俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
京都で《九番目の御霊》という最悪のバケモノを撃破してから、数日が経過した。
直哉は東京へと戻り、ようやく平穏で文化的な日常を取り戻していた。
京都事件そのものの後処理は、まだ完全には終わっていないらしい。
八咫烏、京都呪術協会、カトリック教会、京都府警、文化財関係者、そしてあの更地になった寺の管理側。
関係する各所が、現在も胃を痛くしながら責任と費用の分担、そして再発防止のための協議を続けているという。
しかし、それはあくまで行政や組織のトップたちがやるべき仕事だ。
直哉自身が、現地にいつまでも残ってやらなければならない実務は、もう何もなかった。
必要な報告書は書き終えた。事情説明のヒアリングにも応じた。チーム《ナオ》としての戦闘記録のデータも提出した。
直哉としては、完全に(終わった!)と肩の荷が下りた状態だった。
だから、今日は仕事ではない。
久しぶりに、ノアと遊ぶ約束をしていた。
今日の直哉の姿は、東雲セナだ。
ノアとは以前からセナの姿でも普通に食事に行ったり、買い物に付き合ったりと付き合いがあり、今日もそのまま「一番フットワークの軽いセナの姿」で来たというだけのことだ。
都内の、若者で賑わう大きな商業エリア。
映画館が併設されている大型ショッピングモールの周辺を、二人は適当に店を眺めながら歩いていた。
セナは、クレープの包みを片手に持ちながら、甘い香りを漂わせている。
ノアは、ポケットに手を入れたまま、いつも通りの少しダルそうな歩き方で隣に並んでいる。
周囲から見れば、年の離れた兄妹か、あるいは少しちぐはぐな友人同士が休日を楽しんでいるようにしか見えないだろう。
数日前までの京都での血生臭い緊迫感とは無縁の、完全な休日の風景だった。
人混みを歩きながら、ノアが何気ない調子で口を開いた。
「そういやさ」
セナが、クレープを齧りながら首を傾げる。
「ん?」
ノアが、少しだけ面白そうに口元をニヤリと歪めた。
「ずいぶん派手に暴れたみたいじゃん。京都で」
セナの足が、ピタッと止まった。
「……なんで知ってるの?」
ノアは、肩をすくめて言った。
「なんでって。そりゃ、能力者の方の界隈じゃ、もう結構な評判になってるぜ?」
「『東京のチーム《ナオ》が、京都でどえらい規模の怪異とやり合って、派手に暴れ回った』ってな」
直哉の内心が、激しく動揺した。
(うわ、もう裏社会に広まってんの!? 早すぎないか!?)
もちろん、表の一般ニュースの報道で「謎の能力者チーム《ナオ》が活躍!」などと取り上げられたわけではない。
あくまで、裏側。能力者社会。八咫烏の関連組織や、その周辺で独自のネットワークを持っている情報屋たちの間での話だ。
彼らの間に、警察の捜査上の機密までが流れているわけではない。
ただ、大枠の事実だけが、噂として爆発的に駆け巡っているらしい。
京都の市街地で、極めて危険な超常事件が起きた。
推定実効Tier0.5級とも目される、巨大な怨霊クラスの怪異が解放された。
その鎮圧のために、京都の絶対的な守護者に加えて、東京からわざわざチーム《ナオ》が投入された。
最終的には、その怪異を見事に討伐した。
そして。
「ある歴史ある寺が一つ、ほぼ『更地』になった」
この辺りの派手な被害情報だけは、妙に尾ひれがついて広く伝わっているようだった。
セナは、クレープを持ったまま、無言で目を逸らした。
「…………」
ノアが、意地悪く覗き込んでくる。
「あのさ。寺、本当にぶっ壊したの?」
セナは。
「……うん」
少し重い間を置いて、渋々認めた。
「更地になった。見事に」
ノアが、吹き出した。
「マジかよ」
セナは、少しムキになって言い返した。
「マジだよ!」
直哉の内心では、(なんでチーム《ナオ》が京都中の人の命を救った華麗な戦闘内容より、寺が壊れた器物損壊の事実の方ばっかり面白おかしく広まってんだよ!!)と、裏社会のゴシップ好きたちに激しいツッコミを入れていた。
ノアは、腹を抱えて笑っている。
セナは、若干げんなりとした表情で、あの日の京都の惨状を思い返していた。
「いやー……」
「正直、甘く見てたわ。『Tier0.5』の力を、完全に舐めてた」
ノアが、笑いを収めて呆れたように言う。
「今さら? お前、どんだけ自分の手札の出力把握してねーんだよ」
セナが反論する。
「いや、本当にさ!」
紫苑と、《月白》の完全同調。
推定実効戦力、Tier0.5相当。
数字としては、システムの説明でちゃんと読んで知っていた。
八咫烏の地下検証施設でも、その異常な気配の一端は見た。
でも。
『歴史ある古い寺のど真ん中で、実際にその最大級の出力をフルスイングで使うと、物理的にどういう結果を招くのか』までは、三十四歳の一般人の想像力では、リアルに実感できていなかったのだ。
ノアが、不思議そうに言う。
「でもお前、前にも吸血鬼の国で、城一つ丸ごとぶっ壊してただろ」
「あの時と、何が違うんだよ」
アルビオン公国での、ヴェルミリアの件だ。
セナは、首を横に振った。
「あれとは、ちょっと事情が違うんだよ」
「何が?」
「あれは、敵の術式をシステムごと止めるために、『物理的に壊すという明確な理由があって』壊したの!」
「だから、納得ずくの破壊活動だったわけ!」
今回も、京都全域への致死的な呪いを防ぐという、人命救助のための明確な大義名分はあった。
ただ、ヴェルミリアの時とは、被害の発生プロセスが全く違ったのだ。
城の時は、壊すことも含めての行動だった。
だが、今回の寺は。
紫苑が、京都中の人間へと伸びた無数の見えない『死の接続』を、空中で綺麗に斬り裂いた。
ただ空間を斬っただけだ。それなのに、その『概念を斬断した余波』だけで、空間に存在していた寺の屋根や柱までが巻き込まれてズレて、勝手に倒壊したのだ。
さらにその後の決戦で、レイジと怪異の物理的な衝突の余波も広がり、最終的にはほぼ完全な更地と化した。
セナが、溜め息をついて弁明する。
「もちろんさ。京都中の人が死ぬよりは、寺一個が吹っ飛ぶ方がマシだよ? そこは、今でも私の判断は間違ってなかったって思ってる」
「でもさ」
セナは、クレープの残りを食べ終えて、天を仰いだ。
「ただ空中の因果の糸を斬っただけで、下にあるお寺の建物まであんな綺麗にスパスパ切れるなんて、普通の人間は思わないじゃん……」
ノアが、鼻で笑った。
「だから、お前はTier0.5級の規格外の概念斬撃を、歴史的建造物の中でフルパワーで使ったんだろ?」
「自業自得だろ」
セナは、ぐぬぬと唸った。
「そうなんだけどさぁ! もっとこう、ファンタジーの魔法みたいに、建物にはノーダメージで敵だけ斬れる親切設計だと思うじゃん!」
完全に、ゲーム脳の弊害だった。
だが、そこでノアは、意外と軽い調子で言った。
「まあ、でも。ただの寺の建物くらいなら、何とかなるだろ」
セナが、不審そうにノアを見る。
「……うん? 何とかなるって?」
ノアは、当然のように答えた。
「そりゃ、そういう『建築物の修復を専門にしてる能力者』だっているじゃん」
能力者同士による、超常的な戦闘が普通に存在する世界。
当然、歴史的建造物や、国の重要施設が、事件の余波で盛大に破壊されて損傷することも日常茶飯事だ。
そのため、裏社会には。
建造物。美術品。文化財。
そうしたものを専門に『直す』能力を持つ、修復のプロフェッショナルたちも存在しているのだ。
ノアは、「時間を少し巻き戻す系の術者とか、物質の復元に特化した能力者とかを何人か連れてきて、パパッと直させればいいんじゃね?」くらいの、極めて軽い感覚で言っていた。
単純な物理的損壊なら、その能力で『破壊される以前の正常な状態へと、時間を巻き戻すように近づける』ことが可能なのだ。
セナは、重々しい声で言った。
「私も、今回知ったんだけどさ」
ノアが首を傾げる。
「ん?」
セナの顔が、心の底から嫌そうな、疲労困憊した顔になった。
「それがさー」
「紫苑の能力って、単純に木材とか石を物理的に両断してるだけじゃないらしくて」
《宵刃》。それは、単純な物理現象ではない。紫苑が認識した、『構造』『境界』『繋がり』という概念そのものへと、切断の力が及んでいる。
さらに、今回は神刀《月白》と完全同調した状態での、最大級の出力の斬撃だった。
そのため、寺の損傷箇所の一部には。
『単純に「壊れる前の状態へと時間を戻す」という復元能力だけでは、エラーを起こして処理しきれない、概念的な切断の痕跡』が、複雑にこびりついてしまっていたのだ。
ノアは、状況を理解して黙り込んだ。
「…………」
セナが続ける。
「だから、京都側の修復担当の人たちにも、現場を見た瞬間に『うわっ……』って、めちゃくちゃ嫌な顔されたんだよ」
ノアが、同情するように言った。
「あちゃー……。そりゃ、厄介だな」
ノアの表情にも、ようやく少しだけ同情の色が浮かんだ。
セナが、疲れた声で話を続ける。
「それでさ」
「その厄介な状態からでもちゃんと修繕できる、腕のいい修復能力者の人たちをあちこちから何人か呼んで見てもらって。とりあえず『相見積もり』を出してもらったんだけど」
ノアが、目を丸くした。
「お前、寺の修復で相見積もり取ったのかよ」
セナが強く言い返す。
「取るよ! 当たり前でしょ! お寺一つだよ!?」
「私にどれくらいの割合の責任が来るかまだ未確定だったから、少しでも安いとこ探そうと必死だったんだよ!」
実際に最終的に誰がいくら支払うのかは、この時点でもまだ調整中だったが、金額がとんでもない天文学的な数字になることだけは、直哉の三十四歳の社会人経験からも容易に想像できた。
そして、出てきた複数の見積もりの中で。
最も現実的で、確実性が高いとされた修復案。
「一番マシな提案がさ」
セナは、遠い目をして言った。
「『高位の修復能力者を中心に、複数名の術者で。寝ずに七日間連続で、大規模な復元儀式を続けたら、何とか元に戻せるかもしれない』っていう見積もりだった」
ノアが、聞き返した。
「七日?」
セナが頷く。
「七日」
ノア。
「一睡も寝ずに?」
セナ。
「寝ずに」
二人の間に、数秒の静寂が流れた。
「…………」
セナが、ボソッと言った。
「その見積もりの詳細な説明と金額を聞いてる間、横にいた霧島さん、ずっと無言で胃の辺りを強く押さえてたよ?」
ノアが、呆れ果てて言う。
「そりゃ、鋼のメンタルの管理官でも胃に穴が空くわ」
直哉の内心では。
(俺だって、請求書来ないかビクビクして、ずっと胃が痛かったわ!!)
と叫んでいた。
なお、その七日間の儀式だけで、全てが完璧に終わるわけでもない。
儀式で概念的な修復が終わった後にも、普通の建築や文化財関係の専門家が入って確認し、必要な箇所は通常の手作業で修繕を行わなければならない。
本当に完全復旧するまでには、それなりに長い時間がかかるらしい。
ただし。
『絶対に直せないわけではない』。
そこだけは、直哉にとっても、京都側にとっても、唯一の明るい救いだった。
ノアが、現実的な疑問を口にする。
「で? 結局、そのとんでもない修復の金、どうすんだ?」
セナが答える。
「教会の人も、かなりのお金を出してくれるって」
今回の未曾有の危機の根本的な原因は、カトリック教会が厳重に管理していたはずの《天国の双鍵》が盗まれたことから始まっている。
もちろん、全責任が教会にあるわけではない。実行犯の盗賊や、京都側の内部協力者、第九奉祀会というカルトなど、色々な悪意が重なった結果だ。
それでも、教会側は責任逃れをせず。
莫大な修復費。専門家の派遣。その他、諸々の必要経費。
そのかなりの部分について、責任を持って協力し、負担する方針を固めてくれたのだ。
エリーズも、その話を本国と掛け合って、迅速に進めてくれているらしい。
セナが言う。
「エリーズさんが、教会側でもちゃんと誠意を持って負担しますって約束してくれたから。まあ、お金の面は何とかなるらしい」
ノアが、興味なさそうに言う。
「ならいいじゃん。お前の懐が痛むわけじゃないんだろ」
「うん」
セナは頷いてから、少しだけ皮肉っぽく言った。
「でも、最近あのカトリック教会、盗まれた物の後始末で、世界中にずっと莫大な慰謝料とか修復費ばっかり払ってる気がするけど。財政大丈夫なのかな」
ノアが鼻で笑う。
「知らねーよ。あの金持ち宗教の懐事情なんて、俺たちが心配してやる義理はねーよ」
セナも、それ以上はカトリックの内部事情へ首を突っ込まなかった。
これ以上関わっても、ろくなことにならない気がしたからだ。
さらに、セナはもう一つの面倒な後日談を思い出した。
「あ、あとさ。紫苑の能力の件で」
京都での、紫苑の実戦データ。
九番目の御霊への圧倒的な攻撃。京都全域へ伸びた見えない《死の視線》の一刀両断。
そして、その余波で引き起こされた寺の甚大な損傷。
それらのデータを、八咫烏の分析班が詳細に精査した結果。
『紫苑が神刀《月白》と完全同調し、高出力で能力を使用した場合。その破壊力と影響範囲は、実効Tier0.5級に達する』ということが、ほぼ公式に確定してしまったのだ。
セナが、不満そうに口を尖らせる。
「なんかさ。都内であの《月白》の最大出力を使う時は、原則として『許可制』になるみたいな、新しい運用ルールが追加されたんだけど」
ノアが、至極当然のように即答した。
「そりゃそうだろ」
セナが目を丸くする。
「そんな、一秒も迷わずに即答する?」
「する」
ノアは、バカを見るような目でセナを見た。
もちろん、通常使用まで完全に禁止されたわけではない。紫苑自身が現場で活動できなくなるわけでもない。
ただ。
人口が密集している地域。特に、被害が出れば国家の機能が麻痺する東京都心。
そこで《月白》を抜き、Tier0.5相当の概念斬撃の最大出力を出す場合には。事前に、あるいは事後でも、必ず八咫烏側への報告と許可が必要になったのだ。
当然、切迫した緊急事態なら話は別だ。
人命がかかっているのに「許可が下りるまで待機します」などという、アホな官僚主義の制度ではない。事後報告での書類提出になるだけだ。
ただ、平時に。
「ちょっと検証のために、裏山で最大出力試してみますね」というような気軽な真似は、完全にできなくなった。
セナが、納得いかないという顔で言う。
「なんか、私のキャラクターが、完全に『歩く危険物』扱いされてる気がするんだけど」
ノアが、冷たく言い放つ。
「危険物だろ、どう考えても」
セナがむくれる。
「紫苑は、れっきとした人間だよ!」
ノアが呆れて訂正する。
「お前の使ってる、その『刀』の話だよ。人間じゃなくて、出力がおかしいのは武器の方だろ」
セナが。
「……ああ。そっちか」
と、少しだけバツが悪そうに納得した。
ノアが、少しだけ呆れたような、説教くさい調子で口を開いた。
「つーかさ。ナオ」
「お前、能力者になってからまだ経験が浅いから、根本的な『格』の感覚が分かってねーんだろうけど」
セナが、クレープの包み紙をゴミ箱に捨てながら首を傾げる。
「何が?」
ノアが、真面目な顔で言った。
「あのな。『Tier1』っていう階位の時点で。もう、個人じゃなくて『国家級』の存在なんだよ」
セナが、少しだけ目を細めた。
「……国家級?」
直哉自身は、システムのTier表記という概念自体にはもう完全に慣れている。
自分の手持ちのTier1のキャラクターたちが、どれほど理不尽に強いかということも、実戦で十分に知っている。
でも。
そのTier1という存在が、この超常社会全体において、『社会的にどれほど重く、異常な意味を持つのか』という肌感覚については。
元々がただの一般市民だった直哉には、まだ実感が薄かったのだ。
ノアが説明する。
「別に、Tier1の能力者が、全員その気になれば街を一つ吹き飛ばせる火力を持ってる、っていう単純な意味じゃねーよ」
Tierは、単純なドラゴンボール的な『戦闘力ランキング』ではない。
それでも。
能力の影響する規模の大きさ。
魂や因果律へ与える、不可逆な影響の深さ。
そして何より、その希少性。
それらを総合すると。
「Tier1の能力者は、一国に一人いるだけで、国家の防衛や外交のパワーバランスにおいて、絶対に無視できない『切り札』になる」ということだ。
ノアが、肩をすくめて言う。
「普通の常識で言えば、Tier1の時点で、もう十分におかしいバケモノなんだよ」
「お前のチーム、最近になってポンポンとその上の規格外ばっかり増えてるから。自分たちの異常さに、完全に感覚がバグってんじゃね?」
セナは。
「…………」
と、無言になった。
直哉の脳内に。
京都を支配する、実効Tier0.5級の鏡宮千鶴。
概念を斬り刻む、実効Tier0.5級の紫苑。
そして、本来ならTier0級に達するというヴェルミリア。
その他、とんでもない連中の顔が次々と浮かんだ。
(……確かに、そうかも。俺、ちょっと感覚麻痺してるわ)
直哉は、素直に自分の異常性を認めた。
その流れで。
ノアが、さらに上の階層の話を続けた。
「で、だ。そのさらに上。正真正銘の『Tier0』の連中は、また完全に次元が別だ」
セナが問う。
「別?」
「ああ。あいつらは、基本的には、我々のいる現世の出来事には、直接手ぇ出さねえようになってる」
Tier0級の神格や、それに類する存在同士には、古くからの不可侵の協定が存在しているらしい。
セナにも分かるように、ノアは要点だけを続けた。
もし、世界を作り変えられるようなTier0の連中が、自分たちの都合で好き勝手に現代の人間社会へ干渉し始めれば。
国家や能力者組織の力で処理できる規模を、一瞬で超えてしまう。世界が滅ぶ。
だから、上位存在同士での暗黙のルールとして、『一定の不干渉』が成立しているのだという。
ノアが結論を言う。
「だから。実際に、人間の社会の現場で実働部隊として動ける能力者だけを見れば」
「お前の使ってる紫苑の『Tier0.5』あたりが、実質的な戦力の『ほぼ天井』だな」
セナが、驚いたように言う。
「じゃあ、紫苑って……」
ノアが、ニヤリと笑う。
「この世界で、上から数えた方が早いレベルの、相当上のバケモノってことだ」
セナは。
「…………」
と、自分の持っているカードの恐ろしさに、再び言葉を失った。
ノアが、意地悪く突っ込む。
「あのさ。歴史ある寺を更地にしてから、その事実に気付くなよな」
セナが、ムキになって言い返す。
「仕方ないでしょ! 使ってみるまで分からなかったんだから!」
寺の一件を思い出して、直哉はまた少しだけげんなりした。
だが、ノアは。
そのまま、一つの『例外』について口にした。
「まあ。Tier0の協定の中で、一人だけ『変なの』がいるけどな」
セナが、興味を惹かれて首を傾げる。
「変なの?」
ノアが、少しだけ声を落として言った。
「《オラクル》だ。正確には、今いるのは二代目だけどな」
セナは、その単語を頭の中で反芻した。
「オラクル?」
少し考えてみるが、八咫烏の資料でも見た記憶がない。
「……誰、それ?」
ノアが、意外そうに目を見開く。
「お前、裏社会にいてあいつのこと知らねーの?」
セナが首を振る。
「全く知らない」
直哉にとっても、完全な初耳の情報だった。
ノアは、「あー、まあ」と髪を掻いた。
「俺らみたいな裏の人間でもなきゃ、知らない奴の方が多いか。表に出てくる奴じゃないしな」
「今の《オラクル》は二代目。通称、《猿》」
セナが、思わず聞き返した。
「……猿?」
「ああ。猿」
「なんで猿?」
ノアは、少しだけ笑った。
「さあ?」
「神様なのに、本人が自分のことを『猿』って名乗ってんだよ。笑えるだろ?」
セナは、何とも言えない顔になった。
「……変な人だね」
「変な奴だよ。とんでもなく強くて、とんでもなくお人好しだけどな」
現在の《オラクル》。
二代目《猿》。
公式の階位は、正真正銘の『Tier0』。
非常に強力な、そして広範囲に及ぶ『未来視』の能力を持つ存在だという。
ただし。他のTier0の神格たちと違って。
現世の人間社会の出来事に、「全く関わらない」わけではない。
むしろ、逆だという。
ノアが、少しだけ感心したような口調で言う。
「自分の未来視で見て。『大勢の人間が死ぬような悲劇』が起こる未来を察知したら、それを片っ端から裏で手回しして潰して回ってる、とんでもない『お人好し』なんだよ」
セナは、目をパチクリとさせた。
「……へ?」
「勘違いすんなよ。本人が、ヒーローみたいにマント着て表の現場に出てきて戦うわけじゃねーよ」
未来を見る。
世界中のどこかで起こる危険を察知する。
そして、必要であれば、その悲劇を止めることができる最も適切な関係者へと、匿名で情報を送る。
警察。行政機関。八咫烏のような能力者組織。
あるいは、たまたま近くにいる実力のある能力者。
その他、その時にもっとも適切に動ける駒へと、的確なタイミングで警告を出すのだ。
結果として。
事件や事故そのものが、発生する前に未然に防がれる。
あるいは、被害が拡大する前に、迅速に終わる。
でも、助けられた一般人たちは。
『そもそも、《オラクル》という存在が介入して自分たちの命を救ったこと』を、絶対に知らない。
本人も、マスコミに名乗り出て称賛を受けたり、宗教を作って崇められたりすることを望んでいない。
ノアが、空を見上げて言った。
「誰にも知られもしねーのに。能力者が関わらないような、ただの自然災害や事故の悲劇まで、裏で手を回して消してんだよ」
「未来を見る、ただのバカみたいなお人好しさ」
セナは。
「へー……」
と、純粋な感嘆の声を漏らした。
「そんな凄い人が、この世界にはいるんだ……」
直哉の内心は、素直に感心していた。
(へえ。Tier0っていう神様みたいな連中の中にも、そんないい奴がいるんだな)
セナが、ふと聞く。
「その《猿》って、本名なの?」
ノアは肩をすくめた。
「知らねーよ。本名も、今どこにいるのかもな」
二人は、少しだけ無言で歩いた。
Tier0。
上位存在同士の不干渉の協定。
世界規模の未来予知。
人知れず、世界の悲劇を防ぎ続けている存在。
かなりスケールの大きな、重い話を聞いた直後だった。
セナが、隣のノアを見上げて、明るい声で言った。
「それよりさ」
ノアが、怪訝な顔をする。
「ん?」
セナが、目を輝かせて尋ねた。
「なんか、新しくて面白そうな『事件』とか、ないの?」
ノアは。
「……は?」
と、完全に間抜けな声を出して立ち止まった。
セナが続ける。
「だから、何か私たちで解決できそうな、割の良い依頼とかさ」
ノアが、ジト目でセナを睨みつけた。
「お前さ」
「京都の事件から帰ってきて、まだ何日だ?」
セナが指折り数える。
「えーと、数日」
ノアが、呆れ果てて怒鳴った。
「数日前に、京都でTier0.5級の最悪の怪異と殺し合いをして。歴史ある寺を一個、物理的に更地にしてきたばっかりの奴が」
「もう『次の事件ないの?』って、首突っ込むところ探してんじゃねーよ! 戦闘狂かお前は!」
セナが、少しだけむくれて反論する。
「だって、今仕事なくて暇だし」
ノアが呆れる。
「平和でいいだろ、別に。お前、少しは休めよ」
セナが、少しだけ遠い目をして言う。
「……それはそうなんだけどさ」
直哉の内心としては、別に「誰か死んでくれ」と事件が起きてほしいわけではない。
平和なのが一番だ。
ただ、最近。
能力を使って、自分の判断で仕事をする。
信頼できる相手から、依頼を受ける。
自分の知らない未知の事件へと関わり、解決する。
そして、正当な高額の報酬をもらう。
そういう『能力者としての生活』そのものに。直哉自身が、かなり適応し、慣れてきてしまっているのだ。
実家の部屋で、日がな一日ゲームだけをして、社会から逃げていた無職の頃とは。
直哉の精神状態は、完全に違っていた。
ノアが、あっさりと現実を突きつける。
「残念だったな。お前みたいに火力の高いバケモノを巻き込めるような、丁度いい危ない依頼は。今のところ、俺のところにはねーよ」
セナが、肩を落とす。
「なーんだ」
本当に、ちょっとだけ残念そうだった。
ノアが突っ込む。
「何で心底残念そうなんだよ。平和を喜べ」
そのまま、二人が商業施設の中を歩いていると。
セナが、ふと、通路の時計を見た。
一瞬、動きが完全に停止した。
「……あっ」
ノアが、怪訝な顔をする。
「何?」
セナが、慌てた声で叫んだ。
「映画!」
ノアが首を傾げる。
「は?」
セナが、ノアの腕を掴んで引っ張る。
「時間! もう上映時間ギリギリじゃん!」
二人が今日ここへ来た目的である、映画の上映時刻が、かなり迫っていたのだ。
本編の前の、長い予告編の時間を込みにすれば、まだ少しだけ猶予はある。
ただ、直哉にとっての映画館での必須アイテムである『ポップコーンと飲み物』を売店で買う時間を計算に入れると、かなり急いだ方がいい時間だった。
セナが、小走りで駆け出す。
「もう本編始まるじゃん! 早く行こう!」
ノアが、嫌そうに引っ張られる。
「おい待て! 走るな!」
セナが振り返る。
「早く!」
ノアが文句を言う。
「お前が走ったら、ポップコーン買う時間なくなるだろ!」
セナが言い返す。
「じゃあ映画館の売店で買えばいいじゃん!」
ノアが怒鳴る。
「だから、映画館の売店で買う時間を計算してんだよ! あそこ、土日はアホみたいに並ぶんだよ!」
「じゃあ私が並ぶから、ノアは席取っといて!」
「指定席だろ! アホか!」
二人は、全く中身のないくだらない言い合いをしながら。
人混みを縫って、映画館の入り口へと向かって急いで走っていった。
ほんの少し前まで。
Tier0の神格。国家級の能力者。世界規模の未来視。
そして、京都が全滅しかけた事件の後始末。
そんな、世界の存亡に関わるようなスケールの大きな話を、真顔でしていたのに。
今の二人の最大の重要問題は。
『映画の予告編が終わる前に、ポップコーンを買って席に着けるかどうか』だった。
結果。
二人は、なんとか無事に、本編の上映開始前に映画館の座席へと到着した。
直哉の指定した、見やすい中央の席。
セナの膝の上には、無事に確保できた巨大なキャラメルポップコーンと、コーラのLサイズが置かれている。
暗くなり始めた映画館の中で。
ノアが、隣の席でジュースのストローを咥えながら言った。
「結局、余裕で間に合ったな」
セナが、ドヤ顔で返す。
「だから、余裕だって言ったじゃん」
ノアが呆れて言う。
「お前が、途中で服屋とか雑貨屋に寄り道しまくらなきゃ、もっと余裕で着いてたんだよ」
セナが笑う。
「いいじゃん、結果的に間に合ったんだから。終わり良ければ全て良しだよ」
スクリーンが暗転し。
大音量と共に、映画の予告編が流れ始める。
直哉は、東雲セナの身体を、柔らかい映画館の座席へと深く沈み込ませた。
京都での出張。
九番目の御霊との死闘。死の視線。
紫苑のフルパワー。
更地になった寺。莫大な修復費。
Tier0.5の存在。オラクル。
ここ数日、本当に色々なことがあった。濃すぎる日々だった。
でも。
今日は、仕事ではない。
誰も死なないし、世界も滅びない。何も斬る必要もない。
ただ、友達と一緒に、ポップコーンを食べながら映画を見るだけの日。
直哉の内心は。
暗いスクリーンを見つめながら、穏やかに満たされていた。
(まあ)
(たまには、何にも起きないこういう休日も……悪くないな)
そして、直哉はワクワクしながら、これから始まる映画のタイトルコールを待った。
(……これ、面白いといいな)
そんな、三十四歳の一般人のささやかな願いと共に。
直哉の休日は、平和に過ぎていった。
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