俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
翌日の午前。
関東圏の郊外にある、広大な工業地帯。
海風が吹き抜けるその一角には、巨大な倉庫群や物流施設がいくつも立ち並んでいる。
その中の一つ、外見上は何の変哲もない古い大型倉庫。
そこから少し離れた目立たない裏通りに、現在、多数の警察車両、救急車、そして八咫烏の黒塗りの支援車両が集結していた。
ただし、表向きにはあくまで『普通の警察の捜査活動』として処理されている。
実際にあの倉庫へと踏み込み、捜索、逮捕、証拠品の押収を行う主体は、警察の能力犯罪対策班だ。
八咫烏の役割は、あくまで後方待機。
『対象の施設内で、能力者による激しい抵抗、未知の怪異の出現、あるいは危険な呪物の暴走などの「超常事案」が発生した場合の、物理的な戦力支援』だ。
当然、直哉も今回は最初から最前線で突入する要員ではない。
警察側だけでは処理できない超常事案が発生した場合の、後方支援要員として待機している。
直哉は、八咫烏の支援車両の中で、コーヒーを飲みながら考えていた。
(まあ、俺が出なくて済むなら、それが一番安全で平和なんだけどな)
しかし、そう簡単に終わるとは思えない。
今回の標的である倉庫の内部からは、すでに事前調査によって、複数の『呪物らしき異常反応』が確認されているのだ。
中に何が潜んでいて、何が起きるか。全く油断はできなかった。
八咫烏の支援車両の内部。
多数のモニターと通信機材が並ぶ一角で、霧島と直哉による最終確認が行われていた。
今回の直哉の《並列集結》の編成は、以下の通りだ。
『★★★★ 御影千里《万里の観測官》』
『★★★★★ 白峰レイジ《蒼律の執行官》』
『★★★★★ 九条紫苑《宵刃の巫女》』
直哉が、昨夜ベッドの中でうんうん悩みながら決めた、本日の最適解の編成だ。
まず、千里。
今回も、彼女は安全な後方の指揮車両での待機だ。
理由は明白。倉庫の内部を広域観測し、突入する警察部隊の位置と、敵の動きをリアルタイムで追うためだ。
そして、千里が観測した情報は、《並列集結》を通じて前線にいるレイジと紫苑にも共有される。
次に、レイジ。
倉庫の内部に、どのような罠があるか完全に未知数だった。
未知の能力。未知の呪物。未知の攻撃。
だからこそ、《既判適応》を持ち、未知の攻撃に対する継戦能力が高いレイジを前衛に置く。
最後に、紫苑。
今回の、本命の切り札だ。
相手の倉庫に大量の呪物が保管されている可能性が高い以上、その構造や境界、呪物の接続そのものへと干渉し斬り裂くことができる《宵刃》の能力は、極めて有用だと判断した。
直哉は、霧島に告げた。
「今回は、この三人で行きます」
霧島も、データを見て頷いた。
「妥当な編成だと思います」
ここで、霧島が一つ確認を入れた。
「九条さんの、あの専用武装については?」
直哉は、即答した。
「今回は、装備させません。使いません」
神刀《月白》。
今回の目的は、犯罪者たちを木端微塵に全滅させることではない。
あくまで警察による逮捕。証拠品の安全な回収。
もし石化や怪我などの被害が出れば、その人命救助が最優先だ。
(最初から、あれを持ち出す必要はない)
直哉は、冷静に判断していた。
「専用武装がなくても、紫苑本人の能力だけでTier1です。通常の《宵刃》で対応できないと分かってから、どうするか考えます」
限定された八咫烏の支援区画の中で。
『《並列集結》』
直哉の意思と共に、三つの身体が同時に成立する。
千里は、そのまま八咫烏の指揮支援車両の座席に座る。
レイジと紫苑は、倉庫から少し離れた、警察の第二線の待機地点へと移動した。
二人とも、まだ倉庫の敷地内には入らない。
まず、千里の視点だけが、遠隔から倉庫へと飛ぶ。
『《天眼》』
視界が、倉庫の分厚い外壁を透過して越える。
倉庫内部の光景が、脳内に展開される。
高く積み上げられた、無数のコンテナ。木箱。厳重にロックされた金属製のケース。
作業用のフォークリフトのスペース。事務区画。
だが。
千里が、倉庫のさらに奥の方へと視点を向けようとしたところで。
『ザザッ』
視界に、強いノイズが走った。
直哉の内心。
(……ん?)
完全に見えないわけではない。
だが、倉庫の中央から奥の最深部にかけて、複数の場所で視界がひどく歪み、モザイクがかかったように不鮮明になっているのだ。
盗まれた呪物のどれかによる観測阻害なのか。
あるいは、敵の能力者によるものなのか。
原因は不明だ。
千里が、すぐさまオペレーターとして正式な報告を上げる。
「御影より報告。倉庫内部、中央から奥の一部区画において、強力な観測阻害を確認しました。内部の詳細は不明です」
無線越しに、警察側の現場指揮官の声が応じる。
『了解した。突入する侵入班へ情報を共有し、警戒させる』
そして、作戦の時刻が来た。
警察指揮官の鋭い声が、無線に響く。
「各員、突入開始!」
複数の入り口から、完全武装した警察の捜査部隊が一斉に倉庫内へと雪崩れ込む。
編成には、銃器を持った一般の訓練された警察官と、能力犯罪に対応するための特殊な能力者警官が混在している。
直哉は、指揮車両の中で千里の視界を通じて、その突入の様子を静かに見ていた。
最初の数十秒は、何も起きなかった。
倉庫の一階。入り口周辺。荷捌き区画。事務室。
全て、無人だ。
警察官たちが、盾を構えながら慎重に奥へと進んでいく。
『第一班、正面入り口確保』
『第二班、右通路クリア。異常なし』
『対象者、現時点で一人も確認できず』
千里側の直哉は、少し嫌な予感がした。
(……もしかして、警察の動きを察知して、もう逃げた後か?)
あまりにも、静かすぎる。
だが、その静寂は。
警察の先頭班が、倉庫の中央区画へと足を踏み入れた瞬間に破られた。
そこは、床に特に目立った線が引かれているわけでもない。扉があるわけでもない。
ただのコンクリートの通路だ。
警官の一人が、何気なく普通に一歩、そこへ踏み込んだ。
その瞬間だった。
異変が起きた。
先頭を歩いていた、非能力者の一般警官の一人が。
「――っ?」
ピタリと、足を止めた。
彼の足元の、黒いタクティカルブーツの色が。一瞬にして、無機質な『灰白色』へと変わった。
それは、まるで生き物のように。
足首。膝。腰。
猛烈な速度で、彼の身体を這い上がっていく。
隣にいた警官が、驚いて声を上げる。
「おい、どうした!?」
だが、その彼も、同時に足元から灰白色に染まり始めていた。
三人。五人。十人。
無線から、パニックになった声が飛び込んでくる。
『待て! 何だこれ、足が――』
その声は、途中でブツリと途切れた。
手に構えていたアサルトライフルごと。
驚愕に目を見開いた表情ごと。
前へ踏み出そうとした姿勢のまま。
一瞬にして。
彼らは、完全な『石像』へと変わってしまったのだ。
倉庫の中央の通路に、銃を構えた十数体のリアルな警官の石像が、不気味に立ち並ぶ。
千里側の直哉は、息を呑んだ。
(は!?)
レイジ側の直哉。
(いきなり石化!?)
紫苑側の直哉。
(待て……石になってるのは、一般の警官だけか……?)
そう、全員が石になったわけではなかった。
同じ場所、同じ空間に足を踏み入れていたはずの、『能力者』の警官たちは。
全く、石化していなかったのだ。
一人の能力者警官が、自分の腕をペタペタと触って確認する。問題ない。
別の能力者も、無事だ。
ただし、彼らの目の前では、つい数秒前まで背中を預けていた仲間たちが、完全に動かない石像と化している。
能力者班の隊長が、即座に無線で絶叫した。
「一般班、これより先への前進を禁止する!!」
「非能力者は、絶対に中へ入れるな!」
そして、外部の指揮所へ向けて急報を打つ。
『中央区画で、未知のトラップによる石化現象が発生!』
『非能力者のみが発症!』
『我々能力者班は、現時点で影響なし!』
後続で続こうとしていた一般の警官たちが、慌てて入り口付近で停止し、封鎖線を張る。
これでは、負傷者が出ても、一般の救急隊員を中へ入れることすらできない。
八咫烏の支援車両内も、一気に緊張した空気に包まれた。
直哉は、三つの視界で情報を整理する。
(能力者だけが、石にならない……?)
だが、その理由はまだ分からない。
魂のTierに関係しているのか。能力者であることに由来する何らかの性質を判定しているのか。それとも、呪物側でそういう条件指定がされているのか。
現時点では、何も断定できない。
警察の能力者班の隊長は、極めて優秀なプロだった。
彼は、パニックになって仲間を見捨てて逃げ出すようなことはしなかった。
まず、石化した仲間たちの状態を確認する。
呼吸はない。脈も確認できない。
だが、「完全に死んでいる」と断定することもできないのだ。
一人の若い能力者警官が、「おい、大丈夫か!」と石像に手を伸ばそうとする。
「触るな! 絶対に破損させるな!」
隊長が鋭く制止した。
もし、これが生きた人間が一時的に石化させられているだけの状態だとしたら。
ここで慌てて触って倒したり、腕を一本でも折ってしまえば。後で石化を解いた時に、取り返しのつかない致命傷になる可能性があるからだ。
だから、彼らが取るべき行動は一つ。
『石像になった警官たちを、絶対に傷つけられないようにその場で保護する』。
そして、安全な撤退経路を確保することだ。
「第二班! 石化者を中心に円形の防御陣形を組め!」
「これ以上の追加班を中へ入れるな!」
「八咫烏へ、未知の呪物トラップへの対応支援を要請しろ!」
だが、その彼らの冷静な判断を嘲笑うかのように。
最悪のタイミングで。
倉庫のさらに奥、観測阻害のノイズがかかっていたエリアから。
重いシャッターが開く音がした。
数人の男女が、ゆっくりと姿を現した。
作業員の格好をしている者。私服の者。防刃ベストなどの防具を着ている者。
だが、その立ち振る舞いは、明らかにそこら辺のチンピラや普通の泥棒のそれではない。
警察の能力者隊長が、前に出て叫ぶ。
「警察だ! そこから動くな!」
だが、相手は歩みを止めない。
先頭を歩いていた男が、ニヤリと笑って言った。
「やっぱ、能力者の連中は石にならずに残るか」
つまり。
この石化のトラップは、彼らが意図的に仕掛けたものだということだ。
警察側も、即座にそれを理解した。
「こいつらの仕掛けた呪物だ!」
「総員、戦闘用意!」
敵の一人、Tier3級と思われる能力者が、猛烈なスピードでナイフを持って突っ込んでくる。
警察の能力者の一人が、床のコンクリートを瞬時に隆起させ、強固な防壁を形成してその突進を完全に受け止めた。
その隙に、別の警官が能力による拘束索を放ち、敵の手足を縛り上げる。
「敵一名、確保!」
別方向から、鋭い金属片が散弾のように飛来する。
防御系の能力を持つ警官が、透明なシールドを展開してそれを全て弾き落とす。
さらに、近接戦闘に特化した警官が前に飛び出し、敵の一人を強烈な打撃で床へと叩き伏せた。
直哉は、千里の視界でそれを見て感心していた。
(おお、警察、普通に強いじゃん)
当然だ。彼らは能力犯罪の鎮圧を専門とする、訓練されたプロの部隊なのだ。
一般の犯罪能力者程度なら、数で押して普通に制圧できるだけの力がある。
だが。
今回の問題は、『石化した仲間たち』だった。
警察側は、動けない仲間たちをその場に置いて後退することはできない。かといって、彼らを盾にして戦うことも絶対にできない。
敵の犯罪者たちは、プロとしてそこを冷酷に突いてきた。
わざと、石像に向かって攻撃の余波を飛ばす。
警察の能力者たちは、自分が避ければ済む攻撃であっても。後ろの石像を守るために、無理な体勢でシールドを張ったり、自分の身体で攻撃を受け止めざるを得ない。
防戦一方。
じわじわと、警察側が不利な状況へと追い込まれていく。
さらに。
千里が、上空からの観測で嫌な兆候を報告した。
「内部、敵の能力者をさらに追加で確認」
シャッターの奥から、数が増える。
Tier3級の能力者が複数。
そして、その中に、明らかに周囲とは能力現象の規模が一段違う者が混ざり始めている。
ただし、奥の観測阻害の区画のせいで、全体の正確な数は把握しきれない。
警察側の通信にも、焦りが混じる。
『対象追加!』
『少なくとも、能力者六名以上!』
『石化者を守りながらでは、これ以上は押し切れない!』
隊長は、ここで極めて冷静な判断を下した。
変なプライドで意地を張って、部下を全滅させるような無能ではない。
『こちら、内部第一能力班』
『八咫烏へ、高位能力者による支援を要請する』
『繰り返す。至急、高位能力者の支援を要請!』
その通信の音声を。
千里も。
レイジも。
紫苑も。
三人の直哉が、全く同じタイミングで聞いていた。
八咫烏の支援車両内。
霧島が、真っ直ぐに直哉の目を見た。
「森川さん」
三つの身体で、その声を聞く。
「お願いします」
レイジが、低く答える。
「承知しました」
紫苑が、静かに答える。
「承りました」
千里が、モニターから目を離さずに答える。
「引き続き、後方からの観測とナビゲートを継続します」
直哉の、内心の意識だけが。
(来た)
(これが、初めての『三人同時』の本格戦闘だ)
ただし、新しいおもちゃを与えられた子供のように浮かれたりはしない。
倉庫の中には、命の危機に瀕している石になった警官たちがいるのだ。絶対に失敗は許されない。
第二線の待機地点から。
レイジと紫苑の二人が、同時に倉庫へと向かって移動を開始した。
レイジが先頭を走り、紫苑が少し後方から続く。
千里が、八咫烏の車両から状況を確認する。
「正面入り口から、現在交戦中の中央区画まで。現時点で敵影なし」
「右通路、警察能力者班が防衛戦を展開中」
「守るべき石化者は、中央に十一名」
千里は、全く同じ内容を、公式の無線でも警察の指揮所へと送信する。
数十秒後。
レイジと紫苑が、中央区画へと到着した。
直哉は、レイジと紫苑のそれぞれの目を通して、その凄惨な光景を直接見た。
そこには。
立ったままの警官。
片膝をつき、銃を構えたままの警官。
崩れ落ちそうになった仲間へと手を伸ばした姿勢の警官。
彼らが全て、無機質な灰色の石と化して立ち尽くしていた。
直哉は、言葉を失った。
(……これは、実際に目の前で見るとキツいな……)
遠くのモニターから客観的に見るのとは、全く違う。
つい数分前まで、普通に作戦を遂行し、喋っていた人間たちなのだ。
絶対に、指一本たりとも破壊させるわけにはいかない。
ここで、直哉の中で、三人の役割分担の優先順位が完全に決まった。
レイジが、防戦に徹している警察の能力者班の隊長へと声をかけた。
「状況を」
隊長は、レイジの巨躯を見て、一瞬だけ心底安堵した顔になった。
「白峰さん……!」
彼は、蛇神降臨事件などでのレイジの実績を知っている。
だが、そのレイジの後ろに立つ、黒髪の巫女装束の女性については、全くの初見だった。
「そちらの方は?」
紫苑が、静かに一礼する。
「九条紫苑と申します」
八咫烏側の担当者から、警察の隊長のインカムへ通信が入る。
『九条紫苑。公式確認Tier、1。今回の事案の特殊対応要員です』
警察側の部隊に、一瞬だけ「おお……」とどよめくような空気が走った。
Tier1。日本でもごく少数しか存在しない高位能力者が、自分たちの救援に来たのだ。
だが、今は驚いている場合ではない。
能力者隊長が、悲痛な声で状況を説明する。
「我々は、この石化者たちから離れることができません」
「敵はそれを理解した上で、奥へと距離を取りながら、こちらへ向かって遠距離攻撃を続けています」
「石化のトラップの発生源も、未だに不明です」
レイジが、法剣を抜いた。
「こちらで、前線を押し上げます」
紫苑が、腰の太刀に手を添えながら言った。
「石化された方々の周囲は、私が守ります」
直哉の本当の気持ちとしては、逆に『紫苑を最前線の敵へとぶつけて、レイジをタンクとして防衛に残す』方が、戦術としては正しい気がしていた。
しかし。
今は、この石像を『一つとして破壊させるわけにはいかない』という特殊な状況だ。
ここで、紫苑の《宵刃》と《無明連閃》による、精密な斬撃防衛が生きる。
飛んでくる敵の攻撃だけを斬り落とす。
レイジが、敵へ向かって歩みを進める。
警察の能力者班は、紫苑が防衛に加わったことで、石像を守りながら陣形を立て直す余裕ができた。
軽い初戦が始まった。
敵のTier3級の能力者の一人が、前に出てきたレイジに向かって、圧縮された空気の刃を無数に放ってきた。
レイジは、法剣を振るってその大半の軌道を逸らしつつ。
あえて、その一部の刃を自分の分厚い法服で受け止めた。
空気の刃が法服を裂き、視界のHPゲージがわずかに削れた。
システムが、即座に反応する。
『《判例》登録:風圧断裂事象』
二発目の空気の刃が飛んでくる。
だが、それはレイジの身体に当たった瞬間、そよ風のように霧散して消え去った。
敵の男が、驚愕に目を見開く。
「なっ、何だこいつ!?」
レイジが、一気に踏み込む。
《蒼律剣式》。
法剣の腹を使った強烈な一撃で、敵の武器を弾き飛ばし、姿勢を完全に崩す。
すかさず、後ろに控えていた警察の能力者が、能力による拘束索でその男を拘束する。
一方。
別方向から、石像の群れに向かって、太い金属の杭が数本、猛スピードで飛んできた。
紫苑の、静かな声が響く。
「《月影一閃》」
抜刀。
ただの一振り。
紫苑は、飛来する金属の構造境界を捉え、その連続性を断つ。
太い杭だけが、空中で真っ二つに両断された。
石像の、わずか数十センチ手前で、切断された金属片が左右へと無力に落ちた。
さらに、上空から三発の炎弾が飛んでくる。
能力によって形を保ったまま飛来する、その炎の塊。
紫苑の瞳が、それぞれの構造境界を捉えた。
「《無明連閃》」
紫苑の姿がブレる。
三つの炎弾は、その形を維持する構造を斬断され、全て空中で崩れて火の粉へと変わった。
警察の隊員たちが、息を呑んでその光景を見つめている。
「……すげえ」
紫苑は、全く表情を変えずに刀を正眼に構え直した。
直哉の内心は。
(うん。こういう精密なライン防御、紫苑にめちゃくちゃ向いてるな)
と、自分の采配の的確さに満足していた。
だが、その時。
外の八咫烏車両にいる、千里が。
ある『不自然な動き』に気がついた。
千里は、視点をさらに倉庫の奥深くへと飛ばす。
交戦中の敵の能力者たちだけを見ていたが。
そのさらに奥。観測阻害のノイズの隙間から、見えた光景。
複数の人間が、何か価値のありそうな大量のケースを、慌ただしく台車で運んでいる。
直哉は、瞬時に理解した。
(……前で戦ってる連中、撤収の時間稼ぎか!)
直哉は、千里の意識で、索引ではなく、今見えている人物や物の流れを追った。
人間たちが、コンテナの隙間を縫って、一方向へと集まっている。
その先。
倉庫の最奥。
これまで、ただのコンクリートの壁だったはずの場所。
そこに。
本来存在しないはずの、巨大な光の『開口部』が形成され始めている。
扉を開けているのではない。
壁を物理的に壊しているわけでもない。
空間そのものに、強引に『向こう側への道』が作られているのだ。
直哉は、息を呑んだ。
(空間のゲート……!?)
奥の区画。
犯罪者たちが、選別した価値の高そうなケースだけを次々とゲートへと運び込んでいる。
全部を持っていく気はないらしい。
重い木箱。重要度の低そうな呪物。
それらは、床に無造作に放置されている。
つまり。
彼らは、この倉庫を死守する気など初めからないのだ。
ヤバいと分かった瞬間に、必要なものだけを持って、アジトごと切り捨てるつもりなのだ。
その撤収作業の中心に。
一人の、若い女が立っていた。
二十歳前後くらいだろうか。
派手な金色のメッシュを入れた髪。ジャラジャラとしたアクセサリー。
この血生臭い裏社会の現場には全く似つかわしくない、へそ出しの軽い私服姿。
いかにも、渋谷あたりを歩いていそうな若いギャルだった。
しかし。
周囲の厳つい犯罪者たちは、明確に彼女の指示に従って動いている。
女が、パンパンと軽く手を叩いた。
「はいはーい。撤収だよ〜」
「持っていく箱だけ、先にゲート通してー」
「重いだけのやつとか、代わりが効くようなやつは置いてっていいから。早く早くー」
部下の一人が、焦ったように言う。
「でも、まだ前線で警察と八咫烏の能力者が――」
ギャルが、呆れたようにため息をついた。
「だから、サッサと撤収するんじゃん」
極めて軽く。
だが、その判断は異常なほど速かった。
「こんな倉庫一個のために、うちの主力まで全滅するとか。マジでコスパ悪くてダサいから。さっさと逃げるよ」
千里の視界が、彼女の動きを捉える。
女が、面倒くさそうに片手を軽く振った。
すると。
何もないコンクリートの床から。
『ゴゴゴッ!』
巨大な石材の塊が、一瞬にして隆起して『形成』された。
さらに、彼女が指を弾く。
別の場所の空間から、強固な金属製の防壁が出現する。
高い足場。箱をスムーズに運ぶための簡易的なスロープ。
全部、彼女がその場で、何もない空間から『作り出している』のだ。
そして、彼女の背後にある、あの最大のもの。
どこか別の場所へと繋がっているらしい、巨大な逃走用の空間ゲート。
あれすらも、彼女が自身の能力で創造したものだった。
まだ、彼女の正確な能力名や詳細な条件までは、直哉には分からない。
だが。
(こいつ……)
(ただの物質生成じゃない。『空間』や『構造物』そのものを作り出してるのか?)
しかも、空間ゲートまで。
明らかに、Tier2やTier3の枠に収まるような器の能力ではない。
千里の口から、八咫烏のオペレーションルームへ向けて、緊急の報告が飛ぶ。
「御影より報告。倉庫最奥にて、敵の高位能力者を確認」
「現場で、何もない空間から複数の巨大な構造物を瞬時に生成しています」
「さらに、逃走用と思われる空間接続ゲートを形成中」
現場の指揮所が、一気にざわついた。
八咫烏側で、既存の犯罪者データとの照合が行われる。
身元は不明。現時点で、彼女の正確な名前は分からない。
ただし、千里の報告した能力現象の規模と、空間ゲートを生成するという現象から。
霧島の端末に、一つの赤い警告が表示された。
『推定・Tier1』
その情報が、即座に共有される。
レイジ側の直哉。
(やっぱりいるじゃん、Tier1!! こういう裏の組織には絶対一人くらいいると思ったよ!)
紫苑側の直哉。
だが、直哉は焦っていなかった。
むしろ、相性は決して悪くない。
彼女が『創造』した構造物。
『創造』された空間ゲート。
空間同士の『接続』。
その全てが。紫苑の《宵刃》によって、境界を認識し、斬り裂いて干渉できる可能性が十分にある。
直哉は、内心でほくそ笑んだ。
(紫苑、今回マジで最高の人選だわ)
千里が《天眼》で、紫苑の現在位置から倉庫最奥までの通路と、その途中にいる敵の配置を確認する。
その視界を共有した紫苑が、自ら最短の通路を選び、一人で奥へと向かって猛スピードで走り出した。
しかし、敵側も紫苑の動きにすぐ気がついた。
ギャルの部下の一人が、通信機で叫ぶ。
「増援です! 女が一人、単独でそちらの奥へ向かっています!」
ギャルが、ゲートの前で「んー?」と振り返った。
遠く。
倉庫の薄暗い通路の向こうから、凄まじい速度でこちらへと迫ってくる影。
白黒の巫女装束。
なびく黒髪。
抜き身の太刀。
九条紫苑。
ギャルは、その姿を見て、少しだけ目を細めた。
「あー……」
「あれ、なんかヤバそう。ウチの相性悪そうなタイプじゃん」
怯えた様子はない。
ただ、少し面倒そうに眉を寄せる。
そして、悪戯っぽく笑った。
「じゃあ。撤収まで、ちょっとだけ時間稼ごっか」
彼女が、片手を高く持ち上げた。
倉庫の天井近く。
何もない広大な空間。
そこに。
突如として、巨大な『石柱』が創造され始めた。
直径数メートル。長さは十数メートルにも及ぶ、ギリシャ神殿の柱のような巨大な質量。
明らかに、迫ってくる紫苑一人の人間に対して、ピンポイントで投げてぶつけるようなサイズではない。
ギャルが、笑顔で軽く手を振った。
「はい、よろしく〜」
空中の巨大な石柱が、傾く。
その落下軌道を見た瞬間。
直哉は、相手の狙いを理解した。
(こいつ――俺が避けられない位置を狙ってる!)
紫苑が横へ逃げれば。
そのまま後方にいる、動けない石化警官たちと警察の能力者班へ直撃する。
そのまま。
凄まじい轟音を立てて、巨大な石柱が紫苑と、その後方の警察部隊の頭上へと落下し始めた。
直哉の内心が、悲鳴を上げる。
(でっか!? 避けれねえじゃんこんなの!!)
紫苑の右手が、スッと太刀の柄へと添えられた。
赤紫の瞳が、落ちてくる巨大な質量を見据えて、鋭く細くなる。
そこで――。
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