俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
「会いたいです! ガチャ石欲しいし!」
八咫烏の重鎮が集う格式高い応接室に、三十四歳の男のあまりにも欲にまみれた快活な声が響き渡った。
普通であれば、組織の創設者にして『Tier0』という神のごとき階位を持つ人物から、「運命に赤信号が出ている危険な女の子がいる」などと切り出されたら、少しくらいは身構えたり、事の重大さに顔をしかめたりするのが人間というものだろう。
しかし、森川直哉の脳内計算機は、すでに一般的な人間の思考回路とは別の次元で駆動していた。
危険な運命。すなわち、放置すれば取り返しのつかない事態になる大きな因果の分岐点。それを自分の介入によってねじ曲げ、平穏な結果へと着地させることができれば、《因果集結クロニクル》のシステムから特大のボーナス報酬が転がり込んでくる。
その一点において、直哉に迷いが生じる余地など一ミリも存在しなかった。
革張りの高級ソファに深く腰掛け、黒いゴシックロリータ衣装のフリルを揺らしていた陽葵(ひまり)――八百比丘尼は、直哉のあまりにも清々しい即答に、一瞬だけ目を丸くしてキョトンと固まった。
そして次の瞬間、お腹を抱えてソファの上で弾けるように笑い出した。
「あはははははっ! いいねいいねー! ナオ君、本当に期待を裏切らないなー!」
足をバタバタと揺らしながら、涙が出るほど笑っている。その横で、直立不動のまま控えている霧島さんが、何とも言えない遠い目をしてこめかみのあたりをそっと押さえていた。
直哉は、霧島さんの無言の胃痛には気づかないふりをして、テーブル越しに身を乗り出した。
「いやあ、俺も常にガチャ石には飢えてますからね。それで、ひまりちゃん。その紹介してくれる女の子って、具体的にどんな人なんですか?」
陽葵は笑い涙を指先で拭うと、テーブルの上のクッキーをもう一枚ひょいとつまみ上げながら、楽しそうに口を開いた。
「御巫梓(みかなぎ・あずさ)って子なんだけどね!」
「……みかなぎ、あずさ?」
「そそ! 御巫家っていう、ずーっと昔から封印術を受け継いでいる古い一族があるんだよ。神格とか、大物の怪異とか、そういう普通に殴っても倒せないような危ない連中を封じ込めるのが専門の家系なの!」
直哉は、その説明を聞いてなるほどと頷いた。
京都で出会った鏡宮千鶴もそうだったが、日本の裏社会には、何百年、あるいは千年単位で特殊な技術や役割を継承し続けている旧家が存在する。この御巫家というのも、そういった歴史ある能力者一族の一つなのだろう。
ただ、敵を斬り伏せたり吹き飛ばしたりする攻撃特化ではなく、『封印・隔離・拘束』を専門としているというのが興味深かった。
「封印術の専門家ですか。ちなみに、その梓さんって、能力者としてはどれくらい強いんです?」
陽葵は、サクッとクッキーを噛み砕きながら、実に軽い調子で言った。
「んー、公式の登録はTier1だけど、本気で術を組んだ時の実効戦力は『Tier0.5』くらいかな!」
直哉の動きが、ピタリと止まった。
「…………」
数秒の沈黙の後、直哉は思わず声を張り上げた。
「またTier0.5!?」
つい先日、京都で鏡宮千鶴という『京都限定Tier0.5』の規格外ぶりを目の当たりにし、自分自身も九条紫苑と神刀《月白》の完全同調でその領域の力を振るったばかりだ。
だからこそ、その数字が意味する異常さは骨身に染みて理解している。通常のTier1ですら一国に数えるほどしかいない戦略級の切り札なのに、そのさらに上を行く準神級の領域なのだ。
「いやいや、ちょっと待ってください! そんなバケモノみたいに凄い人が、まだ日本国内に普通にいるんですか!?」
「いるよー! まあ、あの子は誰かを殺したり街を壊したりする方じゃなくて、『何かを封じること』に関してだけその領域に届いてる特化型だけどね。だから本人も、自分の封印の腕にはすっごい自信があるんだよー!」
直哉は、ゴクリと唾を呑み込んだ。
てっきり、運命に赤信号が出ているというからには、自分の力ではどうにもならない危機に怯えているか弱い少女を想像していたのだが、どうやら前提からして大きく間違っていたらしい。保護対象どころか、直哉の手持ちの最高戦力と肩を並べるレベルの猛者ではないか。
すると、当然の疑問が湧いてくる。
「……でも、ひまりちゃん。その梓さんが実効Tier0.5もある最強クラスの封印術者なら、一体何がそんなに危ないんです? 大抵の敵が来ても、普通に返り討ちにして封印できちゃうんじゃないですか?」
直哉が尋ねると、陽葵はクッキーへと伸ばしていた手を止め、少しだけ天井を見上げるようにして考え込んだ。
いつもの陽気で軽やかな雰囲気はまとったままだが、その瞳の奥にだけ、ほんのわずかに長い時を生きてきた者特有の静かな色が宿る。
「んー。私の未来視ってさ、前にも言った通り、全部が映画みたいにきっちり最初から最後まで見えるわけじゃないんだけどね」
「はい」
「どうやらあの子、近い将来、どこかでとんでもない神格を封印することになるみたいなんだよね」
直哉は眉をひそめた。
「……神格の、封印?」
「そそ! それも、推定でTier0.5くらいの、めちゃくちゃタチの悪い強大な神格!」
「うわぁ……また随分とヤバそうなのが出てきますね……」
先日の京都での《九番目の御霊》の悪夢が脳裏をよぎり、直哉は思わず顔をしかめた。だが、陽葵はそこで小さく首を横に振った。
「でもね、ナオ君の言う通り、梓ちゃんはすっごく優秀なの。だから、その神格を封印すること自体は、あの子なら見事に成功させちゃうんだよねー」
「え? じゃあ、勝つんじゃないですか。何が問題なんです?」
「うん。封印はできるの。周りの被害もちゃんと防げる。……ただね」
陽葵は、膝の上で組んだ自分の指先を見つめて、ぽつりと言った。
「その強すぎる神格の封印を完全に成立させて維持するために、あの子、自分自身の命と魂を『封印の楔(くさび)』として中に残しちゃうみたいなの」
直哉は、一瞬だけ言葉の意味が理解できずに瞬きをした。
負けて殺されるのではない。
封印術者としての責務を完璧に全うし、強大な神格を封じ込めることに成功する。しかし、その代償として、術者である彼女自身が封印の中核となって永遠に外界から失われてしまう。
つまり、『相討ちの自己犠牲』という結末に向かって、彼女の運命のレールが敷かれつつあるということだ。
「まだ二十代で若いのにさー。そんな風に自分を犠牲にして消えちゃうの、なんか可哀想じゃない?」
陽葵は、少しだけ唇を尖らせて残念そうに言った。
「……それは、確かにそうですね」
直哉も、素直に頷いた。
いつ、どこで、どんな名前の神格が現れるのか。そこまでの具体的な日時や条件までは、陽葵の断片的な未来視でも確定していないらしい。ただ、『御巫梓が自らの身を代償に神格を封印する』という大きな流れの兆しだけが、赤信号として点滅しているのだという。
陽葵は、紅茶のカップを両手で包み込みながら、どこか遠い昔を懐かしむように目を細めた。
「いやー、私もあの子のこと、ちっちゃい頃からよく知ってるしねー」
「へえ、昔からの知り合いなんですか」
「そうそう! 赤ちゃんの頃から御巫の家にはちょくちょく遊びに行っててさ。小さい頃の梓ちゃんなんて、私の後ろをちょこちょこついて回って、ほんっとうに可愛かったんだよー!」
ころころと鈴が鳴るように笑う陽葵を見て、直哉は少しだけ感心した。見た目こそ二十代前半のゴスロリ美少女だが、やはり中身は途方もない年月を生きている大先輩なのだ。
「なるほど……。それじゃあ、ひまりちゃんからすると、可愛い孫とか娘みたいな感じなんですね」
「うん! 長く生きてるとさー、こういうの、なんかすっかり親の気分になっちゃうんだよね!」
「いい話ですねえ」
「ま、私からすると、今生きてる人類なんてみーんなちっちゃい頃から知ってるようなものなんだけどね! あはは!」
直哉は、心の中で盛大にずっこけた。
(……いや、親心のスケールがデカすぎるだろ!!)
(全人類が子供扱いって、どういう時間感覚で生きてんだよこの人は!)
思わずツッコミを入れたくなったが、陽葵が梓の未来を案じている気持ち自体は、決して嘘や気まぐれではないことが伝わってきた。
自分自身はどんな手段を使われても絶対に死なず、消滅もしない『不死』の楔。だからこそ、自分の周りにいる人間たちが、寿命や戦い、あるいは尊い自己犠牲によってあっという間にこの世からいなくなってしまうことを、誰よりも多く見届けてきたのだろう。
それを湿っぽく悲劇的に語るのではなく、「可哀想だから助けてあげたいんだよねー」と明るい笑顔でさらりと言ってのけるのが、この八百比丘尼という女性の流儀らしかった。
直哉は、顎に手を当てて一瞬だけ思考を巡らせた。
(Tier0.5級の神格が絡む、一世一代の大事件……!)
(しかも、本来なら術者が自己犠牲で消えてしまうはずだったバッドエンドを、俺が介入して『誰も犠牲にならずに神格だけをぶっ飛ばすハッピーエンド』に書き換えることができたら……)
直哉の脳裏に、かつてないほど巨大な金色の通知ウィンドウと、見たこともない桁の《因果晶》が降り注ぐ幻影が浮かび上がった。
(……これ、過去最高クラスの特大ガチャ石案件になるんじゃねえか!?)
もちろん、動機がそれだけかと言われれば嘘になる。
せっかく縁あって知った若い女性が、誰かを守るために自分の命をすり潰して消えてしまうなどという結末は、普通に寝覚めが悪い。自分にそれをひっくり返せるだけの手札があるのなら、手を貸すのに躊躇する理由はなかった。
直哉は、ソファからスッと立ち上がると、陽葵に向かって力強く胸を張った。
「分かりました!」
「ん?」
「じゃあ、俺がしばらくその梓さんのところに行って、警護します!」
ビシッと親指を立てて宣言する直哉を見て、陽葵はパッと顔を輝かせた。
「えっ、いいの!? 本当に!?」
「もちろんです! そんな凄い封印術者の人が自分を犠牲にしちゃうなんて、世の中にとってもったいないですしね! 俺に任せてください!」
外面だけは、どこに出しても恥ずかしくない正義感あふれる頼もしい青年(三十四歳)だった。内心の八割くらいがガチャ石の輝きで埋め尽くされていることなど、口に出さなければ問題ない。
陽葵は「やったー! ありがとー、ナオ君!」と両手を叩いて大喜びした。
そして、紅茶のカップをテーブルに置くと、ふと思い出したようにポンと手を打った。
「あ、ちなみに場所なんだけど、青森だから!」
「……青森?」
「うん! あの子の神社、青森の山の方にあるんだよねー!」
「…………」
直哉は、数秒間だけ無言で固まった。
てっきり東京都内か、遠くても関東近郊の神社くらいに思っていたのだが、いきなり本州の最北端まで飛ぶことになるとは予想外だった。
しかし、直哉の脳内にはすぐさま『ある便利な機能』のことが浮かび上がった。
(……あ、いや。今の俺なら、距離なんて別に何の問題もないか)
直哉はすぐに笑顔を取り戻し、大きく頷いた。
「分かりました! じゃあ、ちょっと青森まで行ってきます!」
「わーい、いってらっしゃーい! あ、梓ちゃんには私から『頼りになる護衛を送るねー』って連絡しとくから、安心して行ってきてね!」
陽葵が満面の笑みでひらひらと手を振るのに礼を返し、直哉は霧島さんと共に重厚な応接室を後にした。
◆
応接室を出て、静かな廊下を歩きながら、直哉が「そういうわけで、近く青森へ行ってきます」と改めて告げると、隣を歩いていた霧島さんがピタリと足を止めた。
霧島さんは、眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、冷ややかな、しかしどこか呆れを含んだ視線で直哉を見つめた。
「……森川さん。本気ですか?」
「はい? 本気ですけど」
「陽葵様のあの曖昧な未来視のお話を聞いて、今から青森の神社に、いつ起きるかも分からない事件のために長期滞在されると?」
「そうですね。いつ神格とやらが出るか分からないなら、最初から近くで警護も兼ねて様子を見ておいた方が確実ですし」
直哉が真面目な顔で頷くと、霧島さんは一拍置いてから、極めて事務的なトーンで核心を突いてきた。
「……ガチャ石のために?」
「もちろんです!」
コンマ一秒の迷いもない即答だった。
霧島さんは、長い、本当に長い沈黙を落とした。廊下の照明のわずかな唸り音だけがやけに大きく聞こえる。
あまりの空気の重さに、直哉は慌てて両手を振って補足した。
「いやいや、もちろんそれだけじゃないですよ!? その御巫梓さんが自分を犠牲にしちゃうかもしれないって話も本当なんでしょうし! 人命救助と警護のつもりでちゃんと真面目に行きますって!」
「……それは承知しておりますが」
霧島さんは小さくため息をついた。彼女が懸念しているのは、直哉の俗物的な動機そのものではなく、もっと現実的な実務上の問題だった。
「森川さん。今回のお話は、あくまで陽葵様との個人的な雑談から出たものであり、八咫烏から正式に有償の警護契約として発注された案件ではありません」
「あ、はい。それは分かってますよ。俺が勝手に様子を見に行くだけです」
「問題は、現在森川さん――チーム《ナオ》にすでにお願いしている、東京での各種業務との兼ね合いです。特に、御影千里さんによる週一回の広域観測支援や、白芷さんによる医療協力、緊急時の待機要請など、森川さんご本人が長期間東京を離れられると、スケジュールを大幅に組み直す必要が出てきますが」
至極真っ当な管理官としての指摘だった。
しかし、直哉は待ってましたとばかりにニヤリと笑った。
「いやいや、霧島さん。そこは全然大丈夫ですよ。俺、三人に分身できるじゃないですか」
「……ええ。《並列集結》の仕様については把握しております」
「ですから、今回青森の神社に行くのは、この『生身の俺』一人だけです。千里とか、他の二人の身体はそのまま東京に残しておけば、いつも通りこっちで仕事してもらえますから!」
霧島さんの眉が、ピクリと動いた。
先日、八咫烏の施設で行った検証において、《並列集結》で展開した身体は東京都の境界を越えても何ら問題なく維持できることが確認されている。
「……なるほど。生身の森川さんが青森へ移動し、残りの二枠を東京で維持される、と」
「そうです! で、もし東京で普段通りに仕事をしてる最中に、青森の梓さんのところでヤバい神格が出てきたら、その瞬間に東京の二人をパッと遠隔で解除して、俺のいる青森側で戦闘向きのメンバーを『再集結』させればいいんです!」
これこそが、《並列集結》という機能の真に恐ろしい運用方法だった。
同時に存在できる身体の数は、生身の直哉を含めても最大三つまでという上限はある。しかし、一度遠く離れた場所にある身体の集結を解除し、別の身体のそばで再び集結を発動させれば、実質的に主戦力を一瞬で青森へと『瞬間移動』させるのと同じ結果が得られるのだ。
霧島さんは、数秒間タブレットの画面を見つめてシミュレーションを行っていたが、やがて納得したように深く頷いた。
「……分かりました。つまり、森川さんご本人の肉体は青森に滞在されるものの、残りお二人の活動拠点は東京の新居のまま維持される、ということですね」
「はい! バッチリです!」
「承知しました。であれば、東京側の定例業務や突発的なご依頼については、その体制を前提にこれまで通り調整しておきます」
「よろしくお願いします!」
話が早くて実に助かる。さすがは有能な担当官だ。
ただ、霧島さんは最後に、念を押すように厳しい目つきで付け加えた。
「ただし、森川さん。いくら陽葵様からのご紹介とはいえ、実際にその神社へ滞在されるかどうかは、現地の御巫梓様ご本人の明確な了承を得てからにしてくださいね。無断で敷地内に居座れば、ただの不審者ですので」
「もちろんです! そこは社会人としてちゃんと挨拶してお願いしてきますよ!」
こうして八咫烏側との業務調整を無事に終えた直哉は、霧島さんから御巫家の神社の所在地と連絡先のデータを受け取り、一度荷物をまとめるために都内の新居へと戻った。
広々とした2LDKのリビングに入り、とりあえず数日分の着替えや洗面用具をボストンバッグに詰め込みながら、直哉はふと部屋の中を見渡して苦笑した。
(……そういや俺、実家を出てこのマンションに引っ越してきたばっかりなんだよな)
高い敷金と礼金を払い、3人分の動線を確保するために選んだ自慢の新居だ。段ボールの片付けが終わってから、まだたいして日数も経っていない。
(それなのに、もう東京を離れて青森の神社へ居候しに行くのか、俺は……)
普通の人間であれば、高い家賃を無駄にするもったいない行動極まりないところだが、今の直哉には関係なかった。
直哉がその場で《並列集結》を発動すると、リビングの空間に二つの集結光が弾け、観測官の制服を着た御影千里と、クラシカルなメイド服姿のエレノア・ヴァイスの二人が同時に実体化した。
(よし。この二人――というか二人の俺が、このままこの新居で暮らして東京の仕事をしてくれるんだから、家賃は一円も無駄にならないな!)
エレノアの身体でキッチンの紅茶の缶を確認しつつ、千里の身体で八咫烏からの明日の予定表をチェックし、生身の直哉の身体でボストンバッグのファスナーを閉める。
「じゃあ、俺はちょっと青森行ってくるわ」
「お気をつけて、でございます」
「東京の業務は問題ありません」
自分で自分に声をかけ、自分で自分に返事をするという、傍から見れば完全に狂気の沙汰でしかない一人芝居をナチュラルにこなしてから、直哉は新居の玄関を出た。
◆
東京駅から東北新幹線に乗り込み、北へ向かうこと数時間。
窓の外を流れる景色は、高層ビルがひしめく都会のコンクリートジャングルから、徐々に広い空と田園、そして深い山々が連なる東北の風景へと移り変わっていった。
直哉はグリーン車の快適なシートに身を預けながら、東京のマンションで留守番と仕事の準備をしている千里とエレノアの視覚情報を頭の片隅で処理しつつ、これから会う人物について思いを巡らせていた。
(御巫梓さん、か……。実効Tier0.5の封印術者ねえ)
京都で出会った鏡宮千鶴は、二十歳という若さでありながら三十六代分の当主の記憶を背負い、どこか達観した底知れない威厳と儚さをまとった女性だった。
同じように古くから続く一族の巫女であり、神格すら封じ込める最高峰の術者だというのだから、きっと今度の梓という女性も、浮世離れした厳格で神秘的な大和撫子なのだろう。
(そして、いずれ現れるっていうTier0.5級の神格……)
まだ名前も、いつどこから現れるのかも分からない未知の脅威だ。今の直哉の手札をもってしても、実際に遭遇してみなければどれだけ苦戦するか見当もつかない。
(まあ、まだ見ぬ神様のことを今から悩んでも仕方ないか。まずは梓さんに会って、普段どんな生活をしてるのか様子を見るところからだな)
もちろん、その先にある『運命改変による大量のガチャ石』への期待が、直哉の胸をワクワクと弾ませているのは言うまでもなかった。
やがて新幹線が青森県内の駅へと到着し、ホームへと降り立った瞬間、ひんやりとした澄んだ空気が直哉の頬を撫でた。東京よりも明らかに気温が低く、季節が半歩ほど先に進んでいるのが肌で感じられる。
直哉はバッグから薄手の上着を取り出して羽織ると、霧島さんから渡された案内データを頼りに、ローカル線とバスを乗り継いで目的地である山あいの町へと向かった。
バスの停留所を降り、人気の少ない静かな坂道を歩くこと十数分。
深い木々に囲まれた山の麓に、目指す御巫家の神社はひっそりと佇んでいた。
「…………へえ」
石造りの鳥居の前に立ち止まり、直哉は素直な感嘆の声を漏らした。
(……思ったより、ずっと普通の静かな神社だな)
実効Tier0.5の能力者が拠点を構えていると聞いていたので、京都の屋敷のように最新の監視カメラや強固なセキュリティゲートが張り巡らされていたり、あるいは観光名所のような巨大な社殿がそびえ立っていたりするのかと想像していたのだ。
しかし、目の前にあるのは、地方のどこにでもありそうな中規模の古い神社だった。
石段には苔がむし、木造の拝殿や社務所の柱には長い風雪に耐えてきた年月の色が刻まれている。平日の昼下がりということもあってか、参拝客の姿は一人も見当たらない。
確かに、言葉を選ばずに言えば『少し寂れた神社』だ。
だが、決して荒れ果てて放置されているわけではなかった。石段や境内の砂利には落ち葉一つなく綺麗に掃き清められた箒(ほうき)の跡が残り、手水舎(ちょうずや)には澄んだ水が豊かに引かれている。お金をかけて派手に改装することはできなくとも、ここに住む人間が毎日どれほどの手間と愛情をかけてこの場所を守っているかが、空気の清浄さから痛いほど伝わってきた。
(いい雰囲気の場所じゃないか)
直哉は鳥居の前で帽子を取るように軽く一礼すると、砂利を踏みしめながら境内へと足を踏み入れた。
どこから声をかけたものかと社務所の方へ視線を向けた、ちょうどその時だった。
拝殿の横の通路から、竹箒を片手に持った一人の女性がひょっこりと姿を現した。
年齢は、二十代の半ばくらいだろうか。
艶やかな長い黒髪を後ろできちんと一束にまとめ、糊の効いた真っ白な小袖(白衣)と、鮮やかな緋色の袴を寸分の隙もなく着こなしている。背筋がすっと伸びた凛とした立ち姿と、涼やかで整った目鼻立ちは、まさに絵画の中から抜け出してきたような正統派の和風美人だった。
(……おお。これぞ由緒正しい神社の巫女さん、って感じの人だな。しかもめちゃくちゃ美人だ)
直哉が内心で感心しながら挨拶の言葉を探していると、向こうもボストンバッグを下げた直哉の姿に気づいたらしく、足を止めてこちらを見た。
そして、その端正な桜色の唇が開き――想像していた古風な挨拶とは百八十度異なる、実に気さくでくだけた声が飛んできた。
「ん? あんたが八百(やお)の言ってたナオさん?」
「……えっ?」
「今日こっちに来るって連絡来てたんだけど。違う?」
「あ、いえ、合ってます! 森川直哉です。初めまして!」
直哉が慌てて頭を下げると、美女巫女は竹箒を肩に担ぐようなラフな仕草でニッと笑った。
「ふーん、ほんとに来たんだ。あーしが御巫梓。よろしくー」
直哉は、頭を下げかけた姿勢のまま、数秒間ピタリとフリーズした。
(…………あーし?)
自分の耳がバグったのかと思った。
目の前に立っているのは、金髪にピアスを開けた渋谷のギャルではない。深い山の緑を背負い、伝統的な白衣と緋袴に身を包んだ、どう見ても由緒正しい神職の女性だ。
それなのに、一人称が『あーし』で、しかも陽葵のことを『八百』と完全に呼び捨てにしている。
(……なんか、見た目の凛とした雰囲気と、喋り方のギャップが凄まじいな!?)
呆気にとられている直哉の様子など気にした風もなく、梓は竹箒を社務所の壁際に立てかけると、ひらりと手を振って先に歩き出した。
「ま、せっかく東京からこんな遠いところまで来たんだし、突っ立ってないで上がってきなよ。お茶くらい出すわ」
「あ、はい。お邪魔します……」
直哉は、頭の中にいくつものクエスチョンマークを浮かべたまま、緋袴を揺らして歩く彼女の背中を追って社務所の奥へと足を踏み入れた。
案内されたのは、社務所に併設された住居スペースの客間と思しき和室だった。
建物自体はかなり古いが、畳は綺麗に拭かれ、障子の桟(さん)にまで埃一つない。梓が台所から運んできてくれた急須と湯呑みを受け取り、温かい緑茶を一口すすったところで、向かいにあぐらに近い楽な姿勢で座った梓が、頬杖をつきながら口を開いた。
「でさー、さっき八百から電話で聞いたんだけど」
「はい」
「あんた、しばらくあーしの警護をしたいんだって?」
「そうですね。何か危険なことが起きるかもしれないって聞いたので、お力になれればと」
直哉が真面目に答えると、梓は「ふーん」と鼻を鳴らし、心底不思議そうに首を傾げた。
「いや、そもそもさ」
「はい?」
「八百の奴が、あーしの運命が赤信号でヤバいとか言ってるらしいじゃん?」
「ええ。近い将来、とんでもない神格を封印することになって、梓さんがご自身を犠牲にして封印の中に残っちゃう未来が見えるって、心配してましたけど……」
直哉が陽葵から聞いた通りの説明を口にした、その瞬間だった。
梓の整った眉が、これ以上ないほど露骨に、グッと険しくひそめられた。
「はあ!? 何言ってんの、あの女!!」
「えっ!?」
あまりにも勢いのいい一喝に、直哉は思わず湯呑みを持ったままのけぞった。
梓は、心外極まりないといった顔で自分の胸をトンと叩いた。
「ちょっとナオさん、あんた知ってる? あーし、Tier0.5よ? 分かる? 実効Tier0.5!」
「あ、はい。それは聞いてます」
「封印術と結界の扱いに関しちゃ、今の世界で、あーしに封印できない存在なんて何一つないんだけど! なんでそのあーしが、ぽっと出の神格相手に自分の命を差し出して相討ちにならなきゃいけないわけ!?」
それは、自分の実力を過信した小物の虚勢などではなかった。
幼い頃から血のにじむような修練を重ね、一族の秘術を極め、実際に数々の怪異や荒ぶる神の残滓を封じ込めてきた世界最高峰の術者としての、絶対的な『自負』と『実績』に裏打ちされた言葉だった。
直哉も、その揺るぎない迫力に押されて素直に頷いた。
「へえ……! いや、そこまで言い切れるのは本当に凄いですね!」
「でしょ? あーしの術は完璧なの!」
「でも、あのひまりちゃんが、未来視でどうしても運命的にヤバい兆しが見えるって言ってましたよ?」
「だ・か・ら!!」
梓は、卓袱台(ちゃぶだい)を叩かんばかりの勢いで身を乗り出し、呆れ果てたように声を張り上げた。
「八百の言うことなんか、真面目に信用しちゃダメ! マジで!」
「……ええ?」
「いい? ナオさん、あんたあいつと知り合ってまだ日が浅いんでしょ!? あの女はね、何百年も長生きしすぎて、頭のネジが全部どっかに飛んでっておかしくなってんのよ!」
「……い、いや、いくらなんでもそこまで言います?」
「言うわよ! あーし、物心つく前からずっとあいつを知ってるんだもん!」
梓の口から、堰(せき)を切ったように八百比丘尼に対する辛辣な評価が溢れ出してきた。
「あいつ、昔からずーっとそうなの! 普段から適当でいい加減だし、全部その場の思いつきで行動するし、真面目な話をしててもすぐ関係ない方向に脱線するし! 八百年前の出来事も昨日の晩ご飯の話と全く同じテンションで混ぜて喋り始めるから、どこからどこまでが本当で、どれがただの気まぐれなのか、さっぱり当てにならないのよ!」
直哉の脳裏に、つい数時間前、八咫烏の応接室でゴスロリ衣装を着て「1400年前から着てる子の真似ー!」とキャッキャしながらクッキーを頬張っていた陽葵の姿が鮮明に蘇った。
(……うん)
(……なんか、めちゃくちゃ分かる気がするな……!)
初対面の直哉でさえ、あの自由奔放すぎる言動には何度も振り回されたのだ。幼少期からずっとあの調子に付き合わされてきた梓が、陽葵の言葉を「また適当なことを言っている」と眉唾に思うのも、無理からぬ話なのかもしれない。
直哉は、なんとか陽葵の名誉を挽回しようと、先ほど聞いたばかりの温かいエピソードを持ち出した。
「あ、ああ、でもですね! ひまりちゃん、梓さんのことを小さい頃からずっと見守ってきたって、すごく優しい顔で言ってましたよ?」
「……は?」
「なんか、長く生きてると、梓さんに対して『親のような気持ち』になるから、どうしても助けてあげたいんだって」
きっとこれで、梓も少しは陽葵の親心にほだされるだろう。
そう思った直哉の期待は、梓が浮かべた『今日一番の心底嫌そうな顔』によって木っ端微塵に打ち砕かれた。
「親!? 八百が、あーしの!?」
「は、はい」
「はあ!? 冗談じゃないわよ! あいつが今まで、あーしに何か親らしいことしてくれたことなんか一度でもあったっけ!?」
「……えっ、ないんですか?」
「ないわよ! 数年に一回、前触れもなくふらっとうちの神社にやってきて、縁側で適当なホラ話を喋り散らかして、あーしが買っておいたお茶請けのお菓子を全部綺麗に食べ尽くして、『じゃあねー!』って帰っていくだけじゃん!」
直哉は、完全に返答に詰まった。
「……い、いや、でも! あの人、天下の八咫烏の創設者の一人なんですよね!?」
直哉が最後の砦としてその肩書きを出すと、梓は「あー、それね」と実に冷めた目で肩をすくめた。
「そうねー。確かにこの業界じゃ、『八百比丘尼の人生で唯一のまともな功績は、八咫烏の創設に関わったことくらいだ』って言われてるわね」
(……いや、それ一つだけでも歴史に残る超大功績だと思うんだけど!?)
直哉が内心でツッコミを入れるよりも早く、梓はさらに容赦ない追撃を加えた。
「しかもさ、あーしがうちの先代のお婆ちゃんから聞いた話だと、あいつ別に自分がリーダーシップを取って組織を作ったわけじゃなくて、当時の真面目な能力者たちが国のために必死で組織を作ろうとしてたところに、『なにそれ面白そう! 私も混ぜてー!』って後から便乗して名前を連ねただけらしいし!」
「えええええ!?」
「絶対そうよ! あの女が、面倒くさい行政のルール作りとか組織運営なんて真面目にできるわけないもん! だからナオさん、あいつが急に神妙な顔で未来がどうとか言い出しても、真に受けてわざわざ青森まで来るだけ損よ、損!」
ぷりぷりと憤慨しながらお茶を一気に飲み干す梓を見て、直哉は何とも言えない複雑な感情に包まれていた。
もちろん、陽葵が八咫烏の創設において実際にどんな役割を果たしたのかという歴史の真実は、直哉には分からない。梓の言っていることも、あくまで御巫家に伝わる噂や、長年の腐れ縁からくる彼女個人の主観的な評価なのだろう。
陽葵がTier0の絶対的な存在であり、梓のことを本気で心配して直哉を送り込んだこと自体は、間違いなく事実のはずだ。
ただ、普段の陽葵の日頃の行いが悪すぎるせいで、肝心の守るべき対象である梓本人からの信用貯金が『完全なゼロ(むしろマイナス)』になっているという、あまりにも悲しい現実だけがそこにはあった。
(……なんだか、急にひまりちゃんが可哀想になってきたな……)
心配されている梓ではなく、せっかく親心を発揮したのにボロクソに言われている不老不死の創設者に対して、直哉は深い同情を禁じ得なかった。
しかし、梓にそこまで言われたからといって、「そうですか、じゃあ勘違いみたいなので東京へ帰りますね」と引き下がるつもりは直哉にはなかった。
陽葵の普段の言動がどれほどいい加減に見えようと、彼女の未来視の能力そのものは本物だ。そして何より、実際にこうして直接顔を合わせて話してみると、目の前の梓という女性は、口調こそ独特だが裏表がなく、気さくでとても感じのいい人柄だと分かった。
こんな人が、誰にも頼れずに一人で神格と相討ちになって消えてしまうかもしれないというなら、なおさら放っておくわけにはいかない。
「……あの、梓さん」
「んー? まだ何かあるの?」
「ひまりちゃんの話が信用できないっていうのは分かりましたけど、とりあえず、しばらくこの神社の近くにいさせてもらってもいいですか?」
直哉が真剣な声で申し出ると、梓は目をパチクリとさせて、呆れたように直哉の顔を覗き込んだ。
「……は? いやいや、あんたさー、今のあーしの話、ちゃんと聞いてた?」
「はい、バッチリ聞いてましたよ」
「あーしはTier0.5の封印術者で、誰かに守ってもらう必要なんかこれっぽっちもないって言ったじゃない。それともあんた、あーしの腕が信用できないってわけ?」
「いえ、梓さんがとんでもなく強いのはよく分かります。ただ、もし万が一、本当にヤバい奴が来た時に、手数がもう一人分あった方が絶対に安全じゃないですか。俺もこう見えて、そこそこ戦える能力者なんで!」
直哉が笑顔で食い下がると、梓は頬杖をついたまま、じーっと直哉の顔を観察するように見つめた。
見ず知らずの男からの奇妙な申し出だ。普通なら追い返すところだろうが、直哉の身元が八咫烏によって保証されていることは確かだし、何より梓自身には「仮にこの男がどんな曲者だろうと、あーしの領域の中で暴れれば一瞬で縛り上げて封じられる」という絶対的な強者の余裕があった。
数秒間の沈黙の後、梓はふっと息を抜くと、あっけらかんとした調子で言った。
「んー……まあ、あんたがどうしてもって言うなら、別にいいけど?」
「えっ、本当ですか!?」
「うん。ウチの神社、見ての通りすっかり寂れてて参拝客もほとんど来ないしさー。先代たちが使ってた部屋がいっぱい余ってるのよ」
直哉が「部屋?」と首を傾げると、梓は何でもないことのように親指で奥の廊下を指した。
「そそ。今は誰も使ってない客間とか普通にあるし、近くの宿なんか探すのも面倒でしょ? しばらく、あーしの神社に住めばいいわよ」
「……えっ、ここに住んでいいんですか!?」
「いいわよ? 部屋が一つ埋まったところで、あーしは別に何も困んないし」
拍子抜けするほど、あまりにもあっさりとした許可だった。
(……えっ、二十代の一人暮らしの美女巫女さんの家に、三十四歳のおっさんがそんな簡単に居候しちゃっていいのか!?)
直哉の方が戸惑ってしまったが、当の梓はまったく気にした様子もなく、ケロッとした顔でお茶のお代わりを注いでいる。これほど警戒心がないのも、すべては『実効Tier0.5』という圧倒的な実力への自信があるからこそなのだろう。
せっかく相手の懐に飛び込める最高の環境を用意してもらえるのだ。断る理由などどこにもない。
「ありがとうございます! じゃあ、お言葉に甘えて、しばらくお世話になります!」
「はいはい、よろしくー」
こうして、青森到着からわずか三十分足らずで、直哉の神社駐在生活がトントン拍子に決定したのだった。
◆
「ほら、ここが一番庭の日当たりがいい客間。しばらく好きに使っていいわよ」
お茶を飲み終えた後、梓に案内されて廊下の奥の襖(ふすま)を開けると、そこには十畳ほどの広々とした和室があった。
畳は少し日焼けしているものの綺麗に掃除されており、縁側のガラス戸の向こうには、色づき始めた木々が並ぶ静かな裏庭が見える。押し入れを開ければ、清潔な布団も一式揃っていた。
「おお……! めちゃくちゃ広くていい部屋じゃないですか!」
「でしょ? 建物自体は古いけど、隙間風が入らないように手入れはしてあるから、普通に暮らせるわよ」
「本当に助かります。あ、もちろんタダで居候するつもりはないので、滞在中の宿代とか食費とかは、きっちり多めに出させてもらいますね」
直哉が財布事情に触れると、梓は「んー」と軽く手を振った。
「その辺の細かいお金は適当でいいわよ。あーし一人で食べる分を作るのも二人分作るのも手間は変わんないし、たまに麓のスーパーに行く時に、重たいお米とか食材を買ってきてくれりゃそれで十分助かるわ」
「分かりました! 買い出しでも力仕事でも、何でも言ってください!」
今の直哉には、八咫烏の業務で稼ぎ出した十分すぎる貯蓄がある。金銭面で相手に負担をかけずに済むのは、居候する側としても実に気が楽だった。
そこで、梓はふと、直哉が足元に置いた中型のボストンバッグ一つだけを見下ろして眉を上げた。
「で、ナオさん。しばらくここに住むって言ってる割に、荷物それだけなの?」
「あ、いや、これは今日とりあえず持ってきた最低限の着替えだけですね」
「ふーん。じゃあ、後から別の荷物が届くわけ?」
「はい! ここで長期滞在させてもらえるって決まったので、さっそく東京のマンションから色々送ろうと思ってます!」
「へえ、何を送るの? 警護用の特別な呪具とか武器?」
興味深そうに尋ねる梓に対し、直哉は一秒の迷いもなく、満面の笑みで即答した。
「まず、ゲーミングパソコン一式ですね!」
「…………パソコン?」
「はい! あと、デュアルモニター用の液晶ディスプレイ二枚と、メカニカルキーボードと、マウスと、ヘッドセットと、長時間座っても腰が痛くならない椅子も送ります!」
梓の整った顔から、スッと笑顔が消え、何かとても嫌な予感を察知したような微妙な表情へと変わった。
「……ねえ、あんた、一応確認するけど、ウチの神社に何しに来たんだっけ?」
「梓さんの警護ですよ?」
「…………」
「いや、だって、いつ神格が襲ってくるか分からない以上、ここに何週間も住み込みで待機するわけじゃないですか! だったら当然、部屋の中のゲーム環境も完璧に整えておかないと!」
「……ごめん、あーし頭悪くないはずなんだけど、今の理屈が全然意味分かんないんだけど」
氷のように冷めたジト目で睨んでくる梓に向かって、直哉は大真面目な顔で拳を握りしめた。
「いいですか、梓さん。俺はですね、毎日パソコンでゲームができないと死ぬ生き物なんですよ!」
「はあ!? じゃあその辺の野原で今すぐ死になさいよ!!」
もちろん、視界に直接投影される《因果集結クロニクル》はパソコンがなくてもいつでも起動できる。しかし、直哉にとっては、無職時代からずっと続けてきたPCでのオンラインゲームやFPSも、自分の人間性を保つために欠かすことのできない大切なライフワークなのだ。
大声でツッコミを入れた梓は、ガックリと肩を落として美しい黒髪を両手で抱えた。
「……ちょっと待って。あーし、もしかして八百の口車に乗せられて、なんかとんでもなく変なダメ男を家に泊めちゃった?」
「いやいや、失礼な! ごく普通の健全な趣味ですよ!」
「普通のまともな能力者は、人の神社に命懸けの警護で乗り込んできて、一番最初にゲーム用パソコンの配送手配なんかしないから!! 少しは緊張感持ちなさいよ!」
「ええー!? 普段からリラックスして万全のメンタルを保っておくのも、プロの護衛の基本だと思うんですけど!」
「屁理屈こねるんじゃないわよ!」
古い和室の中で、出会ってまだ一時間も経っていないとは思えないほど遠慮のないやり取りが繰り広げられる。
ひとしきり言い合いをした後、梓はふと別の現実的な疑問に気づいたらしく、腕を組んで直哉を見た。
「というかさ、ナオさん。あんた、そんなパソコンまで持ち込んで青森の神社にずーっと引きこもってて、本業の仕事はどうすんのよ? 八咫烏の登録能力者なんでしょ?」
「ああ、そこは全く問題ないですよ」
「なんで?」
「俺、分身できるんで!」
直哉は、先ほど霧島さんに説明したのと同じように、《並列集結》による自分の特殊な稼働状況を必要な範囲でかいつまんで説明した。
ゲームシステムの画面やガチャの仕組みまで事細かに話す必要はない。ただ、「自分の意識を共有したまま、別の身体を最大二つまで同時に離れた場所で動かせる能力がある」という事実だけを伝えた。
「だから、今も東京のマンションには俺の別の身体が二人残ってて、そっちで普段通りに八咫烏の仕事や依頼をこなしてるんですよ。なので、生身の俺がここでこうしていても、収入や仕事には全然困らないんです!」
説明を聞き終えた梓は、数秒間、目を丸くして直哉の顔をじっと見つめた。
「……ちょっと待って」
「はい?」
「それってつまり、あんたがここの客間で日がな一日ゴロゴロしながらパソコンでゲームしてても、東京にいる別のあんたが勝手にバリバリ働いてお金を稼いできてくれるってこと?」
「まあ、勝手にというか、東京で働いてるのも俺自身の意識なんですけど、外から見ればそういうことになりますね!」
「…………」
直哉が「どうです、めちゃくちゃ便利でしょう?」と誇らしげに胸を張ると、梓は先ほどまでとは違う、何とも言えない複雑極まりない表情を浮かべた。
「……なんか、ただの変なゲーム中毒の男かと思ったら、急に底知れない凄い奴を泊めた気がしてきたわ」
「いやー、それほどでも!」
「別に褒めてないわよ! そのすごい能力を、神社で引きこもってゲームするために使うなって言ってんの!」
呆れつつも、梓の口元には自然と苦笑いが浮かんでいた。
どれほど距離が離れていても、三つの身体を同時に自分の意識として動かし、東京で高度な業務をこなしながら青森で生活できる。その事実一つとっても、八百比丘尼がわざわざこの男を自分のもとへ送り込んできた理由の一端が、梓にも理解できたようだった。
その後、梓は「ま、住むなら一通り場所を覚えときなさい」と、社務所の中の台所や風呂場、洗濯機の場所などを案内してくれた。
古い建物ながら水回りは現代風にリフォームされており、給湯器も最新のものが入っている。光回線もしっかり通っていることが分かり、直哉は内心で小さくガッツポーズをした。
「ま、あーしも普段はこの広い神社にずーっと一人きりだしね。お茶飲みながら喋る相手が増えるくらいなら、別に歓迎するわよ」
廊下を歩きながら、梓がさらりと言った。
「そうなんですか? 他の神職の人とか、ご家族は?」
「みんなもう隠居して麓の別の家に住んでるか、外に出て働いてるわよ。こんな山奥の寂れた神社、普段は近所の年寄りが散歩のついでに手を合わせに来るくらいで、しょっちゅう人が来るわけでもないしね」
「なるほど……」
世界最高峰の封印術を受け継ぐ御巫家の巫女として、彼女はずっと一人でこの古い社と、そこにある何かを守り続けてきたのだろう。
梓はくるりと振り返ると、直哉の鼻先にビシッと人差し指を突きつけた。
「ただし! あーしの神社の仕事を邪魔したり、部屋をゴミ屋敷みたいに散らかしたりしたら、その瞬間に封印術で簀巻(すま)きにして山奥に放り投げるからね?」
「もちろんです! 掃除と片付けは得意なんで任せてください!」
「あと、夜中にヘッドセットつけて大声で叫びながらゲームするのも絶対にやめてよ? 近所迷惑だから!」
「……それに関しては、最大限の努力をします」
「そこは努力じゃなくて、絶対にしないって約束しなさいよ!」
ポンポンと小気味よく言葉を交わしながら、二人は最初の客間へと戻った。
梓が台所から新しく淹れ直した温かいほうじ茶の湯呑みを二つ持ってきて、直哉の前に一つをコトと置く。
「はい、お茶」
「あ、ありがとうございます」
「ま、いつまでいるのか知らないけど、しばらくよろしくね。ナオさん」
「こちらこそ。よろしくお願いします、梓さん」
直哉は両手で湯呑みを包み込み、香ばしい湯気を立てるお茶をゆっくりと口に含んだ。
開け放たれた障子の向こう、縁側のガラス越しには、青森の静かで澄み切った午後の景色が広がっている。風が吹くたびに裏庭の木々がさらさらと葉を揺らし、遠くで鳥の鳴く声が聞こえるばかりだ。
周囲に殺気立った暗殺者が潜んでいる気配もなければ、空が割れて恐ろしい神格が降臨してくるような不穏な兆候も、今のところはかけらも見当たらない。
ただ、少し寂れた古い神社と、そこで暮らす気さくな巫女さんが目の前にいるだけだ。
(……まあ、何かヤバいことが起きたら、それはその時に全力で対処すればいいよな)
直哉は、東京のマンションでさっそく自分のゲーミングPCの梱包作業に取り掛かっているエレノアの視界を意識の端で確認しながら、のんびりとそんなことを考えた。
(もしひまりちゃんの未来視がただの取り越し苦労で、このまま何事も起きずに平和に終わるなら、それはそれで梓さんにとっては一番いいことだし)
そして、一拍置いてから、三十四歳の男は心の中で本音を付け加えた。
(……ただ、せっかく青森まで来たんだから、大量のガチャ石がもらえるくらいのイベントは起きてほしいんだけどな!)
そんな直哉の俗物極まりない内心の葛藤など知る由もなく、向かいに座る最強の巫女さんは、茶菓子のお煎餅をパリッと軽快な音を立ててかじりながら、実にのどかに午後のひとときを過ごしていた。
こうして、森川直哉の奇妙な青森・神社居候生活が、静かに幕を開けたのであった。
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