俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
翌朝。
京都の老舗旅館。
直哉は、白峰レイジの姿のまま、布団からゆっくりと身体を起こした。
昨日、京都駅で霧島から「京都滞在中は、現在の業務形態を維持してください」「解除はしないでください」とメッセージが届いていたため、直哉は三十四歳の生身の姿へは戻らず、朝になってもレイジの姿を維持していた。
(……まあ、変身を解除できないこと自体は、別に問題じゃないんだけどさ)
問題は、そこではない。
(部屋の中にある鏡と、窓ガラスと、テレビの画面が気になって……全然落ち着かなかったわ!!)
直哉の内心は、完全に三十四歳のおっさんのボヤきだった。
昨夜聞いた、『鏡宮千鶴は、京都市内のあらゆる反射面を通じて監視できる』という恐怖情報が、完全に直哉のプライバシーの概念を破壊していたのだ。
だが。
レイジの端正な顔立ちには、そんな疲労や情けない内心は微塵も表れない。
朝食を済ませ、旅館の豪奢なロビーへと降りる。
そこには、すでに霧島とエリーズが待機していた。
エリーズが、レイジの姿を認めて微笑んだ。
「おはようございます、白峰さん。昨夜は、ゆっくりとお休みになれましたか?」
レイジは、低く落ち着いた声で、完璧な大人の対応を返す。
「ええ。おかげさまで。大変良いお宿でした」
直哉は、自分で自分の外面の良さに感心していた。
京都呪術協会側が手配してくれた、黒塗りのハイヤーに乗り込む。
車は京都市内を走り、目的地である会議施設へと到着した。
そこは、外から見ると、由緒ある古い京都の立派な武家屋敷のような建物だった。
高い塀に囲まれ、立派な門構えがあり、庭には手入れの行き届いた松の木が植えられている。
だが、門をくぐり、建物の内部へと入っていくと。
直哉は、そのギャップに少し驚かされた。
木造建築の意匠は残されているものの、入り口には最新の生体認証システムが導入されている。
廊下の天井には、死角のない防犯カメラと、見慣れない超常反応を感知する監視装置が設置されている。
会議室として通された広い和室には、分厚い防音材が仕込まれており、壁には巨大なモニターと最新の通信設備が完備されていた。
直哉は、内心で頷いた。
(なるほど。古い伝統を守ってるからって、別に現代の便利な技術を拒絶してるわけじゃないんだな)
昨日、新幹線の車内で聞いた京都呪術協会の「古さ」は、こうした設備の古さを意味するものではないらしい。
正式な協議が始まった。
広い和室の中央に置かれた、重厚なテーブル。
出席者は、意図的に少数に絞られていた。
京都呪術協会側からは、当主である鏡宮千鶴。そして、その背後に控える数名の側近の職員たち。
東京の八咫烏側からは、霧島。そして、直哉(白峰レイジ)。
カトリック教会側からは、エリーズ・ヴァロワ。
余計な人数はいない。今回の中心は、この四人だ。
千鶴が、上座から柔らかく微笑みかけた。
「皆様、おはようございます。昨晩は、ようお休みになれましたでしょうか」
レイジが、代表して答える。
「ええ。大変良いお宿でした。お気遣いいただき、ありがとうございます」
千鶴は、ふふっと上品に笑った。
「それは、ようございました」
直哉は。
「…………」
レイジの無表情の裏で、強烈な疑心暗鬼に駆られていた。
(……この人、俺が昨日の夜、部屋の鏡をコソコソ気にしてたの、知ってて言ってないか……?)
昨夜の会話や行動を聞かれていたのか。それとも、単なる社交辞令の挨拶なのか。
全く分からない。
千鶴の完璧な笑顔からは、何も匂わせるような情報が読み取れない。
だからこそ、底知れず怖かった。
本題に入った。
エリーズが、教会の厳重な暗号化が施された専用端末を、テーブルの中央に置いた。
今日、ここで初めて。
京都呪術協会と、《ナオ》(直哉)に対して。今回のカトリックの最高機密である《秘奥》の詳細な情報開示が、正式に許可されたのだ。
エリーズが、青灰色の瞳を真剣なものにして口を開いた。
「それでは。今回、我々が外国である日本の皆様に、緊急のご協力をお願いした最大の理由について。ご説明いたします」
エリーズが端末を操作すると、壁の巨大なモニターに、一枚の高解像度の写真が映し出された。
そこに写っていたのは。
『古い、二本の鍵』だった。
派手な宝石や、魔法の杖のような大げさな装飾はない。
ただ、金属の色がそれぞれ異なる、古びた二本の鍵。
しかし、その写真からでさえ、何か触れてはならない異様な存在感が漂っているように見えた。
エリーズが、静かに告げた。
「今回、北イタリアの教会の施設から盗難に遭った《秘奥》。その、正式な管理名称は――」
一拍、置く。
「《天国の双鍵(そうけん)》」
直哉は、手元に配られた紙の資料に目を通した。
秘奥《天国の双鍵》。
それは、二本一対のアーティファクトだった。
一方が、《結ぶ鍵》。
もう一方が、《解く(ほどく)鍵》。
直哉が、首を傾げて尋ねた。
「……二本で、一つの秘奥なのですか?」
エリーズが頷く。
「はい。《天国の双鍵》は、必ず二本一対で、一つの秘奥として厳重に管理されています」
霧島が、冷静に確認を入れた。
「今回、イタリアの施設から盗まれたのは。そのうちの、どちらの鍵ですか?」
エリーズは、表情を硬くして答えた。
「両方です」
一瞬。
広い和室の空気が、シンと静まり返った。
ここで、千鶴の柔らかい笑顔が、ほんのわずかだけ、数ミリだけ引き締まったのを直哉は見逃さなかった。
エリーズが、その鍵の具体的な性質についての説明を続ける。
「《天国の双鍵》の根本にある力は。キリスト教における、『結ぶこと』と『解くこと』という、極めて強大な権能の概念に由来しています」
ただし。
エリーズは、すぐに補足した。
「もちろん、これが物理的に『天国の門の鍵穴を開けるための道具』だというわけではありません。また、『実際に聖ペトロ本人が腰に下げて使っていた本物の鍵である』などと、我々も歴史学的に安易に断定しているわけではありません」
重要なのは、そこではないのだ。
「この二本の鍵は、『結ぶ』と『解く』という概念そのものに対して、直接作用する超常のアーティファクトとして。教会によって、極めて長い歴史の中で厳重に管理されてきたのです」
まず、《解く鍵》。
「この鍵は。すでにこの世界に存在している、あらゆる『封印』『契約』『境界』『拘束』『接続』『縁』などへ干渉し」
「それらを、強制的に『解く』方向へと作用させます」
レイジが、静かに、しかし実務的に確認した。
「つまり。厳重に封印された危険な呪物の、その封印を外して解放することも可能だと?」
エリーズが頷く。
「可能です」
「人間と人外の間に結ばれた、古い契約を強制解除することも?」
「条件が成立すれば、可能です」
「土地を守る、巨大な結界そのものを?」
「……それも、対象になり得ます」
直哉の内心は。
(うわぁ……。嫌すぎる。泥棒が持ってて一番厄介なツールじゃねえか)
と、本気で顔をしかめていた。
次に、《結ぶ鍵》。
「こちらは、逆です」
「現在存在しているもの同士の。本来は結ばれていない、成立可能な『接続』や『関係』を、強制的に結びつけ、固定する力があります」
例えば。
呪物と、人間を繋ぐ。
本来関係のない怪異を、その土地へと結びつける。
破壊された封印を、全く別の新しい対象へと強引に拘束し直す。
二つの異なる超常領域を、接続する。
呪いを、別の媒体へと転嫁する。
ただし、エリーズはすぐに補足した。
「もちろん、《結ぶ鍵》も万能の神の杖ではありません。全く成立し得ないデタラメな関係を、無条件に何でも現実へ押し付けられるようなものではないのです」
対象となるものの格。
規模。
互いの相性。
使用時の条件。
それらによって、結ぶ力は抵抗を受ける。
神格やTier0級の存在を、その辺の石ころと無条件に結びつけるようなことは当然できない。
レイジが、最も恐ろしい可能性について質問した。
「では。一方で、既存の関係を《解き》。もう一方で、別の関係を《結ぶ》。この二つの鍵を、同時に使用することも可能なのですか?」
エリーズは、少しだけ間を置いて、重く頷いた。
「……はい」
これこそが。《天国の双鍵》が、通常の呪物や聖遺物とは全く違う、『最高機密の秘奥』として別枠で管理されている最大の理由だった。
例えば。
AとBの接続を、《解く鍵》で切断する。
そして即座に、《結ぶ鍵》でAとCを新しく接続する。
つまり。
既存の超常的な構造や、世界のルールそのものを、局所的に『組み替える』ことができるのだ。
直哉は、戦慄した。
(それ、もう局所的な『現実改変』の能力じゃねえか……)
もちろん、条件付きであり、世界全体を好き勝手に作り変えるような全能の神の力ではない。
だが、事前の準備が整えられた特定の場所で使用されれば。とんでもない大惨事を引き起こすことができる。
説明を聞き終えた、千鶴。
彼女は、少しだけ視線を落とした。
いつもの、あの年齢にそぐわない余裕のある柔らかい笑みが。ごく僅かに、薄れていた。
「《結ぶ鍵》と、《解く鍵》……」
千鶴が、確認するようにエリーズを見る。
「その二本ともが、こちらの日本へ持ち込まれたと?」
「はい」
千鶴は、しばらくの間、静かに沈黙した。
そして。
「……古いモノが数多く残っております、この京都で。それは……ほんまに、困りましたなぁ……」
直哉は、背筋が少し寒くなった。
(この、歴代当主の記憶を持った底知れない人が、『困る』ってハッキリ口にするの。逆にめちゃくちゃ怖いんだけど)
千鶴は、静かな声で続けた。
「十中八九。京都の土地で、何らかの大きな悪さをするためでしょな……」
霧島が、慎重に確認する。
「単純なダミーの輸送経路として、京都をただ通過しているだけ、という可能性は?」
千鶴は、ゆっくりと首を横に振った。
「もちろん、その可能性を完全に否定することはできません」
だが。
「わざわざ、遠い異国から、二本揃うた《天国の双鍵》を。古い封印や契約が、これほど密集して残っているこの京都の地まで、ピンポイントで持ち込んできはった」
千鶴が、少しだけ自嘲するように笑う。
「……それを、ただの『偶然の通過点』やと思うには。少々、相手にとって都合がよろしすぎますなぁ」
十中八九。
犯人の最終的な目的地は、この京都だ。
なぜ、この二本の鍵が、京都という土地と『最悪の相性』なのか。
千鶴が、京都側の事情を簡単に説明した。
京都には、「昔から残っている歴史的な文化財だから、大事に残している」という名目ではなく。
「今でも、ここで下手に接続を切ったり壊したりしたら、大惨事になるから、仕方なく残している」という、危険な『超常の地雷』が大量に存在しているのだ。
例えば。
地下に封じられている、古い巨大な怪異の封印。
人間と人外の間に結ばれた、不可侵の契約。
土地神と、寺社や旧家の間に残っている、代々の加護の契約。
そして、それらを束ねる、京都全域の巨大な結界網。
《解く鍵》があれば。それらを、強制的に解除できる可能性がある。
さらに《結ぶ鍵》があれば。
本来独立している危険な怪異や呪いを、京都の巨大な結界網や霊的基盤へと、ダイレクトに強制接続させることができるかもしれないのだ。
レイジが、鋭く指摘した。
「つまり。京都を守るための巨大な仕組みそのものを、逆に利用して、破壊兵器のように暴走させる可能性がある、ということですか」
千鶴が、深く頷いた。
「ええ。最悪の場合、そういうことになりますなぁ」
直哉の内心。
(最悪じゃん……! 泥棒の事件だと思ったら、都市崩壊のテロじゃねえか!)
霧島の顔も、険しく硬くなった。
千鶴が、最悪のケースを一例だけ出した。
「例えば。ある場所に封じられている、強大な怪異がおります。まず《解く鍵》で、その怪異と封印との接続を完全に切ります」
「その後、すぐに《結ぶ鍵》で。その怪異を、京都の別の霊的基盤へと接続します」
これがもし、完全に成功すれば。
単に、「封印から逃げ出した怪異が一体、街で暴れ回る」というレベルの被害では済まない。
怪異が、京都の土地そのものから無尽蔵に力を吸い上げ、巨大化する。
あるいは、怪異の呪いが、結界網を通じて京都の各所へ一斉に流し込まれる。
直哉は、絶望的な気分になった。
(そりゃ、絶対に持ち込んじゃ駄目なやつだわ……。なんでそんな物騒なもん盗まれてんだよ)
千鶴は、極めて落ち着いていた。
「とは申せ。今すぐ、京都中の全ての封印が、一斉に破られて火の海になるわけでもございません」
主要な大結界。
鏡宮家が直接把握している、大規模な封印。
重要な契約の数々。
それらについては。昨夜、情報を受け取ってから今朝にかけて、千鶴が自身の能力で既に全て確認済みだった。
現時点で、大規模な異常は一つも出ていない。
直哉は感心した。
(もう全部確認してたのか。この人、仕事早っ)
だが、京都には『管理主体が多すぎる』という致命的な問題があった。
京都に存在する「古いモノ」の全てを、鏡宮家一つが独裁的に管理しているわけではないのだ。
各寺院。神社。古い家柄の私有地。人外の領域。小規模な結界。
中には、すでに存在すら忘れられかけている古い封印や、八咫烏の行政システムに完全には登録されていない構造物まである。
その数は、膨大だ。
千鶴が、静かに言う。
「大きなところは、わたくしが見ておりますけれど。京都の隅々の、細かいところまで、『今、全部大丈夫です』とは、とても申せません」
だから、一刻も早く、鍵を持っている犯人を見つけ出す調査が必要なのだ。
レイジが、実務的な質問を投げた。
「その鍵の使用には、どのような条件が必要なのですか?」
「例えば、遠く離れたホテルの部屋の中から、対象の名前を唱えるだけで、京都中の封印を解くことができるのでしょうか?」
エリーズが答える。
「いいえ。《天国の双鍵》は、そのような万能の遠隔操作アイテムではありません」
対象となる契約や封印の、実際の接点。基点。象徴。あるいは物理的な媒体。
そこまで鍵を持ち込み、対象の基点や媒体へ直接鍵を作用させる必要がある。
つまり。
封印なら、封印の核がある場所。
契約なら、契約を保持している依代。
結界なら、結界の要となる節点。
そこへ、犯人が直接赴き、鍵を持って行かなければならない。
直哉は、少しだけ希望を持った。
(なるほど。犯人は、狙った場所へ自分の足で歩き回らなきゃいけないんだな)
(それなら、俺たちにも追跡して捕まえるチャンスはある)
レイジは、当然の解決策を提案した。
「エリーズさん。その鍵自体を、うちの御影千里の能力で探すことはできませんか?」
「写真のデータがあれば、探せるはずですが」
だが、エリーズから追加の絶望的な情報がもたらされた。
「双鍵は、盗まれた時。教会の専用の『特殊な保管ケース』に、二本とも入れられた状態でした」
そのケースは、秘奥を外部の敵から探知されないようにするためのものだ。
遠隔観測や、超常的な索敵に対して、極めて強い『遮断性能』を持っているという。
直哉は、内心で激しくツッコミを入れた。
(セキュリティ用の保管箱が、そのまま泥棒の最強のステルス装備になってんじゃねえか!! 教会の技術力、裏目に出すぎだろ!)
エリーズも、苦い顔をしている。
ただし、犯人がケースを開けて鍵を使用する瞬間には、その遮断の保護はなくなる。そこが唯一の隙だ。
千鶴も同意した。
「箱の中へ仕舞われたままでは。わたくしの京都の観測網でも、直接探すのは難しゅうございます」
ただし、鍵そのものがケースの外へ出て、京都のどこかの『反射面』に一瞬でも映れば、千鶴の観測に引っ掛けられる可能性はある。
だから、犯人側も極力人目を避け、隠密に行動するはずだ。
エリーズが、地図を表示した。
盗難後。
欧州から、複数の中継地点を経由。
最終的に、日本へ。
日本国内へ入ってからも、何度か荷物が別のダミー会社へ移されている。
そして、最後。
京都の南部にある物流地域で、保管ケースらしき荷物が、別の車両へと移されたところまでは確認できた。
しかし、その先で足取りが完全に途切れている。
使用された車両は、後に乗り捨てられているのが発見された。盗難車だった。
車内に鍵はなし。
運搬者の顔も、帽子とマスク、そして防犯カメラの角度が悪く、全く判別できない。
つまり。
千里へ「この顔を探してくれ」と頼んで、一発で解決できるような状態ではないのだ。
ここで、現実的な役割分担と作戦会議が行われた。
カトリック側(エリーズ)。
盗難前後の、欧州側での情報収集。秘奥のより詳細な仕様の解析。犯人側が持っている可能性のある、教会内部の漏洩情報の精査。
八咫烏(霧島)。
入国記録の洗い出し。車両、交通網の監視。警察との裏の調整。通信、金融、防犯カメラ映像の解析支援。
京都呪術協会(千鶴)。
京都に存在する、膨大な封印・契約・結界のリストの中から。『犯人が双鍵を使って、解きたくなる、あるいは結び直したくなる場所』をピックアップして洗う。
そして、《ナオ》(直哉)。
戦闘、追跡、そして能力による遊撃支援。必要になれば、千里を含む追加の人員の投入。
直哉は、内心で思った。
(……俺のチームだけ、求められてる職種の幅とブラック度がおかしくないか?)
霧島が、千鶴へ向かって尋ねた。
「鏡宮様。京都側で、特に危険度が高く、狙われやすい対象を絞り込むことは可能ですか?」
千鶴は、少し考えて。背後に控える京都側の職員へと目配せをした。
職員が答える。
「……最優先の監視対象だけでも、数十。さらに中小規模の封印まで含めますと、数百箇所に及びます」
直哉は、内心で絶叫した。
(多っ!! 京都、地雷抱えすぎだろ!)
京都の歴史が長すぎるが故の弊害だ。
「『古い順』や『強い怪異が封じられている順』で探しても、意味はおまへん」
犯人が双鍵を持っているなら。
単に《解く》だけでなく、《結び直す》ことに価値がある場所を優先して狙うはずだ。
つまり。
・強大な存在が封じられており、かつ。
・近くに強い霊的なネットワークや脈がある場所。
・別の系統の結界へと、容易に接続を切り替えられる場所。
・改変した場合の、波及範囲が極めて大きい場所。
「その条件で、候補を絞りなさい」
千鶴の的確な指示に、職員たちが即座に動き出す。
直哉は感心した。(この人、二十歳だけど、完全に『京都の管理者』なんだな)
ここで、レイジが一つ、重要な疑問を投げかけた。
「一つ、よろしいでしょうか」
千鶴が微笑む。
「もちろんでございます」
「犯人が、それほど京都の複雑な裏の事情に詳しいと仮定するのであれば。単に、外国からふらりとやって来ただけの外部の人間とは、考えにくいのではありませんか?」
これは、非常に重要な指摘だった。
いくら双鍵を持って京都へ来ても。「どこを解いて、どこへ結び直せば一番効果的なのか」という知識がなければ、全く意味がないのだ。宝の持ち腐れになる。
霧島も、ハッとして反応した。
エリーズも、深く同意して頷く。
つまり。
犯人側に、京都の超常事情を深く知る人物がいる可能性。
京都内部の協力者。元関係者。あるいは、古い秘匿資料を持ち出した者。
その可能性が、極めて高い。
だが、千鶴はここで「裏切り者がいる!」と感情的に決めつけるようなことはしなかった。
「ええ。その線も、十分に考えておくべきでしょうな」
京都呪術協会側の職員たちの間に、少しだけ重く、ピリッとした空気が流れた。
自分たちの組織の中に、「内部情報が漏れているかもしれない」というのは、極めて不名誉で嫌な話だ。
でも、千鶴は「今すぐ犯人を探し出せ!」と部下を怒鳴りつけるようなことはしなかった。
「疑うのは、簡単ですけれど。疑いだけで人を縛り、身内を疑心暗鬼にさせれば、それこそ仕事が回らなくなります」
「今はまず、確かな証拠から手繰り寄せましょう」
会議が、順調に進んでいる最中だった。
千鶴の言葉が、ふと、不自然に途切れた。
「…………」
直哉が、その異変に気がついた。
今まで柔らかく参加者たちを見ていた千鶴の視線が。
テーブルの上に置かれた、自分のお茶の湯呑みへと、スッと落ちていたのだ。
湯呑みの中の、静かな水面。
そこにある、小さな光の『反射』。
千鶴は、ただ無言で、じっとその水面を見つめていた。
霧島が、怪訝そうに尋ねる。
「鏡宮様?」
返事がない。
一秒。二秒。三秒。
千鶴が、ゆっくりと顔を上げた。
その顔から。
いつもの、あの柔らかい微笑みが、完全に消え失せていた。
千鶴が、静寂の落ちた会議室で、ポツリと言った。
「……ひとつ」
全員の視線が、彼女に集まる。
「今、外れました」
レイジが問う。
「何がでしょう?」
千鶴の瞳の奥に、冷たい光が宿っていた。
京都市内。
鏡宮家が管理する、巨大な大結界そのものではない。
その周辺の霊脈へと繋がる、古い『補助結界の節点』が一つ。
重要度としては、極めて低い場所だ。
すでに現代ではほとんど使われていない古い社であり、中に何か凶悪なバケモノが封印されているわけでもない。
だから、そこが一つどうにかなったからといって、京都が今すぐ危険な状態になるわけではない。
だが。
その節点が。
物理的に壊されたわけではない。
火で焼かれたわけでもない。
呪力で破壊されたわけでもない。
京都の結界網との、『接続』だけが。
まるで、糸をハサミで切るように、綺麗にスッと外れたのだ。
千鶴は、京都の結界網と常に接続している。
だから、痛いほどよく分かるのだ。
普通なら、古い設備が壊れたり、誰かが術式を破壊したりした時は。
ブチッ、とか、ガシャン、というような『破壊された感触』がフィードバックされる。
しかし、今回は全く違った。
「……切れたり、壊されたりしたのではありません」
千鶴は、忌々しそうに言った。
「まるで、結び目を綺麗に『解かれた』ように感じます」
エリーズの顔色が、一瞬にして青ざめた。
「《解く鍵》……!!」
霧島が、焦燥を抑えて確認する。
「その節点自体に、犯人が危険を冒してまで狙うような、何か戦略的な価値はあったのですか?」
千鶴は即答した。
「ほとんど、ございません」
だからこそ、だ。
直哉のゲーマーの脳が、即座にその意図に気がついた。
レイジが、低く言った。
「……『試した』のでしょうか」
千鶴が、レイジを見て深く頷いた。
「わたくしも、そう思います」
本命の大物や、強固な大結界へ使う前に。
本当に、この異国から持ち込んだ鍵が、日本の京都の古い結界の術式に対しても、正常に通用するのかどうかを試験したのだ。
重要度が低く、失敗しても八咫烏に探知されにくい場所。
しかし、古い術式の構造を保っているため、試験対象としては十分な場所。
犯人は、極めて冷静に考えて動いている。
さっきまでは。
「《秘奥》が京都へ持ち込まれた可能性が高い」という、推測の段階だった。
だが、今は違う。
京都の地で、《解く鍵》が『実際に使用された』可能性が極めて高い。
そして、それは京都の古い術式に対して、見事に成功したのだ。
直哉の内心。
(最悪の兵器の実証実験、成功してんじゃねえか……!!)
エリーズは、落ち込んで頭を抱えるような真似はしなかった。
即座に、実務の仕事モードへと切り替える。
「鏡宮様。その場所を、特定できますか?」
千鶴が頷く。
「もちろんでございます」
エリーズが立ち上がる。
「すぐに現場を確認したいです」
霧島も、素早く立ち上がった。
「八咫烏の現場対応班にも、至急連絡を入れます」
直哉も、当然同行する。
レイジが、腰の青白い法剣へ軽く手を添えて静かに言った。
「私も、参ります」
極めて丁寧な口調だ。
だが、直哉の内心は。
(うわぁぁぁぁ! もう始まったよ! 観光ゼロで本番じゃねえか!)
と、絶叫していた。
そして、驚くべきことに。
千鶴が、スッと立ち上がった。
「わたくしも、参ります」
霧島が、一瞬だけ驚いたように千鶴を見た。
当主自らが、危険な現場へ赴くのか、と。
だが、ここは京都の内部だ。
ならば、千鶴はどこへでも自由に動ける。
むしろ、結界の節点の現場の異常を解析するには、接続している彼女本人が赴くのが一番速くて確実なのだ。
全員が会議室を飛び出していく中。
千鶴が最後に、テーブルの上に置かれた資料へと視線を落とした。
写真に写る、二本の古い鍵。
《結ぶ鍵》。
《解く鍵》。
千鶴が、ポツリと呟いた。
「……どうやら」
いつもの、穏やかな京都弁の響きだった。
だが、その目は全く笑っていなかった。
「皆様と、ゆっくりお茶でも飲みながらお話をしている時間は。あまり残していただけへんようですなぁ」
一拍、置く。
「《解く鍵》は、もう使われました」
直哉は。
「…………」
(朝っぱらから)
(いきなり、最悪の答え合わせが来たんだけど!?)
と、内心で頭を抱えながら、急いで千鶴たちの後を追った。
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