不殺の剣士とあやとり少女   作:おいしいお塩

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少女と映画

少年院での事件から数日後

高専の訓練場にはそれぞれの課題と向き合う一年生たちの姿があった。

 

「よし! じゃあ惠と野薔薇は、二年生との交流会に向けて体術と呪力の連携をみっちり叩き込む! そして悠仁は——別メニューね!」

 

五条悟の軽い宣言に虎杖悠仁が「ええっ!?」と声を上げた。

 

「なんで俺だけ別メニューなんだよ五条先生! 俺だって伏黒たちと一緒に——」

 

「ダメ〜。悠仁はね、呪力の出力は凄まじいんだけどとにかく操作が雑! 根性が型を上回っちゃって呪力が感情任せにブレブレなんだよ。少年院でもそうだったでしょ?」

 

図星を突かれ虎杖が「ぐぬぬ……」と言葉を詰まらせる。五条はニッと笑うと少し離れた日陰でひとり、指先であやとりをしていた少女へ視線を向けた。

 

「ってわけで——悠仁の特別講師としてぬえにも一緒に修行してもらいまーす!」

 

「断る」

 

五条の言葉が終わるか終わらないかのうちにぬえの冷ややかな一言が放たれた。

 

ハーフアップの髪を微かに揺らしぬえは一度も五条と目を合わせないまま手元で『ハシゴ』の形を作り替えている。

 

「なんでぬえが虎杖の世話なんてしなきゃいけないの。時間の無駄。ぬえは自分の鍛錬で忙しい」

 

「冷たいねぇ! でもねぬえ、君以上に悠仁の講師に適した人材は高専にいないんだよ?」

 

五条はぬえの目の前までひらりと移動すると指を一本立てて説明を始めた。

 

「君の術式『綾断』は髪の毛以下の極細の呪力糸をミリ単位、いやミクロ単位で張り巡らせる超精密操作の賜物だ。呪力をどこまで小さくどこまで正確にコントロールできるかにおいて君は同世代で間違いなくトップクラス。雑な悠仁に『繊細さ』を教えるには君のお手本が一番なんだよ」

 

「……だから何? 虎杖が雑なのは虎杖の問題でしょ。ぬえには関係ない」

 

つれない態度を崩さないぬえに五条は目隠しの奥で不敵な笑みを深めた。

 

「もちろん、ぬえにも大きなメリットがあるから言ってるんだよ」

 

「……メリット?」

 

ぬえが怪訝そうに眉をひそめる。五条はすっと表情を少しだけ真剣なものに変えぬえの手首にあるラベンダー色のワンポイント刺繍に視線を落とした。

 

「ぬえ。君の呪力操作は、昔に比べたら見違えるほど上手くなった。……だけどね、君にはまだ大きな欠点がある」

 

「……欠点なんてない。ぬえはもう完璧にお掃除できる」

 

「いいや、あるよ。君の呪力操作は『感情』によってムラが出る」

 

その言葉にぬえの指先がピタリと止まった。

 

「君は普段、冷静で完璧なコントロールを見せる。でも……大切な存在が絡んだり、逆に激しい不快感を覚えたりして感情が揺さぶられた瞬間、その精密な糸の制御にほんの僅かな『乱れ』が生じる」

 

五条はトントン、と己の胸を叩いた。

 

「ぬえ、君は元々持っている呪力量が異常に多い。呪力量が少ない術者なら多少の乱れは破綻しないけど、君ほどの超高出力な呪力が一瞬でもブレたらどうなる? 張り巡らせた糸の張力が狂い、自分や味方を巻き込んで自壊する可能性があるんだ。それは『致命的』な弱点だよ」

 

「っ……!」

 

ぬえは悔しそうに唇を噛み締めた。

図星だった。自分でも無意識に感じていた感情の波による呪力のブレ。五条の言っていることはぐうの音も出ないほど正論だったのだ。

 

「悠仁は感情で呪力を暴走させるタイプ。君は感情で呪力を乱すタイプ。感情に左右されずどんな状況でもブレない一定の呪力出力を保つ修行……これは二人同時にやるからこそ意味があるんだよ」

 

五条に言い負かされぬえは深く、不機嫌そうな溜息を吐き出した。

 

「……はぁ。分かったよ。行けばいいんでしょ、行けば」

 

こうして嫌々ながらも虎杖の修行に付き合うことになった。

 

 

五条に連れられてやってきたのは高専の地下にある、薄暗い部屋だった。

 

整然とした部屋をイメージしていたぬえは入った瞬間に眉をひそめる。

 

「……何ここ。カビ臭い。なんでこんな地下に?」

 

「へへっ! ここが僕たちの特訓部屋兼、秘密基地だよ!」

 

五条は嬉しそうに言うと部屋の隅に置かれていた変なぬいぐるみを抱えてきた。そして虎杖とぬえを並んでソファーに座らせる。

 

「はい、これ持って!」

 

「……何これ。不気味」

 

ぬえの手にもぽてっとした可愛くない呪骸が握らされた。

 

「今回の修行はシンプル! 『映画を観ながら一定の呪力を出し続けること』! 呪力が途切れたり感情が乱れて出力が跳ね上がったりすると……その呪骸が殴ってきます!」

 

「ええっ!? 映画観るだけ!?」と目を輝かせる虎杖。

 

しかしぬえは画面に映し出されたDVDのジャケットを見て顔を極限まで引きつらせていた。

 

画面に躍り出るのは、見るからにチープで悪趣味な、B級……いや、Z級のホラー&サメ映画のタイトル

 

『巨大B級タコvsゾンビ鮫・メガ盛』

 

「……五条」

 

ぬえの声のトーンが急速に絶対零度まで下がっていく。

 

「なに? ぬえ」

 

「……ぬえは、綺麗なものと正しいものが好きなの。なんでこんな……画面を見るだけで脳が穢されそうな『ゴミみたいなクソ映画』を見なきゃいけないの?」

 

「いや〜感情を揺さぶるにはクソ映画が一番でしょ! 怒りとか呆れとか、感情の波が凄まじいからね!」

 

「ふざけないで!!!!」

 

ズガアアンッ!!!!

 

ぬえのブチギレた叫びとともに怒りで一瞬にして爆発したぬえの呪力が跳ね上がった。

 

ドカッ!!

 

「ぶふっ!?」

 

呪力の乱れに反応した呪骸が容赦なくぬえの顔面にストレートパンチを叩き込む。

 

「きゃあああ! 痛っ!? なにこのゴミ人形!! 切り刻むよ!!」

 

「うわあああ! 綾瀬がキレた!? 」

 

「ひゃははは! ほらぬえ! 怒りで呪力が乱れて速攻で殴られてるじゃん! 修行になってるねぇ〜!」

 

「五条悟おおお!! 絶対にお掃除してあげるから覚悟しなさい!!!」

 

地下室に響き渡るぬえの絶叫と虎杖の悲鳴そして五条の爆笑。

 

ぬえにとって人生最大級に屈辱的で不機嫌な「地獄の映画鑑賞修行」がこうして幕を開けたのだった。

 

 

薄暗い地下室にはチープな重低音と悪趣味な悲鳴が響き渡っていた。

 

「……っ! なんで……なんでこんな……っ!」

 

ソファの右側でぬえは真っ赤な顔をして膝の上に抱えた呪骸を睨みつけていた。

 

ちゃっかり用意したキャラメルポップコーンの紙コップを肘置きにセットし最初は冷ややかに鑑賞するつもりだったのだ。しか、画面の中で巨大タコが雑なCGで人々を薙ぎ払うたびあまりの支離滅裂さに彼女の情緒は激しく乱れまくっていた。

 

「綾瀬、コーラ飲む? ……あ、ヤバ」

 

「ふぐっ……!?」

 

ポカッ!!

 

虎杖が親切心でコーラを差し出した瞬間、呆れと不快感でぬえの呪力がわずかにブレた。間髪入れずに抱えていたカエルのような不細工な呪骸がぬえの頬へ容赦ない右ストレートを叩き込む。

 

「痛っ……! なにこれ、なんでぬえがこんなゴミ人形に何度も叩かれなきゃいけないの……!?」

 

高専で数々の死線をくぐり抜けてきた天才少女が地下室でぬいぐるみ相手に何度もポカポカと殴られている。ミディアムヘアのハーフアップはすっかり乱れラベンダー色のワンポイント刺繍が施された袖口で涙目の目元をゴシゴシと拭う姿は普段の冷徹さからは想像もつかないほど可憐で無防備だった。

 

「綾瀬、大丈夫か……? ほら、一回深呼吸! 映画に集中すると呪力が乱れるぞ!」

 

「うるさい……! 虎杖はなんでそんなに平気そうなの!? こんなゴミみたいな映画、見てるだけで脳が腐りそうなのに!」

 

「いや、俺もさっき3回殴られたって! ほら、このシーンとか突っ込みどころ満載だけど無心になるんだよ!」

 

「無理!! 意味が分かんないもん!!」

 

ポカッ!!

 

「きゃあんっ!?」

 

またしても乱れた呪力に反応し呪骸の拳がぬえの額をクリーンヒットする。

 

ぬえはポップコーンを一つ口に放り込むとやけくそ気味に「五条悟……絶対に許さない……絶対に糸で細切りにしてやる……」と呪詛のように呟きながら必死に呪力の出力を一定に保とうと歯を食いしばるのだった。

 

 

一本目の映画がようやく終わりエンドロールが流れる頃。

 

ぬえは疲れ切った様子でソファに倒れ込んでいたが呼吸を整えるとすっと体を起こした。不機嫌ながらも彼女は約束を守る性格だ。

 

「……はぁ。修行の時間。虎杖、呪力操作を教えるから、こっち来て」

 

「おお! 頼むぜ綾瀬先生!」

 

ぬえは指先から髪の毛よりも細く繊細な一本の呪力糸をすっと出してみせた。暗闇の中で糸はラベンダー色の微かな光を帯びて静かに揺れている。

 

「いい? 呪力を練る時は身体の底から一気に押し出すんじゃなくて体内の呪力をこうやって……微細な管を通すみたいに『紡ぐ』イメージを持つの。川の濁流じゃなくて研ぎ澄まされた一本の絹糸をゆっくり手繰り寄せる感覚」

 

ぬえは手本を見せるように糸の太さをミリ単位で太くしたり水滴のように丸めたりしてみせる。圧倒的な精度と美しさ。ぬえなりの非常に丁寧で的確な指導だった。

 

……が

 

「ん?? 紡ぐ……? 絹糸……?? 川……??」

 

虎杖は頭の上に大量のハテナを浮かべ眉間にシワを寄せて首をかしげていた。

 

「えっと……つまり、丹田に力を込めてぬおーって出すんじゃなくて、スッと出す感じ……?」

 

「『ぬおー』じゃなくて『紡ぐ』の! 呪力の流れを層に分けてコントロールするの! 術式を組み込む前の基礎的な『呪力の粒』を意識しなさいって言ってるでしょ!」

 

「じゅ、呪力の粒……? 呪力って気合を入れたら拳の周りにドカンって纏うもんじゃないの……!?」

 

「だからそれが雑だって五条に言われたんでしょうが!!」

 

あまりにも基礎的な知識が抜けている虎杖に対し、感覚と経験で高みに達しているぬえの言葉はなかなか届かない。

 

「うーん……綾瀬の説明、すげー綺麗でカッコいいんだけど言葉が難しくて全然イメージ湧かねぇ……! 『層』って何!? ケーキの層みたいなやつ!?」

 

「なんで食べ物に例えるのバカ!! 脳みそまで筋肉なの!?」

 

「だって分かんねぇんだもん!!」

 

頭を抱える虎杖と伝える難しさにキーキーと怒るぬえ。

そこにガチャリと地下室の重いドアが開く音が響いた。

 

「やあ、生きてるかい?」

 

白衣を羽織り缶コーヒーを片手に持った家入硝子が顔を覗かせた。定期的にふたりの体調と精神状態を見に来てくれているのだ。

 

硝子の姿を認めた瞬間、ぬえの顔がぱあっと明るくなり一秒と置かずにソファから跳び起きた。

 

「硝子ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「おっと」

 

だだだっと駆け寄ってきたぬえはそのまま硝子の腰あたりに勢いよく抱きついた。

 

「硝子! 助けて! 五条がぬえに酷いことするの! 画面の中でタコとサメが空を飛ぶゴミみたいなクソ映画見せられて不気味な人形に何回も殴られたの! ほら、おでこ痛い!!」

 

前髪を上げてほんのり赤くなったおでこを硝子に見せつけるぬえ。完全に甘えモード全開である。

 

「よしよし、痛かったねぇ」

 

硝子は笑いを噛み殺しながらぬえの頭を優しく撫で、おでこに軽く手を当てて反転術式で痛みを和らげてあげた。ぬえは硝子の白衣に顔を埋め、ぐずぐずと文句を言い続ける。

 

「もう嫌だ……虎杖はバカだし、映画はクソだし、五条は最低。ぬえ、硝子の医務室に帰る……」

 

「はいはい。でも悟の言う通りこの修行のおかげで少しだけ呪力のブレが減ってるよ。偉いね、ぬえ」

 

「……うぅ」

 

硝子に褒められると弱いぬえはむすっとした顔で硝子を見上げた。

 

「……硝子が言うならもう少しだけ頑張る。でも、五条は絶対に許さない。今度会ったら、あの目隠しを糸でズタズタにしてゴミ箱に捨ててやるから……!」

 

「ふふ、楽しみにしてるよ」

 

硝子に頭を撫でられて少しだけ機嫌を持ち直したぬえは、再び不機嫌な顔を作ると「ほら虎杖! 続きやるよ! 次『ケーキの層』って言ったら本気で切るからね!」と、未だに困惑している虎杖のもとへ戻っていくのだった。

 

 

 

地下の映画鑑賞室には重苦しい静寂とチープな映画の効果音だけが響いていた。

 

画面の中でうごめくのは三つ首の巨大サメ。

 

数日前ならぬえが「ゴミ映画!」と叫んで呪力を爆発させ呪骸に顔面を叩かれていたであろう悪趣味なシーンだ。

 

しかし——今のふたりは違っていた。

ぬえは膝の上に置いたカエルの呪骸を静かに抱きかかえ、ハーフアップの髪を微かに揺らしながら無表情で画面を見つめている。手首のラベンダー色のワンポイント刺繍のあたりから立ち上る呪力は驚くほど一定で一切のブレがない。

 

隣の虎杖も同様にコーラを一口飲みつつ安定した呪力を身体に纏い続けていた。

 

カチャッ

 

ドアが開く。入ってきた五条悟が目隠しの奥で驚きに目を丸くした。

 

「へぇ〜……! 正直、ぬえは二日でブチギレて僕を殺しに来ると思ってたんだけど。ふたりとも順調に呪力をコントロールできてるじゃん」

 

映画が一時停止されぬえと虎杖はゆっくりと五条へ視線を向けた。

 

「……当然でしょ、五条。ぬえを誰だと思ってるの。こんなクソ映画にいつまでも心を乱されるぬえじゃない」

 

ぬえはフンと鼻を鳴らし自慢げに小さく顎をそらした。だが、五条に向ける瞳の奥には変わらず冷ややかな殺気が宿っている。

 

「で? 修行が終わったなら早くここから出して。空気が汚くて耐えられない」

 

「うん、合格! ってわけで二人には早速、外での実地任務に行ってもらいまーす!」

 

「実地任務!?」

 

虎杖が身を乗り出す。五条はニッと笑い手元の資料を二人に見せた。

 

「神奈川県川崎市の映画館で変死体が発見されたんだ。普通の人間には見えない『呪い』が絡んでるのは確実。でね、今回は僕じゃなくて信頼できる僕の元後輩に二人の同行をお願いしてあるから」

 

 

 

 

数時間後

川崎市内の映画館前

 

「……遅い」

 

ぬえは腕を組み、不機嫌そうに雨上がりの舗装路を蹴っていた。隣で虎杖が「まあまあ、綾瀬。まだ約束の三分前だぞ」と宥める。

 

そこへ規則正しい靴音を響かせて一人の男が歩み寄ってきた。

 

ビシッと仕立てられた七分柄のスーツに眼鏡型の呪具。短く切りそろえられた七三分けの髪。全身から「社会人の理性」を滲ませた男——七海建人だった。

 

「初めまして。五条さんから話は伺っています。七海です」

 

七海は二人の前で足を止めると深々と頭を下げた。

 

「……綾瀬ぬえ。高専一年」

 

ぬえは七海を上から下まで冷ややかな視線で見分した。

第一印象は「五条とは真逆の真面目で堅苦しそうな大人」。五条のような軽薄さや不快感はなくどこか整然とした空気を感じ取りぬえはわずかに警戒を解いた。

 

「俺は虎杖悠仁! よろしくお願いします、七海さん!」

 

七海は視線をぬえへと向けた。その眼鏡の奥の瞳には異例の経歴を持つ少女への客観的な分析の光が宿っている。

 

「綾瀬さん。五条さんからあなたの術式と実力については聞き及んでいます。……ですが、私の方針を先に伝えておきます。呪術師はクソ、労働もクソ。どちらも等しくクソですが、より適正のある方を選んでいるに過ぎません」

 

「……クソ」

 

ぬえはその言葉に、ピクリと反応した。

 

「ですから私のもとで動く以上、無駄な指示出しや感情的な暴走は慎んでいただきます。命の危険がない限り命令には従ってください。……いいですね?」

 

普通なら「生意気な大人」と反発するような物言いだった。

しかし、ぬえにとってこの「無駄を嫌い、過剰な情情を排する合理的な姿勢」はどこか大好きな先生の教えに通じるものがあった。

 

「……良いよ。五条みたいにふざけた大人よりずっとマシ」

 

ぬえは凛とした口調で短く頷いた。七海もまたぬえの無駄のない立ち振る舞いと指先に宿る研ぎ澄まされた呪力の気配を感じ取り「……優秀な方のようで助かります」と微かに口元を緩めた。

 

「よし! じゃあ行こうぜ、ナナミン、綾瀬!」

 

虎杖を先頭に三人は事件の現場である映画館の内部へと足を踏み入れのだった。

 

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