俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
夜摩紗羅を引き当てた興奮冷めやらぬまま眠りにつき、迎えた翌朝。
朝食と毎朝の境内の掃き掃除をひと通り終え、社務所の縁側で熱い番茶をすすっていた直哉に、隣で湯呑みを持った御巫梓が興味深そうに声をかけてきた。
「そういやナオさん。昨日の夜に大騒ぎして当ててた、あの『世界征服しかけた女の子』だっけ? 今日、実際に変身して見せてくれるんでしょ?」
「もちろんです! 昨日はもう夜遅かったんで我慢しましたけど、俺も早く試してみたくて朝からウズウズしてたんですよ!」
直哉が目を輝かせて大きく頷くと、梓は「ふふ、本当に新しいおもちゃを手に入れた子供みたいね」と苦笑しつつも、その瞳には術者としての確かな好奇心を宿らせていた。
「まあ、あーしも正直かなり気になるしね。幽霊だか英霊だかを呼び出して使役する『霊媒師』って言ってたでしょ? あーしの封印術とも隣り合う分野だし、一体どういう仕組みの術を使うのか、本職の目でしっかり見せてもらうわよ」
昨夜のガチャの最中は、何もない壁に向かって正座して祈る直哉の奇行を面白がって見物していただけだったが、いざ実際の超常能力の検証となれば話は別だ。怪異や霊的存在を封じる最高峰の専門家として、直哉の新たな手札には並々ならぬ関心があるらしかった。
直哉はさっそく立ち上がって「じゃあ、ここで変身して召喚してみますね!」と張り切ったのだが、梓がすかさず片手を上げてストップをかけた。
「あ、ちょっと待ちなさい。あんた、その子の能力で実際にどんなもんが飛び出してくるか、まだ一回も自分の目で見てないんでしょ?」
「ええ、まあ。能力の説明文は一通り読みましたけど、実物を召喚するのは今日が初めてですね」
「だったら、うちの神社の境内のど真ん中でいきなり呼び出すのはやめときなさいよ。ここ、仮にも神様を祀ってる神社で、地下には古い封印のラインも通ってるんだからね?」
「……あ、確かに。言われてみればその通りですね」
「高位の霊的な存在を不用意に呼び出して、もしうちの結界と変に干渉したり暴れたりしたら面倒でしょ。霊的なものを扱うなら、ちゃんと場所を選ばないと」
紫苑で京都の寺を更地にした苦い記憶が脳裏をよぎり、直哉は素直に反省して首を縦に振った。
そこで二人は相談し、まずは人目のない社務所の客間で夜摩紗羅への初変身だけを済ませ、実際の契約霊の召喚テストについては、神社の重要な封印や社殿から十分に離れた山中の開けた場所へ移動して行うことに決めたのだった。
◆
客間の襖を閉め、周囲に誰もいないことを確認した直哉は、畳の中央に立って視界の《因果集結クロニクル》を開いた。
なお、東京都内で稼働させている御影千里と鳴海伊織の二身体はそのまま維持し、青森にいるこの生身の身体をそのまま切り替える。
キャラクター一覧から選択するのは、昨夜手持ちの育成素材を投入してすでに現在のキャップであるLv.40まで強化を終えている新規メンバーだ。
『★★★★★ 夜摩紗羅《万霊の覇巫女》』
『Lv.40 / 現地登録Tier:1』
(……よし! いよいよ初変身だ!!)
(六つの大国を滅ぼした元・世界征服者のTier1って、実際に変身したらどんな感覚なんだろうな!)
直哉は期待に胸を膨らませながら、『【CHARACTER CHANGE】』へと意識を重ねた。
次の瞬間、直哉の足元から立ち昇ったのは、これまでのどのキャラクターとも異なる、深く重厚な『黒と朱色』の霊光だった。
黄金色に輝く古風な文字のような紋様が空間を螺旋状に駆け巡り、三十四歳の男の肉体を包み込んで、骨格から身長、声帯、そしてまとっている衣装に至るまでを瞬く間に書き換えていく。
数秒後、霊光がスッと霧散した客間の畳の上に、一人の美少女が姿を現した。
床に届きそうなほど長く艶やかな、夜闇のごとき漆黒の髪。
あらゆるものを値踏みし、見下ろすような強い光を宿した黄金色の瞳。
小柄で華奢な体躯でありながら、黒と鮮やかな朱色を基調とし、金糸で緻密な刺繍が施された豪奢な巫女装束を身にまとったその立ち姿には、神に奉仕する巫女というよりも、自らが神殿の玉座に深く腰掛けて万民を従える『女帝』のような絶対的な威厳が満ちていた。
少し離れた位置で見守っていた梓が、息を呑んで目を丸くした。
「……へえ」
「…………」
「……いやー、これはまた、ずいぶんと凄みのある子が出てきたわね」
同じ『巫女装束』という括りであっても、梓が普段着ている清浄で簡素な白衣と緋袴とは方向性がまるで違う。ただそこに立っているだけで、周囲の空気の密度が一段階重くなったかのような錯覚すら覚えるほどの覇気だった。
直哉は、自分の新しくなった小さな手や豪奢な袖口を軽く見下ろして動作確認を済ませると、(よし、まずはいつも通り普通に挨拶するか)と梓の方を向いた。
直哉の頭の中にある言葉は、『梓さん、改めまして夜摩紗羅です。今日の能力検証、よろしくお願いしますね』という、ごく常識的で丁寧な同居人としての挨拶だった。
しかし、夜摩紗羅の声帯とキャラクター補正のフィルターを通過して外へと出力された音声は――。
「梓よ。余こそが夜摩紗羅である。今日の試技、そなたにも見届けてもらうとしよう」
鈴を転がすように澄み切った美声でありながら、大国の皇帝が臣下に言葉を賜るかのような、圧倒的に尊大で不遜な口調だった。
(…………)
(……うわっ!? なにこれ、口調がめちゃくちゃ偉そう!!)
誰よりも驚いたのは、当の発言者である直哉本人だった。
目の前の梓も、ポカンと口を開けて三秒ほど固まった後、おそるおそる指を差して確認してきた。
「……えーと、中身はナオさん、よね?」
「うむ。余である」
(いや、『余である』じゃなくて『俺です』って言ったつもりなんだけど!!)
直哉が内心で頭を抱えた瞬間、梓はこらえきれずに「ぷっ……あはははははっ!!」と腹を抱えて大笑いし始めた。
「ちょ、ちょっと待って! なんでその子の姿になった途端に、そんな時代劇の暴君みたいに偉そうな喋り方になってんのよ!?」
直哉は慌てて、「いや、俺がわざとやってるんじゃなくて、変身すると自動的にそのキャラクターの口調に変換される仕様なんですよ!」と弁明しようとした。
だが、紗羅の桜色の唇から紡ぎ出されたのは、腕を組んで顎をわずかに上げたままの、こんな言葉だった。
「ふむ。余の言葉は、この肉体が持つ本来の王の作法に従って整えられるのだ。些末なことにいちいち驚くでない」
(……なんだよ『王の作法に従って整えられるのだ』って!! 言ってる意味は同じなのに、なんで自動的にこんな上から目線のラスボス語録に変換されるんだ、このシステムは!?)
「あははは! お腹痛い! 中身は昨日、足が痺れて畳の上を転げ回ってたナオさんなのに、ガワが変わると『余である』って! 最高に面白いわね、その子!」
涙を浮かべて笑い転げる梓を前に、直哉は(くそっ、中身はいつもの俺なのに、喋れば喋るほど威厳たっぷりの覇巫女様になっちまう……!)と、これまでの紫苑やレイジ、白芷とはまたベクトルの違う強烈な口調補正の威力にタジタジになるのだった。
◆
ひとしきり笑いが収まった後、二人は社務所を出て、神社から少し離れた山中の開けた空き地へと歩いて移動した。
そこは一般の参拝客や登山者が入り込むことのない御巫家の私有地の一部であり、神社の本殿や重要な封印のラインからも十分な距離が離れているため、万が一強い霊力がぶつかっても周囲に悪影響が出ない場所だった。
梓は空き地の四隅に立つと、懐から取り出した数枚の符を使って手際よく印を結び、周囲一帯を覆う簡易的な隔離用の結界を展開してくれた。
大物を閉じ込めるための本格的な封印ではなく、今から行う召喚実験の霊的な気配が山の外へ漏れないように遮蔽し、万が一召喚された霊が暴走しかけた際には梓が即座に介入して抑え込めるようにするための、いわば安全対策の実験場だ。
(……いやー、さすが梓さんだな。俺一人でやるとなると場所選びだけでも気を使うけど、本職の人がこうして安全な環境を作ってくれると本当に助かるわ)
直哉は心からの感謝を込めて、「ありがとうございます、準備が早くて助かりますよ」とお礼を言った。
すると、紗羅の口からは、満足げに鷹揚(おうよう)に頷きながらこんな言葉が出た。
「ふむ。用意のよいことだ、梓よ。そなたの結界の術、なかなかの手並みであるな。褒めてつかわす」
結界を張り終えて振り返った梓の眉が、ピクリと引きつった。
「……ねえ、あんた、それ素直にお礼を言って褒めてるつもりなんでしょうけど、なんかものっすごく上から目線で腹立つわね!」
(……すみません!! 本当に悪気はないんです!!)
心の中で平謝りする直哉に、梓は「ま、仕様なら仕方ないか」と苦笑して肩をすくめ、人差し指を立てて実験の条件を確認してきた。
「いい、ナオさん。いくらあーしが結界を張ったからって、最初からいきなり制御できないようなデカい霊を何体も同時に出すのはやめてよね。まずは一体ずつ、安全を確認しながらいくわよ」
「うむ、承知した」
「それと、うちの山の地脈や封印の方には絶対に干渉させないこと。もしちょっとでも怪しい反応や暴走の兆しがあったら、あーしの判断ですぐに中止させるからね」
「無論だ。よかろう」
(……なんか俺、さっきから『うむ』とか『よかろう』しか言ってない気がするな!?)
自分の口から出る尊大な相槌に自分でツッコミを入れつつ、直哉は空き地の中央へと進み出た。
◆
いよいよ、夜摩紗羅の固有能力《百鬼勅令》の初使用である。
紗羅の肉体へと変身したことで、直哉の脳内には、霊的な存在を呼び出して使役するための術式の組み立て方や、契約霊たちとの繋がりの感覚が、まるで最初から身体に染み付いていた技術のように自然と理解できていた。もちろん、紗羅本人の別人格が頭の中で喋りかけてくるわけではなく、あくまで直哉自身が使えるスキルとしての感覚だ。
(よし、最初は偵察用の小規模な召喚から試してみよう)
直哉は、スキル欄に並んでいた四種の代表的な契約霊の中から、最も扱いやすそうな索敵用の霊を選択し、軽く右手を掲げた。
「来たれ、《百鬼勅令》――《千目の幽鳥(せんもくのゆうちょう)》よ」
紗羅の澄んだ声が響いた瞬間、彼女の周囲の空間に、墨を流したような黒い霧状の霊光がふわりと湧き上がった。
そしてその霧の中から、カラスよりも一回り小さな、漆黒の羽毛を持つ数羽の鳥たちが音もなく姿を現した。ただの黒い鳥ではない。その翼の縁や尾羽には、淡い金色の美しい紋様が浮かび上がっており、物理的な肉体ではなく高密度の霊力によって形作られた存在であることがひと目で分かった。
(……おおお!! 本当に何もないところから出たぞ!! しかも、金色の模様が入ってて見た目がめちゃくちゃ格好いい!!)
直哉が内心で目を輝かせる横で、腕を組んで観察していた梓も、興味深そうに身を乗り出した。
「……へえ。見た目は陰陽師とかが使う式の鳥に近いけど、ただ術者の霊力を切って貼って形だけ作った使い魔とは、中身の密度が全然違うわね」
「どうであろう、梓よ」
「うん、ちゃんと個別の『霊的な核』を持った存在が、あんたの能力の枠組みを通して現世に顕現してる感じよ」
さすがは専門家だ。ただのエネルギーの塊ではなく、明確な霊的存在が召喚されていることを一瞬で見抜いていた。
直哉は続けて、空中でホバリングするように待機している五羽の《千目の幽鳥》へと意識を向け、命令を下した。
「行け。この周囲の森を巡り、余が求める景色を見届けよ」
(……ただ『ちょっと周りを見てこい』って指示しただけなのに、言い方が完全に大帝国の王様なんだよなあ!)
命令を受けた幽鳥たちは、鳴き声一つ立てずに一斉に翼を広げ、空き地を取り囲む杉木立の上空へと矢のように飛び立って、東西南北の別々の方向へと散開していった。
その直後。
直哉の脳内に、地上に立っている紗羅自身の視界とは別に、上空を飛ぶ五羽の幽鳥たちが捉えている『五つの俯瞰視界』が同時に流れ込んできた。
(……うおっ!? おおお、ちゃんと鳥たちの目と視界共有ができるのか!!)
千里の《天眼》のように、任意の座標を直接空間透過して見る能力とはまた感覚が違う。実際に空を飛んでいる複数の偵察ドローンからのカメラ映像が、リアルタイムで頭の中に送られてくるような感覚だ。
ただ、いきなり五羽分の高速移動する視界を同時に受け取ったため、直哉は一瞬だけ(……うわ、五つの画面が同時に動くと、どれがどこの景色だか目が回ってごちゃごちゃするな!?)と軽く混乱しかけた。
しかし、すぐに紗羅の身体に備わった統率の感覚に従って意識を整理すると、「普段は鳥たちに自律飛行で周囲を警戒させておき、気になった一羽の視界だけをメイン画面として拡大して見る」という切り替えがスムーズにできるようになった。
(……なるほど! 千里やエレノアを動かす《並列集結》の時とはまたちょっと違う、RTSのユニット操作みたいな感覚だな。これ、慣れれば相当便利だぞ!)
数分ほど森の上空を旋回させてから、直哉が帰還を命じると、五羽の幽鳥たちは再び黒い霊光となって紗羅の周囲へと戻り、静かに消えていった。
それを見ていた梓が、感心したように頷いた。
「……へえ。これ、周辺の偵察や見張りだけでも随分使いやすそうじゃない」
「うむ。余が臣下は、このような雑務であっても優秀であろう」
「……たださ、あんたには元々、あの千里ちゃんっていう地球の裏側まで見通せる観測能力の変身もあるんでしょ?」
「無論だ」
「だったら、遠くの特定ポイントを直接覗き見る時は千里ちゃんを使って、こうやって自分の周りの広い範囲に自動で網を張って警戒させたり、敵の注意を散らしたりする時はこの鳥を使う、って感じで綺麗に使い分けができるわけね」
(……あっ、そうそう! まさにそれだよ!!)
梓が的確に戦術上のメリットを言語化してくれたことに、直哉は内心で大きく膝を打った。千里が『超高精度の長距離スコープ』なら、この幽鳥は『周囲にばら撒いておける自動索敵センサー兼かく乱ユニット』なのだ。
◆
偵察ユニットの挙動が問題ないことを確認した直哉は、いよいよ本命である前衛の主力契約霊の召喚へと移ることにした。
(……よし! 次は、昨日のプロフィール画面でも一番目立ってた、本格的な戦闘ユニットを呼んでみるぞ!)
直哉は、空き地の中央で一歩前へと踏み出し、右手を前方へと掲げた。
「我が忠実なる臣下よ。余が勅令に応え、その武威をここに現せ――《黒鎧の霊将(こくがいのれいしょう)》!」
号令とともに、先ほどの幽鳥の時とは比較にならないほど濃密な黒と朱の霊光が、数メートル先の地面へと渦を巻いて集束した。
ズシン、と地面そのものが重みで沈み込むような気配。
カチャリ、という重厚な金属の甲冑が擦れ合う音が響き、立ち昇る黒い霧の中から、一つの巨大な影がゆっくりと姿を現した。
身長は二メートルを優に超えるだろう。
全身を隙間なく覆っているのは、歴戦の傷跡が刻まれた漆黒の大鎧。顔面はいかめしい黒鉄の面頬(めんぽう)と兜に隠れて見えず、その奥で二つの双眸だけが静かな蒼い霊火のように灯っている。そしてその右腕には、身の丈を超えるほど長大な黒槍が軽々と握られていた。
百五十センチ台の華奢な美少女である紗羅が、軽く見上げなければならないほどの威圧感あふれる巨躯。
(……うおおおおお!! なんだこれ、めちゃくちゃ格好いいじゃん!! 完全にダークファンタジーのボスキャラの親衛隊長だ!!)
直哉がその圧倒的なビジュアルに大興奮した、次の瞬間だった。
顕現したばかりの巨大な《黒鎧の霊将》は、周囲を見回すよりも先に、くるりと主である紗羅の方へと向き直った。
そして、大槍の石突を地面に立てると、その巨体を折り曲げて紗羅の目の前で恭しく『片膝』をつき、兜の頭を深く垂れて静止したのだ。
一切の言葉を発さずとも、その全身から「我が君、いかなる御命令なりともお下しください」という絶対の忠誠と礼節がひしひしと伝わってくる。
紗羅の身体は、その礼を受けるのが当然であるかのように、優雅に小さく頷いて応えた。
「うむ。よくぞ参った、我が将よ」
(……すげえええ!! ただのモンスター召喚じゃなくて、本当に王様に仕える忠臣として出てきてくれるんだな、これ!!)
直哉が感動していると、横で見ていた梓から、先ほどまでの気軽なトーンが完全に消えた低い声が飛んできた。
「……ちょっと待って、ナオさん」
「ん? 何だ、梓よ」
「……今出てきたその鎧の武人、冗談抜きで相当強いわよね?」
「当然であろう。余が前衛を任せる武人ぞ」
「いや、そうなんだけど……」
梓の黒曜石のような瞳が、かつてないほど真剣な光を帯びて《黒鎧の霊将》を凝視していた。
もちろん、実効Tier0.5の封印術者である梓は、高位の霊的存在や強大な怪異そのものを見慣れている。ただ霊の出力が高いというだけなら、ここまで表情を変えたりはしない。
彼女が本職の術者として心底驚愕していたのは、『このクラスの大物である武人の霊を、事前の儀式も供物もなしに一瞬で現世へ呼び出し、しかも術者への反発や霊的なブレが一切ない完全な安定状態で従わせている』という事実そのものだった。
通常、これほど強い自我と武威を持った高位の霊を現世へ呼び出せば、術者の支配を振り切ろうとする激しい軋みや、周囲の空間を汚染する荒々しい瘴気が少なからず発生する。それを無理やり術者の霊力でねじ伏せて使役するのが一般的な使役術の限界だ。
ところが、目の前の黒鎧の武人には、無理やり鎖で縛り付けられているような歪みが微塵もない。まるで生前から何年も苦楽を共にしてきた主君と騎士のように、極めて自然で強固な『相互の契約』によってそこに存在しているのだ。
「……あんた、このレベルの独立した高位霊を、そんな呼吸するみたいに普通に呼べるわけ?」
「無論だ。これとても、余が率いる万の軍勢の一将にすぎぬ」
「……これで『一将にすぎない』って、あんたの世界の軍勢どうなってんのよ!?」
梓が頭を抱えかけながらも、空き地の奥にある手頃な大岩を指差して言った。
「ちょっと、その武人がどれくらい正確に動けるのか見たいわ。あそこの岩、周りの木を傷つけずに突かせてみて」
「たやすいことだ。――我が将よ、あの岩のみを撃ち抜け。周囲の草木を荒らすでないぞ」
紗羅が命じると、片膝をついていた《黒鎧の霊将》が音もなく立ち上がった。
そして、次の瞬間。
あれほどの巨体と重装甲からは想像もつかないほどの爆発的な速度で地を蹴り、一瞬にして十数メートル先の大岩の前へと肉薄した。
構えた黒槍が、目にもとまらぬ鋭さで一閃される。
ドォンッ!!
低く重い衝撃音が響いた。
しかし、周囲の木々を揺らすような無駄な暴風や破片の飛散は一切起きなかった。放たれた槍の穂先と凝縮された霊撃のエネルギーが、大岩のど真ん中の一点だけに吸い込まれるように集中し、分厚い岩盤の芯を綺麗に貫通して風穴を穿っていたのだ。
一撃を終えた霊将は、残心をとって槍を引くと、再び音もなく紗羅の前へと戻ってきて、最初と同じように片膝をついて頭を垂れた。
(……おおおおお!! パワーとスピードがTier2上位クラスにあるだけじゃなくて、俺の『周りを傷つけるな』っていう細かい命令通りに、威力を一点だけに絞って手加減までできるのか!!)
直哉が内心で拍手喝采を送る横で、穿たれた岩の穴を確認した梓が、感嘆のため息を漏らした。
「へえ……ただ力が強いだけの暴れん坊じゃなくて、技量も制御も完全に一流の武人じゃない。……なるほどね、あんたが昨日言ってた『六つの国を征服した』って話、ただの誇大広告じゃなさそうね」
「ふふん。今頃理解したか、当然よ」
(……いやー、自分のキャラが褒められると、なんか俺まで誇らしくて鼻が高いなあ!!)
◆
前衛の霊将を一度帰還させた直哉は、せっかく梓が結界を張ってくれているこの機会に、残る二体の代表的な契約霊の動作も続けて確認しておくことにした。
三番目に呼び出したのは、《縛魂の女官(ばくこんのにょかん)》だ。
現れたのは、古風で煌びやかな宮廷衣装に身を包み、顔を薄いヴェールで隠した長身の女官の霊だった。その両腕には、生き物のようにふわりと宙を舞う何本もの長い白い『呪布(じゅふ)』がまとわりついている。
もちろん、目の前の梓本人を実験台にして縛るわけにはいかないため、梓が即席で空間に浮かべた『実験用の小さな霊力球』を対象として拘束のテストを行った。
紗羅の命を受けた女官が優雅に袖を振ると、白い呪布が蛇のように伸びて霊力球へと幾重にも巻きつき、ただ物理的に締め上げるだけでなく、球体を構成している霊力の流動そのものをピタリと凍結させるように動きを封じ込めた。
それを間近で観察した梓が、「……へえ」と目を細めた。
「これまた面白いわね。力任せに上から押さえつけてるんじゃなくて、相手の霊力の通り道を見極めて、そこを布で塞いで麻痺させてるのね。あーしらの封印術みたいに何十年も場所ごと隔離するための術じゃなくて、戦闘中に目の前の相手を即座に無力化して捕縛するための、完全に実戦特化の拘束術だわ」
「うむ。生け捕りにするも、動きを止めて霊将の槍の的にするも、余の思いのままである」
そして四番目に召喚したのが、《白骨の軍師(はっこつのぐんし)》だった。
豪奢な道服を着込み、手には羽扇(うせん)を持った白骨の老軍師の霊で、彼が羽扇をひと振りすると、紗羅と梓の周囲を取り囲むように幾重もの幾何学的な陣法が展開され、半透明の強固な防御障壁が立ち上がった。さらに、陣の内側にいる直哉自身の身体にも、霊力の巡りを滑らかに補助するような心地よい支援効果が付与されるのが分かった。
「……あー、なるほど。このお爺ちゃん霊は、バリアを張ったり味方をサポートしたりする後方支援の軍師枠ってわけね」
「うむ。兵には兵の、将には将の、そして軍師には軍師の役目があるのだ」
(……おおお! 偵察の鳥、前衛アタッカー兼タンクの将軍、デバフ拘束の女官、バリアとバフの軍師! これ、夜摩紗羅ちゃん一人に変身するだけで、召喚ユニットによるバランス完璧な四人パーティーが最初から完成してるじゃないか!!)
一通りの基本動作確認を終えて軍師を帰還させると、直哉は自分の手札に加わったこの新しい★5キャラクターの完成度の高さに、ゲーマーとして深い満足感を覚えていた。
◆
四種の契約霊のデモンストレーションをすべて見届けた梓は、結界を解きながら、しばらく顎に手を当てて考え込んでいた。
そして、目の前で腕を組んで立っている小さな覇巫女――紗羅に向かって、率直な感想を口にした。
「……いやー、ナオさん。正直に言うわ、これは本当に凄いわね」
「ふふん、そうであろう」
「相変わらずその偉そうな言い方はちょっと腹立つけど、今回ばっかりは素直に認めるわよ」
自分の専門分野に近いからこそ、梓の評価は具体的で重みがあった。
「この前、強大な怨霊を神様として祀り上げて、契約を結ぶやり方があるって話をしたでしょ? 霊や神格と契約して力を借りる技術そのものは、こっちの世界の術者社会にも昔からあるのよ。あーしだって理屈は知ってるわ」
「うむ」
「でもね、普通はそういう契約って、一体一体の神様や大霊を相手に、場所と時間をかけて厳重な儀式を組んで、ようやく限定的に力を借りられるかどうかっていう綱渡りの代物なの。それなのにあんたのその《百鬼勅令》は、あれだけ格が高くて役割もバラバラな高位の霊たちを、その場で事前準備もなしにポンポン呼び出して、しかも一ミリの乱れもなく手足みたいに動かしてるじゃない」
梓は、先ほどまで黒鎧の霊将たちが立っていた空間を見渡して、大きく息を吐いた。
「あーしら御巫家の封印術も、対象の力を抑え込んだり、時には封じた相手から力だけを引き出して結界の維持に利用したりする技術はあるけど……あんたのそれは『封じて管理する』んじゃなくて、『王様として最初から霊たちと主従契約を結んで、軍隊として自在に運用する』ことに特化しきってる。うちの術とは根本の思想と方向性が違いすぎるわね」
封印術の頂点に立つ梓だからこそ、それが単なる「便利な召喚魔法」などではなく、一つの完成された巨大な霊術体系であることに気づいたのだ。
そこで梓は、ふと気になったように紗羅の顔を覗き込んだ。
「ちなみにさ、あんたが今呼び出したあの武人や女官たちって、こっちの世界でいう幽霊――お役所言葉でいうところの《存在痕跡》と、同じ種類のものなの?」
先日、警察庁へ向かう車内で霧島から聞いたばかりの《存在痕跡》という用語が出てきて、直哉は紗羅の身体の中で少しだけ思考を巡らせた。
直哉の意識を通じて感じ取れるのは、彼らが間違いなく『夜摩紗羅という巫皇に忠誠を誓い、その契約に連なっている霊的存在である』という確かな手触りだ。
しかし、彼らが本当にどこか実在した異世界の古戦場から魂として直接呼び出されているのか、それとも《因果集結クロニクル》という能力が紗羅の生前の伝説を再現して構築している霊体なのか、その根源的な成り立ちの区別までは、今の直哉にも断定することはできなかった。
「……少なくとも、彼奴(きゃつ)らが余の盟約に連なる誇り高き臣下の霊であることは揺るがぬ事実だ。この世の常の亡霊と同列であるかは、余にもまだ判別がつかぬがな」
「ま、そうよね。あんたの能力から出てくる人や物の出所なんて、今さら普通に考えても分かんないわよね」
梓もそこは深追いせず納得したように頷いたあと、先ほど霊将が紗羅の前で恭しく片膝をついていた光景を思い出すように、少しだけ柔らかい目をして付け加えた。
「……それにしてもさ。さっきの黒い鎧の人も、他の霊たちも、あんたに逆らう気配が本当にこれっぽっちもなかったわよね」
「当然だ。余が臣下ゆえな」
「いや、そういう言葉の上での主従関係ってだけじゃなくてさ。術で無理やり首輪をつけて従わせてるような冷たい感じが全然しなかったのよ。なんていうか……本当に自分の意思で、喜んであんたを主君として立ててるみたいな空気だったわ」
梓のその言葉に、直哉の脳裏には、昨夜読んだ夜摩紗羅の人物伝の最後の一節が自然と蘇ってきた。
「昨日の夜、あんたが言ってたじゃない。その子の元の世界の最後の決戦で、部下の霊たちを全部すり潰して燃料にする禁術を使えば勝てたかもしれないのに、それを拒んで負けたって」
「……うむ」
「六つも国を武力で征服しようとしたこと自体は、平和な現代人のあーしからするとどうかと思うけど……少なくとも、自分についてきた部下たちからは、本当に心の底から慕われてた『いい王様』だったのかもしれないわね」
(……ああ、本当にそうなんだろうな)
実際にこうして《黒鎧の霊将》たちの揺るぎない忠義の所作を間近で見たあとでは、なぜ彼女があの究極の場面で勝利と世界統一を捨ててまで配下を守ったのか、その理由が単なるテキストの設定ではなく、温かい実感を伴って直哉の胸にも落ちてきた。
直哉がそう感じた思いは、そのまま紗羅の黄金の瞳の輝きと、凛とした声になって外へと紡ぎ出された。
「臣下とは、余と共に覇道を歩む誇り高き者どもである。いかに勝利のためであろうと、余が野望の薪(たきぎ)として使い捨てる道具などでは断じてない」
(……おお、俺が思ったことが、紗羅ちゃんの口を通すとめちゃくちゃ威厳のある名君のセリフになったな!?)
自分で言っておきながら内心で感心する直哉を見て、梓も「……なるほどね。傲慢ちきな世界征服者様にも、絶対に譲れない筋の通った矜持があったってわけか。ちょっと気に入ったわ」と、どこか嬉しそうに微笑んだのだった。
◆
空き地での基本的な召喚テストを終えたところで、梓がパンパンと手を払って一区切りをつけた。
「よし、ナオさん。今日の屋外テストはこのくらいにしときましょ」
「む、もうよいのか?」
「だって、あんたまだその子の『専用武装』ってやつを持ってないんでしょ? 素の状態でこれだけ高度な召喚と制御ができるって分かっただけでも十分すぎる収穫よ。これ以上デカい大技の試験なんかやったら、あーしの簡易結界じゃ隠しきれなくなって山の木が吹っ飛ぶわ」
直哉も、それには素直に頷いた。
紗羅には、すでにEXスキルとして《万霊戴冠》――配下の霊軍を統合して超巨大な霊体武神《冥皇》を顕現させる奥義が備わっている。しかし、そんなものをこの神社の裏山でぶっ放せば、京都の寺の二の舞になることは火を見るより明らかだ。
(……それに、やっぱり気になるのはアレだよな!)
直哉は、視界の端に表示されている紗羅のステータス画面の装備欄をもう一度見つめた。
『推奨専用武装:★★★★★《万霊名籍・冥皇帳》』
『状態:未所持』
『※完全同調時、推定実効戦力:Tier0.5相当』
(……素のTier1の状態でも、これだけ優秀な四種類の契約霊を自在に呼び出せてめちゃくちゃ強いのに……ここからさらに専用武装の《冥皇帳》を持たせて完全同調したら、紫苑と同じ『実効Tier0.5相当』になるんだよな……!)
昨夜は、石の貯蓄が減ることを気にして一度は保留にした武器ガチャだった。
しかし、今日実際に紗羅に変身して《黒鎧の霊将》たちの素晴らしさを体感し、さらに梓の頼もしい評価を聞いたことで、直哉の中のゲーマーとしての収集欲と、護衛としての実利的な計算が一気に傾き始めていた。
(考えてみれば、俺が今こうして青森にいるのは、将来梓さんのところに現れるかもしれない『Tier0.5級の神格』に対処するためなんだよな。もしそんなヤバい敵が出てきた時、紫苑だけじゃなくて、霊の軍団を率いて面で制圧できる紗羅ちゃんも『実効Tier0.5』の完全体になってたら、これ以上心強いことはないじゃないか!)
(しかもだ! 今の手持ちの因果晶は、警察庁の仕事で稼いだ分も合わせて『32,000個(200連分)』ある! 武器ガチャの天井は最大60連だから、もし一番深い天井まで連れていかれても『140連分』は残る計算だ。次の限定キャラのすり抜け天井ラインである160連まで、あとたった20連分稼げば戻せる距離じゃないか!)
昨日から今日にかけての脳内会議の末、直哉の決断は完全に固まった。
(……よし!! せっかくここまで最高のキャラを引いたんだ、中途半端に妥協せず、専用武装まで完璧に揃えてやるぜ!!)
◆
空き地から社務所の客間へと戻った直哉は、変身を解かずに夜摩紗羅の姿のまま座布団の上へと向かい、さっそく《武装集結》――武器ガチャの画面を呼び出した。
一緒にお茶を持って部屋へ入ってきた梓が、虚空を睨みつける小さな覇巫女の姿を見て呆れたように声をかける。
「……ナオさん、あんた、その姿のままでまた何か始める気?」
「うむ。これより、余が覇道に不可欠なる専用武装《冥皇帳》を迎える儀を行う」
(……いや、ただ『これから武器ガチャ回します』って言っただけなんだけど、紗羅ちゃんだと何か世界の秘宝を召喚する儀式みたいに聞こえるな!!)
「……あー、昨日の夜に言ってた、別枠の武器のガチャね。なんなら、また昨日みたいに正座して神様に祈りながら回すの?」
ニヤニヤとからかうように尋ねる梓に、直哉は一瞬だけ、昨夜七十連のあいだ正座し続けて足が完全に痺れ、畳の上で無様に転げ回った惨状を思い出した。
(…………)
(……いや、正座はもう絶対にやらん!! あれは足のダメージがデカすぎる!!)
直哉は、紗羅の豪奢な巫女装束の裾を広げて座布団の上に堂々とあぐらをかくと、威厳たっぷりに首を横に振った。
「不要だ。余の覇道と勝利は、座り方の作法ごときに左右されるものではない」
「……昨日の夜、あんなに必死の形相で正座して『二分の一に勝たせてください!』って祈ってた人が、よくそんな偉そうな口を利けるわね!?」
(……それは昨日のセナちゃんの時の話なんで、どうか忘れてください!!)
梓の容赦ないツッコミに内心で冷や汗をかきつつ、直哉は目の前に展開された限定武装集結のバナーへと向き直った。
そこに描かれているのは、漆黒の重厚な表紙に、朱色と黄金の文字で無数の霊名が刻み込まれた一冊の古書(名簿)――『★★★★★《万霊名籍・冥皇帳》』。
紗羅が生前に契約を交わした万を超える霊たちの真名を記録し、個別の召喚だけでなく、軍勢全体の霊的構造と霊力を一つに束ねて大規模運用するための王権の宝具だ。
(よし、現在の因果晶は32,000個! 天井は60連以内! できれば浅いところでサクッと出てくれよ、頼むぞ!!)
直哉は、最初の『10回集結』のボタンをタップした。
一回目の十連(消費1,600 / 残高:30,400)。
飛来した十本の光は、青が九つに紫が一つ。★5の黄金色はなし。
(……まあまあ! 最初の十連で出ないのはいつものことだ、次!)
二回目の十連(残高:28,800)。
青、青、紫……。またしても★5は出ない。
(……よしよし、まだ二十連! 全然余裕だ!)
三回目の十連(残高:27,200)。
画面に並ぶのは、見慣れた★3と★4の汎用武装ばかり。
(……おや? なんかこれ、昨日のキャラガチャの時と同じように、後半まで引っ張られる流れになってないか?)
あぐらをかいて腕を組んでいる紗羅の美貌から、少しずつ余裕の笑みが消えて真顔になっていくのを見て、隣でお茶をすすっていた梓が面白そうに言った。
「……ねえ、なんかさっきから、またその威張り散らした王様のお顔がだんだん険しくなってきてない?」
「き、気のせいだ。余は至って冷静である」
(……ううっ、見られてる!! でも石が溶けていくスピードって、何度体験しても心臓に悪いんだよ!!)
四回目の十連(残高:25,600)。
無情にも、黄金の光は現れない。
(…………くそっ、40連でも出ないか! いや、でも武器ガチャの天井は60連だから、あと最大でも20連以内に絶対に★5が出る! 行くぞ、五回目!!)
直哉が気迫を込めて五度目の『10回集結』を押し込んだ。
五十連目(消費1,600 / 残高:24,000)。
暗転した画面の奥から飛来した光の束のなかに――目を焼くような眩い『黄金色』の輝きが混じっていた。
(……来た!! 来た来た来たあああああ!!)
黄金の光が弾け、荘厳なエフェクトとともに画面の中央へと浮かび上がったのは、まさにバナーに描かれていた通りの、漆黒の表紙に朱と金の文字が脈動する一冊の古い名籍だった。
『★★★★★』
『専用武装《万霊名籍・冥皇帳》』
すり抜けなし、五十連目でのピックアップ専用武装、見事獲得。
(……よっしゃああああああああ!! 五十連で専用武器までバッチリ確保できたぞおおお!!)
今回は正座ではなくあぐらをかいていたおかげで、足が痺れて転ぶこともない。直哉は紗羅の小さな身体でグッと力強く拳を握りしめ、内心で勝利の雄叫びを上げた。
消費した因果晶は合計8,000個。手元に残った残高は『24,000個』――きっちり150連分だ。
(……よし! 安全ラインの160連まであとたった十連分、1,600個だけなら、また東京で千里の仕事を頑張ればすぐに戻せる数字だ! 最高の引きだったぜ!!)
◆
すぐさま夜摩紗羅の装備スロットを開き、手に入れたばかりの《万霊名籍・冥皇帳》をセットする。
すると、ステータス画面の表示が更新され、『専用武装:完全同調可能』『推定実効戦力:Tier0.5相当』の文字が鮮やかに点灯した。
直哉は、隣にいる梓へと向き直り、実物を取り出す前に一言断りを入れた。
「梓よ。今しがた、余の専用武装たる宝具が無事に手に入ったゆえ、この場に顕現させてみてもよいか?」
(……『武器が当たったんでちょっと出してみてもいいですか?』って聞いただけで、なんでこんなに大仰なセリフになるんだろうな!)
梓は「あー、当たったのね、おめでと」と軽く拍手してから、少しだけ警戒するように頷いた。
「どんな性質の呪具か分かんないから、部屋の中で能力を発動させたりはしないで、とりあえず形を出すだけにしなさいよ?」
「うむ、承知した」
紗羅が小さな右手を前へと差し出すと、その掌の上の空間に黒と朱金の緻密な霊的紋様が浮かび上がり、一冊の重厚な書物がふわりと実体化して宙に浮いた。
漆黒の表紙に、金色の文字で刻まれた《万霊名籍・冥皇帳》の銘。
ページはまだ一枚も開かれていない。能力も発動させていない。
それなのに――その一冊の書物が客間の空気に触れた瞬間、先ほど屋外で《黒鎧の霊将》を呼び出した時とは桁の違う、まるで底知れない冥府の深淵そのものがすぐそこに口を開けたかのような、途方もなく巨大で重層的な『霊的構造の気配』が室内へと静かに満ち渡った。
湯呑みを持っていた梓の表情から、一瞬にして笑みが消え、真顔になって息を呑んだ。
「……ちょっと待って」
「何だ?」
「……それ、さっき外で見せてくれた鎧の武人なんかより、さらに中身がとんでもないことになってない……!?」
(……うおおお!! ただ出しただけでページも開いてないのに、本職の梓さんが一発でヤバさに気づいたぞ!!)
梓は、宙に浮く漆黒の書物を、封印術の最高峰に立つ者の目で食い入るように見つめた。
「……なるほどね。それ、ただ霊を呼び出しやすくするだけの触媒とか武器じゃないでしょ」
「ほう。見抜くか」
「分かるわよ、これだけ凄い構造してりゃね……。何百、何千っていう別々の霊との契約のラインを、バラバラに動かすんじゃなくて、その帳面自体が一つの巨大な『中枢結界』みたいになって全部を束ねてるんだわ。あーしが山全体の封印のラインを一箇所でまとめて制御するのと同じ仕組みを、霊の軍隊でやるための宝具なのね……!」
さすがは実効Tier0.5の術者だ。手に取って調べるまでもなく、その専用武装がなぜ紗羅の戦力をTier1から『実効Tier0.5相当』へと引き上げるのか、その根本的な機構の凄まじさを正確に言い当ててみせた。
直哉は、ステータス画面に輝く『推定実効戦力:Tier0.5相当』の文字を眺めながら、内心でホクホクと頷いた。
(……よし!! これで紫苑の《月白》に続いて、二人目の実効Tier0.5クラスの完全体戦力が揃ったぞ!!)
すると梓が、ジトッとした目で紗羅と《冥皇帳》を交互に見て釘を刺してきた。
「……で、ナオさん。まさかとは思うけど、その帳面を使った本気の軍勢召喚だか何だかを、今からこの神社で試すつもりじゃないでしょうね?」
紗羅の口が、自動的に王者の不敵な笑みを作って開きかけた。
「無論、余が真価の一端を今ここで――」
(……いや待て待て待て!! 勝手に話を進めるな紗羅ちゃん!! そんなもん今ここでぶっ放したら、梓さんの神社が更地になるどころか山ごと霊界になっちまうだろ!!)
直哉は、慌てて思考に急ブレーキをかけて言葉を軌道修正した。
「――と言いたいところだが、余の真の威容を示すにはこの場所は狭すぎる。本格的な試技は、然るべき広さと設備を整えてから行うとしよう」
梓が、心の底からホッとしたように胸を撫で下ろした。
「……あー、よかった。口調はどれだけ偉そうな世界征服者になっても、中身の常識だけはちゃんと残ってるのね」
◆
《冥皇帳》を収納し、夜摩紗羅の変身を解除して元のパーカー姿の三十四歳の男へと戻った直哉は、さっそく八咫烏への事後報告を行うため、スマートフォンから霧島へと電話をかけた。
数コールで繋がり、いつもの冷静な声が返ってくる。
『はい、霧島です。森川さん、何かございましたか?』
「あ、お疲れ様です、霧島さん! 実はですね、昨日の夜にガチャが更新されまして、また新しい★5キャラクターを引き当てましたのでご報告です!」
『……新しい、★5の方ですか』
電話の向こうで、霧島がペンを止めてわずかに遠い目になった気配が伝わってきた。
「はい! 夜摩紗羅っていう名前で、UI上の現地登録Tierは『1』です! しかもさっき専用武装も無事に引き当てまして、完全同調時の推定実効戦力は、紫苑と同じ『Tier0.5相当』って表示されてます!」
『…………また、Tier0.5相当、ですか』
「ええ! 今度はですね、昔別の世界で六つの王国を征服した伝説の霊媒師の女の子でして、高位の霊を何体も召喚して戦わせるだけじゃなくて、専用武装を使うと『万単位の霊の軍勢』を統合して呼べるらしいんです!」
『……軍勢、ですか』
「はい! 一人で幽霊の大軍団を出せるみたいです!」
『…………』
電話の向こうに、数秒間の非常に重く静かな沈黙が落ちた。
つい先日、白芷というTier1の神級仙薬師が増えたばかりなのに、今度は『実効Tier0.5相当で万単位の霊軍を召喚する元・世界征服者』が増えたという報告を受けているのだ。どれほど優秀な管理官であっても、頭を抱えたくなるのは当然だった。
やがて霧島は、深く息を吐き出してから、極めて丁寧かつ切実な声で言った。
『……ご報告ありがとうございます、森川さん。登録情報の更新と検証項目につきましては、私の方で整理しておきます。……ただ、一つだけくれぐれもお願いがございます』
「はい、なんでしょう?」
『どのような事情があろうとも、一般の市街地や許可のない区域において、その『万単位の霊の軍勢』なるものを大規模召喚することだけはお控えください』
「もちろんです! 俺も街中でいきなり亡者の軍団を出してパニックを起こすつもりはありませんから!」
『……それを聞いて安心いたしました。専用武装を含めた本格的な出力の検証につきましては、八咫烏側で十分に広く安全な隔離施設を手配したうえで改めて日程をご連絡いたしますので、それまでは小規模な運用に留めておいてください』
「了解しました、よろしくお願いします!」
こうして霧島への報告を無事に終えて通話を切ると、横でやり取りを聞いていた梓が、呆れたようにクスクスと笑った。
「……いやー、それにしてもナオさん。あんたの担当の八咫烏の人、毎回あんたからそんなデタラメな報告ばっかり聞かされて、絶対に胃薬が手放せないわね」
「ははは、実はこないだ白芷ちゃんの能力で特製の胃薬を作って渡しておいたんで、たぶん大丈夫ですよ!」
「自分で相手の胃を痛めつけといて自分で胃薬を渡すって、マッチポンプにもほどがあるでしょ!」
梓はケラケラと笑い飛ばした後、少しだけ感心したように直哉を見た。
「でもまあ、あんたがまたとんでもない手札を増やしたのは確かだし、あーしとしても、今日は普段絶対に見られない異世界の最上位の霊媒術を間近で見せてもらって、結構いい勉強になったわよ」
「おお、梓さんにそう言ってもらえると、お披露目した甲斐がありました!」
「ほんと、王宮を壊した吸血神に、京都のお寺を更地にした剣士に、腕を生やす薬師に、今度は世界征服しかけた霊媒師って……あんたのそのガチャ、一体どこまで何でもありなのよ」
「いやー、俺にも次はどんなキャラが来るのかさっぱり分かりませんけど、だからこそ毎回楽しくてたまらないんですよね!」
笑顔で胸を張る直哉の視界の端では、新しく編成リストに加わった『★★★★★ 夜摩紗羅』と『★★★★★《万霊名籍・冥皇帳》』のアイコンが、誇らしげな黄金の輝きを放っていた。
(……さて! キャラも専用武器も完璧に揃ったことだし、次に八咫烏の広い検証施設へ行った時は、いよいよ《冥皇帳》を使った紗羅ちゃんの本当のフルパワーを確かめる番だな!)
元・世界征服者の覇巫女という頼もしくも賑やかな新戦力を迎え入れ、直哉の能力者ライフはさらに一段と規格外な領域へと突き進んでいくのだった。
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