俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
翌朝。
初めて《並列集結》を実戦投入し、三つの身体で同時に物流護衛の任務をこなし、二百万円の報酬を得た次の日。
直哉は、実家の自室のベッドの上でゆっくりと目を覚ました。
身体を起こし、大きな欠伸をする。
そして、ぼんやりとした頭で、見慣れた自分の部屋をぐるりと見渡した。
ベッド。
学生時代から使っている机。
ゲーム用のデュアルモニターが置かれたPC。
本や小物が詰め込まれた棚。
実家にある、ごく普通の三十四歳独身男性の部屋だ。
広さは六畳ほど。
別に、今までこの部屋に対して狭いとか、不満を抱いたことはなかった。
十一ヶ月間、無職で引きこもっていた時期も、この部屋のPCの前でずっとゲームをして過ごしていた。
《因果集結クロニクル》という理不尽な超常の力を手に入れて、裏社会の仕事をするようになってからも、基本的な生活の拠点は常にこの実家の六畳間だった。
だが。
直哉は、ベッドから降りて、部屋の中央に立った。
(……ここに、俺が『三人』いたら)
直哉の脳裏に、数日前、八咫烏の地下施設で《並列集結》を初めて検証した時の光景が蘇る。
そして、この狭い六畳間の空間に、三人の自分を想像して配置してみた。
188センチの長身で、重厚な法服を着た大男、白峰レイジ。
172センチで、長い銀髪とクラシカルなメイド服を纏った、エレノア・ヴァイス。
166センチの、巫女装束を着た九条紫苑。
直哉の口から、ポツリと呟きが漏れた。
「…………狭いな」
昨日、初めて三身体から生身の自分一人へと変身を解除した瞬間には、視界の数が減ったことに対して「狭い」と感じた。
だが、今度は極めて物理的な意味で、空間の狭さを痛感していた。
レイジが、あの長身で少しでも動いて腰の法剣を振れば、間違いなく棚やモニターに激突してへし折るだろう。
紫苑が、この部屋の中で太刀を抜くなんて論外だ。天井か壁が斬れる。
ましてや、ヴェルミリア・ノクスに至っては、この家で能力を使うという発想自体が恐ろしすぎる。
能力に目覚めた最初の日から、直哉は自室で攻撃系の能力を試すことを避けていた。
壁や窓を壊すだけならまだしも、住宅街のど真ん中で周囲の家まで巻き込めば洒落にならないからだ。
その物理的な問題が、今回《並列集結》によってキャラクターが同時に複数実体化できるようになったことで、さらに深刻な次元へと跳ね上がったのだ。
直哉は、一人で苦笑した。
(というか、よく今まで、この普通の六畳間で変身のやり繰りをしてたな、俺……)
だが、部屋が狭いことよりも。
直哉が『一人暮らし』を真剣に考え始めた、最大で決定的な問題は別にあった。
コンコン、とドアがノックされる音。
廊下から、母親の声が聞こえた。
「直哉ー。朝ご飯できてるわよー。冷める前に降りてきなさーい」
直哉は、ドア越しに普通に返事をした。
「はーい、今行くー」
返事をした後。
直哉は、ゾッとして冷や汗をかいた。
もし、今。
この自室から、三十四歳のジャージ姿の自分と。
190センチ近い、謎の大男と。
美しい銀髪の、外国人メイドと。
三人が、ぞろぞろと連れ立ってリビングの食卓へと降りていったら。
(……おふくろ、絶対に廊下で固まって泡吹いて倒れるだろ……)
「どうしたの直哉、その人たちは!? なんでうちの二階に外国人のメイドさんがいるの!?」とパニックになられても。
(いや、全員俺の分身だから。朝ご飯三人分用意して)などと、絶対に説明できるわけがないのだ。
直哉の両親は、一階で普通に生活している。
そして、彼らには、直哉が能力者であることや裏社会で働いていることは、一切秘密にしている。
八咫烏の霧島からも、最初に自宅で事情を確認された時、
「現時点ですぐ説明する必要もありませんが、ご自宅で能力を使用される以上、今後隠し続けることが難しくなった場合はご相談ください」
と言われていた。
これまでは、「実家の中では変身しなければいい」「出かける時は人目のない場所まで移動してから変身する」という運用で、どうにか誤魔化せていた。
だが、これからは違う。
《並列集結》を長時間維持したまま、生活する可能性もある。
仕事の都合で、複数身体のまま帰宅しなければならない事態も起きるかもしれない。
あるいは、遠距離で仕事をしているキャラクターの身体を維持したまま、生身の直哉の身体だけが実家で生活する、という複雑な状況になることもある。
直哉は、頭を抱えた。
(俺一人だけなら、なんとか隠し通せたけどさ)
(物理的に『三人』に増えちゃったら、両親の目を盗んで実家で暮らし続ける難易度、一気に跳ね上がるな……)
ここで、直哉の中で『実家を出て、一人暮らしをする』という必要性が、完全な実務的な問題として急浮上してきたのだ。
決して、「もう三十四歳だから、実家暮らしが世間的に恥ずかしい」というような理由ではない。
仕事、収入、そして自身の能力の運用の全てが劇的に変わった結果。実家という拠点が、システム上、極めて不便になったから独立するのだ。
一階の、リビングの食卓。
朝食をとりながら、直哉は両親と向かい合っていた。
テレビでは、朝のニュース番組が流れている。
ごく普通の、日本の家庭の朝の風景だ。
母親が、味噌汁を飲みながら、最近の直哉について軽く話題に出した。
「直哉、最近、よく仕事に出てるわね」
「この前も、急な呼び出しで出て行ったりしてたし」
直哉は、焼き魚をほぐしながら普通に答えた。
「まあね。思ったより順調に仕事もらえてるから」
父親も、新聞から顔を上げて尋ねてきた。
「どうだ、続けられそうなのか?」
「今のところは、なんとかなってるよ」
ブラック企業を辞めて、約一年間も実家の自室に引きこもっていた三十四歳の息子が。
最近になって、ようやくまた働き始め、安定して外に出るようになった。
両親からすれば、その事実だけで十分に喜ばしいことなのだ。彼が裏で異次元の神様と殴り合っていることなど、知る由もない。
直哉は、箸を置いて、少しだけ迷ってから口を開いた。
「それでさ」
「俺、そろそろ自分で部屋借りて、家を出ようと思うんだ」
両親の動きが、少しだけピタッと止まった。
母親が、驚いたように聞き返す。
「一人暮らし?」
「うん」
父親も、少し目を丸くした。
「……急だな。何かあったのか?」
直哉は、用意していた無難な理由を口にした。
「いや、仕事のツテも安定してきたし。金もちゃんと継続して入るようになったからさ」
「八咫烏の施設とか、仕事先に出やすい場所へ移った方が便利だから」
本当の理由の半分である、
(俺が突然、銀白髪の吸血神や銀髪のメイドになったり、複数人に増えたりしても、親に見られないようにするため)
という事情は、当然ながら今は口にしなかった。
母親は、少し寂しそうな顔をしたが、決して無理に引き止めようとはしなかった。
「……まあ、直哉が自分でちゃんと仕事して生活できるなら、いいんじゃない?」
「無理して身体壊さないようにだけ、気をつけなさいよ」
父親も、新聞を畳みながら頷いた。
「もう三十四の大人なんだ。自分の人生のことは、自分で責任持って決めればいい」
直哉自身も、実家に対して悪い感情は全くない。
(両親から早く出て行けと追い出されたわけでもないし。俺が実家に居づらくなったわけでもない)
(ただ、俺の能力の仕様上、どうしても今の環境じゃ無理になったから出るだけだ)
直哉の中で、感情と実務が、非常にクリアに整理されていた。
朝食後。
自室に戻った直哉は、PCを立ち上げ、ブラウザから大手不動産の賃貸サイトを開いた。
「さてと。さっそく探してみるか」
これまで、一人暮らしの妄想をしたことがないわけではない。
その時に見ていた条件は、家賃、最寄り駅からの徒歩分数、間取り、築年数、風呂とトイレが別かどうか。
その程度のごく一般的なものだった。
だが。
今の直哉の部屋探しの検索条件は、一般人のそれとは完全に逸脱していた。
直哉は、メモ帳のアプリに自分の『絶対に必要な条件』を書き出していく。
・高セキュリティ。
これは必須だ。仕事上、裏社会の連中や八咫烏とも関わるようになった。
さらに、レイジやエレノアの姿で出入りする可能性も高い。
外部から共用部が見えにくく、他の住人とも不用意に鉢合わせしにくい導線が望ましい。
・広さ。
最低でも、複数の身体が同時にリビングで生活して、窮屈に感じない程度の広さ。
1Kや1DKなどは、即座に候補から却下される。
直哉は、メモを打ち込みながら一人で苦笑した。
「戸籍上は俺一人しか住まないのに、1Kじゃ足りないから2LDK以上必須って。自分で言ってても意味分からんな」
・防音性、遮音性。
キャラクターの変身演出そのものが、常に大音量や爆発を伴うわけではない。
だが、万が一何かが起きた時に、隣人へ音が響きにくい方が安心できる。
・周囲からの視線の遮断。
外から室内が見えにくいこと。低層階の一階や、人通りの多い道路沿いの窓がある部屋は避けたい。
・八咫烏の関連施設へのアクセス。
実家から八咫烏の施設や都心部の現場まで毎回移動するのも、仕事が増えた今では面倒になってきている。
直哉は、書き出した検索条件のリストを眺めて、深くため息をついた。
「……これ、もう普通の部屋探しじゃなくなってないか?」
「完全に、犯罪者のアジトか、怪しい秘密結社のアジト探す条件じゃん」
直哉は、その厳しい条件に合致する、都内のセキュリティが高い高級マンションの2LDKや3LDKの物件をいくつか検索してみた。
表示された家賃の相場を見て。
直哉の指が、マウスのホイール上でピタリと止まった。
「……高っ」
月額の家賃が、平気で数十万円を超えている。
これまでの無職時代の直哉の金銭感覚からすれば、目玉が飛び出るような、絶対に手が出ない金額だ。
直哉は、反射的にブラウザの『×』ボタンを押して閉じようとした。
しかし。
直哉の脳裏に、昨日の八咫烏での出来事がフラッシュバックした。
『第一輸送隊護衛:80万。第二:70万。観測:50万。合計200万円』
直哉の、マウスに乗せた指が止まる。
「…………」
もう一度、画面の家賃の数字を見る。
「……いや」
「普通に、払えるな……これ」
直哉は、その事実を認識した瞬間。
自分自身の内面で起きている、急激な金銭感覚の変化に、一番震え上がっていた。
(ダメだ、ダメだ!)
(たった一日で二百万稼いだくらいで、いきなり金銭感覚をバグらせるな! 俺はもっと堅実な男だったはずだ!)
直哉は、社会人としての冷静な判断力を働かせる。
現在の仕事は、確かに一件あたりの単価は異常に高い。だが、安定した月給制ではないのだ。
いつ仕事がなくなるか分からない。将来、自分がどこの地域を主な活動拠点にするかもまだ分からない。
そして何より、システムや自分の能力が今後さらにどう変化していくのかも、全く読めない。
だから、まずは賃貸だ。
「……家を買うのは、もっと先でいい。とりあえず、すぐに動ける賃貸にしておこう」
条件に合う高級賃貸物件をいくつかブックマークしたところで。
直哉は、さらに根本的で、極めて面倒な問題に直面した。
「これ……内見とか契約の時、普通の不動産屋の担当者に、なんて説明すればいいんだ?」
例えば、不動産屋の担当者から聞かれる。
「こちらの広いお部屋ですが、ご入居されるのはお客様お一人ですか?」
正解は、「はい、戸籍上は一人です」。
でも、実態は「俺の身体が最大三つ出る」。
直哉はシミュレーションしてみる。
「……はい、一人です。と答えるしかないよな」
嘘はついていない。
では、管理会社から聞かれる。
「同居人はいらっしゃいませんか?」
直哉。
「いません。俺だけです」
これも事実だ。
でも。
実際に入居した後、防犯カメラには。
三十四歳のジャージの男。長身のイケメン。銀髪の美女。和装の巫女。
彼らが、時間帯バラバラに、あるいは同時に三人連れ立って、一つの部屋から出てくる映像がバッチリ残るのだ。
直哉は、頭を抱えた。
「これ、普通の管理会社からしたら、完全に『契約違反の違法なルームシェア』か『怪しい反社の集会場』だと思われて、絶対トラブルになるやつだろ」
直哉は、天井を仰いだ。
(能力者がこれだけ存在していて、八咫烏なんて裏組織がある世界なら……)
(こういう能力者特有の面倒な事情を、全部丸投げして分かってくれる物件とか不動産屋って、普通にあるんじゃないか?)
直哉は、スマホを手にした。
「……うん。こういうのは、プロに聞くのが一番早いな」
直哉は、霧島へと電話をかけた。
『はい、霧島です』
「霧島さん、お疲れ様です。森川です。あの、仕事の件じゃないことで、一個だけ個人的に聞いていいですか?」
『構いませんよ。何でしょうか』
直哉は、単刀直入に尋ねた。
「能力者の人たちって、自分で部屋を借りて引っ越す時、一体どうしてるんですか?」
電話の向こうで、少しだけ間が空いた。
霧島が、淡々と答える。
『能力を隠して、ご自身で一般の不動産屋で普通の賃貸契約をされる方も多くいらっしゃいます』
『ですが……能力の性質上、一般の物件では生活に支障が出る方や、身分を隠す必要がある方には。八咫烏と提携している、能力者対応に慣れた民間の不動産業者をご案内することが可能です』
直哉は、ポンと手を打った。
「やっぱり、あるんですね、そういうの」
八咫烏という行政機関が、能力者全員へ住宅を用意して回っているわけではない。
その代わり、八咫烏と普段から取引があり、能力者という裏の存在に対応することに慣れた、秘密保持契約済みの民間の不動産会社が存在するのだ。
例えば。
・客が能力者であること自体に、全く驚かない。
・能力の性質に応じて、強化構造の物件や、防音・遮音性の極めて高い物件を扱う。
・秘密保持契約や、複雑な身分での契約に慣れている。
・人狼や吸血鬼のような、特殊な身体的特徴を持つ『人外』でも、事情に合った物件を探せる。
そういった、裏社会にも対応した不動産屋だ。
ただし、霧島はきっちりと釘を刺した。
『念のため申し上げておきますが、「室内で自由に危険な戦闘能力をぶっ放していい物件」というわけではありませんからね?』
直哉は苦笑した。
「そりゃそうですよね」
『壁を破壊しても敷金で全額相殺できるような寛大な賃貸住宅は、この日本には基本的に存在しません』
「ですよね」
直哉は、ごく当たり前の常識に少しだけ笑った。
霧島が、少し声のトーンを下げて尋ねてきた。
『それで、森川さん。急に引っ越しをご検討されているのですか?』
直哉は、正直に理由を話した。
「はい」
「今までなら、自室で隠れて変身さえしなければ、親にもバレずに済んでたんですけど」
「さすがに、あの《並列集結》まで使えるようになると。物理的に俺の身体が三人に増えるので、実家で親の目を盗んで隠し続けるの、さすがに面倒と限界を感じてきたんで」
霧島は、深く納得したように言った。
『なるほど。確かにそうですね』
『森川さんの能力の運用状況を考えれば、生活の拠点を実家から完全に分けるというのは、極めて合理的だと思います』
以前、霧島からも。
「ご自宅で能力を使用される以上、今後隠し続けることが難しくなった場合はご相談ください」
と言われている。
まさに、その状況になったということだ。
霧島から、すぐに能力者対応の不動産会社の連絡先と、紹介番号のデータが送られてきた。
直哉は礼を言った。
「ありがとうございます。こういう個人的な生活のことまで、八咫烏にお世話になるとは思ってませんでしたよ」
霧島が、冷静に返す。
『あくまで、条件に合う業者の「紹介」だけですよ。家賃の支払いや契約の責任は、森川さんご自身でお願いしますね』
「それは、三十四歳の大人として当然です」
直哉は笑って電話を切った。
その日の午後。
直哉は、霧島から紹介された都内の不動産会社へと足を運んでいた。
表向きの看板やオフィスは、完全に普通の清潔な不動産会社だ。
対応に出てきた担当者も、パリッとしたスーツを着た、ごく普通の三十代くらいの営業マンだった。
ただ、直哉が受付で「紹介番号」を伝えた瞬間から、対応が能力者向けのものへと切り替わった。
「八咫烏様からのご紹介ですね。承知いたしました」
直哉は、奥の防音設備が整った個室へと案内された。
担当の営業マンが、タブレットを開いてヒアリングを始める。
「本日は、森川様お一人でのご入居ということで、お間違いありませんか?」
直哉は、一瞬だけ迷った。
「……はい。戸籍上は、俺一人です」
担当者は、表情一つ変えずにタブレットに文字を打ち込む。
「承知しました。では、確認ですが。ご自宅の室内で、『分身体』や『使役体』などの、ご本人以外の存在を常時展開して生活されるご予定はございますか?」
直哉は、思わず吹き出しそうになった。
「えっ。不動産屋のヒアリングで、そこ聞くんですか!?」
担当者は、プロの営業スマイルで答えた。
「はい。物件の広さの選定や、生活音のトラブルを防ぐために必要な確認事項ですので。弊社ではよくあることです」
直哉は、(裏社会の不動産屋、すげえ……)と感心した。
直哉は正直に答えた。
「最大で、自分を含めて同時に『三身体』が出現して生活します」
「承知いたしました。大人三人分の生活動線が確保できる広さが必要、ということですね」
担当者は、カタカタと全く驚く様子もなく入力を進める。
「次に。各分身体の方々は、室内や共用部で大型の武装を展開した状態になる可能性はございますか?」
「……ありますね。太刀とか、片手剣とか、長銃とか」
「承知しました。では、玄関や廊下などにも、ある程度余裕のある物件を優先いたします」
直哉の内心は。
(プロだ……。この人、完全に能力者の扱いに慣れきってるプロだ……)と、圧倒されていた。
担当者と一緒に、詳細な希望条件を確定していく。
直哉が提示した条件は、以下の通りだ。
・都内。
・八咫烏の関連施設や、仕事先へ出やすい立地。
・極めて高いセキュリティ。
・広さは、2LDK以上。ある程度広いリビング。
・防音性、遮音性が高いこと。
・バルコニーや窓から、室内が覗き見られにくい構造。
・能力者の入居が許可されている物件。
・そして何より、『戸籍上は一人だが、外見が違う複数の身体が頻繁に出入りすることについて、管理側が事前に了承済みとなる契約』であること。
担当者が頷いた。
「最後の条件が、一番重要ですね」
直哉も深く同意する。
「ですよね。そこが普通の物件だと、絶対にトラブルになるんで」
『戸籍上は三十四歳の男一人だが、男女・外見違いの複数の身体が同時に出入りする』という、直哉特有の極めて面倒な事情が。
契約の時点で、管理会社にだけは、必要な範囲で事前に共有され、了承を取ってもらえるのだ。
ただし、能力の全容やシステムのことまでは伝えない。
あくまで「八咫烏に登録済みの能力による、複数身体の運用がある」という事実だけだ。
ここでも、直哉の情報管理の原則は徹底されていた。
いくつかの物件候補が提示され、直哉は図面や写真を確認していった。
一件目。
都心の高級1LDKから、小さめの2LDKの物件。
駅近で、セキュリティも高く、内装の見た目も非常にオシャレで洗練されている。
直哉は、写真を見て感嘆した。
「おー。普通にめちゃくちゃいい部屋だな。モテそう」
だが、図面のリビングの広さを見て、頭の中で想像してみる。
このリビングに。
レイジ。エレノア。千里。
三人を同時に配置する。
「…………」
「……ないな。狭すぎる」
担当者が尋ねる。
「少し、手狭でしょうか?」
直哉は苦笑した。
「一人暮らしの部屋探しなのに。自分が三人いる時の広さのこと考えて却下してるの、自分でも意味分からないんですけど。狭いです」
担当者は、微笑んで言った。
「分身体を常時使用されるお客様には、よくあるお悩みですよ」
直哉は、(能力者界隈ではよくあるんだ……)と、この世界の広さに少しだけ笑ってしまった。
二件目。
防音完備。壁も比較的頑丈。とにかく広い。
しかし、立地が微妙だった。
元々、音を出すクリエイターや、能力者の訓練向けに改装されたような物件で、住居というより『倉庫』や『アトリエ』感が強すぎる。
直哉は図面を見て言った。
「ここなら、デカいレイジが三人並んで筋トレしてても余裕の広さですね」
でも。
「俺、別に裏社会の秘密基地に住みたいわけじゃないんだよな……。普通に生活したいんだよ」
生活感が弱すぎる。駅も遠く、スーパーもない。
これも却下だ。
そして。
三件目。
直哉は、この物件の図面を見て、完全に心を決めた。
ここを本命にする。
2LDKの高セキュリティ賃貸マンション。
広めのリビング。
一部屋は、直哉本人の寝室。
もう一室は、仕事の準備や、変身・能力運用のための専用の部屋として使える。
隣の住戸との間に、共用廊下やエレベーターの設備スペースが挟まっており、生活音や変身の気配が直接伝わりにくい構造になっている。
窓からの視線も、建物の配置上、遮られやすい。
地下には、住人専用の屋内駐車場への導線もある。今は車を持っていないが、今後仕事で送迎される時に、人目につかずに乗降できて便利だ。
重要なのは。
「超能力を好き放題ぶっ放して試せる、頑丈な要塞」ではないということだ。
あくまで。
『変身や、複数身体での生活を、周囲の一般人に見られにくい、普通の快適な住居』であること。
直哉は、図面のリビングの中央を指で叩いた。
頭の中で、三身体を配置してみる。
レイジがソファに座り。エレノアが立ち。千里が机に向かう。
余裕だ。
「……ここなら。俺が三人いても、普通に快適に生活できるな」
言った後で、直哉は自分で自分にツッコミを入れた。
「何言ってんだろ俺。本当に頭おかしいな」
担当者は、もう完全に慣れきっているので、ただプロの笑顔で「素晴らしい物件だと思います」とだけ肯定してくれた。
条件も、間取りも、立地も、ほぼ完璧だった。
しかし。
直哉が、契約の初期費用と、毎月の家賃の資料を見た。
「うーん……」
払える。
でも、決して安くはない。
毎月の固定費だ。
仕事の収入は高いが、月給ではない。
貯蓄に回す分。敷金礼金の初期費用。さらに、これだけ広い部屋なら、家具や家電もいくらか新しく買うことになる。
直哉は、腕を組んで、頭の中の電卓を弾いた。
収入の予測。万が一仕事が減った時のバッファ。
そして。
数分間、真剣に悩んだ末。
(……うん)
(決して、無理のある金額じゃない)
と、結論を出した。
直哉は、担当者の目を見て、ハッキリと言った。
「ここ、申し込みます。審査の手続きをお願いします」
これで。
直哉の『一人暮らししようかな』というフワッとした思いつきは、完全に現実のものとして動き出したのだ。
夕方から夜にかけて。
直哉は、実家へと帰り着いた。
自室のドアを開ける。
まだ、見慣れた同じ部屋だ。
机。ベッド。本棚。
でも。
朝起きた時とは、少しだけ、部屋の景色が違って見えた。
もちろん、今すぐ明日から出ていくわけではない。
保証会社の審査がある。契約の手続きがある。引っ越しの手配。家具の購入。
実際にこの部屋を出ていくまでには、まだ少し時間がある。
直哉は、ベッドに腰を下ろして、部屋を見回した。
(俺、ずっとこの実家の部屋にいると思ってたわけじゃないけどさ)
(実際に、家を出るって決めると。なんか、ちょっと変な感じだな)
だが、直哉は過度に感傷的になって涙を流すようなことはしなかった。
直哉の思考は、すぐに現実的なことへと向かった。
「……向こうの部屋に持っていくPC、どうするかな」
「今のモニターだとちょっと小さいし。いっそ、この機会にデスクごと新しく買い替えるか?」
結局、彼の頭の中は、生粋のゲーマーの思考回路へと戻っていた。
新居の、広いリビングや仕事部屋に、どんなゲーミング環境を構築するかを考え始め、少しだけワクワクしていた。
そんな、平和な引っ越しの想像をしていた時だった。
『ブルルルッ』
机の上に置いたスマホが、震えた。
画面の表示を見る。
『霧島』。
直哉は、首を傾げた。
「……あれ? 今日、昼間に不動産屋の件で話したばっかりだよな?」
嫌な予感、というほどの重いものではない。
単純に、(こんな夜に、何だろう)という程度の疑問だった。
直哉は、通話ボタンを押した。
「はい、森川です」
電話の向こうの霧島の声は。
昼間の不動産の話をしていた時とは違い、いつもより少し硬く、業務的なトーンだった。
『夜分に申し訳ありません。森川さん』
『以前、白峰さんに担当していただいた、《境留めの鉄楔》の輸送襲撃事件について。少し、進展がありましたのでご連絡しました』
直哉の表情が、スッと真面目なものに変わった。
「……あの、呪物専門の泥棒グループですか?」
『はい』
直哉の頭に、以前聞いた情報が蘇る。
実用価値の高い能力者向け呪物だけを狙い、盗んだ品を裏市場へ流した形跡もない連中だ。
(売って金にするわけでもなく、実用品の呪物ばかりをどこかに集めてた連中か)
霧島が、今回の新しい情報を告げた。
『警察の、能力犯罪対策班による継続捜査の結果です』
前回、レイジが現場で確保して引き渡した関係者の取り調べ。
押収した車両の解析。通信履歴。資金の流れ。別の窃盗事件との照合。
そういった、警察による捜査の積み重ねの結果だ。
『関東圏内に一つ。あの窃盗グループが、拠点として使用している可能性が極めて高い、倉庫施設が浮上しました』
直哉が尋ねる。
「アジトが、見つかったんですか?」
霧島は、慎重に答えた。
『まだ、完全にアジトだと断定されたわけではありません』
警察も、慎重に裏付けを進めている段階だ。
『少なくとも。過去の複数の窃盗事件に関係する人物や車両が、その倉庫に繰り返し出入りしていたという事実が確認されています』
現在、警察による倉庫の捜索差押許可状などの法的手続きも進んでいるという。
つまり、次に現場へ入るのは、警察の役割だ。八咫烏は、あくまで超常的な現象が発生した場合の『支援』に回る。
役割分担は、崩さない。
だが。
霧島が、少しだけ声を潜めて続けた。
『それと。森川さんにお伝えしておきたいことが、もう一点あります』
直哉は、眉をひそめた。
「まだあるんですか」
『警察の依頼を受けた八咫烏側の担当が、倉庫周辺から確認可能な範囲を調査したところ』
『倉庫の内部から、複数の「呪物」に由来するとみられる、強い異常反応が確認されました』
具体的な数までは、外からでは断定できない。
中にどんな危険な呪物があるのかも、まだ不明だ。
ただ。
過去の事件で盗まれた複数の呪物が、その倉庫の内部に保管されている可能性が、極めて高くなったのだ。
直哉が問う。
「……やっぱり、盗んだ呪物を売らずに、ずっとあそこに溜め込んでたってことですか?」
霧島が答える。
『現時点では、まだ推測の域を出ません』
『ですが、その可能性は非常に高くなりました』
では、なぜ。
実用品の呪物ばかりを盗んで、売らずに集めているのか。
その答えは、まだ出ない。
霧島が、本題に入った。
『近日中に。警察の実働部隊が、その倉庫へと強制捜査で踏み込む予定です』
『内部には、まだ知られていない危険な呪物や、抵抗する能力者が複数存在する可能性があります』
そして。
『八咫烏からも、警察の支援として、超常物品への対応要員を現場へ出します』
少しの間を置いて。
霧島の声が、直哉に協力を求めた。
『森川さんにも、今回の現場への協力をお願いできないかと考えて、ご連絡しました』
直哉は、息を吐いた。
「俺、ですか」
直哉の脳内に、自分の手札が次々と浮かび上がる。
広域観測の千里。
《既判適応》を持つレイジ。
時間停止のエレノア。
そして。構造や境界、接続を斬り裂く、《宵刃》の紫苑。
特に、紫苑の能力だ。
呪物が大量に保管されている怪しい倉庫へ踏み込む案件なら、罠や何らかの接続へ対処できる彼女の能力は、有用かもしれない。
だが、直哉はここではまだ「よし、じゃあ今回は紫苑で行きます!」と即決することはしなかった。
直哉は、仕事の内容を確認した。
「つまり。警察の部隊が現場に入って。俺は、その時に危ない呪物が暴走したり、向こうの能力者が反撃してきたりした時の、超常対応支援ってことですね?」
『はい。大枠では、そのご認識で結構です』
以前の、蛇神の降臨事件の時と構図は似ている。
だが、あの時の直哉と今の直哉では、持っている手札の質が全く違う。
そして何より、今の直哉には《並列集結》という新しい機能まであるのだ。
電話を切り。
直哉は、机の上を見た。
そこには、昼間に不動産会社からもらった高級賃貸物件のパンフレットと、新居の申込書が置かれている。
そのすぐ隣に置かれたスマホの画面には、霧島から送られてきた、次の強制捜査案件の簡単な予定が通知されている。
直哉は、大きくため息をついた。
「…………」
一人暮らしを決めた。
仕事も順調に回っている。昨日は半日で二百万円稼いだ。
自分の人生が、約一年のブランクを経て、やっと普通に前へと進み始めている実感がある。
なのに。
次に待っている仕事は、盗まれた危険な呪物が大量に集められているかもしれない倉庫への、警察の強制捜査に伴う超常対応支援だ。
直哉は、ポツリとぼやいた。
「俺、ただ普通に一人暮らしを始めたいだけなんだけどな……。なんでこんな物騒な仕事ばっかり来るんだ」
一拍、置いて。
机の上の、家賃の書かれた新居の申込書を見る。
「まあ」
「これだけの高い家賃を毎月払っていくには。ちゃんと仕事して、稼がないとな」
直哉は、自分で言っておきながら(少し違うな)と思った。
昨日、二百万円を稼いだばかりの男が、家賃のために嫌々働くような台詞ではない。
直哉は、最後に、視界の《キャラクター》の編成欄を見た。
誰を、あの倉庫の現場に連れていくか。
千里。レイジ。エレノア。紫苑。
直哉の思考は、そこで止まった。
(……次の仕事、誰で行くかな)
三十四歳の男の、新居での新しい生活に向けた準備と。
裏社会での危険な仕事への準備が、同時に静かに進行し始めていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!