俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
昨夜の十連ガチャから一夜明けた火曜日の朝。
時刻は午前八時台。
静かな実家の自室で、直哉は空中に展開された《因果集結クロニクル》のシステム画面を確認していた。
現在の編成状況。
『FORMATION 01』
『SLOT 1:★★★★ 東雲セナ Lv.20』
『SLOT 2:★★★★ 鳴海伊織 Lv.1』
『SLOT 3:EMPTY』
そして、右上の所持資源リスト。
『因果晶:0』
『《育成記録・初級》×12』
『クレジット:15,000』
昨夜のガチャで石は綺麗にゼロへと戻った。
今日これから午前中に、八咫烏の専門施設へ向かい、鳴海伊織の長距離射撃の適性確認テストを受ける予定になっている。
直哉は姿見の前に立ち、編成画面の二人目のキャラクターを選択した。
『【CHARACTER CHANGE】』
青白い粒子の発光と共に、空間の揺らぎが彼の体を包み込む。
視界の高さがグンと引き上げられ、手足が伸び、身体の重心が静かに足の裏へと落ち着いていく。
昨日初めてこの姿になったばかりだというのに、直哉の意識はすでに、この肉体がどういう方向へ特化しているのかを理解し始めていた。
(昨日まで仕事に行く時は、セナの姿だったのにな)
今日は、まったく別の女性の姿で外へ出る。
その状況の変化自体が、少し面白く感じられた。
直哉は鏡に向かって、出発の確認をした。
(忘れ物はないな。じゃあ行くか)
だが、口から発せられた音声は、落ち着いた大人の女性の響きに変換された。
「忘れ物は……ないね。じゃあ行こうか」
長銃はまだ実体化させない。
フィールドジャケットの襟を少し整え、直哉は自室のドアを開けた。
◆
午前九時半。
直哉が案内されたのは、以前能力の総合検査を受けた八咫烏の施設内にある、遠距離攻撃確認用の特殊試験区画だった。
今日の目的は、前のような半日がかりの総合的な限界測定ではない。
あくまで、この能力者を遠距離射撃員として現場の仕事へ出して問題ないかを短時間で確認するための、実務的な簡易適性テストだ。
試験場は縦に極端に長い構造になっていた。
射線距離は数百メートル以上。壁には厚い防壁と吸音材が敷き詰められ、奥には複雑に動く移動標的が設置されている。手前には着弾の威力を測る計測器や、屋内の気流を操作して横風を再現する大型の空調設備まで備えられていた。
待機していたのは、以前と同じく作業服に身を包んだ技術員の岸本だった。
霧島は事務担当なので、今日は必要な手続きを済ませただけで立ち会っていない。
岸本は、伊織の姿でやってきた直哉の全身をしばらく観察し、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……本当に別人ですね」
伊織の口から、淡々とした声が返る。
「私も最初はそう思ったよ」
直哉は内心で付け加える。
(中身は昨日と同じ俺なんだけどな)
岸本はタブレットにチェックを入れた。
「では、早速ですが武装の実体化をお願いします」
直哉は右手を伸ばし、青白い粒子から『★★★《制式突撃銃・二式》』を空間に呼び出した。
黒く無骨な長銃が実体化する。
岸本は銃の外観と質量データをセンサーで確認し、頷いた。
「以前、東雲さんの《制式霊装刀・四式》の出現は確認していますので、武装の生成と格納については既知の現象として扱います。本日は、この銃器を森川さんがどう扱えるかの確認が中心です」
岸本は顔を上げた。
「念のため伺いますが、森川さんご本人として、現実での実銃射撃経験は?」
「ないよ。ただの一度も」
「昨日、このお姿になってから屋外などで試射はされましたか?」
「家の中じゃ撃てないからね。鏡の前で構えただけ」
岸本は少しだけ目を見開いた。
「……つまり、銃を実際に撃つのは今日が初めてということですね」
「そういうことになるね」
最初のテストが始まった。
距離は百メートル。
固定標的。
「最初は能力によるスキルを一切使用しないでください。《零点規正》も禁止です。鳴海伊織さんという肉体そのものの、基礎的な射撃技能だけを測定します」
「了解」
直哉は指定されたラインに立ち、長銃を静かに構えた。
その瞬間だった。
重いはずのライフルのストックが、右肩の最適な位置へ自然に収まる。
頬を添える位置。
スコープを覗く利き目の焦点。
呼吸。
引き金へ添えた人差し指。
すべてが、意識して一つずつ確認するより先に、身体の側で決定されていた。
(やっぱり、身体が全部知ってる)
直哉は迷いなく引き金を引いた。
重い発砲音。
反動を受け流し、そのまま続けて数発。
岸本がモニターに表示された着弾データを見て、しばらく黙った。
弾痕は標的の中央、狭い範囲へ綺麗に集中している。
「……次は距離を二百メートルへ引き上げます。同じく能力なしでお願いします」
二百メートル。
同じように射撃する。
結果はほとんど変わらない。
岸本はモニターから顔を上げた。
「……森川さん、本当に射撃経験ゼロなんですよね?」
「ゼロだよ」
「その見た目と口調での受け答えにも、だいぶ慣れてきました」
直哉は内心で深く同意した。
(俺もだよ)
次は、横方向へランダムに動く移動標的。
まだスキルは使用しない。
標的が左右へ不規則な速度で動き出す。
伊織の肉体は、ただ現在の標的を追いかけるのではない。
対象の移動速度。
弾丸が到達するまでの時間。
その二つが交差する場所へ、銃口が自然に先回りする。
偏差。
速度。
移動方向。
引き金を引くタイミング。
発砲。
一発で移動標的の中心を撃ち抜いた。
これではっきりした。
能力《弾道収束》による因果補正へ頼る以前に、鳴海伊織という人物の身体そのものが、極めて優秀な射手として完成されている。
セナがスキルを使わなくても高水準の近接戦闘技術を持っていたのと同じだ。
岸本が感心したように言う。
「単純な筋力や瞬発力は、東雲さんほど突出していないようです。ただ……射撃に必要な姿勢制御や動体視力、微細な身体操作の精度に限れば、こちらのお姿の方が明確に上ですね」
直哉自身も、その差を肌で感じていた。
セナの時は、足場を見る。踏み込む。避ける。斬る。走る。
動くことが戦闘の中心だった。
伊織は違う。
止まる。
測る。
狙う。
撃つ。
静止することで、世界が驚くほど細かく見える。
同じ★4。
同じ現地登録Tier3。
それでも、二人は戦闘に必要とする身体の方向性がまるで違う。
(これ、新しいキャラが増えるたびに、戦い方も世界の見方も変わるのか)
手間というより、直哉にとっては純粋に面白い。
違うキャラクターを引けば、違う操作感が待っている。
基礎技能の確認が終わり、いよいよ能力込みの試験に移る。
「では、能力を使用してください」
「分かった」
直哉は前方の標的を見据え、スキル1を意識した。
《零点規正》。
直哉の視界にだけ、緑色の文字列が浮かび上がる。
『《照準標》付与』
『残り時間:12.0秒』
同時に、自身の状態欄も点灯する。
『《観測姿勢》』
『残り時間:6.0秒』
監視室の因果反応計測器が反応を示した。
岸本たちには因果律改変反応そのものは観測できても、直哉が見ているゲーム的なマーカーは見えない。
「今、私にだけ見える《照準標》っていう表示が、あの標的についてる」
「了解しました。こちらでは因果反応の発生だけを確認しています」
試験設備が横風を発生させる。
普通なら弾道が明確にずれる程度の風。
直哉は銃を構えた。
撃つ。
標的中央へ命中。
さらに岸本が風速を細かく変化させる。
再び射撃。
命中。
もう一発。
やはり命中する。
しかし、高速度カメラに映っていた弾道は、弾丸が空中で大きく曲がって標的を追いかけるようなものではなかった。
岸本が計測値を分析する。
「……弾体そのものを念動力で誘導しているというより、風や空気抵抗などで本来発生するはずだった弾道誤差を、因果側から極端に小さくしているように見えますね」
直哉は、昨夜プロフィールで確認した伊織本人のボイスを思い出す。
「たぶん、その言い方の方が近いかな」
『当てられる一発を、もっと当たりやすくしているだけ』
必中する魔法弾を撃ち出しているわけではない。
自分が本来成立させられる射撃の精度を、能力によってさらに押し上げている。
直哉も、自分が扱える新しい能力の輪郭を少しだけ掴んだ。
なら、逆にどこから不可能になるのか。
岸本は次の試験を指示した。
「標的から、わざと大きく銃口を外して撃ってみてください」
直哉は標的から大きく横へ銃口を向ける。
《照準標》は標的についている。
発砲。
弾丸はあっさりと、銃口の先にあった試験用の壁へ突き刺さった。
「やっぱり駄目だね」
「標的指定さえすれば、どの方向へ撃っても勝手に命中するわけではない、と」
次は、標的の正面へ厚い防弾障壁を設置する。
発砲。
弾丸は防弾壁へぶつかり、そのまま止まった。
障壁を迂回することも、あり得ない角度で曲がり込むこともない。
これでさらに明確になった。
物理的に成立し得る射撃の範囲で、命中側へ誤差を収束させる。
存在しない射線をゼロから作る万能能力ではない。
(よかった。目を瞑って適当に撃っても全部当たるような大味な能力じゃない)
直哉はむしろ安心した。
(ちゃんと自分で狙って、射線を通して、その上で強いんだ)
できないことが分かった方が、実戦でどう使えばいいのか考えやすい。
最後は《観測値》の確認。
試験標的の中央に、小さな弱点判定用のマークを設定してもらう。
《零点規正》。
『《照準標》』
通常攻撃。
第一射。
命中。
まだ変化なし。
第二射。
命中。
『《観測値》1』
第三射。
『《観測値》2』
次に《精密射撃》。
スコープを覗き込み、中央の弱点へ照準。
発砲。
命中。
『《観測値》3』
さらに《観測姿勢》中の弱点命中による追加獲得。
『《観測値》4』
『《射線確定》』
(おお、出た!)
直哉は岸本へ確認する。
「次、溜まった《観測値》を使って強化射撃を使うよ」
「お願いします。センサー感度を上げます」
スキル2。
《偏差収束》。
伊織の口から、短い戦闘ボイスが出る。
「誤差修正――撃つ」
発砲。
炎も爆発もない。
ただ一発の弾丸。
しかし試験用標的の中央には、先ほどまでより明らかに深い損傷が残った。
岸本が数値を確認する。
「……同じ武装から撃っていますよね?」
「そうだね」
武装そのものが別物へ変化したわけではない。
同じ銃から放たれた一発が、より有効な形で標的へ結果を通している。
伊織の能力らしい強化だった。
「最大出力に当たる技もありますか?」
「あるよ。今のよりかなり強いと思う」
EX《遠景・終端射撃》。
さらに《射線確定》状態で使用すれば、《遠景・終端射撃――確定》へ変化する。
ただ、今日は遠距離射撃員としての簡易適性確認だ。
最大火力を測る試験ではない。
岸本は手元の端末を閉じた。
「では、今日はここまでにしましょう。射撃適性の確認には十分です」
「了解」
(よし。EXは実際の広い場所で試せるな)
試験を終えると、直哉のスマートフォンに入っている八咫烏の業務アプリへ通知が届いた。
『【登録情報更新】』
『業務適性が追加されました』
『遠距離戦闘/射撃』
現在の直哉のプロフィール。
『近接戦闘/前衛』
『遠距離戦闘/射撃』
直哉はスマートフォンを眺めて頷いた。
(増えた)
キャラクターを引く。
その能力を確認する。
仕事で使える適性が増える。
ゲームで新しいクラスやスキルツリーを開放していくようで、かなり楽しい。
まだ午前十一時前。
直哉は施設の待合スペースに座り、そのまま能力者向け求人アプリを開いた。
昨日までは条件不足だった射撃枠の仕事が、今なら応募可能になっている。
(今日の午後から入れるやつ、あるかな)
一覧をスクロールする。
そして、一つの案件で止まった。
『【管理山林・異界性生物個体数調整】』
『案件番号:TK-FS-0284』
『業務区分:異界性生物・個体数管理』
『業務地域:東京都西部・特別管理山林』
『業務形態:単独』
『受注条件:登録Tier3以上』
『必要適性:遠距離戦闘/射撃』
『現場経験:不問』
『想定拘束時間:約4時間』
『対象:灰甲猪(はいこうちょ)・成獣』
『指定処理数:3頭』
『業務内容:指定管理区画内に定着・繁殖した異界性生物の個体数調整』
『除外対象:幼体/識別標識付き観測個体』
『報酬:70,000円』
『備考:管理区域内での単独行動/入口管理所で最新観測情報を受領/緊急離脱ビーコン貸与』
(これだな)
直哉はそのまま応募した。
数分後。
『応募を受理しました』
さらに待つ。
『受注確定』
『集合時刻:本日 13:30』
『集合場所:西多摩第二特殊生態管理所』
「時間的にもちょうどいいね」
(新キャラ引いた翌日に、そのキャラ向けの仕事までできるの、かなり楽しいな)
登録Tier3。
必要適性も取得済み。
正式な単独案件。
なら、あとは自分で行って仕事をすればいい。
直哉は施設を出て、近くのカフェで昼食を済ませることにした。
メニューを見ながら、昨夜読んだ伊織のプロフィールを思い出す。
(そういや、伊織って塩気の強いサンドイッチが好きなんだっけ)
少し迷ってから、サンドイッチを選んだ。
(せっかくだし、今日はこれでいいか)
別に伊織の好みが直哉の思考へ流れ込んできたわけではない。
単に、自分が今その姿になっていることを面白がっているだけだった。
◆
午後一時二十分。
直哉は電車とバスを乗り継ぎ、東京都西部の山林入口に建つ『西多摩第二特殊生態管理所』へ到着した。
表向きには林業や野生動物管理の施設にしか見えない小さな建物だ。
その奥のフェンスから先が、秘密側で管理されている区域になる。
受付には中年の職員がいた。
ただし、現場へ同行する担当者ではない。
直哉はスマートフォンの業務用コードを提示した。
担当者が画面上の《ナオ》という登録名と、目の前に立つ伊織姿の直哉を確認する。
「ナオさんですね。本日は射撃枠での単独業務、対象三頭の処理をお願いします」
「了解。エリアの最新情報をお願い」
《因果集結クロニクル》は、この仕事について何も教えてくれない。
対象の位置も、目的地も、敵マーカーも表示されない。
管理員から渡されるのは、現実に集められた情報だけだ。
『通常地形図』
『立入可能区画』
『射撃禁止方向』
『管理区域境界』
『昨日夕方の最終目撃地点』
『今朝の固定センサー反応ログ』
『対象個体の特徴および習性』
『識別標識付き観測個体の資料』
『緊急離脱ビーコン』
「今朝六時台のセンサーで、東側の水場付近に二頭の反応がありました。また、かなり大型の個体一頭が北側斜面で昨日夕方に確認されています。ただ、すでに移動している可能性が高いので、位置は現地で確認してください」
「分かった。探してみるよ」
直哉は資料へ目を落とす。
対象は『灰甲猪』。
異界由来の大型生物で、見た目は巨大な猪に近い。
成獣になると三百から五百キロ前後。
肩から頭部にかけて、灰色の硬い甲殻を形成する。
ちなみに『灰甲猪』という呼び名は、生物学上の厳密な種名ではない。
灰色の甲殻を持つ猪型だから灰甲猪。
異界由来の生物は分類そのものが確定していないものも多く、管理現場では外見や性質をそのまま組み合わせた、身も蓋もない管理名称が使われることが珍しくないらしい。
脚力が強く、異界側の植物だけでなく現実側の植生も食べる。
管理区域を抜けて農地や一般山林へ出れば、被害も大きい。
怪異ではなく、生物として繁殖する異界由来の動物。
完全駆除ではなく、増えすぎないよう定期的に頭数を調整するのが今回の仕事だった。
説明を確認し終えた直哉は、単身でフェンスのゲートを越えた。
「……本当に一人だね」
前の青灰回廊では、ハル、シオリ、レンがいた。
前衛として仲間の位置を意識しながら戦えばよかった。
今日は違う。
対象を探す。
撃っていい個体か確認する。
射線を判断する。
処理する。
全部自分一人だ。
責任はある。
だが、会社員時代に理不尽な仕事を丸投げされる時の重さとは違う。
やるべきことが明確だ。
範囲も決まっている。
危険なら撤退する手段も用意されている。
(こういう一人仕事なら、意外と俺に合ってるかもな)
直哉は管理区域へ入り、周囲に一般人がいないことを確認してから長銃を実体化させた。
森の中を歩く。
数十分。
木々。
斜面。
落ち葉。
当然ながら、敵の頭上に赤いマーカーなど出てこない。
直哉は周囲を見回した。
(……で、猪どこだよ)
伊織は射撃の専門家だ。
だからといって、獣の足跡を追う猟師の技術まで自動的に持っているわけではない。
《因クロ》も助けてくれない。
昨日の目撃地点。
水場。
踏み固められた獣道。
開けた斜面。
一つずつ、自分の足で確認していく。
さらに一時間ほど経った頃。
少し開けた尾根へ出た直哉は、長銃の光学照準器を覗き込んだ。
万能な索敵能力はない。
だが、伊織の遠距離視認能力と射撃技能は、人間として明らかに高水準だった。
レンズの先。
木々の間。
灰色の硬い背中が動いた。
(いた)
ゲームUIが距離を表示してくれるわけではない。
しかし、伊織の技能によってスコープの目盛りや地形から距離を見積もれる。
およそ二百四十メートル。
資料と照合。
十分な大きさの成獣。
識別標識なし。
一頭目。
直哉は息を潜めた。
ここからが、伊織の身体で戦う面白さだった。
セナなら、敵との間合い、足場、踏み込み、回避方向へ自然に意識が向かう。
今は違う。
枝の揺れ。
風。
斜面の角度。
射角。
対象の移動速度。
手前の遮蔽物。
どこからなら一発を通せるか。
そういう情報が、自然に視界へ入ってくる。
(キャラが変わると、見る場所まで変わるんだな……)
人格は直哉のまま。
ただ、身体に染みついた技能が、注意を向けるべき場所を教えてくれる。
直哉は地面へ伏せた。
《零点規正》。
『《照準標》付与』
『《観測姿勢》開始』
通常攻撃。
第一射。
肩部へ命中。
だが、甲殻に阻まれ浅い傷しか入らない。
灰甲猪が驚いて振り返った。
(やっぱり硬い)
第二射。
『《観測値》1』
第三射。
『《観測値》2』
危険を察知した灰甲猪が走り始める。
直哉は伊織の身体に任せ、その動きへ滑らかに銃口を合わせる。
呼吸。
照準。
首と肩の境界。
甲殻の継ぎ目。
《精密射撃》。
命中。
『《観測値》3』
さらに《観測姿勢》中の弱点命中。
『《観測値》4』
『《射線確定》』
(よし)
伊織の口が静かに告げる。
「射線確定。これは外さない」
《偏差収束》。
発砲。
硬い肩甲殻そのものを無理に撃ち抜いたわけではない。
甲殻の薄い継ぎ目。
そこへ最も有効な一発が通る。
灰甲猪が短い声を上げ、斜面へ倒れた。
一頭目。
完了。
周囲には誰もいない。
直哉が口に出そうとした達成感は、伊織の発話へ変換される。
「……うん。ちゃんと通るね」
内心は全然違う。
(すっげええええ!!)
セナの高速戦闘とはまるで違う。
環境を見て、条件を整え、最後に一発を通す。
(こっちはこっちで、めちゃくちゃ気持ちいいな)
だが、仕事なので倒して終わりではない。
直哉はスマートフォンの業務アプリを開く。
処理位置。
推定サイズ。
成獣確認。
識別標識なし。
処理完了。
入力。
倒れた個体もスマートフォンのカメラで撮影する。
《因クロ》の本人にしか見えないUIではなく、目の前に実在する対象を撮っているだけなので、当然こちらは普通の写真として記録できる。
「よし。次へ行こうか」
一頭目の射撃音で他個体が移動した可能性を考え、直哉は水場方面へ進んだ。
十数分後。
今度は遠い斜面を移動している灰甲猪を発見する。
距離は約三百メートル。
二頭目。
一頭目より条件が悪い。
標的は動いており、途中に木々もある。
射線が通る時間が短い。
直哉は午前中の試験を思い出す。
《零点規正》。
伊織の身体が、対象の速度、距離、風を読む。
弾丸が到達する瞬間に相手がいる位置へ、少し先回りして照準する。
発砲。
弾丸が勝手に標的を追い回すわけではない。
伊織自身が成立させた偏差射撃に対して、能力が最後の誤差を潰す。
命中。
もう一発。
命中。
二頭目になると、直哉も伊織の操作へかなり慣れてきた。
移動が一瞬止まったところで《精密射撃》。
観測値を溜める。
《偏差収束》。
処理。
二頭目の業務記録を入力しながら、直哉は満足していた。
(理屈が分かってくると、めちゃくちゃ気持ちいいな、これ)
新しいキャラクターを引き、その戦い方を覚えていく。
ゲーム好きとしてはかなり楽しい。
さらに、ここまでの射撃で視界のEXゲージも上がっていた。
『EX ENERGY:82 / 100』
(もう少しでEXも使えるな)
午前中は簡易試験だったので使用しなかった最大技。
この管理区域なら試せる可能性がある。
残り一頭。
資料では、北側斜面で大型の成獣が確認されていた。
直哉はそちらへ向かう。
一人で山道を歩くこと一時間。
さすがに足へ少し疲労が溜まってきた。
(こういうアップダウンなら、セナの方が楽だな)
伊織が弱いわけではない。
ただ、移動性能では明確にセナの方が向いている。
だからといって、移動するためだけにいちいち切り替えるほどでもない。
直哉はそのまま北側斜面を目指した。
そして、標的を見つける。
資料にあった通り、他の二頭より一回り大きい。
推定五百キロ級。
大型の雄。
特別な異常個体というわけではない。
管理側でも把握されていた、普通に大きな成獣だ。
距離、およそ三百八十メートル。
(でかいな……。でも仕事の対象なのは同じだ)
直哉は遠距離から先制する。
《零点規正》。
通常射撃。
観測値。
《精密射撃》。
『《観測値》4』
『《射線確定》』
《偏差収束》。
発砲。
首筋へ強化された一撃が通る。
直哉は、これで倒れると思った。
しかし。
大型の灰甲猪は倒れなかった。
(……え?)
一頭目と二頭目は、同じように最大まで《観測値》を溜めて《偏差収束》を通せば処理できた。
今回も《射線確定》状態だった。
それでも結果が違う。
(体格差か? それとも、俺が思ってるより着弾位置が微妙に違った?)
UIには《偏差収束》の最大時効果として、与ダメージ+110%と表示されている。
だが、現実の生き物はゲームの敵キャラクターではない。
同じ攻撃を当てれば必ず同じ結果になるわけでもない。
(……そうか。ダメージが増えるのと、必ず死ぬのは全然別の話だよな)
能力が一発を強化しても、その結果として対象がどうなるかまでは別だ。
この違いは後でメモしておこう。
そんなことを考えている間に、傷を負った大型個体が暴れ始めた。
こちらを向く。
そして、突進。
(え、嘘だろ、こっち来るの!?)
普通の猪より明らかに速い。
しかも相手は下り斜面。
三百八十メートルあった距離が一気に縮む。
直哉は伊織の姿のまま後退しながら射撃する。
三百五十。
三百。
木々が間へ入る。
能力があっても、太い幹を無視して撃つことはできない。
二百五十。
二百。
伊織の口から、短い声が漏れる。
「近いな……」
直哉の内心はもっと騒がしい。
(いやいやいや! 伊織で正面から付き合う距離じゃないだろ!)
そこで、昨夜試した機能を思い出す。
現在の表示。
『《照準標》残り:8.4秒』
『《観測値》2』
(試すなら今だ!)
『SWITCH:東雲セナ』
実行。
周囲に人はいない。
青白い閃光。
鳴海伊織の長身から、東雲セナの身体へ一瞬で切り替わる。
視点が下がる。
重心が変わる。
身体が軽い。
セナの声が山林へ響いた。
「よし、ここからは私の距離!」
(これだ、これ!!)
同時に、右下では切替待機時間が始まる。
『CHARACTER SWITCH』
『3.0』
『2.9』
『2.8』……
巨大な灰甲猪は、もうかなり近い。
(自室で見た三秒と長さが違いすぎる!)
突進。
《瞬雷》。
雷光と共に正面から横へ抜ける。
『《励起》5.0秒』
そのまま斬撃。
硬い正面甲殻へ無駄に打ち込まず、脚、脇、腹側を狙う。
灰甲猪が方向を変え、牙を振るう。
(来る)
《流光歩》。
タイミングが噛み合う。
『《極限回避》成立』
次の通常攻撃が《反雷》へ変化。
背後へ抜け、斬撃。
『《電位》+1』
伊織からセナへ変わった直後なのに、操作へ戸惑うことはない。
身体が変われば、必要な戦闘技能も一緒に切り替わる。
(このままセナで倒すこともできそうだな)
だが、そこで直哉は考え直す。
せっかく二人いる。
今回はキャラクタースイッチが実戦でどう使えるかも試したい。
直哉は大型個体の後脚へ狙いを変えた。
《瞬雷》。
踏み込み。
関節付近へ斬撃を通す。
大型の灰甲猪が大きく体勢を崩した。
動けなくなったわけではない。
だが、先ほどのような勢いで突進することは難しそうだ。
直哉は距離を取る。
UIが点灯。
『CHARACTER SWITCH READY』
(戻れる!)
再び切り替える。
青白い光。
セナから伊織へ。
身体が伸び、重心が落ち着く。
長銃を構える。
直哉はすぐに状態表示を見た。
交代直前は、
『《照準標》残り:8.4秒』
だった。
現在。
『《照準標》残り:3.1秒』
(やっぱり減ってる)
控えへ回っている間も、時間制効果のカウントは進む。
一方。
『《観測値》2』
こちらは残っていた。
《照準標》自体がまだ消えていないから、《観測値》も保持されている。
(スタックは残る。でも時間は止まらない)
さらに《零点規正》のクールダウンも、控えにいる間に進んでいる。
交代中の仕様がいくつか見えてきた。
控え中もスキルCDは進む。
時間制効果も進む。
そして《照準標》が維持されている限り、それに紐づく《観測値》も残る。
ただし、今は整理している場合ではない。
《照準標》の残りは約三秒。
(間に合わせる!)
セナが後脚を傷つけたことで、大型個体の動きが鈍っている。
伊織のスコープが首筋を捉える。
《精密射撃》。
弱点へ命中。
『《観測値》3』
《観測姿勢》はすでに時間切れ。
追加獲得はない。
あと一つ。
だが、《照準標》も残りわずか。
直哉は通常射撃の第二射を滑り込ませる。
命中。
『《観測値》4』
『《射線確定》』
(間に合った!)
さらに。
『EX ENERGY:100 / 100』
(来た)
午前中の試験では使用しなかった最大技。
周囲は管理区域。
対象は業務対象の異界性生物。
後方射線も確認する。
問題なし。
直哉は長銃を構える。
呼吸。
風。
距離。
崩れた相手の姿勢。
甲殻の隙間。
すべてが一つの射線へ重なる。
伊織の口から声が出る。
「観測完了。誤差ゼロ――その一点だけでいい。《遠景・終端射撃――確定》」
発砲。
大爆発はない。
閃光が山を薙ぎ払うこともない。
ただの一発。
だが、その一発は首の付け根、甲殻の隙間へ深く通った。
大型の身体が大きく揺れる。
数歩よろめく。
そして地面へ倒れた。
森に静けさが戻る。
直哉は銃を下ろした。
伊織の口から出たのは短い一言だった。
「……終了」
直哉の内心には、遅れて達成感が押し寄せた。
(できた……!)
伊織で遠距離戦。
距離を詰められたらセナへ。
セナで突進を止め、再び伊織へ戻る。
そして遠距離技で仕留める。
二人編成が、初めて現実の戦闘として機能した。
まだ「完璧に使いこなした」なんて言える段階ではない。
それでも、一人しかいなかった時にはできなかった戦い方が、確かにできるようになっている。
仕事中なので、長く余韻には浸らない。
直哉はスマートフォンの自分用メモ帳へ、今分かったことを簡単に打ち込んだ。
『スイッチ検証』
『切替待機:3秒』
『控え中もスキルCD進行』
『控え中も時間制効果のタイマー進行』
『《照準標》維持中は《観測値》保持』
『《照準標》消失時は《観測値》消失』
さらに一行。
『同一スキル・同一最大スタックでも、対象によって結果差あり』
『ダメージ倍率=撃破保証ではない』
まだ分からないことも残っている。
『HP0時の挙動:未確認』
『EXエネルギー:個別/共有 未確認』
今後試すことは、まだいくらでもある。
三頭目の業務処理へ移る。
GPS位置。
大型雄。
識別標識なし。
推定サイズ。
写真。
必要情報をすべて送信する。
「これで三頭。仕事は終わりだね」
直哉は山を下り、管理所へ戻った。
◆
夕方。
西多摩第二特殊生態管理所。
受付へ戻った直哉は、業務終了を報告した。
「お帰りなさい、ナオさん。三頭分の処理記録、こちらでも確認できています」
「うん。北側の一頭だけ、かなり大きかったよ」
「大型雄ですね。生態記録へ反映しておきます。お疲れさまでした」
それだけだった。
別に、大型個体を一人で処理したからといって英雄扱いされるわけではない。
Tier3向けに発注された仕事を、登録Tier3の能力者が仕様通りに完遂した。
ただそれだけ。
そのドライさも、直哉には心地よかった。
管理所を出てバス停へ向かう途中、スマートフォンへ業務完了通知が届く。
『【業務完了】』
『実働時間:3時間47分』
『指定処理数:3 / 3』
『除外個体誤射:0』
『管理区域外逸脱:なし』
『事故報告:なし』
『報酬:70,000円』
『支払処理:確定(明日付振込)』
(七万円……)
昨日の異界踏査は八万円。
今日が七万円。
能力者として受けた二件の仕事だけで、十五万円。
十一ヶ月近くまともな収入がなかった直哉にとっては、かなり大きい。
(会社員時代と違って、一件ごとの終わりがハッキリしてるんだよな)
仕事が終われば、その案件についての今日の責任も終わる。
家へ持ち帰る残業もない。
夜中に上司から別件を投げ込まれることもない。
少なくとも、今のところは直哉の性格にかなり合っている。
バス停で一人になり、時刻表を確認していた時だった。
視界の端へ、金色の通知が現れた。
『【因果変動記録】』
直哉の意識が一気にそちらへ向く。
『外部因果への有意な干渉を確認しました』
『集結者の介入によって成立結果が変動しました』
『活動記録を更新します』
『評価処理完了』
『活動報酬を獲得しました』
『《育成記録・初級》×10』
『《クレジット》×12,000』
そして。
『《因果晶》×1,600』
直哉の内心で歓声が上がった。
(よっしゃあああああ!!)
しかし、実際に口から出るのは伊織の落ち着いた声。
「……十連分。また出たね」
自分でも、その温度差が少しおかしかった。
(二件続けて千六百……)
昨日の青灰回廊の定期踏査。
今日の山林での個体数調整。
仕事内容はまるで違う。
共通しているのは、直哉が現実の出来事へ介入し、放置していれば別の形になった結果を変えたこと。
ただ、それだけで「仕事なら必ず千六百石」と断定するのは早い。
コンビニ強盗を止めた時には、因果晶は一つも出なかった。
何を見て評価しているのかは、まだ分からない。
(でも少なくとも、昨日の千六百が一回だけの特別ボーナスじゃなかったのは大きい)
視界の所持資源。
『因果晶:1,600』
また十連できる。
ガチャ画面。
『10回集結:因果晶×1,600』
昨夜なら、ほとんど迷わず押していただろう。
だが、今日は状況が違う。
現在の編成には、セナと伊織がいる。
近距離。
遠距離。
二人だけでも、今日の単独仕事をこなせた。
今すぐ三人目がいないと困る状態ではない。
さらに、現在の育成資源。
『《育成記録・初級》×22』
『クレジット:27,000』
これだけあれば、帰宅してから伊織をLv20まで育成できる。
まずは今いる二人を整えるという選択肢もある。
限定バナーを見る。
『開催期間残り:11日と06時間』
『★5キャラクター確定まで:70回以内』
天井まで残り七十回。
必要な因果晶は十一万――ではない。
直哉は一瞬頭の中で計算し直す。
(一回百六十。七十回だから、一万一千二百)
現在、千六百持っている。
追加で必要なのは九千六百。
十連六回分。
(あと六回分……)
毎回千六百出る保証はない。
そもそも毎日、自分にちょうどいい仕事がある保証もない。
それでも、目標までの距離はかなり具体的になった。
提供一覧を見る。
限定ピックアップ以外のキャラクターは、今後ほかのバナーを引いた時にもすり抜けてくる可能性がある。
★4以上のキャラクターが確定する十連なら、その保証枠から来る可能性もある。
なら、今すぐ何が何でも三人目を増やす必要はない。
「恒常キャラなら、そのうちすり抜けてくるかもしれないしね……」
十連ボタンへ向かいかけた意識を、直哉は止めた。
「……今回は、貯めるか」
『因果晶:1,600』
数字は減らない。
石を手に入れたからといって、その場ですぐガチャを回す必要はない。
回す。
貯める。
天井を狙う。
別のバナーを待つ。
《因クロ》の仕組みが分かってきたからこそ、使い道を自分で選べる。
直哉は編成画面を開いた。
『FORMATION 01』
『SLOT 1:★★★★ 東雲セナ Lv.20』
『SLOT 2:★★★★ 鳴海伊織 Lv.1』
『SLOT 3:EMPTY』
三枠目はまだ空いている。
だが昨日までとは、その空欄の見え方も少し変わった。
今日、この二人だけで仕事を完遂できた。
二人を切り替えて戦う方法も、一度は実戦で成立した。
直哉はスマートフォンの自分用メモへ、本日の収支も追記する。
『能力者業務報酬:70,000円』
『因果晶:1,600』
『育成記録・初級:10』
『クレジット:12,000』
『※仕事報酬との因果関係は依然未確定』
最後の一行は忘れない。
石が欲しいからといって、都合のいい法則を勝手に作るわけにはいかない。
(現金も入って、新しいキャラの戦い方も覚えて、石まで貯まる……)
直哉は少し考えた。
(……俺、会社辞めて十一ヶ月近く経って、今が一番ちゃんと働いてないか?)
妙な状況がおかしくなって、少し笑う。
限定バナーの残り時間は、今も減り続けている。
『開催期間残り:11日と06時間』
十連ボタンは青く光っている。
押そうと思えば、今すぐ押せる。
でも押さない。
代わりに、直哉はスマートフォンの能力者向け求人アプリを開いた。
異界。
怪異。
護衛。
調査。
回収。
様々な仕事が並んでいる。
やがて到着したバスへ乗り込み、直哉は窓際の座席へ腰を下ろした。
夕暮れの山道をバスが走り出す。
「天井まで、あと六回分か……」
伊織の落ち着いた声が、ほんの少しだけ弾んだ。
直哉は求人一覧をスクロールする。
「さて。明日は、何の仕事をやってみようかな」
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