俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
青森の山あいにある御巫神社へ居候を始めてから、三日目の夕方。
東京都内にある八咫烏の地下施設――壁一面に大型モニターが並び、数多くの通信機材が稼働するオペレーションルームにて、御影千里の姿をとる直哉は本日の広域観測支援業務を終えたところだった。
この日の業務は、事前にリストアップされた国内各地の要注意地点の定期確認と、未登録能力者の反応精査の補助だ。千里の《天眼》がいかに規格外の観測範囲を誇っていようとも、彼女一人で八咫烏のすべての業務が完結するわけではない。千里が遠隔観測によって拾い上げた視覚情報を、周囲の専門職員たちがリアルタイムで記録・分析し、各地方支部や関係機関へと割り振っていくことで初めて組織としての仕事が成立する。
直哉はコンソール端末のログ出力を完了させると、周囲の職員たちへ向かって静かに席を立った。
「本日の予定分は以上ですね。お先に失礼いたします」
すると、記録整理を行っていた男性職員の一人が、少しだけ気遣うような表情で立ち上がった。
「御影さん、本日もお疲れ様でした。よろしければ、ご自宅の近くまで専用の車両でお送りしましょうか?」
八咫烏にとって、日本全国の一次確認を数時間で処理できる千里の能力は文字通り代替の利かない戦略資源だ。その安全を案じての申し出だったが、千里は感情の起伏が薄い穏やかな声で首を横に振った。
「お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫です。いつものように電車で帰りますので」
「……そうですか。では、道中どうかお気をつけて」
「はい。お疲れ様でした」
ミリタリーテイストの入った観測官の制服の裾を整え、千里は丁寧に一礼してオペレーションルームを後にした。
セキュリティゲートを抜けて地上へのエレベーターに乗り込みながら、直哉は内心で軽く伸びをするような気分になっていた。
(さて、今日の東京での仕事はこれで終わりっと)
こうして千里の身体で八咫烏の定例業務をこなしつつ、遠く離れた青森の神社では生身の身体で梓が淹れてくれたお茶を飲んでいる。最初は奇妙で仕方がなかった複数身体での同時生活も、三日目ともなればすっかり日常の感覚として馴染んでいた。
◆
最寄りの地下鉄の駅から電車に乗り込むと、車内は夕方の帰宅ラッシュが始まりかけた時間帯で、仕事帰りの会社員や学生たちが吊り革に掴まってスマホを眺めていた。
千里はドア付近の手すりの横に立ち、何気ない様子で流れる地下トンネルの窓の外へと視線を向けている。
だが、その意識の奥では《天眼》の観測網が静かに周囲へと広げられていた。
(……うん、まだちゃんと後ろからついてきてるな)
直哉の視界には、同じ車両の少し離れた位置でスポーツ新聞を広げている私服姿の男の姿が、克明に捉えられていた。
八咫烏の施設を出た直後からずっと一定の距離を保って後ろを歩き、同じ改札を抜け、同じ車両に乗り込み、こちらの姿を視界の端で何度も確認しているという『現在の事実』は、遮蔽物を一切無視する観測の目によって丸裸にされていた。
しかも、それだけではない。
電車が目的の駅へと近づくにつれ、千里が観測範囲を駅周辺の地上エリアへと広げてみると、改札を出てマンションへと向かう途中の裏通りに、不自然な位置取りで待機している別の男二人の姿も確認できた。スマホを操作しながら連絡を取り合い、明らかに電車内の男と連動して網を張っている。
(尾行が一人に、先回りの待ち伏せが二人で合計三人か。さて、どうやって出ていくつもりかな)
直哉は、内心の動揺など微塵もない落ち着いた思考のまま、目的の駅で電車を降りた。
後ろから、新聞を畳んだ尾行の男も少し遅れてホームへと降りてくる。
改札を抜けて夕暮れの街へと出た千里は、大通りに面した最短の帰宅ルートをあえて外れ、古い雑居ビルや倉庫が並ぶ比較的人通りの少ない脇道へと足を踏み入れた。
もちろん、無計画に危険な場所へ飛び込んだわけではない。事前に《天眼》で周囲数百メートルを走査し、その路地の周辺に無関係な一般の通行人が一人も歩いていないことを完全に確認したうえでの誘導だった。
◆
薄暗いビルとビルの間の路地を半分ほど進んだところで、千里はコツ、と靴音を止めて立ち止まった。
前方の曲がり角から、待機していた二人の男がゆっくりと姿を現し、道を塞ぐように立つ。
同時に、背後からも足音が近づき、駅から尾行してきた男が退路を断つ位置で足を止めた。
前後に挟み撃ちにする、手慣れた包囲の陣形だった。
それでも千里の表情はピクリとも動かない。ただ静かに、前方に立つリーダー格と思しき鋭い目つきの男を見つめた。
「……ほう。取り囲まれても騒がないところを見ると、尾行には気づいていたか」
男が感心したように口を開くと、千里はいつもの事務的なトーンで淡々と答えた。
「ええ。私の観測に死角はありませんので」
男はわずかに眉を動かした。自分たちなりに気配を消し、プロの手法で追跡していたつもりだったのだろう。
「そうかい、そいつは大したもんだ。最近、八咫烏の連中に、とんでもなく厄介な広域観測の能力者が加わったって話を耳にしてな。しばらく張り込んで調べてたんだが、それがあんただろ?」
「それで、私に何かご用でしょうか?」
あまりにも平坦な、まるで役所の窓口で書類の不備でも尋ねるかのような千里の受け答えに、男の顔にわずかな苛立ちが浮かんだ。
非戦闘員であるはずの観測能力者の女を、逃げ場のない路地裏で三人がかりで包囲しているのだ。普通なら顔面蒼白になって震え上がるか、助けを呼ぼうと焦るのが当然だろう。
男は威圧するように一歩前へ踏み出し、低い声で言った。
「悪いな、個人的な恨みがあるわけじゃない。ただ、この国には八咫烏と敵対してる組織や、連中に嗅ぎ回られたくない仕事をしてる人間がごまんといるんだよ。あんたみたいな規格外の『目』に上から覗き見られると、俺たちは非常に仕事がやりにくくてね」
「左様ですか」
「そこで、お互いのために一つ提案だ。今日限りで、八咫烏への協力を一切やめてもらいたい。今後二度と連中のために能力を使わないと約束して、しばらく俺たちの管理下で大人しくしてくれるなら、荒っぽい真似はしないでおいてやる」
脅迫を交えた取引の要求。
しかし、千里は一秒たりとも迷う素振りを見せず、極めて穏やかな声で即答した。
「申し訳ありませんが、お断りいたします」
「…………」
あんまりにもあっさりとした拒絶に、男の方が一瞬言葉に詰まった。
「……おい、今の自分の状況が分かってるのか? 少しは命惜しさに考えたらどうだ?」
「考える必要がありませんので。私には八咫烏との正式な契約がございます」
挑発しているわけでも、強がっているわけでもない。ただ事実として「検討する余地すらゼロである」と丁寧に告げるその態度が、かえって男たちのプライドを逆撫でした。
リーダー格の男は、忌々しそうに大きくため息をついた。
「……話が通じねえなら仕方ねえ。じゃあ悪いが、このまま力ずくで誘拐させてもらうぜ。腕の一本くらい折れても文句を言うなよ」
合図とともに、前後の男たちが懐からスタンバトンや特殊拘束具といった武器に手を伸ばし、一斉に踏み込もうと重心を落とした。
しかし、千里は一歩も後ろへ下がらなかった。
それどころか、まるで目の前の男たちの不運を心から気の毒に思うような、どこか哀れみを含んだ静かな声でこう告げたのだ。
「……あのですね。申し訳ありませんが、貴方たちは『後発組』ですよ?」
「……なに?」
男たちがその言葉の意味を理解できずに眉をひそめた、まさにその瞬間だった。
◆
誰もいなかったはずの千里のすぐ背後の空間に、いつの間にか、もう一人の女性が音もなく立っていた。
夕暮れの薄闇に映える美しい白銀の髪。
塵一つないクラシカルな黒と白のメイド服。
★★★★★、エレノア・ヴァイス《時界の従者》。
先ほどまで東京都内の新居マンションで待機していたエレノアの身体を、直哉が会話の裏で遠隔解除し、千里のすぐ背後の座標へと『再集結』させたのだ。青森の生身の身体と合わせて、同時展開数は上限の三身体のまま変わらない。
後方にいた尾行役の男が、突如として目の前に現れたメイド服の女性の存在に気づき、ギョッとして目を見開いた。
「しまっ――!?」
男が警告の声を上げ切るよりも早く、エレノアはスカートの裾を軽くつまんで優雅に一礼した。
「失礼いたします」
そして、持ち上げた右手の指を、パチンと軽く鳴らす。
乾いた指の音が響いた瞬間、夕暮れの路地裏からすべての音と色彩が消失し、世界が完全な静止へと落ちた。
武器を抜こうとしていた三人の男たちも、ビルの隙間を吹き抜けていた風も、そして隣に立つ千里の身体さえも、時計の針が止まったようにピタリと凍りついている。
停止した世界の中で唯一自由に動くことのできるエレノア――すなわち直哉は、静止した男たちの間をゆっくりと優雅な足取りで歩き始めた。
(さてと、人質もいないし、三人だけならあっという間だな)
エレノアはまず、男たちの手からスタンバトンやナイフ、通信機、さらには懐に隠し持っていた護身用の呪具らしき小物までをすべて丁寧に取り上げ、少し離れた路地の隅へとまとめて置いた。
続いて、事前に千里の鞄の中に入れて持参させておいた八咫烏支給の対能力者用高強度ケーブルタイを取り出す。
わざわざ殴り倒して怪我をさせる必要すらない。エレノアは停止している男たちの両手首を背中側へ回し、一人ずつきっちりとケーブルタイで拘束したうえで、起き上がった時に暴れられないよう足首まで丁寧に縛り上げ、壁際へと三人を綺麗に並べて転がした。
すべての作業を終えても、主観時間でほんの一、二分といったところだ。
エレノアはメイド服の袖口のシワを軽く整え、再び千里のすぐ隣の位置へと戻って姿勢を正すと、時間停止を解除した。
次の瞬間。
「――って、ぐあっ!?」
「な、なんだこれ!?」
踏み込もうとしていた姿勢のまま、突如として視界が切り替わり、手足を縛られて冷たいアスファルトの上に転がされていた三人の男たちが、バランスを崩して無様に呻き声を上げた。
「お、おい、どうなってやがる!? 俺の武器は!?」
「いつの間に縛られた!? あの女、今何をした!?」
ほんのコンマ一秒前まで、自分たちが優位に立って小柄な女一人を取り囲んでいたはずなのだ。それが瞬きを一つした次の瞬間には、指一本触れられないまま全員が武装を奪われ、芋虫のように地面に転がされている。
理解不能な現象にパニックを起こして喚き散らす男たちを見下ろし、エレノアは氷のように涼やかで礼儀正しい声で告げた。
「どうぞ、お静かにお願いいたします。皆様が所持されていた危険な武装は、すでに取り上げさせていただきましたので」
その隣で、時間停止が解けて動き出した千里が、地面でもがく三人を見て小さくため息をついた。
「……まったく。この手の輩、今日だけで行きと帰りで『二回目』です。どうやら、私が一人で通勤している時間帯を狙えば簡単に拉致できると思われているようですね」
そう、先ほど千里が彼らに向かって「貴方たちは後発組ですよ」と言ったのは、決してハッタリなどではなかった。
実は今日の午前中、八咫烏の施設へと向かう出勤の道中でも、まったく同じように千里の能力に目をつけた別の不届き者たちが尾行してきて、同じ手順でエレノアの時間停止によって一網打尽にされたばかりだったのだ。
(まあ、こうして一人で無防備に電車通勤してるように見せて、わざと誘拐できそうな隙を作って釣ってるわけだけどな……)
直哉は、千里とエレノアの二つの視界で転がる犯人たちを眺めながら、内心で苦笑した。
千里の《天眼》による支援業務を始めてからというもの、裏社会の犯罪組織や敵対勢力の間で「八咫烏に厄介な広域観測能力者が入ったらしい」という噂が少しずつ漏れ始めていた。
そこで直哉は、事前に霧島と相談したうえで、あえて厳重な護衛車両を使わずに単独で通勤する『囮(おとり)作戦』を実施していたのである。
世界規模の索敵能力を持つ千里自身が餌になって歩くのだから、不審者が近づいてくれば百パーセント事前に察知できる。そして相手が人気のない場所で本性を現した瞬間に、切り札であるエレノアを遠隔再集結させて時間を止め、反撃の機会すら与えずに無傷で全員を捕縛する。
事情を知らない裏社会の連中からすれば「戦闘力のない観測官が一人で無防備に歩いている絶好のチャンス」に見えるのだろうが、その実態は、近づいた時点で詰みが確定している極悪非道のトラップだった。
千里はポケットから業務用のスマートフォンを取り出し、すぐさま霧島へと連絡を入れた。
「もしもし、霧島さん。御影です。帰り道で、また一組確保いたしました」
電話の向こうで、霧島が一瞬だけ呆れたように沈黙する気配があった。
『……朝に続いて、今日だけで二組目ですか』
「はい。今回は三名です。すでにエレノアの方で全員拘束済みで、武装もすべて解除しております。負傷者はおりません」
『承知しました。すぐに近くの警察の特務班と連携して回収車両を手配いたしますので、到着までそのまま現場の安全確保をお願いいたします』
「かしこまりました」
手短に通話を終える。朝の連中と今回の三人組が同じ組織の人間なのか、それとも別々に噂を聞きつけてやってきたハイエナなのかは、後から警察と八咫烏がじっくり取り調べて洗い出してくれるだろう。
十分ほどして、サイレンを消した警察の覆面車両と八咫烏の連絡員が路地裏へと滑り込んできた。
まだ「あのメイド、一体何者なんだ……!」とぶつぶつ震えている犯人三人の身柄と、路地の隅にまとめておいた武器一式を警察側へと引き渡し、発見から拘束までの簡単な状況報告を済ませると、本日の業務外のちょっとした害虫駆除は滞りなく終了したのだった。
◆
犯人たちの引き渡しを終えた千里とエレノアの二人は、そのまま揃って都内の新居マンションへと帰宅した。
オートロックを抜けて部屋へと入り、エレノアの身体でリビングの照明をつける。
(ふうー、やれやれ。それにしても……朝と夕方に一瞬だけ誘拐犯を縛り上げる出番があったとはいえ、今日一日、エレノアの身体でマンションに自宅待機してた時間が暇すぎたな……!)
直哉は、エレノアの身体でソファの背もたれに軽く手をつきながら、内心で大きくため息をついた。
千里が八咫烏の施設で働いている間、万が一の即応戦力としてマンションで待機させていたエレノアの身体は、部屋の掃除や洗濯といった家事を完璧な手際でとっくに終わらせてしまい、昼過ぎからはやることがなくなってすっかり手持ち無沙汰になっていたのだ。
(よし、今日の仕事も全部終わったことだし、東京側の身体でもちょっとゲームでもして暇を潰すか!)
そう思って、直哉がリビングの奥にあるワークスペース――普段なら自慢のPC環境が鎮座しているはずのデスクへと視線を向けた、その時だった。
エレノアと千里の二つの身体が、同時にピタリと動きを止めた。
そこにあるはずのデスクの上は、見事なまでに空っぽだった。
(…………あれ?)
いつもなら、そこには七色に光るハイスペックなゲーミングPCの本体がある。
横に並んだ二枚の液晶モニターがある。
手に馴染んだメカニカルキーボードとゲーミングマウスがあり、その前には長時間座っても疲れない高級ゲーミングチェアが置かれているはずだ。
しかし今、そこには電源タップのコードが寂しく転がっているだけで、影も形もなくなっていた。
数秒間の空白の後、直哉の脳裏に、一昨日の自分自身の行動が鮮明にフラッシュバックした。
(…………)
(くそおおおおおおお! しまったあああああああ!!)
外見は白銀の髪をなびかせる優雅で完璧なメイド長と、クールな観測官の美女二人のまま、中身の三十四歳の男が頭を抱えて心の中で絶叫した。
(俺、一昨日、青森の神社でゲームするために、ここにあったゲーミングPC一式を全部梱包して青森へ送っちゃったんだった!!)
(そのせいで、東京側の家でゲームが一切できねええええええ!!)
先ほど路地裏で三人の誘拐犯を相手に、時間停止を使って文字通り瞬き一つの間で完全勝利を収めた余裕など、どこにも残っていなかった。
(いや、なんで俺は何も考えずに家にある機材を全部丸ごと送っちゃったんだよ!? 本体だけじゃなく、モニター二枚もキーボードもマウスも、果ては座るための椅子まで全部宅急便で出しちゃってるじゃねえか!!)
(東京のマンションにも俺の身体が二人残って生活するんだったら、普通に考えてこっちの身体でも空き時間にゲームしたくなるに決まってるだろ!! なんでそんな簡単なことに気づかなかったんだ、一昨日の俺はあぁぁぁ!!)
複数の身体を同時に別々の場所で動かせるという、神がかり的な《並列集結》の能力。
その便利さに浮かれるあまり、『自分の身体が離れた場所に増えれば、必要なゲーム環境の数も増える』という、ゲーマーとして最も基本的で重大な物理法則を完全に失念していたのである。
しばらく空っぽの空間を前に呆然と立ち尽くしていた直哉だったが、ふと気を取り直すように顔を上げた。
(……いや、待てよ。落ち着け俺。パソコンがなくても、スマホなら三台あるじゃん!)
そう、三つの身体がそれぞれ独立して連絡を取れるように、直哉は現在スマートフォンを三台契約して所持している。青森の生身の自分が一台、そして東京にいる千里とエレノアもそれぞれ一台ずつスマホを持っているのだ。
(よし、PCゲームは無理でも、スマホのソシャゲならこっちでも遊べるじゃん!)
直哉はさっそく、エレノアのポケットからスマホを取り出し、いつも遊んでいるお気に入りのゲームアプリのアイコンをタップした。
軽快なタイトルコールが鳴り、ログイン処理のローディング画面が回る。
しかし、次の瞬間。画面の中央に無慈悲なエラーメッセージのウィンドウがポップアップした。
『現在、別の端末でログイン中です。二重ログインはできません』
エレノアと千里の顔が、同時にスンッ……と無表情になった。
(…………あ)
直哉の意識のもう半分――遠く離れた青森県は御巫神社の客間にいる『生身の直哉』の視界が、脳内で鮮明に再生された。
青森の神社には、今日の昼過ぎ、待望のゲーミングPC一式と周辺機器が無事に配達されていた。そして生身の直哉は、夕飯前のこの時間、客間にセッティングしたばかりのPCとスマホの両方をフル稼働させて、まさに今、メインアカウントで絶賛ゲームをプレイ真っ最中だったのである。
(あっちの青森の俺が、今リアルタイムでメインアカウント使って一日中ゲームしてるんだから、東京にいるこっちの俺が同じアカウントにログインできるわけねえじゃん!!)
(……なんで俺は、地球上で自分自身とゲームのアカウントの取り合いをしなきゃいけないんだよ!!)
あまりにも前代未聞すぎる一人時間差の弊害に、直哉は自分自身へ向かって全力でツッコミを入れた。
もちろん、青森で遊んでいるのも自分自身の意識なのだから、新しくサブアカウントを作ってスマホで別のゲームを始めること自体はできる。
だが、エレノアのスマホで適当な別アプリを少し触ってみたものの、やはり長年慣れ親しんだPCの大画面とマウス・キーボードの操作感に比べると、どうにも物足りなさが拭えなかった。
千里の身体で空っぽのデスクを見つめ、エレノアの身体でもう一度スマホの画面を見る。
(……やっぱダメだ。俺、こっちの東京の身体でもPCゲームがしたい)
一度湧き上がった三十四歳独身ゲーマーの欲求は、もう誰にも止められなかった。
(……よし、東京用にもう一台、BTOのゲーミングPCを買うか?)
直哉の脳内で、急速に購入を正当化するための会議が始まった。
(青森の神社には、これからいつまで滞在することになるか分からないしな。その間も、東京の俺はずっとこっちのマンションを拠点に八咫烏の仕事をするわけだ。だったら、東京の家にPCが一台もないのは普通に不便だよな!)
(幸い、今の俺には仕事で稼いだ十分な貯金がある。……いや、待てよ。一番いいメインのPCは青森に送ったばっかりなんだから、東京に置くサブ機は、別に最新鋭の超高額モデルじゃなくてもいいんだよな。そこそこの性能が動く『中古のBTOパソコン』を一台買っとけば、お財布にも優しくて十分なんじゃないか?)
かつての無職時代や安月給の会社員時代の名残か、こういうところだけ妙に庶民的で堅実な言い訳を組み立てると、直哉はエレノアと千里の二つの身体で同時に力強く頷いた。
(よし決めた! まだ店も開いてる時間だし、今から中古のゲーミングPCを買いに行こう!)
◆
それから三十分後。
都内の電気街にある、中古およびアウトレットのBTOゲーミングPCを専門に扱う大型ショップの店内に、二人の女性の姿があった。
一人は、機能的な観測官の制服に身を包んだ黒髪ショートの小柄な女性、御影千里。
もう一人は、クラシカルなメイド服の裾を優雅に揺らす白銀の髪の美女、エレノア・ヴァイス。
少々どころではなく珍しい服装の二人組だったが、土地柄なのか、店員の若い男性は特に騒ぎ立てることもなく、プロの接客スマイルで歩み寄ってきた。
「いらっしゃいませ。ゲーミングPCをお探しですか?」
千里が、並んだ黒いタワー型PCの展示棚を見つめながら、静かな声で答えた。
「ええ。自宅に置くサブ機として、手頃な中古のゲーミングPCを探しています」
「サブ機ですね、かしこまりました! ご予算や、主にプレイされるゲームのジャンルなどはございますか?」
「予算は控えめで構いません。一般的なオンラインゲームやFPSが標準画質で問題なく動けば十分ですので」
店員に案内され、まずは十万円台前半の手頃な中古モデルが並ぶコーナーへと向かう。
(そうそう、これくらいでいいんだよ。メイン機は青森にあるんだし、東京側では暇つぶしに別ゲーを遊ぶだけだからな。安くてコスパのいいやつをサクッと買って帰ろう)
直哉は最初、心の中でそう固く決意していた。
しかし――店頭にずらりと並んだスペック表のポップを、千里とエレノアの四つの目で順番に見比べ始めたところから、雲行きが少しずつ怪しくなっていった。
(……んー、この一番安いモデル、悪くはないけどグラフィックボードが一世代前のエントリークラスか。これだと最近の重いゲームをやる時に、フレームレートが落ちてカクつくかもしれないな……)
千里の視線が、一つ隣の、少しだけ値段が高いモデルの値札へと滑る。
(あ、こっちの機種ならグラボのランクが一段階上だ。値段の差は三万円くらいか……。いや、三万円ケチって画面がカクつくストレスを抱えるくらいなら、こっちにした方が絶対に幸せになれるよな)
すると今度は、少し離れた棚を見ていたエレノアの視界に、さらに魅力的なスペック表が飛び込んできた。
(おっ、こっちのモデル、SSDのストレージ容量が2テラバイトもあるじゃん! 最近のPCゲームって一個で100ギガ超えるやつもザラにあるし、容量が少ないと後から消したり増設したりするのが面倒なんだよなあ……!)
店員が、熱心にスペック表を見つめる二人の様子を見て、すかさず声をかける。
「そちらのモデルは、先週入荷したばかりの状態の良い中古品でして、冷却性能も強化されております。さらにこちらのもう一段上のクラスになりますと、CPUとメモリにもかなり余裕がございますので、高画質設定でも非常に快適に動作しますよ」
「……なるほど」
千里が真剣な眼差しで仕様書を食い入るように見つめ、その横でエレノアが優雅に顎へ手を添えて別の機種の端子類を確認する。
店員から見れば、制服の女性とメイド服の女性の二人が、なぜか一言も相談し合わないまま、全く同じゲーマー目線のチェックポイントで頷き合っているという不思議な光景だった。
エレノアが、店員に向かって穏やかな声で尋ねる。
「恐れ入ります。こちらの機種は、後からメモリの増設やストレージの追加を行うスペースの余裕はございますか?」
「は、はい! マザーボードの空きスロットが二つございますし、ケース内のエアフローも広いので拡張性は抜群です!」
「それは大変結構でございますね」
同時に、千里がボソリと呟く。
「……電源ユニットの容量も、これなら高負荷時でも安定しそうです」
(よしよし、ここまで出せばロード時間も爆速だし、どんな重いゲームが来ても数年は戦えるぞ……!)
一段、また一段と、見る棚のグレードが着実に上がっていく。
そして、ハイエンドモデルが並ぶコーナーの前で足を止めた時、直哉はふと値札に書かれた金額を見て我に返った。
(…………あれ?)
(ちょっと待て。俺、さっきマンションを出る時は『手頃で安い中古のサブ機を買いに行こう』って言ってたよな!?)
今、千里とエレノアが揃って目を輝かせながら見つめているのは、どう見ても『サブ機』などと呼べる代物ではなく、青森へ送ったメイン機と同等か、下手すれば一部パーツがそれ以上の性能を誇る、極上のハイスペック中古BTOパソコンだった。
(いやいやいや! 待て待て俺! 青森の神社にちゃんとしたメインPCがあるのに、なんで東京の留守番用までこんなガチの高性能マシンにしようとしてんだよ!? ただの無駄遣いだろ!!)
三十四歳の元会社員としての理性が、必死にブレーキをかけようと警鐘を鳴らす。
しかし、一度ハイスペックな構成を目にしてしまったゲーマーの脳は、恐るべき速度で自己正当化の言い訳をひねり出し始めた。
(……で、でもさ! 冷静に考えろよ! このスペックなら向こう数年は買い替えなしで最前線で戦えるし、八咫烏の仕事の連絡とか資料確認にも使う『業務用の必要経費』みたいなもんだろ!?)
(それに、青森の神社にはいつまでいるか分からないし、将来的に青森からPCを送り返したら、東京の家で二台のハイスペックPCを並べて、俺の複数の身体で『自分同士でマルチプレイ』することだってできるじゃないか!!)
(何より、昨日梓さんにも言った通り、ゲームは俺の人生の最重要事項なんだ! ここで妥協して中途半端なPCを買ったら、絶対に後から『あの時もうちょっと出しておけばよかった』って後悔するぞ!!)
脳内会議の結果、わずか五秒で理性が完全敗北した。
千里が、ハイスペックモデルの値札をビシッと指差した。
「すみません。本体はこちらのモデルにいたします」
「ありがとうございます! 間違いのない素晴らしい選択だと思います!」
店員が満面の笑みで頭を下げる。新品の最上位フラッグシップ機を衝動買いするほどの暴走はギリギリで抑えたものの、当初想定していた予算からはだいぶ大幅にグレードアップした業物だった。
(よし! これで東京でも最高の環境でゲームができるぞ!)
直哉が満足感に浸りながら会計へ進もうとしたところで、店員が伝票を書きながら確認するように尋ねてきた。
「ちなみに、モニターやキーボードなどの周辺機器は、すでにお持ちでしょうか?」
千里とエレノアの動きが、再びピタリと止まった。
(…………)
(……あっ)
直哉の脳裏に、マンションの『文字通り何一つ残っていない空っぽのデスク』の光景が蘇った。
PC本体だけではない。
デュアルモニターにしていた液晶ディスプレイ二枚も。
キーボードも。マウスも。マウスパッドも。ヘッドセットも。
そして、デスクの前に置いていたゲーミングチェアに至るまで、一昨日の自分が「青森で快適にゲームをするためだ!」と張り切って、残らず全部梱包して送ってしまったのだ。
(……いや、本当に影も形も何も残してねえな、一昨日の俺!! パソコン本体だけ買っても、画面も映らなきゃ文字も打てねえし、床に正座してやる羽目になるじゃねえか!!)
直哉は、心の中で自分の計画性のなさに深くうなだれた後、エレノアの優雅な微笑みをもって店員へと向き直った。
「……恐れ入ります。モニターを二枚と、キーボード、マウス、ヘッドセット。それと……ゲーミングチェアも一脚、合わせて見せていただけますでしょうか」
「一式まとめてですね! もちろんでございます、こちらへどうぞ!」
こうして直哉は、モニター売り場で「やっぱり普段と同じデュアルモニターじゃないと作業効率が落ちるよな」と高リフレッシュレートの液晶を二枚選び、手に馴染むデバイスを一通り揃え、最後には「やっぱり椅子もちゃんとしたやつじゃないと腰に悪いしな!」とゲーミングチェアまでしっかり購入し、当日配送のチャーター便でマンションまで一括で届けてもらう手配を済ませたのだった。
◆
その日の夜遅く。
スピード配送された機材一式をマンションで受け取った直哉は、エレノアと千里の二つの身体をフル稼働させて手際よく配線と組み立てを済ませた。
そして、電源ボタンを押す。
強化ガラスのサイドパネルの奥で冷却ファンが静かに回転を始め、真新しい二枚のモニターに鮮やかなデスクトップ画面が映し出された。新しいゲーミングチェアにエレノアの身体で深く腰を下ろし、マウスの感触を確かめる。
(よし……! 完璧だ! これで東京のマンションでも、いつでも好きなだけPCゲームができるぞ!!)
空っぽになっていたデスクが、数時間前よりもなんだか少し豪華になって復活しているのを見て、直哉は心の底から安堵の息を吐いた。
もっとも、ハードウェアが二揃いになったからといって、同じオンラインゲームの同じアカウントに同時ログインできるわけではない。
今この瞬間も、青森の御巫神社の客間では、生身の直哉がいつものメインゲームで熱い戦いを繰り広げている真っ最中だ。
だから、東京のマンションにいるエレノアの身体では、前々から気になっていた別の買い切り型のPCゲームを新しくダウンロードして起動することにした。隣には千里の身体が椅子を並べて座り、紅茶を飲みながらその画面を一緒に眺めている。
(ま、こっちはこっちで、気になってた別ゲーを攻略していけばいいか!)
オープニングムービーが流れる美しいモニターの画面を見つめながら、直哉はふと、今日一日の自分の行動を冷静に振り返ってみた。
(……それにしてもさ)
(俺、東京側の身体では、地球の裏側まで見える観測能力と、時間を止める能力を使って、八咫烏の重要な仕事をして、ついでに襲ってきた誘拐犯を朝と夕方で二組も捕まえたわけだよな)
裏社会の人間や警察から見れば、間違いなく恐れ戦かれるような超常の活躍をしているはずだ。
(それなのに……今日一日の中で、俺が一番本気で絶望して、一番真剣に頭を使って悩んでたのって、どう考えても『中古のゲーミングPCのスペック選び』だったよな……?)
自分で自分の状況のあまりの俗っぽさとシュールさに気づき、直哉はエレノアと千里の二つの顔で同時にふっと吹き出して笑ってしまった。
だが、すぐにマウスを握り直して画面へと向き直る。
(まあ、そもそも俺がこうして危ない仕事をして稼いでるのだって、全部は平和に楽しくゲームをして暮らすためなんだから、これでいいんだよな!)
北国の静かな神社と、都会のマンション。
二つの拠点で同時に別々のゲーム画面を見つめるという、世界中で直哉にしかできない奇妙で贅沢な夜は、そうして楽しく更けていくのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
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