俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
午前八時過ぎ。
都内の、閑静な住宅街にある一軒家。
高瀬修吾(たかせしゅうご)は、洗面所の鏡の前で、静かに身支度を整えていた。
パリッとしたワイシャツに左腕を通し、続いて、右上腕の半ばで途切れた部分に、専用の『義手』をカチリと手慣れた動作で装着する。
ウィーン、という微かなモーター音が鳴り、人工の指先が彼の意思に従って滑らかに動いた。
高瀬が使用しているのは、八咫烏が手配してくれた最新式の筋電義手だ。上腕に残された筋肉の微細な電気信号を読み取り、驚くほど精密に駆動する。
コーヒーカップの取っ手を握ることも、ネクタイを不器用ながら締めることも、車のハンドルを操作することも。日常生活の大半は、これ一つで問題なくこなすことができた。
だが。
どれほど機械の技術が進化し、見た目が人間に近づこうとも。それは、決して『生身の腕』ではない。
例えば、朝、出勤前に九歳になる愛娘が「お父さん、いってらっしゃい」と抱きついてきた時。
無意識に右手を伸ばしてその頭を撫でても。硬い人工皮膚とセンサー越しには、髪の柔らかさも、子供特有の高い体温も、何一つ彼の中枢神経には伝わってはこないのだ。
高瀬は、三年前まで、現場の最前線で命を懸けて戦う『Tier2』の能力者だった。
危険な怪異の暴走事故から、逃げ遅れた一般市民を庇い。崩落する建物の瓦礫と、怪異の呪力の直撃を、その身に受けた。
一命は、取り留めた。しかし、右上腕部の半ばから先は、完全に失われた。
当時、八咫烏が手配できる最高水準の治癒能力者による懸命な処置も受けた。
だが、どれほど高位の治癒能力であっても、「物理的に完全に消滅した腕を、無から新しく生やして再生させる」ことは不可能だった。傷口を塞ぎ、命を繋ぎ止めるのが限界だったのだ。
高瀬は、自分のあの日の選択を後悔してはいなかった。自分が右腕を犠牲にしなければ、背後にいた数人の命は確実に失われていたのだから。
現在は、現場の実戦職からは退いたものの、八咫烏の関連施設で若い能力者たちの新人教育や訓練指導を行う教官として、新しい仕事にやりがいを見出している。
家族との関係も良好だ。絶望に沈んで、人生を投げ出したりはしていない。
ただ、ふとした瞬間に。
感覚のない右手の先を見つめて、どうしようもない喪失感に襲われることがある。
(……もう一度だけでいい。自分の右手で、触れられたらな)
義手の冷たい指先を見つめていた時。
洗面所の脇に置いていたスマートフォンが、短い着信音を鳴らした。
画面に表示されたのは、以前から定期的な診察を受けている、特殊医療機関の担当医である三崎(みさき)からのものだった。
「はい、高瀬です」
『朝早くに申し訳ありません、高瀬さん。……以前から少しお話ししていた、あの「新しい治療法」の件ですが』
高瀬は、タオルで顔を拭く手を止め、少しだけ目を見開いた。
「ああ、例の……」
『ええ。ようやく、本格的に治療を検討できる段階に入りました』
電話の向こうの三崎の声は、医師としての冷静さを保ちつつも、どこか抑えきれない高揚感を帯びていた。
『一度、当施設へお越しいただき、詳しいお話をさせていただけませんか?』
高瀬は、無意識のうちに。動かないはずの右手の拳を、強く握りしめるような感覚を覚えた。
都内、直哉の新居。
先日の、エレノアの《時間停止》によって武装強盗団から人質六人を、外から見ればわずか三秒で救出したという仕事から、さらに数日が経過していた。
直哉は、リビングのフカフカのソファに寝転がりながら、スマートフォンでゲームのデイリーミッションを消化しつつ、平和な日常を満喫していた。
先日の人質救助の仕事では、八咫烏からの依頼達成による高額な現金報酬に加えて。システムから因果晶を『1,600個』獲得できていた。
現在の所持石は、合計で36,800個。
(……230連か)
(うんうん。やっぱり、世界が滅ぶような大事件ばっかりじゃなくて、こういう普通の堅実な仕事をコツコツこなしていくのが、一番精神的にもいいよな!)
直哉が、通帳の残高を見るような顔でホクホクしていると。
八咫烏の専用端末から、着信音が鳴った。霧島からだ。
「はい、森川です」
『お疲れ様です、森川さん。霧島です』
いつもの、感情の揺れを感じさせない冷静な声。
『先日、八咫烏の検証施設でご覧いただいた、研究用の「超常素材」の件ですが』
直哉は、ソファからガバッと勢いよく起き上がった。
「おっ!」
『まず、あの「怪異由来の組織片」について。上層部への稟議が通り、正式な研究利用としての持ち出しの許可と、医療機関側での調整が完了いたしました』
『以前、白芷さんが強い興味を示されていた、強力な「自己修復作用」を持つ素材です』
直哉の内心は、大歓喜だった。
(……来た!!!)
(ついに、レア素材を使った本格クラフトの解禁だ!!)
以前、その辺の漢方薬局で買ってきた普通の生薬からでも、高品質な《滋養丹》と《潤髪丹》が作れた。
それ以来、直哉のゲーマー魂は、完全に『素材収集』と『調薬』の底なし沼にハマっていたのだ。
本物の超常素材を使えば、一体どんなバグ性能の仙丹ができるのか。
しかし、霧島の話は、それだけでは終わらなかった。
『実は。その素材の再生作用の検証に関連して。一件、八咫烏の提携する医療機関から「医療相談」の依頼が来ておりまして』
直哉は、首を傾げた。
「……医療相談?」
『はい。過去の超常事件の事故で、右腕を失ったTier2の能力者の方です』
直哉は、言葉を失った。
「……え? 腕を?」
『白芷さんの《万象丹炉》の能力を用いて、その欠損した身体部位の「再生」が可能かどうか。一度、直接診察をお願いできないでしょうか』
直哉の頭の中で、霧島の言葉がグルグルと回った。
(……え?)
(腕の、再生!?)
(それって、トカゲの尻尾みたいに、物理的に無いものを新しく生やすってことだろ!?)
(あれ、もしかして……今のジーの能力なら、そんな奇跡みたいなことまで本当にできるのか!?)
今回の依頼は、まずは「診察」と「治療可能性の確認」だという。
その後、安全性の検証を行い、問題がなければ実際の治療プロセスへと移行する。
ただ素材を釜に入れて遊ぶだけだった段階から、一歩進んだ、人の人生を左右する本物の『仕事』としての依頼だった。
直哉は、電話口でいくつか慎重に確認を入れた。
「ちなみに、その患者さんって。もう何年も前に腕をなくしてるんですよね?」
『はい。三年前に、右腕を失っておられます』
「その時、普通の治癒能力を持ってる人にお願いして、治してもらえなかったんですか?」
『ええ。当時、八咫烏が手配可能な範囲で、最高水準の治癒能力者による処置を受けました。ただ、失われた腕を温存することはできず……腕全体の再生には至っておりません』
直哉は、少しだけ考え込んだ。
一般的な治癒能力にも、当然限界や得意不得意がある。
以前、ノアとの戦闘で生身の直哉自身が大怪我を負った際、凄腕の治癒能力者に治してもらったことがある。治療費の一千万円は紅城院玲蘭が負担してくれた。あの時は、内臓の深刻な損傷や骨折を見事に治してくれた。
しかし、今回は事情が違う。
(……傷を治すのと、既に存在しないものをゼロから生やすのは、根本的に次元の違う話だよな)
(でも。ジーなら……)
白芷の《万象丹炉》は、単純な治癒能力ではない。
素材の性質を極限まで解析し、それを人体に作用する丹薬として『再構成』する能力だ。
しかも、今回使用許可が下りたという超常素材は、『強力な自己修復能力を持つ怪異』に由来するものだ。
その怪異の異常な再生の『性質』を、仙丹という形で人間が利用できる形に落とし込むことができるなら。可能性は、十分にある。
直哉は、決断した。
「分かりました。まずは、ジーの姿で診察してみます。治療できるかどうかは、それから判断させてください」
『ありがとうございます。必要な調整は、こちらで進めておきます』
決して「絶対に治せますよ」とは安請け合いしない。正式な治療ができるかどうかは、あくまで診察と素材の検証結果次第だ。
直哉のこの慎重さは、三十四歳の社会人としての真っ当なリスク管理だった。
数日後。
八咫烏と協力関係にある、都内の閑静な場所にある特殊医療施設。
一般の患者は立ち入れない、能力者や超常事件の関係者だけを受け入れる専門の病院だ。
直哉は、事前に手配された個室で《白芷》の姿へと変身し、医療スタッフの案内で診察室へと向かった。
当然、ここでもチーム《ナオ》の「一人の人間が複数の姿に変身している」という最大の機密は公開しない。彼女はあくまで、独立した『神級仙薬師・白芷』として紹介されている。
診察室の扉を開ける。
そこには、担当医の三崎と、そして一人の男性が座って待っていた。
高瀬修吾。
年齢は三十八歳。
実戦からは退いているとはいえ、元Tier2の能力者らしく、服の上からでも分かるほどに鍛え上げられた体格をしている。
落ち着いた、静かな雰囲気を持つ男だった。
そして、彼の右上腕の途中には、金属と特殊樹脂でできた高性能な義手が装着されていた。
高瀬が立ち上がり、少し緊張した面持ちで頭を下げた。
「高瀬修吾です。本日は、お忙しいところありがとうございます」
白芷は、いつものように全てを包み込むような柔らかい微笑みを浮かべ、優雅に一礼した。
「白芷と申します。こちらこそ、よろしくお願いいたしますね」
高瀬は、顔を上げて白芷の姿を正面から見た瞬間。
少しだけ、不思議そうな、戸惑ったような顔をした。
今回、自分の診察のために八咫烏が手配してくれたのは、Tier1というとてつもない階位を持つ『高位の仙薬師』だと事前に聞かされていた。
だから、高瀬が勝手に想像していたのは。白い髭を長く伸ばした気難しい仙人の老人か、あるいは白衣を着た神経質そうな研究者のような人物だったのだ。
それが、実際に現れたのは。
息を呑むほどに美しい白銀の長髪と、深い翡翠色の瞳を持つ、絶世の美女だった。
高瀬は、思わずといった様子で口走ってしまった。
「……失礼ですが。あなたが、本当にTier1の仙薬師の方でいらっしゃるんですか?」
白芷は、ふふっと楽しそうに笑って小首を傾げた。
「ええ。皆様からは、そのように過分な評価をいただいております」
高瀬は、自分の失礼な発言にハッとして、慌てて苦笑いをした。
「いや、すみません。もっとこう……中国の山奥にいるような、仙人らしいご老人を想像していたもので」
直哉の内心は。
(……まあ、気持ちは分かる)
(中華ファンタジーの仙人っていったら、普通は雲に乗った白髭のお爺さんのイメージだよな!)
と、激しく同意していた。
しかし、白芷の口からは。
「どうぞ、お気になさらないでくださいませ。よく言われますから」
という、極めて穏やかで余裕のある言葉が自然と紡ぎ出された。
その彼女の柔らかな声と態度に、診察室に漂っていたピンと張り詰めたような緊張感が、ふっと和らいでいくのを感じた。
診察に先立ち。
担当医である三崎が、電子カルテのモニターを操作しながら、高瀬のこれまでの病歴と治療の経緯を手短に説明し始めた。
「三年前、都内で発生した超常事件の現場において。高瀬さんは、一般市民を庇い、怪異の放った強力な呪力による切断攻撃を受け、右上腕部から先を重度損傷しました」
「緊急の救命措置と、高位の治癒能力者による治療によって、命を取り留めることには成功しました。しかし……物理的に欠損した腕そのものを温存し、再生させることはできませんでした」
その後も、高瀬は諦めきれずに、八咫烏のツテを頼って複数の優秀な治癒能力者や超常医療の専門家に相談を持ちかけたという。
しかし、誰一人として、『完全に失われて三年が経過した腕を、ゼロから完全再生させる』という奇跡の御業を成功させることはできなかった。
高瀬は、静かに自分の現在の状況を語った。
「今は、現場の任務には出ていません。関連施設で、若い能力者たちの訓練指導や新人教育の仕事をしています」
「若い連中に現場のノウハウを教えるのも、まあ、案外楽しくてやりがいのあるものですよ」
彼の言い方は、極めて明るく、前向きだった。
決して、過去の怪我を理由に自分を哀れんでほしいわけではない。同情を引こうとしているわけでもない。
だから、白芷も「それはお可哀想に」などと、不必要に同情するような野暮な言葉はかけなかった。
あくまで、一人の対等な患者として、真っ直ぐに向き合う。
高瀬は、自分の義手の右手を、左手でそっと撫でながら。
少しだけ迷うように視線を落としてから、本音を口にした。
「ただ……」
「もし、本当に。この腕が元に戻る可能性があるのなら……それは、ありがたいですね」
「三年前までは、私は右利きだったんです」
「この義手にも随分と慣れましたが……やっぱり、生身の自分の腕とは、決定的に違いますから」
大げさに涙を流してすがりついているわけではない。
人生に絶望しているわけでもない。
彼は、今の自分の人生を、しっかりと前を向いて生きている。
それでも。
できることなら、もう一度、自分の右手を取り戻したい。
直哉の内心は。
(……そりゃ、そうだよな)
と、彼のその切実で、極めて真っ当な願いに、静かに頷いていた。
「では、お身体を診させていただきますね」
いよいよ、診察が始まった。
高瀬は、シャツを脱ぎ、右上腕に装着されていた義手をゆっくりと取り外した。
右上腕部の、ちょうど半分ほどの位置から先が、完全に失われている。
傷口は三年前の治療によって完全に塞がっており、切断端の状態は綺麗で安定していた。
三崎医師が、横のモニターに画像診断のデータを次々と表示していく。
「こちらが、最新のMRIと超常反応の検査画像です」
「骨の断端、神経の残存状態、筋肉と血管の分布。いずれも、義手を使用するためのリハビリの成果もあり、萎縮は見られますが良好な状態を保っています」
三崎医師が、専門的な医療用語を交えながら詳細な説明を続ける。
しかし。
白芷は、三崎の説明を聞きながらも。
高瀬の右上腕の切断端を直接『目視』したその瞬間に、普通の医師たちとは全く違う、圧倒的な次元の情報をすでに読み取っていた。
『《万象丹炉》』。
この能力の、あらゆる物質と性質を解析する力。
そして、彼女自身に備わっている、神級仙薬師としての膨大な医学的・薬学的知識のアーカイブ。
患者の身体の現在の状態が、精密な3Dモデルのように頭の中で再構築され、詳細に把握されていく。
何が、どこから失われたのか。
どの細胞と組織が、どのように残っているのか。
もし再生を始めるなら、どの骨の断面からアプローチすべきか。
どの部分の神経と血管を、優先して繋ぎ合わせるよう誘導する必要があるのか。
それらが、バラバラのデータではなく、一つの完璧な『治療計画のロードマップ』として、白芷の中で瞬時に組み上がっていく。
白芷は、優しく高瀬の右上腕の残された部分に触れながら、小さく頷いた。
「……なるほど」
三崎医師が、説明の手を止めて身を乗り出した。
「何か、お分かりになりますか?」
白芷は、極めて穏やかな声で答えた。
「はい。失われた部分の質量は大きいですが……残っている組織の生命力と状態は、非常に良好でございますね」
「こちらから、お薬によって適切に『再生の道筋』を誘導し、促してあげることができれば……」
三崎医師が、息を呑んだ。
「……できれば?」
白芷は、真っ直ぐに高瀬の目を見て言った。
「失われた右腕を、完全に元の状態に近い形へと戻して差し上げることも。十分に可能かと存じます」
一瞬。
診察室の中が、水を打ったように静まり返った。
三崎医師は。
「…………」
あまりの衝撃的な宣告に、言葉を失って固まっている。
高瀬は。
「……え?」
と、自分の耳を疑うように、間抜けな声を漏らした。
白芷は、冷静に続ける。
「ただし。そのためには、少々特殊な超常の薬材が必要になります。まずは、そちらの素材の適性と安全性を、私が確認させてからになりますね」
直哉の内心は。
(……マジか!!)
(ジー、これ適当に言ってるんじゃないよな!? 本当に、腕一本丸ごと再生できるのか!?)
ただし、まだ超常素材の解析も、実際の調薬も、その安全性の検証も終わっていない。
安易に治療の成功を約束せず、最終的な判断は検証を終えてから下す。それが仙薬師としての誠実な態度だった。
それでも。高瀬の瞳の中に、三年間諦めていた『希望の光』が、確かに灯った瞬間だった。
同じ施設内にある、厳重なセキュリティシステムに守られた『特殊調薬室』。
そこには、霧島が待機していた。
彼女の前にあるステンレスの台の上には、先日、八咫烏の検証室で直哉にチラリと見せてくれた、あの厳重な保管容器が置かれている。
今回は、ガラス越しに見学するだけではない。
正式に研究利用の許可が下り、実際に取り出して解析し、調薬に利用することができるのだ。
もちろん、最終的にそれを人体へ適用するためには、医療機関側での厳密な安全確認と、患者本人の同意、そして倫理委員会の承認を経た上での実施となる。
霧島が、容器のロックを解除しながら説明する。
「こちらが、先日ご覧いただいた『怪異由来の組織片』です」
「採取元の怪異は、戦闘中に損傷した自身の身体を、極めて短時間で修復・再生させるという、異常な性質を持っていました」
「現在、この試料は特殊な超常処理により、完全に不活性化されています」
白芷が、深く頷く。
「ありがとうございます。では、詳しく拝見いたしますね」
白芷は、容器の中から取り出された、黒ずんだ肉塊のような組織片へと意識を集中させた。
『《万象丹炉》』による、極限の解析。
直哉にとっては、待ちに待った本物のレア素材を使うクラフトだった。
一般の漢方薬局で売っている薬草などとは、比べ物にならないほど複雑で、強固に絡み合った性質のデータが脳内に流れ込んでくる。
強力すぎる自己修復の作用。
人間とは全く異なる、異種生物に固有の異常な組織構造。
もしそのまま人間の体内に取り込めば、細胞が暴走して肉体を内側から破壊しかねない、猛毒のような成分。
直哉の内心は。
(……おおおおお!!)
(やべえ! データの情報量が、その辺の草と全然違う!!)
(これが、本物の高レアのドロップ素材の解析画面か!!)
しかし、白芷の意識は、極めて冷静にその膨大なデータを整理していく。
「あら……」
白芷が、感心したように呟く。
「確かに、素晴らしい自己修復の『性質』を秘めておりますね」
「ですが。このままでは、当然ですが、人のお身体には全く合いません」
霧島が、顔をしかめる。
「やはり、そのまま利用するのは危険ですか?」
白芷は頷く。
「ええ。この組織片そのものを、外科的に人体へ移植するなどということは、絶対にやってはならない暴挙です。細胞が拒絶反応を起こすか、最悪の場合、患者様のお身体が怪異化してしまいます」
「ですが……」
白芷は、柔らかく、自信に満ちた微笑みを浮かべた。
「私が必要としているのは、この怪異の細胞組織『そのもの』ではございません」
「この素材の奥底に眠っている、細胞の再生を強力に促す『純粋な性質』の方でございます」
怪異の肉片を、そのまま人間にくっつけてサイボーグにするわけではない。
怪異由来の、危険な毒性や異常な増殖性、異種生物としての構造データは、全て丹炉の中で分離して完全に焼き捨てる。
そして、人体の回復に役立つ『再生作用の性質』だけを、一滴の不純物もなく抽出し。
それを、人間の身体の波長に合わせた別の安全な薬材と組み合わせて、一つの『仙丹』として再構成するのだ。
直哉の内心は、大興奮だった。
(……あ、これ)
(完全に、高レア素材から特殊効果のエンチャントだけを抽出して、新しい最強装備をクラフトする時のやつじゃん!!)
(いや、作るの装備じゃなくて薬だけど!!)
ジーが『神級』と呼ばれる理由は、その圧倒的な知識と構想力にもあった。
単純に「怪我の治りが早くなる、再生効果が強い魔法の薬」を作るだけでは、今回の治療は絶対に成功しないのだ。
なぜなら。
今回やるべきことは、少し切った指先の傷を塞ぐことではない。
完全に失われた右腕を、骨、筋肉、神経、血管、皮膚に至るまで。全てを複雑に絡み合わせながら、元の正しい人間の腕の形へと『再構築』することなのだから。
ただ闇雲に細胞の増殖を促すだけの薬を飲ませれば、腕の断面から醜い肉の塊が腫瘍のように膨れ上がるだけだ。
白芷が頭の中で組み立てている処方箋は。
『患者本人の、現在残っている正常な組織の情報を起点として。失われた部分が本来どういう形であったのかを読み取り、その設計図通りに再生を「誘導」する仙丹』だ。
《万象丹炉》の真骨頂。
怪異の素材から抽出した、強力な再生を促す作用。
人体側で、細胞が暴走して異常な増殖を起こさないための、強力なブレーキと制御の作用。
神経のネットワークや血管の経路を、ミリ単位で適切に形成していくための、微細な調整作用。
それら相反する複雑な性質を。
今回新しく用意した複数の補助用の通常薬材と組み合わせて、一つの丹薬の中で完璧に構築する。
さらに、腕一本分の質量をゼロから生み出すためのエネルギーや物質は、魔法のように無から湧いてくるわけではない。
再生に必要な莫大な栄養や水分は、医療施設の徹底した管理下で、高瀬本人の食事や点滴から十分に補給してもらう必要がある。
仙丹が、無から腕の物質を生み出すのではない。
『仙丹はあくまで設計図と現場監督であり、材料は患者自身の身体が用意し、自身の再生能力を限界突破させて腕を構築する』という、極めて理に適った生命の神秘の延長なのだ。
白芷から、その調薬の理論とプロセスを聞かされた三崎医師は。
呆然として、驚きを隠せなかった。
「……つまり。単純な組織修復の促進剤ではない、と?」
白芷が頷く。
「はい。失われた部分を、患者様ご自身のお身体の持つ本来の働きによって、再び正しい形へと形成していただくためのお薬でございます」
「もちろん、そのためには、そちらの医療設備による十分な栄養管理と、慎重な経過観察が必要不可欠になりますけれど」
三崎医師は、頭を抱えた。
「…………」
「そのような、神の領域のような精密な細胞の再生誘導が……たった一粒の『薬』で、可能だと言うのですか……?」
現代医学の常識を根底から覆す理論だ。
白芷は、ふふっと楽しそうに笑って言った。
「それを確かめるために。今から、そのお薬を作るのでございますよ」
直哉の内心は。
(……いや、俺もノリノリで聞いてたけど。改めて冷静に考えると、ジーの奴、とんでもないことやろうとしてるな!?)
いよいよ、調薬の開始だ。
白芷が、ステンレスの作業台の前で、スッと右手を前に差し出した。
淡い翡翠色と、金色の紋様が空中で輝き。
彼女の掌の上に、小さな三本足の薬鼎がフワリと出現した。
専用武装、《百草神鼎(ひゃくそうしんてい)》。
八咫烏の施設でこれを入手した直後の検証では、普通の薬草を使った簡単な比較試験に留まっていた。
しかし、今回は違う。
神級仙薬師にとっても、極めて繊細で高度な調整と精神力が必要となる、超常素材を用いた特殊な仙丹の精製だ。
白芷は、まず、厳重に保管されていた怪異由来の組織片を、ごく少量だけ切り取り、宙に浮く神鼎の光の中へと投入した。
『《万象丹炉》』。
翡翠色の光が、強く輝きを増す。
そこから、有用な再生作用の成分だけを、精密に分離して抽出していく。
同時に、一般の薬材からも必要な性質を抽出し、神鼎の中で複雑に絡み合わせていく。
《百草神鼎》という専用武装が、その精製過程の恐ろしく複雑なエネルギーの制御を、完璧に補助し、安定させている。
今、専用武装を引いておいた真の価値が発揮されていた。
もしこの武装がなければ。白芷は、暴走しそうになる怪異の性質を一つ一つ自力で抑え込みながら、綱渡りのような慎重さで何時間もかけて処理しなければならなかったはずだ。
それが、《百草神鼎》の恩恵によって、驚くほどスムーズで安定した状態でプロセスが進行していく。
調薬室の防弾ガラスの向こう側で見守っている研究員たちは、その神業のような光景に完全に釘付けになっていた。
「……信じられない。あれほど不安定だった超常反応が、完全に安定しています」
「怪異由来の、人体に有害な異常性質だけが、選別されて分離され、消滅していく……?」
「これほど複雑な成分の再構成を、物理的な設備もなしに、一つの工程でやってのけると言うのか……?」
白芷は、外野の驚愕など気にも留めず、淡々と、美しい所作で作業を続けていく。
直哉の内心は、大興奮のるつぼだった。
(うおおおおおお!!!)
(すげえ!! めっちゃすげえ!!)
(これぞ、高レア素材と専用装備を使った、最高級のクラフト作業じゃん!!)
しかし、外見の白芷は。
「ふふ。もう少しで、完成でございますよ」
と、鼻歌でも歌い出しそうなほど、極めて穏やかで余裕のある態度だった。
やがて。
激しく明滅していた翡翠色の光が、スッと静かに、一つに収束した。
神鼎の光の中から。
淡い桜色を帯びた、真珠のように美しい小さな仙丹が、コロンと作業台の上のトレーへと落ちた。
新規の、オリジナル丹薬の完成だ。
直哉は、頭の中でこの新しいアイテムのステータス画面をイメージした。
『仮称:《還肢丹(かんしたん)》』
『種別:高位再生仙丹』
『主な効果:欠損した四肢について、残存組織と患者本人の身体情報を設計図として、完全な再生を誘導する』
『特性:血管、神経、筋肉、骨格の形成をミリ単位で調整。再生には、外部からの莫大な栄養補給と、一定の時間が必要となる』
『製造条件:高度な再生作用を持つ超常素材と、患者の体質に完全に適合した補助薬材を使用すること』
『注意:これは、誰が飲んでも腕が生える市販の万能薬ではない。今回の「高瀬修吾」という患者の身体データに合わせて、完全に一から設計された特注品の処方である』
直哉は。
(……うおっ!)
(マジで、腕の再生用の特化型仙丹が、完成しちゃったよ!!)
と、自分の生み出した成果物に、震えるような感動を覚えていた。
完成したからといって、「はい、できました! 今すぐ飲んでください!」と無責任に患者の口へ放り込むわけではない。
ここは、現代の医療施設だ。必要な安全確認のプロセスは、きっちりと踏む。
完成した《還肢丹》は、すぐに医師たちと八咫烏の研究員たちによる、徹底的な解析に回された。
さらに、先日も活躍したTier2の《鑑定》専門家の職員も呼ばれ、能力による二重のチェックが行われる。
仙丹の持つ主な性質。
そして何より、『ベースとなった怪異由来の、危険な異常性が本当に残っていないか』という点だ。
数時間後。
解析結果のデータが出揃った。
結果は、白芷の予告した通りだった。
人体に向けての『極めて強力な細胞の再生誘導作用』が明確に認められる一方で。
問題視されていた、怪異固有の細胞の暴走や、精神を汚染するような毒性などの危険な性質は、一切検出されなかったのだ。
必要な試験と、医療機関内の倫理委員会の緊急適用審査も踏まえ。
最終的に、担当医である三崎が、この仙丹の『投与の可否』を判断することになる。
三崎医師は、データが並んだモニターを見つめながら、呆然と呟いた。
「……信じられません」
「材料のベースに使った素材そのものは、間違いなくあの危険な怪異由来のものなのに。完成したこの薬には、その組織の危険な性質が、一ミリも残っていない」
鑑定専門家も、難しい顔をして深く頷いた。
「ええ。これは、単に毒素を抜く『浄化』というような単純な作業ではありませんね」
「素材が持っていたエネルギーの性質そのものを、根底から解体し、全く別の無害な用途へと完璧に『再構成』しています。まさに、神業です」
白芷は、当然のことのように微笑んだ。
「はい。仙丹とは、そういうものでございますから」
研究員たちと医師は。
「…………」
と、ぐうの音も出ずに沈黙するしかなかった。
直哉の内心は。
(……いや、ジーのシステムからしたら、レシピ通りに作るのは当たり前なんだろうけどさ)
(普通の現代の医学の研究者から見たら、これ、とんでもないオーバーテクノロジーの魔法の技術だよな)
と、少しだけ同情していた。
治療室。
ベッドに腰掛けた高瀬は、三崎医師から、今回の治療に関する最終的な説明を受けていた。
この仙丹を投与した後、身体の中で失われた腕の再生が、徐々に始まる可能性が極めて高いこと。
魔法のように一瞬でポンと生えるわけではなく、細胞が再構築されるための時間と、激しいエネルギーの消費が伴うため、長期の入院と経過観察が必要になること。
治療中は、再生に必要な栄養を点滴などで大量に補給し続けるため、身体にかなりの負担がかかること。
そして。今回が史上初めての処方であるため、通常以上に慎重な管理が必要となること。
それら全てのリスクを理解した上で。高瀬自身の、最終的な『同意』が必要だ。
高瀬は、真剣な顔で、静かに三崎医師の説明に耳を傾けていた。
やがて、彼は視線を動かし、傍らに立っている白芷へ向かって尋ねた。
「……白芷さん」
「はい」
「本当に。私のこの右腕が……戻るんでしょうか」
白芷は、彼の不安を和らげるように、深く、優しく微笑んで答えた。
「現在の高瀬様のお身体の強さと、今回精製したお薬の適合性から考えますと。十分に、期待していただいてよろしいかと存じます」
「ただし、今回は世界で初めての処方でございます。三崎先生たち医師の皆様と共に、万全の態勢で、慎重に進めさせてくださいね」
高瀬は、右上腕の先にある切断端を見つめ。
少しだけ考え込んでから。
ゆっくりと、しかし力強く頷いた。
「……お願いします」
三年前。一般人を守るために、右腕を失った。
血を吐くような長い治療とリハビリに耐えた。
義手の扱いにも慣れ、教官という新しい仕事にも復帰し、前を向いて生きてきた。
だから、もう、生身の腕のことは諦めたつもりだったのだ。
でも、本当は。
「もう一度……」
高瀬の目から、ポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。
「もう一度だけでいい。自分の、生身の右手で……家族の手を、握ってみたいんです」
白芷は、その言葉を聞いて、とても嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ。それは、とても素敵なお願いでございますね」
「では。その願いを叶えるために、始めましょうか」
高瀬が、コップの水と共に、淡い桜色の《還肢丹》を服用した。
仙丹を飲み込んでも、身体が光り出したり、腕が一瞬で生えてきたりするような変化は起きなかった。
最初は。
高瀬の身体の奥底から、じんわりと、心地よい穏やかな温かさが広がっていくだけだった。
高瀬が、不思議そうに呟く。
「……?」
周囲を取り囲んでいる三崎医師たちが、モニターに表示される数値を食い入るように確認する。
血圧。心拍数。体温。身体の超常反応。
いずれも、多少の上昇は見られるものの、全て想定され管理可能な安全な範囲内に収まっている。
そして。数十分が経過した頃。
高瀬が、ハッとして、右肩を僅かに動かした。
「……あれ?」
三崎医師が、緊張した声で尋ねる。
「どうしましたか!? 痛みですか!?」
高瀬は、首を横に振った。
「いえ……なんか、変な感じがします」
「右腕の……無くなったはずの、空間のところが……熱いんです」
医師たちが、一斉に反応し、切断端の周辺の超音波エコーや超常反応の計測機器を確認する。
白芷も、静かに目を細めて、高瀬の身体の状態を《万象丹炉》の視界で確認した。
すると。
残存している右上腕の組織に、明確な『変化』が起きていた。
再生が、始まっている。
三年間、完全に傷口が塞がり、細胞分裂を終えて変化のなかったはずの切断端の奥底で。
眠っていた細胞たちが、仙丹の強力な誘導シグナルを受けて目を覚まし。爆発的な勢いで、新たな組織の『形成』を開始しているのだ。
三崎医師が、震える声でモニターを見つめた。
「……これは」
「……本当に、骨芽細胞と血管新生が、異常な速度で始まっている……!?」
白芷が、穏やかに頷く。
「はい。とても順調な滑り出しでございますね」
直哉の内心は。
(……おおおっ!!)
(マジか! 本当に始まったぞ!!)
と、自分の作ったアイテムが実際に奇跡を起こしている光景に、鳥肌が立っていた。
ただし、腕が一瞬でニョキニョキと生え揃うわけではない。
高瀬の身体への負担を極限までコントロールしながら、安全で適切な速度で再生を進める方針だ。
この先数日間は、高瀬には絶対安静で入院を続けてもらい、大量の栄養点滴を受けながら経過を見守ることになる。
服用から、翌日。
高瀬の右腕に、目視でも分かるレベルの、明らかな『組織の再生』が確認された。
医師たちは、毎時間撮影される画像診断の結果を、信じられないものを見るように見比べていた。
三年前の、塞がった切断端。
昨日の、投与直前の検査画像。
そして、現在。
明らかに、新しい骨の芯が伸び始め、その周囲を軟部組織と毛細血管が覆うように形成が進んでいるのだ。
三崎医師が、頭を抱えて呟く。
「……こんなことが、本当に現代の医学と超常医療で起こり得るのか……」
服用から、二日後。
再生のスピードは、さらに加速する。
薄い透明な膜のような皮膚の下で、筋肉の繊維が編み込まれるように形成され、神経のネットワークが樹形図のように伸びていく。
患者の栄養管理を担当する医師や看護師たちは、高瀬の身体の急激なカロリー消費と代謝の異常なスピードに合わせて、連日徹夜で細かい点滴の調整とケアに追われていた。
高瀬本人も。
最初は、自分が薬を飲んで寝ているだけで腕が生えてくるなど、半信半疑で実感が湧いていなかった。
しかし。
徐々に、徐々に。
失われて久しかった空間に、確かな『重み』と、神経が繋がっていくビリビリとした『感覚』が戻ってくるのを感じて、驚愕に震えていた。
「……これ」
「本当に……俺の腕が、戻ってきてるんですね……」
白芷は、毎日経過観察のために病室を訪れては、優しく声をかけた。
「ええ。とても順調に進んでおりますよ」
「どうぞ、あともう少しだけ。焦らずに、お待ちくださいませね」
そして。
服用から、数日後。
ついに。
右腕の形が、完全に、完成に近づいた。
手のひら。
五本の指。
指先の爪。
それを覆う、真新しい皮膚。
内部を走る、完璧に繋がった神経と筋肉。
包帯を解き、完全に再生した右腕の状態を隅々まで確認した三崎医師が。
長い長い沈黙の後に、絞り出すように呟いた。
「……右腕が」
「……本当に、戻っている」
医師たちが息を呑んだのは、単に右腕が戻ったという結果だけではなかった。
目の前の検査結果は、細胞が正しい位置へ誘導され、骨も血管も神経も緻密に形成されていることを示していた。
医学と生物学の専門家だからこそ、その再生過程がどれほど途方もないものなのかを理解し、戦慄していた。
一方、高瀬本人は。
周囲の医師たちが驚愕して専門的な議論を交わしている声など、半分も耳に入っていなかった。
自分の身体の、右側に。
見慣れた、生身の右腕がある。
ただ、その事実だけを、夢ではないかと確かめるように、じっと見つめ続けていた。
再生した右腕の、初めての運動機能検査。
三崎医師が、緊張した面持ちで、ベッドに座る高瀬へと慎重に指示を出す。
「高瀬さん。決して、無理のない範囲で構いません」
「ご自身の意思で……右手の指を、少しだけ、動かしてみてください」
高瀬は、ごくりと息を呑み。
目の前にある、自分の新しい右手を見た。
三年ぶりに目にする、生身の自分の手。
まだ、神経が完全に馴染みきっていないような、フワフワとした違和感のある感覚。
高瀬は、恐る恐る。脳から、右腕の先へと『動け』という命令の信号を送ろうとした。
すると。
ピクッ。
右手の、人差し指が。
ゆっくりと、確かに、自らの意思で内側へと曲がった。
高瀬は。
「…………」
完全に、息を止めて固まった。
もう一度、命令を送る。
今度は、中指も動く。
薬指も。小指も。親指も。
ゆっくりと、手のひらを大きく開く。
そして。
グッと、拳を握りしめる。
高瀬は。
「…………」
三崎医師が、感極まったような声で言う。
「……動きますね」
「モニターでも、脳からの神経の伝達反応が、正常に確認できています」
高瀬は、何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと開いたり握ったりする自分の右手を、穴が開くほど見つめている。
そして。
「……ああ」
ポツリと、小さく、震える声が漏れた。
「……戻った」
しばらくして。大粒の涙が、ポロポロとシーツの上に落ちた。
「俺の……右手だ」
直哉の内心は。
白芷の視界を通して、その光景を静かに見つめながら。
(…………)
(……よかったなあ)
と、心から思っていた。
いつもの「チート能力すげええ!」というゲーマー的な興奮は、鳴りを潜めていた。
直哉自身も。自分が作ったアイテムが、本当に一人の人間の失われた人生の一部を取り戻し、変えたのだという、ずっしりとした重い実感を噛み締めていた。
白芷は、穏やかに、心底嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ。おめでとうございます、高瀬様」
「ただし、まだ再生したばかりの新しい腕でございますから。どうか、急に無理な運動はなさらないでくださいね」
高瀬は、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、何度も何度も深く頷いた。
「……ありがとうございます」
「本当に……本当に、ありがとうございました……!!」
戦闘で敵を倒したわけではない。
しかし、直哉にとって、今までで最も大きな達成感と、確かな温かい感情を得られた瞬間だった。
医師による初期の状態確認が終わった後。
病室の扉が開き、高瀬の妻が、駆け込むようにして入ってきた。
治療の進捗と、腕が再生しつつあるということは、毎日医師からの説明で聞いてはいた。
しかし、実際にその目で見るのは、これが初めてだ。
妻は、ベッドに座る夫の姿を見て。
「…………」
言葉を失って、立ち尽くした。
夫の右側に。三年前のあの日、血まみれになって失われたはずの『腕』が、確かにあるのだ。
「……修吾?」
高瀬は、涙で赤い目をしながら、少し照れくさそうに笑った。
「……ああ」
「戻ったよ。お前たちに心配かけたけどな」
妻は、信じられないものを見るように、ゆっくりと近づいてくる。
「……本当に?」
高瀬は、新しく再生したばかりの右手を、少しだけ持ち上げて動かしてみせた。
医師の指示通り、まだ激しい動きや無理な力を入れることはできない。
それでも、確かに、自分の意思で動いている。
妻が、震える両手で、そっとその右手に触れた。
温かい。
血が通っている、生身の人間の手の温もりだ。
高瀬は、小さく笑って、妻の手を握り返した。
「……感覚も、ちゃんとあるんだ」
「お前が触ってくれてるのが、すごくよく分かる」
妻の目から、せき止めていたものが溢れるように、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
そして、夫の右手を両手で包み込むようにして、額を押し当てて声を上げて泣き出した。
高瀬も、その妻の手を、三年間ずっとしたかったように、優しく、優しく握り返していた。
しばらくして、泣き止んだ妻が。
病室の隅で静かに見守っていた白芷の元へと歩み寄り、深々と、床に崩れ落ちんばかりに頭を下げた。
「……ありがとうございました」
「夫の腕を……私たちの人生を返していただいて……本当に、ありがとうございました」
白芷は、慌てて彼女の肩を優しく支えて立たせ、ふわりと微笑んだ。
「ふふ。頭をお上げください」
「お二人の、これからの幸せなお時間のために。少しでもお役に立てたのなら、私にとっても、何よりの喜びでございます」
数日後。退院へ向けた最終的な経過観察の日に、高瀬の九歳になる娘も病室へとやってきた。
娘は、父親の右腕を見て、目を丸くして驚いた。
「……お父さん、それ、本物の腕?」
「ああ。本物だぞ」
「ちゃんと動くの?」
「ほら、見てろ」
高瀬がゆっくりと指を動かしてみせると、娘は「わぁっ!」と目を輝かせた。
それから、再生したばかりの右手の指先を、両手でそっと、壊れ物を扱うように握った。
高瀬は、その娘の小さな手のひらの温かさを、三年ぶりに右手の神経で確かに感じ取って。
静かに、愛おしそうに微笑んでいた。
子供らしく無邪気に喜ぶその姿を見ている大人たちの方が、その何気ない当たり前の光景に、胸を熱くして静かに涙ぐんでいた。
高瀬の治療が、完璧な成功を収めて終了した後。
医療施設内の会議室で、関係者たちによる最終的な確認と評価のミーティングが行われていた。
三崎医師が、詳細なデータが映し出されたモニターを背にして報告する。
「……右腕の、完全な再生を確認しました」
「新しく形成された骨格、筋肉、血管、神経のネットワークについても。現段階の検査では、驚くほど良好な状態を保っています」
「もちろん、今後も機能回復のためのリハビリと、長期的な経過観察は必須ですが……少なくとも、『失われた腕そのものの再生』という点においては、大成功と言って間違いありません」
八咫烏の研究員たちも、その報告を聞いて、静かに、しかし興奮を抑えきれない様子で頷いた。
彼らは、医療の専門家として、今回の治療結果がどれほど歴史的に重要な意味を持つのかを痛いほど理解している。
通常の最高水準の治癒能力でも絶対に回復できなかった、巨大な身体的欠損。
それを、たった一粒の仙丹が、完璧に再生させたのだ。
しかも。その薬材のベースに使われたのは、八咫烏が以前から塩漬けにして保管していた『怪異由来の組織片』だ。
本来なら、危険すぎて人体利用など考えられなかった呪われた素材。
それを、白芷は必要な性質だけを純粋に抽出し、患者本人に完全に合わせた奇跡の薬へと見事に再構成してみせたのだ。
三崎医師が、畏敬の念を込めて、白芷へ尋ねた。
「……白芷さん。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
白芷が、穏やかに微笑む。
「はい。何でしょう?」
「今回のような、欠損部位の再生治療は……条件さえ揃えば、他の同じような境遇の患者にも、可能なのでしょうか?」
白芷は、少しだけ小首を傾げて考えた。
「そうですね……同じような状態の方で、かつ、今回のように適切な超常の薬材が十分に確保できるのであれば。検討することは可能かと存じます」
三崎医師が、ハッと息を呑んだ。
その事実だけで、医療関係者の常識がひっくり返るのだ。
しかし、白芷はすぐに釘を刺すように付け加えた。
「ただし。お身体の状態や体質は、患者様ごとに全く異なりますので」
「今回のお薬をそのまま他の方に飲ませれば治る、というような安易なものではございません」
「まずは、私が直接、お一人お一人のお身体をきちんと『診察』させていただき、その方に合わせた処方を一から組み直す必要がございます」
つまり、他の患者にも希望の光はある。
しかし、今回の《還肢丹》のレシピを工場で大量生産して配れば、誰の腕でもポンポン生えてくるというような、都合のいい魔法の話ではないのだ。
素材の確保。患者ごとの緻密な状態把握。個別の処方設計。そして、医療機関との連携による厳密な安全確認と栄養管理。
そのどれか一つが欠けても、再生は成功しない。
だからこそ。
それを全て一人で統括し、完璧な仙丹を作り出せる、『神級仙薬師《白芷》』という存在本人の技能が、極めて重要であり、唯一無二の価値を持つのだ。
医療施設での全ての仕事を終え、八咫烏の送迎車で帰路につく道中。
霧島が、運転席との仕切りを閉めた後、隣に座る白芷へと報告した。
「今回の治療結果については、八咫烏の極秘の正式な医療記録として取りまとめます」
「もちろん、高瀬さんの個人情報と、白芷さんの能力の核心部分の情報の扱いについては、外部へ漏れないよう十分に配慮いたします」
白芷が、労うように微笑む。
「はい。色々とご配慮いただき、よろしくお願いいたします」
霧島は、タブレットを見つめながら、少しだけ重い声で続けた。
「ただ……」
「今回のような『四肢の再生治療が可能だ』という明確な実績が、内部の記録としてできてしまった以上。今後は、八咫烏の関連組織や、極秘のルートから、同様の治療の相談や依頼が数多く寄せられる可能性が非常に高いです」
直哉の内心は。
(……まあ、そりゃそうだよな)
(失った腕や足が生えてくる薬なんて、大金払ってでも欲しい人、世界中に山ほどいるだろうし)
しかし、一方で。直哉のゲーマー魂は、それに比例して大きな興味と興奮も感じていた。
希少な再生素材。
特殊な浄化作用を持つ植物。
耐熱性の鉱石。
八咫烏の倉庫には、まだ試していない面白そうな『超常素材』が、山のように眠っているはずだ。
(……これ、やっぱ素材集めも、ちゃんと本格的にやりたいな)
(今度は、別のレア素材を使ったら、一体どんな凄い仙丹が作れるんだろ)
白芷は、静かに、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて言った。
「ふふ。私が作るお薬で、本当に必要とされている方のお役に立てるのでしたら。それは、仙薬師としてとても嬉しいことでございますね」
霧島も、「そうですね」と深く頷いた。
ただし、霧島の脳内では。これから自分が処理しなければならない、膨大な仕事のタスクが嵐のように渦巻いていた。
新しい超常素材の安定的な確保ルートの確立。
調薬された仙丹の品質管理体制の構築。
治療を希望する患者の、厳正な選定基準の作成。
医療施設との、さらなる連携と調整。
秘密保持のための研究契約書の作成。
治療記録のデータ管理。
そして、長期的な安全性の追跡調査。
霧島は。
「…………」
と、無言でこめかみを押さえた。
直哉の内心は。
(……あ)
(これ、また絶対に霧島さんの事務仕事が、爆発的に増えるやつだ!!)
と、激しく同情していた。
ただし、直哉も鬼ではない。何でもかんでも霧島に丸投げして逃げるつもりはない。
必要な診察や、超常素材の解析、そして実際の調薬の作業には、全面的に協力して働くつもりだ。
その日の夜。
都内の、新居のマンション。
直哉は、白芷の変身を解除し、いつものジャージ姿に戻ると、リビングのソファへと深く腰を沈めた。
(……いやー)
(すげえな、ジーの能力)
直哉は、今日までの数日間の出来事を思い返して、しみじみと実感していた。
胃薬とか美容薬みたいな、日常の便利な回復アイテムを作れるだけでも十分にチートだと思っていたが。
まさか、本当に『三年間失われていた腕を、完全に再生させる』という奇跡まで成し遂げてしまうとは。
自分で、レア素材を釜に入れて作った仙丹。
それを飲んだ患者の腕が、実際に生身の肉体として再生した。
もし、これがただのゲームの中の話なら。
『対象の部位欠損ステータスを回復』という、一行のシステムメッセージが表示されて終わりだったかもしれない。
でも、現実は違う。
あの高瀬という患者には、愛する家族がいた。
教官としての仕事があった。
腕を失ってからの、苦悩と努力の三年間の生活があった。
そして、今日。失ったものを取り戻し、家族と抱き合って涙を流していた。
直哉は、天井を見上げて、小さく息を吐いた。
(……いい仕事だったな)
心から、そう思えた。
怪異をぶっ飛ばして街を救うのも爽快だが、こういう人を直接救う仕事も悪くない。
さらに、今回は能力者としての正式な『特別医療協力報酬』も、八咫烏からしっかりと得られている。
特殊素材の調達費用や、医療施設の設備費用は事前の契約に基づいて別枠で処理されており、直哉の口座には、技術提供料としての正当で高額な報酬が振り込まれる予定だ。
直哉は、ニヤリと笑った。
(……よし!)
(人助けをして、金もガッツリ稼げた! 最高だ!)
そして。
直哉の視界の右上に、見覚えのある金色の通知アイコンがポップアップした。
《因果集結クロニクル》
『【因果変動記録】』
『外部因果への有意な干渉を確認しました』
『集結者の介入によって成立結果が変動しました』
『活動記録を更新します』
『評価処理完了』
『活動報酬を獲得しました』
『《因果晶》×1,600』
直哉は、あらためて視界の所持数を確認した。
『因果晶:38,400』
直哉は。
「おおっ!!」
と、思わず声に出して喜んだ。
「十連分だ!!」
これで合計38,400個。つまり、240連分だ。
一気に、テンションが最高潮に達する。
(……よしよしよし!)
(また石が増えたぞ!!)
先日の現場では、エレノアの能力で人質六名を武装強盗から救出した。
そして今回の医療協力では、ジーの能力で、一人の男の失われた右腕を再生させた。
やっている仕事の内容も、求められる能力のベクトルも、全く違う。
それでも、自分の手札の能力を使って、確かに現実の人間の不幸な『結果』を、良い方向へと変えたのだ。
直哉は、ソファの上でガッツポーズをした。
(……いいじゃん!)
(こういう、地道で人助けになる仕事をコツコツとこなしていけば、確実にガチャ資産も増えていくんだよな!)
(やっぱり、日々の積み重ねが一番大事だ!!)
ただし、毎回どんな仕事でも必ず1,600個もらえると確定しているわけではない。
どんな結果が、システムに『因果変動』として高く評価されるのか、その正確なアルゴリズムの詳細はまだ完全には分かっていない。
それでも。
今日は、人の腕を再生させた。
患者とその家族は、泣いて喜んで感謝してくれた。
口座には現金報酬が入り。
そして、ガチャ石もきっちり十連分増えたのだ。
直哉は、満足げにソファの背もたれに身体を深く預けた。
(……いやー)
(マジで、最高の仕事じゃん、これ!!)
最後に。
直哉は、システムの画面を開き、白芷のキャラクター画面を呼び出した。
★★★★★《白芷》。
神級仙薬師。
白と翡翠の仙衣を纏った、美しい銀髪の女性が、画面の中で優しく微笑んでいる。
直哉は、改めてそのキャラクターの立ち絵を見つめて。
(……ジー、マジで引いておいて大正解だったな)
と、心の底から、深い実感と共にそう思った。
三十四歳の男の、能力者としての新しい可能性と、終わらない素材集めの日々は。まだまだ、無限に広がっていく予感に満ちていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!