俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~   作:パラレル・ゲーマー

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第66話 お嬢様の髪を仙丹でサラサラにしたら、想像以上に喜ばれました

 日曜日の午後。

 秋晴れの穏やかな陽光が差し込む、紅城院家の広大な敷地。

 

 直哉は、事前に約束を取り付けていた通り、神級仙薬師《白芷(ジー)》の姿でその邸宅を訪問していた。

 先日、都内のホテルでこの姿を見せたのは玲蘭本人だけだったが、玲蘭が事前に来訪を伝えてくれていたため、紅城院家の使用人たちの案内も極めてスムーズだった。

 

 白芷が案内されたのは、玲蘭が普段から身支度や私的な時間を過ごすために使っている、彼女専用の私室だった。

 広々とした室内には、アンティーク調の大きな鏡台が置かれ、その上には高級そうな化粧品や美しい意匠の髪飾りが、几帳面に綺麗に整理されている。

 

 部屋の中央で待っていた玲蘭は、白芷の姿を認めるなり、パッと花が咲いたような笑顔で出迎えた。

 

「白芷さん、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

 

 白芷は、長い銀髪を揺らしながら優雅に一礼し、柔らかく微笑み返した。

 

「ふふ。本日はお招きいただき、ありがとうございます。……先日お約束したものを、お持ちいたしましたよ」

 

 白芷は、仙衣の袂から、小さなガラスの保存容器をそっと取り出して提示した。

 

 透明なガラスの向こう側には、淡く透き通るような翡翠色をした、真珠のように美しい一粒の仙丹が収められている。

 直哉が、八咫烏の検証施設へ行く前に、自宅の《万象丹炉》で精製しておいた玲蘭専用の美容仙丹《潤髪丹(じゅんぱつたん)》だ。

 

 それを見た玲蘭の目が、ぱっと輝いた。

 

「まあ! これが、あのお薬なのですね?」

 

 直哉の内心は、大きくガッツポーズをしていた。

(おっ! お嬢様、めちゃくちゃ楽しみにしてくれてたんだな!)

(いやー、頑張って最高の素材の組み合わせを考えて、クラフトした甲斐があるわ!)

 

 玲蘭は、両手で大切そうにその容器を受け取ると、窓から差し込む光に透かして、まじまじと見つめた。

 普段から紅城院家で世界中の高価な宝石や美術品を見慣れている彼女の目から見ても、その仙丹の放つ神秘的な透明感と、不思議な質感は非常に興味を惹かれるものだった。

 

「本当に、綺麗な色ですね。なんだか、いただいてしまうのがもったいないくらいです」

 

 それは、大げさな神秘体験を期待しているわけではなく、ただ純粋に美しい贈り物に対する素直な感嘆だった。

 

 白芷は、クスッと軽く笑って答える。

 

「飾っておいては、せっかくのお薬の意味がございませんからね」

 

 直哉の内心も同意していた。

(それはそう! これ、クエストの観賞用アイテムじゃなくて、ちゃんとした実用品のバフアイテムだからな!)

 

 最初から、二人の間には、単なる護衛と依頼人という枠を超えた、親しく穏やかな空気が流れていた。

 

 服用する前に、まずは再診だ。

 

 白芷が、玲蘭の前に立ち、その翡翠色の瞳で彼女の現在の体調を静かに確認する。

 《万象丹炉》の解析能力を通せば、脈を診るまでもなく、彼女の身体の状態が詳細なデータとして浮かび上がる。

 

 現時点で、玲蘭の身体に大きな健康上の問題はない。

 以前、暗殺者に命を狙われ、襲撃された際に受けた強い精神的ストレスや、それに伴う疲労の負担も、安全な環境で時間を過ごすことで順調に改善している。

 ただ、その負担の名残として、髪の毛の毛先などに残る微細な傷みやパサつきだけが、まだ完全には整いきっていない状態だった。

 

 直哉は、自分が調薬した《潤髪丹》の効果ベクトルと、現在の玲蘭の身体状態が、完璧に合致していることを再確認した。

 

 白芷が、優しく微笑んで告げる。

 

「お身体は、以前お会いした時よりも、さらに良い状態でございますね」

 

 玲蘭が、嬉しそうに微笑む。

「まあ。それは嬉しいです」

 

「ええ。こちらのお薬も、今の健康なお嬢様のお身体に、全く問題なくお使いいただける状態でございます」

 

 白芷は、専門的な難しい説明を長々とすることはしなかった。

 玲蘭の身体の気と栄養状態に合わせて、ごく穏やかに調子を整えながら髪質を改善するための優しい処方であることを、簡潔に伝えた。

 

 玲蘭は、安心したように深くうなずいた。

 

「ありがとうございます。では……いただきますね」

 

 玲蘭は、メイドが用意してくれていたグラスの水を手に取り、淡い翡翠色の仙丹を口に含んで、静かに飲み込んだ。

 

 直哉の内心は、期待で高鳴っていた。

(よし!)

(さあ、俺の美容クラフトアイテムの最高傑作の実力。とくと見せてもらおうか!!)

 

 服用後。

 

 玲蘭は、鏡台の前の椅子に座ったまま、白芷と和やかに雑談を交わしていた。

 仙丹を飲んだからといって、身体がピカピカと光り出したり、一瞬で髪の色が劇的に変わったりするような、派手で魔法のような演出は起きない。

 

 最初は、特に目立った変化はなかった。

 しかし、十数分ほどが経過した頃。

 

 玲蘭が、会話の途中で、何気ない仕草で自分の髪を耳にかけようとした。

 

 その時。

 彼女の手の動きが、ピタッと止まった。

 

 いつもなら、指先に微かに感じるはずの、髪の毛の小さな抵抗感や摩擦。

 それが、ほとんど存在しなかったのだ。

 

「……あら?」

 

 玲蘭は、不思議そうに呟いて、もう一度自分の髪の毛先を指で摘み、そっと通してみた。

 

 するり。

 

 まるで、上質なシルクの布を撫でているかのような。何の抵抗もなく、指が髪の間を滑り抜けていく。

 

「…………」

 

 白芷が、その様子を見て、優しく尋ねる。

 

「いかがでございますか?」

 

 玲蘭は、自分の指先と髪を交互に見つめながら答えた。

「……少し、不思議な感触がします」

 

 玲蘭が、鏡の中の自分を見る。

 髪の表面の艶が、先ほどまでとは明らかに違う。内側から光を反射するように、少しずつ、しかし確実に美しい輝きを増し始めているのだ。

 

「……白芷さん。これ、もうお薬の効果が現れているのでしょうか?」

 

 白芷は、穏やかに頷いた。

「ええ。お身体の隅々まで、順調に作用が行き渡っておりますよ」

 

 直哉の内心は、小さくガッツポーズをしていた。

(おおっ! もう効果が分かるのか!)

(いや、ちゃんと自分で素材を選んで調薬したアイテムなんだけどさ! 実際に人が使って、効果が発揮されるところを目の前で見るのは、ゲームのステータス画面を見るのとはまた違った楽しさがあるな!)

 

 さらに時間が経過し、《潤髪丹》の効果が玲蘭の身体に十分に行き渡った。

 

 玲蘭の髪は、元々名家の令嬢として、最高級のトリートメントで丁寧にお手入れされていた。

 しかし現在は、その後天的なケアのレベルを遥かに超越していた。毛先に残っていた微細なダメージまでが根本から細胞レベルで整い、髪の毛一本一本の手触りそのものが、別次元のものへと完全に変化していたのだ。

 

 玲蘭は、椅子から立ち上がり、鏡台の正面に真っ直ぐに向き合った。

 

 鏡に映る、自分の姿。そして、輝くような髪。

 彼女は、思わず息を呑んだ。

 

「あら……」

 

 玲蘭は、両手で自分の髪の束を持ち上げてみた。

 そして、パッと手を離す。

 すると、髪はまるで意志を持っているかのように、さらさらと滑らかに、美しい軌跡を描いて彼女の肩へと戻っていった。

 

 もう一度、根本から毛先へと、ゆっくりと指を通す。

 引っかかる感触や、パサつきが、完全にゼロだ。

 

「……まあ」

 

 今度は、鏡台の上に置かれていた、お気に入りの小さな木製の櫛を手に取った。

 髪の根本に当てて、下へ向かって梳かす。

 

 すうっ……。

 

 何の抵抗もなく、毛先まで滑らかに櫛が通り抜ける。

 

 玲蘭は、鏡に映る自分自身の姿を、信じられないものを見るように見つめていた。

 

「……白芷さん」

 

「はい?」

 

 玲蘭が、振り返った。

 その顔には、普段の上品な微笑みではなく、年相応の少女のような、弾けるような驚きと喜びが満ちていた。

 

「これ、本当に……すごいです」

 

 白芷は、嬉しそうに微笑んだ。

「ふふ。お気に召していただけましたか?」

 

「はい! こんなに滑らかな髪、わたくし、初めてです!」

 

 普段の、どこか大人びて落ち着いている玲蘭からは想像もつかないほど、弾んだ、明るい声だった。

 

 直哉は、玲蘭の弾んだ声に驚いていた。

(……おおっ!?)

(お嬢様、俺が想像してた以上に、めちゃくちゃ喜んでる!!)

(こういう時って、もっとお嬢様らしく上品に『素晴らしいお薬ですね。ありがとうございます』くらいで済ませるのかと思ってたけど。めっちゃはしゃいでて嬉しそうじゃん!!)

 

 玲蘭は、満面の笑顔で、何度も何度も自分の髪を触っている。

 そして、「白芷さんも、触ってみてください!」と、嬉しそうに白芷の手を引いた。

 

 白芷も、そのサラサラの髪にそっと触れ、医療知識の観点からも、髪質の改善が完璧な状態で進んでいることを確認した。

 

「はい。とても良い、美しい仕上がりでございますね」

 

 玲蘭は、鏡に向かって。

「ふふっ……!」

 と、本当に嬉しそうに、声を立てて笑った。

 

 直哉は、普段は気を張って大人びている彼女が、普通の女子高生のように純粋に美容の変化ではしゃいでいる姿を見て、心から「作ってきてよかった」と感じていた。

 

 玲蘭は、自分の髪がどれほど劇的に変わったのか、どうしても第三者の専門家にも見てもらいたくなった。

 

「少し、お待ちくださいね」

 玲蘭はそう言うと、室内のインターホンで、彼女が普段から身支度を手伝ってもらっている専属の担当者の女性を呼んだ。

 

 この女性は、紅城院家の使用人であり、玲蘭の髪の手入れや着付けを日常的に行っている、いわば身だしなみのプロフェッショナルだ。

 

 部屋に入ってきた担当者は、一礼して尋ねた。

「お呼びでしょうか、お嬢様」

 

 玲蘭が、少し悪戯っぽく笑って言う。

「少し、わたくしの髪を見ていただけませんか?」

 

「かしこまりました」

 

 担当者が近づき。玲蘭の髪を見た瞬間。

 彼女の目が、わずかに見開かれた。プロの目から見ても、明らかに普段と艶の質が違うことに気づいたのだ。

 

 しかし、彼女は口出しせず、まずはそっと玲蘭の髪に触れた。

 そして、持参した櫛を丁寧に通そうとした。

 

 すると。担当者の手の動きが、ピタッと止まった。

 

「……お嬢様?」

 

 玲蘭が、鏡越しに微笑む。

「はい?」

 

 担当者が、信じられないというように、もう一度櫛を通す。

 

「……本日は、わたくしの知らないところで、何か特別な美容のお手入れをなさいましたか?」

 

 玲蘭は、込み上げてくる笑みを隠しきれずに答えた。

「ふふ。やはり、分かりますか?」

 

「ええ。ですが……」

 

 担当者は、毎日玲蘭の髪を整え、その状態を誰よりも熟知している。

 だからこそ、この変化の異常さに底知れぬ驚きを感じていた。

 一般的な最高級の美容液やサロンの施術であれば、髪の表面をコーティングして艶を与えたり、傷みを目立たなくしたりすることはできる。

 

 だが、今日の玲蘭の髪は違う。

 髪質そのものが、根本から、非常に高い水準で完璧に整い直されているのだ。

 

「……これは、見事でございますね」

 担当者が、感嘆の溜め息を漏らす。

「今までわたくしが施してきたお手入れとは、まったく次元の異なる仕上がりです。まるで、絹糸そのもののようです」

 

 玲蘭が、嬉しそうに白芷の方を振り返った。

「こちらの、白芷さんに。特別なお薬をいただいたんです」

 

 担当者は、ハッとして白芷へと向き直り、深く頭を下げた。

「そうでございましたか。……大変、素晴らしい技術でいらっしゃいますね。感服いたしました」

 

 白芷は、優雅に微笑んで、静かに首を横に振った。

 

「ふふ。とんでもございません」

 

「お嬢様の髪が、これほどまでに美しく仕上がったのは。ひとえに、あなたが普段から、お嬢様の髪を大切に、丁寧に手入れされ、土台を守り続けてきてくださったからこそでございますよ」

 

 その言葉は、極めて自然で、温かいものだった。

 普段から玲蘭の美しさを支えてきた担当者の日々の努力を、白芷の仙丹の力で上書きして全否定するのではなく。その努力があったからこそ、この仙丹が最高の効果を発揮できたのだと、彼女のプライドを完璧に尊重したのだ。

 

 直哉の内心は。

(……おおお! なんか俺、めちゃくちゃいいこと言うな!!)

(いや、担当の人も褒めようとは思ったけどさ! 脳内の思考が白芷のフィルターを通ると、出力される言い回しが完璧な大人の対応になりすぎない!? チートだわ!)

 と、自分自身のキャラクターの完璧な立ち振る舞いに、一人でツッコミを入れて感動していた。

 

 担当者の女性も、白芷のその言葉に、パッと顔を明るくして嬉しそうに一礼した。

 

 担当者は、せっかくなので、いつものように玲蘭の髪を綺麗に結い上げて整えようと準備を始めた。

 

 そこで、玲蘭が、ふと鏡を見つめながら声をかけた。

 

「……あの」

 

 担当者が手を止める。

「はい、お嬢様。何でしょうか?」

 

 玲蘭は、少しだけ躊躇いながらも、期待に満ちた声で言った。

 

「今日は、いつもとは少し違った、新しい髪型を試してみてもよろしいでしょうか?」

 

 担当者は、微笑んで頷いた。

「もちろんでございます。どのような髪型をご希望でしょう?」

 

 玲蘭は、鏡に映った自分のサラサラの髪を触りながら、真剣に考え始めた。

 普段は学校や家の行事など、その日の予定や服装に合わせて髪型を選んでいる。

 だが、今日は違う。

 誰かに見せるための堅苦しい式典でも、家を代表して出席する行事でもない。気の置けない知人である白芷と、私的な部屋でお茶をしているだけの、完全に自由な時間だ。

 

 だから、ただ純粋に、自分が「楽しい」「やってみたい」と思う髪型を選んでみたかったのだ。

 

 玲蘭が、少し頬を染めて言う。

「せっかく、こんなに綺麗にしていただいたので。普段のわたくしとは、少し違う雰囲気のものにしてみたいんです」

 

 白芷が、目を細めて微笑む。

「ふふ。それは、とてもよろしいですね」

 

 直哉の内心は。

(……おっ!)

(お嬢様、なんかすっかり美容とオシャレのモードに入ってるな!)

 と、微笑ましく見守っていた。

 

 担当者は、プロとして、玲蘭の要望に合わせた『いつもとは違う髪型』をいくつか提案し始めた。

 例えば、普段より少し大人っぽく、優雅にまとめ上げる髪型。

 それとは別に、下ろした髪の美しさを活かしつつ、少し柔らかな雰囲気を出すハーフアップ。

 そして、細かな編み込みを加えて、令嬢らしい可愛らしさを強調したアレンジ。

 

 玲蘭は、鏡の前で担当者に髪を軽く仮組みしてもらいながら、興味深そうに一つ一つを比較していく。

 玲蘭が少し顔の角度を変えるたび、鏡の中で髪の艶が柔らかく揺れていた。

 今日は、単純に新しい最高の髪質を手に入れたことが嬉しくて、色々なオシャレを積極的に試してみたくなっている、普通の女の子の姿だった。

 

 担当者が、まず一つ目の、少し大人っぽい髪型のシルエットを作る。

 

 玲蘭は鏡を見て、感心したように言った。

「まあ。これも、落ち着いていて素敵ですね」

 

 続いて、担当者が髪を下ろし、柔らかなハーフアップの形を作る。

 仙丹によって髪質が根本から改善されたことで、以前よりも遥かに滑らかな髪の流れと、光を反射する美しい天使の輪のような艶が生まれていた。

 

「……こちらも、とてもいいですね。髪が軽い気がします」

 

 玲蘭は、どちらの髪型もそれぞれ魅力的で、すっかり気に入ってしまったようだった。

 

 そして、玲蘭は、くるりと椅子を回して白芷の方を見た。

 

「白芷さんは、どちらがよろしいと思われますか?」

 

 直哉の内心は。

(……えっ)

(それ、俺に聞くの!?)

 

 完全に、不意打ちだった。

 直哉は、三十四歳の元無職の独身男だ。

 ゲームの中での『最強装備の組み合わせ』や『効率的なキャラクタービルド』についてなら、三日三晩でも熱く語れる自信がある。

 しかし、『女子高生のオシャレな髪型、どっちが似合うか問題』については、専門外どころか、完全に未知の領域だった。

 

(いや、どっちも普通に似合ってるし可愛いんだけどな!)

(……こういう時って、何を基準にして答えれば正解なんだ!? 適当に答えて地雷踏んだらどうしよう!)

 

 直哉が、脳内で冷や汗を流しながら「えーと、どっちも似合ってるから、本人が好きな方を選べばいいんじゃないかな」と、無難すぎる回答を絞り出した時。

 

 白芷の口からは、極めて自然に、流れるような言葉が紡ぎ出された。

 

「ふふ。どちらの髪型も、玲蘭様にとてもよくお似合いでございますよ。甲乙つけがたいほどに」

 

「ですが。せっかくの特別な機会でございますから。ここは、お嬢様ご自身が、鏡を見て『一番お気に召した方』をお選びになるのが、最もよろしいかと存じます」

 

 玲蘭は、その言葉を聞いて。

 少しだけ考えた後、パッと顔を輝かせて、本当に楽しそうに微笑んだ。

 

「……そうですね」

 

 そして、鏡の中の自分をもう一度見て、決断した。

 

「今日は。こちらの、ハーフアップにいたします」

 

 直哉の内心は、ホッと胸を撫で下ろしていた。

(よし!)

(上手いこと、判断をお嬢様本人に丸投げすることに成功した!! ナイス俺!)

 

 直哉としてはただの責任逃れのつもりだったが。玲蘭は、白芷が「自分の好みを一番に尊重してくれた」と好意的に受け取り、とても満足そうだった。

 

 担当者も、「かしこまりました」と一礼し、玲蘭が決めたハーフアップの髪型を、プロの技で丁寧に、完璧に仕上げていった。

 

 選んだ髪型が、完成した。

 

 鏡に映る、玲蘭の姿。

 紅城院家の令嬢としての、芯のある気品はそのままに。下ろされた艶やかな髪と、柔らかなハーフアップのシルエットが、彼女の雰囲気を、いつもよりずっと柔らかく、可愛らしいものへと変えていた。

 

 玲蘭は、ゆっくりと椅子から立ち上がり、少しだけ身体を捻って、鏡の角度を変えながら自分の新しい髪型を様々な方向から確認した。

 

「……とても、素敵です」

 

 担当者が、満足げに微笑む。

「お嬢様に、とてもよくお似合いでございます」

 

 白芷も、優しく目を細めて言った。

「ええ。とてもお美しいですよ、玲蘭様」

 

 玲蘭は、鏡に映った新しい自分を見つめて。

 少しだけ恥ずかしそうに、照れたように笑った。

 

「ふふ……なんだか、今日は、わたくしにとって、少し特別な日になりました」

 

 白芷は、心から嬉しそうに頷いた。

 

「それは、何よりでございますね」

 

 玲蘭は鏡の前で、仕上がった髪型をもう一度じっくり眺めた。

 少し顔を傾けると、柔らかくまとめられた髪が肩に沿ってさらりと揺れた。

 嬉しくなって、毛先へそっと指を通す。

 隣で見守る白芷に気付くと、玲蘭は照れたように微笑んだ。

 

 髪型が完璧に仕上がった後。

 

 玲蘭は、鏡台の上に置いてあった自分のスマートフォンを手に取った。

 カメラアプリを起動し、自分の新しい髪型を鏡越しに撮ろうとして。ふと、白芷の方を見た。

 

「……白芷さん」

 

「はい?」

 

 玲蘭が、少しだけはにかむようにして言った。

 

「もしよろしければ。今日の記念に、わたくしと一緒にお写真を撮っていただけませんか?」

 

 直哉の内心は。

(……お?)

(記念写真か。全然いいじゃん!)

 

 白芷は、快くコクリと頷いた。

「ええ。喜んで」

 

 玲蘭が身支度担当者にスマートフォンを渡し、撮影をお願いする。

 

 美しいアンティークの部屋を背景にして。

 玲蘭と白芷が、二人並んで立つ。

 

 玲蘭は、いつもの大人びた微笑みではなく、年相応の少女らしい、本当に柔らかな笑顔を浮かべている。

 その隣で、白芷は、長い銀髪を揺らしながら、穏やかな仙女らしい慈愛の微笑みをカメラに向けている。

 

『カシャッ』

 

 シャッター音が鳴り、写真が撮られた。

 担当者からスマートフォンを受け取り、画面を確認した玲蘭は、とても嬉しそうに目を細めた。

 

「ふふ。とても素敵な写真ですね。宝物にします」

 

 直哉の内心は、その画面を横から覗き込みながら、少しだけシュールな気分になっていた。

 

(……いやー)

(こうして客観的に写真で見ると、本当に、華やかな美女二人のキラキラした記念写真なんだよな)

 

(片方の中身は、三十四歳のおっさんの俺なんだけどさ!!)

 

 この強烈なギャップに、直哉は一人で脳内でツッコミを入れて笑っていた。

 

 玲蘭は、撮影した写真を何度か見返してから、大切に保存した。

 彼女は直哉の『変身』の秘密を知っているため、この写真の本当の意味も正しく理解している。

 彼女にとっては、素晴らしい美容丹をもらった日の記念であると同時に。自分が窮地に陥った時に必ず助けに来てくれる、親しく頼もしい『知人』との、大切な思い出の一枚なのだ。

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、白芷が紅城院邸を辞去する別れ際。

 

 玲蘭は、玄関まで見送りに来てくれた。彼女は、まだ時々、無意識のうちに自分のサラサラになった髪の毛先に触れている。

 

 そして、本当に楽しそうな、弾んだ声で言った。

 

「……ふふ。明日、学校へ行くのが、とても楽しみです」

 

 白芷が、優しく微笑む。

「まあ。それはよろしゅうございますね」

 

 玲蘭が、少し悪戯っぽく笑って言う。

 

「きっと、友人たちがわたくしの髪を見て、すごく驚くと思います」

「何をしたのか、質問攻めにされてしまうかもしれませんね」

 

 直哉の内心は。

(あー、確かに!)

(学校で、突然友達の髪がめちゃくちゃ美容室帰りみたいに綺麗になってたら、女子高生なら絶対に気になるよな!)

 

 玲蘭は、明日学校で友人たちから尋ねられることを思い、白芷に話してもよい範囲を確認した。

 

 白芷は、穏やかに答える。

「お薬の細かな事情や、私のことについては、どうかご内密にお願いいたしますね」

 

 玲蘭は、深く頷いた。

「分かりました。それでは、友人たちには『素敵な贈り物をいただいた』とだけ、秘密にして伝えておきます」

 

 白芷が微笑む。

「ふふ。それがよろしいかと存じます」

 

 玲蘭は、最後に、改めて白芷の目を見て、心の底からの感謝を伝えた。

 

「白芷さん。今日は、本当にありがとうございました」

「こんなに嬉しい贈り物をいただけるなんて……わたくし、本当に幸せです」

 

 白芷は、優雅に一礼して返した。

「お嬢様にお喜びいただけたのでしたら。私にとっても、それが何よりの喜びでございます」

 

 直哉の内心は。

(……よかったなあ)

(お嬢様との約束、最高のクオリティでちゃんと果たせたわ!)

 と、清々しい達成感に満たされながら、紅城院邸を後にした。

 

 翌朝の、月曜日。

 

 舞台は、玲蘭が通っている、都内でも有数の名門女子校へと移る。

 

 玲蘭は、朝から非常に気分が良かった。

 昨日、白芷と一緒に選んだ『ハーフアップ』の髪型。今朝の身支度でも、担当者が完璧に綺麗に整えてくれた。

 仙丹の効果は今日もしっかりと持続しており、鏡を見るたびに、自分の髪の滑らかさと艶に、少しだけ嬉しくなってしまう。

 

 高級車で学校に到着し、教室へと入る。

 

 いつものように、仲の良い友人たちのグループが、玲蘭の姿を見つけて明るく声をかけてきた。

 

「あ、玲蘭! おはよー!」

「おはようございます」

 

 玲蘭が、いつものように自分の席にカバンを置こうとした時。

 一人の友人が、玲蘭の顔を見て、ふと気付いたように言った。

 

「……あれ?」

 

 玲蘭が首を傾げる。

「どうなさいました?」

 

「玲蘭、今日はなんか……髪型、変えた?」

 

 玲蘭は、待ってましたとばかりに、少し嬉しそうに笑顔で答えた。

「ええ。少しだけ、いつもと違う感じにしてみましたの」

 

「へえ、すごく可愛いじゃん! 似合ってるよ!」

「ありがとうございます」

 

 ここまでは、ごく普通の、よくある女子高生同士の微笑ましい朝の会話だ。

 玲蘭も、褒められて純粋に喜んでいた。

 

 ところが。

 その友人が、もう一度、玲蘭の髪をジッと見つめて。

 

「……いや、ちょっと待って」

 

 玲蘭が不思議そうにする。

「はい?」

 

「髪型だけじゃ、なくない?」

 

 その言葉に、別の友人も玲蘭の髪を近くで見て、ハッと気付いた。

 

「……あ、ほんとだ!」

「なんか今日、玲蘭の髪、めちゃくちゃ艶々で綺麗じゃない!?」

 

 玲蘭が、思わず、誇らしげにふふっと笑った。

 

「ふふ。ありがとうございます」

 

 友人たちの注目が、一気に玲蘭の髪へと集まった。

 

 親しい友人の一人が、少し興奮した様子で身を乗り出して尋ねる。

 

「ねえ、玲蘭。ちょっとだけ、その髪触ってもいい?」

 

 玲蘭は、快く頷いた。

「ええ。どうぞ」

 

 友人が、玲蘭のハーフアップにされた髪の一房へ、そっと指を通す。

 

 そして。

 ピタッと、完全に動きが固まった。

 

「…………」

 

「……えっ?」

 

 玲蘭が、小首を傾げる。

「どうかなさいました?」

 

 友人が、目を丸くして、信じられないというような声で叫んだ。

 

「……なにこれ!?」

 

 その大きすぎるリアクションに、周りにいた他の友人たちも興味津々で集まってくる。

 

「え、なに!? そんなに凄いの!?」

「ちょっと、私も触らせて!」

 

 玲蘭は、少し照れながらも、「ええ、構いませんよ」と了承した。

 もちろん、クラス中の誰彼構わず触らせるわけではない。あくまで、いつも一緒にお弁当を食べるような、気の置けない仲の良い友人たちの範囲だけだ。

 

 触った友人たちが、次々と悲鳴のような驚きの声を上げる。

 

「うわっ、ヤバい! なにこのサラサラ!!」

「ちょっと待って、これ本当に玲蘭の地毛!? シルクみたいなんだけど!」

「玲蘭、元々髪綺麗だったけど、今日のは異常だよ! 一体どうしたらこんな髪質になるの!?」

 

 玲蘭は、友人たちのその凄まじい大反響に、自分でも驚きつつ、心の底から嬉しくなっていた。

 

 昨日、自室の鏡の前で、自分の髪の激変ぶりに思わずはしゃいでしまった気持ち。

 それを、大好きな友人たちも同じように驚いて、分かってくれたようで、自然と笑みがこぼれてしまう。

 

「ふふっ。実は昨日、少しだけ特別なお手入れをしていただいたんです」

 

 すると、当然のごとく、女子高生たちの猛烈な質問攻めが始まった。

 

「誰に!?」

「どこのカリスマ美容師のいる美容院!?」

「使ったトリートメントの名前教えて! 絶対買うから!」

 

 玲蘭は、押し寄せる質問の波に、思わず声を出して笑ってしまった。

 

 そして、白芷との約束通り、口元に人差し指を当てて、少し悪戯っぽくウインクをした。

 

「……ふふ。それは、少し秘密です」

 

「えーっ!? ずるい!!」

「玲蘭のケチー!!」

 

 友人たちから、冗談めかした大ブーイングの抗議が上がる。

 玲蘭も、「ごめんなさいね」とクスクス笑いながら、その追及を上手くかわしていた。

 

 玲蘭は、もともとクラスメイトたちと気さくに会話を楽しむ少女だった。

 今日も友人たちと笑い合い、教室にはいつもの賑やかな空気が流れていた。

 

 朝のホームルームが始まる前。

 質問攻めの騒ぎが、ようやく少し落ち着いた後。

 

 友人の一人が、自分の席に座ってスマートフォンの画面を鏡代わりにしている玲蘭へ、ふと、優しく言った。

 

「でも、今日のそのハーフアップの髪型、本当に玲蘭に似合ってるよ」

 

 玲蘭が、嬉しそうに振り返る。

「ありがとうございます」

 

 友人が、少し目を細めて、玲蘭の顔を見つめた。

 

「なんか、今日の玲蘭、すごく嬉しそうだしね」

 

 その予期せぬ言葉に、玲蘭が少し驚いて目を瞬かせた。

「……わたくし、そう見えますか?」

 

「うん。朝、教室に入ってきた時から、ずっとニコニコしてる」

 

 隣の席の別の友人も、深く頷いて同意した。

「分かる。今日の玲蘭、いつもより絶対にご機嫌いいよね。見ててこっちも楽しくなる」

 

 玲蘭は。

 自分でも全く気付かないうちに、普段よりもずっと自然に、たくさんの笑顔を見せていたらしい。

 

 友人たちからのその言葉に、玲蘭は少しだけ恥ずかしくなって、ほんのりと頬を染めた。

 

「……ふふ。そうかも、しれませんね」

 

 友人たちは、ただ髪の艶が綺麗になったことだけを褒めてくれたのではない。

 玲蘭本人が、その新しい髪型で『心から楽しそうにしていること』に気付き、それを良いと言ってくれたのだ。

 

 それが、玲蘭にとっては。

 どんな高級な宝石を褒められるよりも、何より一番、嬉しいことだった。

 

 放課後。

 

 都内の、直哉の新居。

 直哉は、いつものジャージ姿で、ソファに寝転がってくつろいでいた。

 

『ブーブー』

 

 テーブルの上に置いていたスマートフォンが、短い振動音を立てた。

 画面を見ると、玲蘭からのメッセージの通知だった。

 

 直哉は、ロックを解除してメッセージアプリを開いた。

 

『森川さん。昨日は、本当に素晴らしい時間をありがとうございました』

『白芷さんにも、よろしくお伝えください』

 

 続けて、もう一通。

 

『今日は、学校でも、友人たちにたくさん髪を褒めていただきました』

 

 そして、最後に。一枚の『写真』の画像データが添付されていた。

 

 直哉がその画像を開くと。

 そこには、制服姿の玲蘭が、教室の窓際で、自分の新しいハーフアップの髪型を自撮りした写真が写っていた。

 昨日の、白芷との少し緊張した記念写真よりも、ずっと気楽で、年相応の自然な、最高の笑顔がそこに写っていた。

 

 直哉は、その写真を見て、思わずニヤリと笑った。

 

(……おお!)

(お嬢様、めっちゃいい笑顔じゃん! すげえ嬉しそう!)

 

 直哉は、すぐにフリック入力で返信を打った。

 

『おお、よかったですね!』

『新しい髪型、めちゃくちゃ似合ってるじゃないですか(笑)』

 

 すぐに、玲蘭から既読がつき、返信が返ってくる。

 

『ふふ。ありがとうございます』

『友人たちから、一体何をしたのか教えてほしいと、朝からずっと質問攻めにされてしまって大変でした』

 

 直哉が笑いながら打つ。

『そりゃ、突然あんなにサラサラになったら、そうなるでしょ(笑)』

『気に入ってもらえて、本当によかったです!』

 

 玲蘭からの、最後のメッセージ。

 

『はい。森川さんからのこの贈り物、大切にいたしますね』

 

 直哉は、スマートフォンをテーブルに置き、天井を見上げて深く息を吐いた。

 

 数日前には、ジーの能力で、元能力者の失われた右腕を取り戻し、泣いて喜ぶ患者と家族の姿を見た。

 そして今日は。同じジーの能力で作った薬で、髪が綺麗になって、学校の友達に褒められたと、満面の笑顔で喜ぶ女子高生。

 

 やっていることの深刻さも、スケールも、全然違う。

 

 しかし、どちらも。

 直哉が自分の能力を使って、誰かの人生を少しだけ明るくし、喜ばせた結果なのだ。

 

 直哉の心は、現金報酬をもらった時とは違う、温かい満足感で自然と満たされていた。

 

(……いやー)

(ジー、マジでいいキャラ引いたなあ!)

 

 直哉は、ソファから身を起こし、ふと、冷静に自分のやっていることについて考えた。

 

(……しかし)

 

(冷静に考えると、俺、すげえ贅沢なことしてるよな)

 

 Tier1。

 神級仙薬師。

 あの八咫烏の研究員たちを驚愕させ、怪異の超常素材から、人間の失われた腕を完全に再生するような奇跡の仙丹まで作り出せる、国家級の能力者。

 

 そんな、一歩間違えば世界の医療バランスを崩壊させかねない規格外のバグ能力を使って。

 今日、俺がやった、最大の仕事は。

 

『女子高生の髪の毛を、めちゃくちゃサラサラにしたこと』。

 

 直哉は。

「…………」

 

(……いや、能力の無駄遣いにもほどがあるだろ! 贅沢すぎない!?)

 

 と、一人で脳内で盛大にツッコミを入れて、笑ってしまった。

 

 しかし。

 スマートフォンの中の、玲蘭があれほど最高の笑顔で嬉しそうにしていた写真を見れば。

 

 直哉は、肩をすくめて、こう思うのだ。

 

(……まあ、いいか)

 

(これだけ喜んでくれたんなら。俺の美容クラフトは、大成功ってことだろ!)

 

 世界を揺るがすような大事件を解決しなくても。

 悪の黒幕を倒して世界を救わなくても。

 

 ほんのちょっとした約束を果たして、自分のクラフトしたアイテムで、大切な知人が心から笑顔になる。

 そんな平和な一日も。

 三十四歳のゲーマーの直哉にとっては、十分に、最高にいい一日だった。




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