空が一瞬瞬いた。
煌びやかな夜会。星空を望む夏の宴。
「婚約の、破棄をする」
その席上で、隣に座る王太子から告げられた言葉は公爵令嬢にとって、余りにも意外なモノだった。
「なんですって?」
尋ねてしまうのも無理はない。いつも隣にいる男、婚約者からの言葉が、彼女には信じられなかった。
「二度も言わせるな。婚約を破棄するんだ」
奥歯の軋む音がする。誰のモノだかもわからない。
この男に愛され、愛せる様にと日々自分を磨いてきた自負がある。
「誰とのでしょうか?」
声が、上擦っていた。
彼女の容姿も学問も武も何もかも、彼の為にと積んで来た日々で、作り上げたものなのだから。
額を伝う冷たいものが、目に入る。けれども公爵令嬢は、眼を見開いたままでいた。
「そんな事すらわからないのか? 愚かな女だ」
その言葉が、自分へのものだと認識出来ずにいた。
同じ師の元で学び、共に研鑽を積んだ仲だった。
王の長子である彼を支える為に、生きて来た。
夜会は煌びやかなまま、談笑や喧騒を運び続ける。
なのに彼女には、時が止まった様だった。
「世には、両雄並び立たずといった言葉がある」
よく聞く話で、よくある言葉であった。
「私は雌ですが、生物学上の」
当然の反論をしてみせる。論点をズラす事で、言葉の意味を再解釈しようとしていた。
「比喩だよ、愚物」
深い吐息の王太子。彼を見た公爵令嬢も息を吐く。
「あまり、適切ではないかと」
柳眉を顰める公爵令嬢。適切な、指摘であった。
「いや、世に英雄と呼ばれる者は数多いる。だが、真実の英雄である者を、私は二人しか知らん」
そうそう、この強引な前振りは——。
公爵令嬢の唇が引き攣った。この後の衝撃を覚悟して。
「そ、それは……」
けれども、こう返さなくてはならないのがお約束であった。
ふとした瞬間に、途切れた夜会の喧騒。
談笑も、音楽も、僅かに止まった。
ぶつかりあった、二つの視線。
「君と余だ!」
——ドーン!
雷鳴が轟いた。比喩でなく。
即座に公爵令嬢は椅子を蹴倒し、その下へと潜り込む。
彼女の身体は震えている。
衝撃ではない。
静電気でもない。
ましてや、恐怖によるものでもなかった。
「フン、少々過大評価だったかな?」
王太子は立ち上がり、椅子の下で震える公爵令嬢を嘲った。ついでに、彼女の丸い尻を爪先で突く。
「うう……」
柔らかな尻は硬い靴に押され、型を歪ませる。
大きくて、張りのある尻である。
彼女が震えているのは、屈辱と困惑からだった。
「雷鳴如きで怯えるなぞ、案外に可愛い所があるではないか!」
大音声で王太子が叫ぶ。しかしそれは褒め言葉でも、愛の囁きでもない。
公爵令嬢を、貶める為のもの。
「まぁ、貴様も見てくれは良いからな。可愛らしくさえしていれば、妾にならしてやるぞ」
女性に対する侮辱を、諌める者はない。
足を離した男は剣を抜く。
彼が立つのは最も高く尊き座。
「ヒッ……」
剣を掲げる王太子。怯えを見せる公爵令嬢。
ここは王城、そして彼は王太子。
彼女だけでなく、逆らう気概のある者も、頭を上げられる者も、ここにはなかった。
剣を抜いたまま、天を仰いだ男。
——ドーン。
再びの雷鳴が、彼の身体を貫く。
焼け焦げた肉の臭いが、公爵令嬢の鼻へと届いた。
「やれやれ、ですわ」
その呟きは、会場の喧騒により掻き消される。
当然だ。王太子が落雷に打たれたのだから。
だが、公爵令嬢はそんなものには揺るがない。
「危機管理が甘い男に、国の管理が務まる筈もありませんわね」
冷たい一声が漏れていた。
裾を摘み上げ、膝を僅かに落とした礼。
自分とのこれまでの時間を、反故にした男への。
「婚約の破棄を、謹んでお受けいたします」
公爵令嬢の視線は、倒れ伏して黒焦げの肉塊となった元婚約者を見ている。
この肉塊が何を考えていたのかを、今更知る必要もないだろう。
「死人に口無しですからね」
そして即座にしゃがみ込む。
——ドーン。
再びの雷鳴が響き渡る。やや離れた場所へ、落ちている様だった。
空には暗雲が漂ってきている。
「そろそろ、降ってきますわ」
天からポツリ、ポツリと落ちて来た物が。
大粒な雨。
公爵令嬢は椅子を傘替わりに用い、雨を凌げる位置へと走った。
面白いと思われる物語が描きたいんですけどね。劉備と曹操でした。結構結果は違いますけど。