俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~   作:パラレル・ゲーマー

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第50話 新居の審査が通ったので、早く引っ越します

 事件の翌日。

 

 直哉は、八咫烏の施設を訪れていた。

 昨日の倉庫での強制捜査について、警察から八咫烏へ初期の速報が上がってきている。

 

 霧島から、簡単な報告を受ける。

 

「森川さん。昨日石化されていた警官十一名ですが」

「全員、医療機関での精密検査の結果、大きな異常や後遺症は見られませんでした」

 

「戦闘中に負傷した能力者の警官たちも、重傷者は数名おりますが、生命に別状はありません」

 

 直哉は、その言葉を聞いて心底安堵の息を吐き出した。

 

「あー……よかった。本当に、全員大丈夫だったんですね」

 

「はい。石化解除後の経過も、現時点では全く問題ありません」

 

 直哉は内心で、(なら、昨日あの状況で、敵のボスを無理に追わなかった俺の判断は、やっぱり正解だったな)と一人で納得していた。

 あそこで欲を出していれば、犠牲者が出ていた可能性もある。

 無事だった。よかった。それで十分だ。

 

 だが、敵側について分かっていることは、まだ圧倒的に少なかった。

 

 霧島がタブレットを操作しながら続ける。

 

「昨日、現場で確保された末端の構成員たちについては、現在警察が取り調べを行っています」

「倉庫に残されていた盗難呪物も、過去の事件の被害リストとの照合作業が始まっています」

 

「しかし」

 

 霧島が顔を曇らせる。

 

「逃げた主力メンバーたち。特に……」

「空間ゲートや、巨大なコンクリート構造物を一瞬で創造した『若い女性』」

「そして、白峰さんと交戦した、複数種類の能力現象を使い分ける『男』」

 

「この二人については、過去の能力者犯罪のデータベースにも該当がなく、いまだに身元すら不明です」

 

 多属性の男についても、昨日の戦闘の記録と出力から『高位の能力者である可能性が極めて高い』というところまでしか分かっていない。

 警察も八咫烏も、まだ正式なTier判定を下せるだけの情報を持っていなかった。

 

 直哉が尋ねる。

 

「あのギャルが作った、逃走用のゲートの出口は分かったんですか?」

 

 霧島は首を横に振った。

 

「確認できていません」

「倉庫からゲートを通じて消失した後の、彼らの行き先についても。現時点では完全に不明です」

 

 直哉は、ため息をついた。

「ですよねえ……」

 

 そこで。

 霧島が、直哉の顔を真っ直ぐに見た。

 

「ただ、森川さん」

 

「今回の件は。御影さんが、あの二人の顔と特徴を『直接』観測していますよね」

 

 直哉は。

「……あ」

 と、そこで初めて気がついた。

 

 御影千里。

 《天眼》。

 そして、《広域索引》。

 

 あの二人の姿は、昨日かなり長い時間、千里自身の視界でハッキリと捉え、記憶している。

 Tier1のギャルについては、派手な髪色、顔、体格、服装、能力使用中の特徴的な動作まで。

 多属性の男についても同様だ。

 

 曖昧な「金髪の女」という条件ではない。

『昨日見た、あの人物そのもの』を、完全な対象として設定できる。

 検索のキーとしては、極めて具体的で強固なものだ。

 

 直哉は言った。

 

「……千里なら。今、あいつらがいる場所を探せるかもしれないってことですね」

 

 霧島が頷く。

「可能であれば、ぜひお願いしたいところです」

 

「やってみます」

 

 直哉は、その場で千里へとキャラクターを集結させた。

 そして、即座に《広域索引》を使用する。

 

 狙うのはまず、あのTier1のギャルだ。

 

 千里の観測範囲が、一気に拡大していく。

 日本全国。

 東アジア。

 さらに、その外側の地球上の大陸へと。

 

 直哉は、自分が今やっていることのスケールのデカさに、途中で少しだけ引いていた。

 

(……待てよ)

(俺、昨日現場で会っただけの犯罪者一人を。今、完全に『地球規模の人間検索エンジン』にかけて探してないか?)

 

 しばらく、静かな時間が流れた。

 

 そして。

 千里が、ゆっくりと目を開けた。

 

 検索結果。

 

 該当なし。

 

 直哉は、素っ頓狂な声を出した。

 

「……え?」

 

 直哉は、もう一度条件を慎重に設定し直した。

 昨日の記憶を、さらに鮮明に。

 

 もう一度、検索。

 

 やはり、見つからない。

 

 次に、あの多属性の男を検索対象に設定してみる。

 

 結果は同じ。

 

 該当なし。

 

 直哉は、困惑して首を傾げた。

 

「ええ……?」

 

 霧島も、その報告を聞いて少し表情を硬くした。

 

 直哉が確認する。

「これって、つまり。あいつら今、この地球上のどこにもいないってことですか?」

 

 千里の口から出力されるのは、あくまで『客観的に確認できた事実』だけだ。

 

「少なくとも。現在、私の《広域索引》によって観測可能な地球上の範囲には。該当する二名の存在を、確認できません」

 

 千里は、断定はしない。

 能力や呪物によって、観測を完全に妨害されている可能性。

 未知の遮断手段。

 あるいは、本当に地球上の空間には存在していない可能性。

 

 全てが、可能性として残されている。

 

 直哉は内心で呟いた。

(……あのゲート、一体どこに繋がってたんだよ……)

 

 その後。数日間。

 

 警察と八咫烏から正式に頼まれ、直哉も無理のない範囲で、一日に何度か時間を変えて、千里を使って二人を検索する日々が続いた。

 

 初日。なし。

 その日の夜。なし。

 翌朝。なし。

 

 直哉も(本当に、地球から消えてるんじゃないか?)と思い始めていた。

 

 だが。

 その日の、午後。

 

 突然。

 システムがヒットした。

 

 千里の視点が、即座に日本国内の『ある場所』へと飛ぶ。

 

 直哉の内心が叫ぶ。

(いた!!)

 

 例の、ギャルだ。

 倉庫で見た時とは違う私服を着ているが、間違いなく同じ人物。

 近くには数名の仲間がおり、何かのケースをバンから降ろしている。

 

 直哉は、即座に八咫烏の専用回線へ連絡を入れた。

「見つけました! 現在位置を送信します!」

 

 しかし。

 千里が場所を報告し、現地の警察や八咫烏が動き始めた、その頃だった。

 

 千里の視界の中で。

 ギャルが、何気なく手をヒラヒラと振った。

 すると、彼女の背後にあの『光のゲート』が形成される。

 

 荷物と仲間を通し。

 最後に、彼女自身が入る。

 

 ゲートが、消える。

 

 直後。

 千里の検索結果から、再び彼女の反応が完全にロストした。

 

 直哉は、呆然として報告した。

 

「……消えました」

 

 さらに、翌日。

 

 今度は、多属性の男だけが見つかった。

 場所は日本国内。しかし、前日にギャルが出現した場所とは、全く関連性のなさそうな別の県だった。

 

 男は、誰かと短時間だけ接触し、何か小さな物を受け取る。

 そして、すぐに別の仲間が開いたゲートへと入り。

 

 消失。

 

 さらに別の日。

 今度は二人とも、短時間だけ確認された。

 また、全く別の場所。

 

 完全に、規則性がない。

 日本国内の各地へ、時々、何かの用事でゲリラ的に出てくる。

 

 だが。

 現れている時間が、数分から十数分と、あまりにも短すぎるのだ。

 

 千里が発見し。八咫烏や警察へ位置を送り。現場へ人員を向かわせる。

 その頃には、もうゲートで消えた後なのだ。

 

 直哉自身にも、『千里で見つけた場所へ、自分自身が瞬時にワープする』ような反則的な移動能力はない。

 

 だから。

『見つけられるのに、間に合わない』。

 そういう、極めてもどかしい状態が続いていた。

 

 八咫烏の施設。

 

 またしても、検索からの急行が空振りに終わった後。

 

 直哉は、椅子の背もたれに深くもたれかかった。

 

「うーん……」

「これは、ちょっとしばらく無理かもしれないですね」

 

 霧島も、悔しそうに同意した。

 

「そうですね……。ですが、出現地点の記録は、警察側で全てデータとして蓄積しています」

「彼らが接触した人物。運んでいた物品の形状。利用した車両のナンバー。出現した時間帯」

 

 それらを、警察が地道な捜査材料にしていく。八咫烏も超常面から支援を続ける。

 出現するたびに、接触人物や車両、時間帯などの捜査材料は少しずつ増えている。

 

 ただし、次にいつ、どこへ出てくるのかは全く分からない。

 

 直哉がため息をつく。

「千里がせっかく見つけても、出てきた瞬間に俺が現地へワープできるわけじゃないですしね」

 

 そこで。

 直哉は、ふと冷静になって考えた。

 

(……ん?)

 

(いや、ちょっと待てよ)

 

(世界中から、一度現場で見ただけの犯罪者二人を、ピンポイントで探して)

(日本に出てきた瞬間に、『今、そこにいた』ってリアルタイムで分かってる時点で)

 

(……千里の能力、普通に考えてチート過ぎないか?)

 

 直哉は、改めて自分の手札の異常さに引いていた。

 

(こいつ、やっぱヤバいな……)

 

 直哉は、内心で深く頷いた。

 

 ただし。

 いくら索敵能力がチートでも、敵を捕まえられない以上、直哉が今一人でできることはもうない。

 

「まあ、出現記録と映像のデータは、全てそちらに渡します」

 

 霧島が頭を下げる。

「ありがとうございます。こちらは、警察と共同で地道な捜査を継続します」

 

 直哉は立ち上がった。

「じゃあ、この件については、俺が今すぐどうこうする話じゃないですね。あとはお任せします」

 

 これで、呪物泥棒の件は、直哉の中ではいったん一区切りとなった。

 

 その日の帰り。

 

 実家の自室。

 直哉は、PCの前に座って、ぼんやりと考えていた。

 

(あのゲートの向こう側って、一体どこなんだろ。異界なのか?)

(それとも、地球上だけど、能力や呪物で千里の観測を遮断された完全な閉鎖空間とか?)

(あるいは、どこかに専用の秘密基地でも作ってるとか?)

 

 いくら考えても、答えは出ない。

 

 そんな時だった。

 

『ブルルルッ』

 

 机の上のスマホが鳴った。

 画面には、見覚えのある固定電話番号が表示されている。

 

 先日、八咫烏から紹介されて物件の申し込みをした、あの不動産会社からだ。

 

 直哉は。

「……お?」

 と声を弾ませて、急いで電話に出た。

 

「はい、森川です」

 

『森川様。先日お申し込みいただきました物件の件ですが』

 

 担当者の声が、一拍置いて。

 

『無事、管理会社と保証会社の入居審査を通過いたしました』

 

 直哉は、思わずガッツポーズをした。

 

「おおっ!!」

 

 ここで、直哉の頭の中のスイッチが、一気に切り替わった。

 

(あの犯罪組織が千里の索引から消える件も、めちゃくちゃ気になる)

(千里が世界規模の人間検索エンジンになってる件も、めちゃくちゃヤバくて気になる)

 

(でも!!)

 

(それはそうと、ついに引っ越しだ!!)

 

 直哉のテンションは、ここから完全に『日常の引っ越しモード』へと全振りされた。

 

 担当者からの、事務的な説明が続く。

 

 契約書類のやり取り。

 初期費用の振り込み。

 そして、能力者対応物件としての、必要な特約事項の確認。

 

 管理会社側には。

「八咫烏に登録済みの能力によって、外見の異なる複数の身体が日常的に出入りする」

 ということまで、すでに了承済みとなっている。

 能力の具体的な詳細までは共有しない。必要な範囲での根回しは済んでいた。

 

 担当者が言う。

『物件自体は、すでにハウスクリーニングも終わっている空室です』

『必要な契約の手続きさえ終われば、かなり早い段階でご入居いただけますが』

 

『森川様は、ご希望の入居日などはございますか?』

 

 直哉は、一ミリも迷わなかった。

 

「最短でお願いします」

 

 担当者が、少しだけ驚いたような声で返す。

『承知いたしました。では、大至急で書類の手配を進めさせていただきます』

 

 直哉の目的は、もう決まっている。

 《並列集結》が使えるようになった以上、両親と暮らすこの普通の実家は、能力の運用上、明らかに不便になっている。

 引っ越しは、早ければ早い方がいい。

 

 その日の、夕食時。

 

 直哉は、ご飯を食べながら、両親へごく普通に報告した。

 

「そういえば、この前話してた一人暮らしの部屋の件だけど。今日、審査通ったわ」

 

 母親が、驚いて箸を止める。

「えっ、もう決まったの?」

 

「早いわねえ。いつ引っ越すの?」

 

 直哉は、味噌汁を飲みながら答えた。

「空いてる部屋だったし。仕事の通勤とか色々考えたら、早い方がいいかなと思って。来週には引っ越すよ」

 

 父親が、心配そうに尋ねる。

「家賃とか、初期費用は大丈夫なんだろうな?」

 

 直哉は、胸を張って答えた。

「そこは、ちゃんと計算してあるから大丈夫だよ。払える」

 

 これは、全くの事実だ。

 家賃は高い。でも、今の直哉なら十分に払える。

 収入が不安定になった場合の余裕も含めて計算してある。

 

 父親も、それ以上は追及しなかった。

「まあ、自分で決めたことなら、自分で責任持ってやればいい」

 

 母親が、呆れたように言う。

「あんた、一人暮らしなんて初めてなんだから。ご飯だけは、ちゃんと栄養あるもの食べなさいよ? 毎日コンビニ弁当とかダメだからね」

 

 直哉は苦笑した。

「分かってるって」

 

 直哉の内心は。

(食生活については、場合によっては、俺よりもエレノアの身体に任せた方が、百倍信用できそうなんだよな……)

 と思っていたが、当然そんなことは言えないので黙っておいた。

 

 自室に戻った直哉は、さっそく引っ越しの荷造りを始めた。

 

 部屋の中に、段ボール箱がいくつも並べられる。

 直哉が、自分の荷物を順番に詰めていく。

 

 ゲーム機。

 PCの周辺機器。

 本。漫画。

 衣類。

 

 昔の、会社員時代のスーツやカバン。

 十一ヶ月間の無職生活で使い倒した、スウェットやマグカップ。

 

 そして。

 直哉は、ふと気がついた。

 能力者になってから、自分の生活に『物理的に増えた物』は、驚くほど少ない。

 

 武装は、全てシステム側に収納されている。

 レイジの法剣も。紫苑の太刀も。伊織の長銃も。

 引っ越し業者に、「これ、危ないんで気をつけて運んでくださいね」と預ける必要は全くないのだ。

 

 直哉は、段ボールをガムテープで閉じながら一人で笑った。

 

「……能力者対応の、超高セキュリティな高級物件に引っ越すっていうのに」

「荷物の中身だけ見たら、ただの普通の三十四歳のゲーマーの引っ越しだな、これ」

 

 一番慎重に、厳重にプチプチで梱包するのは。

 高価な呪物でも、能力者用の特殊装備でもない。

 結局、愛用のゲーミングPCとモニターだった。

 

「これ壊れたら、呪物盗まれるより普通にショックかもしれん……」

 もちろん本気ではないが、それくらい直哉のゲーマー魂は健在だった。

 

 荷造りがほぼ終わる。

 

 物が次々と段ボールに詰められ、部屋の空間が少しずつ空いていく。

 ずっと見慣れていた六畳間。

 ベッドの骨組み。何もなくなった机。ホコリの跡が残る棚。

 

 直哉は、部屋の中央に立って、少しだけその景色を眺めた。

 

 十一ヶ月間の無職期間。

 最初に《因果集結クロニクル》の画面を開いた日。

 初めて、セナの姿へと変身した日。

 

 直哉の裏社会での異常な人生は、全てここから始まったのだ。

 

 ただし。直哉は、長々と感傷に浸るようなことはしなかった。

 

(まあ、実家そのものがなくなるわけじゃないしな)

 

 両親も、ここにいる。

 来ようと思えば、電車で普通に来られる距離だ。

 だから、これは人生の永遠の別れではなく、ただの『生活拠点の移動』に過ぎない。

 

 そのくらいの、ドライな温度感だった。

 

 数日後。

 引っ越しの当日。

 

 朝から、大手の引っ越し業者のトラックが家の前に停まる。

 屈強な作業員たちが、直哉の段ボールや家具を次々と手際よく運び出していく。

 

 本当に、ごく普通の引っ越し風景だ。

 能力者向けの、防弾ガラス仕様の特殊な装甲車両が迎えに来たりはしない。

 

 直哉は、業者とリストを確認しながら搬出の指示を出す。

 

 母親が、最後まで心配そうについて回る。

「直哉、それ持った? 印鑑は? 忘れ物ない?」

 

 直哉は苦笑しながら答える。

「大丈夫だって。全部カバンに入ってるから」

 

 父親は、玄関で腕を組んで言った。

「何か困ったことがあったら、連絡しろ。別に遠くの外国へ行くわけじゃないんだから」

 

 直哉は頷いた。

「うん。ありがとう。また顔見せに来るよ」

 

 湿っぽい別れにはしない。

 

 ただ。

 直哉は、自分も家を出る前。

 一度だけ、自分の育った実家の家を振り返った。

 

(……世話になったな)

 

 それだけを心の中で呟いて。

 直哉は、新しい生活へ向けて出発した。

 

 午後。

 

 都内の、新しいマンション。

 高セキュリティ。外から共用廊下が見えにくい構造。人目につきにくい地下駐車場からの動線。

 でも、外観はごく普通の、綺麗な高級賃貸マンションだ。

 いかにもな『裏社会の秘密基地』感はない。

 

 直哉は、エントランスを抜けながら思った。

(うん)

(やっぱり、ここにして大正解だったな)

 

 部屋への荷物の搬入が始まる。

 ソファ。ベッド。机。PC。

 段ボールが、広いリビングに次々と積み上げられていく。

 

 業者との最終確認。

 破損はなし。紛失もなし。

 最後に、直哉がサインをする。

 

「ありがとうございました。お疲れ様でした」

 

 業者が頭を下げて退出する。

 重厚なドアが、静かに閉まった。

 

 急に。

 部屋の中が、シーンと静かになった。

 

 広いリビング。

 山積みにされた段ボール。

 直哉、一人。

 

 直哉は、少しの間、部屋の中央で立ち尽くしていた。

 

 今までなら。

 隣の部屋から、一階から、廊下から。

 どこかに、必ず両親の生活音があった。テレビの音や、食器の音が聞こえていた。

 

 でも、今はない。

 ここは、完全に自分だけの空間だ。

 

 直哉は、小さく呟いた。

「…………」

 

「……引っ越したな、俺」

 

 ここで、ようやく実感が湧いてきた。

 

 三十四歳にして、人生初の一人暮らし。

 

 ただし。

 これは、『普通の一人暮らし』ではない。

 

 直哉は、広いリビングをぐるりと見回した。

 

 そして。

 口角を上げて、ニヤリと笑った。

 

「……せっかくだし」

 

 直哉は、能力を発動した。

 

『《並列集結》』

 

 青白い光が、三つ、リビングに弾ける。

 

 まず。

 白峰レイジ。

 エレノア・ヴァイス。

 御影千里。

 

 三人の直哉が、新居の広いリビングに同時に立った。

 

 以前の実家の六畳間なら。

 この三人が並んだ時点で、圧迫感が酷すぎて息が詰まっただろう。

 188センチのレイジなど、そこに立っているだけで邪魔で仕方がない。

 

 だが。

 この新居のリビングは。

 

 余裕だった。

 

 レイジが、ソファの横に立つ。

 千里が、ダイニングキッチンの側に立つ。

 エレノアが、窓際の前に立つ。

 

 それでも、十分に人と人がすれ違えるだけの生活空間がある。

 

 直哉は、三つの視界でその広さを実感した。

 

(おお……)

(ちゃんと三人いても、普通に広い)

 

 部屋探しの時、不動産屋の担当者が言っていた「大人三人分の生活動線が必要ですね」という言葉が。

 本当に必要不可欠だったことを、今ここで実感していた。

 

(あの営業マン、完全に正しかったわ……)

 

 直哉は、そのままの三身体の状態で、荷物の片付けを開始した。

 

 レイジ。

 その圧倒的なTier2の身体能力を活かし、大きな家具や、重い段ボールの山を軽々と持ち上げて運んでいく。

 ただし、新居の床や家具を壊さないように、極めて慎重に、繊細に動く。

 

 エレノア。

 衣類。キッチン用品。収納への配置。

 メイド長らしい、非常に丁寧で洗練された所作で、次々と小物を美しく片付けていく。

 

 千里。

 本やゲームの小物。PC周辺の軽い箱を運ぶ。

 能力は使わない。ただの小柄な女性としての作業だ。

 

 ただ、三つの身体が、同時にそれぞれ全く別の作業を進行しているだけ。

 なのに、その片付けのスピードは異常なほどに速かった。

 

 直哉は、内心で突っ込んだ。

 

(何これ)

(俺の一人暮らしの引っ越しのはずなのに。完全に優秀な作業員が三人もいるじゃん)

 

 いや。

 

(これ、全部俺なんだけど)

 

 それぞれ別の場所で、別の箱を開ける。

 でも、中身は全部、直哉の意識で共有して把握している。

「これ、どこに置く?」みたいな無駄な会話すら不要だ。

 自分が、自分の意図を、全て完璧に知っているのだから。

 

 直哉は、感動すら覚えていた。

 

(引っ越し作業と《並列集結》、相性良すぎだろ……!!)

 

 ある程度、大物の家具の配置が片付いたところで。

 

 さすがに、レイジの巨体は日常の細々とした作業には少し邪魔になってきた。

 直哉は、レイジ側の身体の集結だけを解除した。

 

 既存のシステムの仕様通り。

 レイジの身体が、青白い光となってフッと消える。

 代わりに、そこに生身の、三十四歳の森川直哉の身体が実体化して戻る。

 

 エレノアと千里の身体は、そのまま維持されて存在している。

 

 結果。

 生身の直哉。エレノア。千里。

 この三人が、リビングにいる。全員、直哉だ。

 

 直哉は、残ったダンボールの中からPCの箱を取り出した。

 最優先事項だ。

 

「よし。俺はこっちやるわ」

 

 言った瞬間。

 

(……俺、今、誰に向かって指示出してんだ?)

 

 と、自分で自分が面白くなって少し笑ってしまった。

 

 生身の直哉は。

 

 PCを慎重に開梱し。新しいデスクの上へと完璧な配置でセッティングしていく。

 デュアルモニター。大量のケーブル。ルーター。回線の設定。

 ここだけは、他のどの作業よりも明らかに真剣だった。

 

 エレノア側の身体で、キッチンの収納を綺麗に片付けながら。

 千里側の身体で、本棚に漫画を綺麗に並べながら。

 男性の直哉側の身体で、デスクの下で配線を繋ぐ。

 

 三つ全部が同じ直哉の意識だから、PC作業中に別の身体が何をしているかも、手に取るように分かる。

 

 直哉は、配線を繋ぎ終えて立ち上がった。

 

(……普通なら、引っ越し初日なんて、一日中段ボールの山に囲まれて地獄を見るもんだろうけど)

 

 部屋を見渡す。

 すでに、かなり生活できるレベルにまで片付いている。

 

(反則だな、この能力)

 

 エレノア側の視界。

 

 エレノアは、キッチンを確認していた。

 備え付けの綺麗な食器棚。最新の調理器具。冷蔵庫の中は、まだ水しか入っていなくてほとんど空だ。

 

 直哉は、そのエレノアの姿を、男性側の生身の視界でも見ていた。

 

 銀髪。クラシカルなメイド服。

 それが、新しい高級マンションの、ピカピカのアイランドキッチンに立っている。

 

 異様なほどに、絵になっていた。

 

 直哉は、少しだけ遠い目をした。

 

(……いや)

(エレノア、この家に馴染みすぎだろ)

 

 三十四歳の、独身男性が一人で引っ越してきたはずの部屋なのに。

 どう見ても。

『住み込みの、完璧な外国人メイドを雇っている、富豪の部屋』にしか見えないのだ。

 

 しかも、その外国人メイドの中身も、自分なのだ。

 

 直哉は、頭を振った。

(考えれば考えるほど、意味が分からなくなってくるな……)

 

 夕方。

 

 たった数時間で、新居は想像以上に片付いた。

 まだ細かい段ボールは隅に残っているが、最低限暮らすには全く問題ない。

 PCも起動した。ネットも爆速で繋がる。

 ベッドのシーツも敷き終わり、洗面用品も配置済みだ。

 

 直哉は、満足して《並列集結》を完全に解除した。

 

 最後に残ったのは、生身の直哉一人。

 

 急に。

 部屋が、シーンと静かになった。

 

 広い。

 さっきまで三人の人間がバタバタと動いていたから、余計にこの部屋が広く感じられる。

 

 直哉は、ソファに深く腰を下ろした。

 

「…………」

 

「便利すぎるだろ、《並列集結》……」

 

 戦闘。

 仕事の同時進行。

 遠隔観測。

 そして、引っ越しの片付け。

 

 使い道の幅が、おかしなことになっている。

 

 スマホが鳴った。

 母親からのメッセージだ。

 

『ちゃんと着いた?』

 

 直哉は、少しだけ笑って。

『着いた。もうだいたい片付いたよ』

 と返信した。

 

 すぐに返事が来る。

『早いわね。一人で大丈夫だったの?』

 

 直哉は。

(まあ、実質三人でプロ並みのスピードで片付けたからな)

 と思ったが、当然言えない。

 

『荷物そんなに多くなかったからね』

 とだけ返す。

 

 続いて、母親から。

『晩ご飯、ちゃんと食べなさいよ。コンビニばっかりじゃダメよ』

 

 直哉は。

『はいはい。分かってるって』

 と返した。

 

 直哉は、ソファに背中を預けた。

 

 新しい部屋。まだ少しだけ残る段ボールの匂い。

 PCのファンの起動音。

 スマホの画面の光。

 窓の外には、都内の夜景が広がっている。

 

 ふと。直哉の脳裏に、数日前の出来事が蘇った。

 

 Tier1のギャル。

 多属性の男。

 ゲートの向こうへ入ると《広域索引》から完全に消える、謎の逃走手段。

 千里の《広域索引》でも追いつけない、謎の敵対組織。

 

 気になる。

 当然、気になる。あのまま終わるとは到底思えない。

 

 だが。

 

 直哉は、小さく首を振った。

 

(まあ、いいか)

 

(あっちは、警察と八咫烏が組織として継続して捜査してるんだ)

(また日本に出てくれば、俺の千里で見つけられる可能性も十分にある)

 

 今、自分がこの部屋で一人で何時間考えたところで、答えが出るような問題ではない。

 

 直哉は、視線を新しい自分の部屋へと戻した。

 

「それより、今は――」

 

 直哉は、ソファに深く座り直した。

 

 自分だけの、自分の城。

 実家とは違う。

 ここには、誰にも変身を隠す必要がないのだ。

 

 エレノアが、突然キッチンに立って料理をしていてもいい。

 レイジが、リビングでテレビを見ていてもいい。

 紫苑が、巫女装束のままウロウロしていてもいい。

 ヴェルミリアを出しても、少なくとも親に見つかってパニックになられる心配はない。

 

 もちろん、能力を部屋の中でぶっ放して壁を壊すのは絶対にダメだ。

 

 でも。

『自分の生活の中で、変身をコソコソと隠す必要が完全になくなった』のだ。

 

 直哉は、両腕を大きく広げて言った。

 

「よし」

 

「今日から、楽しい一人暮らしの始まりだ!」

 

 一拍、置いて。

 

 直哉の視界の端に。

 《編成》欄の、最大三人のキャラクターのアイコンが光っている。

 

 直哉は。

 

「…………」

 

「……これ、一人暮らし、なんだよな?」

 

 誰もいない広い部屋で。

 直哉は、自分で自分に首を傾げていた。




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