俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
事件の翌日。
直哉は、八咫烏の施設を訪れていた。
昨日の倉庫での強制捜査について、警察から八咫烏へ初期の速報が上がってきている。
霧島から、簡単な報告を受ける。
「森川さん。昨日石化されていた警官十一名ですが」
「全員、医療機関での精密検査の結果、大きな異常や後遺症は見られませんでした」
「戦闘中に負傷した能力者の警官たちも、重傷者は数名おりますが、生命に別状はありません」
直哉は、その言葉を聞いて心底安堵の息を吐き出した。
「あー……よかった。本当に、全員大丈夫だったんですね」
「はい。石化解除後の経過も、現時点では全く問題ありません」
直哉は内心で、(なら、昨日あの状況で、敵のボスを無理に追わなかった俺の判断は、やっぱり正解だったな)と一人で納得していた。
あそこで欲を出していれば、犠牲者が出ていた可能性もある。
無事だった。よかった。それで十分だ。
だが、敵側について分かっていることは、まだ圧倒的に少なかった。
霧島がタブレットを操作しながら続ける。
「昨日、現場で確保された末端の構成員たちについては、現在警察が取り調べを行っています」
「倉庫に残されていた盗難呪物も、過去の事件の被害リストとの照合作業が始まっています」
「しかし」
霧島が顔を曇らせる。
「逃げた主力メンバーたち。特に……」
「空間ゲートや、巨大なコンクリート構造物を一瞬で創造した『若い女性』」
「そして、白峰さんと交戦した、複数種類の能力現象を使い分ける『男』」
「この二人については、過去の能力者犯罪のデータベースにも該当がなく、いまだに身元すら不明です」
多属性の男についても、昨日の戦闘の記録と出力から『高位の能力者である可能性が極めて高い』というところまでしか分かっていない。
警察も八咫烏も、まだ正式なTier判定を下せるだけの情報を持っていなかった。
直哉が尋ねる。
「あのギャルが作った、逃走用のゲートの出口は分かったんですか?」
霧島は首を横に振った。
「確認できていません」
「倉庫からゲートを通じて消失した後の、彼らの行き先についても。現時点では完全に不明です」
直哉は、ため息をついた。
「ですよねえ……」
そこで。
霧島が、直哉の顔を真っ直ぐに見た。
「ただ、森川さん」
「今回の件は。御影さんが、あの二人の顔と特徴を『直接』観測していますよね」
直哉は。
「……あ」
と、そこで初めて気がついた。
御影千里。
《天眼》。
そして、《広域索引》。
あの二人の姿は、昨日かなり長い時間、千里自身の視界でハッキリと捉え、記憶している。
Tier1のギャルについては、派手な髪色、顔、体格、服装、能力使用中の特徴的な動作まで。
多属性の男についても同様だ。
曖昧な「金髪の女」という条件ではない。
『昨日見た、あの人物そのもの』を、完全な対象として設定できる。
検索のキーとしては、極めて具体的で強固なものだ。
直哉は言った。
「……千里なら。今、あいつらがいる場所を探せるかもしれないってことですね」
霧島が頷く。
「可能であれば、ぜひお願いしたいところです」
「やってみます」
直哉は、その場で千里へとキャラクターを集結させた。
そして、即座に《広域索引》を使用する。
狙うのはまず、あのTier1のギャルだ。
千里の観測範囲が、一気に拡大していく。
日本全国。
東アジア。
さらに、その外側の地球上の大陸へと。
直哉は、自分が今やっていることのスケールのデカさに、途中で少しだけ引いていた。
(……待てよ)
(俺、昨日現場で会っただけの犯罪者一人を。今、完全に『地球規模の人間検索エンジン』にかけて探してないか?)
しばらく、静かな時間が流れた。
そして。
千里が、ゆっくりと目を開けた。
検索結果。
該当なし。
直哉は、素っ頓狂な声を出した。
「……え?」
直哉は、もう一度条件を慎重に設定し直した。
昨日の記憶を、さらに鮮明に。
もう一度、検索。
やはり、見つからない。
次に、あの多属性の男を検索対象に設定してみる。
結果は同じ。
該当なし。
直哉は、困惑して首を傾げた。
「ええ……?」
霧島も、その報告を聞いて少し表情を硬くした。
直哉が確認する。
「これって、つまり。あいつら今、この地球上のどこにもいないってことですか?」
千里の口から出力されるのは、あくまで『客観的に確認できた事実』だけだ。
「少なくとも。現在、私の《広域索引》によって観測可能な地球上の範囲には。該当する二名の存在を、確認できません」
千里は、断定はしない。
能力や呪物によって、観測を完全に妨害されている可能性。
未知の遮断手段。
あるいは、本当に地球上の空間には存在していない可能性。
全てが、可能性として残されている。
直哉は内心で呟いた。
(……あのゲート、一体どこに繋がってたんだよ……)
その後。数日間。
警察と八咫烏から正式に頼まれ、直哉も無理のない範囲で、一日に何度か時間を変えて、千里を使って二人を検索する日々が続いた。
初日。なし。
その日の夜。なし。
翌朝。なし。
直哉も(本当に、地球から消えてるんじゃないか?)と思い始めていた。
だが。
その日の、午後。
突然。
システムがヒットした。
千里の視点が、即座に日本国内の『ある場所』へと飛ぶ。
直哉の内心が叫ぶ。
(いた!!)
例の、ギャルだ。
倉庫で見た時とは違う私服を着ているが、間違いなく同じ人物。
近くには数名の仲間がおり、何かのケースをバンから降ろしている。
直哉は、即座に八咫烏の専用回線へ連絡を入れた。
「見つけました! 現在位置を送信します!」
しかし。
千里が場所を報告し、現地の警察や八咫烏が動き始めた、その頃だった。
千里の視界の中で。
ギャルが、何気なく手をヒラヒラと振った。
すると、彼女の背後にあの『光のゲート』が形成される。
荷物と仲間を通し。
最後に、彼女自身が入る。
ゲートが、消える。
直後。
千里の検索結果から、再び彼女の反応が完全にロストした。
直哉は、呆然として報告した。
「……消えました」
さらに、翌日。
今度は、多属性の男だけが見つかった。
場所は日本国内。しかし、前日にギャルが出現した場所とは、全く関連性のなさそうな別の県だった。
男は、誰かと短時間だけ接触し、何か小さな物を受け取る。
そして、すぐに別の仲間が開いたゲートへと入り。
消失。
さらに別の日。
今度は二人とも、短時間だけ確認された。
また、全く別の場所。
完全に、規則性がない。
日本国内の各地へ、時々、何かの用事でゲリラ的に出てくる。
だが。
現れている時間が、数分から十数分と、あまりにも短すぎるのだ。
千里が発見し。八咫烏や警察へ位置を送り。現場へ人員を向かわせる。
その頃には、もうゲートで消えた後なのだ。
直哉自身にも、『千里で見つけた場所へ、自分自身が瞬時にワープする』ような反則的な移動能力はない。
だから。
『見つけられるのに、間に合わない』。
そういう、極めてもどかしい状態が続いていた。
八咫烏の施設。
またしても、検索からの急行が空振りに終わった後。
直哉は、椅子の背もたれに深くもたれかかった。
「うーん……」
「これは、ちょっとしばらく無理かもしれないですね」
霧島も、悔しそうに同意した。
「そうですね……。ですが、出現地点の記録は、警察側で全てデータとして蓄積しています」
「彼らが接触した人物。運んでいた物品の形状。利用した車両のナンバー。出現した時間帯」
それらを、警察が地道な捜査材料にしていく。八咫烏も超常面から支援を続ける。
出現するたびに、接触人物や車両、時間帯などの捜査材料は少しずつ増えている。
ただし、次にいつ、どこへ出てくるのかは全く分からない。
直哉がため息をつく。
「千里がせっかく見つけても、出てきた瞬間に俺が現地へワープできるわけじゃないですしね」
そこで。
直哉は、ふと冷静になって考えた。
(……ん?)
(いや、ちょっと待てよ)
(世界中から、一度現場で見ただけの犯罪者二人を、ピンポイントで探して)
(日本に出てきた瞬間に、『今、そこにいた』ってリアルタイムで分かってる時点で)
(……千里の能力、普通に考えてチート過ぎないか?)
直哉は、改めて自分の手札の異常さに引いていた。
(こいつ、やっぱヤバいな……)
直哉は、内心で深く頷いた。
ただし。
いくら索敵能力がチートでも、敵を捕まえられない以上、直哉が今一人でできることはもうない。
「まあ、出現記録と映像のデータは、全てそちらに渡します」
霧島が頭を下げる。
「ありがとうございます。こちらは、警察と共同で地道な捜査を継続します」
直哉は立ち上がった。
「じゃあ、この件については、俺が今すぐどうこうする話じゃないですね。あとはお任せします」
これで、呪物泥棒の件は、直哉の中ではいったん一区切りとなった。
その日の帰り。
実家の自室。
直哉は、PCの前に座って、ぼんやりと考えていた。
(あのゲートの向こう側って、一体どこなんだろ。異界なのか?)
(それとも、地球上だけど、能力や呪物で千里の観測を遮断された完全な閉鎖空間とか?)
(あるいは、どこかに専用の秘密基地でも作ってるとか?)
いくら考えても、答えは出ない。
そんな時だった。
『ブルルルッ』
机の上のスマホが鳴った。
画面には、見覚えのある固定電話番号が表示されている。
先日、八咫烏から紹介されて物件の申し込みをした、あの不動産会社からだ。
直哉は。
「……お?」
と声を弾ませて、急いで電話に出た。
「はい、森川です」
『森川様。先日お申し込みいただきました物件の件ですが』
担当者の声が、一拍置いて。
『無事、管理会社と保証会社の入居審査を通過いたしました』
直哉は、思わずガッツポーズをした。
「おおっ!!」
ここで、直哉の頭の中のスイッチが、一気に切り替わった。
(あの犯罪組織が千里の索引から消える件も、めちゃくちゃ気になる)
(千里が世界規模の人間検索エンジンになってる件も、めちゃくちゃヤバくて気になる)
(でも!!)
(それはそうと、ついに引っ越しだ!!)
直哉のテンションは、ここから完全に『日常の引っ越しモード』へと全振りされた。
担当者からの、事務的な説明が続く。
契約書類のやり取り。
初期費用の振り込み。
そして、能力者対応物件としての、必要な特約事項の確認。
管理会社側には。
「八咫烏に登録済みの能力によって、外見の異なる複数の身体が日常的に出入りする」
ということまで、すでに了承済みとなっている。
能力の具体的な詳細までは共有しない。必要な範囲での根回しは済んでいた。
担当者が言う。
『物件自体は、すでにハウスクリーニングも終わっている空室です』
『必要な契約の手続きさえ終われば、かなり早い段階でご入居いただけますが』
『森川様は、ご希望の入居日などはございますか?』
直哉は、一ミリも迷わなかった。
「最短でお願いします」
担当者が、少しだけ驚いたような声で返す。
『承知いたしました。では、大至急で書類の手配を進めさせていただきます』
直哉の目的は、もう決まっている。
《並列集結》が使えるようになった以上、両親と暮らすこの普通の実家は、能力の運用上、明らかに不便になっている。
引っ越しは、早ければ早い方がいい。
その日の、夕食時。
直哉は、ご飯を食べながら、両親へごく普通に報告した。
「そういえば、この前話してた一人暮らしの部屋の件だけど。今日、審査通ったわ」
母親が、驚いて箸を止める。
「えっ、もう決まったの?」
「早いわねえ。いつ引っ越すの?」
直哉は、味噌汁を飲みながら答えた。
「空いてる部屋だったし。仕事の通勤とか色々考えたら、早い方がいいかなと思って。来週には引っ越すよ」
父親が、心配そうに尋ねる。
「家賃とか、初期費用は大丈夫なんだろうな?」
直哉は、胸を張って答えた。
「そこは、ちゃんと計算してあるから大丈夫だよ。払える」
これは、全くの事実だ。
家賃は高い。でも、今の直哉なら十分に払える。
収入が不安定になった場合の余裕も含めて計算してある。
父親も、それ以上は追及しなかった。
「まあ、自分で決めたことなら、自分で責任持ってやればいい」
母親が、呆れたように言う。
「あんた、一人暮らしなんて初めてなんだから。ご飯だけは、ちゃんと栄養あるもの食べなさいよ? 毎日コンビニ弁当とかダメだからね」
直哉は苦笑した。
「分かってるって」
直哉の内心は。
(食生活については、場合によっては、俺よりもエレノアの身体に任せた方が、百倍信用できそうなんだよな……)
と思っていたが、当然そんなことは言えないので黙っておいた。
自室に戻った直哉は、さっそく引っ越しの荷造りを始めた。
部屋の中に、段ボール箱がいくつも並べられる。
直哉が、自分の荷物を順番に詰めていく。
ゲーム機。
PCの周辺機器。
本。漫画。
衣類。
昔の、会社員時代のスーツやカバン。
十一ヶ月間の無職生活で使い倒した、スウェットやマグカップ。
そして。
直哉は、ふと気がついた。
能力者になってから、自分の生活に『物理的に増えた物』は、驚くほど少ない。
武装は、全てシステム側に収納されている。
レイジの法剣も。紫苑の太刀も。伊織の長銃も。
引っ越し業者に、「これ、危ないんで気をつけて運んでくださいね」と預ける必要は全くないのだ。
直哉は、段ボールをガムテープで閉じながら一人で笑った。
「……能力者対応の、超高セキュリティな高級物件に引っ越すっていうのに」
「荷物の中身だけ見たら、ただの普通の三十四歳のゲーマーの引っ越しだな、これ」
一番慎重に、厳重にプチプチで梱包するのは。
高価な呪物でも、能力者用の特殊装備でもない。
結局、愛用のゲーミングPCとモニターだった。
「これ壊れたら、呪物盗まれるより普通にショックかもしれん……」
もちろん本気ではないが、それくらい直哉のゲーマー魂は健在だった。
荷造りがほぼ終わる。
物が次々と段ボールに詰められ、部屋の空間が少しずつ空いていく。
ずっと見慣れていた六畳間。
ベッドの骨組み。何もなくなった机。ホコリの跡が残る棚。
直哉は、部屋の中央に立って、少しだけその景色を眺めた。
十一ヶ月間の無職期間。
最初に《因果集結クロニクル》の画面を開いた日。
初めて、セナの姿へと変身した日。
直哉の裏社会での異常な人生は、全てここから始まったのだ。
ただし。直哉は、長々と感傷に浸るようなことはしなかった。
(まあ、実家そのものがなくなるわけじゃないしな)
両親も、ここにいる。
来ようと思えば、電車で普通に来られる距離だ。
だから、これは人生の永遠の別れではなく、ただの『生活拠点の移動』に過ぎない。
そのくらいの、ドライな温度感だった。
数日後。
引っ越しの当日。
朝から、大手の引っ越し業者のトラックが家の前に停まる。
屈強な作業員たちが、直哉の段ボールや家具を次々と手際よく運び出していく。
本当に、ごく普通の引っ越し風景だ。
能力者向けの、防弾ガラス仕様の特殊な装甲車両が迎えに来たりはしない。
直哉は、業者とリストを確認しながら搬出の指示を出す。
母親が、最後まで心配そうについて回る。
「直哉、それ持った? 印鑑は? 忘れ物ない?」
直哉は苦笑しながら答える。
「大丈夫だって。全部カバンに入ってるから」
父親は、玄関で腕を組んで言った。
「何か困ったことがあったら、連絡しろ。別に遠くの外国へ行くわけじゃないんだから」
直哉は頷いた。
「うん。ありがとう。また顔見せに来るよ」
湿っぽい別れにはしない。
ただ。
直哉は、自分も家を出る前。
一度だけ、自分の育った実家の家を振り返った。
(……世話になったな)
それだけを心の中で呟いて。
直哉は、新しい生活へ向けて出発した。
午後。
都内の、新しいマンション。
高セキュリティ。外から共用廊下が見えにくい構造。人目につきにくい地下駐車場からの動線。
でも、外観はごく普通の、綺麗な高級賃貸マンションだ。
いかにもな『裏社会の秘密基地』感はない。
直哉は、エントランスを抜けながら思った。
(うん)
(やっぱり、ここにして大正解だったな)
部屋への荷物の搬入が始まる。
ソファ。ベッド。机。PC。
段ボールが、広いリビングに次々と積み上げられていく。
業者との最終確認。
破損はなし。紛失もなし。
最後に、直哉がサインをする。
「ありがとうございました。お疲れ様でした」
業者が頭を下げて退出する。
重厚なドアが、静かに閉まった。
急に。
部屋の中が、シーンと静かになった。
広いリビング。
山積みにされた段ボール。
直哉、一人。
直哉は、少しの間、部屋の中央で立ち尽くしていた。
今までなら。
隣の部屋から、一階から、廊下から。
どこかに、必ず両親の生活音があった。テレビの音や、食器の音が聞こえていた。
でも、今はない。
ここは、完全に自分だけの空間だ。
直哉は、小さく呟いた。
「…………」
「……引っ越したな、俺」
ここで、ようやく実感が湧いてきた。
三十四歳にして、人生初の一人暮らし。
ただし。
これは、『普通の一人暮らし』ではない。
直哉は、広いリビングをぐるりと見回した。
そして。
口角を上げて、ニヤリと笑った。
「……せっかくだし」
直哉は、能力を発動した。
『《並列集結》』
青白い光が、三つ、リビングに弾ける。
まず。
白峰レイジ。
エレノア・ヴァイス。
御影千里。
三人の直哉が、新居の広いリビングに同時に立った。
以前の実家の六畳間なら。
この三人が並んだ時点で、圧迫感が酷すぎて息が詰まっただろう。
188センチのレイジなど、そこに立っているだけで邪魔で仕方がない。
だが。
この新居のリビングは。
余裕だった。
レイジが、ソファの横に立つ。
千里が、ダイニングキッチンの側に立つ。
エレノアが、窓際の前に立つ。
それでも、十分に人と人がすれ違えるだけの生活空間がある。
直哉は、三つの視界でその広さを実感した。
(おお……)
(ちゃんと三人いても、普通に広い)
部屋探しの時、不動産屋の担当者が言っていた「大人三人分の生活動線が必要ですね」という言葉が。
本当に必要不可欠だったことを、今ここで実感していた。
(あの営業マン、完全に正しかったわ……)
直哉は、そのままの三身体の状態で、荷物の片付けを開始した。
レイジ。
その圧倒的なTier2の身体能力を活かし、大きな家具や、重い段ボールの山を軽々と持ち上げて運んでいく。
ただし、新居の床や家具を壊さないように、極めて慎重に、繊細に動く。
エレノア。
衣類。キッチン用品。収納への配置。
メイド長らしい、非常に丁寧で洗練された所作で、次々と小物を美しく片付けていく。
千里。
本やゲームの小物。PC周辺の軽い箱を運ぶ。
能力は使わない。ただの小柄な女性としての作業だ。
ただ、三つの身体が、同時にそれぞれ全く別の作業を進行しているだけ。
なのに、その片付けのスピードは異常なほどに速かった。
直哉は、内心で突っ込んだ。
(何これ)
(俺の一人暮らしの引っ越しのはずなのに。完全に優秀な作業員が三人もいるじゃん)
いや。
(これ、全部俺なんだけど)
それぞれ別の場所で、別の箱を開ける。
でも、中身は全部、直哉の意識で共有して把握している。
「これ、どこに置く?」みたいな無駄な会話すら不要だ。
自分が、自分の意図を、全て完璧に知っているのだから。
直哉は、感動すら覚えていた。
(引っ越し作業と《並列集結》、相性良すぎだろ……!!)
ある程度、大物の家具の配置が片付いたところで。
さすがに、レイジの巨体は日常の細々とした作業には少し邪魔になってきた。
直哉は、レイジ側の身体の集結だけを解除した。
既存のシステムの仕様通り。
レイジの身体が、青白い光となってフッと消える。
代わりに、そこに生身の、三十四歳の森川直哉の身体が実体化して戻る。
エレノアと千里の身体は、そのまま維持されて存在している。
結果。
生身の直哉。エレノア。千里。
この三人が、リビングにいる。全員、直哉だ。
直哉は、残ったダンボールの中からPCの箱を取り出した。
最優先事項だ。
「よし。俺はこっちやるわ」
言った瞬間。
(……俺、今、誰に向かって指示出してんだ?)
と、自分で自分が面白くなって少し笑ってしまった。
生身の直哉は。
PCを慎重に開梱し。新しいデスクの上へと完璧な配置でセッティングしていく。
デュアルモニター。大量のケーブル。ルーター。回線の設定。
ここだけは、他のどの作業よりも明らかに真剣だった。
エレノア側の身体で、キッチンの収納を綺麗に片付けながら。
千里側の身体で、本棚に漫画を綺麗に並べながら。
男性の直哉側の身体で、デスクの下で配線を繋ぐ。
三つ全部が同じ直哉の意識だから、PC作業中に別の身体が何をしているかも、手に取るように分かる。
直哉は、配線を繋ぎ終えて立ち上がった。
(……普通なら、引っ越し初日なんて、一日中段ボールの山に囲まれて地獄を見るもんだろうけど)
部屋を見渡す。
すでに、かなり生活できるレベルにまで片付いている。
(反則だな、この能力)
エレノア側の視界。
エレノアは、キッチンを確認していた。
備え付けの綺麗な食器棚。最新の調理器具。冷蔵庫の中は、まだ水しか入っていなくてほとんど空だ。
直哉は、そのエレノアの姿を、男性側の生身の視界でも見ていた。
銀髪。クラシカルなメイド服。
それが、新しい高級マンションの、ピカピカのアイランドキッチンに立っている。
異様なほどに、絵になっていた。
直哉は、少しだけ遠い目をした。
(……いや)
(エレノア、この家に馴染みすぎだろ)
三十四歳の、独身男性が一人で引っ越してきたはずの部屋なのに。
どう見ても。
『住み込みの、完璧な外国人メイドを雇っている、富豪の部屋』にしか見えないのだ。
しかも、その外国人メイドの中身も、自分なのだ。
直哉は、頭を振った。
(考えれば考えるほど、意味が分からなくなってくるな……)
夕方。
たった数時間で、新居は想像以上に片付いた。
まだ細かい段ボールは隅に残っているが、最低限暮らすには全く問題ない。
PCも起動した。ネットも爆速で繋がる。
ベッドのシーツも敷き終わり、洗面用品も配置済みだ。
直哉は、満足して《並列集結》を完全に解除した。
最後に残ったのは、生身の直哉一人。
急に。
部屋が、シーンと静かになった。
広い。
さっきまで三人の人間がバタバタと動いていたから、余計にこの部屋が広く感じられる。
直哉は、ソファに深く腰を下ろした。
「…………」
「便利すぎるだろ、《並列集結》……」
戦闘。
仕事の同時進行。
遠隔観測。
そして、引っ越しの片付け。
使い道の幅が、おかしなことになっている。
スマホが鳴った。
母親からのメッセージだ。
『ちゃんと着いた?』
直哉は、少しだけ笑って。
『着いた。もうだいたい片付いたよ』
と返信した。
すぐに返事が来る。
『早いわね。一人で大丈夫だったの?』
直哉は。
(まあ、実質三人でプロ並みのスピードで片付けたからな)
と思ったが、当然言えない。
『荷物そんなに多くなかったからね』
とだけ返す。
続いて、母親から。
『晩ご飯、ちゃんと食べなさいよ。コンビニばっかりじゃダメよ』
直哉は。
『はいはい。分かってるって』
と返した。
直哉は、ソファに背中を預けた。
新しい部屋。まだ少しだけ残る段ボールの匂い。
PCのファンの起動音。
スマホの画面の光。
窓の外には、都内の夜景が広がっている。
ふと。直哉の脳裏に、数日前の出来事が蘇った。
Tier1のギャル。
多属性の男。
ゲートの向こうへ入ると《広域索引》から完全に消える、謎の逃走手段。
千里の《広域索引》でも追いつけない、謎の敵対組織。
気になる。
当然、気になる。あのまま終わるとは到底思えない。
だが。
直哉は、小さく首を振った。
(まあ、いいか)
(あっちは、警察と八咫烏が組織として継続して捜査してるんだ)
(また日本に出てくれば、俺の千里で見つけられる可能性も十分にある)
今、自分がこの部屋で一人で何時間考えたところで、答えが出るような問題ではない。
直哉は、視線を新しい自分の部屋へと戻した。
「それより、今は――」
直哉は、ソファに深く座り直した。
自分だけの、自分の城。
実家とは違う。
ここには、誰にも変身を隠す必要がないのだ。
エレノアが、突然キッチンに立って料理をしていてもいい。
レイジが、リビングでテレビを見ていてもいい。
紫苑が、巫女装束のままウロウロしていてもいい。
ヴェルミリアを出しても、少なくとも親に見つかってパニックになられる心配はない。
もちろん、能力を部屋の中でぶっ放して壁を壊すのは絶対にダメだ。
でも。
『自分の生活の中で、変身をコソコソと隠す必要が完全になくなった』のだ。
直哉は、両腕を大きく広げて言った。
「よし」
「今日から、楽しい一人暮らしの始まりだ!」
一拍、置いて。
直哉の視界の端に。
《編成》欄の、最大三人のキャラクターのアイコンが光っている。
直哉は。
「…………」
「……これ、一人暮らし、なんだよな?」
誰もいない広い部屋で。
直哉は、自分で自分に首を傾げていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!