ハスールがそう言ったところで、研究室に漂っていた緊張感が、少しだけ緩んだ。
最初は魔法を撃たれるたびに身構えていた俺も、さすがに何度も繰り返しているうちに慣れてきたらしい。
……いや、慣れたというより、諦めたのかもしれない。
魔法が効かない。
その事実自体は変わらないし、俺の身体に危険がないことも分かってきた。
けれど、それでも。
目の前で杖の先端から炎やら水やら光やらが飛んでくれば、普通は怖い。
この場で普通じゃないのは、俺のほうなんだろうけど。
「はぁ…そろそろ休ませてくれねぇか?色々疲れたんだよ」
「別に動いてないだろ。お前」
「精神的に疲れんだよ!」
「まだ日が暮れていない」
「時間で判断するな!」
俺が叫ぶと、リサさんがまた笑った。
「いいじゃん、まだまだこれからっしょ!」
「リサさんも研究側でしょ!」
「バレた?」
「最初からバレてるよ!」
そんなやり取りをしていると、ハルジートさんがふと窓の外を見る。
「……でも、そろそろ休憩した方がいいと思いますよ」
「ほら!」
俺はここぞとばかりにハスールを見る。
「ハルジートさんもこう言ってる!」
「……」
ハスールは窓の外へ視線を向ける。
確かに、さっきよりも空は赤くなっていた。
夕方だ。
異世界に来てから、まだ一日目。
その間に決闘をして、異能に気づいて、学園に転入して、校内を歩き回って、魔法を何十回も浴びて、その上で研究までしている。
改めて考えると、結構な一日だった。
「……今日はここまでにするか」
「よっしゃ」
思わず拳を握る。
「ただし」
「ただし?」
ハスールがこちらを見る。
「明日からは、もっと条件を増やす」
「やっぱり休ませる気ねぇじゃねえか!」
「休むよ。今日は」
「明日からの話だよ!」
「そうだけど?」
「お前なぁ……!」
また言い合いになりそうになったところで、ベックスが間に入った。
「まあまあ、初日から無理させるなって。カゴキも疲れてんだろ?」
「そうですね。今日一日で色々ありすぎましたし」
「あたしはまだ全然いけるけど?」
「リサは研究対象じゃないので、帰りますよ」
「えー」
「帰ります」
「はーい」
ハルジートさんに首根っこを掴まれた猫のように、リサさんが引っ張られていく。
その様子を眺めていると、ベックスも肩を回した。
「じゃ、俺もそろそろ帰るわ。カゴキ、また明日な」
「ああ。じゃあまた…えーっと…ベッグラ」
「……おう」
ベックスが一瞬だけ嬉しそうな顔をした。
「その呼び方、覚えてくれたんだな」
「いや、覚えやすいし」
「ハスールより早く覚えたじゃねぇか」
「お前らが名前覚えられてるかどうかで競うなよ」
そんな言葉を残して、ベックスも部屋を出ていく。
最後にハルジートさんが軽く頭を下げた。
「では、カゴキさん。また明日」
「ああ。また明日」
「リサ、行きますよ」
「分かってるってー」
二人の声が遠ざかっていく。
やがて、部屋には俺とハスールだけが残った。
急に静かになった。
さっきまで四人で騒がしくしていたせいか、妙に広く感じる。
「……」
「……」
沈黙。
なんとなく気まずい。
「……なあ」
「何?」
「俺、明日からどうなるんだ?」
「どうって?」
「授業とか。クラスとか。そもそも俺、学生としてここに入ったんだろ?」
「ああ」
ハスールは淡々と答える。
「明日からAランクの授業に出ることになるだろうな」
「……Aランク」
「そう」
「俺が?」
「お前が」
「いや、俺まだ魔法使えないんだけど」
「それに関しては、ボクもおんなじこと思ってるよ。魔法学園のくせに、お前がいるのに納得はしてない」
「そうかよ……じゃあ、やっぱAランクはおかしいんじゃねぇか?」
「Cでも追いつけないよ」
「失礼だな!」
ハスールが小さく息を吐く。
それから、少しだけ口元を緩めた。
「まあ、安心していいよ」
「何を?」
「ボクが教えるから」
「……」
なんだろう。
その言葉は、妙に頼もしく聞こえた。
今日一日、ずっとこいつには振り回されていた。
魔法を撃たれ、煽られ、研究された。
それでも。
俺がこの世界で何も知らないことを考えれば、こいつの存在はありがたい。
「……そっか」
「何?」
「いや」
俺は笑って、椅子から立ち上がる。
「明日からよろしくな、ハスール」
「……」
ハスールは少しだけ目を丸くした。
そして、いつものように淡々と答えた。
「こちらこそ」
その日の研究は、そこで終わった。
◇◇◇
ガチャリ、とハスールが再び訓練場の出入り口を開く。
その扉をくぐれば、先程も見た一人用の部屋が広がっていた。
……一人用の。
「なあ…これ、俺はどうやって過ごせばいいんだ?全部ひとり用じゃねぇか」
「さぁな。床でも寝てれば?」
「本気で言ってるんだとしたら、お前のことベッドから引きずりおろしてでも俺がベッドで寝るからな」
「……異能のせいで勝てないのか。…最悪だ。お前ごときに負けるなんて」
「いちいちバカにしねぇと生きてけねぇのかお前は!」
そんな会話をしていると、訓練場とは真逆の方向。
部屋の入口の方からノックが聞こえた。
ハスールが入り口に向かったのに、俺もついていく。
ベックスか誰かが忘れ物でもしたか、と思っていた。
だが、ハスールの開けた扉の先には白髪の老人。
ハスールの部屋で俺が住む原因を作った人間である、学園長が立っていた。
「やっほー。こんばんは、二人とも。仲良くなった?」
「はい。異能の研究が捗りました」
「それは質問の答えじゃねぇだろ」
「うん、無事に仲良くなってるね。安心安心」
何処がだ。今の会話の要素に、仲良くなってる要素が何処にあった。
そんな俺の思考は口には出さず、はは…みたいな、微妙な笑みを浮かべるだけにしておいた。
「そうそう、別に僕は雑談したいわけじゃなくてね。雑に談笑したいわけじゃなくてね」
そう言って、学園長は背から色々と持ち物を取り出してくる。
魔法で運んできたのか、全部が浮いていた。
「これらを渡したくてねー。それで……これが制服で、こっちが教科書。小学生用と学園用、両方持ってきたから。それと筆記用具に、学園案内。あと、学生証。あ、籠喜君は触らないでね。これ全部手で持ちたいなら触ってもいいけど」
「絶対触りません」
「正直だねー」
くすくすと笑う学園長。
言った後に、失礼かもと思ったが、意外に許してくれる。
懐が広いのか、それとも別に俺の言うことなんて気にしないのか。
「それと、いくつか日用品も。歯磨きとか、櫛とか。あと耳かきとか。大事でしょ」
「…別に、耳かきは大事じゃないんじゃないですか?」
「そう?僕の父親は世界で一番重要なのは耳かきなのじゃ、と言ってきかなかったんだけど」
「……そうですか」
嘘にしても本当にしても、わけのわからない話だ。
やっぱり掴めない。適当に話され続けてる気がする。
というか、父親の語尾が「のじゃ」なのは嫌な気がする。人の親に何か言いたくもないけどさ……
「遺品整理したら三十本ぐらい出てきたのは引いたよね」
「それは引きますね」
恐ろしい父親だ。恐るべし。
「っていうか、別に耳かきトークを広げたいわけじゃなくて……あの、俺今のところ無一文なんですけど…どうしたらいいですかね」
話したかった本題に入る…が、流石に金をください、と言うわけにもいかず、ふわっとした言い方になった。
だが、ぶっちゃけ本音はそれだ。いちいち学園長に日用品が切れたからください、なんて言いたくはない。
「そういやそうだねー。うーん…ぶっちゃけ、お金渡すよりも僕が手渡しした方が楽なんだよね。わかるかなー?お金を個人に渡すっていうのはね、結構まずいんだよね」
「ああ…確かに」
言っちまえば、賄賂とかそういう感じにも受け取られかねない。
そもそも、俺が異世界転移してきた、なんてことを信じられているのも奇跡的なんだ。
そんな状態で金を学園長という立場の人が怪しい俺に渡してたら……ちょっと、怪しすぎる。
「しばらくは、ほしいものがあったら僕からの手渡しで。ある程度実力ついてきたら、学園外の手伝いでお小遣いは稼いでもいいよ」
言いつつ、学園長は持ってきたモノを床に置いた。
「手伝い?」
「そ。ハスール同伴じゃないといけないけどね」
俺と学園長の目がハスールに集める。
当の本人は、どこ吹く風といった様子だったけど。
「それは…ハスールが、俺の案内係、だからですか?」
「不正解。これはハスール自身の話だよ。まあ、ちょーっとハスールは強すぎるからね。学園内だけで過ごさせるのはもったいないし、ハスールの訓練にもならない。だから、特別に彼には外からの依頼を受けさせてる。しばらくはお休みにするけど…こっちが籠喜君の様子を見て、許可を出すよ。それでいいね?ハスール」
「構いません」
そっけない様子で、ハスールは返事をする。
俺に対して煽ってるような感じではなく、静かに返事をする。いや、さっきまでだって似たような感じなんだが…若干、印象が違うような?
「というわけで、しばらくの学園生活は籠喜君の特訓と研究だね。自由性は大事にしてあげたいけど、流石に自衛ができるまでは学園内に留まっておいて」
その一言は、少し重かった。
本当に大事なことを話すとき特有の、あの重苦しさ。
「今日の一瞬で学園中に噂が広まった。それも、尾鰭背鰭も付いてね。この調子じゃあ、どれだけ頑張っても噂は町中、州中、国中に広まる。なんせ、特殊事例だ。研究機関にも口は利いておくけど…実力行使も憚らないような連中だっている。学園内ならともかく、外で守れるかはわからない」
「……わかりました。ありがとうございます」
そう言った瞬間、学園長の空気がフッと軽くなった。
元の朗らかな、それでいてつかめないあの雰囲気に。
「ま、脅しすぎもよくないね。ああそうだ、学園のシステムに関しては学園案内に入ってるから。とりあえず、特殊Aランクとして、頑張ってねー」
そう言って、学園長は帰っていった。
「……やっぱり、つかめない人だな。」
「それに関しては、同意見。……それに、魔法の技術も」
そう言えば、と思い返す。
属性魔法、っていうのはすでに何度も文字通り体で覚えたが、学園長が俺の荷物を運んでいた魔法は、どれにも属さない気がする。
魔法だから、と思って流してたけど…もしかして、凄いことなのか?
そう思って、ハスールの方に振り返る。
その瞬間理解した。ハスールの言っていたことが。
部屋の様相が変わっていた。
一人部屋だったはずなのに。
ベッドも、机も、椅子も、クローゼットも、本棚も。
全部が二人用になっていた。
「はぁ…?これも、魔法ってことか?」
「それ以外ある?」
相変わらずの減らず口を叩く。
やっぱり、この口調は俺にばかりだ。
「……でも、正直言っておかしいよ。これは。確かに、モノを移動させる魔法は難しいながらも存在するし、ボクだって使える。だけど……ボクに気づかれないようにこんなことできるなんて、異常だ。ボクが目を離し、魔素の動きにも探知させない状態でこんなことできる、なんて」
「…すげぇんだな、あの人」
「それだけの感想だけで済ませれるのは尊敬するよ」
「おう教科書でぶん殴ってやろうか?」
◇◇◇
とりあえずもらった制服なり日用品をかたずける。
ハスール曰く異常な技術によって、俺用の本棚やクローゼットもできたため、別に困ることなく収納は終わった。
「……小学生用、か」
一冊、もらった中から手に取ってみる。
中身は魔法について。どうやって魔法を使うのかわからない俺にとっては、大切だろう。
だが、ふと感じてしまった。
俺はこの世界に、なじみ始めてる。
たかが一日だが、されど一日。
もう戻れないのかも、と。
いや違う。ここで暮らしていくんだ、っていうのが正しい。
一番戻る場所だったところが、変わった。
「本当に──」
口を突いて出そうになった瞬間だった。
「おい、なにボーっとしてる。そろそろご飯の時間だぞ」
ハスールの一言で、現実に戻された。
「……わりぃ」
「悪いと思ってるならさっさと準備しろ」
「はいはい……そんな急かさなくてもいいだろ?」
なんか、気が抜けた。
多分こいつに相談しても、どうにもならない結論しかでないんだろう。
でも、それがなんかいい気がした。
ガチャリと扉を開けたハスールについて、外に出る。
もう、日は沈んで、空の端っこが赤く染まっていた。
「こっちだ」
「はいはい。……っていうか、お前、飯のことご飯っていうわけ?」
「別に、それが普通だろ?」
「まあそうかもだけど……なんか、可愛いな」
「気でも狂ったか?」
「お前、飯のことご飯っていうくせに、口が悪すぎねぇ?」
だが、籠喜はまだ気づいていない。
学生証の存在に。
写真を撮られたことのない世界に学生証が存在する異常性に。
そして──学生証に写った自分の姿が、