俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~   作:パラレル・ゲーマー

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第53話 カトリックの調査官と、盗まれた聖遺物を取り戻します

 オークション会社の地下駐車場。

 

 逃走者の男が、コンクリートの巨大な柱へと手を触れた。

 すると、その柱の表面がまるで水面のようにグニャリと不気味に揺らいだ。

 男は、振り返りもせずに、そのまま自分の身体を柱の中へと沈み込ませようとする。

 

 セナの身体を操る直哉は、すでに九十メートルあった距離を一気に詰め、男の背後へと迫っていた。

 直哉の脳が、即座に相手の能力を分析する。

 

(あいつの能力、ただ姿を消す『透明化』じゃない)

 

 さっき、分厚い金属製の防火扉を、物理的に破壊することなくすり抜けてきた。

 

 つまり。

 

(『自分が触れた固体の内部を、そのまま通過できる』タイプの能力か)

 

(厄介な『壁抜け』能力だな)

 

 一方。

 安全な地下の収蔵区画に残っている、千里の視点。

 

 彼女は《天眼》の視界で、その壁抜けの様子を完全に透視して捉えていた。

 

 男の身体が、柱のコンクリートの中へとズブズブと入っていく。

 男の身体だけではない。彼が肩から提げている革鞄や、着ているコートも、全て一緒に柱の内部へと沈んでいく。

 

 そして、男が完全に柱の中へ消えた後も、コンクリートの柱自体には、穴が開いたり崩れたりしたような物理的な破損の痕跡は一切残っていなかった。

 

 直哉は、千里の視界から得た情報で推測を立てる。

 

(物質そのものを破壊して通ってるわけじゃない)

 

(『自分自身と、自分が所持している物だけ』を、固体の中をすり抜けさせることができるのか)

 

 さらに。

 男が完全に柱の中へ隠れた後も、千里の《天眼》には、その男の姿がハッキリと映り続けていた。

 

 千里が、淡々とインカム越しに報告を上げる。

 

「対象、現在柱の内部を移動中」

 

「そのまま地下構造の壁を通り抜け、西の方向へ向かっています」

 

 普通なら、壁の中に逃げ込まれた時点で視界からロストして追跡不能になる。

 しかし、あらゆる遮蔽物を透過する《天眼》の前では、『壁の中に隠れる』という行為自体がほとんど意味を成さない。

 

 セナの視点。

 

 セナは、男が消えたコンクリート柱の直前で、ピタリと足を止めた。

 巨大な建物の地下駐車場を支えている重要な柱だ。焦って剣を叩き込むような場所ではない。

 

 直哉は冷静だった。

 

(ここで柱をへし折って天井を崩落させるようなバカは、裏社会にはいないだろ)

 

 千里から伝わってくる視覚情報をもとに、男の進路を読む。

 

「西へ抜ける!」

 

 セナは、即座に身体の向きを反転させた。

 男が壁の中を移動する速度よりも速く、セナの機動力で開けた空間を駆け抜け、男が出てくる地点へと先回りする。

 

 千里が見る。

 直哉が進路を判断する。

 そして、ほぼ同時にセナが動く。

 

 数十メートル先。

 

 駐車場の、別の区画のコンクリート壁が、グニャリと水面のように揺らいだ。

 

 そこから、灰色のコートを着た男の腕が、肩が、そして身体全体が、ズボリと壁の外へと抜け出してくる。

 

 男が、「よし、撒いた」と安堵の息を吐こうとした、その瞬間だった。

 

 彼の目の前に。

 青白い雷光を纏ったセナが、すでに腕を組んで待ち構えていた。

 

 男は、息を呑んで硬直した。

 

「……っ!?」

 

 直哉としては、この驚愕の表情を見られただけで、少しだけ気分が良かった。

 

(残念だったな。こっちは、壁の向こう側まで丸見えなんだよ)

 

 セナが、冷たい声で言い放つ。

 

「止まってって、言ったよね!」

 

 だが、男は一言も返事をしなかった。

 驚愕から一瞬で立ち直り、クルリと身を翻す。そして、今度は全く別の方向の壁へと向かって、全速力で走り出した。

 

 壁抜けの能力は、逃走においては確かに強い。

 だが、その能力を発動させるには、まず壁や床などの固体に触れなければならないらしい。

 

 ならば、その『触れる瞬間』を潰せばいい。

 

 男が、別の壁へと飛び込み、手を伸ばした瞬間。

 

 セナが、抜いた剣の切っ先を鋭く振るった。

 

『バチィッ!』

 

 青白い雷が、男の伸ばした手と、壁の間のわずかな空間の『床』へとピンポイントで落ちた。

 

 激しい爆発を起こすわけではない。

 相手を殺すような高出力の雷撃でもない。

 

 ただ、男の目の前で激しい火花と音を立てることで、彼に反射的に「ビクッ」と手を引かせる程度の、威嚇の雷撃だ。

 

 男は、思わず伸ばした手を引っ込めた。

 

「くそっ!」

 

 直哉は、小さく笑った。

 

(壁に触らせなきゃ、中に入れないだろ)

 

 セナの機動力と雷による牽制は、この逃走者との相性がいい。

 

 それでも、相手は逃げることに慣れていた。

 

 男は、セナ相手に正面から戦闘する気はゼロだった。

 駐車されている車列の間を縫い、柱の裏へ回り込み、壁の死角へ飛び込み。

 とにかく、セナの牽制を掻い潜って「能力で通過できる固体」へと逃げ込もうとする。

 

 セナの足は速いが、地下駐車場には男にとって有利な遮蔽物が山ほどある。

 

 そして。

 男が走りながら、突然ガクンと姿勢を低くしてしゃがみ込んだ。

 

 そのまま、自分の掌を、走っているコンクリートの『床』へと勢いよく押し当てる。

 

 直哉は舌打ちをした。

 

(まずい!)

 

 壁なら先回りできる。

 だが、床そのものの下へと潜られてしまえば、さすがのセナでも追いかけて引きずり出すことはできない。

 

 セナが、慌てて鋭く踏み込む。

 

 だが、一瞬だけ遅かった。

 

 男の指先が、グニャリと揺らいだコンクリートの床へと沈み込み始める。

 

 その瞬間だった。

 

『キィンッ!』

 

 澄んだ金属音が、地下駐車場に響いた。

 

 銀色の杭が一本。

 男が床へ沈み込ませようとしていた手の、わずか数センチ横の床に突き立ったのだ。

 

 杭の先端が床へ触れた瞬間、銀色の細い光の波紋が、一瞬だけ周囲の床へと広がった。

 

 すると。

 

 男が触れて水面のように揺らいでいた床が、ピタリと元の硬いコンクリートへと戻った。

 

 男は、目を見開いた。

 

「……!?」

 

 どれだけ押し込んでも、彼の手が床の中へと沈んでいかない。

 

 そこで、足音が響いた。

 

 エリーズ・ヴァロワの到着だった。

 

 彼女は、あれだけの距離を走ってきたはずなのに、ほとんど息を乱していない。

 その片手には、もう一本の、先ほど投げたものと同じ《聖杭》が握られていた。

 

 そして、彼女の少し後ろからは。

 腰の青白い法剣へ手を添えたレイジも追いついてくる。

 

 直哉の内心は、驚きに満ちていた。

 

(今、何したんだ?)

 

 エリーズは、男の様子を鋭く見据えながら口を開く。

 

「あなたのその能力は。触れた対象物に対して、何らかの超常的な干渉を加え、一時的に『通過可能な状態』へと変質させているのでしょう」

 

 エリーズが、手に持った聖杭を軽く構え直す。

 

「なら――」

 

 もう一本の聖杭を、男の逃げようとしていた横の壁へと向かって投げつけた。

 

『《聖別》』

 

 投げられた銀杭が壁に当たった瞬間。

 杭を中心として、一瞬だけ淡い光が壁を走る。

 

「こちら側の状態を、強固に『固定』させていただきます」

 

 《聖別》。

 

 対象の状態を固定し、外部からの超常的な干渉に対する抵抗を高める能力らしい。

 

 実際、男が先ほどまで簡単に揺らがせていたコンクリートは、聖杭が打ち込まれた場所ではびくともしない。

 

 直哉は、セナ側の視界でその現象を見て理解した。

 

(なるほど。壁抜けに対して、めちゃくちゃ相性がいいのか!)

 

 エリーズが、鋭く指示を飛ばす。

 

「東雲さん。対象を、追い込んでください!」

 

 セナが、元気よく即答する。

 

「了解!」

 

 男が、セナの牽制を避けて右の壁へと逃げ込もうとする。

 

 エリーズが、容赦なく聖杭を投擲する。

 

『ガンッ!』

 

 壁が《聖別》される。

 男が手を触れても、壁は揺らがない。

 

 通れない。

 

 男が焦って、近くに停まっていた車の中へと抜けようと触れる。

 

 二本目。

 

 車体近くへ聖杭が打ち込まれ、通れない。

 

 床へと沈もうとする。

 

 三本目。

 

 また、通れない。

 

 そこで、直哉はエリーズが十二本もの銀杭を携帯している理由に気づいた。

 

 杭そのものが武器であると同時に、《聖別》を離れた場所へ展開するための道具なのだ。

 

(なるほど。そういう使い方か)

 

 だが、エリーズ一人の力で、この広大な地下駐車場を丸ごと塞ぐことなどできない。

 

 杭の本数には限りがある。

 一つの杭で固定できる範囲にも限界があるらしい。

 

 男も、それを即座に見抜いた。

 

「チィッ……! これだけ広けりゃ、全部の壁を塞ぐことなんてできねえだろ!」

 

 その通りだ。

 

 男は、大きく方向を転換し、まだエリーズの杭が刺さっていない、全く別方向のコンクリート壁へと向かって全力疾走を始めた。

 

 そこで、セナの機動力が活きる。

 

 青白い雷光が、地下駐車場を一直線に駆け抜けた。

 

 男が、目的の壁へと手を伸ばすよりも早く。

 

 雷鳴の残響と共に、セナが男の真正面へと回り込んで立ち塞がった。

 

 男がハッと振り返った時には。

 

 セナは、抜いた剣をだらりと下げたまま。

 刃を相手の首に当てて脅すような真似はせず、ただ冷ややかに見ていた。

 

「終わり。大人しくして」

 

 男が、悔しそうに顔を歪めて吐き捨てる。

 

「クソガキが……!」

 

 直哉の内心が、冷静に突っ込んだ。

 

(見た目だけならな。こっちは中身三十四歳のおっさんだぞ)

 

 だが、追い詰められた男は、これで大人しく両手を上げるような素直な相手ではなかった。

 

 男が、肩に掛けていた革鞄の中へと、素早く手を入れた。

 

 直哉の心臓が、一瞬ドクンと跳ねた。

 

(聖櫃!? もしかして、あの聖遺物を使って何かする気か!?)

 

 違った。

 

 男が鞄から乱暴に取り出したのは、黒く鈍く光る、小型の金属製の『呪物』だった。

 手のひらに収まるサイズの、筒状の異物。

 

 男が、その呪物を起動させる。

 

『ドンッ!!!』

 

 大砲のような轟音と共に。

 圧縮された目に見えない『物理的な衝撃波』が、前方へと向かって扇状に放たれた。

 

 セナは、直感でそれを危険と判断し、高速で真横へと跳躍して回避した。

 

 セナが避けた後方の空間に停まっていた、数台の車の窓ガラスが。

 その衝撃波を受けて、一斉に粉々に吹き飛んで割れた。

 

 直哉は冷や汗をかいた。

 

(壁抜けだけじゃなくて、裏市場の攻撃用の呪物まで隠し持ってんのかよ!)

 

 少なくとも、男はここまで自前の攻撃能力を見せていない。

 その代わりに、攻撃用の呪物を自衛用として持ち歩いていたらしい。

 

 男が、回避したセナへと再び呪物の筒口を向けようとした。

 

 その前へ。

 レイジが、エリーズよりも一歩早く大きく踏み出した。

 

 男が、邪魔な大男に向けて、容赦なく呪物を発動させる。

 

『ドンッ!!!』

 

 ゼロ距離に近い状態での、不可視の圧縮衝撃波。

 

 レイジは、回避しなかった。

 

 真正面から、その凄まじい衝撃を全身で受け止める。

 

 レイジの巨体が、ズザザッと靴底を鳴らしながら数歩後退した。

 重厚な法服が大きく煽られ、システムUIのHPゲージが目に見えて少し削り取られる。

 

 直哉の意識に、痛覚のフィードバックが走る。

 

(痛ってぇ!! 内臓に響くぞこれ!)

 

 その直後。

 

 直哉の視界に、黄金のシステムメッセージが浮かび上がった。

 

『《判例》登録:振動衝撃事象』

 

 以前、《境留めの鉄楔》の輸送を襲撃された際にも登録されたことのある判例だった。

 

 男は、自分の放った呪物の直撃を受けても、レイジが立っていることに驚愕した。

 

「化け物かよ……!」

 

 だが、男は半狂乱になって、再び呪物を起動した。

 

 二発目。

 

『ドンッ!!!』

 

 全く同じ性質の圧縮衝撃波が、レイジへと直撃する。

 

 今度は。

 

 何も、起きなかった。

 

 レイジの着ている法服の裾すら、風にそよぐ程度にしか揺れない。

 レイジは、顔色一つ変えずに、ただ静かに一歩、男へと向かって歩みを進めた。

 

 男の顔が、絶望に歪む。

 

「……は?」

 

 少し離れた位置から見ていたエリーズも、その光景に一瞬だけ目を見開いた。

 

 彼女は、教会の情報部から日本の白峰レイジという能力者の噂を聞いていた。

 だが、実際にその適応を目の当たりにするのは初めてだった。

 

 直哉は、エリーズの視線をレイジの意識で感じ取って。

 

(あ、今この調査官のお姉さん、ちょっと引いたな)

 

 と、苦笑していた。

 

 男が、恐怖に顔を引きつらせて、三発目を撃とうと呪物を構え直した。

 

 レイジが、腰の青白い法剣を静かに抜いた。

 

 相手を斬殺する気はない。

 

 一瞬で男との距離を詰める。

 法剣の腹で、男の呪物を持っている手首を鋭く打ち据えた。

 

「ガァッ!」

 

 男が悲鳴を上げ、手から小型の呪物がカラカラと床へと転がり落ちた。

 

 レイジは、見下ろすようにして、低く落ち着いた声で告げた。

 

「同じ攻撃は、もう私には通りません」

 

 直哉は内心で。

 

(うん。十分格好いいな)

 

 と、少しだけ満足していた。

 

 武器を落とされ、絶望的な状況に陥った男。

 

 彼は、最後の足掻きに出た。

 

 自分の足元の床へと、そのまま身体ごとドサリと倒れ込み、コンクリートの中へと沈んで逃げようとしたのだ。

 

 しかし。

 

 彼が倒れ込んだその床には。

 

 先ほど、男の逃走経路を読んでエリーズが放っていた一本の『聖杭』が刺さっていた。

 

 すでに、《聖別》済みの場所だ。

 

 男の身体が、床の表面でピタリと止まった。

 

「……っ!」

 

 いくら押し込んでも、硬いコンクリートのままだ。

 沈まない。

 

 エリーズが、コツカツとヒールの音を響かせて、静かに歩み寄ってきた。

 

「残念ですが」

 

 彼女は、無表情のまま冷たく見下ろした。

 

「そこは、もう通れません」

 

 逃げ道は、完全に断たれた。

 

 セナが背後へ回り。

 レイジが真正面に立ち。

 エリーズが横を塞ぐ。

 

 遠くの収蔵区画からは、千里が《天眼》で男の位置を捉え続けている。

 

 男が、それでも立ち上がって抵抗しようとした。

 

 セナが、鋭く踏み込む。

 男の手首を取り、肩の関節を極め、一瞬で体勢を崩して床へと押さえつけた。

 

 もちろん、致命傷は与えない。

 

「はい、おしまい」

 

 そこへ、遅れて駆けつけてきたオーストリアの現地当局の隊員たちが到着した。

 彼らが男に手錠をかけ、能力者用の拘束具を装着する。

 

 確保、完了。

 

 千里側の視点。

 

 遠隔から、男が完全に拘束されたことを確認する。

 

「対象の完全な拘束を確認しました」

 

 直哉は、セナ、レイジ、千里の三人の身体で同時に。

 

(終わったぁ……)

 

 と、深々とため息をついていた。

 

(なんで俺、十数年ぶりの国際線での海外出張まで来て、異国の地下駐車場で泥棒を全速力で追いかけ回してるんだよ……)

 

 猛烈な脱力感に襲われる。

 

 そして、いよいよ。

 男が落とした、あの革鞄の確認だ。

 

 ここは、慎重に行われた。

 

 まず、現地の警察が鞄を確保し、爆発物などの危険がないかを確認する。

 その後、エリーズが白い手袋をはめ、携帯型の超常反応検知器で簡易的な検査を行う。

 

 異常な呪いやトラップの反応がないことを確認してから、彼女がゆっくりと鞄の口を開いた。

 

 中から出てきたのは。

 

 黒いベルベットの布に厳重に包まれた、銀色の小さな箱だった。

 

 植物の枝の緻密な彫刻。

 古びた銀の輝き。

 

 先ほど、エリーズが端末の画像で見せてくれたものと、完全に一致していた。

 

 エリーズの、張り詰めていた表情が。

 ここで初めて、ホッと緩んだ。

 

「……《銀枝の聖櫃》」

 

 彼女は、その箱を両手でそっと持ち上げた。

 目立った破損もなく、無事だ。

 

 エリーズは、目を閉じ、胸元で小さく十字を切った。

 

「感謝します」

 

 小さく呟いたその言葉が、神に向けられたものなのか、協力してくれた直哉たちに向けられたものなのか、直哉には分からなかった。

 

 だが、その控えめな仕草から、彼女がこの聖遺物を大切に扱っていることだけは伝わった。

 

 そして数秒後には、エリーズの表情は再び調査官のものへと戻っていた。

 

 盗品の状態の記録。

 移送のための封印手続き。

 現地警察への引き渡し書類の作成。

 そして、捕まえた男の初期の事情聴取。

 

 彼女は、現場の混乱の中で淡々とそれらを片付けていった。

 

 現地の警察が行った、簡単な現場での事情聴取。

 

 捕まった男は、当初は完全に黙秘を貫いていた。

 だが、しばらくして、諦めたように口を開いた。

 

「俺は、ただ指定された場所に運んでいただけだ。中身が何かなんて知らなかった」

 

 典型的な、中継ぎの運び屋の言い分だった。

 

 誰から、この聖櫃を受け取ったのか。

 この後、どこへ、誰に運ぶ予定だったのか。

 背後に誰がいるのか。

 

 当然、それらの詳しい情報が、この場で直哉たち部外者に開示されることはない。

 

 少なくとも、目の前の男一人を捕まえただけで、盗難事件の全容が解決したわけではないらしい。

 

 エリーズが、レイジたちの方を振り返って言った。

 

「彼から先の情報の追及は、我々教会の仕事です。皆様には、ご迷惑をおかけしました」

 

 直哉としても、これ以上首を突っ込む気は全くなかった。

 

(じゃあ、あとのややこしい事情は、専門家のお姉さんに任せよう)

 

 一番重要だった聖櫃も、無事に回収されている。

 

 なら、自分たちはここまでだ。

 

 現地の当局の責任者が、レイジたちに歩み寄ってきた。

 

 今回の、直哉たちの緊急の追跡協力について。

 オーストリア当局から、正式な『業務協力』として処理されることが決まった。

 

 後日、日本の八咫烏を通して、正当な『追加の協力報酬』が直哉の口座へと支払われるという。

 

 直哉の内心は、ここで再び大きく跳ねた。

 

(おっ、マジで!? ちゃんと追加のボーナス報酬出るのか!)

 

 正義の無償のボランティアヒーローを気取るつもりはない。

 働いた分は、きっちりお金でもらう。

 

 それが一番健全だ。

 

 事件の処理が一段落した後。

 オークション会社の、一階の応接室。

 

 エリーズが、直哉たち三人の前に立ち、改めて深々と頭を下げた。

 

「今回は、我々の事件に巻き込んでしまったにも関わらず、皆様の多大なるご協力をいただき。本当に助かりました」

 

 彼女は、特に千里の方を見た。

 

「御影さんの、あの素晴らしい広域観測の支援がなければ。恐らく、彼は完全に逃げおおせていました」

 

 セナが、少しだけ照れたように笑う。

 

「私は、言われた通りに追いかけて足止めしただけだよ」

 

 レイジが、静かに返す。

 

「エリーズ調査官の、あの《聖別》による退路の封鎖がなければ、捕捉は困難だったでしょう。見事な判断でした」

 

 エリーズは、小さく微笑んだ。

 

 別れ際。

 

 エリーズが、真剣な顔で尋ねてきた。

 

「もし、今後。今回の件に関連して、日本側へ正式な連絡を取る必要が生じた場合。どちらへご連絡すればよろしいでしょうか?」

 

 レイジが答える。

 

「八咫烏の窓口を通してください」

 

 少し間を置いて。

 

「《ナオ》という業務名義を伝えていただければ、我々のチームへと通ります」

 

 エリーズが、その名前を反芻するように呟いた。

 

「ナオ……」

 

 彼女は、手元のメモにしっかりとそれを書き込んだ。

 

「承知いたしました」

 

 エリーズが、最後に微笑んで言った。

 

「今後、何か日本の超常案件で、皆様に協力をお願いすることがあるかもしれません。その時は、よろしくお願いいたします」

 

 直哉の内心は。

 

(できれば、呪物泥棒とかじゃない、もっと平和な用事でお願いします……)

 

 と切実に願っていた。

 

 しかし、レイジの口から出た言葉は。

 

「必要であれば」

 

 という、極めてクールな返答だった。

 

 直哉の内心が突っ込む。

 

(勝手にできる男みたいな返事するなよレイジ!! また面倒な仕事来たらどうすんだよ!)

 

 と、一人で軽く笑っていた。

 

 ◆

 

 翌朝。

 

 直哉たちは、本来の仕事へと戻った。

 

 オークション会社の、地下収蔵庫。

 昨日、厳重に再封印された日本刀のケースを確認する。

 

 当然だが、全く問題なし。

 

 予定通り、現地の専門の超常輸送業者へと引き渡す。

 受領の書類に、レイジがサインをする。

 

「これで、完了です」

 

 これで、本来の依頼は正式に全て完了した。

 

 オークション会社の外へ出た直哉は、大きく伸びをした。

 

 直哉の内心が、歓喜の声を上げる。

 

(終わった!! 仕事、全部終わったぞ!!)

 

 帰りの日本への飛行機までは、まだ数時間の余裕がある。

 

 直哉の頭の中は、昨日からずっと狙っていた一つの目的でいっぱいになっていた。

 

(ザッハトルテ。絶対に、本場のザッハトルテ食って帰る)

 

 ◆

 

 ウィーンの中心部にある、歴史を感じさせる有名なカフェ。

 

 そのテーブル席に。

 

 セナ。

 長身のレイジ。

 ミリタリーテイストの入った特殊な制服姿の千里。

 

 全く雰囲気の違う三人の男女が、一つのテーブルを囲んで座っていた。

 

 もちろん、全員中身は直哉だ。

 

 テーブルの上には。

 濃厚なチョコレートでコーティングされたザッハトルテが、三個。

 そして、コーヒーが、三杯。

 

 直哉は、テーブルの上に並んだケーキを見て、少しだけ後悔した。

 

(……いや、冷静に考えたら。俺一人なのに、ケーキ三個も頼む必要なかったか?)

 

 でも、味覚はそれぞれの身体の感覚器官で、個別に味わうことができる。

 甘いケーキ三個くらいなら、三つの身体で普通に食べ切れる。

 

 しかも、これはクライアントの経費で落とすものではなく、直哉の完全な自腹だ。

 

(まあ、こういうご褒美は、気兼ねなく自腹で食った方が気楽で美味いからな)

 

 そう思って、直哉は会計の伝票をチラリと見た。

 ユーロ建ての金額を日本円に換算して。

 

(……海外の有名カフェの観光価格、三人分だと普通に結構な値段するな……。観光って金かかるわ……)

 

 と、少しだけ遠い目をした。

 

 直哉は、三つの身体で同時に、フォークを手に取った。

 

 高校の修学旅行以来の、国際線。

 今回は、三人で来ている。

 でも、全部自分だ。

 

 セナの身体で、ケーキを一口食べる。

 甘いチョコレートと、アプリコットジャムの酸味が口に広がる。

 

 千里の身体で、コーヒーを一口飲む。

 甘さの後に、苦味のあるコーヒーがよく合う。

 

 レイジの身体で、もう一口ケーキを食べる。

 

 直哉は、心の中で呟いた。

 

(……うん。めちゃくちゃ、うまい)

 

 そして、向かい合って座っている自分たちの姿を見て、一人で笑った。

 

(やっぱりこれ、一人旅なのか三人旅なのか、最後まで分からんな)

 

 直哉が、ザッハトルテを堪能している最中。

 

 視界の右上に、見慣れた黄金のシステム表示がポップアップした。

 

『【因果変動記録】』

『外部因果への有意な干渉を確認しました』

『集結者の介入によって成立結果が変動しました』

『活動記録を更新します』

『評価処理完了』

『活動報酬を獲得しました』

 

 いつものように、育成素材のアイコンが並ぶ。

 

 そして。

 

『《因果晶》 × 1,600』

 

 直哉の目が、大きく見開かれた。

 

「おっ」

 

 今回、直哉たちが協力していなければ。

 千里による即時発見はなく、あの男は壁抜けで逃走し、聖櫃は再び行方不明になっていた可能性が高い。

 

 だから、成立結果は明確に変わっている。

 

 一方で、先日の倉庫事件で石化した警官十一名の命を救った時ほど、影響の規模は大きくなかったのだろう。

 

 報酬は、1,600石。

 

 十連分だ。

 

 現在の所持数。

 19,200石から、20,800石へ。

 

 合計、130連分。

 

 直哉は。

 

(よっしゃ! 十連分増えた!)

 

 と、ザッハトルテを食べながら、内心でガッツポーズをした。

 

 だが、ガチャ画面は開かない。

 

 石は、次に欲しいキャラクターが来た時のために温存だ。

 

 セナの身体で、ケーキの最後の一口を食べる。

 千里で、コーヒーを飲み干す。

 レイジで、口元を拭く。

 

 直哉は、ウィーンの石造りの街並みを眺めながら、深く息を吐き出した。

 

(海外出張ってのも、たまには悪くないな)

 

 一拍、置いて。

 地下駐車場での逃走劇と、泥棒との戦闘を思い出す。

 

(……あんな面倒くさい事件に、巻き込まれさえしなければな)

 

 そして、直哉は帰国の途につくため、席を立ち上がった。

 

(次こそは。絶対に、本当に何も起きない、平和な海外出張がいいな……)




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