俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
木曜日の朝。
時刻は午前九時を少し回ったところだ。
直哉は両親が既に出勤した静かな実家で朝食のパンをかじり終え、いつものように自室でスマートフォンを開いていた。
画面に映っているのは『能力者向け求人アプリ』。無職だった頃は午前中からハローワークのサイトを見ることすら億劫で胃が痛かったというのに、今の彼は「今日はどんな仕事があるかな」と、まるでスーパーの特売チラシでも眺めるかのような軽い感覚で、当たり前のように求人をチェックしていた。
直哉は一度スマホから目を離し、視界の右上に展開されている《因果集結クロニクル》のシステム画面を確認した。
『因果晶:3,200』
『《育成記録・初級》×10』
『クレジット:17,000』
鳴海伊織をLv20まで強化したことで育成素材は減ったが、最も重要な『因果晶』はしっかりと手元に残っている。
現在の編成状況も、盤石な体制が整いつつあった。
『FORMATION 01』
『SLOT 1:★★★★ 東雲セナ Lv.20 HP 3,430』
『SLOT 2:★★★★ 鳴海伊織 Lv.20 HP 3,130』
『SLOT 3:EMPTY』
そして、あの黄金色に輝く限定バナー。
『開催期間残り:09日と18時間』
『★5キャラクター確定まで:70回以内』
直哉は所持している3,200個の石を見つめた。十連ガチャが二回回せる数字だ。だが、彼はもう無駄に十連ボタンへ指を伸ばしたりはしない。
(天井まであと8,000石。十連五回分だな)
昨日までの三日間、直哉は能力者向けの仕事を三件受注した。そしてその三件全てで、仕事の完遂直後にシステムから『因果晶×1,600』という破格のボーナス報酬が支払われていた。
だから当然、直哉の頭の中には淡い期待がある。
(今日も一件仕事をこなせば、また1,600石もらえて天井に一歩近づくかもしれないな)
ただし、彼はゲーマーとして「絶対に毎回1,600石が出る」と盲信しているわけではない。昨日、三件連続で同じ金額が出たこと自体が気になっていたのだ。ゲームの報酬システムである以上、何らかの法則や条件が裏にあるはずだ。
直哉は再びスマホに視線を戻し、今日の仕事のリストを眺め始めた。
『異界性生物駆除の補助業務』
『怪異出現区域での現地対応』
『能力者同行護衛』
戦闘や危険を伴う案件はいくつか並んでいた。だが、どれも現場が遠かったり、開始時間が中途半端だったり、拘束時間が長すぎたりと、今日すぐ手軽に受けるには条件が微妙なものばかりだった。
スクロールする指が、近場で条件の良さそうな一つの案件で止まった。
『【特殊保管施設・臨時警備】』
直哉は少し眉を上げた。
「警備か」
詳細タブを開く。
『案件番号:TK-SC-0412』
『業務区分:施設警備/戦闘待機』
『業務地域:東京都内・江東区方面』
『業務形態:単独戦闘待機』
『受注条件:登録Tier3以上』
『必要適性:近接戦闘または遠距離戦闘』
『現場経験:不問』
『勤務時間:13:00~18:00』
『想定拘束時間:5時間』
『業務内容:特殊保管施設内外の定時巡回、および異常発生時の初動対応』
『通常時業務:巡回・待機』
『警備対象:秘匿指定物品』
『直接接触:禁止』
『想定戦闘:なし』
『報酬:60,000円』
『備考:異常発生時は施設職員の指示に従い対応』
直哉の目は、中段に書かれた『想定戦闘:なし』という文字に釘付けになった。
「五時間ただ施設を巡回して待機するだけで六万円……普通にいいな」
昨日受けたような、Tier4能力者とのガチの殴り合いや、凶暴な異界の怪物を追いかけ回す仕事に比べれば、金額こそ少し落ちるものの、肉体的・精神的な疲労度は格段に低いだろう。
しかも今日は、誰も傷つけなくていい。危険そうな怪物を狩る必要もない。ただ指定された場所を歩いて、待機室で座っていればいいのだ。
(まあ、たまにはこういう平穏な日があってもいいか)
直哉は少しの迷いもなく、『受注』ボタンをタップした。
受注が確定した直後。
直哉は無意識に、視界の右上にある《因クロ》の石の残高へ視線を向けていた。
『因果晶:3,200』
(ただの警備でも、立派な有償の仕事には変わりないよな)
直哉はこの時点ではまだ、「警備の仕事をすれば絶対に石がもらえる!」と確信していたわけではない。
むしろ、昨日までの「怪物と戦う」「能力者を捕まえる」といった実戦続きの三件とは全く毛色の違う業務内容だからこそ、(こういう平和な仕事でも、システムはちゃんと評価して何か出してくれるのかな?)という、ゲーマー特有の実験対象としての好奇心が湧いていた。
午後十二時半。
直哉は指定された江東区方面の現場へ向かう途中の駅のトイレで、東雲セナの姿へとキャラクターチェンジを済ませていた。
(今回は施設内の巡回だし、万が一何か起きた時の近距離対応を考えたら、取り回しのいいセナの方が無難だろうな)
伊織の長いライフルを狭い建物の中で振り回すのはリスクが高い。直哉は的確な判断で、近接特化のセナを選択した。
現場である『特殊保管施設』は、外見は海沿いの工業地帯によくある、地味で四角い物流倉庫か研究施設にしか見えなかった。看板すらかかっていない。
しかし秘密側では、ここは八咫烏の管理下にある重要で危険な一時保管施設だった。
現場の管理室で、担当の男性職員から短く説明を受ける。
「ここは、現場から回収されたばかりの『呪物』や『異界由来の物品』、能力事件の証拠品、そしてまだ詳細な鑑定が済んでいない『未鑑定の特殊物品』などを一時的に収蔵している施設です」
「へえ、色んなヤバいものが集まってるんだね」
セナの明るい声で相槌を打つが、担当者は顔色一つ変えずに続けた。
「警備対象となるそれらの保管物に、あなた自身が直接触れる必要は一切ありません」
「中身に何が入ってるかも、別に知らなくていい?」
「はい。むしろ、知らない方がご自身の安全のためになるものも多数含まれています」
直哉は内心で(うわ、嫌な言い方するなあ……)と軽く苦笑いを浮かべた。
直哉は一つだけ疑問に思っていたことを尋ねた。
「あのさ、ただの施設警備で『想定戦闘なし』って書いてあったのに、なんで応募条件が『Tier3以上』になってたの?」
担当者は手元のバインダーを見ながら淡々と答えた。
「今回、一時的に搬入されている保管物の中に、万が一封印が破れて異常が発生した際、普通の人間や低Tierの警備員では初動の対応すら間に合わない危険度のものが含まれているからです」
なるほど。
この施設には当然、普通の民間警備員や八咫烏の管理職員も常駐している。だが彼らだけでは、超常のトラブルが起きた際に対処しきれない。
だからこそ、外部から『何かヤバいものが出た時に、本格的な鎮圧部隊が到着するまでの数分間を単独で持ちこたえられる戦闘能力者』を、保険として一人だけ置いておくのだ。
つまり、直哉の今日の役割は主警備員というより、『強力な番犬兼、戦闘待機要員』だった。
担当者は真顔で言った。
「何も起こらないのが、通常であり最善です」
セナの口から、無邪気な声が出る。
「それなら楽でいいね!」
「ええ。こちらとしても、その方が一番助かります」
その温度感で、直哉の今日の五時間の勤務がスタートした。
午後一時。
やることは、拍子抜けするほど普通だった。
一時間ごとに、決められたルートを歩いて回る。
頑丈な保管庫の分厚い扉に貼られた、お札のような封印表示のバーコードを確認する。
薄暗い無機質な廊下を歩き、倉庫の外周を回り、非常口の施錠をチェックし、監視カメラの死角になっている通路の奥をライトで照らす。
ただ、よく見ると保管庫ごとに封印の様式は少しずつ違っていた。
バーコード付きの管理札だけが貼られた扉もあれば、紙札の上から金属製のプレートまで固定されている扉もある。廊下の一番奥には、それらとは明らかに違う三重の扉まであった。
(……あそこだけ明らかに扱い違わない?)
気にはなったが、中身について尋ねるつもりはなかった。
担当者から、知らない方が安全なものもあると言われたばかりだ。
そして、何も異常がなければ待機室へ戻り、パイプ椅子に座って次の巡回時間まで待つ。
戦闘はない。
因果律改変反応の警告も鳴らない。
異形の怪異も飛び出してこない。
不審な泥棒も現れない。
最初の一時間。
直哉の内心は、まだかなり警戒していた。
(『特殊物品保管施設』で、『異常発生時の初動対応』だぞ。いかにもアニメやゲームなら、絶対ここで封印が解けてヤバいモンスターが飛び出してくるフラグじゃないか?)
気を引き締め、刀をいつでも出せるように意識を尖らせて巡回した。
だが、二時間が経過した。
何も起きない。
三時間が経過した。
やっぱり、何も起きない。
直哉は待機室のパイプ椅子の上で、深くため息をついた。
(……本当に、何一つ起きないな)
現実の警備業務は、ただただ静かに時間だけを消費していく退屈なものだった。
休憩時間。直哉は待機室の隅にある自動販売機で紙コップのコーヒーを買い、施設の四十代くらいの警備職員と軽く雑談を交わした。
「なんか、すごく暇そうですね」
セナの口から出た正直な言葉に、警備職員は笑ってコーヒーを飲んだ。
「まあね。さっきから灰色の廊下と扉しか見てないよ」
「ははは。でもね、警備っていう仕事は、暇なのが一番の成功なんですよ」
その言葉が、直哉の胸にストンと落ちた。
(それは、本当にそうだな)
事件が起きなければ、それが最高の警備だ。何も起きないほど、完璧で良い仕事をしたということになる。
能力者の仕事だからといって、毎回必ず血湧き肉躍る戦闘があるわけではないのだ。この社会の裏側にも、地味で退屈で、それでも誰かがやらなければならない重要なインフラとしての職業が確かに存在している。
直哉は、この不思議な世界の職業感の広がりを、肌で少しだけ理解した。
それにしても。
客観的に見れば、今の直哉の状況はかなりシュールだった。
現地登録Tier3の評価を持つ、圧倒的な身体能力と高速剣術を誇る若い女性剣士。青い雷撃の能力を操り、必殺のEX技まで持っているはずの『★★★★ 東雲セナ』。
そんな彼女が、薄暗い倉庫の待機室で、足を組んでパイプ椅子に座りながら、自販機の安っぽい紙コップコーヒーをすすってボーッとしているのだ。
直哉は内心で突っ込んだ。
(Tier3という超常戦力の使い方として、これ本当に正しいのか……?)
だが、五時間座っているだけで六万円の報酬が確約されている。
(……うん、正しいな。間違ってない)
労働対効果としては、これ以上なく最高に成立している。直哉は深く納得し、コーヒーを飲み干した。
午後五時台。
本日の最後の巡回時間となった。
直哉も心のどこかで、(最後の最後、帰る直前で何か封印が解けたりしないよな?)と、お決まりの展開を少しだけ疑った。
だが、現実の世界は残酷なほど平穏だった。
何も出ない。
封印のバーコードに異常はなし。
警報も一切鳴らない。
全ての保管庫の分厚い扉は、微動だにせず閉ざされている。
管理室へ戻り、担当の職員へ報告する。
「異常なし。全部静かだったよ」
「ありがとうございます。これにて本日の業務は終了となります」
午後六時。
施設を退館した直哉のスマートフォンに、八咫烏の業務アプリから通知が届いた。
『【業務完了】』
『勤務時間:5時間00分』
『定時巡回:5 / 5』
『警報発生:0』
『侵入事案:0』
『保管物異常:0』
『戦闘行為:0』
『事故報告:なし』
『報酬:60,000円』
『支払処理:確定(明日付振込)』
直哉は大きく伸びをした。
「……終わった」
本当に、ただの警備で終わった。
これで、直哉が能力者としての仕事を始めてからの累計収入は。
初日の青灰回廊八万円、山林の猪七万円、昨日の制圧八万円、そして今日の六万円。
合わせて、290,000円。
たった三日か四日程度の労働で、二十九万円だ。現金収入の仕事としては、狂っているほど美味しい。
直哉は施設から少し離れ、人通りのない海岸沿いの遊歩道に出たところで、歩みを止めた。
「さて」
彼は少しだけ期待に胸を膨らませた。
仕事が完了したのだ。ということは、ここであの《因果集結クロニクル》からのシステム報酬の通知が来るはずだ。
視界の端で、ピロリンという聞き慣れた通知音が鳴った。
「おっ!」
だが。
直哉は、目の前に展開されたウィンドウの色を見て、すぐに違和感を覚えた。
いつもの、眩しい黄金色ではない。
少し落ち着いた、青みがかった銀色のウィンドウだった。
(……色が違う)
ガチャの演出でもそうだった。
こういうゲームで、色の違いはただの飾りではない。表示される情報の種類そのものが違う可能性が高い。
そして、そこに記されていたテキストも。
『【活動記録更新】』
いつもの『【因果変動記録】』ではなかった。
(……ん?)
直哉は目を凝らしてテキストを読んだ。
『集結キャラクターの継続活動を確認しました』
『活動内容を記録します』
『活動評価完了』
『活動報酬を獲得しました』
そのテキストの下から、二つのアイテムアイコンが控えめに飛び出してきた。
『《育成記録・初級》×6』
『《クレジット》×8,000』
以上。
終わり。
直哉は黙ったまま、空中に浮かんだ二つのアイテム表示を見つめた。
数秒経過。
(…………)
まだ見る。
十秒経過。
(……あれ?)
何も出ない。
直哉は、慌てて視界の右上にあるリソース残高の数字を確認した。
『因果晶:3,200』
今朝家を出た時と、全く同じ数字だった。変化なし。
「……石は?」
何もない。
「いや、ちょっと待って」
直哉はシステムの通知履歴のタブを急いで開き、もう一度先ほどのログを読み直した。
『《育成記録・初級》×6』
『《クレジット》×8,000』
以上。
「…………」
もう一度、右上の残高を見る。
『因果晶:3,200』
直哉の口から、悲痛な叫びが漏れた。
「石は!?」
見事に、一個たりとも支払われていなかった。
「嘘だろ……なんでだよ」
直哉はガックリと肩を落とした。だが、すぐに気を取り直して冷静に画面の情報を確認し直した。
ここが、今回の最も重要なポイントだった。
仕事そのものが《因果集結クロニクル》のシステムに完全に無視されたわけではない。
現在のインベントリを確認する。
『《育成記録・初級》×16』
『クレジット:25,000』
伊織を強化してほとんど使い切っていたはずの育成素材とクレジットは、今回の報酬分が加算されてしっかりと増えている。
つまり。
「仕事をしたのに《因クロ》が一切反応しなかった」わけではない。
キャラクターを使って現実の世界で何らかの活動をしたこと自体は、システムにちゃんと検知され、評価された。
でも。
『因果晶』だけは、どうしても出なかったのだ。
ここで、ゲーマーである直哉の分析スイッチがカチッと入った。
直哉はスマートフォンの自分用メモ帳を開き、システムから届いた通知履歴のテキストを見比べ始めた。
昨日までの三件の仕事の時に出た通知は、こうだった。
『【因果変動記録】』
『外部因果への有意な干渉を確認しました』
『集結者の介入によって成立結果が変動しました』
そして今日の警備の時に出た通知は、こうだ。
『【活動記録更新】』
『集結キャラクターの継続活動を確認しました』
この明確なテキストの違い。
直哉はハッとした。
「……あ」
昨日までの三件の仕事では、直哉自身が明確な『結果』を書き換えていた。
青灰回廊では、自分が前衛として加わり、怪物を倒しながら踏査目的を完了させた。
山林の仕事では、三頭の灰甲猪を処理し、個体数を調整した。
昨日の制圧案件では、逃走・抵抗していた危険な能力者を自分の手で確保した。
どれも、直哉自身の介入によって明確に結果が変化している。
では、今日は?
五時間、ただ施設を歩いて警備しただけだ。
何も起きなかった。
直哉がいようがいまいが、結果だけを見れば、「保管施設は今日も異常なしのまま午後六時を迎えました」という事実が残るだけだ。
彼は、現実の因果の何一つとして、書き換えていなかったのだ。
直哉はメモアプリに、一つの重要な法則を打ち込んだ。
『《因クロ》報酬についての仮説』
『① 育成記録/クレジット』
『→キャラクターの姿を使って現実で一定の活動(仕事など)を行うだけでも獲得可能?』
『② 因果晶』
『→ただ活動しただけ、時間を消費しただけでは獲得できない』
これなら、かなり確度が高い。
特に今日、「日本円をもらえる正式な有償仕事を完遂した」にもかかわらず、因果晶はゼロだった。
なので、
『「八咫烏から金をもらえる仕事をした」という条件だけでは、因果晶の獲得条件を満たさない』。
これはほぼ確定と見ていい。
昨日まで少しだけ疑っていた、「仕事として受注した案件なら自動的に1,600石がもらえる」という甘い説は完全に消滅した。
直哉は、過去四件の出来事と報酬の結果をメモに並べて比較してみた。
【コンビニ強盗】
『有償の仕事:×』
『外部因果への介入:○』
『事態の結果変動:○』
『育成報酬:○』
『因果晶:0』
【青灰回廊ダンジョン】
『有償の仕事:○』
『戦闘の発生:○』
『対象処理/踏査結果への介入:○』
『育成報酬:○』
『因果晶:1,600』
【灰甲猪の個体数調整】
『有償の仕事:○』
『戦闘の発生:○』
『指定個体の処理:○』
『育成報酬:○』
『因果晶:1,600』
【Tier4能力者(山岸)確保】
『有償の仕事:○』
『戦闘の発生:○』
『対象の確保:○』
『育成報酬:○』
『因果晶:1,600』
【今日の特殊施設警備】
『有償の仕事:○』
『戦闘の発生:×』
『異常発生:×』
『結果への明確な介入:?(ほぼ無し)』
『育成報酬:○』
『因果晶:0』
これらを並べてみると、システムが何を評価しているかが一気に見えてくる。
直哉は眉間を揉みながら考えた。
(……ってことは、石が欲しいなら、今日みたいな警備の仕事より、最初から戦闘が発生する案件を受けた方がいいのか?)
かなり自然で論理的な結論だった。
討伐。制圧。護衛の中で実際に敵が襲撃してくる案件。怪異の処理。呪物の回収。
そういう仕事であれば、現場で戦闘やトラブルが発生し、『直哉が介入して結果を変える』という状況が、仕事のプロセスそのものに初めから組み込まれている。
一方で、警備の仕事は『何も起きないのが一番の成功』だ。
だから、自ら因果を書き換えて因果晶を稼ぐという目的には、根本的に向いていない可能性が高い。
(いや、待てよ)
直哉はそこで、最初の『コンビニ強盗』の事例を思い出した。
あの時、直哉自身が強盗に介入して結果を変えた。戦闘というほどの大規模なものではないが、生身の人間を制圧している。
それでも、育成素材は出たが、因果晶は『0』だった。
だから、「誰かを殴って戦闘すれば石が出る」という単純な計算式でもないのだ。
(戦闘行為そのものが絶対条件ってわけじゃない)
(でも、戦闘の伴う依頼の方が、『俺が何かを変える』という因果変動の状況にははるかに繋がりやすい)
直哉は、それ以上無理に正解を断定することはやめた。
完全に解明できなくてもいい。今の仕事選びの基準として利用できる程度の『有力な仮説』が一つ組み上がれば、それで十分だ。
さらに、直哉はもう一つの謎についても保留することにした。
昨日までの三件は、全て『1,600石』だった。
だが今回は『0』。
つまり現状、彼のデータには『0』か『1,600』の二パターンしか存在していないのだ。
(これ、もしかして石が支払われる時は、十連ガチャ一回分である『1,600』が最低の支給単位に設定されてるのか?)
という新しい疑問が湧いてくる。
もしそうなら、細かい仕事で100石や200石をチマチマ稼ぐようなシステムではないということになる。
だが、まだサンプル数がたったの三回だ。決めつけるのは早すぎる。
直哉はメモに追記した。
『因果晶の支給量』
『確認済み:0 / 1,600』
『1,600が最低の支給単位?』
『要追加検証』
これでよし。
直哉は、今日の仕事選びが失敗だったと後悔しているわけではなかった。
別に六万円を損したわけじゃない。むしろ、体力も使わずただ五時間暇をつぶしていただけで六万円が手に入ったのだ。
「警備なんか受けるんじゃなかった!」と激怒するような理由は何もない。
(まあ、六万円もらえたし、キャラクターの育成素材もちゃんと出たんだから、仕事としては全然ハズレじゃないな)
直哉はそう冷静に判断した。
(ただ、あの限定ガチャの石を一番優先して稼ぎたい日には、向いてない仕事だってことだ)
これで、今後の直哉の仕事選びの明確な『軸』が完成した。
① 現金を最優先したい日
→ 体力を使わない警備や、高単価な安全案件でもOK。
② 育成素材を優先したい日
→ 普通に能力者としての何らかの活動をすれば出る可能性が高い。
③ 因果晶を最優先したい日
→ 積極的な因果の介入や、結果の変動が確実に発生しやすい戦闘・処理系の仕事を選ぶ。
このゲームのプレイヤーとしての視点が、見事に現実の『どの求人を選ぶか』という労働のプロセスとシームレスに接続した瞬間だった。
帰りの電車の中。
直哉は座席に座り、早速スマートフォンの求人アプリを開いた。
今までなら、案件を見る時は『報酬額』『拘束時間』『場所』『危険度』の四項目だけを漫然と見ていた。
だが、今度からは違う。
リストの一番上にある案件を見る。
『重要施設・深夜警備』
(これは現金はいいけど、石の期待値は低そうだな)
次。
『広域指定・異界性生物の群れ駆除』
(よし、これは介入要素が多いから期待値が高そうだ)
次。
『特定要人のシークレット護衛』
(何も起きなきゃ石はゼロ? 襲撃があれば出るかも……いや、石のために要人が襲われるのを期待するのは、護衛として終わってるだろ)
自分自身にツッコミを入れながら、次の案件へ。
『封印指定・呪物回収』
(これも、現場で想定外のトラブルが起きれば結果は変わりそうだな)
完全に、ゲームの効率的な周回ファーミング先を選ぶプレイヤーの目で、現実の求人票を読み解き始めていた。
だが、直哉の三十四歳の良識が、彼を『無謀なガチャ中毒の破滅ルート』からギリギリで引き止めていた。
一瞬、(危険度が高くて死にかけるような現場ほど、因果の変動が大きくて大量の石がもらえるんじゃ……)とまで考えたが。
(いや、石欲しさに自分の命を賭けてわざわざ死にに行くのは馬鹿だろ)
と、即座にその考えを却下した。
重要なのは『危険度そのものの高さ』ではない。『直哉自身の介入によって、確実な何かが変わる可能性』だ。
だから、「とにかく一番ヤバい高危険度案件を選ぶ」のではなく、「自分のTier3の戦力で安全かつ確実に処理できて、なおかつ積極的介入が仕事内容に組み込まれている案件」を選ぶのが、最も賢いプレイスタイルなのだ。
今回は、八咫烏の霧島へ電話をしてアドバイスを求めることはしなかった。
《因果集結クロニクル》のシステムUIは八咫烏側には見えていないし、報酬の詳しい法則も分かっていない。
だから、霧島に「どういう仕事なら因果の変動が起きやすいですか?」と聞いても、自分が知りたい《因クロ》側の条件について答えが返ってくるわけではない。
昨日は、能力者社会の仕事のルールについて霧島に聞いた。
今日は、自分のシステムの法則について、自分自身でデータを取って分析する。
直哉は、この不思議な力との付き合い方を、少しずつ自分のものにし始めていた。
夜。実家の自室。
ベッドの上で、直哉は最後のシステムの確認を行っていた。
現在の状態。
『因果晶:3,200』
変化なし。
『《育成記録・初級》×16』
『クレジット:25,000』
こちらは今日の警備で少し増えた。
そして、現実の銀行口座に振り込まれる現金収入の累計。
初日の青灰回廊:80,000円。
二日目の灰甲猪:70,000円。
三日目の山岸制圧:80,000円。
今日の施設警備:60,000円。
合わせて、累計290,000円。
そして、限定バナー。
『開催期間残り:09日と06時間』
『★5キャラクター確定まで:70回以内』
天井までに追加で必要な石の数は『8,000』。十連五回分。
昨日の夜は、「あと六回」が「あと五回」へと一歩進んだ。
だが今日は、石が出なかったため「あと五回」のまま足踏みだ。
直哉は視界の3,200という数字を見つめて、小さく笑った。
「……今日は減らなかったな、天井までの距離」
もちろん、石そのものが没収されて減ったわけではない。
今日一日が無意味だったわけでもない。
六万円の現金。育成素材。クレジット。
そして何より、『有償の仕事を受けただけでは石は出ない』という、今後の攻略において極めて重要な仮説データを一つ手に入れた。
直哉は自分用メモのアプリを更新し、最終的な結論を打ち込んだ。
『確定事項』
『有償の仕事を完遂するだけでは因果晶は出ない』
『育成報酬と因果晶は別の条件で判定されている』
その下に、
『仮説』
『石には、積極的な外部因果への介入が必要?』
『戦闘・討伐・制圧といった案件は、結果変動を起こしやすいため因果晶獲得の期待値が高い?』
『ただし、戦闘そのものが絶対条件ではない』
『因果晶の排出は1,600単位固定? 要検証』
それらのテキストを眺めていると、本当に難解なゲームの攻略Wikiを自分で編集しているような気分になってきた。
直哉は、スマートフォンの求人アプリを開き、明日の仕事の一覧を軽く眺めた。
警備。巡回。調査。討伐。回収。制圧。
並んでいる文字の羅列は昨日と全く同じなのに、直哉の目には全く違う情報として映っていた。
直哉は少し考えて、独り言を呟いた。
「現金だけ稼ぎたいなら、明日も警備の仕事でも全然いいんだけどな……」
視界の右上。
『因果晶:3,200』
の数字をチラリと見る。
「でも、あの天井まで、あと五十連残ってるしな」
直哉の指が、求人一覧の『戦闘・討伐カテゴリ』のタブをタップした。
「……明日は、もうちょっと『何かする仕事』を探してみるか」
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!