俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~   作:パラレル・ゲーマー

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第43話 国家級の仕事が終わったので日本へ帰ります

 アルビオン吸血鬼公国の王宮の跡地。

 崩壊した中枢設備の中心で、クロイツの無力化と転写儀式の完全停止を確認した後。

 

 直哉は、合流したノアの前で、すぐにヴェルミリア・ノクスの姿から、元々の潜入任務の姿であるエレノア・ヴァイスへとキャラクターを戻した。

 

 ノアは、アルフォンス王をすでに緊急境界路まで送り届け、アメリカ側で待機していた政府関係者へと引き渡した後、直哉の安否を確かめるために王宮へ戻ってきていた。

 今度は、直哉を伴って、再び二人でその緊急境界路へと向かう。

 

 崩壊した王宮の方からは、王党派の生き残りや、公王の無事を知った軍の正規の関係者たちが、慌ただしく混乱の収拾に動き始めている気配があった。

 

 だが、直哉たちはそこへは一切首を突っ込まない。

 

 ノアが、ポケットに手を入れたまま言った。

 

「ここから先は、王様とあの国の連中が自分たちでやる仕事だろ」

 

 エレノアが、静かに同意する。

 

「そうですね」

 

 直哉自身も、これ以上この国で何かをしてやる義理も、戦う気も全くなかった。

 

 直哉の内心は、完全に気が抜けていた。

 

(終わった……。マジで死ぬかと思ったわ……)

 

 そして、コンマ一秒後には。

 

(……石、三万二千)

(二百連……ヒャッハー……)

 

 直哉の思考は、国家の行く末などそっちのけで、完全に右上の眩い数字の方へと寄りかかっていた。

 

 緊急の境界路を通過し、アメリカ側へと戻る。

 

 ワシントンD.C.の地下の秘匿施設では、すでにアルフォンス王から直接情報を受けたアメリカ政府関係者たちが、蜂の巣をつついたような大混乱で動いていた。

 

 本来ならば行われるはずだった、境界周辺地域の数万人規模の緊急避難勧告。

 アメリカ軍および直属の能力者部隊の防衛展開。

 最悪の事態を想定した、大規模災害への準備。

 

 これらは全て、ノアと直哉からの『転写儀式停止』の第一報によって、最悪の段階へと進む前にギリギリで止められていた。

 ただし、万が一の余波に備えた警戒態勢自体は、依然として継続されている。

 

 アルフォンス王、ノア、そしてエレノア姿の直哉の三人は。

 数時間前にブリーフィングを受けた、ホワイトハウス複合施設内の秘匿会議室へと再び案内された。

 

 そこは、数時間前とほぼ同じメンバーが揃っている部屋だ。

 

 ただ、部屋の空気は全く違った。

 数時間前は、「何が起きているのか分からない。とにかく急いで確認してくれ」という、焦燥と悲壮感に満ちた重い会議だった。

 

 だが、今は完全に。

『未曾有の国家規模の危機を未然に防ぎ、事件が全て終わった後の報告会』という、安堵の空気に包まれていた。

 

 ロバート・“ボブ”・ウォーレン大統領が、上座から立ち上がった。

 

 今回だけは、彼は『ノアの個人的な友達』としてではなく。

 世界最強の超大国、『アメリカ合衆国大統領』としての威厳ある顔で、直哉の目を見た。

 

 少しだけ、真面目な、そして重みのある空気が流れる。

 

「ナオ」

 

「今回は、本当に助かった」

 

 エレノアは、完璧な姿勢のまま無言で大統領の目を見返す。

「…………」

 

 大統領が、言葉を続ける。

 

「君が、一人で敵地に残り、あのクロイツの狂行を止めてくれなければ。多くのアメリカ国民が……今日、自分たちに何が起きたのかすら全く理解できないまま、街ごとこの世界から消滅して、無残な被害に遭っていた」

 

 さらに、大統領は深く頭を下げた。

 

「アメリカ合衆国大統領として」

 

「改めて、君の勇気と働きに、心からの感謝を伝えさせてほしい」

 

 直哉の内心は。

(うわぁぁぁぁぁ……! アメリカ大統領本人から、直接正式に頭を下げられてお礼を言われてる……!)

 という、三十四歳の平凡な日本人として、人生で二度と経験しないであろう圧倒的な状況に、激しい感動を覚えていた。

 

 だが。

 同時に。

 

 直哉の頭の中には。

(……でも俺、もうシステムから三万二千石(二百連分)もらったんだよな……)

 という、ガチャゲーマーとしての『謎の完全な満足感』が満ち溢れていた。

 

 だから、エレノアは。

 欲の欠片も見せない、完璧な淑女として、優雅にスカートの裾をつまんで一礼した。

 

「いえ」

 

「少しでも、皆様のお役に立てたのでしたら、私としては何よりでございます」

 

「どうか、お気になさらず。当然の務めを果たしたまでです」

 

 その姿は、報酬も名誉も一切求めない、気高き無私の英雄のように見えた。

 

 ウォーレン大統領が、感心したように少し表情を緩めた。

 

「君のような素晴らしい能力者が、報酬も求めずに危険な任務に就いてくれたことには、心から敬意を表するよ」

「しかし、これは困ったな」

 

 ノアが、ソファに深く座りながら尋ねた。

 

「何が?」

 

 大統領が、ノアを見た。

 

「ここまで国のために大きな働きをしてもらって。最初に決めた『単なる潜入と救出任務の基本報酬』だけを支払うというのもな」

「それでは、我々アメリカ政府の面子が立たん。多少は、追加で報酬を弾まないといけないだろう」

 

 直哉の内心が、ピクッと反応した。

 

(えっ。追加で、ボーナスの日本円がもらえるの?)

(百万円? それとも一千万円とか……?)

 

 一瞬だけ、現金の魅力に思考が揺れる。

 しかし。

 

(……いや)

(俺、さっき石を三万二千個ももらったしな)

(しかも次の星5は紫苑確定だし。これ以上、アメリカ政府から現金のボーナスまで貰うのは、なんかバチが当たりそうだし、欲張りすぎな気がするわ)

 

 直哉の、ゲーマーとしての満足度は、すでに限界を突破してカンストしていた。

 

 直哉がどう答えるか迷っていると。

 隣のノアが、勝手に話を進め始めた。

 

「俺は別に、追加の報酬なんていらねえよ。いつも通り、最初に決めた金額だけでいいぜ」

 

 ウォーレン大統領が、怪訝な顔をした。

 

「……お前が勝手に決めるのか?」

 

 ノアは、当然のように言った。

 

「だって、今回の件、最後はほとんどこいつが一人で全部やったようなもんじゃん」

 

 エレノアが、静かに訂正する。

 

「ノア。あなたも、公王陛下の安全な救出と、アメリカ政府への迅速な情報伝達という、極めて重要な役割を果たされたでしょう」

 

 ノアは、呆れたように鼻で笑った。

 

「俺、最後は王様抱えて走って逃げただけだぜ?」

「こいつ、一人でTier1と正面から殴り合って、結果的に敵の城ごとぶっ壊したんだけど」

 

 その言葉を聞いて。

 隣に座っていたアルフォンス公王が、少しだけ微妙な顔で目を伏せた。

 

 エレノアは、無言。

「…………」

 

 ウォーレン大統領も、無言。

「…………」

 

 一拍、気まずい沈黙が流れる。

 

 大統領が、恐る恐るアルフォンス王を見た。

 

「……アルフォンス」

「城は、本当に、そんなに酷く壊れたのか?」

 

 アルフォンス王は、深くため息をついて答えた。

 

「かなり、な」

 

 ノアが、横から無慈悲に付け加える。

 

「かなりどころじゃなかったけどね。原型留めてなかったぜ。更地になってた」

 

 直哉の内心は、冷や汗をかいていた。

(いや!! あれは敵のバフを剥がすために、物理的に中枢設備を破壊するしかなかったから、必要だったんです!! 不可抗力です!!)

 

 大統領が、苦笑して話題を戻した。

 

「それで、《ナオ》」

 

「君自身はどうだ?」

「今回の働きに対して、追加で何か希望する報酬や、お金はあるか?」

 

 エレノアは、ほぼ即答した。

 

「何もございません」

 

 大統領が、念を押す。

 

「本当に? お金でも、名誉でも、アメリカの永住権でもいいんだぞ?」

 

「はい」

 エレノアは、清々しい笑顔で言った。

「私は、すでに『十分すぎるほど』満足しておりますので。これ以上は望みません」

 

 ノアが、ジト目で直哉の方を見た。

 ノアだけは、直哉がどうしてそんなに満足しきっているのか、完全にその理由を理解している。

 

 ノアが、ボソッと呟いた。

 

「……石」

 

 エレノアの笑顔が、一瞬だけピクッと引きつった。

 

「…………」

 

 大統領が、首を傾げた。

 

「石? 宝石のことか?」

 

 ノアは、面倒くさそうに手を振った。

 

「いや、ボブは知らなくていい。こいつの超個人的な趣味の話だから」

 

 大統領は「?」と頭に疑問符を浮かべていた。

 

 アルフォンス王は、一瞬だけ眉を寄せた。

 そして、あの牢獄の中で直哉から直接「ガチャの石が……」という理解不能な言葉を聞かされたことを思い出したらしい。

 

「……ああ。あの、石か」

 

 もちろん、それが何なのかを理解したわけではない。

 ただ、その言葉に聞き覚えがあっただけだ。

 

 ノアが、王にも言った。

 

「王様も、別に気にしなくていいから」

 

 大統領は、結局これ以上無理に追及することはしなかった。

 

「分かった」

「君がそう言うなら、報酬の支払いは、事前にノアとの間で取り決めた通りの金額で処理させよう」

 

 アメリカ政府側から、「いや、受け取ってくれ!」と突然何億という大金を強引に押し付けるような真似はしない。

 

 代わりに。

 大統領は、少し真面目な顔へと戻り、エレノアの目を見た。

 

「ただし」

 

「これは、仕事の金銭的な報酬とは全く別の話だ」

 

「今後。君自身が、何か大きなトラブルに巻き込まれたり、個人の力ではどうしようもなく困るような事態が発生した時は」

 

「アメリカ政府として、可能な範囲で君に力を貸させてほしい」

 

 それは、「魔法のランプのように何でも一つ願いを叶えてやる」といったおとぎ話のような約束ではない。

 単純に、

『アメリカ合衆国政府という巨大な国家機関に、今回、極めて大きな「貸し」ができた』

 という、絶対的な事実の表明だった。

 

 直哉も、その政治的な意味の重さは十分に理解していた。

(……アメリカ政府に貸しか。すげえな)

 今すぐ何か、具体的な使い道を考えたりはしない。それは、万が一の時のための切り札だ。

 

 エレノアは、深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

「では、もしそのような機会がございましたら」

 

 大統領が笑う。

 

「遠慮するなよ」

 

 エレノアも、完璧なメイドの微笑みで返す。

 

「善処いたします」

 

 話題が、これからの公国の後始末のことへと移った。

 

 大統領が、アルフォンス王を見た。

 

「それで。アルフォンス、君の国の方は、本当に大丈夫なのか?」

 

 アルフォンス王が、力強く頷いた。

 

「ああ。問題ない」

 

「メインの設備には多少の修復が必要だが、公国という空間そのものが崩壊するようなことはない」

 

 大統領が、心底安心したように息を吐いた。

 

「そうか。それなら何よりだ」

 

 ノアが、無慈悲に突っ込む。

 

「まあ、城は物理的に崩れたけどね」

 

 エレノアは、無言で目を逸らした。

「…………」

 

 アルフォンス王は、「……城は、まあ」と言葉を濁し。

 

 一拍置いて。

 

「また、新しく建て直せばよい」

 

 と、少しだけ遠い目をして言った。

 

 直哉は、少し気になっていたことを尋ねた。

 

 エレノアが問う。

 

「公王陛下は、王宮を失った今。これからはどちらで政務を執られるおつもりですか?」

 

 アルフォンス王は、少し苦笑して答えた。

 

「首都の近郊に、王党派の協力者たちが密かに確保している住宅がいくつかある」

 

「当面の間は、そこを臨時の公邸として使い、国の立て直しを図ることになるだろう」

 

 ノアが、驚いたように言った。

 

「それって、ただの普通の家?」

 

 王が頷く。

 

「ああ。ごく普通の、民間の家だ」

 

 ノアが、少し面白そうに笑った。

 

「王様なのに?」

 

 アルフォンス王も、少しだけ笑って返した。

 

「あの冷たくてカビ臭い地下牢に比べれば、普通の家のベッドの方が、遥かに快適だろうからな」

 

 その言葉に、会議室の張り詰めていた空気が、少しだけふっと和んだ。

 

 そして、アルフォンス王は、静かに、しかし力強く付け加えた。

 

「城など、本当にどうでもいいのだ」

 

 王は、エレノアとノアを交互に見た。

 

「今回、我々の内乱によって、一般の市民に大きな被害が出なかった」

「アメリカの民にも。そして、公国の罪のない民にもだ」

 

 一拍、置く。

 

「私にとっては。それだけで、十分だ」

 

 直哉は、その王の言葉を聞いて。

(……ああ。やっぱり、この王様を助けた俺の判断は、間違ってなかったな)

 と、改めて心から思うことができた。

 

 ただし、男同士で長い感動的な描写に浸るようなことはしない。

 

 大統領が、机の上の資料をまとめながら言った。

 

「そういうことなら、我々アメリカ側も、これから色々と忙しくなりそうだな」

 

 アルフォンス王が首を傾げる。

 

「?」

 

「公国の、復興支援だよ」

 

 公国が元通りに立ち直るために必要なものは多い。

 境界の設備を修理するための、専門の技術者。医療支援。不足する食料や物資。行政の再建に必要な実務の人員。

 そして、クーデター後の混乱した治安を回復させるための、専門家たち。

 

 ただし、アメリカ軍が武力で公国を制圧し、占領するわけではない。

 あくまで、アルビオン政府側から正式に要請された範囲で、友好国として支援を行うのだ。

 

 大統領が力強く言う。

 

「君が必要とする人材と物資を、惜しみなく送ろう。境界設備の修復も、我が国の技術者に全力で手伝わせる」

 

 アルフォンス王は、少し言葉に詰まった。

 

「……すまない、ウォーレン。恩に着る」

 

 大統領は、軽く笑って手を振った。

 

「いいさ」

 

 そして、どこか懐かしむような目で言った。

 

「昔……我がアメリカ合衆国が『独立』する時に、君の国に助けてもらった分を。ほんの少しだけ、返すだけだ」

 

 直哉は、目を丸くした。

 

「…………」

 

 エレノアが、興味深そうに呟く。

 

「なるほど」

 

 一拍。

 

「いわゆる、表の歴史の教科書には載っていない、『裏の歴史』というものでございますね」

 

 大統領は、少しだけ悪戯っぽく笑った。

 

「まあ、そんなところだ」

 

 直哉の内心は、(えっ、アルビオンの吸血鬼が、アメリカ建国の時に何したの!? ワシントンと一緒にイギリス軍と戦ったの!?)と興味津々だった。

 

 だが、ノアが完全に面倒くさそうに口を挟んだ。

 

「ねえ、ボブ。その歴史の話って、長くなる?」

 

 大統領が、即答する。

 

「かなりな」

 

 ノアが、手をヒラヒラと振った。

 

「じゃあ、また今度でいいや」

 

 直哉の知的好奇心は、十四歳の少年のドライさによって無残に打ち砕かれた。

 

 ここから先は、国家元首である二人にとっての、地獄のような『事後処理の実務』の始まりだ。

 

 会議室の机の上には、すでに新しい資料の山が積まれている。

 公国の復興計画。クロイツ派の残党の拘束と処遇。国境ゲートの再開手続き。アメリカ側の緊急避難警戒の解除。転写設備の詳細な調査。各省庁への根回しと連絡。

 

 文字通り、山積みだ。

 

 ノアは、その資料の山を一目見て、心底嫌そうな顔をした。

 

「うわ」

 

 エレノアが首を傾げる。

 

「?」

 

 ノアが、小声で直哉に言う。

 

「この二人、これから死ぬほどめちゃくちゃ忙しいやつだろ」

 

 大統領が、苦笑して頷いた。

 

「そうだな。徹夜になるだろう」

 

 アルフォンス王も、眉間を揉みながら同意した。

 

「否定できんな」

 

 ノアは、直哉の腕を軽く小突いた。

 

「なあ。俺ら、もう帰ろうぜ」

 

 エレノアが確認する。

 

「よろしいのですか?」

 

「だって、もう俺たちの仕事、完全に終わったじゃん」

「それに、正直……俺はもう、疲れた」

 

 直哉の内心も。

(わかる。めちゃくちゃ分かるわ)

 

 異世界への潜入。王の救出。国家消滅計画の発覚。Tier1のバケモノとの死闘。そして、城の全壊。

 半日かそこらで、完全に働きすぎである。

 

 最後に。

 大統領が、席から立ち上がった。

 

「ノア」

 

「ん?」

 

「それから、《ナオ》」

 

 エレノアが、大統領を見る。

 

「今回は、本当にありがとう」

 

 それは、国家元首としての形式的な挨拶ではなく。一人の人間としての、個人的な深い感謝の言葉だった。

 

 アルフォンス王も、立ち上がって深く頭を下げた。

 

「私からも、改めて礼を言わせてくれ」

「君たち二人が来てくれなければ、公国もアメリカも、どうなっていたか分からない。本当に、救われた」

 

 エレノアは、完璧な淑女の礼を返した。

 

「お役に立てたのでしたら、何よりです」

 

 ノアは、ポケットに手を入れたまま、軽く片手を上げた。

 

「じゃ、またね。ボブ」

 

 大統領が笑う。

 

「次は、厄介な仕事の報告ではなく、遊びに来い」

 

 ノアは、背中を向けたまま答えた。

 

「暇だったらね」

 

 その、いつも通りの軽さで。

 直哉の、人生初のホワイトハウスでの会談は、幕を閉じた。

 

 ホワイトハウス複合施設の地下。

 《秘匿転移受入区画》。

 

 行きで到着した時と同じ、巨大な地下ガレージ。

 そこには、行きと同じ黒い大型のSUVが停まっていた。

 

 運転席には、ヴァレリウス家専属の、空間転移系の能力者の男が待機している。

 

 ノアが、後部座席のドアを開けた。

 

「帰るよ」

 

 運転手が、事務的に答える。

 

「承知いたしました」

 

 エレノアとノアが、後部座席へと乗り込む。

 重いドアが閉められる。

 

 前席の運転手が、バックミラー越しに二人の無事を確認した。

 

「ノア様。《ナオ》様。お疲れ様でございました」

「日本への帰還の準備はよろしいでしょうか」

 

 ノアが、シートに深く背中を預けながら言った。

 

「いいよ」

 

 エレノアも、静かに答える。

 

「問題ございません」

 

 行きと、全く同じやり取り。

 

 運転手が、前を向いて告げる。

 

「それでは。日本へ向けて、空間転移を開始します」

 

 直哉の内心が、最後に小さく突っ込んだ。

 

(帰りまで、ずっとこの電車の発車アナウンスみたいなノリなんだな……)

 

 車内。

 

 運転手が能力を発動し、車の周囲の空間が一瞬だけグニャリと歪む。

 窓の外が、一瞬だけ完全な漆黒に暗転し、軽い浮遊感が身体を包む。

 

 数秒後。

 

 窓の外から、ホワイトハウスの地下駐車場の、英語の案内板の景色が消え去る。

 

 次の瞬間。

 車の窓の外には、日本の見慣れた、少し薄暗い地下駐車場の景色が広がっていた。

 

 直哉は、内心で安堵した。

 

(……相変わらず、早っ)

 

 行きでアメリカへ飛んだ時は、「人生初の海外旅行の情緒が完全にゼロだ」と文句を言った。

 だが、帰りは逆だ。

 

(いや、今はマジでこの速さがありがたいわ……)

 

 今の直哉は、心身ともに完全に疲れ切っていた。一秒でも早く家に帰って横になりたかったのだ。

 隣のノアも、シートに深く沈み込んで、目を閉じている。

 

 車を降りる。

 

 ノアが、大きく伸びをしながら言った。

 

「いやー、マジで疲れた」

 

 エレノアが、労いの言葉をかける。

 

「お疲れ様でした、ノア」

 

 ノアが、ジト目で直哉を見た。

 

「お前の方が、絶対俺の何倍も疲れてんだろ」

 

 エレノアは無言。

「…………」

 

 ノアが続ける。

 

「一人でTier1と殴り合って。王宮、丸ごと一つぶっ壊したんだし」

 

 エレノアが、真顔で反論する。

 

「不可抗力です」

 

 ノアが即座に否定する。

 

「絶対違うと思う。お前、途中から完全に楽しんで壊してたろ」

 

 直哉は、内心で(バレてる……!)と冷や汗をかいた。

 

 地下駐車場。

 別れる前。

 ノアが、何気なく尋ねてきた。

 

「お前、これから帰ってどうすんの?」

 

 エレノアは、当然のように答えた。

 

「まず、自宅へと戻ります」

 

「うん」

 

「お風呂に入り、身体の汚れを落とします」

 

「普通だな」

 

 一拍、置く。

 

「その後、自室でガチャを回します」

 

 ノアは、完全に言葉を失った。

 

「…………」

 

「……お前、まだあの『石』のこと考えてんの?」

 

 エレノアは、胸を張って即答した。

 

「もちろんです」

 

 ノアは、深いため息をついて、背を向けた。

 

「……もういいよ。好きにしろよ、お前は」

 

 ノアとの別れ際。

 

「じゃあな、ナオ」

 

 エレノアは、静かに一礼した。

 

「ええ。また、いつでも」

 

 大げさな別れの挨拶にはしない。

 またすぐに、暇な時に電話がかかってくるだろうから。

 

 直哉は、帰宅の途につき。ノアも、自分の家へと向かって歩き出した。

 

 ここから、直哉の頭の中は完全に『日常モード』へと切り替わった。

 

 人目のないところで変身を解除し、三十四歳の森川直哉の姿へと戻る。

 

 直哉は、夜の街を歩きながら。

 その歩調は、疲労困憊しているはずなのに、妙に軽やかだった。

 

(いやー……)

 

(三万、二千石)

 

 思い出すだけで、顔がニヤケてくる。

 

(二百連)

 

 直哉の口元が、だらしなく緩む。

 

(二百連だぞ……!)

(無料で、二百回もガチャが回せるんだぞ……!)

 

 さらに、直哉は現在のガチャのシステム状況を、頭の中で完璧に反芻していた。

 

 前回のヴェルミリアの排出で、50/50の勝負には負けている。

 つまり。

 次に金色の光が出れば、それはピックアップ対象の『確定』なのだ。

 

 直哉は、心の中でガッツポーズをした。

 

(しかも、次の星5は、絶対に『九条紫苑』が確定してる……!)

 

 直哉のテンションは、右肩上がりで有頂天になっていた。

 

 だが。

(まだだ。ここで歩きスマホで回すような素人の真似はしない。家まで我慢だ)

 

 直哉は、足早に実家へと向かった。

 

 帰宅。

 

 靴を脱ぎ、荷物を自室に置く。

 

 だが、直哉はすぐにガチャ画面を開くことはしなかった。

 まずは、社会人としての最低限の義務だ。

 八咫烏への業務連絡。

 

 スマホを取り出し、霧島へのメッセージアプリを開く。

 

『お疲れ様です。森川です』

『先ほど、アメリカでの仕事から日本へ帰国しました』

 

 続ける。

 

『本当に色々ありましたが。依頼自体は、無事に解決しています』

 

 直哉は、少しだけ指を止めて考えた。

 

『あと。今回の件で、俺の能力システムに、いくつか大きな変化がありました』

『育成関係のアップデートと、全く新しい機能が解放されています』

 

 ここが重要だ。

 直哉自身、あの《並列集結》という謎の新機能の詳細については、まだテキストを一切読んでいない。

 

 だから、正直に書いた。

 

『詳しい仕様については、俺もまだ全く確認していません』

『ですので、一度、八咫烏の施設の方でも、安全な環境で一緒に確認してもらった方がいいと思います』

 

 と、送信した。

 

 少しして。

 霧島から、すぐに返信が届いた。

 

『お疲れ様でございます』

 

『こちらにも、すでにアメリカ政府から正式な連絡が入っております』

 

 つまり、八咫烏側も。

『任務成功。王の救出。クロイツの停止』

 という、事件の大枠の結果については、すでに把握しているということだ。

 

『今回の多大なるご協力について、八咫烏としても、心より感謝いたします』

 

 さらに。

 

『森川さんの能力システムに変化があった件も、承知いたしました』

 

『後日、日程を調整し、改めて施設の安全な環境で詳細を確認いたしましょう』

 

 そして。最後に。

 

『今日は、本当に大変な任務でしたね。まずはゆっくりとお休みになってください』

 

 直哉は、そのメッセージを見て、素直に温かい気持ちになった。

 

(霧島さん……)

 事務的ではあるが、普通に気遣ってくれるのがありがたい。

 

『ありがとうございます』

『では、また日程をご相談させてください。おやすみなさい』

 

 送信。

 そして、スマホを机の上に置いた。

 

 これで、本当に全ての仕事が終了した。

 完全に、オフの時間だ。

 

 直哉は、疲れ切った身体で、ベッドへそのまま倒れ込みそうになった。

 

 でも。

 視界の端に。

 《因果集結クロニクル》の数字が、光り輝いている。

 

『《因果晶》 × 32,000』

 

 直哉は。

「…………」

 

 ピタッと動きを止め、スッと身体を起こした。

 

(いや)

 

(まずは、風呂だ)

 

 直哉は、極めて冷静だった。

 王宮で、巨大怪獣と肉弾戦を繰り広げて帰ってきたのだ。汗もかいているし、全身に土埃もついている。精神的にも完全に疲弊している。

 そんな汚れた状態で、神聖なガチャを回すわけにはいかない。

 

 直哉は、服を脱ぎながら、頭の中で完璧なスケジュールを組み立てた。

 

(風呂に入って、身体を綺麗にして)

(飯を食って、腹を満たして)

(キンキンに冷えた飲み物を用意して)

(ベッドで、ゆっくりとくつろぎながら……)

 

 そして。

 直哉は、一人でニヤッと笑った。

 

(至高の、200連ガチャタイムの始まりだ!!!)

 

 直哉の足取りは、鼻歌交じりで風呂場へと向かっていった。




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