアは、何度も深いため息をついた。

 

「やっぱ反則だろ、お前のこの能力……」

 

 直哉の内心は、(Tier2のお前にだけは言われたくないわ!)と激しく反論していた。

 

 だが、王宮のさらに深部。

 王が幽閉されている旧拘禁区画へと近づくにつれて、警備の質と人数が急激に跳ね上がった。

 

 ノアが、壁際からそっと通路の様子を窺い、スッと手を上げて直哉を止めた。

 

「おっと」

 

 直哉が小声で尋ねる。

 

「?」

 

 ノアが、真剣な顔で言った。

 

「ここは、静かに行こうぜ」

 

 エレノアが、少しムッとして返す。

 

「今までも、十分静かに行動していたつもりですが」

 

「いや、そういう意味じゃねえよ」

 

 ノアが、プロとして説明する。

 

 ここから先は、配置されている警備員の数があまりにも多すぎる。

 時間停止を使って、全員を無視して強引に突破すること自体は、今のエレノアなら可能だ。

 

 だが。

 通過した際の風の痕跡。開け閉めされた扉。位置が不自然に変化した埃や空気の動き。

 そういった『不自然な超常現象の痕跡』が増えれば増えるほど、後から能力者の警備隊に「何かが侵入した」と気づかれる可能性が跳ね上がる。

 

「王様を見つけて、ゆっくりと話を聞く時間を確保するためにも。できる限り、『誰も侵入に気づいていない完璧な状態』を維持してえんだよ」

 

 直哉は深く納得した。

 

(なるほど。時間を止めれば全部解決、ってわけじゃないんだな)

 

 直哉は、ノアの暗殺者としての本職の判断を、素直に受け入れた。

 

 千里の観測で把握したルート通りに進む。

 

 かつて使われていた、古い拘禁区画。

 現在はほとんど使用されていないはずのその奥にだけ、異様なほど厳重な警備が敷かれていた。

 

 最後の重い鉄の扉。

 その前には、二人一組の武装した見張りが立っている。

 ここは、避けて通ることはできない。

 

 ノアが、小声で直哉に言った。

 

「ここは、俺がやる」

 

 エレノアが、確認する。

 

「殺害は――」

 

 ノアが被せ気味に答える。

 

「しねえよ。約束だろ」

 

 エレノアが、時間を止める。

 見張りの兵士たちの死角となる、二人の『間』の空間へ。直哉はノアを抱えて運び、ベストな位置に彼を立たせた。

 

 そして、停止を解除する。

 

 その瞬間。

 ノアの身体が、爆発的な速度で動いた。

 

『ドスッ!』『ゴッ!』

 

 一人目の首筋。二人目の、急所を外した腹部への強烈な打撃。

 二人の見張りは、何が起きたのか全く理解できないまま、声すら出すことなく一瞬で意識を刈り取られた。

 

 ノアは、崩れ落ちそうになる二人の大柄な兵士の身体を、両腕で同時に支え、音を立てないように静かに床へと横たえた。

 

 ほぼ、無音の制圧劇だった。

 

 直哉は、内心で戦慄していた。

(うわ……えぐっ)

 これが、プロの暗殺者としての本物の技量。強力な異能を使ったわけではない。ただの純粋な『暴力の技術』で、これだ。

 

 ノアは、倒れた二人の首筋に触れ、呼吸と脈を素早く確認した。

 そして、彼らが持っていた武器と、扉の鍵らしきものを回収する。

 

「OK」

 

 エレノアが近づく。

 

「ご無事ですか?」

 

「こいつら?」

 ノアが顎で示す。

「ああ。普通に寝てるだけ。死んじゃいねえよ」

 

 ノアは、周囲を素早く見回して言った。

 

「次の見張りの交代まで、まだかなり時間がある。途中の奴らにも、一切気づかれてねえ」

 

 ノアは、重い鉄の扉を見上げた。

 

「しばらくは、中でゆっくり話せるはずだ」

 

 一拍置いて。

 

「行こうぜ」

 

 回収した鍵と、見張りが持っていた認証具を使って、牢の扉を開ける。

 

 中は、千里の観測で見た通りの光景だった。

 冷たい石の壁。簡素な衣服。

 そして、手首にはめられた見慣れない重厚な拘束具。

 

 疲労の色は濃いが、それでもなお、王としての揺るぎない威厳を保った男が。

 硬い寝台の上に座っていた。

 

 アルフォンス公王。

 

 扉の音に気づき、アルフォンスがゆっくりと立ち上がりかけた。

 そして、その顔が完全な驚きに染まった。

 

 突然現れたのは。

 見張りの交代の兵士でも、公爵の使いでもない。

 

 ラフな格好をした十四歳ほどの少年に。

 銀髪で、クラシカルなメイド服を着た女性。

 

 王の頭では、全く理解できない組み合わせだった。

 

 アルフォンスは、鋭い警戒の目を向けた。

 

「……君たちは、何者だ?」

 

 当然の反応だ。

 エレノアが、静かに一歩前に出て、非の打ち所のない完璧な礼をした。

 

「アルフォンス公王陛下で、間違いございませんね」

 

 アルフォンスは、短く答えた。

 

「ああ。そうだ」

 

「我々は、アメリカ合衆国政府より依頼を受け、潜入して参りました」

 

 その言葉に、王の表情が劇的に変わった。

 

 エレノアは、今回の正式な任務の内容を、簡潔に説明した。

 

「第一に、陛下の安否の確認」

「第二に、現在の政務の委任が、陛下ご自身の自由意思によるものかどうかの確認」

 

 そして。

 

「もし、不当に拘束されている場合には。状況に応じて陛下をこの場から救出し、安全なアメリカ側へと保護するようにと、大統領より直接依頼されております」

 

 アルフォンスは、大きく目を見開いた。

 

「……アメリカが……ウォーレンが、動いてくれたのか」

 

 王の顔に、初めて明確な安堵の色が浮かんだ。

 だが、彼はすぐに扉の方を見た。

 

「見張りの兵士たちはどうした?」

 

 ノアが、肩をすくめて答えた。

 

「寝てもらったよ」

 

 王の顔が強張る。

「殺したのか?」

 

「いや。しばらく起きないだけ。誰にも気づかれずにここまで来た。今なら、ゆっくり話せるぜ」

 

 アルフォンスは、しばらくの間、二人の顔を交互に見つめていた。

 

 やがて。

 彼は、深く息を吐き出して、再び寝台へと腰を下ろした。

 

「……そうか」

「ウォーレンが動いてくれたのなら、本当に助かる。感謝する」

 

 直哉としては、まず依頼を達成するために必要な質問をしなければならない。

 

 エレノアが、静かに問う。

 

「では、確認させていただきます」

「現在の、ヴァルター・フォン・クロイツ公爵への政務委任は。陛下ご自身の、自由意思によるものでしょうか」

 

 アルフォンスは。

 一切の迷いなく、即答した。

 

「違う」

 

 一拍置いて。

 その重い口から、決定的な言葉が放たれる。

 

「直截に言おう」

 

「……この国で、クーデターが起きた」

 

 ノアが、ニヤッと笑った。

 

「やっぱりね。俺の予想通りじゃん。大当たり」

 

 エレノアが、窘めるように言う。

 

「ノア。不謹慎です」

 

「だって、九割九分そうだって言ったろ」

 

 エレノアが、さらに質問を重ねる。

 

「クーデターの理由を、お聞かせいただけますでしょうか」

 

 アルフォンス王が、静かに語り始めた。

 

 この百年ほどの間に、アルビオン公国とアメリカ合衆国との関係は、急速に、そして劇的に深まっていった。

 貿易、医療、技術、教育。そして何より、吸血鬼にとって不可欠な血液の安定供給のネットワーク。

 

 王は、それを。

『公国が、閉ざされた暗い異次元の世界から抜け出し。人間と共に、安定して平和に繁栄するための唯一の道だ』と考え、推進してきた。

 

 だが。

 旧来の、伝統と誇りを重んじる吸血鬼の貴族階級の一部は、違った。

 

「アメリカという巨大な人間国家への依存が、強すぎる」

「我々吸血鬼の、誇り高き文化が失われる」

「王家は、人間の国家に媚びへつらっているだけだ」

「このままでは、公国はアメリカの実質的な『属国』になってしまう」

 

 そう考える急進的な勢力が、軍の内部を中心に、徐々に形成されていった。

 その不満分子の中心にいたのが。

 

 ヴァルター・フォン・クロイツ公爵。

 

 王が、悔しそうに顔を歪める。

 

「奴とは……本当に、長い付き合いだったのだ」

「政治のやり方で意見が対立することはあっても。この国の未来と、民を思う気持ちだけは、私と同じだと……そう、信じていた」

 

 だからこそ。

 王は、彼の不穏な動きに気づきながらも、決定的な裏切りを直前まで許してしまったのだ。

 

 ノアは、王の政治談義にこれ以上深入りするつもりはなかった。

 

「……事情は、だいたい分かった」

 

 ノアが、王を見た。

 

「じゃあ王様。とりあえず、こんなカビ臭いところ、さっさと出ようぜ」

 

 直哉も、内心で深く同意していた。

 

 正式任務の条件は、全てクリアした。

 王が不当に拘束されている。クーデターも本人から確認した。

 もう、救出の条件は完全に満たしている。

 あとは、この王を連れて、安全にアメリカへと帰れば、仕事は終わりだ。

 

 だが。

 アルフォンス王の顔が、険しいものに変わった。

 

「待て」

 

 ノアが眉をひそめる。

 

「何?」

 

 王の口から出た第一声は、直哉の予想の全く斜め上を行くものだった。

 

「……私は、ここへ閉じ込められてから、外の時間を正確に把握できていない」

 

 地下の牢獄。時計もない。外のニュースも一切入ってこない。

 

 王が、切実な目で二人を見た。

 

「私がここへ入れられてから、一体どれほどの時間が経った?」

 

 ノアが答える。

 

「陛下が公の場から消えて、だいたい二ヶ月ってところだ」

 

 王の顔色が、一瞬にして青ざめた。

 

 そして。

 王は、信じられないような言葉を口にした。

 

「……アメリカは?」

 

 ノアが、ポカンとした顔になる。

 

「は?」

 

「アメリカは、まだ無事なのか!?」

 

 ノアが、怪訝そうに聞き返す。

 

「……いや、普通に無事だけど」

「何言ってんの、王様? アメリカが無事じゃないって、どういうことだよ」

 

 直哉も、内心で(……アメリカが?)と、完全に話の展開に置いていかれていた。

 

 アルフォンス王が、その言葉を聞いて、心底安堵したように息を吐き出した。

 

「そうか……」

「ならば、まだ間に合う可能性がある」

 

 ノアが、少し苛立ったように問う。

 

「だから、何の話をしてんだよ」

 

 王の目が、恐ろしいほどの真剣さを帯びた。

 

「クロイツの、『本当の目的』の話だ」

 

 ここから、王の口から語られた真実は。

 直哉の予想を遥かに超える、絶望的なものだった。

 

「クーデターは、奴の最終目的ではない。単なる『手段』に過ぎない」

 

「クロイツが本当にやろうとしているのは」

 

「アルビオン吸血鬼公国という、この広大な異次元領域そのものを」

 

「アメリカ側の、現実の空間へと……『完全に移す』ことだ」

 

 ノアが、目を丸くした。

 

「……国ごと?」

 

 王が頷く。

 

「ああ」

 

「ただの空間移動ではない。『上書き』だ」

 

 公国と、地球側は、全く別の空間座標にある。

 公国側の領域を、そのまま地球側へと強制的に成立させる。

 

 問題は。

 その転写先の座標には。

 すでに、『アメリカの土地』が存在しているということだ。

 

 街。道路。建造物。

 そして、そこに住む大量の人間たちが。

 

 王が、悲痛な顔で言った。

 

「二つの全く異なる空間を、同じ座標に同時に存在させることなど、物理的に不可能だ」

 

 つまり。

 公国が現実世界に成立した部分は。

 もともとそこにあったアメリカ側の現実を、優しく押し退けるのではなく。

 無慈悲に、完全に『上書きして消滅させる』のだ。

 

 ノアの顔から、完全に表情が消えた。

 

「……上書き?」

 

「そうだ」

「最悪の場合、境界周辺のアメリカの市街地が、そこに住む人間ごと、その土地ごと、完全にこの世界から消え去る」

 

 正確な被害範囲は、王にも分からない。

 計画が現在どこまで進行しているのかも、知らない。

 しかし。公国側のこれほど広い領域を現実世界へ固定するつもりなら、小さな街一つが消える程度では絶対に済まない。

 

 直哉は、完全に言葉を失った。

 

「…………」

 

 ここで、直哉の脳裏に。

 ホワイトハウスでNSAの長官が説明していた、あの言葉がフラッシュバックした。

 

『通常は使われない、古い境界安定化設備までが一部フル稼働している』

 

 あの時は、みんな「国境封鎖のためだろう」と考えていた。

 

 直哉は、戦慄した。

 

(……あれか!)

 

 エレノアの口から、緊迫した声が出る。

 

「境界安定化設備の、不自然な異常稼働……あれは、そのための準備なのですか?」

 

 王が、重く頷いた。

 

「おそらくな」

 

 ホワイトハウスで聞いた境界設備の異常が、王の説明と一本に繋がった。

 

 直哉が問う。

 

「なぜ、クロイツはあなたを殺さずに、生かしておいたのですか?」

 

 王家は代々、公国そのものを安定させる『中枢機構』を管理してきた。

 クロイツ一人の権限だけでは、その最深部のシステムへは触れられなかったのだ。

 だから、王を殺さなかった。

 王本人の認証。王家の血。王権に結びついた権限。

 それらを強制的に利用するためだ。

 

 王が、悔しそうに唇を噛んだ。

 

「奴らは私を利用して、中枢への初期接続を開いた」

 

 ノアが、即座に結論を出す。

 

「じゃあ、王様をここから連れ出せば、その計画は止まるんだな?」

 

 しかし、王は苦い顔で首を振った。

 

「……いや」

 

「すでに、起動のための権限の大部分は、クロイツ側のシステムへと移譲されてしまっている」

「私をここから救出したところで、準備そのものはもう止まらない」

 

 現在、計画がどこまで進んでいるか分からない。

 

 つまり、王をここから連れ出すだけでは、クロイツの計画は止まらない。

 

 アルフォンスが、重い口を開いた。

 

「……止めなければ」

 

「クロイツを、止めなければならない」

 

 王は、ふらつく足で立ち上がろうとした。

 重い拘束具。長期の幽閉で、体力も著しく落ちている。

 

「このままでは、アメリカの罪のない民が――」

 

 ノアの声が。

 冷たく、低く、遮った。

 

「待って」

 

 それは、完全にプロの仕事人の、冷静な判断の声だった。

 

「今のクロイツって、戦闘力はどれくらい強いの?」

 

 王が答える。

 

「奴自身の能力は、Tier2だ」

 

 これは、アメリカ情報とも一致している。

 だが。

 現在のクロイツは、違う。

 

「クロイツは今、公国中枢の境界機構と直接接続している。そこから、国家の領域に蓄積された莫大な権限と因果律改変の規模を、外付けで引き出している状態だ」

 

 王が、絶望的な事実を告げた。

 

「奴自身の格が上がったわけではない。だが、中枢と接続している間に行使できる力の規模は――」

 

 一拍置いて。

 

「『Tier1級』に達している」

 

 重い、重い沈黙が流れた。

 

 直哉は。

「…………」

 

 ノアも。

「…………」

 

 一秒後。

 

 ノアは、即決した。

 

「よし、逃げるぞ」

 

 王が呆然とする。

「…………」

 

 直哉も呆然とする。

「…………」

 

 エレノアが、思わず突っ込んだ。

 

「随分と、早いご判断ですね」

 

 ノアが、声を荒らげた。

 

「当たり前だろ!!」

 

「相手はTier1だぞ!? 俺はTier2!」

 ノアが王を指差す。

「王様も、今こんなボロボロ!」

 ノアがエレノアを指差す。

「お前も、今のメイドの姿はTier2!」

 

 そして。

 

「勝てるわけねえじゃん!! 自殺行為だわ!」

 

 これは、極めて健全で、真っ当な判断だった。

 

 だが、アルフォンスは、それでもアメリカ市民を案じていた。

 

「だが!」

 

 王が、初めて大きな声を荒らげた。

 

「このままでは、アメリカの民が!!」

 

 王にとって、アメリカは外国だ。

 それでも、長年交流してきた大切な友好国だ。

 留学生もいる。取引相手もいる。個人的な友人もいる。

 自分の国を救うために、何百万という彼らを犠牲にすることなど、王の誇りにかけて絶対に認められない。

 

「私一人がここから逃げて、それで何になるというのだ!」

 

 だが、ノアは極めて現実的な反論を叩きつけた。

 

「だから、逃げるんだよ」

 

「何?」

 

「俺らがここで、無謀にTier1に突っ込んで、全滅して死んだら」

 

 一拍置く。

 

「アメリカは、この上書き計画の真実を、永遠に知らないまま巻き込まれるだろ」

 

 それが、決定打だった。

 王が、ハッとして口を噤む。

 

 ノアは、冷徹に言い放った。

 

「王様を連れて、今すぐアメリカへ戻る」

「大統領に直接、この計画の全てを説明する」

「境界の近くにいる住民を、今すぐ全力で逃がす」

「軍隊でも、アメリカの強力な能力者でも、向こうでできる迎撃の準備を全部やらせる」

 

 完全に阻止できなくても、被害を最小限に減らすことは絶対にできる。

 

「今からなら。全員は無理でも、逃がせる奴は確実にいるだろ」

 

 ノアは、自分の命が惜しいから逃げると言っているのではない。冷たいわけでもない。

 被害者と生存者の数を計算し、『生存者を最大化する』ための、プロとしての冷酷な最適解の判断なのだ。

 

 アルフォンスは、長く、長く黙り込んだ。

 

 自分がここから逃げる。

 クーデターを止めず。

 自分の公国を置いて。

 外国へと逃げ延びる。

 

 王としては、あまりにも受け入れ難い屈辱だ。

 

 だが。

 ここで無謀に戦い、貴重な情報を持った者が全滅すれば。

 アメリカ側の市民は、何も知らないまま、突然の死を迎えることになる。

 

 王は。

「…………」

 

 震える両の拳を、強く握り締めた。

 

 そして。

 

「……分かった」

 

 王は、ノアの目を真っ直ぐに見た。

 

「君の判断が、正しい」

 

 王は、苦渋の決断を下した。

 

「まず、私をアメリカへ連れ出してくれ」

「ウォーレンに、全てを話す」

「間に合う限り……住民を避難させてもらう」

 

 その声には、血を吐くような悔しさが滲んでいた。

 

「完全には救えずとも……救える命だけでも、救わねばならん」

 

 直哉は、その王の姿を見て、彼が本当に民を愛する『王』であることを理解した。

 

 ノアが、パチンと指を鳴らした。

 

「決まり」

 

 ノアが立ち上がる。

 

「じゃあ、王様連れてさっさと帰ろうぜ」

 

 これで、アメリカからの正式任務としても、完全に完璧な大成功だ。

 王の生存確認。本人接触。意思確認。クーデターの確定。

 そして、救出。

 さらに、国家存亡の危機という重大な情報を持ち帰る。

 

 もう、ここに残って戦う理由など、どこにもない。帰る理由しかないのだ。

 

 直哉も、一瞬。

 

(……それが、一番合理的で正しい判断だよな)

 

 と、素直に思った。

 

 しかし。

 直哉の頭の片隅に。

 

 Tier1。

 大量のアメリカ市民の命。

 国家規模の超絶的な転写現象。

『運命の成立結果を、これ以上ないほど劇的に変える可能性』。

 

 そして。

 直哉の脳裏に。

 

 過去の《因果変動記録》。

 黄金の通知。

 因果晶。

 ガチャ。

 

 その文字が、鮮烈に浮かんできた。

 

 もちろん。

 こんなバカげたことで、確実に報酬の石が出るという保証など、どこにもない。

 何をすれば、どれだけの石が出るのかも、完全にブラックボックスだ。

 

 でも。

 もし。

 

 この国家規模の巨大な被害を。

 自分が、ここで食い止めたら。

 

 直哉は。

「…………」

 

 ノアが、王の肩を支えて牢獄を出ようとした、その背中へ。

 

 エレノアが、静かに声をかけた。

 

「……私は、残ります」

 

 ノアの足が、ピタリと止まった。

 王も、驚いて振り返る。

 

 二人とも。

「…………」

 

 ノアが、完全に理解不能という顔で尋ねた。

 

「何言ってんの?」

 

 それは、怒りでも焦りでもなく、純粋な『素』の疑問だった。

 

 ノアが、必死に説得にかかる。

 

「おい、相手はTier1だぞ?」

 

 エレノアは、涼しい顔で答える。

「存じております」

 

「お前、今そのメイドの姿、Tier2じゃん」

「はい」

 

「じゃあ、何で残るんだよ!! 勝てねえってさっき言っただろ!」

 

 エレノアは、静かに答えた。

 

「私には、Tier1に対抗できる可能性のある『手札』が、一つございます」

 

 ノアが、完全に言葉を失った。

「…………」

 

 ノアの顔に、とてつもなく嫌な予感が浮かぶ。

 

「……何それ」

 

 エレノアは、平然と答えた。

 

「一昨日、新しく増えました」

 

 ノアが絶叫した。

 

「お前、また手札増えてんの!?」

 

 王は。

「…………?」

 完全に、この二人の会話に置いていかれていた。

 

 ノアが、頭を抱えながら確認する。

 

「……そいつの、Tierは?」

 

 エレノアが答える。

 

「現地登録Tier、1です」

 

 ノアが、少しだけ動きを止めた。

「……マジかよ。……で、そいつを使ったことは?」

 

 エレノアが、即答する。

 

「一度もございません」

 

 ノアが、再び絶叫した。

 

「ダメじゃん!!」

「お前、初使用のぶっつけ本番で、Tier1のバケモノと戦おうとしてんの!?」

 

 エレノアは、少しだけ目を伏せた。

「その点につきましては、私も多少の懸念を抱いております」

 

「多少じゃねえよ!! 死ぬぞ!」

 

 ノアが、真顔になって尋ねた。

 

「つーかさ」

 

「なんでお前、そこまでしてこの国に残るんだよ?」

 

「王様を無事に連れて帰って、あとの戦闘はアメリカ側に任せればいいだろ。俺たちの仕事はそこまでだ」

 

 直哉は。

「…………」

 

 ここだ。

 直哉は、一拍置いた。

 

 そして。

 エレノアの、どこまでも澄み切った、美しい声で答えた。

 

「……石が」

 

 ノアが。

「は?」

 

 王が。

「……石?」

 

 直哉は、真剣な顔で言った。

 

「これほど大きな事態を未然に阻止できれば」

 

「ガチャの石が、いただけるかもしれませんので」

 

 完全な、無音の沈黙が落ちた。

 

 ノアは。

「…………」

 

 王も。

「…………」

 王は、完全に困惑していた。

「ガチャの……石……?」

 

 ノアは、深く額を押さえて、絞り出すように言った。

 

「石とか、意味分かんないこと言うなよ!! アホかお前は!!」

 

 直哉が反論する。

「ですが――」

 

「何言ってんだ、お前は! 命懸けで残る理由がガチャ石って、頭おかしいのか!?」

 

 十四歳の暗殺者に、三十四歳の大人がガチで怒られていた。

 

 直哉自身も、さすがにハッとした。

 

(……あれ?)

(俺、今、Tier1のバケモノと命懸けで戦う理由として、『ガチャ石が欲しいから』ってバカ正直に言った?)

(さすがに、理由としてサイコパスすぎないか?)

 

 直哉は、自分の発言の異常さに気がついた。

 

 直哉は、コホンと一度咳払いをして。

 

 エレノアの姿で、背筋をピンと伸ばした。

 

「……訂正いたします」

 

 キリッとした、正義感に溢れる顔。

 

「全ては、アメリカ国民の命を守るためです」

 

 ノアが、激しくツッコミを入れた。

 

「今さら取ってつけたようにカッコつけんなよ!!」

 

 直哉の内心が叫ぶ。

(うるせえ! それも本当の理由なんだよ!!)

 

 ノアがキレる。

「お前、最初に『石』ってハッキリ言ったじゃん!」

 

 エレノアが、冷たく言い放つ。

「忘れてください」

 

「無理だよ!!」

 

 王は。

「…………」

 彼らが何の話をしているのか、全く理解できずに立ち尽くしていた。

 

 だが、直哉は完全にギャグだけで残るわけではない。

 

 エレノアが、真面目な声で言った。

 

「石……いえ、それも理由の一つですが。アメリカ国民への被害を懸念していることも事実です」

 

「このまま私たちが何もせずに退避すれば、どれだけ急いでも、避難が間に合わずに消滅に巻き込まれる方々が必ず出ます」

 

「そして」

 

「私には、今のこの状況を、被害ゼロで食い止められるかもしれない『Tier1の手札』がある」

 

 なら。

 試す価値は、十分にある。

 

 もちろん、危険だ。

 初使用のキャラクター。未知数の能力。

 だが、何の勝ち目もないまま、無謀に特攻して残るわけではない。直哉なりには、勝算を計算しているのだ。

 

(まあ、因果晶への欲がかなり混ざってることは否定しないけど)

 

 ノアは、深いため息をついた。

 

「……いや、お前が言いたい理屈は分かるけど」

 

 一拍置いて。

 

「結局、お前、本当は石が欲しいんだろ」

 

 エレノアは、静かに答えた。

 

「否定はいたしません」

 

「そこは否定しろよ!」

 

 アルフォンス王が、ようやく二人の会話に口を挟んだ。

 

「……すまない」

 

 王は、心底申し訳なさそうな顔で言った。

 

「私には、君たちの言うその『石』という概念が何なのか、全く理解できないのだが……」

 

 直哉が優しく返す。

「お気になさらないでください」

 

 ノアが突っ込む。

「いや王様、そこは気にした方がいいと思うよ」

 

「ノア」

「はいはい」

 

 王は、完全に困惑していた。

 でも。

 一つだけは、ハッキリと理解できた。

 

 このメイド服の女性は。

 自分たちが安全なアメリカへと逃げた後も、たった一人でこの敵地に残り、強大なクロイツを止めようとしてくれているのだ。

 

 王が、静かに言った。

 

「……君がこの国に残る理由については、正直なところ、私には全く理解できぬ」

 

 直哉の内心が、(ちょっと傷つくわ!)とボヤいた。

 

「だが」

 

 王が、エレノアの目を真っ直ぐに見た。

 

「君がここに残り、アメリカの民を救うために戦ってくれるというのなら」

 

 公王が。一国の主が。

 一介の外国人である能力者に対して。

 

 深く、深く、頭を下げた。

 

「頼む」

 

「どうか……クロイツを、止めてくれ」

 

 直哉は、エレノアとして、完璧な礼で応えた。

 

「承知いたしました」

 

 ノアが、横からボソッと呟いた。

 

「絶対、石も欲しいくせに」

 

「ノア」

「はいはい」

 

 ノアが、王の手首にはめられていた拘束具を、手際よく解除した。

(見張りの兵士から奪った鍵を使ったのか、暗殺者の専門技術なのかは分からないが)

 

 拘束具が外れ、王の能力もいくらかは戻ったはずだが。長期の幽閉で体力が落ちているため、戦闘には参加させない。

 ノアが、王の肩に自分の肩を貸して支える。

 

 牢を出る直前。

 

 ノアが、振り返ってエレノアを見た。

 

「念押しするけどな」

 

「俺は、逃げるからな」

 

「王様連れて、全速力でアメリカへ戻る。お前が、勝手に一人で残るだけだからな」

 

 エレノアは、微笑んで頷いた。

 

「承知しております」

 

「俺のせいにすんなよ」

「いたしません」

 

 ノアが、王を支えて出口の方へと歩き出す。

 

 数歩。

 

 ノアの足が、止まった。

 背中を向けたまま。

 

「…………」

 

 直哉が首を傾げる。

「?」

 

 ノアが、小さく、ポツリと言った。

 

「……死ぬなよ」

 

 直哉は、少しだけ驚いて目を見張った。

 

 ノアが、バッと振り返った。

 今度は、大きな声になりそうなのを必死に抑えながら、早口で言った。

 

「マジで死ぬなよ!」

 

「お前に死なれたら、俺の気分が最悪に悪いからな!」

 

 直哉の内心は。

(……こいつ)

 

 なんだかんだで、少しだけ嬉しかった。

 

 ただし、エレノアの口調は、あくまで完璧なメイドのものだ。

 

「善処いたします」

 

 ノアが、不満そうに顔を歪めた。

 

「そこは、『絶対に死なない』ってハッキリ言えよ!」

 

 ノアは、最後まで締まらない悪態をつきながら、王と共に地下の暗がりへと消えていった。

 

 ノアとアルフォンス王の気配が、完全に遠ざかる。

 地下区画に、エレノア一人だけが残された。

 

 完全な静寂が訪れる。

 

 直哉は、深く息を吐き出した。

 

(さて)

 

 視界の《因果集結クロニクル》を呼び出す。

 

 そして。

 一度、《ヴェルミリア・ノクス》のアイコンへと視線を向けたところで。

 

 直哉の指が止まった。

 

(……いや、待て)

 

 これから向かう相手は、国家中枢と接続してTier1級の力を引き出しているクロイツだ。

 しかも、肝心のヴェルミリアは一度も使ったことがない。

 

(さすがに、敵が今どこで何してるかも確認せずに、初使用のTier1で突っ込むのはアホだろ)

 

 直哉は、すぐに考えを切り替えた。

 

 まずは、偵察。

 

 《因果集結クロニクル》の編成から、御影千里を選択する。

 

『【CHARACTER CHANGE】』

 

 青白い光が弾けた。

 

 長身の銀髪のメイドから。

 特殊な観測官の制服を身につけた、小柄な女性へ。

 

 御影千里。

 

 直哉は、ホワイトハウスの会議室で見た一人の男の顔を思い浮かべた。

 

 ヴァルター・フォン・クロイツ。

 

「《広域索引》」

 

 千里の意識が、王宮の内部へと一気に広がっていく。

 

 王宮。

 地下。

 さらにその奥。

 

 そして。

 

(……いた)

 

 クロイツは、王宮地下からさらに深い場所へと続く、巨大な中枢区画にいた。

 

 だが。

 直哉の目を奪ったのは、クロイツ本人だけではなかった。

 

 その周囲。

 

 巨大な境界設備が、何基も同時に稼働している。

 

 ホワイトハウスで説明を受けた、通常なら使われていないはずの古い予備設備まで。

 低い振動を響かせながら、一つの中枢へと接続されていた。

 

 さらに。

 

 直哉の視界の中で。

 石造りの巨大な地下空間の景色が、一瞬だけ揺らいだ。

 

「…………」

 

 次の瞬間。

 

 本来そこには存在しないはずの、アメリカ側の景色が重なった。

 

 舗装された道路。

 街灯。

 遠くに並ぶ建物。

 

 それらが、半透明の幻のように公国の地下空間へ重なって見える。

 

 ほんの一瞬。

 

 すぐに、元の石造りの地下空間へ戻る。

 

 だが。

 

 数秒後。

 もう一度。

 

 今度は、さっきよりも長い。

 

 アメリカ側の街並みと、アルビオン公国の空間が。

 同じ場所に、同時に存在しようとしている。

 

 直哉の背筋に、冷たいものが走った。

 

(……まずい)

 

 王が言っていた。

 

『上書き』

 

 その言葉が、脳裏に蘇る。

 

(これ、もう準備してる段階じゃない)

 

(始まりかけてる……!)

 

 千里は、さらに観測を続ける。

 

 中枢区画では、クロイツの周囲にいた兵士や技術担当らしき人間たちが、次々と外側へ退避している。

 一方で、巨大な境界設備の稼働は止まるどころか、さらに激しくなっていく。

 

 そして。

 

 公国とアメリカの景色が重なっている時間も。

 少しずつ、確実に長くなっていた。

 

 直哉は息を呑んだ。

 

(思ってたより、ずっと進んでる!)

 

 千里の口から、低い声が漏れた。

 

「……時間が、ございませんね」

 

 直哉は、すぐに《天眼》を解除した。

 

 クロイツの現在位置は分かった。

 儀式の進行状況も、少なくとも悠長に準備していられる段階ではない。

 

 ここから先は。

 戦闘だ。

 

 直哉は《因果集結クロニクル》の《編成》を開いた。

 

 編成可能枠は、三つ。

 

 まず。

 

『★★★★★ エレノア・ヴァイス《時界の従者》』

 

 クロイツのいる中枢へ、最短で到達するための手札。

 王宮内部の兵士たちと一々戦っている時間はない。

 

 次。

 

『★★★★★ 白峰レイジ《蒼律の執行官》』

 

 実戦経験のあるTier2。

 未知の攻撃や事象へ対応できる《既判適応》を持つ、万が一のための保険。

 

 そして。

 

 直哉の視線が、最後の一枠で止まった。

 

『★★★★★ ヴェルミリア・ノクス《血月の残神》』

『Lv.20』

『現地登録Tier:1』

 

 本命。

 

 一昨日引いたばかり。

 一度も変身していない。

 一度も戦ったことがない。

 

 だが。

 

 今の直哉が持っている手札の中で。

 Tier1級のクロイツへ、真正面からぶつけられる可能性があるのは彼女だけだ。

 

 直哉は、三人の編成を確定した。

 

『エレノア・ヴァイス』

『白峰レイジ』

『ヴェルミリア・ノクス』

 

(……よし)

 

 千里の役目は、ここまで。

 

 今度は、クロイツのところまで急がなければならない。

 

『【CHARACTER CHANGE】』

 

 圧倒的な黄金色の光の粒子が、千里の身体を包み込む。

 

 光が収まる。

 

 そこには再び。

 銀髪のメイド長、エレノア・ヴァイスが立っていた。

 

 直哉の頭には、千里が最後に見た光景が焼き付いている。

 

 公国と。

 アメリカ。

 

 二つの世界が。

 少しずつ、重なり始めていた。

 

(急がないと、マジで間に合わない)

 

 エレノアが、静かに一歩を踏み出す。

 

「《静刻歩》」

 

 音が消えた。

 

 世界が止まる。

 

 直哉は、クロイツの待つ公国中枢へ向かって、一気に走り出した。




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