「仮説段階とはいえ…お前はそもそも、周囲の魔素を感じ取れないだろ」
「はぁ?どういうことだ?」
ハスールがわかりやすく溜息をつく。
んな堂々とつくんじゃねぇ、と言いたくもなったが、今回ばかりは理解できない俺が悪いかもしれない。
「周囲に魔素がない。お前の体質のせいでな。だからその本の通りにしても無駄」
「ああ、そういうこと……てっきり、俺が実力がないと言われてるのかと」
「それもあるけど」
「あんのかよ!」
ハスールが自身の読んでいた本を置く。
俺の方に付き合ってくれるらしい。
「ぶっちゃけ、お前が教科書通りのやり方でできたらそれでよかったんだけどね。仮説は消えるけど、それはそれで研究につながるし」
「……面倒ってのもあったろ」
目をそらす。
こいつは研究に熱心なのか面倒なのかどっちなんだ。
俺が睨んでみるが、ハスールは目をそらしたままの癖に、気まずさを一切出してなかった。
なんならまだ堂々としている。
……たぶん、面倒も研究熱心なのも、こいつの中では両立するんだろう。
本当に、俺のことを実験動物としか見てないっていうか……一つ行動したら、一つ反応が返ってくる、みたいな素直さが一番嬉しいんだろうな。
そんな素直さを持ってるのなんか俺じゃあないし、素直になる気もない。
「とにかく、だ。お前がそういった体質である以上…一番初めの魔素の感覚は、体内で感じるしかない」
「お、先生らしくなってきた」
「調子に乗らないで」
そう言いながら、ハスールは俺の隣まで歩いてくる。
「目を閉じて」
「さっきもやったけど」
「今度はボクの言う通りにして」
「はいはい」
再び目を閉じる。
「まず、自分の身体を意識する」
「身体?」
「そう。腕、脚、心臓。自分の中にあるものを一つずつ認識して」
言われた通りにする。
右腕。
左腕。
脚。
胸。
心臓。
呼吸。
「次に、その全部を流れているものを意識する」
「血?」
「違う」
「リンパ?」
「知らない言葉を出さないで」
「いや、知ってるだろ」
「今は魔素の話」
「はいはい」
しょうがないので、従う。
身体の中を流れているもの。
血液とは違う。
もっと曖昧な何か。
……。
「…………」
やっぱり、何も感じない。
「どう?」
「何も」
「本当に?」
「本当に」
しばらく沈黙が続いた。
すると、ハスールが俺の手首を掴んだ。
「え?」
「集中して」
「お、おう」
手首から、何かを感じる。
いや、感じるというより――
「……温かい?」
「それはボクの手」
「お前かよ!」
反射的に目を開ける。
ハスールが呆れた顔をしていた。
「何を期待していたの?」
「いや、なんか魔素的な何かかと」
「そんなわけないでしょ」
「じゃあ触るなよ!」
「キミが集中できていないから」
「集中できてない原因を作ってんのお前だろ!」
「……」
ハスールは少し考えるように黙った。
そして、手を離す。
「じゃあ、もう一度」
「おう」
今度こそ目を閉じる。
意識する。
身体。
呼吸。
心臓。
そして、その奥。
何かがある。
……ような気がする。
いや。
気のせいかもしれないが。
「……なんか」
目をつぶったまま話す。
「何?」
「薄っすらだけど、あるような気がする」
ハスールの声が少しだけ近くなった。
「どこに?」
「身体の中……っていうか」
俺は言葉を探す。
「身体?いや…流れてる」
「流れてる?」
「なんていうか……血とも違う。でも、どっかを流れてる」
「……」
返事がない。
目を開ける。
ハスールが俺をじっと見ていた。
「何だよ」
「いや」
ハスールは少しだけ目を細める。
「続けて」
「お、おう」
なんだ?
今の。
妙に真剣な顔だった。
俺はもう一度目を閉じる。
今度は分かりやすくなった気がする。
血管みたいに流れてるやつじゃない。
もっと…いろんなところに流れてる。
「……たぶん、掴んだ…かな?」
「上出来」
その言葉に目を開くと、ハスールが俺が今いる共用机から離れて、俺の机を探っていた。
「…何してんだ?エッチな本とかないぞ」
「そんなの探すわけないだろ。低俗」
ちょっとした冗談を言うとその三倍の威力で煽りが帰ってくる。
おかえり。
「あった」
そう言ってハスールが持ってきたのは、耳かきだった。
え?まさか本気でこの耳かきが俺の杖になるの?
「……非常措置。流石のボクもお前の杖にこれは推さない」
良かった。
「いや、だったらなんで持ってきたんだよ」
「さっきも言ったけど、お前の周囲に魔素はない。あるいは使えない。でも、距離を開ければ存在してる」
ハスールは俺に耳かきを目の前に出すよう指示する。
「多分、これぐらいの棒があればいけるはず」
指示通り突き出した耳かきに、ハスールは自身の杖を合わせる。
いや、正確には杖で水を作っていた。
「…うん、無効化されない。この距離なら、お前も魔法を使える」
「いや、使えるってったって……魔素感じ取れただけだぞ?なんなら、本物か怪しいし」
「いいや、本物だよ。ボクは体の中を普遍的に流れてるような物質は、魔素以外知らない。それに、魔素を掴んだらあとは簡単だよ。属性全部は無茶でも、魔素だけを操るならできる」
「…それって魔法なのか?お前が使ってるやつとだいぶ違う気がするんだけど」
「魔法だよ。属性がないだけで、魔素を操ればなんだって魔法。その後はもっとじっくりやればいい」
いいからやれ、と言わんばかりにハスールは俺の持つ耳かきを指さした。
はいはい……やればいいんでしょ。やれば。
俺はもう一度目を閉じる。
体の内側をもう一度感じ始める。
……うん、ある。
そしたら、今度は身体の外側。
いや、多分…杖の先。
まあ耳かきだけど、それはいいや。
体の中みたいに、何かが流れる感覚を掴もうとする。
杖の先。その周囲。空気の中。
…何かがある。
目には見えない。
触れもしない。
でも、確かに何かが漂っているような感覚。
確かに、一回つかめれば楽だ。
心臓の拍動に気が付いたみたいに。
一度気づいたら、耳から離れない時計の針の音みたいに。
集中すれば、何かがあるのがわかる。
それを意識して。
集める。
………
「――あ」
瞬間だった。
何かが弾けて。バチッ、と乾いた音がした。
「うわっ!」
俺が目を開ける。
机の上に置いていた教科書が、一冊だけ床に落ちていた。
「…初めてにしては、上出来。七点」
「何点満点で?」
「何点って言ってほしい?」
ハスールが床の教科書を拾い上げる。
そして、俺を見る。
「もう一度やって」
「え?」
「今のだよ」
「今のって……魔法?」
「そう。感覚を忘れる前に」
指示に従う。
もう一回を繰り返す。
今度は、自分の中の魔素を感じなくても、杖の先を理解できた。
バチっと鳴る。さっきよりも、大きく。
「もう一回」
今度は目を瞑らなかった。
でも、感覚がわかる。
バチッと音が鳴る。
閃光らしきものが光っているのが見えた。
「もう一回」
先程までの緊張はもう消えていた。
長い時間を取らなくても音が鳴る。
光が散る。
「……俺、魔法…使ってる」
「漸く一歩目。小学校入学」
「うるせぇ」
俺は耳かきを眺める。
いや、正確にはその先端を見る。
さっきまで何もなかった場所。
そこに、今は確かに何かがある。
「……これ、何が起きてんだ?」
「魔素を動かした」
「それは分かった。じゃあ、何をしたんだ?」
「もう少し正確に言うと、魔素を一方向に流した」
ハスールが俺の手元を見る。
「属性を付与していないから、今はただ魔素が動いただけ。光ったのも、魔素が一瞬だけ高密度になったからだろうね」
「……つまり?」
「実用的に見れば、未完成」
「お前さぁ……」
せっかく人生初の魔法を使ったというのに、こいつは嬉しいとか凄いとか、そういう感想を一切くれない。
いや、そもそもこいつに褒められること自体、あまり期待してはいけないのかもしれない。
「でも」
ハスールが続けた。
「普通なら、ここまでやるのにもっと時間がかかる」
「……そうなのか?」
「魔素を感じるところから始めるんだからね。初めてなら、感覚を掴むだけでも数時間かかる人は珍しくない」
「じゃあ俺、結構すごい?」
「ボクはお前よりもっと早くできた」
「お前の話はしてねぇよ!そりゃどうせ高いだろうさ!なぁ!俺の!話は!」
「七点」
「まだその採点引きずってんのかよ!」
「七点は七点」
「…十点満点?」
「言ってない」
「じゃあ何点満点なんだよ」
「好きに考えれば?」
ムスッといた顔でハスールを見る。
こいつのことだ、どうせ百点満点……いや、千点とか言いかねない。
だが対照的に、ハスールは俺を見て、少しだけ口元を上げた。
「でも、悪くないよ」
「……」
今、何て言った?
「もう一回」
「え?」
「もう一回やって」
「いや、今なんか言っただろ」
「聞こえなかった?」
「聞こえたけど……」
「じゃあいいでしょ」
こいつ…褒めるときまで面倒くさいな……
俺は耳かきを構え直す。
「結構感覚分かった気もするけどなぁ…もう一回か」
「そう。今度は魔素を集めるだけじゃなく、形を意識して」
「形?」
「ボクがさっき水を作ったときのことを思い出して」
「ああ」
「水そのものを思い浮かべる必要はない。どう動かしたいかを考えて」
ハスールはそう言って、自分の杖を取り出した。
「魔法は、ただ魔素を動かすだけじゃない。魔素をどう動かすかが重要なんだ」
杖の先から、水が生まれる。
透明な水が、細い糸のように伸びていく。
それはハスールの杖の周囲をくるくると回り、やがて小さな球体になった。
「これも魔素を動かしているだけ」
「……いや、俺には全然同じに見えないんだけど」
「今はそれでいい」
水球が、ふっと消える。
「まずは自分の魔素を、自分の思った通りに動かす。それができれば、属性を乗せられる」
「属性……」
光、風、火、磁、雷、水。
昨日教科書で覚えたばかりの言葉が頭に浮かぶ。
「じゃあ、俺にも火とか水とか使えるのか?」
「それは分からない」
「分からない?」
「キミは普通じゃないから」
さらっと言われる。
「身体の周りに魔素が存在しないか、他の物質が存在する。魔法を無効化する。そもそも、魔素がある世界かわからないところから来てる」
ハスールは指を一本立てる。
「普通じゃない要素が多すぎる。でしょ?」
「改めて言われると結構ひどいな、俺」
「褒めてるんだけど」
「褒めてるのか?」
「研究対象としては」
「そこを付けろよ!」
俺が叫ぶと、ハスールはまた小さく笑った。
ほんの一瞬。
でも、今度は見間違えなかった。
こいつ。
昨日よりちょっと楽しそうだ。
「……なあ」
「何?」
「お前、俺のこと研究してるときが一番楽しそうじゃね?」
「そうだね」
即答だった。
「否定しろよ!」
「なんで?」
「なんか傷つくだろ!」
「ボクは研究が好きだから」
「俺より研究が好きなのかよ」
「比べるものじゃないでしょ」
「……まあ、それもそうか」
妙に納得してしまった。
ハスールがまた口を開く。
「研究ついでで言ってあげるけど…多分、お前の中に今まで魔素はなかったんだろうな」
「ん?…ああ、そうか。俺は異世界に来たわけだから……」
「そう、異物だからこそ、楽に感覚を掴めた。仮説だけど、いい線行ってるはず」
理解しやすい仮説だった。
確かに、その理論なら俺が早くに魔法を掴めたのもわかる。
あるいは、もしかしたらチートの力か?
…まあ、どっちでもいいや。どうせ変わらない。
「じゃあ、理論の話は終わり。今度は実践」
ハスールは俺に構えるよう促す。
俺は指示に従って、もう一度、耳かきを構えた。
「じゃあ、続きやるぞ」
「うん」
「今度は何点だ?」
「成功したら考える」
「よし。百点取ってやる」
「無理だと思うけど」
「お前なぁ!」
また、魔素を探す。
今度は目を閉じなくても分かる。
身体の内側にあるもの。
そこから耳かきへ。
そして、その先へ。
意識を伸ばす。
魔素が動く。
バチッと、小さな光が弾ける。
「……!」
さっきよりも、明らかに速かった。
「もう一回」
バチッ。
「もう一回」
バチッ。
「もう一回」
「お前、さっきからそれしか言ってなくないか?」
「できてるから。体に染み込ませろ」
「……」
そこで、気づいた。
ハスールが笑っている。
今度は隠そうともしていない。
「何だよ」
「いや」
ハスールは俺の耳かきを指差す。
「面白いなと思って」
「何が?」
「魔法を覚えるんじゃなくて、魔法そのものを覚えているみたいだ」
「……どういう意味だ?」
「さあ」
ハスールは少し考えてから、いつものように断定する。
「これから分かるんじゃない?」
その言葉を聞いて。
俺は、もう一度耳かきを構えた。
異世界に来て二日目。
俺はようやく、自分の意思で魔法を使った。
たった一瞬、小さな光を弾けさせただけ。
それでも。
昨日までの俺には、できなかったことだった。