俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
青森の山あいにある御巫神社へ居候を始めてから、一週間あまりが経過したある平日の午前。
北国の澄んだ空気の中で、生身の直哉がいつものように梓と朝の掃除や茶飲み話をして穏やかな時間を過ごしている一方、遠く離れた東京都内では、残してきた二つの身体――御影千里とエレノア・ヴァイスがそれぞれの朝を迎えていた。
千里の身体が八咫烏の施設で定期的な観測支援業務に就いているその裏で、都内の新居マンションに待機していたエレノアの業務用スマートフォンに、八咫烏の窓口から一件の単発依頼の打診が届いた。
直哉は、エレノアの視界で端末の画面をスクロールしながら案件の概要に目を通した。
発生場所は、東京湾に面した臨海工業地域にある大型のプラント施設。
そこに異界由来の飛行型怪異が一頭迷い込み、施設の上空や配管設備の周辺を高速で飛び回っているという。現場周辺はすでに封鎖され、一般の作業員たちも安全な区画へと退避を完了しているが、怪異が重要な設備群のすぐ近くを旋回し続けているため、通常の討伐班が近づいて範囲攻撃や乱戦を仕掛ければ、高価なプラント設備そのものを大きく破損させてしまう恐れがあるらしかった。
そこで八咫烏の現場調整班から、「周囲の構造物に被害を出さず、遠距離から精密な一撃で対象を確実に撃ち落とせる能力者」として、チーム《ナオ》に白羽の矢が立ったというわけだ。
(……おっ! これはどう見ても、伊織向けの仕事じゃん!)
直哉は、マンションのリビングで小さく頷いた。
(そういや最近、京都の大事件だの人質救出だので、紫苑とかレイジ、エレノア、それに白芷みたいな★5のキャラばっかり前に出してたけど、こういう精密射撃の現場なら伊織の出番だよな)
新たに四つ目の身体を増やすことはできないため、現在マンションで待機しているエレノアの身体枠を、そのまま別のキャラクターへと切り替えるだけでいい。
直哉は即座に受注の返信を送ると、リビングの中央に立ち、編成画面からキャラクターチェンジを実行した。
『【CHARACTER CHANGE】』
青白い光の粒子がエレノアのメイド服姿を包み込み、そのシルエットを瞬く間に書き換えていく。
光が収まったそこに立っていたのは、百七十一センチのすらりとした長身に機能的な濃灰色のフィールドジャケットをまとい、黒髪を首の低い位置で実用的にまとめた二十七歳の女性――★★★★、鳴海伊織《遠景の照準手》だった。
なお、アルビオン公国での一件でレベル上限が解放されて以降、直哉は手持ちのキャラクター全員をLv.40まで育成しており、伊織もその一人だった。もっとも、レベルの上昇によって伸びるのは主に基礎的なHPの数値であり、彼女の射撃精度やスキルそのものが別物に作り変えられたわけではないが、それでも前線に出すうえでの安定感はさらに増していた。
伊織の姿となった直哉は、空間から使い慣れた黒い長銃を呼び出し、その重みとバランスの感触を両手で確かめた。
(……おお、久しぶりだな、この感じ!)
(いやー、こうして長銃のストックを肩に当てた時のピタッと吸い付くような身体の感覚、やっぱりめちゃくちゃ気持ちいいわ!)
内心では三十四歳のゲーマーらしくテンションを上げているものの、いざ動作確認を終えて口を開けば、声帯から出るのは伊織のフィルターを通した冷静沈着な大人の女性の声だった。
「装備に問題はありません。いつでも出動できます」
誰が聞いても百戦錬磨のプロフェッショナルにしか聞こえない自分の声に少しだけ満足しつつ、直哉は迎えの車両が待つマンションの地下駐車場へと向かった。
やがて八咫烏の手配した車両に揺られて到着したのは、潮風の匂いが漂う臨海工業地域の一角だった。
今回の件は犯罪者による事件ではなく、あくまで異界性生物の出現による災害対処にあたるため、現場の封鎖線を張っているのは警察の捜査員ではなく、八咫烏の現場管理班と施設側の保安要員たちだ。
車を降りて歩み寄ってきた長銃携行の伊織の姿を見るなり、現場責任者の男性職員が安堵したように表情を緩めて頭を下げた。
「鳴海さんですね。急な要請にもかかわらずお越しいただき、ありがとうございます。本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。早速ですが、現在の状況を教えてください」
以前、東京都西部の特別管理山林で《灰甲猪》三頭の個体数調整を成功させた実績もあり、八咫烏の現場職員たちの間では、遠距離射撃に長けた能力者として評価されている。最初から頼れる狙撃手として迎えられる中、伊織は落ち着いた足取りで臨時の指揮車両へと向かった。
◆
指揮車両のモニターやタブレットに映し出された映像を見ながら、現場責任者が状況を説明する。
封鎖されたプラント区画の内部を飛び回っているのは、翼を広げると三メートル近くに達する、大型の猛禽類に似た異界性の怪異だった。
羽毛の代わりに金属質の硬い鱗のような外皮で翼の一部が覆われており、ただ低空を滑空してかすめるだけで、施設のダクトや金属製の外装パネルを刃物のように切り裂いてしまう。しかも飛行速度が極めて速く、不規則に急旋回を繰り返すため、通常の銃器や並の遠距離能力では動きを追うことすら難しいという。
「討伐そのものであれば、広範囲を焼き払う術式や大出力の能力者を投入すれば不可能ではないのですが……ご覧の通り、あの怪異が飛び回っている区画には、高圧受電設備や精密な制御配管が密集しておりまして」
責任者が苦い顔で図面を指差した。
「もし戦闘の余波でそれらの設備を破損させてしまえば、工場全体のラインが長期間ストップし、莫大な損害が出てしまいます。もちろん国家の存亡に関わるような危機ではありませんが、民間施設の被害を最小限に抑えるため、どうしても一撃で確実に仕留められる射手が必要だったのです」
「なるほど。対象の討伐と同等に、周辺設備を一切損傷させないことが最優先事項、ということですね」
「はい。鳴海さんの腕を見込んでのお願いなのですが、可能でしょうか?」
期待のこもった目で尋ねられたが、伊織はそこで安請け合いをして即答するような真似はしなかった。
「まずは、実際の射線と対象の動きを確認させてください」
案内されたのは、怪異が旋回しているプラント区画全体を見下ろすことができる、隣接する管理棟の屋上だった。
海からのやや強い風が吹き抜ける中、伊織は屋上のパラペットの縁に長銃を構え、光学照準器(スコープ)を覗き込んだ。
数百メートル先の鉄骨と配管が入り組んだ空間を、灰黒色の翼を持った怪異が猛烈なスピードで滑空しているのが見える。
伊織の卓越した動体視力と身体感覚をもってすれば、その不規則で高速な飛行軌道であっても、レティクルの中心に捉え続けること自体は十分に可能だった。
(……おお、これだけ速く飛び回ってても、伊織の目と身体なら動き自体はバッチリ追えるな)
しかし、スコープの倍率を調整しながら背景の構造物を確認した直哉は、すぐに引き金から指を外した。
(……でもダメだ。これ、今ここで普通に撃って当てたら、貫通した弾丸か、撃ち落とした怪異の死体がそのまま後ろの受電設備に突っ込むじゃん)
伊織はスコープから目を離さぬまま、耳元の無線機のスイッチを入れた。
「こちら鳴海。対象は明確に捕捉できています。……ただし、現在の位置関係では射撃できません」
無線の向こうで、指揮車両の責任者が少し驚いたように聞き返してきた。
『……やはり、あの移動速度では照準を合わせるのが難しいでしょうか?』
「いいえ。対象へ命中させること自体は、今からでも可能です」
『え? では、何が問題なのでしょう?』
「命中後の余剰エネルギーによる弾道と、撃ち抜かれた対象が慣性で落下する位置です。現在、対象が旋回しているコースの背後および直下には、保護対象である高圧設備と制御配管が存在します。今ここで撃ち落とせば、落下した対象の質量で設備を破損させる可能性が高く、安全を保証できません」
ただ標的に弾を当てるだけが狙撃手の仕事ではない。引き金を引いた結果、その一発が現場にどのような物理的結果をもたらすかまでを計算に入れてこそ、プロの仕事だ。
伊織は淡々と言葉を継いだ。
「したがって、こちらの求める安全条件が整うまで発砲は控えます。対象が重要設備の上空から外れ、落下しても問題のない開けた区画へと移動した瞬間に対応するのが適切かと」
筋の通った冷静な判断に、無線の向こうの担当者たちから感心したような息遣いが漏れた。
『……承知しました! 確かにその通りです。我々の方では、敷地東側の資材搬出用スペースであれば、背後の防壁も含めて対象が落下しても被害が出ないことを確認しています』
「では、対象をその搬出スペースの上空へと誘導することは可能ですか?」
『はい。危険区域に人は入れられませんが、遠隔操作の作業用ドローンと音響設備を使って注意を引き、東側へと誘導する準備が整っています』
「結構です。では、皆様で対象の誘導をお願いいたします。安全な射撃条件が揃ったところで、私が確実に処理します」
『了解しました! 誘導班、作業を開始してください!』
自分一人の超人的なワンマンプレイで無理やり解決しようとするのではなく、現場の状況を誰よりも把握している担当者たちと役割を分担し、最も確実で安全な手順を組み立てる。
かつて初めての仕事で異界や山林に入った頃から積み重ねてきた直哉の堅実な社会人の判断力と、鳴海伊織というキャラクターの職人気質な性格が、この現場で綺麗に噛み合っていた。
◆
まもなく、現場班による遠隔誘導が開始された。
重要設備から離れた区画で、警戒用の指向性スピーカーから断続的な高周波音が鳴らされ、さらには無人の小型ドローンがわざと目立つようにライトを点滅させながら飛行を開始する。
プラントの配管の隙間を飛び回っていた飛行怪異が、その音と光に反応してギョロリと首を巡らせ、唸り声を上げながら少しずつ東側の区画へと移動し始めた。
管理棟の屋上で長銃を構える伊織は、風の強さと向き、湿度、そして刻一刻と変わる怪異との距離と角度を静かに測り続けながら、スコープ越しにその動きを追い続けた。
途中、怪異がドローンを威嚇するために一瞬だけ空中でホバリングするように減速し、絶好の的になる瞬間が二度ほどあった。
(……いや、これ、純粋に敵に弾を当てるだけのゲームだったら、もう二回は余裕でヘッドショットを決められてるタイミングなんだけどな)
直哉は、微動だにしない伊織の銃身を保ちながら、内心でじっくりと我慢を重ねた。
(でも、あの位置で撃ち落としたら、すぐ下のパイプラインの上にドスンと落ちて配管がへしゃげる。今日の俺の仕事は『怪異を倒すこと』じゃなくて、『設備を無傷で守って怪異を排除すること』なんだから、あそこで撃ったらプロ失格だよな)
能力に目覚めたばかりの頃であれば、自分の高い命中精度を試したくてたまらず、隙が見えた瞬間に撃ち込んでいたかもしれない。しかし、いくつもの現場をくぐり抜けてきた今の直哉は、クライアントが本当に求めている成果が何であるかを冷静に見極め、引き金を引かない我慢を選べるようになっていた。
やがて、音響とドローンに釣られた怪異が、密集した配管エリアを抜け出し、コンクリート舗装された広い資材搬出用スペースの上空へと差し掛かった。
周囲に精密機器はなく、射線の先にあるのは分厚い防音壁だけだ。
すぐさま耳元の無線に、指揮車両からの緊迫した声が入る。
『鳴海さん! 対象が予定の搬出区域上空へと入りました!』
伊織は、スコープの十字線の中心に対象を捉えたまま、静かに応じた。
「こちらでも確認しました。射線上の障害物クリア、落下予測地点の安全も問題ありません」
『射撃可能でしょうか!?』
「……はい。現状の条件であれば、確実に処理できます」
とはいえ、怪異は搬出区域の上空でも足を止めているわけではなく、おとりのドローンを叩き落とそうと鋭い角度で旋回を続けている。
伊織は深く静かに呼吸を整え、対象の動きを観察した。
羽ばたきのリズム。風を受けた際のわずかな流され方。そして、急旋回から直線飛行へと移る一瞬の姿勢の変化。
ここで直哉は、伊織のスキル《零点規正》を静かに発動させた。
視界の端に、自分にしか見えない緑色の文字列で『《照準標》付与』『《観測姿勢》』の表示が灯る。
以前、八咫烏の試験場で確認した通り、伊織のこの能力は、撃った弾丸が魔法のように曲がって勝手に敵を追いかける必中能力ではないし、相手の数秒後の未来を予知する力でもない。
鳴海伊織という完成された射手の肉体と技術によって、現在の風速や対象の移動速度から『弾丸が到達する瞬間に相手がいるはずの未来位置』を物理的に計算して照準を定め、そのうえで発生する空気抵抗や微細なブレといった『誤差』を因果の側から極限までゼロへと収束させる能力だ。
怪異が大きく弧を描いて旋回を終え、ドローンへ向けて一直線に滑空を開始しようと姿勢を固定した、その一瞬。
無線から、責任者の許可の声が飛ぶ。
『鳴海さん、射撃を許可します!』
「了解。射撃を実施します」
短く答えた次の瞬間には、伊織の人差し指が迷いなく引き金を絞り込んでいた。
タァンッ!!
屋上に乾いた鋭い発砲音が響き渡り、肩に心地よい反動が伝わる。
放たれた一発の弾丸は、海風を切り裂いて数百メートルの空間を一直線に翔け抜け――滑空姿勢に入った飛行怪異の頭部から胸部の急所を、ミリ単位の狂いもなく正確に撃ち抜いた。
空中で一撃にして絶命した怪異は、羽ばたく力を完全に失い、そのまま放物線を描いて予定されていた無人の資材搬出スペースのど真ん中へとドサリと落下した。
周囲の配管や受電設備には、かすり傷一つ付いていない。二発目の追撃すら不要な、完璧な一撃だった。
伊織はすぐには銃を下ろさず、スコープ越しに落下した怪異がピクリとも動かないことを確認してから、冷静な声で無線を入れた。
「対象への命中を確認しました。落下位置は予定の安全区域内です」
『りょ、了解しました! すごい、本当に一発で……! ただちに現場班が接近して最終の安全確認を行います!』
伊織は任務完了を急ぐことなく、屋上で銃を構えたまま現場班の確認が終わるのを静かに待った。
そして数分後、無線から明るい報告の声が届いた。
『対象の完全な活動停止を確認しました! 周辺のプラント設備および搬出区画にも、損傷や異常は一切ありません!』
「了解しました。皆様、誘導のご協力ありがとうございました。お疲れ様でした」
無線のスイッチを切り、長銃の安全装置をかけて立ち上がった瞬間、伊織のクールな表情の裏で、直哉は心の中で思い切りガッツポーズを決めた。
(……っしゃあ!! 完璧に一発で決まったあぁぁ!!)
(いやー、伊織の精密狙撃、久しぶりに現場で使ったけどやっぱり最高に気持ちいいわ! 紫苑で超高速で斬り刻んだりレイジで真正面から受け止めたりするド派手な戦いも楽しいけど、こうやって条件をきっちり揃えて遠くから一発で仕事を決めるプロのスナイパー感、たまんねえな!)
◆
屋上から降りて指揮車両の前へと戻ると、現場責任者をはじめとする八咫烏の職員や施設側の担当者たちが、感嘆の眼差しで伊織を出迎えた。
「鳴海さん、本日は本当にありがとうございました。あれだけの速度で飛び回る対象を、設備に傷一つ付けることなく、まさか本当に初弾の一発だけで仕留めていただけるとは……理想以上の結果です」
深々と頭を下げる責任者に対し、伊織は落ち着いた声で応じた。
「いいえ。現場の皆様による事前の安全区域の設定と、的確な誘導があったからこそ通せた射線です」
「そう言っていただけると助かりますが、それでもあの一瞬の隙を逃さず撃ち抜ける射手は、八咫烏の登録者全体を見渡してもそう多くはありませんよ」
伊織はそこで過度な謙遜をすることはせず、プロとして静かに頷いた。
「ありがとうございます。また同様の遠距離対応が必要な案件がございましたら、いつでもご相談ください」
「ええ、ぜひまたお願いいたします!」
現場での事後確認を終え、帰りの送迎車へと乗り込みながら、直哉は改めて自分の手持ちのキャラクターたちの頼もしさを噛み締めていた。
(……いや、本当に適材適所っていうか、キャラの使い分けって大事だよな)
今の直哉には、紫苑や白芷、ヴェルミリアといったTier1から実効Tier0.5に達する規格外の★5キャラクターたちが揃っている。しかし、だからといって初期に引いた★4でTier3の伊織やセナが不要になるわけでは決してない。
むしろ、今回のように「市街地や重要施設で、周囲に余計な破壊を一切及ぼさずにピンポイントで標的だけを処理したい」という現実的な業務においては、紫苑の大太刀を振り回すよりも、伊織の精密狙撃の方がはるかにスマートで適任なのだ。
(……うん。やっぱりうちのガチャから出てきたメンバー、誰一人無駄がいなくて最高の粒揃いだわ!)
なお、今回の仕事は事前の計画通りに異界生物を駆除した通常の専門業務だったため、帰りの車内で《因果変動記録》の金色の通知が鳴って因果晶がドロップするようなことはなかったが、それでも危険手当込みの十分な日本円の報酬が確定しており、直哉としては大満足のひと仕事だった。
ちょうどその送迎車が都心へと戻っていた頃。
八咫烏の本部施設で本日の広域観測支援業務を終えたもう一つの身体――御影千里のもとへ、担当官の霧島から直接声がかかった。
「御影さん、本日の観測業務お疲れ様でした。お帰りの前に、少しだけ別室でお時間をいただけますでしょうか?」
コンソール前から立ち上がった千里が、静かに首を傾げる。
「はい、構いません。何かございましたか?」
「ええ。実は、外部の組織から届いている御影さんへの『協力要請』について、少しご相談がありまして」
◆
案内された八咫烏施設内の静かな小会議室。
テーブルを挟んで千里と向かい合って座った霧島は、眼鏡の位置を軽く直しながら、手元のタブレット端末を開いた。
本題に入る前に、霧島はまず先日の一件――通勤途中の千里を狙って現れ、エレノアの時間停止によって返り討ちにされた二組の誘拐未遂犯についての経過を簡潔に報告した。
「先日の誘拐未遂事件についてですが、警察へ引き渡した男たちの取り調べと背後関係の捜査は、現在も継続して進められております」
「左様ですか」
「はい。現時点で確定的な黒幕の公表には至っておりませんが、金で雇われた実行犯のルートや資金源について、警察の能力犯罪対策班が徹底的に洗っている段階です。進展があり次第、改めてご報告いたします」
「承知いたしました。よろしくお願いいたします」
あの日の囮作戦で捕まえた連中については、本職の警察に任せておけばいい。
霧島はそこで画面を切り替え、真剣な面持ちで本題へと切り込んだ。
「それで、本日お時間をいただいたのは、その犯罪者たちの件とはまったく別のお話です」
「別件、ですか?」
「はい。実はここ最近、御影さんの《天眼》による観測能力について、八咫烏以外の『外部の組織』から、正式な協力要請や問い合わせが相次いで届いておりまして」
千里は、わずかに目を瞬かせた。
「私の能力に、外部からですか?」
「ええ。国内の公的機関や研究機関、さらには民間の企業など、実にさまざまな方面からです」
千里の無表情な顔の裏で、直哉の内心が(……おっ!? 千里に外部からの仕事のオファー!?)と興味深そうに跳ねた。
霧島は、なぜこれほどまでに千里への引き合いが殺到しているのか、その背景を分かりやすく説明してくれた。
「御影さんのような高位の広域観測能力者は、戦闘系の能力者とはまた異なる、極めて特殊で高い需要がございます」
「と、おっしゃいますと?」
「たとえば、人間が直接立ち入ることが危険な場所や、広大すぎて人員によるローラー作戦では時間がかかりすぎる領域において、『現地へ人を送り込むことなく、安全な場所から現在の状況を正確に確認できる』という点。これだけでも、あらゆる分野の組織にとって喉から手が出るほど欲しい力なのです」
「なるほど」
「さらに、捜索対象の顔や特徴といった条件が明確であれば、《広域索引》によって広範囲から対象を見つけ出すことも可能です。もちろん、御影さんの能力は過去や未来を見るものではなく、特殊な遮断や干渉を受ける場合があるという限界についても我々は理解しておりますので、先方からの無理な要求は最初からはねておりますが……それでも、通常の人員や機械設備では不可能な調査を劇的に効率化できる可能性がございます」
そう前置きしたうえで、霧島は現在八咫烏の窓口宛てに届いている代表的な協力要請のリストをタブレットに表示し、順番に説明を始めた。
「まず一つ目は、海上保安関係の公的機関からの要請です。洋上での船舶の行方不明事案や海難事故が発生した際、広大な海域を短時間で遠隔観測し、漂流物や遭難者の捜索に協力してほしいというものです」
千里は画面の資料を見つめながら静かに頷いた。
もちろん、暗い深海の底に沈んでしまった船の内部や、対象の特徴がまったく分からない状態での無差別検索など、条件によっては見つけられないケースもあるだろう。しかし、海面上の捜索や初動の位置特定において、天候や距離を問わず瞬時に海を見渡せる《天眼》がどれほど多くの命を救う助けになるかは想像に難くない。
「遭難者の人命救助に関わることであれば、私の能力がお役に立てる機会は十分にあるかと存じます」
「ええ、先方もまさにその初動の早さに強い期待を寄せられています。……続いて二つ目は、地方自治体および消防・防災関係の組織からの要請です」
霧島が次のページをめくる。
内容は、山岳地帯での遭難事故や、大規模な土砂災害・建物倒壊などが発生した現場において、二次災害の危険が高くて救助隊がすぐには立ち入れない区域を遠隔から観測し、要救助者の有無や安全な進入ルートを確認してほしいというものだった。
(……ああ、なるほどな。怪異や犯罪者と戦う仕事じゃなくても、こういう純粋な災害救助や捜索で千里の目が求められてるのか)
直哉は内心で深く納得した。
さらに霧島は、三つ目として大学や国立の超常研究機関からのオファーを示した。
「こちらは研究機関からです。人間が立ち入れない高濃度の異界性現象の発生区域や、特殊な自然環境の内部を御影さんに遠隔観測していただき、見えた状況を言葉で伝えて研究者たちの記録・解析に協力してほしいという学術支援の依頼ですね」
「研究の支援、ですか。そのような用途もあるのですね」
「はい。そして四つ目は、民間の大手特殊警備会社からの相談です。彼らが警備を請け負っている重要施設の定期的な安全確認や、万が一異常が発生した際の遠隔からの状況把握について、顧問のような形で協力を仰ぎたいとのことです。もちろん、民間案件ですので、プライバシー保護の観点から観測対象や業務範囲を契約で厳密に限定することが前提となります」
公的な救難機関から研究職、果ては民間の警備業界まで。
しかも霧島が最後に付け加えたところによれば、噂を聞きつけた海外の公的捜索機関からも「国境を越えた遭難事案などで協力を頼めないか」という打診まで届き始めているという。
(……いや、待て待て待て! 海難救助に山岳救助、大学の研究に民間警備、おまけに海外からまで!? 千里、ちょっと仕事の幅が広すぎないか!?)
ガチャで引いた当初は「四万キロ先まで見えるサポート用の★4キャラ」という認識だったが、いざ現代社会のニーズに当てはめてみると、その能力の社会的価値と潰しの利き方は、戦闘特化の★5キャラクターたちに勝るとも劣らないとんでもないものだったらしい。
◆
ズラリと並んだ外部組織からの要請リストを一通り確認したところで、千里はふと疑問に思ったことを霧島へと尋ねた。
「……霧島さん。一つ、基本的なことを確認してもよろしいでしょうか?」
「はい。何でしょうか」
「私は現在、こうして八咫烏との契約で週一回の広域観測支援業務を行っておりますが……そもそも、このような八咫烏以外の外部の組織からのお仕事を、個人的にお引き受けしても問題ないのでしょうか?」
すると霧島は、何を今さらといった様子で穏やかに微笑み、はっきりと首を縦に振った。
「ええ。もちろん、何の問題もございませんよ」
「そうなのですか?」
「御影さん――いえ、森川さん。以前にもご説明した通り、八咫烏への『能力者登録』という制度は、八咫烏という組織への就職や専属所属を意味するものではありませんので」
小会議室に他の職員がいないこともあり、霧島は契約主体である直哉本人へ向けた丁寧な口調で、改めて制度の仕組みを噛み砕いて説明してくれた。
「我々八咫烏は、国内の能力者の登録管理や安全支援、仕事の紹介、そして法的な調整などを担う行政機関ですが、登録能力者の活動を独占して縛り付けるための組織ではございません。現在、御影さんには八咫烏との間で継続的な観測支援の業務契約を結んでいただいておりますが、これもあくまで『週一回の業務委託契約』であって、私どもの専属職員になっていただいたわけではないのです」
「……言われてみれば、確かにそうでしたね」
「はい。ですから、八咫烏との既存の契約業務や守秘義務に支障が出ない範囲であれば、他の公的機関や民間企業から直接お仕事を受けて契約されることも、能力者ご本人の完全な自由なのですよ」
直哉は、千里の落ち着いた表情の裏で(……あー、そっか!)と目から鱗が落ちる思いだった。
思い返してみれば、最初に八咫烏へ登録した際にも「普段は一般企業で働きながら休日に案件を受ける人や、自営業の人もいる」と説明を受けていたし、現に直哉自身、ノアの紹介でアメリカ政府から直接アルビオン公国の依頼を受けたこともある。
ただ、普段の東京での仕事は霧島や八咫烏のアプリ経由で受けるものばかりだったため、ついつい八咫烏が自分の『所属会社』であるかのような感覚になっていたのだ。
千里が確認するように尋ねる。
「では、たとえば先ほどの民間の特殊警備会社や研究機関と、私が直接契約を結んでお仕事をすることも?」
「はい、適法な業務内容であればまったく問題ございません。海外の公的機関との契約につきましても、契約自体は一切禁止されておりません。ただ、国外案件の場合は現地の法制度や超常情報の取り扱いなど確認すべき手続きが増えますので、事前に私どもへご相談いただいた方が安全ではございますね」
「なるほど、承知いたしました」
霧島は、千里という貴重な能力者を八咫烏だけで囲い込もうとするような狭量な態度は一切見せなかった。
むしろ、外部の悪質な業者に買い叩かれたり違法な観測を強いられたりしないよう、こうして間に立って条件を精査し、必要な選択肢を整理して提示してくれているのだ。
「今回ここにお持ちした要請は、いずれも八咫烏の窓口宛てに『御影さんへ取り次いでほしい』と正式な手続きを経て届いたものです。もしご興味のある案件がございましたら私どもから先方の担当者をご紹介いたしますし、今後別ルートで直接お話が来た場合も、ご自身の判断で自由に進めていただいて構いません」
どこまでもフェアで誠実な霧島のスタンスに、直哉は改めて信頼を深めた。
◆
千里は、タブレットに表示されている各組織からの提示条件へと視線を落とした。
「ちなみに、これらの外部要請の報酬などの条件は、どのようになっているのでしょうか?」
「単発の緊急捜索協力から、月単位での定期的な観測顧問契約まで形態はさまざまですが……いずれも御影さんの能力の希少性を踏まえ、相応に高い水準の報酬が提示されております」
霧島が画面をタップして具体的な提示額の目安を表示すると、直哉は内心で(……おおっ!?)と目を見張った。
どの案件も、一般の労働相場からすれば桁が一つ二つ違うような好条件ばかりだ。
(しかもこれ、千里の《天眼》なら、わざわざ危険な雪山とか遠い海の上まで自分の足で移動しなくても、東京の安全な場所から遠隔で見て伝えるだけで対応できる仕事が結構あるんじゃないか!?)
もちろん、現場の指揮官と直接顔を合わせて細かい条件をすり合わせる必要がある案件や、観測阻害があって近くまで行かなければならないケースもあるだろうが、それでも移動時間をほぼゼロにして複数の組織の仕事を受けられるというのは、千里ならではの圧倒的な強みだった。
……だが、そこまで皮算用を広げたところで、直哉の三十四歳の元社畜としての防衛本能がピピッと警報を鳴らした。
(……いや、待てよ俺。いくら条件がよくて座ったまま稼げるからって、ここにある外部の依頼を欲張って片っ端から全部引き受けたら、普通にスケジュールがパンクしてめちゃくちゃ忙しくなるよな!?)
今の直哉には、青森の神社での梓との穏やかな居候生活がある。東京での八咫烏の定例業務もある。
そして何より――。
(三つの身体があるからって、仕事を三倍詰め込んで働きづめになったら、青森での生活を始めてすぐ、東京のマンション用に買い直したハイスペックPCでゲームする時間が減るじゃねえか!!)
直哉にとって、労働とはあくまで『楽しく快適にゲームをして暮らすための手段』であって、人生の目的ではない。フリーランスの自由を手に入れたのに、自分で自分の首を絞めてブラック企業時代のような過密スケジュールに戻ってしまっては本末転倒もいいところだ。
そんな直哉の内心の葛藤を察したかのように、霧島がふっと口元を緩めて言葉を添えた。
「もちろん、ここに並んでいるすべての要請にお応えいただく必要はまったくございませんよ。御影さんの集中力のご負担や、他のご予定との兼ね合いもございますので、気が向いたものや無理のない範囲のものだけをご検討いただければ結構です」
千里は、ホッと安堵したように静かに頷いた。
「ありがとうございます。では、いただいた資料を一度持ち帰り、現在のスケジュールと照らし合わせて検討してから、改めてお返事させていただきますね」
「承知いたしました。急ぎませんので、どうぞごゆっくりご検討ください」
こうして霧島との面談を終えた千里は、資料データを受け取って小会議室を後にした。
ちょうど同じ頃、臨海工業地域での飛行怪異の狙撃任務を完璧に終えた鳴海伊織の身体も、送迎車から降りて都内の新居マンションへと帰り着いたところだった。
八咫烏の施設を出た千里の身体がマンションへ向かう地下鉄に揺られる一方、先に帰り着いた伊織はリビングで一息ついていた。直哉は青森の神社で過ごす生身の自分の感覚も持ちながら、今日一日の出来事を心地よく振り返っていた。
(……いやー、これまで八咫烏から回してもらう仕事だけでも十分すぎるくらい稼げてたけど、世の中には本当にいろんな需要と依頼があるんだな)
午前中は、★4の伊織の精密な狙撃技術でプラントの設備を守りながら怪異を一撃で仕留め、現場のプロたちから大いに感謝された。
そして午後には、同じく★4の千里の観測能力に対して、海難救助や災害調査、研究機関や民間警備など、世界中のあらゆる分野からラブコールが届いていることを知った。
(ガチャでいろんなタイプのキャラクターを引くっていうのは、ただ戦闘で強い手札が増えるだけじゃなくて、こうやって現実の社会でできる『仕事の選択肢』そのものがどんどん広がっていくってことなんだな)
しかも、《並列集結》があるおかげで、生身の自分は青森の古い神社で梓と一緒に美味しいご飯を食べて暮らしながら、東京に残した身体でこうした専門的な仕事を自由に選んで続けることができる。
(……よし。せっかくこれだけ選択肢があるんだし、人助けになって面白そうな単発の仕事があったら、無理のない範囲でいくつか外部の依頼も受けてみるか!)
そう前向きに頷いた直後、直哉はマンションのリビングで新しく光っている自慢のゲーミングPCのモニターを、伊織の視界で見つめてギュッと拳を握りしめた。
(ただし! 俺の毎日のゲーム時間を絶対に削らない範囲で、な!!)
どれだけ世界から求められる凄腕の能力者になろうとも、三十四歳の男の人生における最優先事項だけは、今日も揺るぎなく守られているのだった。
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