俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
ウィーンへの海外出張から、一週間ほどが経過した。
直哉は、引っ越したばかりの新居で、すっかり元通りの平穏な日常を取り戻していた。
あのオーストリアでの騒動の後。
直哉たちが受け取った『戦後流出した日本刀』は、現地の専門輸送会社によって厳重に運ばれ、無事に日本の依頼主の元へと到着した。日本側の管理会社への引き渡しも全て完了し、本来の依頼報酬も直哉の口座にキッチリと振り込まれている。
さらに、あの地下駐車場での逃走犯確保に対する、オーストリア当局側からの『緊急協力の追加報酬』も八咫烏経由で処理が進んでいた。
そして、カトリック教会の《銀枝の聖櫃》盗難事件についても、あの後エリーズから追加の問い合わせや協力要請が来ることはなかった。
直哉にとっては、完全に終わった仕事だ。
(まあ、ウィーンは色々あって疲れたけど。ザッハトルテも食えたし、結果的に金も稼げたから、面白かったな)
現在の所持石は、20,800石。
ちょうど130連分だ。
仕事がない暇な時間には、当然のように《集結》のガチャ画面を眺めてしまう。
(百三十連……)
(この石を使えば、紫苑の凸を狙うには十分すぎる数だ。……いや、でも違う。前回の紫苑で確定枠を消費したから、次はまた50/50のすり抜け勝負なんだよな)
直哉は、ぐっと拳を握りしめて誘惑に耐えた。
(今どうしても欲しいわけじゃないのに、ノリで回すのはガチャゲーマーとして一番駄目なやつだ。耐えろ俺)
ここは温存だ。
直哉の理性は、まだ正常に機能していた。
昼下がり。
新居のPCデスクで、一人でゲームのレベル上げ作業をしているところへ、スマホに八咫烏からの業務連絡が入った。
直哉はゲームの手を止め、電話に出る。
「はい、森川です」
『お疲れ様です、森川さん。霧島です。少し特殊な案件の依頼が来ています』
霧島の声は、いつものように冷静だった。
直哉はゲーミングチェアの背もたれから身体を起こす。
「どんな仕事です?」
『まず、森川さん――正確には、業務窓口である《ナオ》さんへの名指しでの指名案件です』
「また指名ですか?」
最近、一度関わった相手からリピートで依頼されることが増えている。
悪い気はしない。
『はい。海外からです』
「……海外から? ノアのところですか?」
『違います』
「じゃあ、アメリカ?」
『それも違います』
「じゃあ、どこからです?」
霧島は淡々と答えた。
『カトリック教会です』
「…………」
海外のカトリック関係者で、《ナオ》を知っている人物。
一人しか思い浮かばない。
「……エリーズさん?」
『はい。カトリックの特異事案調査官、エリーズ・ヴァロワ氏からの正式な協力要請です』
(ええっ!? またあの人!?)
直哉はすぐに尋ねた。
「この前の、《銀枝の聖櫃》の事件の続きですか? あの運び屋から日本のルートでも出てきたとか?」
『いいえ。完全に別件です』
「別件?」
ウィーンで捕まえた男とは、本当に無関係らしい。
直哉が、冗談半分に言った。
「まさか、カトリック教会で、また何か別のヤバい物が盗まれたんですか?」
『…………』
電話の向こうで、不自然な沈黙。
直哉の顔から笑みが消えた。
「……え?」
『大まかには、森川さんのそのご認識で間違っていません』
「また盗まれたの!? カトリック教会、セキュリティどうなってんの!?」
思わず声を上げた直哉に対し、霧島の声は真面目だった。
『ですが、今回の事件を、前回の《銀枝の聖櫃》の盗難と同列には扱わないでください』
「そんなに危ない物なんですか?」
『今、森川さんの端末に資料を送りました』
直哉は送られてきたPDFを開いた。
「…………」
黒塗り。
ほとんど黒塗り。
「うわ。黒っ」
読める部分の方が圧倒的に少ない。
そのわずかな文字の中に、
『《カトリック教会・特別秘匿管理物》』
そして。
『《分類:秘奥》』
という、見慣れない表記があった。
「……秘奥? なんですか、これ」
呪物、異物、アーティファクト、聖遺物といった言葉はこれまでにも聞いてきた。
だが、『秘奥』という分類は初耳だ。
「結局、何が盗まれたんです?」
『現時点では、私にもその正体や詳細は開示されていません』
「え。霧島さんにも?」
『はい』
八咫烏の担当者にも伏せられている。
だが、考えてみれば当然ではある。相手は世界規模で活動する宗教組織が厳重に秘匿してきた物だ。他国の組織へ最初から全てを開示する理由はない。
『カトリック側の事前説明によれば、《秘奥》は通常の聖遺物や、教会が管理している一般的な呪物とは別枠で管理されるものだそうです』
「……この前の聖櫃より上の扱いってことですか?」
『少なくとも、管理上は』
(嫌な言葉だなぁ……)
霧島が、今回の依頼の背景を説明する。
教会側の追跡によれば、その《秘奥》はヨーロッパから持ち出された後、複数の偽装経路を通り、現在は日本国内へ持ち込まれた可能性が極めて高いという。
「日本の、どこです?」
『最後に痕跡が確認されたのは……京都です』
「京都?」
直哉の頭に、平和な京都のイメージが浮かぶ。
寺。
神社。
観光地。
外国人旅行者。
修学旅行生。
紅葉。
八ツ橋。
その中を、カトリック教会の最高機密らしい《秘奥》を持った何者かが移動している。
(どういう絵面だよ、それ……)
今回、エリーズ・ヴァロワ本人が教会側の調査責任者として来日する。
当然ながら、外国の宗教組織の調査官が日本国内で勝手に捜査や能力行使をするわけにはいかないため、八咫烏も正式に関与。
さらに、エリーズ本人から希望が出た。
以前ウィーンで共同任務にあたり、実際の能力を確認した《ナオ》のチームへ、日本国内での現地協力を依頼したい、と。
エリーズから見れば、《ナオ》には白峰レイジ、東雲セナ、御影千里という複数の能力者が所属している。
特に千里の観測能力は、人や物を追う案件では極めて有用だ。
(とりあえず、代表としてレイジで行けばいいか)
(必要になったら、その時に編成を考えよう)
直哉は、仕事の話が出た時のいつもの手順に入った。
報酬確認。
国内案件。
京都への交通費。
宿泊費。
拘束日数分の手当。
危険案件としての危険手当。
そして成功報酬。
「…………」
『森川さん?』
「受けます」
『まだ説明の途中なのですが』
「説明は最後まで聞きます。でも、仕事は受けます」
金額は重要だ。
ただし、直哉も金だけ見て突っ込むほど無謀ではない。
「ちなみに、今回の相手の危険度は?」
『不明です』
「一番嫌な答えじゃないですか、それ」
そして説明の最後。
霧島が、何でもないことのように付け加えた。
『なお、今回の京都出張には、私も同行いたします』
「…………」
数秒遅れて、直哉は聞き返した。
「え? 霧島さんが?」
『はい』
今まで霧島は基本的に八咫烏側の窓口だった。
現場に同行する印象は薄い。
「えっと……霧島さんって、現場で戦えるんですか?」
『いいえ。私は戦闘員として行くわけではありません』
役割は、連絡員兼調整担当。
調整しなければならない相手は。
カトリック教会。
八咫烏。
そして。
『京都呪術協会です』
「……京都呪術協会?」
また知らない名前が出てきた。
『非常に複雑で、長くなるお話ですので。明日の移動中に改めてご説明いたします』
「そんなにややこしいんですか?」
『ええ。少々……歴史が長すぎる組織ですので』
その言い方だけで、嫌な予感がした。
◆
翌日。
東京駅。
直哉は白峰レイジの姿へ変身し、霧島と合流した。
その隣には、すでに来日していたエリーズ・ヴァロワもいる。
栗色の髪をまとめ、機能的なダークスーツを身に着け、胸元には小さな銀の十字架。
ウィーンで会った時と同じ姿だが、今日は片手で小さな旅行ケースを引いていた。
エリーズがレイジを見つけ、わずかに表情を柔らかくした。
「またお会いしましたね、白峰さん」
「ええ。またお会いできて何よりです」
「日本では、《ナオ》とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「白峰で構いません」
(うん。その方が色々と楽だからな)
レイジの口から出る声は、直哉の内心とは違って、いつもの落ち着いた丁寧なものだった。
霧島とエリーズは、来日前にすでにオンラインで打ち合わせを済ませている。
「改めまして、八咫烏の霧島です。今回、日本側との連絡調整を担当いたします」
「エリーズ・ヴァロワです。この度は迅速にご対応いただき、ありがとうございます」
極めて普通の挨拶だ。
八咫烏とカトリックの間に、妙な敵対感はない。
三人はそのまま東海道新幹線へ乗り込み、京都へ向かった。
◆
グリーン車。
レイジ、霧島、エリーズの三人が並んで座っている。
直哉は窓の外を高速で流れていく景色を眺めながら、一人で考えた。
(先週ウィーンまで飛んだと思ったら、今週はもう京都か……)
(能力者の仕事始めてから、移動距離がおかしくなってるな)
しばらくして、レイジの口調で隣の霧島へ尋ねる。
「それで。昨日仰っていた『京都呪術協会』とは、どういった組織なのですか?」
霧島がタブレットを閉じた。
「京都を中心として活動している、非常に古い超常関係者たちの連合組織です」
「八咫烏とは別の組織なのですか?」
「……現在は、完全に別の独立した組織です」
(現在は?)
「昔は違った、と?」
「はい」
霧島が、日本の超常行政の歴史を説明し始めた。
八咫烏は、最初から現在のような政府の秘密行政組織だったわけではない。
その原型は遥か昔。
朝廷が、怪異、危険な呪物、人外、能力者、神格など、人の社会だけでは処理できない問題へ対処するために発足させた組織だった。
当然、その中心は朝廷のある京都だった。
(そりゃ、そうなるよな)
しかし時代が流れ、近代へ入る。
天皇と国家の中枢機能が東京へ移り、それに伴って八咫烏の主要機能も東京へ移転した。
「行政組織としては、それが自然ですね」
「はい。国家機関との調整を考えれば当然の判断でした」
だが。
京都には、何百年、あるいはそれ以上の長い時間、その土地へ根を張ってきた超常関係者がいる。
代々続く呪術家。
陰陽道系の家。
危険な呪物を管理する寺社。
人外との古い契約を守る一族。
京都の結界や封印を維持する者たち。
彼らは、国家中枢が東京へ移ったからといって、全員揃って東京へ引っ越すことなどできない。
そもそも彼らの仕事そのものが、京都という土地へ結びついていた。
結界。
封印。
神域。
土地神との契約。
寺社が管理する超常的な領域。
東京から遠隔で全てを管理できるものではない。
結果として、東京へ移った八咫烏とは別に、京都へ残った能力者、呪術家、寺社、古い家々のネットワークが存続し続けた。
それが現在の京都呪術協会へ繋がっている。
そして戦後。
八咫烏は、現代の国家体制に合わせて大幅な再編を受けた。
能力者登録。
活動支援。
法的調整。
警察や政府機関との連携。
国際的な超常組織との交渉。
現在の秘密行政組織としての形が整えられた。
「京都側は、その戦後再編へ完全には乗らなかったのですか?」
「大まかには、そういうことです」
もちろん京都呪術協会も日本の法律に従う。
政府や八咫烏とも普通に協力する。
ただし。
「彼らの組織文化や内部制度には、非常に古いものが数多く残っています」
直哉はストレートに聞いた。
「つまり、八咫烏とは仲が悪いのでしょうか?」
霧島は難しい顔をした。
「……その表現では、かなり語弊があります。基本的には普通に協力関係にあります」
大規模な怪異が出れば共同対応もする。
危険な呪物の情報も共有する。
人材交流もある。
家同士の婚姻だって存在する。
「では、何が問題なのです?」
霧島が深く息を吐いた。
「彼らは、とにかく『古い』のです」
「何がでしょう?」
「……全部です」
直哉は少し笑いそうになった。
「例えば、現在の重要案件について協議している最中に、百年以上前の八咫烏の人事に関する不義理を持ち出されることがあります」
「百年以上前?」
「珍しくありません」
「当時の責任者は、もう亡くなっているのでは?」
「ええ。だからこそ、今の我々にはどうしようもないのです」
江戸時代の取り決め。
明治期の権限移管。
戦後再編時の管轄問題。
寺社ごとの古い約定。
家同士に積み重なった恩義や貸し借り。
現代の行政制度だけでは割り切れないものが、大量に残っている。
「……なるほど。それは、かなり面倒ですね」
(絶対関わりたくねえ……)
「ええ。ですから、その調整のために私が同行しています」
霧島は続ける。
「ただし、誤解しないでください。京都呪術協会は八咫烏の敵ではありません。むしろ、日本の超常社会を維持するうえで、不可欠な協力相手です」
「だからこそ、雑に扱えない、と」
「その通りです」
(あー……分かった)
単純な敵対関係なら分かりやすい。
だが、長い歴史を共有している協力相手だからこそ、簡単に切り捨てたり無視したりできない。
そして今回は。
「そこへ、さらにカトリック教会まで加わるわけですね」
霧島が無言で頷いた。
(東京の八咫烏。京都呪術協会。カトリック教会。それに俺)
(面倒事の匂いしかしねえ)
話を聞いていたエリーズが、申し訳なさそうに頭を下げた。
「我々の事件が、皆様の組織間の調整を複雑にしていることは承知しております。ご迷惑をおかけします」
「ヴァロワさんの責任ではありません。どうぞお気になさらず」
外に出るレイジの言葉は、やはり丁寧だった。
霧島も頷く。
「カトリック側には、事前に正式な外交・行政手続きを踏んでいただいています。その点については問題ありません」
直哉は、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「ところで、その盗まれた《秘奥》とは、結局何なのですか?」
エリーズは少し間を置いた。
「詳細については、京都に到着してからご説明いたします」
「今はまだ、難しいのでしょうか?」
「はい。今回、京都呪術協会の皆様に対しても同時に正式な情報開示を行うことになっています」
霧島も頷く。
「その方が、我々としても助かります」
(情報一つ出すのにも気を遣うんだな……)
その後。
新幹線が京都へ近づいた頃、霧島の専用端末へメッセージが届いた。
京都呪術協会側からだった。
霧島が文面を読み、ほんの少し表情を硬くする。
「何か問題でも?」
「いえ。京都駅まで、迎えに来てくださるそうです」
「それは親切ですね」
「……鏡宮家の当主ご本人が、直接いらっしゃるとのことです」
「鏡宮家?」
聞いたことがない。
「どなたです?」
霧島は少し間を置いた。
「……お会いになれば分かります」
(何だよその言い方。余計に怖いんだけど)
◆
新幹線が京都駅へ滑り込む。
三人がホームへ降り、観光客や修学旅行生で賑わう駅の中を進んでいく。
(……普通だな)
もっと超常的な何かを感じるのかと思ったが、表から見ればただの京都駅だ。
改札を抜けた先。
数人の男女が静かに控えていた。
その中央に、一人の若い女性が立っている。
二十歳程度に見えた。
上品で落ち着いた和装。
派手さはないが、立ち姿が驚くほど美しい。
(……若っ)
直哉が勝手に想像していた『京都呪術協会の古い大物』とは、あまりにも違う。
だが、それ以上に驚いたのは霧島だった。
普段どんな相手にも事務的な態度を崩さない霧島が、その若い女性の前まで進むと、普段より明らかに深く、丁寧に頭を下げたのだ。
(霧島さんが、あそこまで気を遣ってる……?)
若い女性が、柔らかく微笑む。
「遠路はるばる、ようお越しくださいました」
若い声。
だが言葉遣いには、妙に古風な響きがあった。
まず霧島。
次にエリーズ。
そしてレイジ。
一人ずつ挨拶を交わす。
女性はエリーズへ向き直った。
「遠い海を越えて、ようお越しくださいました。ヴァロワ様。この度の不祥事、心よりお見舞い申し上げます」
「お招きいただき、ありがとうございます。ご協力に感謝いたします」
排他的な雰囲気はない。
極めて丁寧な対応だった。
続いて、女性の視線がレイジへ向く。
ほんの一瞬だけ。
霧島やエリーズを見る時よりも長く、レイジの顔に視線が留まった。
「白峰レイジ様、ですね」
「はい」
「東京の、《ナオ》様という方のお仲間であると伺っております。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ。よろしくお願いいたします」
(俺の情報、ちゃんと京都まで来てるんだな)
女性が両手を前で合わせ、静かに一礼した。
「申し遅れました。私、鏡宮家第三十七代当主――鏡宮千鶴と申します。以後、よしなに」
(……第三十七代!?)
見た目と肩書きが全く噛み合わない。
だが、その場で誰も説明しようとはしなかった。
その時。
直哉のポケットの中で、スマホが小さく震えた。
(ん?)
仕事関係のメッセージ。
送り主は――。
(霧島さん?)
すぐ横に立っている。
直哉は表情を変えずにメッセージを開いた。
『森川さん。京都滞在中は、現在の業務形態を維持してください』
もう一通。
『解除はしないでください。理由は後ほどご説明します』
(…………)
直哉は、ほんの少しだけ視線を横へ向けた。
霧島は何事もなかったような顔で、千鶴と今後の日程について話している。
(何でだ?)
理由は分からない。
だが霧島が、本人の目の前で口にせず、わざわざメッセージで送ってきた。
(……まあ、従っておくか)
レイジの姿を解除するのは後回しにした。
千鶴が穏やかに言う。
「皆様、長旅でさぞお疲れのことでしょう。本日は、こちらでご用意したお宿でごゆっくりお休みくださいませ。詳しいお話は、明朝、改めて場を設けさせていただきます」
「お気遣い、ありがとうございます」
「いえいえ」
千鶴は柔らかく笑った。
翌朝。
京都呪術協会。
八咫烏。
カトリック教会。
そして《ナオ》。
関係者が一堂に会した場で、盗まれた《秘奥》について正式な情報開示が行われることになった。
◆
京都呪術協会側が手配した宿は、京都市内にある格式高い老舗旅館だった。
直哉に割り当てられたのは、広い和室。
エリーズとは当然、別の部屋だ。
部屋へ入った直哉は、いつもの癖で変身を解除しようとして。
止まった。
(……そうだった)
京都駅で届いた霧島からのメッセージ。
『解除はしないでください』
理由はまだ聞いていない。
(仕方ない。このままでいるか)
直哉は、白峰レイジの姿のまま低い座椅子へ腰を下ろした。
百八十八センチの長身には、和室の家具が少々小さい。
(落ち着かねえな……)
しばらくして、襖の向こうから声がした。
「森川さん。霧島です」
「どうぞ」
霧島が入り、向かい側へ座る。
直哉はレイジの姿のまま尋ねた。
「それで。先ほどのメッセージについて、伺ってもよろしいでしょうか?」
「はい。それも含めてご説明します」
「お願いします」
内心では、
(めちゃくちゃ気になってたんだよ!)
なのだが、レイジの口から出ると妙に落ち着いている。
霧島が話し始めた。
「まず、先ほどお会いした鏡宮千鶴様についてです。年齢は二十歳。名乗られた通り、鏡宮家第三十七代当主であり、京都呪術協会における最重要人物の一人です」
「二十歳で、あの立場に?」
「鏡宮家には特殊な継承があります」
霧島が一拍置く。
「当主は代替わりの際、歴代当主の記憶を継承します」
直哉は眉を動かした。
「……記憶を?」
「はい。現在の千鶴様には、過去三十六代の当主が蓄積してきた記憶が存在します」
書物から学んだ知識ではない。
交渉。
戦闘。
儀式。
人間関係。
八咫烏との過去のやり取り。
歴代当主が経験してきたものを、記憶として引き継いでいる。
「では、人格も混ざっているのでしょうか?」
「いいえ。現在の人格そのものは、あくまで鏡宮千鶴様ご本人です」
「なるほど……」
(何百年分の当主経験だけ持ってる二十歳ってことかよ)
そこで直哉は、新幹線での会話を思い出した。
「先ほど話されていた、百年以上前の八咫烏との揉め事も」
「覚えておられます」
「資料で?」
「ご本人にとっては、継承された記憶として」
「……なるほど。それは困りますね……」
(霧島さんが気を遣う理由、めちゃくちゃ分かったわ!!)
霧島が少しだけ疲れた表情を見せた。
「こちらが『昔の話です』と言って済ませられない理由がお分かりいただけたかと」
「十分に」
そして霧島は、千鶴自身の能力者としての評価について話す。
「鏡宮千鶴様の公式登録は、Tier1です」
レイジの表情はほとんど動かなかった。
直哉の内心だけが大きく反応する。
(Tier1!? またかよ!!)
「ただし、京都市内では事情が変わります」
「と、言いますと?」
「鏡宮家が管理する《真澄鏡》。京都一円に構築された古い結界網。そして土地との深い接続。それら全てが、京都にいる鏡宮家当主を支えています」
京都という土地全体が、鏡宮家の当主へ繋がる巨大な基盤になっている。
「その状態にある鏡宮千鶴様は、推定実効戦力Tier0.5相当と評価されています」
「…………」
直哉は紫苑と《月白》を思い出す。
Tier0.5。
公式のTier区分には存在しない、Tier1とTier0の中間。
「京都にいる間は、常にその状態なのでしょうか?」
「大まかには、その認識で構いません」
(京都そのものがホームバフってことか……)
だが、一つ疑問がある。
「では、京都の外では?」
霧島の表情が少しだけ変わった。
「鏡宮千鶴様は、京都の外へ出ることができません」
「……役職上、という意味ではなく?」
「違います」
霧島は静かに続けた。
「鏡宮家当主と京都の結界網との接続は、それほど深いものです。千鶴様が京都の領域から離れれば、精神状態が急速に崩壊します」
歴代当主の膨大な記憶。
現在の千鶴自身の人格。
そして、京都という土地との接続。
その均衡が失われる。
「最終的には精神が完全に崩壊し、生命を維持することもできなくなります」
レイジの口から、静かな声が出た。
「……そうでしたか」
少し間を置いて。
「それは、ずいぶんと重い制約ですね」
(京都から出たら発狂して死ぬって、重いどころじゃねえよ……!)
先ほど駅で穏やかに笑っていた女性からは、そんな事情など微塵も感じられなかった。
「その制約があるからこそ、京都という領域内では、あれほど強大な力を行使できるとも言えます」
「なるほど」
強大な力だけが、一方的に与えられているわけではない。
明確な枷がある。
そこで、直哉は別の疑問を抱いた。
「ですが、当主ご本人が京都の外で対応しなければならない案件もあるのでは?」
「あります」
「その場合は?」
「代理を立てます」
「代理?」
「京都側には、人格複製系の能力者がいます」
直哉は一瞬、言葉を失った。
「……人格を、複製するのですか?」
「はい。必要に応じて、鏡宮様の人格、知識、判断基準をコピーした能力者を、当主代理として京都の外へ派遣します」
「そこまでなさるのですね……」
(いやいやいや、人格コピーして代理出張って何だよ!!)
「鏡宮家ですので」
「……なるほど」
(『鏡宮家ですので』で済ませていい話なのか、それ!?)
レイジのフィルターは強かった。
霧島は続ける。
「コピーを受けた者は千鶴様本人ではありませんし、千鶴様の能力をそのまま使えるわけでもありません。ただ、交渉や儀式の監督、契約に関する判断などについては、当主代理として機能します」
「随分と実務的な運用なのですね」
(能力者社会、こういうところだけ妙にシステム化されてるよな……)
そして。
霧島が、ほんの少し姿勢を正した。
「最後に、京都駅で私が送ったメッセージの理由ですが」
「はい。それを一番伺いたかったところです」
「鏡宮家の力は、その名の通り『鏡』と『反射』に深く関係しています」
「反射……」
「京都にいる鏡宮様は、反射面を通して、京都の非常に広い範囲を把握することができます」
鏡。
窓ガラス。
水面。
磨かれた金属。
その他、光を反射するさまざまなもの。
「京都という領域内に限れば、御影千里さんの観測能力と似た側面を持っている、と考えてください」
「…………」
直哉は固まった。
霧島の視線が、ゆっくりと部屋の中を動く。
床の間近くに置かれた姿見。
庭へ面した大きな窓。
テーブルの上の湯呑み。
消えているテレビの黒い画面。
そして、レイジが持っているスマホ。
「どこまで常時ご覧になっているのかは分かりません。ただ、京都にいる間は『密室だから誰も見ていない』とは考えない方が安全です」
直哉は、自分の身体を見下ろした。
長い脚。
重厚な黒と紺を基調とした法服。
白峰レイジの身体。
「…………」
(あっっっぶねええええええ!!)
もし、京都駅で霧島からメッセージを受け取っていなかったら。
宿へ入った瞬間。
いつものようにレイジの変身を解除していた。
そして、それを千鶴に見られていた可能性がある。
直哉の秘密。
《ナオ》のチームの正体。
それを自分から丸ごと晒していたかもしれない。
レイジの口から出たのは、極めて落ち着いた声だった。
「……なるほど。それは、少々困りますね……」
内心。
(少々どころじゃねえよ!! 人生最大級に危なかったわ!!)
霧島が平然と答える。
「ですので、京都滞在中は白峰レイジの姿を維持していただくようお願いしました」
「ありがとうございます。可能であれば、もう少し早めに理由まで伺いたかったところですが」
「京都駅で、鏡宮様のすぐ前にいらした時にですか?」
「…………」
直哉は黙った。
(それは無理だわ)
「承知しました。滞在中は気をつけます」
「お願いします」
そこで霧島が、一度だけ室内を見回す。
「もっとも」
「?」
「今、私たちがしているこの会話も、聞かれている可能性はありますが」
「…………」
直哉も、ゆっくり部屋を見回した。
鏡。
窓。
湯呑み。
テレビ。
スマホ。
反射するものが、急に全部怪しく見える。
「……ずいぶんと、広い観測範囲なのですね」
(怖っ!!)
「京都では、そういうものだと思ってください」
「私的な空間でも、警戒は解かない方がよさそうですね」
「その認識でお願いします」
(京都滞在中ずっとこれなの!?)
レイジの顔は平然としている。
中身の直哉だけが頭を抱えていた。
霧島との打ち合わせが終わった後。
一人になった直哉は、もう一度、部屋の鏡へ視線を向けた。
そこには、当然ながら白峰レイジの姿しか映っていない。
(……本当に、向こうから見えてたりするのか?)
分からない。
ただ、少なくとも京都にいる間は、迂闊なことはできない。
そして明日。
鏡宮千鶴。
京都呪術協会。
カトリックのエリーズ。
八咫烏の霧島。
そして、《ナオ》。
全員が揃う場で。
ついに、盗まれた《秘奥》について正式な説明が行われる。
直哉は座椅子へ深く身体を預けた。
(カトリックの最高機密が京都に持ち込まれて)
(八咫烏と京都呪術協会には、昔からの面倒なしがらみがあって)
(その京都側の大物は、歴代当主の記憶持ちで)
(京都にいる限りTier0.5相当)
(しかも、俺の正体まで下手したら一発でバレる)
一拍置いて。
(……面倒事の匂いしかしねえ……!!)
新居のPCの前が、早くも恋しくなってきた。
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