俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
凄まじい轟音。
土煙。
粉々に砕け散った瓦礫。
真っ二つに折れ、崩落した巨大な梁と屋根。
もうもうと舞い上がるその土埃の向こう側に。《九番目の御霊》と呼ばれる巨大な黒い影が、いまだに不気味な姿を保って立っていた。
先ほど、紫苑の《月白》による斬撃で、京都全域へと向けられていた『死の視線』の巨大な因果接続が完全に破壊された。
その結果として。九番目の御霊の注意が、ここで初めて、自分を攻撃したちっぽけな存在である『紫苑』へと明確に向けられた。
顔のない、巨大な闇のような頭部が。ゆっくりと、ギシギシと嫌な音を立てて、紫苑の方を捉える。
紫苑は、白銀の神刀《月白》を下段に構えたまま。表情一つ変えずに、ピタリと動きを止めていた。
レイジは、腰の法剣の柄に手を掛け、いつでも飛び出せるよう重心を低くしている。
千里は、少し後方で《天眼》の視界を維持し、戦況の全てを俯瞰している。
エリーズは、本堂の奥にある、《天国の双鍵》が置かれた祭壇付近で警戒している。
千鶴は、寺の外側の敷地と、その背後にある京都市街を完全に背負う位置で、両手を広げて立っていた。
この異常な緊張感の中。
崩壊した寺の惨状について、呑気に口にする者は誰一人としていなかった。
直哉の意識は、三つの身体を通じて、完全に『戦闘』の処理だけへと極限まで集中していた。
九番目の御霊が、動いた。
巨大な、怨念の塊でできた黒い腕。
先ほどの、緩慢な動きとは比較にならない、異常な速度。
それが、紫苑の華奢な身体を完全に押し潰そうと、上段から猛烈な勢いで振り下ろされた。
だが。
その直撃の、ほんの数センチ手前で。
紫苑の姿が、フッと空間からブレて消えた。
遅れて、紫苑が立っていた足元の石床が爆発した。
『ドンッ!!』
凄まじい脚力による踏み込みの反動。硬い石畳が粉々に砕け散る。
紫苑は、すでに九番目の巨大な腕を掻い潜り、数十メートル先の懐へと入り込んでいた。
さらに、鋭く踏み込む。
またしても、足元の地面が弾け飛ぶ。
今度は、九番目の巨大な背後を取った。
『《月白》』。一閃。
物理的な肉を斬る手応えはない。
だが、紫苑の瞳は、巨大な黒い腕を構成し、繋ぎ止めている『怨念の構造の境界』を正確に認識していた。
白銀の軌跡が宙を走る。
九番目の巨大な右腕が、根元からボロボロと崩壊して地に落ちた。
紫苑の、本格的な超高速戦闘が始まった。
彼女は、一箇所に止まらない。
右。左。上空。背後。
寺の広い境内を、目で追えないほどの超音速で縦横無尽に走り回る。
彼女が踏み込むたびに。
足場の石畳が割れる。
土が爆ぜてクレーターができる。
舞い上がった瓦が、衝撃波で粉々に吹き飛ぶ。
周囲の古い樹木が、暴風を受けたように激しく揺れる。
紫苑は、九番目の巨大な黒い身体へ向かって、次々と理不尽な斬撃を浴びせ続けた。
相手は、単なる物理的な肉体ではない。
だから、九番目の存在を構成している『怨念の繋がり』そのものを《宵刃》で認識し、スパスパと切断していく。
肩が崩れる。
もう一本の腕が切り裂かれる。
太い胴体に、巨大な×印の亀裂が走る。
次々と、黒い巨体が崩壊していく。
だが。
九番目の御霊は、倒れない。
一度紫苑に切り飛ばされた巨大な腕が。
周囲からドス黒い怨念の靄がシュルシュルと集まり、ほんの数秒で完全に『再形成』されてしまう。
胴体に走った致命的な裂け目も、すぐにドロドロと溶けるように塞がっていく。
紫苑が、舌打ちをして大きく距離を取った。
千里が、後方から淡々と報告する。
「対象、再生しています」
レイジが、前衛から千里へ尋ねる。
「これほどの再生力。供給元の位置は分かりますか?」
千里は、《天眼》の視界の深度をさらに上げ、九番目の身体の構造をさらに深く観測した。
千里の目には。
巨大な九番目の身体へ向かって、無数の『何か』が流れ込んでいるのが見えていた。
地下から。寺の周囲から。
さらに、遠く離れた京都市内の各地から。
複数方向から、異常なまでの莫大な力が、九番目の身体へと入り込み、その存在を維持させている。
それは、第九奉祀会が《天国の双鍵》を使って無理やり作り出した、一時的な接続だけではない。
《九番目の御霊》という怨霊が、長年、この京都という土地に対して抱き続けてきた『強烈な怨恨』。
その因縁そのものが、京都という土地との間に、切っても切れない巨大な関係のネットワークを形成しているのだ。
千里が、インカム越しに報告する。
「対象の身体へ向かって、複数の場所から、莫大な力が流れ込み続けています」
千鶴が、その報告を聞いて、即座に事態を理解した。
「……なるほど。京都という土地との『縁』を使うて。無尽蔵に、自分の身体を維持してはるんですな」
つまり。
このままでは、どれだけ紫苑が斬り刻んでも。京都にいる限り、九番目の身体を完全に削りきることはできないのだ。
紫苑が、再び九番目の足元を斬る。
足が崩れる。
しかし、すぐに再生する。
レイジが、紫苑と交代するように接近する。
重厚な法剣を、九番目の胴体へと力任せに叩き込む。
『ドゴォッ!』と、黒い身体が大きく揺らぐ。
それでも、すぐに元の形へと戻ってしまう。
単純な物理火力でのゴリ押し戦では、絶対に終わらない相手だ。
ここで、九番目の御霊が、ターゲットを直哉たちから外した。
その巨大な身体の奥底から、信じられないほどの質量の、黒い呪いの波が膨れ上がる。
それは、紫苑やレイジへ向けて放たれたものではなかった。
寺の、外。
遠くに見える、京都市街地の、住宅地が密集している方向。
そこへ向かって、巨大な黒い津波のような攻撃が放たれた。
千鶴が、スッと両手を広げた。
『《返照(へんしょう)・極(きわみ)》』
千鶴の目の前の空間が、まるで巨大な透明の鏡面のように歪む。
九番目から放たれた黒い波が、その鏡面へ激突する。
直撃。
しかし、黒い波の進路は、鏡面で完全にポキリと上空へと折れ曲がった。
『ドガアアアアアアアアン!!』
空高くへと弾き飛ばされた黒い波が、安全な上空で大爆発を起こす。巨大な衝撃音が京都の空に響き渡ったが、街には一切届かない。
千鶴が、振り返りもせずに凛とした声で言った。
「そちらは、皆様にお任せいたします!」
紫苑が、短く答える。
「承りました」
再び、九番目から巨大な黒い波が放たれる。
市街地へ向かうその攻撃を、千鶴がまたしても反射する。
安全な方向へと逸らした、その先。
それは、寺院の広い敷地の、別の区画だった。
黒い一撃が、地面へと深く突き刺さる。
立派な日本庭園が、一瞬で吹き飛ぶ。
歴史ある重そうな石灯籠が、跡形もなく消え去る。
古い土塀が、数十メートルにわたってガラガラと崩壊する。
それでも。
その場にいる誰も、その甚大な被害について口を開こうとはしなかった。
ただ、次の攻撃に備えて神経を研ぎ澄ませているだけだった。
九番目が、今度は目障りな紫苑を狙って、巨大な両手を振り下ろしてきた。
紫苑の退路と進路を完全に潰すような、広範囲の叩きつけ攻撃。
そこに。
レイジが、腰の法剣を構えて横から割り込んだ。
『ドゴォォォン!!』
レイジは、その巨大な一撃を、最初の一発だけは真正面から受け止めた。
レイジの巨体が、ボロ布のように大きく後方へと吹き飛ばされる。
寺の古い壁を一つぶち抜き、瓦礫の中に埋もれた。
しかし。レイジはすぐに、何事もなかったかのように立ち上がった。
『《既判適応》』。
九番目が、再び同じような巨大な腕による叩きつけ攻撃を、レイジと紫苑へ向けて放ってくる。
今度は、レイジの身体には全く通らない。
レイジが、弾き飛ばされることなく、正面からその巨大な腕の質量を押し返す。
法剣の腹で巨大な腕を強引に弾き飛ばし。
紫苑が駆け抜けるための、完璧な『進路』をこじ開けた。
レイジによって、九番目の巨大な身体の防御が、ほんの僅かに開いた。
紫苑が、その隙を見逃すはずがない。
限界まで加速する。
踏み込んだ石畳が、完全に粉砕されてクレーターになる。
紫苑の身体が、九番目の胴体の中心を、一気に駆け抜ける。
『《宵刃》』。
黒い巨体が、その斬撃の線に沿って、上下に大きくズレた。
一瞬だけ。完全に、上下に真っ二つに切断された。
しかし。
またしても、切断面から黒い怨念がドロドロと溢れ出し、集まり始めてしまう。
千里は、《天眼》の視界の解像度を限界まで引き上げていた。
九番目の身体へと流れ込んでいる、複数の莫大な接続の糸。
最初は、ノイズのように入り乱れていて、どれが何だか判別がつかなかった。
だが、紫苑とレイジの激しい戦闘によって、九番目の表面の怨念の構造が何度も壊され、剥がれ落ちたことで。
その奥にある、根本の接続の『線』が、ようやく見えやすくなってきたのだ。
千里が、報告する。
「重要な接続を、確認しました」
レイジが問う。
「数は、いくつですか?」
「現在、対象の維持に直結している明確に識別できるものが……『四つ』あります」
外側から観測していた千鶴も、同意するように頷いた。
「それを切らんことには、何度倒しても、あの御霊は戻ってきはります」
紫苑が、刀を構えたまま短く言った。
「場所を、お願いします」
一本目。
千里が、正確な位置を指示する。
「対象の、右肩付近。そこから、地下の奥深くへと続く接続です」
物理的な右肩の肉体ではない。
紫苑の目には、その空間に重なって存在している『関係性の糸』として、ハッキリと認識できた。
『《宵刃》』。
白銀の軌跡。
斬断。
何もない空間を斬ったように見えたが。
九番目の巨大な身体が、グラリと大きく揺らいだ。
先ほどまでの異常な再生速度が、明らかに僅かに落ちている。
一つ目の接続を切られたことで。九番目の御霊が、ついに激昂した。
巨大な黒い腕を、背中からさらに何本も形成し、寺全体を無差別に薙ぎ払うように暴れ狂い始めたのだ。
レイジが、その一撃を前衛で引き受ける。
紫苑は、超高速で残りの攻撃を回避する。
千鶴は、敷地の外の市街地へと抜けようとする攻撃だけを、次々と反射して空へ逸らす。
その結果。
戦場の余波を受けた、本堂の残っていた部分が完全にペシャンコに潰れた。
奥にある別棟が、ガラガラと倒壊する。
美しい木造の渡り廊下が、木っ端微塵に吹き飛ぶ。
立派な山門の一部が、衝撃で崩れ落ちる。
それでも。
誰一人として、戦闘の歩みを止める者はいなかった。
二本目。
千里の的確な指示が飛ぶ。
「左側。同じく、地下の別の方向へと伸びています」
紫苑が、地を蹴って駆ける。
九番目が、それを防ごうと巨大な腕を何本も叩きつける。
レイジが、法剣を盾にして、その腕の群れを真正面から受け止める。
ほんの一瞬。九番目の防御の動きが止まった。
紫苑が、その隙間をすれ違う。
斬撃。
二本目の接続が、綺麗に消滅した。
九番目の黒い巨体が、目に見えてさらに薄く、不安定になった。
その時。
本堂の奥、祭壇の付近。
エリーズは、一人で《天国の双鍵》が置かれた祭壇へと近づこうとしていた。
周囲には、まだ第九奉祀会の残党の構成員たちが数人残っている。
構成員の一人が、隙を突いて祭壇の鍵へと手を伸ばそうとした。
エリーズが、冷徹に銀の杭を投げつけた。
『《聖別》』。
祭壇と、その周囲の空間が、淡い光に包まれる。
これ以上、この鍵を使って異常な接続を作らせないための、『固定状態』への強制移行だ。構成員の手が弾かれる。
だが、そこへ。
九番目の御霊から、目障りなエリーズを排除しようと、巨大な黒い塊が飛んできた。
レイジが、即座に二人の間に割り込んだ。
ドンッ!
黒い塊を、巨大な背中で受け止める。
すでに同種の攻撃は適応済みだ。レイジには全く通らない。
エリーズが、背後から短く言った。
「……ありがとうございます」
レイジは、前を見据えたまま答える。
「鍵の確保を、お願いします」
「はい」
三本目。
千里が、さらに別の接続を発見した。
今度は、九番目の身体から。第九奉祀会の構成員たちが作り上げた、あの『古い祭壇』へと直接繋がっている糸だった。
紫苑が、祭壇へと向けて走る。
だが、祭壇そのものを物理的に破壊するわけではない。《月白》の力は、そんな野蛮なものではない。
九番目と、祭壇との間の『関係』だけを切るのだ。
一閃。
祭壇の石材には、傷一つついていない。
だが、そこにあった接続だけが、完全に消滅した。
九番目の巨大な身体が、崩れるように大きく体勢を崩した。
「残り、一本」
レイジが確認する。
だが。
千里が、急に沈黙した。
《天眼》の視界を、さらに深く、広く展開して見つめる。
「……最後の一つが、今までのものとは違います」
レイジが問う。
「何が違うのです?」
千里は、少しだけ声に緊張を滲ませて言った。
「他の三つの接続とは、規模が……遥かに、大きすぎます」
それは。
京都という土地の広範囲。
その土地に住む、無数の人々。
そして、積み重なった古い歴史。
それら無数のものと複雑に絡み合った、巨大すぎる『接続の塊』だった。
千鶴も、外側からその巨大な気配を感じ取り、顔を険しくした。
「……それが、あの御霊の力の『本体』ですな」
それは、奉祀会が作った単なる儀式の魔法陣の線などではない。
《九番目の御霊》が、京都という土地に対して憎悪し続けてきたこと、そのもの。
京都という土地と、九番目の間に、何百年もかけて形成されてしまった巨大な『因縁』。
その関係性によって。京都にいる限り、九番目は異常な力を得続けるのだ。
千鶴が、紫苑へ向かって叫んだ。
「九条はん! あれと京都を、完全に切り離せますか!?」
紫苑は、九番目の巨体を見上げた。
さらに、その背後に広がる、京都の街へと伸びる巨大な因縁の構造を見る。
「……確認します」
九番目の御霊も、自分の命綱である接続が次々と切られていることを理解した。
巨大な身体が、さらにドス黒く膨張していく。
寺の地下から、上空の雲にまで届きそうなほどの、膨大な怨念の塊。
それを。京都全域へ向けて、一気に放射しようと溜めを作った。
千鶴が、悲痛な顔で両手を前に突き出す。
『《返照・極》』
巨大な透明の鏡面が展開される。だが、今までよりも遥かに大きく、分厚い。
千鶴の表情にも、明らかな過負荷の苦痛の色が浮かんでいる。
「これほどの力……長うは、持ちまへん!!」
レイジが、動いた。
九番目の注意を、完全に自分へと引きつけるためだ。
法剣を構え、真正面から、九番目の懐へと突っ込んでいく。
巨大な怨念の攻撃を、全て真正面から受ける。適応する。さらに前へ。
九番目の巨体へと、法剣を深々と突き立てる。
レイジの巨大な力が、黒い身体が攻撃を放とうとするのを、強引に押し留める。
全ては。
紫苑が最後の一撃を放つための、ほんの僅かな時間を作るためだ。
千里が、その巨大な接続の構造の全貌を捉えた。
九番目の御霊。
京都という土地。
両方を同時に広域観測し、その巨大な関係性の弱点を探る。
無数の細い線のように見えていたものが。実際には、一つの大きな『構造』として成立している。
その、構造の根幹。
「九条さん」
千里が、インカム越しに。紫苑へと、その正確な位置と構造の形を伝達する。
「確認できました。斬断のポイントを共有します」
紫苑が、神刀《月白》を静かに構えた。
紫苑の、最後にして最大の、超音速の突撃が始まった。
踏み込み。
地面が爆発し、紫苑の姿が消える。
九番目の周囲。一方向からではない。
右。左。背後。上空。
何度も、何度も。
超高速で空間を駆け回りながら。紫苑は《月白》を振るい続けた。
一撃。
二撃。
三撃。
巨大な京都との接続を。
まるで巨木を切り倒すように、細分化して次々と切断していく。
九番目の黒い身体から、京都へと伸びていた巨大な関係性が。
紫苑の白銀の斬撃が走るたびに、一本、また一本と、確実に消えていく。
土地との物理的な接続。
封印から再構築された霊的な接続。
京都へ向けられた怨恨を媒介にして成立している、精神的な接続。
すでに存在している、それらの強固な構造を。
紫苑が『認識』し。
切る。
切る。
切る。
最後の一本。
紫苑が、ピタリと動きを停止した。
九番目の、真正面。空中に静止する。
《月白》を、大上段に構える。
千鶴が、祈るように言った。
「……お願いします」
紫苑が、短く答える。
「承りました」
一閃。
最後の、最も巨大な因縁の接続が。
音もなく、綺麗に切断された。
その瞬間。
九番目の身体から、今まで放たれていた異常なまでの圧力が、嘘のようにフッと消え去った。
巨大な身体が、スライムのように不安定にドロドロと崩れ始める。
京都という土地から、もう力が流れ込んでこない。
異常な再生能力も、完全に停止した。
九番目は、まだそこに存在している。
だが、もう『京都限定Tier0.5』の無敵の怪物ではない。
ただの、的のデカい怨霊に成り下がったのだ。
千里が、無機質に告げる。
「対象の再生機能、完全に停止しています」
一気に、押し切る。
レイジが、九番目の巨体を力任せに押さえつける。
法剣を、胴体へとさらに深く突き込む。
九番目が、最後の抵抗でレイジを払いのけようとする。しかし、先ほどまでの圧倒的な力はもうない。
紫苑が、再び鋭く踏み込む。
千里が、弱点となっている核の箇所を的確に示す。
エリーズの《聖別》によって、祭壇からの再接続も完全に抑え込まれている。
千鶴も、市街地への攻撃を警戒しつつ、最後の一撃の軌道だけを、反射の力でわずかに補助して整える。
千鶴が整えた、その一瞬の軌道へ。
紫苑が踏み込んだ。
九番目を、一つの巨大な怨霊として形作っている、最後の構造の基点。
紫苑の瞳が、それを完全に認識した。
《月白》。
一閃。
巨大な黒い身体へ。
無数の白銀の亀裂が、網の目のように走った。
九番目の御霊が、音にならない絶望の怨嗟を上げる。
次の瞬間。
その巨大な身体が、砂上の楼閣のようにガラガラと崩れ落ちた。
黒い粒子となって。
長年の怨念ごと。
空中の彼方へ、次々と溶けるように消滅していった。
完全な、静寂が訪れた。
攻撃が止まる。
京都を覆っていた、超常的な反応も急速に消え去っていく。
千里が、静かに報告する。
「対象の反応、完全に消失しました。……討伐完了です」
紫苑が、ゆっくりと《月白》を鞘へと納めた。
レイジも、法剣を鞘へと納める。
千鶴が、大きく息を吐いて《返照・極》の巨大な鏡面を解除する。
エリーズが、祭壇の前からホッとしたように顔を上げる。
誰も、すぐには喋らなかった。
あまりにも激しい死闘の余韻が、現場を包み込んでいた。
直哉は、レイジの視界で。
改めて、周囲の景色をゆっくりと見渡した。
(…………)
立派だった本堂。
ない。木っ端微塵だ。
古い由緒あるお堂。
ない。屋根が完全に吹き飛んでいる。
立派な山門。
半壊して、柱だけが傾いて残っている。
大きな鐘楼。
無残に横倒しになっている。
美しかった石畳。
ほぼ全部、紫苑の踏み込みと怪異の攻撃で割れて粉々だ。
手入れされていた庭。
巨大なクレーターがいくつも口を開けている。
寺の地下施設まで、一部が地面から露出してしまっている。
直哉は。
(…………)
もう一度、ゆっくりと見渡す。
(寺が……)
(完全に、更地に……!)
直哉は、ようやく現実に気がついた。
さっきまで、戦っている間は、必死すぎて完全に被害を無視していたのだ。
改めて冷静になって見てみると、本当に酷い。
境内のかなりの広範囲が。
『歴史ある美しい寺院』から。
『大規模な重機による解体工事の途中』みたいな、悲惨な荒野へと変貌してしまっている。
直哉の内心が、激しく震え始めた。
(あわわわわわわわわわ……)
千鶴は、相当に疲労しているはずだ。
それでも、いつものような穏やかな調子で歩み寄ってきた。
「皆様、本当にお疲れ様でございました。見事な連携でございましたな」
そして。
千鶴は、周囲の惨状をぐるりと見渡した。
少しだけ、間を置いて。
「……お寺が、見事に更地になりましたなぁ」
直哉は、内心で絶叫した。
(言わないでええええええええええええ!!!)
(分かってるから! 俺が一番気にしてるから、わざわざ口に出して言わないで!!)
エリーズも、祭壇の方から歩いてきて、周囲の惨状を見た。
大量の瓦礫。
倒れた柱。
吹き飛んだ屋根。
紫苑の《月白》による、鋭く巨大な無数の斬撃痕。
エリーズは。
「…………」
しばらくの間、無言でそれを見つめていた。
そして、ポツリと。
「これは……本当に、酷い惨状ですね」
直哉の内心。
(エリーズさんまでええええええええええええ!!!)
(やめて! 常識人の調査官からの正論、一番心に刺さるから!)
直哉の内心は、完全にパニックに陥っていた。
だが、レイジの外面は、キャラクター補正によって極めて冷静な大人の態度を保っていた。
レイジが、咳払いをして。少しだけ声のトーンを硬くして尋ねる。
「……この寺の、修復についてですが」
「この甚大な被害は、金銭的には、どのような扱いになりますでしょうか」
霧島も、無言で壊れた寺の残骸を見つめている。
即答は、しなかった。
その沈黙が、直哉にとっては死刑宣告を待つ時間のように怖かった。
だが、エリーズが、誰よりも先に口を開いた。
「教会からも。この寺の修復のための専門の人員と、多額の費用を出させていただきます」
レイジが、少し驚いたように聞き返す。
「……よろしいのですか?」
エリーズは、毅然とした態度で頷いた。
「当然の義務です」
彼女は、祭壇に残された《天国の双鍵》を振り返って見た。
「そもそも。今回のこの大事件の発端は、我々教会が管理していた《天国の双鍵》という危険物を、不用意に盗まれてしまったことにあります」
さらに、エリーズは千鶴と霧島の方を見て言った。
「我々の不始末で起きた事態です。京都側や、日本側だけに、この被害の修復の責任と費用を押し付けるようなつもりは、教会には一切ありません」
直哉の内心は。
(!!!!)
(よ、良かったあああああああああああああああ!!!!)
(全部俺のせいにして、「お前が壊したんだからお前が弁償しろ」って、億単位の請求が来るわけじゃないんだ!!)
別に、誰もそんな理不尽な話はしていなかった。
でも、三十四歳の小市民である直哉本人は、本気で心の底から安堵して泣きそうになっていた。
千鶴が、パンッと軽く手を叩いて、話を切り替えた。
「まあ」
千鶴は、瓦礫の山を見渡して、柔らかく微笑んだ。
「修復のややこしいお話は、また後日の『別件』ということにいたしましょう」
直哉にとって、それはまさに神の慈悲のような言葉だった。
そして。
千鶴の視線が、奥の祭壇へと鋭く向いた。
「それよりも」
「今は、あの《天国の双鍵》を。誰かに触られる前に、安全に確保してしまわなあきまへんな」
現場の空気が、再び少しだけ引き締まった。
エリーズは、さっきまで寺の惨状を見て絶句していたはずなのに。
すぐに、有能な調査官としての表情へと切り替えた。
「はい」
エリーズが、祭壇へと足早に向かう。
「急ぎます」
双鍵は、まだ祭壇の上にある。
犯人が、先ほどまで使用していた直後だ。どんな呪いや罠が残っているか分からない。不用意には触れない。
エリーズは、教会側の正式な手順に従って、慎重に特殊な布で鍵を包み、回収の作業を進める。
レイジたちも、最後まで警戒を怠らない。
千里が、周囲の広範囲を再び《天眼》で確認する。
逃げた第九奉祀会の構成員が、どこかに潜んでいないか。別の罠が起動していないか。
レイジは、回収作業を行うエリーズのすぐ傍で、護衛として立つ。
紫苑は、《月白》をゆっくりと鞘に納めつつ、鋭い視線で周囲の気配を探っている。
千鶴は、京都の結界網のシステムへと意識を向け。
九番目の御霊との接続が、本当に完全に消滅していることを、最終確認していた。
崩れ落ちた、古い寺。
そこら中に散乱する、大量の瓦礫と木材。
その中央の祭壇で、エリーズが《天国の双鍵》を無事にケースへと収める。
直哉は、レイジの姿のまま。
改めて、周囲の惨状をゆっくりと見渡した。
本当に、酷い。目も当てられない。
だが。直哉は内心で、自分に必死に言い聞かせていた。
(……いや)
(京都全滅の危機を救ったんだから)
(これは、絶対に必要な被害……)
真っ二つに割れた、本堂の屋根の残骸を見る。
(……必要な被害、だよね? うん、そうに決まってる)
直哉の、その少しだけ自信のない自己正当化と共に。
京都を揺るがした、最悪の兵器と怨霊との死闘は、完全に終結した。
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