不殺の剣士とあやとり少女   作:おいしいお塩

2 / 4
剣士と最強

廃村での荒々しい呪気と湿った風が嘘のように、二人が暮らす一軒家のリビングは静かで温かな明かりに包まれていた。

 

「よし、お湯が沸きましたね」

 

柊木はコンロの火を弱めるとお湯が波打つ鍋の中にレトルトパウチのカレーを二つ静かに沈めた。

 

整頓された清潔なキッチンだが普通のご家庭ならあるはずの「包丁」や「キッチンバサミ」といった調理器具はどこにも見当たらない。それどころか果物ナイフ一つすら置いていなかった。

 

柊木が負っている「縛り」——それは愛刀以外の刃物に触れることを生涯拒絶することで、術式『断理』の『殺傷力を完全に排除する』という制約を強固にしたものだった。料理の素材を切り分ける包丁すら触れられぬため彼の日常の食卓は自ずと温めるだけのレトルトや出前、あるいは刃物を使わずに済む簡単なものに限られている。

 

「先生、お皿持ってきたよ」

 

「ありがとうございます、ぬえ。熱いですから気をつけて持ってくださいね」

 

温まったパウチの端を手でピリッと破り、熱々のカレーをお皿に盛り付ける。

テーブルにつくと柊木は少し申し訳なさそうに眉を下げて苦笑した。

 

「ごめんなさいね、ぬえ。今日もこんな簡単な夕食で。いつもレトルトや出前ばかりで、苦労をかけます」

 

「ううん! 先生のご飯、ぬえ大好きだよ! カレーだってとっても美味しいもん!」

 

ぬえはスプーンを手に取り、無邪気な笑顔で首を振った。「いただきます」と二人で手を合わせ、和やかな夕食が始まる。

 

スプーンを口に運ぶぬえの姿を優しく見守りながら、柊木はナプキンで口元を拭い静かなトーンで切り出した。

 

「さて、ぬえ。本日の『ゴミ掃除』の反省会をしましょうか」

 

「うん!」

 

ぬえはすぐにスプーンを置き、背筋をピンと伸ばして柊木の言葉に耳を傾けた。

 

「今日の『四つ星』、糸の収束スピードと強度は完璧でした。土地神クラスの呪心を一切逃さず一瞬で解体できたのは日頃の修練の成果ですね。素晴らしかったです」

 

「えへへ……! ほんと!?」

 

「ええ。ですが……中盤、呪霊が呪いを放つ直前の立ち回りです。君は焦って『蜘蛛の巣』を展開しようとしましたね。あそこは、まず私の『断理』がどう攻撃のベクトルを処理するかを見極めてからでも遅くはなかった。術者の焦りは糸の強度に直結します」

 

「う……うん。先生の言う通り。ぬえ、焦っちゃって糸が少し乱れちゃった。ごめんなさい……」

 

「謝る必要はありませんよ。失敗に気づけたなら、次はもっと綺麗に『お掃除』できます。……期待していますよ」

 

「うん! ぬえ、もっともっと練習して、先生の役に立てるように頑張るね!」

 

ほめられた喜びで瞳を輝かせるぬえ。彼女にとって世の中の悪を消し去る「お掃除」は、先生に褒めてもらうための正しい行いであり生きがいそのものだった。

 

柊木は満足そうに頷くとカレーを口に運び、いつもの柔らかい口調で日常の問いかけをした。

 

「そういえば、学校の宿題は進んでいますか?」

 

「うん、漢字ドリルは全部終わったよ。でもね、今日学校で隣の席の男の子が、先生の悪口言ってきたの」

 

「私の?」

 

「うん。『あんな手袋して気取ってるお兄さん、なんか怪しい』って。だからぬえ、すごく嫌な気持ちになっちゃった」

 

ぬえは無垢な瞳をまっすぐに柊木に向け、ごく当たり前のことのように続けた。

 

「だから、あの子もお掃除しなきゃいけないのかなって思っちゃった。先生を嫌う人なんてこの世界にいらないゴミだもんね?」

 

小学生の無知な偏執。だが、それを正すべき立場である柊木の瞳には相変わらずハイライトが入っていない。彼は咎めるどころか愛おしいものを見るようにぬえの頭を撫でた。

 

「……気持ちは嬉しいですがまだダメですよ、ぬえ。ただの無知な子供はまだゴミではありません。……ですが、そうですね。大人が正しい正義を示さず悪意を野放しにするから子供まで腐っていくのです」

 

柊木の中にある「正義」は、完全に歪んでいた。

自分たちの絶対的な正義に従わない者、役割を果たさない者、世の中を汚す存在はすべて「ゴミ」であり、排除されるべきだという思想。

 

そしてぬえはその歪んだ歪曲された倫理観を、 大好きな先生の言葉として純粋培養のように吸い上げて育っていた。

 

「正義を果たさない強い者ほど醜いゴミはありませんからね」

 

柊木がそう呟いた瞬間、テーブルの上に置かれていた彼の携帯電話がブブッ、と短く震えた。

 

「失礼」

 

柊木は携帯を手に取り画面に表示された通知に目を落とした。

 

その瞬間、先ほどまでの穏やかな微笑みが消え、彼の綺麗な顔立ちが苦々しく歪んだ。瞳の底にある暗い濁りが一層濃くなる。

ぬえはその変化を見逃さず心配そうに覗き込んだ。

 

「先生……? どうしたの? 嫌な顔してる」

 

「……ええ。嫌な人から連絡が来ました」

 

「嫌な人……? もしかして、五条悟?」

 

「正解です、ぬえ」

 

柊木は忌々しそうに息を吐き出し、携帯をテーブルに突っ返した。

 

ぬえもその名前を聞いて小さな眉をひそめた。柊木が日頃からどれほど五条悟という男を嫌っているかぬえは痛いほど知っているからだ。

 

五条悟

 

呪術界において最強の力と才能を持ちながら不真面目で、気分で動き上層部への反発ばかりで自分の課せられた「責務」を真面目に果たそうとしない男。柊木にとって持てる者がその責任を果たさず怠惰に振る舞うことほど激悪な「ゴミ」はなかった。

 

「……あの男から、何て書いてあったの?」

 

「『高専の教員になることになった。挨拶くらい来いよ』……だそうです」

 

柊木は軽蔑を隠そうともせず冷ややかに吐き捨てた。

 

「教育者、ですか。呆れた冗談です。あのように万能の力に甘え、自身の義務から逃げ続けている男が未来ある子供たちに何を教えられるというのでしょう。教育を汚すつもりでしょうか」

 

「五条悟が先生になるなんて絶対変だよね。生徒たちがかわいそう」

 

ぬえが先生の感情に同調して頷く。柊木は小さく首を振り、立ち上がった。

 

「……ええ。放置しておけませんね。あいつが子供たちにどんな毒を吹き込むか確かめる必要があります」

 

柊木は画面を消した携帯をポケットに収めるとぬえに向かって静かに言った。

 

「明日、久しぶりに高専へ行きましょう。……あの『最強』とやらが少しはマシな頭になったのか、この目で確かめてきます」

 

 

 

翌日。都立呪術高専の本館応接室

 

重厚な革張りのソファに腰掛け柊木正宗は静かに腕を組んでいた。

 

壁に掛けられた時計の針が約束の時間を10分以上過ぎていることを示している。柊木は穏やかな笑みを崩してはいないもののその眉間には薄っすらと青筋が浮かび静かな苛立ちを滲ませていた。

その隣には純白のワンピースを着たぬえが足をちょこんと揃えてお利儀良く座っている。

 

「……五条は昔からそうでした。時間にルーズな人間は他者の時間を奪っているという自覚がないのです」

 

「うん。お約束を守れないのは、悪い子だよね」

 

ぬえが小さく頷いたその時、勢いよくドアが開いた。

 

「いや〜ごめんごめん! ちょっと上層部の爺どもに嫌味言われててさ〜遅れちゃった!」

 

黒の目隠しを頭に巻き高い背を丸めながら入ってきたのは五条悟だった。悪びれもせずヒラヒラと手を振るその軽い態度に柊木の目から温度が消える。

 

「相変わらずですね、五条。人の時間を無為に奪うのは社会性という名の義務を放棄した人間のやることです。教育者になろうという人間がそのような軽薄さでどうするのですか」

 

「はいはい、相変わらずお堅いねぇ、柊木先輩」

 

五条はへラッと笑いながら流し、向かいのソファにドカリと腰掛けた。

 

その横でぬえは幼い顔を険しくし目の前の「五条悟」という男を厳しい視線で凝視している。大好きな先生を待たせた不敬な存在——彼女にとって、五条はすでに「お掃除」の対象候補だった。

 

五条はそんなぬえの鋭い視線に気づくと不思議そうに首をひねった。

 

「ん? 先輩、その子だれ? 見ない顔だけど」

 

「私の弟子です。訳あって、私が引き取り育てています」

 

「へぇ、弟子ねぇ」

 

「幼いながらに非常に優れた才能を持っていますよ。いずれ私など遥かに置き去りにしてずっと強く、正しく育つ子です」

 

柊木が隣のぬえに優しく視線を向けると、ぬえはさっきまでの険しい顔を脱ぎ捨て頬を赤らめて照れくさそうに俯いた。

 

「先生……そんなことないよ。ぬえは、先生が一番すごいと思ってるもん……」

 

「ふーん……」

 

五条は興味なさそうに鼻を鳴らした。だが、その目隠しの奥にある『六眼』は、二人から発せられる緻密な呪力の流れと術式の構成を冷徹に見通していた。

 

一息ついた後、柊木は背筋を伸ばし濁った瞳を五条へ向けた。

 

「……それで? あなたが教育者になるなどおかしな冗談を聞かされた気でここへ来たのですが。いったいどういうつもりなのですか」

 

「なんだよ、まずは『おめでとう』でしょ〜? 酷いな先輩は」

 

五条はおどけながら頭の後ろで手を組んだがやがてフッと笑みを消しソファの背もたれに深く体重をかけた。

 

「……上をすげ替えても意味ねぇんだよ。腐ったミカンを箱ごと丸替えしないとね。だから僕は、教育を選んだ。強く聡い仲間を育てるためにさ」

 

五条の口から語られた言葉。それは、五条なりに呪術界の未来を見据え自らの正義に基づいて選択した道だった。

 

柊木は微かに目を見開いた。万能ゆえに無責任だと切り捨てていた男が彼なりの覚悟を持って動こうとしていることに対し、胸の内でほんのわずかだけ見直し感心する。

 

……だが、それとこれとは話が別だった。

 

「なるほど。あなたの考えには一定の理解を示しましょう。……ですが五条、未来を理由にして『今』の自分の態度や義務を疎かにしていい理由にはなりません。今日の遅刻一つ取っても、あなたは教育者としての品位に欠けている」

 

「あはは、言われてんなぁ。相変わらずお説教が大好きなこった」

 

五条は肩をすくめた。そして、少しだけ真面目な顔つきに変わるとまっすぐに柊木を見つめた。

 

「まあ、説教は聞き飽きたからいいとしてさ。……先輩、術式変えたでしょ。ぐちゃぐちゃに」

 

「……何のことです」

 

「僕が学生の頃知ってた柊木正宗の術式は、刀の切れ味を底上げする強力なものだった。……けど、今の先輩の術式、刀の切れ味が完全に『ゼロ』になってる。物理ダメージを与える機能を自分から完全に捨てただろ」

 

六眼は誤魔化せない。かつて誰よりも強く正しく悪を斬るために剣術を磨いていた男が自らの刀から殺傷力を一切排除しているという異様。

 

「自分の正義をなすために剣を握ってた人が、なんでそんなことになってんの?」

 

五条の問いに、柊木は淡々と、しかし揺るぎない声で答えた。

 

「……自分の分をわきまえただけですよ、五条」

 

「分?」

 

「私には、世界を変えるほどの才能も力もありませんでした。だからこそ、己の役割を限定し、より確実に悪を封じるための『縛り』を設けた。……だが、私は正義を諦めたわけではありません」

 

そう言うと、柊木は静かに隣のぬえを指差した。

 

「私の正義は、この子に託しました」

 

「……」

 

五条は一瞬、言葉を失った。そして無言のまま立ち上がると部屋のドアを開け、廊下に待機していた補助監督を呼びつけた。

 

「伊地知〜。ちょっとこの子と外で遊んできて」

 

「えっ!? あ、はい! 畏まりました!」

 

呼び出された伊地知潔高がオドオドしながら部屋に入ってくる。柊木がぬえに「少し外で待っていなさい」と促すとぬえは素直に頷き、伊地知と共に部屋を出て行った。

 

パタン、とドアが閉まり応接室に二人きりの静寂が戻る。

 

五条の醸し出す雰囲気が一変して冷ややかなものへと変わっていた。

 

「……何も知らない子供を戦わせてさ。それが先輩の言う『正義』なわけ?」

 

「強制しているつもりはありません。私はただ、この子に『正しい生き方』を示しているだけです」

 

「ハッ、笑わせんなよ。大人都合の正義を刷り込んでるだけだろ。子供の自由を縛る権利なんて大人にはねえんだよ」

 

五条の吐き捨てるような言葉に柊木は一切動じることなく冷静に答える。

 

「自由という名のもとに放任し、悪に染まるのを放置することこそが大人の怠慢です。子供を正しく導き、悪を討つ存在へと育てること……それこそが真の教育であり、大人の責務ですよ。あなたのように力を持ちながら責任を曖昧にする人間に私の指導を否定する資格はない」

 

「……話になんねぇな」

 

「ええ、私もそう思います。あなたがその軽薄で不真面目な態度を改めない限り、この話に意味はありません」

 

柊木はゆっくりと立ち上がり羽織の裾を整えた。

 

「失礼します、五条。……教育者として少しはマシな背中を生徒に見せられるよう努力しなさい」

 

柊木はそれだけ言い残すと、振り返ることもなく応接室を後にした。

 

廊下に出ると、少し離れたベンチでぬえと伊地知が並んで座っていた。

見ればぬえが指先に呪力の糸をかけ、伊地知に「あやとり」を教えているところだった。

 

「あ、伊地知さん、ここはこうやって指をくぐらせるんだよ」

 

「は、はい……! こうでしょうか、ぬえさん……っ」

 

「上手! 伊地知さん、物覚えがいいね」

 

「あ、ありがとうございます……!」

 

意外にも仲良くあやとりをしていた二人のもとへ柊木が歩み寄る。

 

「ぬえ。帰りますよ」

 

「あ、先生! うん!」

 

ぬえはすぐに糸を解くとパッと立ち上がって柊木の元へ駆け寄った。

 

伊地知は胸を撫で下ろし「お、お気をつけて……!」とペコペコと頭を下げる。

 

ぬえは伊地知に向かって「伊地知さん、ばいばい。またあやとりしようね」と可愛らしく手を振った。

 

しかし、応接室のドアから出てきた五条悟と視線がぶつかった瞬間——ぬえの表情から一切の温もりが消え去った。

 

ぬえは冷たく澄んだ、殺意すら孕んだ鋭い視線で五条をじっと睨みつける。大好きな先生を不快にさせた男へ向けた、静かな敵意。

 

「……行こう、先生」

 

「ええ、帰りましょうね」

 

柊木に手を引かれ、ぬえは一度も振り返ることなく高専の廊下を歩いていく。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。